来年のSBKとSSに関して出ている話で気になっていることが
スーパーポールに関するものですね。

今まで土曜日の午後四時から行われていたスーパーポールは
SBKの予選二回のセッションでトップ16に入ったライダー
がアタックラップを予選専用タイヤを用いて行っていました。

これがイモラやマニクールで聞いた話では、SBKと同様に
SSでも行われるということ。そして、今季まではトップ16
のライダーがスーパーポールを戦っていたのですが、来季から
はトップ8のライダーが走るというものです。

そして、このスーパーポールでは一発出しのためのソフトタイヤ
を使っていたのですが、この魔法のクオリファイ専用タイヤ
を止めるという話を耳にしました。

これが実現するとなると私は面白いなぁと思いますね。

そして、サーキット、レースと一般の乗り手や市場が近い
距離感を感じるSBKの世界がもっと面白さを感じて、
さらにレースと一般消費者の距離が近くなると思います。

MotoGPの世界が環境保護を考えて、無鉛ガソリンの
導入を図り、さらに環境保護を念頭において4ストローク化を
推進しましたが、どういうわけかごみの分別回収が行われる
こともなく、分ければ資源なのに、混ぜてごみにしてしまって
います。

さらに予選用のスペシャルタイヤという色々な意味でエネルギー
消費が大きい代物を使って予選順位を決めています。

環境問題が人類の大きな課題で各メーカーが知恵を出し合い、
何かをしなければいけない時代に環境保護を考えてルールの
変更をしたにも関わらず、こんなことをやっていては
世界中の多くの消費者、レースを支えるスポンサー(とりわけ
個人消費で成り立っているような会社)から認められない
と思います。

MotoGPがそういった言葉と行動に差を感じさせる中、
SBKはここにきて、エネルギー消費の激しい予選用タイヤ
を廃止する動きに出てきたことというのは私は高く評価します。

スペシャルなタイヤを使わず、市販されているバイクを
レース用にして戦うレースというのは一般の乗り手も
シンパシーを感じると思います。

MotoGPのあり方の真逆を行くこのアイデアが実現すれば
またSBKは素晴らしい世界をクリエイトするパーツを導入
したと思います。
aguri suzuki che fu il pilota della formula uno
con zakspeed yamaha lola lamborghini footwork arrows mugen
e ligier mugen poi ebbe cominciato il manager della squadra
che partecipa al campionato giapponese
sia formula nippon(formula 3000 in giappone )
sia grand tourismo

ora comincia la nuova avventura con il sostangioso
appoggio economico della honda
arrivera` al mondo della formula uno con il motore
della honda molto probabile lavorera` con il pilota
della honda takuma sato

oggi avevo capito che sara la sede del progetto
nel regno unito per svillupare la macchina
perche` piu` facile lavorare con il sistemma
del ex arrows formula uno e subito si puo` girare
facilmente

poi sicuramente la squadra di aguri suzuki e` la
squadra giapponese con l`appogio della honda
per questo pensa di parlare con il pilota della honda
e unico pilota giapponese che si chiama takuma sato

mentre leggendo la cronaca cominciavo pensare tante cose
cioe` dal 2006 c`e` legge duro che non puo` fare
la pubblicita` della sigaretta nei paesi europei

poi la toyota e` molto determinato ospitare al circuit
di fuji dove la toyota tiene piu` di 90% borsa di loro
e hanno gia modificato adattare alla sicurezza moderna

poi sicuramente la toyota vuole il mercato giovane
in giappone anzi in giappone meno 30anni
tanti guidano la honda

ci sono tante notizie tante idee tanti desideri
e tanti soldi(chi paga alla nuova squardra di aguri suzuki?
softbank???)

comunque arriva la nuova squadra nel 2006
penso che sia buona notizia per gli appasionati giapponesi
cosa sara cosa bisognoa cosa viene cosa fara
comunque vediamo!
テニスプレイヤーには色々な人がいますが、いい娘だなと
思ったプレイヤーは応援したい気持ちになるし、いい成績を
あげて欲しいものですね。私にとってヴェロニカ・フヴォイコーバという
人はそう思わせるプレイヤーの一人です。

私と彼女は当時、まだジュニアの大会を周っているときに
大阪スーパージュニアで会いました。私が片言のチェコ語で
あいさつするとひどく驚きながらも喜んで、質問に答えて
くれましたね。

その時の大会で彼女は優勝し、ジュニアの世界ランクで上位
に進出し、ジュニアの大きな大会とプロツアーの小規模大会
を周るようになりました。

彼女のプロ初戦となったのが、プラハ郊外のプロホニッツェ
での2万5千ドルのトーナメント。実はこの大会に私は
出かけていたのですが、ノーランカーで臨みながら、
オーストリア人の150位ぐらいのプレイヤーに競り勝ち、
ジュニアでトップ10クラスのプレイヤーはプロでトップ
100ぐらいの力はあるという広くテニスの世界で言われている
ことを真実であると私に教えてくれました。

そんな彼女が翌年のミラノのジュニアのイタリアンオープン。
スーパーバイクのモンツァの翌週で時間があった私は顔を
出したのですが、驚きながらも再会を喜んでくれました。

その時の彼女はこの大会第四シード。しかしながら、グレード
Aという規模の戦いで彼女は一回戦は何とか足に疲労感を
感じながらも勝ちましたが、二回戦で負けてはいけない試合に
負けてしまいました。

試合後、ベンチに腰掛けて、ずっと泣いていましたね。

引き分けなどなく、勝者と敗者しか存在しない世界で、
楽に勝っておかなければいけない試合で負けてしまった
ショックでずっとタオルで顔を覆っていました。

彼女の友人らしいプレイヤーが彼女に駆け寄り、なぐさめて
いましたが、私はこういう時には何を言っても無駄だと思う
のでほっときました。

翌日、ダブルスの試合の前に時間があってラウンジで
くつろいでいた彼女と会って、話す機会があったので、
少し話しました。

『負けたのは残念だけど、敗戦から学ぶこともあるし、
成長するための何かをつかむこともある。それに君が
泣きじゃくっていて、ある意味安心したよ。あれで悔しく
なかったらラケットを置いて、ツアーを周らないほうが
いいと思ったからね。流した涙の数だけ強くなるための
モチベーションが君にはあると思う。』

そう話したら、静かにうなずいていました。

ジュニアで上のレベルに達していたプレイヤーがプロに
なって、ツアーを周り始めて、すぐに結果を出せる人もいれば
壁にぶつかる人もいます。シャラポワなどは前者であり、
ヴェロニカ・フヴォイコーバは後者だと思います。

しかし、ある程度のレベルに達している人が、年齢を重ね、
体ができて、体力負けしなければ、互角に戦えるだろうし、
また、プロツアーに慣れて上位ランカーの球の威力や速さ
を苦にしなくなったら、いい試合をすることもできるでしょう。

出世が遅れていますが、私は彼女はできる人だと思います。

まだ、二万五千ドルや五万ドルクラスの大会を周っている
彼女ですが、私は彼女の才能を信じています。

今年のプルホニッツェの大会に出かけることができない
私ですが、大きな大会で世界のトップクラスと戦う彼女
に会いたいとか、自信や体力を持てば、もっと上にいける
と私は信じているとか、あきらめが悪いことが世界格式の
レースを見てきた私はテニスにも大いにあてはまると
思っていることなどを伝えたいなと思っている私です。

ひょっとしたら性格がいいことがテニスプレイヤーとしては
よくないかもしれないなと思いながら。
愛と憎しみはコインの表と裏の関係だということはこれだけ
生きていればよくわかります。好きだから許せないことや
我慢できないことというのは、人でもものでも社会でも存在
します。そんな私がイタリアを愛しながら嫌いなことを今回は
書いてみます。

私はイタリア語を勉強し始めたのはレースと映画が好きだから
という理由からでした。まぁ、好きだからこそ、ビジネス的
理由がなかったから、楽しく、面白みを感じながらできたの
だと思います。

そんな私ですから、日本にいるときもイタリア映画の傑作、
佳作を見ています。

でもって、イタリアのリミニに住んでいたときのこと。

北野武監督作品の『HANA-BI』を日本にいた期間に見られなかった
ので見に行きました。

しかし、これが大失敗。

何とイタリアという国における外国映画というのは、何と
ほとんどの場合吹き替えだったのです。

たけちゃんや秋山見学者があの見た目、あの顔で

『buongiorno』とか『ciao! come stai?』
なんて話すのは私的にはまったくだめだめでしたね。

映画というもので役者の技量とか上手さを計るのには
やはりオリジナル言語でないと私は思っています。
それにやはりリアリティというものを感じる上で
役者の言葉をじかに耳にしないと何か距離を感じてしまいます。

同じようなことはテレビで放送されたイタリアにおける
外国映画の場合にもあって、エミール・クストリッツァや
フランソワ・トリュフォーの映画でも見事にイタリア語
になっていました。

こういうのはまったく個人的な好き嫌いの領域なのですが、
私はイタリアのこの部分というのは嫌いですね。イタリアで
オリジナル言語で見られるのはポルノだけであると思います。

クストリッツァやトリュフォーで違和感を感じたのだから、
これがタルコフスキーやセルゲイ・パラジャーノフ、
チェコ時代のミロシュ・フォルマンとかだったらもっと
強烈な違和感を感じたことでしょう。
今季のSBKのライダー、メーカータイトルを奪ったコロナ
アルスタースズキのフランシス・バッタ氏がスズキ本社に今季の
成績報告のために来日しました。

スズキがSBKに勝つために復帰し、そして鮮やかに勝利を
重ねて、タイトルをドゥカティから奪い、スズキに初めての
SBKのライダー、メーカータイトルを捧げた彼にとって
非常に晴れがましく素晴らしい訪問となったことでしょう。

今回、もちろんスズキ首脳部と会談を持つことは何らかの
プロジェクトに関係するものと思われますが、何が生まれ、
何が出てくるのか、楽しみです。
クリス・ヴァーミューレンという人は、割りに堅実に
ものごとを進める人だと思っていましたが、ここに来て、
急激な変化を求めました。

私は彼がMotoGPのホンダポンスか、SBKでもう一年テンカーテ
ホンダでやるものだと思っていましたが、ここでスズキで来季
MotoGPを走ることになることが確定的です。

このオージーが走っていたテンカーテにミッシェル・ファブ
リッツィオが来るのではないかという話はかなり耳にしま
したが、ここにはドゥカティを追い出されたトーズランド。

ミッシェルがどこでホンダのマシンに乗るのかと考えて
いたら、クラッフィではなく、何とDFXTREAMがヤマハから
ホンダにスイッチし、ここにミッシェル・ファブリッツィオと
フランキー・キリがホンダのリッターバイクを走らせる
という話が発表になりました。

DFXTREAMのダニエーレ・カルリが様々な可能性を探っていた
のは間違いなく、あのチームがホンダにマシンを変える可能性
はマニクールでも耳にしていましたが、ホンダのSBK二台
体制で、そこにキリとファブリッツィオというのはビッグ
サプライズでしたね。

ホンダヨーロッパとホンダイタリアの精力的な動きと
ダニエーレ・カルリの希望や思惑がこうしたスーパー
チームを作ることに成功したと言えるでしょう。
テニスの世界ではラケットやテニスシューズ、ウェアの
進化というのは各社の研究開発と同業者間の競争の激しさ
からどんどん進んでいます。ニューラケットを買う時の
チョイスにみんな悩みますね。

しかし、トッププレイヤーの中では同じモデルを延々使い
続ける人がいます。

コントロール性能やパワー、ウェイトなど、どんどん進化する
にも関わらず、長年使いなれたラケットをずっと使う人が
いますね。

私が印象に残っているのは、かつてのジミー・コナーズ、
そして、ステファン・エドベリでした。

かつてのコナーズは84年に長年使っていたウィルソン
T2000というすでに製品がなくなり、70年代にテニスを
していた人しか持っていなかったようなモデルをずっと
使った後にウィルソンプロスタッフに変更しましたが、
これがしっくりこなかったために再び、骨董品とも
呼べるモデルに変更して、しばらく戦っていました。

エドベリという人はずっとウィルソンプロスタッフを
使っていましたね。でもって、彼の現役時代は彼の
美しいプレイスタイルと日本人の女性にもてるであろう
容姿で大変日本で人気があり、彼というカードを有すること
ができたら日本の市場で販売上有利になるであろうと
考えたミズノが交渉したこともあったらしく、彼は
インタビューでテストモデルを使って試したことも
あったとテニスマガジンのインタビューで答えていました。

パワーやコントロール性能など、進化が進んでいる最新
モデルよりも自らの五感にぴったりフィットした製品を
彼らは選び、世界のトップの大会で活躍して、ほぼ、ひとつ
の製品で現役生活を過ごして、自分の才能を発揮して、
成績を収めてきました。

いくら道具が良くても、本人が長年なじんだものを変える
リスクを拒否したり、体の一部になっているような印象の
モノを変更することにある種の嫌悪感さえ存在したような
印象がこの二人から感じ取れます。

同じような印象をレースの世界で抱くのが芳賀ですね。
ずっとアライヘルメット。そして、この私のブログの愛読者
でもいらっしゃる芳賀君のマネージャーの荒木さんと
お話しする機会を得たときにおっしゃっていたのが、
身にまとうもの、つけるものに対して、この最もファンキー
な名古屋人はこだわりと執着が強く、色々な意味で進化
した最新モデルの製品より、今まで彼のキャリアで使い
続けて、正に体の一部となっているようなモデルを
使っているということでした。

きっと、コナーズ、エドベリ、芳賀。ある意味妥協を許さず
研ぎ澄まされた感性の持ち主である気がします。
スーパーバイク世界選手権とスーパースポート世界選手権
を戦ってきたチームカワサキベルトッキがどうも危ないらしい。

セルジオ・ベルトッキは公には現在来年の参戦に関して、
スイスの企業とスポンサーシップに関して交渉中でもちろん、
参戦の意思を表しています。

しかし、パドックでの話はというと灰色のものから暗いもの
までであり、明るい話は聞きません。

私はあのチームというのは本当に好きでした。お金や
政治力というのは乏しいかもしれませんが、本当にレースが
好きで、そしてバイクが好きで集まった連中だなと
思いますね。

まぁ、資金繰りが大変だから払えるライダー、スポンサーを
持ち込めるライダーを乗せるということはありますが、
レースを愛し、人生を楽しむ連中が類を持って集まったような
チームですね。

ここのホスピタリティで何度もおいしい食事をごちそうになった
こともありました。

『お前飯食ったか』
『まだだ。』
『こっちこい。』

そんな会話は何度あったことでしょう。

そんな彼らが出してくれる食事がまたすごくおいしい。

本当に彼らのやさしさがうれしかったですね。
私のような人間に食べさせたところで政治力も経済力も
ない私だから何もしてあげられないのに、そんな私にこうして
食事を出してくれた彼らに感謝しきれないほどです。

そんなカワサキベルトッキの明るくていい連中ですが、
何故かその明るさや開放的な空気がイモラでは感じることが
できませんでした。

新しい誰かがあのチームを買い取るとか、今までの様々な
マテリアルや資源を売り払うという話を聞き始めたのは
そのイモラ、そしてその翌週のマニクールでした。

苦しいときも悲しいときも、明るさは失わずにレースに
望み、戦ってきた彼ら。そんな彼らにはまだまだいて欲しいし、
彼らのような存在がSBKには必要だと思います。

お金はなく、しんどい思いをすることが多くとも、何とか
シーズンを乗り越えるお金をイタリアの中小企業から
かき集めて、お金を持ち込めるライダーを見つけて、
多くの人たちの支援でイタリアで行われる
レースは活気があり、昼間からワインを飲みながら、その
中小企業の社長や重役から、励まされ、背中を押されながら
戦っていたカワサキベルトッキ。そんな彼らの戦う姿、
人生を楽しむ姿が好きでした。

彼らがいなくなってしまうのは、レース界の大きな損失だと
思います。

来年はワールドカップにトリノの冬季五輪とイタリアで
支援してくれる企業を探すのは大変だと思いますが、
何とか開幕のカタールに姿をあらわし、私が出かける可能性
が大きいヴァレンシアで再会したいものです。
かつての自民党という政党では三木的な理想と角栄的な利益誘導
というものが共存していました。

それが、自民党という政党のいいところだったと思います。
悪い言い方をすれば節操がない、いい言い方をすれば懐が深く、
様々な意見や考え方を許容していたと思いますね。

ところが、今回の選挙では小泉という人は自らの政策に反対
するものに対して刺客をぶつけてつぶすという方法論を取った。

そして、彼はこの闘争に勝利した。

何だか自民党のいい部分が消えていったような気がしましたね。

私は自民党員でも自民支持者でもないのですが、政党内部で
色々な意見がぶつかり、激論を交わす中ですぐれた政策と
いうものが生まれると思いますが、そういったエネルギーや
空気がなくなるとすると国民にとってマイナスだと思います。

oh minardi

2005年10月21日 スポーツ
all’ultima tappa della formula uno in cina
ha finito la stagione nel 2005

e anche la lungua storia della squadra faentina ha
finito

non solo la passione non puo’ partecipare la gara della
formula uno pero’ senza la passione non puo’ girare

la minardi non puo’ girare con schumacher
la minari non puo’ salire sul podio mai
la minardi non ha mai il motore potente

pero’ giancarlo e suo staff ci sono sempre al circuito

sempre bisogna lo sponsor
sempre voleva il pilota che puo’ portare i soldi
sempre si trovano ultimo piazzamento

avevo capito che bisogna tanti soldi per partecipare
il mondo della formula uno e sempre mancano alla squadra
faentina

poi in italia la formula uno significa 90% ferrari
e gli ultimi 10% i piloti italiani
(il mio amico fabrizio calia della 7 mi ha detto
95%ferrari e 5% il piloti italiani)
quindi il business per loro e’ molto difficile

io spero che giri ancora la minardi pero’
ha finito loro storia

la mancanza della minardi non va bene al mondo della
formula uno
penso che abbia bisogno la squadra piccola come
loro per i piloti debbutanti

webber alonso fisichella cominciavano loro carriera
con la minardi poi dopo aver girato piu’ competitiva
pensavano di salire su altre macchina

non solo la passione non puo’ partecipare
formula uno anche bisogna soldi

fino all’ultimo periodo mancava i soldi
pero’ hanno grande passione

spero che cominci il nuovo progetto con bella atmosferie
della minardi

io sono romagnolo giapponese che abita a nagoya
cosi la squadra romagnola e suzuka sono troppo speciali
al mondo della formula uno
la minardi a suzuka per me significano
piadina romagnolo e lambrusco per romagnoli

dopo aver sentito la notizia della fine stagione
e fine della minardi
sento grande mancanza tanto
一番安い席で、約14ユーロ。その席から見たアーセナル対
スパルタプラハですが、明らかに応援合戦ではイギリス人の
方が勝っていました。ウルトラスパルタと呼ばれる連中も
今回来ていないようで、何があったのか私はここに来るまで
知りませんでしたが、声援はイギリス人サポーターが大きく、
チェコ人は劣勢に周っている印象しか残りませんでした。

観客席の半分ほどがクローズとなった、今回の試合。スパルタに
とっては悪夢と呼べるような試合でしたね。

今季、国内リーグでも不調でこの試合の直前に監督が更迭。
その指揮がまだ浸透していないような前半の試合運び。

さらにどういう理由からか知りませんが、かなりスリッピーな
芝生。

そして、精度の欠く、各自のキックで、なかなか最終的な
局面までいたらずにアーセナルボールになるというありさま。

アーセナルが良かったというよりスパルタが悪すぎたと
言えるような内容でした。

ということで前半に0−1となり、後半、開始から攻撃
パターンを変えて、右サイドからの突破を考え、部分的には
成功したようでしたが、ラストパスまでに至らなかったり、
ラストパスの的確性に欠いているのが明らか。

そんなスパルタに対して、一瞬の隙をついて、追加点を
上げたのがアーセナル。

結果は2−0でアーセナルでしたが、試合内容はもっと
アーセナルが圧倒していたような、あるいはスパルタが
弱さを見せていたような試合でした。
親にとって、子供が大きな舞台で、持っている能力を十二分に
発揮して、多くの人に認められ、愛され、支持される姿を
見ることは本当に幸せなことでしょう。

ロレンツォ・ランツィというライダーが難しい局面遭遇したり、
ややこしい場面を経験しながらも、着実に実力を上げて、来季、
ゼロックスドゥカティとの契約に至り、明るい未来が待っている
ようです。

そんなロレンツォ・ランツィの父親のカルロ・ランツィという
男もそれを待ち望んでいました。

しかし、それはかなわぬこととなってしまいました。

先週の土曜日に息子ロレンツォと友達グループで一緒に
オフロードを楽しんでいた彼に不幸が襲いました。
重体となった彼は、その後命を失ってしまいました。

まだ、四十八歳でした。

ロレンツォが『バイクとレースに関するDNAは父から受け継いだ』
と常々話していますが、その父ランツィは死の直前までバイク
と共にいました。

こういう話題は目にして、耳にしていてつらいのですが、
何だか親子というのを考えさせられましたね。
ようやくワークスバイクで世界の頂点を狙える位置にやって
きたのに、父にその姿を見てもらえない。

ファブリッツィオ・ピロバーノがスーパースポート世界選手権
を制した99年、オーストリアのツェルトベグで彼はタイトルを
決めたのですが、そのタイトル決定の三週間前に彼は父親を
事故で亡くしていて、チェッカードフラッグを受けてからの
国際映像のインタビューに『父が、父が』と言ったきり話せなく
なったことがありました。

ある意味、ヴァレンティーノ・ロッシは幸せだなと思うと
同時に稼げたり、その業界の上のレベルに到達するのが
遅いと親孝行するのが遅れて、つらいことに遭遇する
可能性が高くなるのだなと思った私です。

それにしても父ランツィの四十八歳というのはいかにも
早すぎます。もっと、サーキットでお会いしたかった。
まだまだ話したいことがたくさんあった。一緒に楽しい
時を過ごしたかった。そんな思いでいっぱいです。
quando mi sono trovato ad imola ho sentito tante volte
"nel 2006 ritornera’ sud africa ancora non si sa
quale circuit pero’ sta parlando con fgsport"

e arrivavo a magny cours tanti cominciavano dire
"turchia voleva la gara di sbk all’anno prossimo"

infatti mi sembra che non sia sufficiente solo 12gare
di sbk pero’ ci saranno 14 gare nel 2006
mi fa sentire bene

qualche equippe cerca il pilota per la stagione nel 2006
avevo sentito tanto la squadra deve pensare di 2gare di piu’
e badget di piu’

totti del mondo sportivo quando qualche grande protagonista
arriva al top tanti cominciano vedere quello sport
mentre parlando con i tedeschi
mi dicono tanti
"dopo graf e becker tanti vedono i tornei e cominciano
giocare ,poi dopo schumacher i bimbi dei ricci
cominciano guidare mini kart e kart"

penso che sia verita’ in germania

il mondo di sbk c’e’ il pilota turco e in turchia c’e’
il circuito nuovissimo a cui interessa ospitare
la gara di sbk

il pilota turchese che abita in germania
lui puo’ arrivare in paese euro-asia con la moto competitiva
ci sara grande festa per gli appasionati locali

il circuito c’e’ il pilota c’e’ interessa c’e’
il discorso c’e’

vediamo!!
来年のスーパーバイク世界選手権のドゥカティワークスの
メンバーが発表になりました。すでにご存知の方もいらっしゃる
でしょうが、トロイ・ベイリスとロレンツォ・ランツィという
二人が決定しました。すごくうれしいニュースですね。

言ってみれば二人ともたたき上げ。そして、メーカーやスポンサー
などの強力なバックアップや援助がないなかで、才能と努力で
世界のトップまで上り詰めた人だと思います。

そんなベイリスという人とは最初に会ったのが97年のフィリップ
アイランドでした。その年彼はオーストラリア選手権のSBKを
スズキの750で戦っていたのですが、怪我で欠場となった
沼田の代役でスズキの250で世界GPの舞台に立つことに
なりました。

そこで、予選、決勝とも世界デビューとは思えない堂々とした
走りで関係者の注目を集めました。

しかしながら、彼にはスポンサーや持ち込み資金がなく、
やむなくイギリスに渡ります。

そこですぐに能力を発揮して、翌年にはイギリス選手権の
タイトルをドゥカティを走らせ、かっさらいました。

さぁ、世界への扉が開かれたと思いきや、ドゥカティの
ワークスチームにはフォガティがいて、さらに他のチームにも
空きがなく、ドゥカティからの話でアメリカで戦うことに。

そんな時にフォガティがアクシデントで戦列を離れ、日本の
SUGOを走りことになりました。

しかし、歴史的にミシュランタイヤがSUGOでまともに走れた
ためしはなく、後方を走る結果となり、再びアメリカに。

SUGOの後のドニントンパークをルーカ・カダローラが走りましたが
これも2ストロークはOKの彼ですが、4スト初ライドは散々な
結果に終わりました。

続くモンツァ。再び、彼にチャンスが巡ってきました。
グッドラックが彼にやって来て、イタリアというドゥカティの
地元で走らせることができることとなった彼と私は再会
しました。

実は私はこの時、あるSBKのチームからお話を頂き、
このモンツァの次のドイツからそのチームを手伝うことに
なっていたのですが、この時はSSのチームを手伝っていました。

これといってメーカーやスポンサーとの結びつきが強いわけ
でもない我々二人が色々な歴史を経て、モンツァで会い、
色々な話をしましたが、お互い、いいビジネスをして、
トップに行きたいという気持ちは強く、同じ感度を有している
なという印象を強く抱きました。

この時のレースウィーク。トロイは両レースとも四位という
成績で本領を発揮。そして、このシーズンの残りのレースを
出走するという契約をゲットしました。

そして、次のドイツで初優勝。私はライバルチームのユニフォーム
を着ていましたが、率直にうれしかったですね。

人当たりがよく、誰からも愛され、そしてドゥカティに溶け込み、
ファンとレース、マニアとサーキットが非常に近い距離にある
SBKのサーキットで彼はドゥカティのエースとなり、世界の
頂上に近づいていきました。

私は違うメーカー、チームとご一緒させていただいて、
勉強になり、楽しく、少々しんどかった年を送りました。
(大きい組織、多民族、多国籍の場所にいると楽しいことも
あるけれど、色々と軋轢や問題もあるものです。)

翌年、彼はドゥカティの押しも押されぬナンバーワンとして
参戦し、そして、アッセンというレースファンや関係者に
とってスペシャルな場所で世界チャンピオンを決めました。

オーストラリア国歌は歌えない私ですが、表彰台の前で
ドゥカティのために流されたイタリア国歌を歌っていた
日本人というのは、私です。チャンスを得るまでに
苦労して、自分の才能を発揮できない場所から、こうして
チャンスを活かして、世界王者になった彼には万感の思いを
込めてイタリア国歌を歌うのは、当然の行為でしたね。

その後、彼はドゥカティと共にMotoGPへ。しかし、彼の性格
からして、ビジネス色が強く、ファンとサーキット、
レースとマーケットが離れているMotoGPの世界というのは
違和感があったのではないか。MotoGPに言ってからの彼
となかなか話す機会がなかったのですが、いい人であり、
人生を楽しむこと、家族や友人との時間を大切にする
彼にはMotoGPのシステムや空気というのは合わなかったのかな
という気がしますね。

その彼がドゥカティワークスのライダーとしてSBKに戻ってきます。今季、タイトルをさらわれて、復活を願うドゥカティに
とって、そして、彼の豪快で鮮烈な走りを待っていたファンに
とってこのSBK+ドゥカティ+トロイ・ベイリスというのは
最高のコンビネーションだと思います。

何だか無理とか背伸びをしているような環境の今年の一年を
終えて、ヴァレンシアやカタールでドゥカティのテストを
始めたときにようやく本来の彼に戻り、持っている才能と
タイムが比例する。そんな思いを抱いています。

本来の家に帰ってきましたと口にしたオージーが
どんな活躍を見せてくれるのか、期待感を抱いて彼を見ていき
たいと思っています。

welcome back troy!!

brava vaidisova

2005年10月18日 スポーツ
prima a seul e poi a tokyo nicole vaidisova ha vinto
2 tornei consecutivi e arrivava in thailandia
il posto da giocare ha cambiato invece suo talento
e il momento non cambia mai mai mai

nicole ha la giocatrice ceca che aveva ricevuto
l’afferto dall’img (international management group)
cioe’ dall primo periodo qualcuno aveva capito
suo valore da giocare

non comincava giocare e crescere come sharapova che
aveva gia vinto ad wimbledon pero’ qualquna che ha
talento da giocare bene dopo essere accorto qualcosa
da distruggere il muro della difficolta’ sta andando
al top

infatti queste ultime settimane nicole puo’ fare
come voleva

ancora non vince al torneo di top cioe’
tier uno e due pero’ quando la tennista ha capito
e puo cominciare giocare senza nessun dubbio
subito puo’ vincere

nella republica ceca dopo novotna non arriva al top 10
pero’ vaidisova e altre tennista’ che hanno talent
tanto vuole dire 2 brave safarova e koukalova
possiamo vedere bella ritorna del periodo di
mandrikova sukova e novotna

comunque queste vittorie non e’ sorpresa e
comincia bella storia della sua carriera

brava vaidisova!!
quando sono andato ad imola ho sentito tante volte
la gara di sud africa ritorna al superbike mondiale
ancora non decide quale circuit pero’ sud africa ritornera’
al mondo di sbk

poi dopo essere arrivato a magny cours subito
tanti cominciavano dire la possibilita’ di
turchia

infatti la pista e’ nuova cioe’ non hanno bisogno
di modificare come i circuiti vecchi che non avevano
pensare mai di moto che hanno 200 cavalli negli anni
60 e 70

meglio ancora c’e’ il pilota turco che partecipa
stk 1000 fino nel 2005 molto probabile gira nel 2006
supersport mondiale oppure superbike mondiale

infatti dopo essere arrivato al mondo di top
tanti a cui interesse lo sport dove ci sono
protagonista che ha lo stesso passaport
vedi dopo becker e graf i tedeschi cominciavano
giocare tennis poi dopo schumacher i bimbi dei ricchi
guidano kart

come cosi ci sono debiti motivi
l’autodromo c’e’ poi il pilota turco anche
quindi posso immaginare la gara di superbike mondiale
c’e’ in turchia nel 2006
イモラでは業界関係者から『来年は北米大陸はないが、
南アフリカが戻ってくるらしい。ウェルコムかキャラミか
はわからないが』という話が流れていました。

でもって、マニクールでは『トルコのイスタンブールが
誘致にしゃかりきになっていて、条件さえ合えばやるだろう』
という話でした。

すでに暫定のスケジュールは今季と同様に12レースという
ことで発表になっていますが、これに加えて南アフリカと
トルコということになると、なかなか面白みが増えますね。

あるチームがライダーを探しているときに、来季は
ヨーロッパの離れたところでひとつと南アフリカの遠征
費用を考えなければいけないという意味のことを口に
していましたが、それが具現化に向っているという
ところでしょうか。

自国のヒーローが出れば、その国のお客さんが増えるという
のは当然だと思いますが、そういった意味ではソフオグルは
FIMカップSTK1000のタイトルを獲って、SBKのレギュラーライダー
として、ビッグウェルカムでドイツからトルコに入りたかった
ことでしょう。

無冠で、どのカテゴリーで走るかわかりませんが、
トルコサイドでは自国のライダーが新設の評価の高い
サーキットで素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれる
ことを願っているはずです。
スーパーバイク世界選手権のチームの連中と共に、オランダ
ラウンドのアッセンの後、ドイツラウンドのラウジッツィ
まで一緒に移動しました。

ドイツをアウトバーンで走り、少々寄り道しながら旧東ドイツ
エリアのサーキットに着きましたが、毎度思うのはドイツという
国の美しさですね。

緑があり、アウトバーンは整備され、各々の都市がきれいに
まとまっていて、それぞれにおらが町のビールがあり、
サッカーのスタジアムがある。

イタリアという国も地方色が豊かというか、国として統一されて
それほど年月が経っていないのもあるのでしょうが、カンパニリズモ
(campanilismo)という郷土愛至上主義と訳せる言葉がある
のですが、このカンパニリズモがナショナリズムをはるかに
凌駕していて、ナショナリズムを感じるのはサッカーのワールド
カップとオリンピックの時だけで、逆に言えば、この二つの
ビッグイベントがなければ国としてまとまることがない気が
私だけでなくイタリア人も感じています。

同じようなことをドイツという国で、感じましたね。
まぁ、国土が広いことと同時に資本主義国としてやってきた
ことと共産主義国としてやってきた国が一つに簡単にまとまる
こともないわけで、各都市の色合いが違うのは当然だと
思います。

緑が豊かで都市計画がきちんとされていて、そして、サッカー
場があり、子供たちが芝生の上で遊べる環境がある。

かつて旧西ドイツを公式訪問した大平正芳がこの国のあり方に
感銘を受けて総理在任中に各都市が都市整備を進め、
それぞれの地方の名産をアピールし、緑あふれる各都市を
道路や鉄道で結んでいくという田園都市構想を提案したこと
がありました。

残念ながら、その彼のアイデアは彼の死去という形で姿を
現すことなくことなく終わり、その後の日本のバブル経済
と東京一極集中という歴史を経て、各都市のミニ東京化
計画の進行ということが成立してしまいました。

もし、大平正芳があの計画を推し進めていたら、今の日本
はどういうことになっていたのかなどと想像してしまいました。

政治家がやらないことをサッカーという磁場を使ってやって
いるのが川淵キャプテンである気がします。まぁ、政治家が
やるより、サッカーというポピュラリティのあるスポーツで
役職についている人の言葉というのは、確かに政治家が
票目当てに言う言葉より、はるかに地方の住民や行政担当者
に理解を得やすいというのはあると思います。

水と緑があり、各地にそれぞれの都市のおいしいビールがあり、
自分達の町のサッカーチームを応援する。そして、その勝利を
皆で共に喜びを分かちあう。アルコールの部分は日本は四大
ビールメーカーが統一した規格と味のビールになってしまって
きわめて限定した形でしか名古屋や大阪の特産のビールは
ありませんが、都市のアイデンティティと飲食、都市計画
をドイツで強く体感した私でした。
in giappone la tennista’ sono carine forte e giovane
saranno molto popolare

questo ho gia capito infatti in giappone quando belline
giocano bene subito i grande appisionata del foto
vengono fare foto con i prodotti cari e grande tecnologia

quindi alla settimana scorsa era il torneo feminile
aig open a tokyo quando arrivavano 4 bellezze
cioe’ vaidisova mirza golovin e kirilenko tanti
pensavano di comprare il biglietto

e i mass media credevano che fosse nuova sharapova

infatti la russa vinse prima volta il torneo di 10000dollari a kusatsu in giappone

poi il primo successo al torneo professionale all’wta tour
era a tokyo aig open poi cominciava andare al top

quando vedevano le bellezze che giocavano bene
pensavano di immaginare la storia di sharapova
dal torneo di 10000dollori e aig open a tokyo poi
wimbledon

pero’ penso che non sia nuova sharapova sopratutto
vaidisova poi la ceca a cui non piace sentire
"la nuova sharpova e seconda sharapova"

nella reppublica ceca in cui non gli piace russia
depende la storia del periodo di comunismo e
la primavera di praga

poi ognuno c’e’ la carattere diversa vaidisova e’
vaidisova
lo stile di giocare la metarita’ da provare
il passaporto ecc ecc troppi diversi

comunque io credo che sia la prima vaidisova e’ lei
non debito che sia la seconda sharapova
mentre vedevo la stagione di sbk nel 2005
sentivo super coppia fra il pilota e l’ingeniere
cioe’ il giro dei piloti
mi sembra che sia il film

mi piacciono i film cosi cominciavo studiare francese
e italiano

dopo aver visto il film di andrey tarkovski
che si chiama "nostalgia" volevo veramente andare
a toscana

anche dopo il capolavoro di visconti
"la morto a venezia" pensavo di andare a venezia

come cosi i film erano il grande motivazione
da girare e poi imparare

quando vedevo i film di fellini e kurosawa
potevo sentire qualche differenza fra loro capolavoro
e altri suoi film

ci sono buoni film di fellini e kurosawa
pero’ sopratutto i film di fellini con la musica di
nino lota sono troppo bella

anche i cinema di kurosawa con la telecamera di
kazuo miyagawa sono bellissimi

come cosi fino all’anno scoroso troy corser girava sulla
moto anglo malese petronas pero’ mancava la moto piu’
competitiva senza ingerniere cha era fiducioso

invece questo anno il pilota australiano dominava il titolo
mondiale con la suzuki GSX-R K5 con l’ingerniere
piu’ fiducioso

se fosse buona musica davanti al maestro di cantare
il protagonista puo’ cantare tranquillamente e
perfettamente

nel 2005 prima di volare a losail troy corser aveva
la moto piu’ competitiva con giacomo guidotti

io ho gia conoscito ex pilota ingerniere nel 1996
cioe’ lui era il pilota poi cambiava il suo mestiere

cosi lui puo’ capire la mentarita’ del pilota

poi corser lavorava mentre girava sulla aprilia mille
quando la casa di noale faceva il campionato mondiale
di sbk


hanno ricominciato il rapporto nel mondo di velocita’
e mi faceva immaginare i film di fellini con la musica
di nino lota e i cinema di kurosawa con la telecamera
di kazuo miyagawa

come il grande cantante puo’ cantare tranquillamente
e perfettamente i maestri che puo’ suonare dietro di lui

penso che sia super coppia corser-guidotti
e la moto e’ ottimo livello poi poteva fare test
come il pilota voleva l’ingerinere bisognava
subito subito cominciava vincere

credo che anche anno prossimo puo’ vincere il
pilota australiano con l’ingerniere italiano

i capolavori depende super coppia fra grande
maestro con grande partner che ha grande tecnologia
e conoscenza

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