大学時代に初めて見た映像は衝撃的でした。
そして、世の中というのは何かのきっかけで一気に変わっていくことを
リアルタイムで知りました。
あのベルリンの壁崩壊から20年です。

東ドイツという国があり、その背後にはワルシャワ条約機構軍をなす、旧共産主義
国家が連なっている。
その東西冷戦の象徴であり、悲劇の舞台でもあったベルリンの壁がなくなった
後、私は統一ドイツの中の旧東ドイツエリアに何度も行きました。

ベルギーから車でドイツに入り、そして、施設だけはむき出しのまま残っている
東西ドイツの国境地帯を抜けて、旧東ドイツエリアに入り、オッシャースレーベンに走っていました。

道路というのは国力や地域力を表していると思うのですが、急にそういった
インフラ面での乏しさを感じました。

そして、同時に古い建物が多いことに気付きましたね。

よくも悪くも旧西ドイツエリアというのはアメリカはじめ西側諸国のサポートが
あり、発展してきた歴史がありました。

それによって、いろいろな物のアップデートが図られてきたのですが、
それが旧共産圏にはなかった。

ある意味、古いヨーロッパの街を感じることができたのは、旧東ドイツでした。

そして、私はドイツ語は話せないのですが、西ドイツエリアの住民や他の国
の人間でドイツやオーストリアのドイツ語を学んできた連中が旧東ドイツ
エリアのなまりはきつすぎてわからないと話していました。

私にとっては英語がかなり通じるのが旧西ドイツで通じないことが多かったのが
旧東ドイツという感じですね。

そして、驚いたのが2000年に行った時に西側ではみないような旧ソ連製の
ラダや古いタイプのシュコダが走っている姿には感動しました。

オッシャースレーベンやラウジッツィのレースのために出かけることがあり、
そのたびに色々な発見があった旧東ドイツですが、手つかずの自然が残って
いるのもまた事実です。

経済発展してこなかったことのマイナスの部分はあるのですが、ある意味、
それゆえに美しい自然が残ったのも真実です。

私たち日本人にはなじみの薄い東ベルリンや旧東ドイツに目を向けるのも
ベルリンの壁があり、それが崩壊して足を容易に運べるようになったおかげでしょう。

ベルリンの壁崩壊から色々なことを感じますが、旧東ドイツの貧しさゆえに
得られた豊かさを感じる私です。

どうしても日本人がイタリアを旅行するとなるとローマ、
フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアといった大きな都市が
中心になってしまいますが、イタリアの地方都市にもいいところ
がたくさんあります。それを実感したのが今回のフェッラーラ
でした。

友人との会食を終えて、翌日、ボローニャに行くまでほぼ一日
フリーとなったのでそぞろ歩きました。前日の夜のフェッラーラ
もよかったのですが、昼間はまた違った表情がありましたね。

そんな昼間にいくつか教会に入ったのですが、カテドラルや
お城といったこの町の観光名所とは言えない小さな教会が
素晴らしかった。

本当にこういうところはイタリアの侮れないところですね。
あいつらはサッカーとセックスのことしか興味ないなと思うこと
も正直言って多いのですが、小さくて、地元の人しか入らないよう
な教会に美しくて目を奪われる絵画が飾られていて、行き届いた
管理がなされていて、しばらくこの教会で時の流れを忘れて
見続けていました。

フェッラーラというのはボローニャからヴェネツィアに行く
途中の町ということで、団体客がツアーで立ち寄るような場所
ではないのですが、こういった町にも美しさや歴史を感じさせる
建造物がたくさんあり、目を奪われるモノがたくさんあるというのは
この国家の文化の側面での実力の高さが感じられます。

改めて小さな町やイタリアという国の力の入れているところを
感じた滞在でした。
スロバキアの首都のブラティスラバからチェコのプラハに
帰ってきました。やはりプラハはいいですね。町がきれいで
ビールがうまくて、女性がきれいで、町全体に華やかさが
あります。

日本人やイタリア人がよくチェコスロバキアといいますが、
チェコとスロバキアは大きく違うと思います。言葉や風習
はかなり似ていると思いますが、やはり経済格差は大きい
と思います。

失業率が10%のチェコに対し、スロバキアは20%。
これもチェコ全体の数値でして、プラハでは5%とのこと。
そして平均給与も倍ほどの差があるといいます。

「何だ。何でも金かよ。」と言われそうですが、やはり、それは
大いにあると思います。貧困から犯罪に走ったり、アルコール
におぼれたり(これはこれだけ寒いとそうなってしまう部分
は大きいと思います。)といったことはありますし、
やはり町の美しさに触れていると美的感覚が磨かれるだろうし、
お金があれば、着るもの、身につけるものにもこだわりが
出てきたりすることでしょう。

バブルの最中に浮かれた気持ちになって、ゴージャスな
ものやきれいなものに対して価値を感じることができたと
いうのはバブルの良かった面だと思います。

経済格差とそれから派生する感覚の有無などチェコとスロバキア
プラハとブラティスラバには大きな差があると思います。
町の美しさや華やかさと同時に在住している人たちから
醸し出される空気や美というものも違いがあると思いましたね。

ひょっとしたらスロバキア人でビジネスマインドを持っている
人は言葉も風習も似ているプラハなりドイツ語が話せる人は
ブラティスラバから60キロ先のウィーンで美しい町で
美的感覚を養いながらビジネスをしているのかも知れません。
そう言えば確かにプラハには在チェコスロバキア人が多かった
はずです。

スロバキアにて

2004年12月1日 旅行
テニスのチャレンジャークラスの大会の観戦に
スロバキアのブラティスラバに行ったときのこと。

泊まっていたプライベートアパートメントで
テレビを見ることができたのですが、
これが地理的条件から色々なチャンネルを
見ることができました。

スロバキアのテレビ、そして当然チェコTVに
チェコの民間放送。そして、スロバキアの首都の
ブラティスラバという所はウィーンからわずか60キロ
しか離れていないところなのでオーストリアの国営と
民間放送。さらにハンガリーの国営のマジャールTVに
民間のDUNAなども見られましたね。

知っている人は知っているのでしょうが、チェコ語と
スロバキア語とポーランド語というのはかなり
似ていて、大体お互いの話していることというのは
わかるので、チェコのテレビをスロバキア人が見ても
理解できます。

そして、歴史的、地理的な条件からかなりドイツ語を
話す人が多い。私はイタリア語やフランス語などは
いいのですが(だからスペインに行ってもイタリア語
を話せば大体通じるので、アルプスの南と西はいいので
すが)ドイツ語を聞くと私は頭が痛くなる。
しかしながら日本人が考えている以上にドイツ語の
浸透度というのは深く、スロバキアでもドイツ語人口
は多かった印象を抱きました。

でもって、隣国がハンガリーで歴史的にもハンガリー
人口も多いのでハンガリー語を話す人も結構いる。

そんなことをリアルにテレビのチャンネル数とともに
体感したのですが、同時に重厚な作品とか見る側に
理解力を求められるような番組だけでは疲れてしまう。

日本のアニメがここでも見られていましたね。

私は独ソ戦に関する本というのを見たことがありますが、
あの戦争をテーマにしたテレビ番組が作られたとしたら
チェコ、スロバキア、オーストリア、ハンガリーで
どんな違いが出てくるのか見てみたい気がします。

寒いブラティスラバなので夏装備のドイツ軍が冬将軍に敗れたことを
リアルに感じている私です。
イタリアに関していいところというのは、料理にしても
ファッションにしても、サッカーにしても目にしている
人が多いので今日は日本人があまり知らない悪いところを。

私が初めてイタリアに行ったのは97年でした。

イタリアに行く前に思っていたのは、あの国では左翼政党が
強いこと。全産業のうち、第三番目の産業が観光業であること。
人がいいこと。そして愛とか情熱という言葉をよく口にする
ことでした。

そんなわけでヨーロッパは日本に比べて、ある部分が進んでいる
のだろうなと考えていました。

そう、私の祖父の足が不自由だったこともあって、
ヨーロッパ諸国、とりわけイタリアのように社会主義政党が
強くて、観光業で食べている人が多い、そして
人がやさしくて愛とか情熱という言葉を言うとなると
空港や駅などはバリアフリーが徹底されていて
エレバーターやエスカレーターがあって、障害を持っている
人や高齢者、小さな子どもを連れている家族なども
動きやすいシステムができているものだと考えていました。

そんなことを思って降り立ったローマのフィウミチーノ空港、
そしてテルミニ駅ですがバリアだらけでした。

さらにバスやトラム、電車などは床が高いこと。

そして、一部の例外(すでに私が書いたレッジョエミリア
の駅やミラノのマルペンサ空港、新しいタイプのバス)
を除いて、良くなることがありません。そして人々の
意識もそういったことに向いていない気がします。

イタリアという国も離婚や晩婚化が進み、少子高齢化が
進んでいるにも関わらず、愛とか情熱と言うのが
セックスとサッカーにばかり向けられているのが
イタリアの姿だと思います。

もっとこういったところに目が向けられる国が
いい国だと思うのですが、変わらないですね。
あの国は。
以前はベスト1の街はブタペストだったのですが、最近
はプラハがいいですね。

中世の町並みそのままで、景色が美しく、物価が安くて、
ビールが旨くて、女性がきれい。そんな街というのは
ほっとしたり、元気になりますね。

また、何だかチェコ人のメンタリティというのは少し日本人
を思わせるところがあります。すぐれた商品やサービスを
提供して、その見返りに儲けたいというところを感じる
ことがあったり、パブリックに対する尊重などはそうですね。
イタリア人のようなおれがおれがという感じを受けることは
少ないです。

もちろん、いい所ばかりでなく、悪い所もあります。
まだまだ障害者のかたにとってバリアだらけであるところや
ここのところチェココルナが円に対してもユーロやドルに
対しても強くて、私のような立場の人や旅行者にとって
つらいこともあります。

しかしながら、まだまだ安いし、来るたびに「プラハはいいなぁ」
と思わせるものがたくさんあります。

チェコ語というのは母音が五つなので、わからないまでも
耳に残るし、人もいいですしね。

そんなわけでヨーロッパの最初と最後はプラハになって
いるここ最近の私です。
今日もスロバキアのブラティスラバのネット屋からです。

この国に滞在するのは、今回が初めてです。
前回、ここに来たときはただ、領土内を通り過ぎるだけ
でしたからね。

私がこの国について思うのは、チェコとスロバキアの大きな
違いとビジネスマインドについてですね。

チェコという国は98年にビザが要らなくなりました。
一般的な観光客というのはビザなしで入国が可能になりました。

それ以前というのはビザが必要だったのですが、これも
私はブタペストで入手したのですが、これは簡単に手続き
ができてすぐに発給してくれました。また、ボーダーでも
簡単に手に入れることができたようです。

ところが、スロバキアという国は、チェコとはまるで違って、
ビザが02年の四月まで必要でした。
さらにこれが発給が時間がかかったり、何と信じられな
い話ですがボーダーで申請できずに隣国に追い返されたり
した日本人が多かったです。

チェコのプラハというのは、商業都市であり、観光都市で
日本人に対してウェルカムという姿勢であり、それが
ビザの発給の容易さとボーダーでの迅速な対応、そして98年
以降はノービザという形になっていて、プラハの夏休みや
卒業旅行のシーズンなど多くの日本人を見ることができます。

それに比べてスロバキアのブラティスラバというのは、
あまりぱっとしない印象が強いですね。また、先に述べた
ようにビザの入手の難しさやボーダーでの発給不可という
こと、そして02年までビザが必要だったということに現れ
ていました。

地図を見ていただけるとわかりやすいのですが、オースト
リアのウィーンとスロバキアのブラティスラバとは60キロ
の距離。バスで鉄道でも一時間です。

でもって、東京からも大阪からもオーストリア航空が
ウィーンに直行便を飛ばしています。つまり、ウィーンに
入る日本人観光客というのはかなりの数になるはずです。

それであるなら、チェコが98年にビザなし入国に切り
替えて多くの日本人観光客を呼び込むことに成功して
いたのに、ずっとビザの状況が変わらず、日本人を一つ
のマーケットとして考えずにようやく02年になって
ビザ無しになったことはスロバキアの観光業界にとって
は大きなマイナスだったはずです。

また、今現在でも、ウィーンに来た日本人をブラティス
ラバに呼び込もうという意志というかビジネスマインド
を感じることができません。

日本人やイタリア人が(まぁ、私の二番目の言葉は
イタリア語でイタリア人と接する機会が多いのですが)
チェコスロバキアと口にすることが多いのですが、
チェコとスロバキアには大きな違いがあると思います。
その大きなものが観光業に対する考え方で日本人の多い
プラハとそうでないブラティスラバによく表れていると
思います。
テニスの大会を見るためにスロバキアの首都のブラティスラバに
来ています。この町の中のネット屋が30スロバキアコルナ
でなおかつ日本語が打てるということで喜んで書こうと思った
次第です。

この国というのは、かつてはチェコスロバキアという一つの国
でした。その中でチェコ人とスロバキア人がお互いの利益やら
大国の影響下でチェコスロバキアという国にしておいた方が
いいということでかつては一つの国でした。

冷戦が終結し、プラハの春から長い年月を経て、民主化に成功し
体制を移行したのですが、同時に政権の内部にチェコ人が多く
占めていたことや自らの国を持ちたいという気持ちがスロバキア人
に芽生えて、独立し、スロバキア共和国が生まれました。

という経緯からして、この国の人はすごくナショナリズムが
強いですね。町のいたるところにこの国の国旗がなびいています。

また、昨日、今日とテニスの大会を見に行ったのですが、
まぁ、自国のプレイヤーに対する応援がすごいこと。

何だか、かつての軍事政権下の時のソウルで行われた
金一(キムイル=大木金太郎)とアントニオ猪木の試合
のような盛り上がりというか、イタリアグランプリの
フェッラーリの応援のような空気を感じました。

チェコと違って、失業率が高く、基本的に農業国で物作りの
ノウハウに乏しい国で、それほど大きくない国の人の
熱狂の対象が他民族への排斥でなく、テニスで自国のプレイヤー
を応援するというのはいいことだと思うのですが、平日の
昼間にテニスを見てこれだけ盛り上がるというのはいいこと
なのか考えてしまった私です。
イタリアという国に縁のある私ですが、よく居る町という
のがレッジョエミリアです。

このパルマとモデナの間の町ですが、ミラノやピアチェンツァ
に出るにも、ボローニャやイモラ、リミニに行くにも
幹線の中の町なので乗り換えなく行けて楽ですね。

また、私はかつてリミニで勉強していた時期があったのですが
レッジョエミリアの訛りというのは私にはわかりやすいです。

イタリア語というのは、私たち日本人やイタリア人以外の
人は簡単につい「イタリア語」と口にしてしまいますが、
まぁ、あの国には地方語がやたらと多い。
イタリア語というのは、いわゆるフィオレンティーノ
つまりフィレンツェ訛りのことをさしますね。

レッジョエミリアの言葉というのはわかりやすくて、
きれいだと思います。

さらに安く旅行をしたいと思っている人間にとっても
レッジョエミリアはいいところです。

ミラノのユースホステル(YH)などは高い上に駅から
離れているので、地下鉄に乗らなければいけない。
そして、再び町の真ん中に出るのに、もう一回乗り、
戻るのにさらにもう一回。そして翌日に駅に行くのに
もう一回乗る必要性があるし、その他にも食べる飲むが
高くつく。

その点、レッジョエミリアというのは、小さな町なので、
駅から15分程の所にYHがあるので歩けない距離ではない。
また、これが町の真ん中にあるので、真向かいが
ピッツェリア、歩いて二分の所にエッセルンガという
全国規模のスーパー。そして図書館も近いし、
町の行政サービスのビルが近くて、予約は必要だが、
ネットがただでできる。(これは図書館もです。)
飲食関係も安いし、中華やケバブを食べることが
できる場所も多い。

YHについてさらに触れるとイタリアのYHというのは、
大体昼間外に出なければいけないところが多いのですが
ここは昼間の出入りも管理人が許してくれているし
また、F1やバイクのレースをテレビルームで一緒に
盛り上がりながら見ることができます。
(昨年のF1の鈴鹿、モトGPのマレーシアなど時差の関係
で朝、相当早かったのですが、宿泊者の多くが起きて
集まっていました。)

さらに日本人にはうれしいことに、駅の近くに中国人
経営のスーパーがありインスタントラーメンやら
醤油なども買うことができ、外国人が経営する
国際電話のコールセンターもある。

また、私はイタリアという国は障害者差別が強いと
思うのですが、レッジョエミリアの駅というのは
スロープがあり、04年11月初旬現在、エレベーターは
まだ稼動していないのですが、これが動き始めると
恐らくエミリアロマーニャ州で一番障害者やお年寄りの
移動にやさしい駅になると思われます。

別に特別な建造物があるわけでも、世界的なお祭りが
あるわけでもないのですが、私がほっとできて、
温もりを感じることができ、安く収めることができる
そんな町がレッジョエミリアです。

ただこれは私がイタリア語がわかるという理由も
大きいのかも知れませんが(日本人の私がイタリア語を
話すと本当にイタリア人はよくしてくれます)
それにしても小さくていい町です。