顔すら見たくないもの同士の戦いというのは、何が起こるのか
わからないし、加害者にも被害者にもなりたくないのでファイタ
ー自身はやりたくないものだと思います。

しかし、そうやっていがみ合っていたり、嫌っている気持ちの
大きさが絶対に勝ちたいとか負けたくないという闘争心に
結びついて、リングという土壌は熱を帯びて、会場もテレビの
前の視聴者も炎上する素晴らしい戦闘が生まれ、熱狂を生み出す
ものです。

大晦日に打倒紅白を考えているフジテレビは世界紅白歌合戦
をやっていた頃には有していなかったガチンコ性とエンター
テイメント性を保持すことになりました。

紅白にもK1にも負けたくないドリームステージエンター
テイメントは持っているマテリアルにとんでもない
化学反応を起こすプロレスラーを呼び込み、ハッスル
しています。

何が生まれて、何がなくなるのか、歴史の変わる日の
目撃者になろうではありませんか。
テニスのツアー統括団体によるドーピング検査に引っかかった
プエルタが出場停止処分と成績の剥奪を受けました。
色々なことを考えさせられたこのニュースを消化するのに
時間がかかってしまいましたが、私が思ったのは、彼が異議
申し立てをすることがないので、これでよかったのだという
ものでした。

世界のツアーを周ること。そして、高いレベルを維持すること。
世界の列強を相手に勝ち続けること。そして世界の頂上に
近づくこと。これはものすごい体力、精神力といった力を
必要とします。その力をキープすることや上昇させること
が容易にできて、少しでも状態がよくなるマテリアルが
目の前にあった場合、どういうことになるのだろうか。
世界のトップにいる人であればあるほど、そして、彼のように
一度ランクを落として、そこから再び這い上がり、トップテン
や四大大会の優勝が見える場所にたどり着いたときに、
欲張りで自分の求めるものを得たいという強い意志を持った
プレイヤーが新たなる剣をもとめてしまったのかなと
思いますね。

本人は奥さんの飲むべき薬を間違えて飲んでしまい、それに
禁止されている物質が入っていて、それがドーピング検査の
対象となり、このようなことになってしまったと説明して
いるようですが、間違いを犯してしまったのは事実です。
そして、前述のように異議申し立てをすることなく、
処分を受け入れるようです。

八年のツアーからの追放は事実上の引退を意味します。
大変厳しい処分だと思いますが、テニスがオリンピック
の公式種目となり、また全世界で大会が開かれることに
なり、競争が激しくなったからこそ、こういった検査および
処罰が必要となるんだなと思いましたね。

私は野球というスポーツが好きですが、WBC開催にあたって
薬物検査をオリンピックやテニス並みに行い、キューバの
参戦も認めてやることがアメリカ人が金儲けのために
やることでなく、広く国際的にこのスポーツを広めて、
公平な土壌で行う平等性を得ることになると思っています。

テニスの世界の厳しさと野球の世界との違いを感じる
私です。

それにしても、もしプエルタがローランギャロで勝っていたり、
アルゼンチンがデビスカップで優勝していたら、記録上色々
な意味で大変になっていたのではないでしょうか。
年を越えるとテニスシーンは激しく動き出します。
オーストラリアでの大会が続いた後、今年初めのグランド
スラムイベントのオーストラリアンオープンが真夏のメルボルン
で行われ、それが終わると真冬の東京で女子のWTAツアー大会
の東レパンパシフィックオープンが開催されます。

日本での女子の大会ではトヨタプリンセスカップがなくなって
しまい、WTAツアーの大規模大会はこの冬の東レパンパシフィック
オープンのみとなってしまいました。秋のAIGオープンで
見ることができない女子のトップクラスのプレイヤーを現場で
日本で見ることができるのはこの大会ぐらいなものです。

すでに大会の要綱も発表になり、PR活動もやるようになって
きたのですが、この大会のホームページを見て、ひどく
驚いてしまいました。

今回出場するプレイヤーにニコル・ヴァイディソバがいるの
ですが、これが出場者リストのところでは彼女の国籍が
正しくチェコと書いてあるのですが、青字に塗られた彼女の
名前をクリックして、彼女のキャリアの略歴を見ると、
何と彼女の国籍がロシアなどと書いてありました。

これはチェコ人にとって穏やかな話ではありませんね。

私はヨーロッパに入るときにチェコのプラハから入って、
あの町からでることが多く、チェコ人の友人、知人を得ています。

そして私はあの国のことが気になる存在だし、好きな場所
でもあります。

そんな国の人たちにとって嫌いな国を挙げるとすると、
歴史的な経緯から言って、ドイツとロシアの二カ国の
名前が出てきます。

ドブチェックの早すぎた民主化要求。ブレジネフの軍事弾圧。
そして明るい空気から重く暗い雰囲気への移行。そんな悲しい
歴史を経験し、さらに大国の利益の狭間で生きていくことが
命題として各人が抱いている地政学的な環境のなかで
彼らがロシア人に対してどんな印象を抱いているのか東レ
パンパシフィックオープンの関係者はまったくわかって
いないのでしょう。

長野オリンピックでチェコという国は国技のアイスホッケーで
金メダルを獲得しましたが、これがQFが優勝候補のアメリカに
3−1。SFが優勝が本命視されていたカナダに残り一分を
切ったところで2−1でリードしていたところを追いつかれて
同点で延長となり、この延長戦を何とかしのいで、ペナルティ
ショット戦を制して、決勝進出。

そして、決勝で戦った相手はロシアでした。

一点のリードを奪い、ロシアの猛攻をしのぐチェコ。
八時間の時差のため、チェコでは早朝のテレビ放送となって
いたのですが、朝五時からヤン・フス像のある広場で
ビールを飲みながらレプリカユニフォームを見て応援していた
チェコ人。

冬のチェコというのはとんでもない寒さなのでしょうが、
そんな中、応援していた彼らの見たかったのは、チェコが
世界一になることであり、ロシアをぶち破る姿でした。

30本を越えるシュート、パワーとスピードを有するロシアの
猛攻に耐えて、終了のときを迎えたときに長野とチェコは
大爆発しました。

勝利の喜びは特別なのでしょうが、それがロシアを破っての
ものだったということが何か彼らの喜びに一つ違った
感情を加えていたことは間違いないでしょう。

かように世界的なスポーツイベントでチェコ人がロシア人を
相手にするときには過去の歴史的背景や国民性が発露する
ものですが、それが顕著なのがチェコとロシアの関係ですね。

かつて、サッカーの日本代表監督を加茂周氏が指揮していた時に
アジアのほかの国との試合のときにどういうわけか相手の
国家吹奏の時に普段、プレイ中の場所とは違う場所にいて
日本国代表監督が公式セレモニーで対戦国国歌が流れている
時に姿が見えないなんてことがあったときに国際舞台における
配慮が欠落し、マナーが不足していると言われたり書かれた
ことがありました。

歴史もあって、WTAツアーのポイントも高い東レパンパシフィック
オープンですが、大会関係者に何かが欠けていたり、
足りないものが存在する気がします。
年が明けてテレビの世界で番組改編で新番組が始まります。
野球のシーズンインほどの大規模な改編ではないのですが、
ドラマはここ数年1クールで変更ということもあり、結構
新番組が始まりますが、私が注目しているのは東海テレビの
昼のドラマですね。『牡丹と薔薇』で女優としての立ち位置を
決定付けて、はまり役というものを手にした感のある小沢真珠
が再び東海テレビ製作の昼のドラマに出演します。しかし、
これはちょっとした驚きを私に与えました。

モデルや女優をやりながらも、これといった代表作がなく、
きれいだけど、強烈な印象のなかった小沢真珠が『牡丹
と薔薇』の野島香世役での狂気と本気の入ったまじりっけの
ないじめっぷりに在宅しているパーセンテージの高い主婦層
からの支持を獲得し、人気と知名度を得たのですが、
ひとつはまり役というか、社会現象にまでなった役柄を
得ると、同じような役のオファーが来て、同じキャラクターを
続けることが多くなるはずです。

かつて小林克也さんが映画『逆噴射家族』で切れるお父さん
役をやったら、評判がよく、高い評価を得て、この作品を
見ていた監督やプロデューサーから同じような役を頼まれた
時期がありましたし、同様なことは他のタレントさんでも
ありました。

私はあの『牡丹と薔薇』放送以降の盛り上がりの中で、
きっと小沢真珠に対して、似たような役の話が来ている
とにらんでいましたが、スカパーのコマーシャル以外で
野島香世役のようなことをやらなかったのは少々以外な
気がしました。

その彼女に再び東海テレビから話があり、彼女はその
オファーを受けて撮影に入ったのですが、今回は東海テレビ
で昼のどろどろしたドラマというのは一緒なのですが、
何と今回は彼女はいじめられる役をやるそうです。

これには驚きましたね。

まぁ、女優さん(男優もそうなのでしょうが)としては
ひとつのカラーに染まらず、色々なことができる方が
いいと考えたり、様々なキャラクターを演じたいと
思ったりするのでしょうが、はまり役のいじめ体質を持った
美女というところから間逆のところに走ったのには驚き
ました。

彼女は見事に期待を裏切りましたね。しかし、その裏切りは
私にとってはとても幸福と悦楽を得るものです。
同じような役しかやらなかったり、やれない人は私は評価
しないのですが、彼女はいじめ役という既得権益と遺産で
食べていくことを良しとせず、新しいチャレンジと世間に
対するなぞ賭けと演出を仕掛けてきました。

岡本信人や石黒賢、久米宏の悪役などを見てみたい私に
とって気になるドラマが登場しましたね。

バラエティに出ることが多かった小沢真珠の女優宣言とも
過激な仕掛けとプロデュースとも呼べるこの作品での
演技に注目している私です。
どうも、来年の開催が予定されている野球の国別対抗戦の
WBCというものが今ひとつどころか今三つほど、よく誰のため
のものなのか、何のためのものなのかわかりません。

野球というスポーツをヨーロッパサイドから見ると、
北米大陸と日本、韓国、台湾、中国のみでポピュラーだなと
しか思えなくて、それでいて、アメリカ人のスーパースターが
オリンピックに出場しない。仮に全米のスーパースターが
出場して、ドーピング検査に引っかかる薬をやっていて、
IOCから処罰の対象になるとしたら、とんでもないことに
なってしまうだろうし、レギュラーシーズンの最中に開催
されることの多い夏のオリンピックに稼げないオリンピック
に出て、仮にキューバや中国あたりに負けてしまうこと
があったらとんでもないこと(しかしながら日本が好投手
がベストピッチしたら打つことができずにオーストラリア
に負けるようなことは現実にあり得る)になってしまうので
こういう国際大会を始めたのでしょうが、何か全面的に
賛成できないものがあります。

アメリカ人がお金儲けのためにやるのだったら、三月に
コンデッィショニングに不安のある日本の選手が出なくても
私は理解できます。

また、野球という競技の国際的な普及ということを目的に
するならばキューバの参加をアメリカが拒否している
現今、開催地を違う場所でやる必要性を感じます。

何だかキューバチームにある種のプレッシャーをかけて
アメリカを優位にしようという政府レベルの意図を感じる
私です。まぁ、ずっと高いレベルの緊張関係のある
両国なので、野球の大会だからといってキューバ人を簡単に
合衆国に入国させることはできないのでしょうが、そんなことは
開催の準備段階でわかっているわけで、WBCサイドが
合衆国政府に特別な配慮を求めて入国許可を得るために動いて
いる様子はどうも一応こういったことをやっていないと
キューバサイドに何を言われるかわからないのでとりあえず
やっておくというポーズであり、時間稼ぎのような気がして
しまいます。

まぁ、仮にキューバが入国を認められることとなり、アメリカ
本土で行われる試合でキューバのスーパーアスリート軍団が
アメリカにワンサイドで勝ったりしたらどんなことになるのか
考えて、WBCサイドは一応ホワイトハウスサイドにキューバ
チームの入国を認めるように請願して、結局認められなくて
遺憾の意を表明しつつ、キューバ抜きでWBCを開催する。
あるいは大きなライバル抜きでアメリカが勝利するのを
眺める。そんなことを考えているように思う私です。

WBCは誰のために、何のために開催されるのでしょうか。
この私のブログが恐らく日本人が日本語で書いた情報の
中では唯一ではないかと思いますが、今年スーパーバイク
世界選手権の併催レースとして行われた二十歳以下のライダー
のよって行われたストック600ヨーロッパ選手権の
激しいバトルの主役であったクラウディオ・コルティと
ヨアン・ティベリオについて何度か取り上げてきました。

明るい未来と将来性を感じさせ、素晴らしい技術と精神力を
感じさせた彼らのことについて、また書いてみたいと思います。

先日の私の記事の中で、ヴァレンティーノ・ロッシのベスト
シーズンは上田昇と激しく世界選手権を争った97年だと
書きました。その理由として、レベルの高い二人のライダーが
違うチーム、異なるメーカーで道具が勝敗に占める割合の
大きなスポーツで、お互いの有利な部分、不利なところを
理解して、差をつけようとしたり、埋めようとしたりする
過程で様々な進化と深化を遂げて、マシンをモディファイしたり
乗り方を変えたり、戦術や戦略を考えることで成長を促し
レベルをさらに上げることになり、ライダー、マシンともに
高いレベルでの戦いを一年通じてすることになりました。

同じことはかつて80年代後半から90年代前半のヤマハの
レイニーとスズキのシュワンツの戦いにも見ることができま
したが、絶対に勝ちたいとかあいつにだけは負けたくないという
欲望や意地が彼らが元々持っていたライディングの才能とク
ロスすることで素晴らしい走りとなり、野望の大きさが高
いレベルのマシンを求め、そのリクエストにエンジニアや
メーカーが応えることでマシンが進化し、さらに高いステー
ジでの戦闘が生まれました。

そんな違うメーカー、異なるチームでの凄まじいバトルという
ものを私は今季ユーロSTK600でコルティとティベリオに見ま
した。

レイニーとシュワンツがアメリカでの戦いでライバル視しながら
激しく争い、共に世界を舞台にしてからも、当時のチームの
エースライダーとしてメーカーの威信を背に、絶対に勝ちたい、
そして負けたくないという気持ちの強さを抱いて走っていた
時に素晴らしいドラマが鈴鹿でホッケンハイムで、ドニントン
パークで生まれました。

同じようなことを今季のコルティとティベリオにも感じました。

ヤマハR6に乗るイタリア人のコルティとホンダCBR600を駆る
フランス人のティベリオ。

このカテゴリーの選手権が始まってすぐに、このクラスは
この2005年シーズンは彼らのためにあると思いました。
そしてそれは雄弁に成績となった記され、激しいレースシーン
として表出されました。

全10レース中。5レースを奪ったコルティ。
4レースに勝利したティベリオ。

残り一つのレースはドイツでマキシム・ベルジェが獲ったもの
でしたが、これは最終ラップの最終コーナーの前のシケインで
優勝を争っていたコルティとティベリオが共に勝ちたい、
絶対に負けたくないという二人が起こしてしまったというか
二人だからこそ起きてしまった接触でした。

ベルジェが誰よりも早くチェッカーを受けましたが、
これは奪った勝利でなく間違いなく拾った勝利でした。

そんな激しく熱い戦いをした彼らには色々なオファーが
届きました。それは、ストックバイクの選手権でスタンダード
タイヤで素晴らしい走りをした彼らの能力と実力を
スーパーバイク世界選手権及びスーパースポート世界選手権が
開催される場所で披露したために起きた当然であり必然の
出来事でした。

チャンピオンとなったコルティは結局、ロレンツィオーニ
バイレオーニヤマハでFIMカップSTK1000選手権を戦うことを
選びました。

ティベリオは今年共に戦ったメガバイクホンダで参戦クラスを
スーパースポート世界選手権に参戦します。

コルティは先日行われたヴァレンシアテストに参加し、
ストックバイクのR1ながら、スーパーバイク勢に割って入る
タイムをたたき出し、ヤマハイタリアと二年契約を得て、
07年のスーパーバイク世界選手権にR1で戦うことが
決定的です。

ティベリオは初めてのスーパースポートマシンでヴァレンシア
を走り(彼は今年の五月のモンツァで行われたイタリア選手権
のレースでSSPのマシンを走らせているがヴァレンシアで
スーパースポート仕様のマシンを走らせるのは初めて)
好感触を抱いたようです。

宿命のライバルがいよいよヨーロッパ格式から世界格式の
ステージにやってきて活動する時がやってきました。

明らかに彼らには人並み以上の才能と実力があります。
そして若い彼らには未来があります。
彼らを支えているスタッフたちには期待感があります。

彼らがレイニーとシュワンツのように、ロッシと上田のように
違うメーカーとチームに所属しながら、お互いの能力を
認めながらも、トップライダーが有している負けず嫌い
とあきらめの悪さをぶつけ合い、世界の頂上を目指して
戦う日々が必ず来ることでしょう。

今年のアンダー20ユーロSTK600選手権の美しく激しい
バトルは彼らのこれからさらに先に続く流麗にして典雅、
過激にして爆発的なレーシングキャリアの華々しいながらも
毒々しく、きれいでありながらも暴力的な戦いのほんの
序曲に過ぎないことでしょう。

コルティとティベリオ。世界のレーシングシーンを
席巻するであろう彼らが奏でるオペラのタクトはアンダー20
によるストックバイクの選手権というフラミーニ
兄弟の発案で今年のスペインのヴァレンシアで振られたばか
りです。

圧倒的なスター性とその他のライダーを引き離してしまった
タレント性を世界選手権のかかったレースでスタンディング
オベーションで絶賛する日は遠くない未来に存在すること
でしょう。

レースの世界の未来はコルティとティベリオの二人の
手の中にあります。どうか私のブログを愛読してくださる
日本のレースファンの皆さん。彼らの今後に注目してください。
そして、新たなる歴史のウィットネスとして彼らの走りを
見守ろうではありませんか。
今年のMotoGPクラスを制して七度目のワールドタイトルを
獲得したイタリアを、そして世界を代表するバイクライダーで
あるヴァレンティーノ・ロッシ。その彼をある時は身近に、
そしてある時は遠い場所で見ていた私が思う彼のベスト
シーズンとは。

96年の鈴鹿。あどけない顔に独特のヘアスタイルの少年
がやってきました。彼の名前はヴァレンティーノ・ロッシ。
この世界選手権デビューシーズンでアプリリアの125CCの
バイクを走らせていた少年はまだ日本では無名の存在でした。
そして、ヨーロッパ諸国でも今のような人気者ではなかった
彼ですが、業界的な評価はものすごく高いものがあり、
彼の周りにはマウロ・ノッチョリ(当時の所属チームのチーフ
エンジニア)、ジャンピエロ・サッキ(同じくチームマネー
ジャー)、カルロ・ペルナット(アプリリアのレーシング
コーディネーター)がいました。

この面子が揃っているところにアプリリアのやる気と
高い期待度が伺えたのですが、今ほど忙しくもなく、
大きな額のビジネスをしていなかったので、普通に
私は話すことができましたね。

当時の私はイタリア語は今ほど話せなくて、コンジュンティーボ
やコンディツィオナーレを使えなかったレベルでしたが、
日本人の私がイタリア語を話すと喜んで相手をしてくれました。

そんな私がカメラを持って、写真撮影を頼んだ時に返ってきた
言葉というのは

『写真を撮るって私と一緒にか。それとも父と一緒にか。』と
いうものでした。

そう96年という時代ではかつてライダーをやっていた
グラッツィアーノ・ロッシの子供が世界にやってきた
ヴァレンティーノ・ロッシという立ち位置でした。

今ではヴァレンティーノ・ロッシの親父がかつてライダーを
やっていたグラッツィアーノ・ロッシであると認知度になって
いますが、当時はまだまだ写真を求めると、どっちと写真を
撮りたいんだとたずねるような状況でした。

そんな彼の他のライダーとまったく違うラインを取る
走りに驚かされた一年を見た後、97年の春を迎えました。
彼にとって世界選手権二年目となりました。

アプリリアからのサポートは分厚くなり、マシンのカラーリング
も変更。そして、私の知っているメカニックが軍団を組んで
迎えた97年シーズン。

ライバルは何人かいましたが、最大のライバルはホンダの
マシンを駆る上田昇でした。

メーカーからの期待とサポートを受けて走る若きイタリア人と
シーズン前のごたごたから色々お金や人、モノを持ち込んで
走る日本人。

まったく対照的な二人が素晴らしい戦いを世界のサーキットで
繰り広げた一年でした。

125という排気量で、あまりマシンの優劣が他のカテゴリー
に比べて大きくないクラスで、コンマ一秒でも速く走る
ために頭と体を使う二人。

若さとベテランの戦いであり、お互いの持っているモノが
違う中で激しいバトルを繰り広げた彼らは勝つために必要な
ものを求め、使い、走り、ゴールを目指しました。

メーカーやマテリアルが違う中で、ライバルより速く早く走ろう
と考える中で、五感が研ぎ澄まされ、理解力が大きくなり、
認知力が高まった。そして、欲が強くなり、野望が大きくなった
のではないか。

初めてヨーロッパでレースを見始めた私は今ほど忙しくなかった
ヴァレンティーノを見て、そう感じました。

この年、チェコのブルノでヴァレンティーノは初めての
世界タイトルを獲得しましたが、他のメーカーのマシンを
操り、素晴らしい走りをした上田昇との競り合いの中で
色々なものを学んだ気がします。そして、自分を倒すために
大変な努力と行動力と体力、知力を使った上田昇との間に
友情が芽生えました。

パドック内で聞いた話ですが、毎回のように優勝争いをして
チャンピオンを争った上田を翌年のアプリリアのエース
ライダーに推薦し、彼に世界王者になって欲しいとヴァレン
ティーノが進言したという話がありました。

かつてのF1が面白かった時はウィリアムズの乗るピケ、マンセル
とマクラーレンTAGポルシェのプロストとか、マクラーレン
ホンダのセナ対フェッラーリのプロスト、マクラーレン
メルセデスのハッキネン対フェッラーリのシューマッハーと
いうような違う道具やチームのライバルが道具の優劣を
どう同列に持っていくかとか、持っているアドバンテージを
どう武器にするのかなどといったものから派生する
ドライバーの頭脳戦があったり、ディスアドバンテージを
ひっくり返すための戦術があったり、パイロット自身の
研究や努力がさらに高いステージでのバトルに進化し、
それを見ている側が楽しむというところがありました。

おそらくヴァレンティーノ・ロッシというライダーは
素晴らしいライダーだと思うのですが、ここ三年に関して
考えるとライバル不在で、一人で自分が考え、作り、
搾り出したヤマハのマシンで一人旅をしているように
思えます。

となると、彼のライディングスキルをそのまま繰り出せる
マシンを開発すればいいだけで、それで優勝し、タイトルを
獲得できるとなると前述のような他のメーカーのマシンを
操る高いレベルのライダーとの対決がなく、頭脳戦や
戦術を駆使することも考えることもなくタイトル街道を
驀進することができる。

ひょっとしたらそのことがモチベーションの低下や他のカテ
ゴリーへの転向を考えるきっかけになってしまうのではないかと
思いますね。

97年のヴァレンティーノは上田をどう倒すか、
どうすれば速く走れるのか、どうやってタイムを縮めることが
できるのかをホンダのマシンを走らせる日本人を横目に
見ながら、エンジニアリングスタッフにタクトを振って
サーキットという舞台でオペラを上演していたように
思えます。そして、そのオペラは極上のライブ感と満足感が
あったものであり、演者の成長を生み出し、観客の興奮を
呼び、メーカーやスポンサーに満足感を与え、関わった
すべての人がエクスタシーを得たものだったと思います。

あの頃のヴァレンティーノは走るのが本当に楽しそうで、
面白さが伝わってきて、私のような一介の素浪人にも
色々なことを話してくれた。今ほど稼ぐことはできなかった
(それでも125のライダーなのに、お金を持ち込むことなく
最初から稼いで走っていた)が色々なモノを学び、理解し、
楽しんだ上で世界チャンピオンとなった。

ヴァレンティーノのベストシーズンは97年だったと
思う私です。

予告

2005年12月19日 スポーツ
ヴァレンシアでSBKとSSのテストがありました。
そのことについては、違う機会に述べることにして、
久しぶりにライダーやチームマネージャーにインタビューして
ここで紹介できればと思っています。

世界のビッグスターやミリオンユーロを動かす人はだめだと
しても、未来のスターや勝利を目指している業界人などの
生の声をお届けしようと考えています。お楽しみに。

追悼 仰木彬

2005年12月16日 スポーツ
すでに様々なメディアで取り上げられているように
仰木彬氏がベッドの上での戦いを制することができず、
お亡くなりになりました。

一野球ファンでしかない私ですが、心より哀悼の意を
表します。

仰木彬氏の現役時代については、何も印象がない私ですが、
指導者としての彼の姿には様々な刺激を受けました。

プレイヤーを辞めて、コーチの立場として野球に関わり、
近鉄バッファローズの低迷から、内部昇格という形で
監督業をはじめたのが、彼の野球監督としてのキャリアの
始まりだと記憶しています。

この時は近鉄が最下位に沈んでいる時に近鉄のスタープレイヤー
に指揮を任せるのはまずいので、チームの土台作りのために
チーム事情に詳しい仰木氏を監督にして、登り調子になった
時にかつてリーグ優勝した時の近鉄のスタープレイヤーに
チームを任せようと親会社および球団フロントは考えたのでは
ないかと私は推察しました。

チームのことを理解している地味な実務者というのが彼に
関する印象でした。

しかし、この男は西武ライオンズ黄金時代で、前年最下位の
チームを率いて、見事な戦いをしていきます。

地味な実務者は実はとんでもない戦略家であり、政治家であり
(政治家の前にバルカンをつけてもいいかと思う)、野心家
であり、現実主義者の指導者でありました。

そして、強い西武ライオンズとすさまじいバトルを繰り広げ
あの伝説的な88年の10・19の川崎球場のダブルヘッダー
が生まれました。

惜しくも引き分けでリーグ優勝を逃した翌年。今度は
西武、オリックス、近鉄の三つ巴の争いとなり、西武球場での
ダブルヘッダー二試合をブライアントの一試合三発。
吉井のパーフェクトリリーフで先勝し、二試合目はいてまえ
打線の大爆発で制し、次のホームでの阿波野のベストピッチで
リーグ優勝を果たし、凄まじい長いスパンの大河ドラマの
敗者と勝者を経験しました。

その後、95年には阪神淡路大震災の傷跡が生々しい
神戸を本拠地とするオリックスブルーウェーブの監督として
被災地神戸にリーグ優勝をもたらした。

この年のシーズン前には日本シリーズはON対決待望論が
沸き立つ中、仰木のOと野村のNの日本シリーズを戦う。

さらにその翌年には再びリーグ優勝を果たし、待望にして
結果的には唯一の日本一を果たした。

彼のもとで鈴木一朗は一軍と二軍を行ったり来たりだった
イチローという名前で世に出て、日本を代表する選手から
メジャーリーガーへ。

野茂がプロ野球選手としての活動をスタートさせたのも
近鉄の仰木政権時代からであった。

私は通訳したり、こうして文章を書いたり、コーディネーター
業をすることもあれば、イタリア語を教えることもありますが、
指導者、教育者としてある意味参考にさせていただいている
のが仰木さんでした。

人いいところを伸ばす、チームがうまく機能するために
変化をためらわない。独創的であることがいいことで、
人にあった方法論を考える。

野茂の投げ方、イチローの打ち方に口を出さずに見守る、
結果がでるのを待つということの重要性や対戦相手やチーム
の状況に応じてオーダーや守備位置を大胆にシフトしてしまう
など、物事の進め方ややり方など、モノを教える立場に
立った時に参考になったことは多かったですね。

仰木マジックという言葉がありますが、実はマジシャンでは
なく、ものすごい戦略家、現実家にして研究家だったと
思います。

前年五位と最下位のチームからできた合併チームを率いると
いうのは大変な激務であったと思いますが、与えられたカードを
使ってプレーオフ争いをして四位でシーズンを終えた彼は
素晴らしい仕事をしたと思います。

まだまだ彼の姿を見たかった。進化し深化する彼の野球を
見たかったのですが、それはかなわぬこととなってしまいました。

全力中堅

2005年12月14日 スポーツ
スキマスイッチの『全力少年』という曲を聴いていたら、
すぐに今シーズン、スーパースポート世界選手権をドゥカティで
走っていたジャンルカ・ナンネッリのことを思い浮かべて
しまいました。

フィレンツェ出身のイタリア人ライダー。ジャンルカ・ナン
ネッリ。ドゥカティで2002年にロックスレーシングで
スーパースポート世界選手権にやって来たが、その年はぱっと
せず、翌年にロレンツィオーニバイレオーニでヤマハR6で
世界選手権とイタリア選手権を戦った。

世界選手権では今ひとつの感のあった彼であるが、イタリア
選手権のチャンピオンとなり、チームと彼とは上げ潮の
ムードで翌年の世界選手権を戦うものと思われていたが、
チームと決裂してしまい、浪人の危機を迎える。

そんなピンチで不透明な冬の間、彼と彼の友人は就職活動、
スポンサー交渉のためにまさに東奔西走の毎日を送り、
型落ちのマシンであるがスーパーバイク世界選手権を
チームペデルチーニで戦うこととなった。

チームメイトは経験豊富であり、ドゥカティでの参戦数も
多く、チームはこのエースライダーのために作られたもので
あるという中、ナンネッリは背水の陣で迎えたスペインの開幕戦
で僚友を凌駕し、上位走行を重ねる。

彼の活躍はスペインだけに限らず、同じマシン、同じタイヤを
用いるチームメイトに先行し、他のメーカー、チームの注目を
浴びることになった。

そして、今季、ドゥカティでスーパースポート世界選手権を
戦うということになり、私と彼はヴァレンシアの空港で再会。

しかし、このドゥカティのスーパースポートマシンであるが、
グールベルグがさじを投げてしまうような車体(オランダ人の
話ではリアサイドの性能や能力がだめだめだったとのこと)
であり、ドゥカティサイドもまず最初にスーパーバイクの
タイトルを獲ることが大命題なので、他のメーカーに体制的に
遅れを取ってしまう。

評価を高めながら、道具を使うスポーツで道具の劣る状態で
いい道具を使っているライバルに戦いを挑まなければいけない
年になってしまったナンネッリ。

厳しさや冷たさを感じながらも、諦めが悪いことが美しい
ことであることをよく理解している彼が迎えたイタリアの
モンツァ。

ドゥカティの数少ないアドバンテージであるエンジンパワーと
ストレートスピード。何度も走ったことのあるミラノ郊外の
サーキットという地の利。どんな時も応援してくれている
ファンのみんなの大声援。そして、実はこのとき彼はスーパー
バイククラスも参戦し、ダブルエントリーだったのだが、
それ故に得られた数多い走行時間と周回数。

ディスアドバンテージである車体の問題をエンジン性能の
高さや彼の持っている経験、運、戦術、技術で埋めようとした。

本命はテンカーテホンダのシャーペンティエと藤原。
エンジンも車体もトップレベルでライダーの能力も
高いものがある彼らにスタートダッシュを許さないために
序盤を必死に食らいつく。

そして、レース展開で時にトップを奪いかく乱し、あわよくば
リードを築こうとする。

恐るべき集中力で、この戦術を実行に移し、フランス人と
日本人ライダーに戦いを挑み、自らのアイデアを具現化する。

イタリア人ライダーがイタリア製マシンでイタリアのレースで
トップを走行する。モンツァは一種独特な空気に包まれた。

レース中盤に入っても、最高速とライダーの腕と度胸で
チャンピオン候補二人に互角の戦いを見せるナンネッリ。

優勝もあり得るかに思えた彼であったが、序盤のハイスパート
がたたり、残り二周でタイヤのライフが終わってしまい、
ペースダウン。ライバル二人の先行を許したが、堂々の
戦いでキャリア初の世界選手権での表彰台をイタリアの
モンツァで奪ったとき、ロンバルディアのサーキットは
大爆発した。

私は表彰台の前で涙がしばらく涙が止まらなかったですね。

周りは藤原が勝ったから泣いているんだと思っている人も
いたようですが、そうではなく、ナンネッリのかくも美しい
レースにフェッリーニの映画を見たときのような陶酔感を
感じていました。

そして、さらにイタリアのイモラ。

メガバイクホンダのフォレとファブリッツィオ、ヤマハ
ジャーマニーのカーテンとパークスの四人の優勝争いに
なったレースが文字通り雨で水を差され、ウェットレースが
宣告されて始まった第二ヒート。

空が泣いたときに笑ったのは彼でした。

ドライではマシンの性能差で先行を許していたが、
雨の中を他のライダーより二秒から三秒早いペースで
周回し、トップに立つと、誰も寄せ付けない独走体制を
築き、初優勝をドゥカティの地元のエミリアロマーニャ州の
サーキットで達成。

シーズン後、彼には色々な話が舞い込んできました。
その中には今年のチャンピオンチームであるウィンストン
テンカーテホンダとの交渉も入っていました。

しかしながら、かなりの確率で彼がCBR600を走らせるという
話は残念ながらチームがトルコ人ライダーであるソフオグル
を選ぶということで流れてしまいました。

彼の来年に関しては一部イタリアのメディアがスーパーバイク
世界選手権のドゥカティの型落ちのマシンで走ると報じています。

ライダー人生の難しい局面でも、彼は全力でした。そして、
悪いことつらいことも、それを受け入れながら、その流れを
変えようとしてきました。

血と汗で乾いた脳を潤してきたのはまぎれもなく
このフィレンツェ人でした。

濁った水も新しい希望(ひかり)で澄み渡らせたのも
彼でした。

型落ちのマシンだろうと、ライバルの多くレベルの高い
クラスであろうと彼の視界は澄み切っていることでしょう。

ライダーとしてのキャリアを重ねてきた彼は常に全力で
あり、少年ではなく中堅です。しかし、セカイを開くのは
彼だと思います。
バイクのレースが東京圏以外では地上波で見られずに
(中部地方で日テレの系列局である中京テレビで見られないのは
色々な理由があるにせよ、中京テレビの失政だと思う)
テニスの四大大会もTBSがUSオープンから撤退して
有料放送の衛星であるWOWOWのみ。そんな状況を肌で
感じて思うのは、かつてのテレビ東京(およびその系列局
であるテレビ愛知)の大胆でわが道を行く番組編成でした。

よそがやらないことをやることが好きなテレビ東京は
現在の経済に特化したニュースや報道番組を日経の力を
借りてやったり、お金がなければアイデアで勝負して
温泉とグルメの番組でコアなファンを引き付けたり、
全体視聴率は低いものの、興味のある人は絶対見るような
番組(釣り番組であったり、演歌の花道であったり)を
作って、視聴者のニーズに応えてきました。

と同時にそれほど日本ではポピュラーでないスポーツを
取り上げ、それを広めることに多大な貢献をしてきました。

三菱ダイアモンドサッカーであったり、マイク・タイソンが
若手のホープから世界の頂上に登っていく時代のボクシング
のヘビー級であったり、ゴルフ番組であったり、ラグビー
やアメフトも彼らが鉱脈を見つけて、それを地道に長期に
渡って育ててきたと言えるでしょう。

そんな独特の感性と嗅覚を有しているテレビ東京がかつて
放送していたのが、バイクの世界グランプリであり、
世界のテニストーナメントを紹介するワールドビッグテニス
でした。

ほかの局が特別な事情がない限り手を出さない競技であり、
作らなかった番組を彼らは取り上げてきました。

衛星の有料放送でなく、地上波放送でのオンエアーを実現
してきた彼ら。そして、これらの
スポーツに対する情熱や愛情が伝わってくる番組作り。

しかしながら、彼らが製作していたものが諸般の事情で
作れなくなり、他局に移動した時に何が起きたのか。

前述のようにMotoGPに関しては日本テレビは地上波
において番組を作っていますが、中部地方は放送がありません。
(鈴鹿サーキットが放送エリア内にあり、また、バイクレース
やレーシングチームをサポートしているNGKやデンソー、
その他多くのメーカーが集積している場所にも関わらず!!)

テニスは四大大会ですら、TBSは撤退してしまいました。

私は思います。今こそ、よそがやらないならテレビ東京に
やって欲しい。

スポンサーや番組編成上のことなど、クリアすべきことは
多いと思います。しかし、パワーであるとか情熱とか
ノウハウは彼らに備わっていると思います。

今こそ、そして今だからこそテレビ東京に期待してしまう
私です。
ヨーロッパから日本に戻ってきて、違和感を感じることは
たくさんあるのですが、その中の一つがサッカーの中継ですね。
しかしながら今日の日テレの放送は何か違うことをやろうとか
新しいことを試みようという製作者サイドの意思が感じられ
ました。

チェコとかイタリアでサッカーをテレビで見ていて思うのは
いかに臨場感をテレビという媒体で伝えることができるのか
というものですね。場内の歓声というものを拾い上げ、
熱気をそのまま視聴者に伝えようという考えがよく伝わって
きます。その熱気に負けないようにアナウンサーも冷静に
分析する頭のクールさを持ちながらもハートは熱く言葉を
つないでいくという感じがします。

そんな中継スタイルになれてしまうと、日本のテレビというのは
かなり違ったスタイルのように思えます。
良くも悪くも目の前の事実を的確に話すことを製作者側が
実況担当者に求めて、それを提供していく。

ということで場内が暴力性を帯びた盛り上がり方をしても
そのエネルギーをマイクで拾って、テレビ視聴者に伝えるという
ことはない気がします。

二年前の野球の日本シリーズで、フジテレビがナゴヤドームの
ドラゴンズ主催ゲームの放映権を持って、製作、放映した
時に実況席以外に、バックネット裏に金村がゲストとして
陣取り、アナウンサーや解説者と掛け合いをするという
ことがありました。

その時にテレビ放送上では、それほど場内の歓声や嬌声が
大きいものではないように思えたのですが、実際はドラゴンズ
ファンの盛り上がりがすごくて、実況席から声をかけても
金村さんが『いやぁ、ここにいるとドラゴンズファンの歓声
がすごくてよく聞こえませんよ。』と答えていました。

フジテレビ(あるいは東海テレビ)のサウンドエンジニア
および製作スタッフは場内の歓声を拾って、場内の盛り上がりを
届けるのではなく、お客さんの歓声をマイクレベルを下げること
で、実況と解説をはっきり伝えることを選択していたことが
見事に理解できました。

これはサッカーの試合でも言えることですが、昨日の
トヨタカップの試合では先に述べた日本シリーズの
ナゴヤドームのように実況を視聴者に届けるような
やり方をしていました。

しかし、今日のカズが出場したゲームでは日本の放送では
珍しく、かなり場内の盛り上がりと歓声を(とりわけ
ゲーム終盤において)ピックアップするような方向性を
とっていたように思いました。

何か製作者サイドから、新しいことをやりたいとか
違ったスタイルをやってみたいというような感性や
アイデア、希望というものが伝わってきた今日の放送
でした。
すいません。イタリアでジャーナリスト団体のストライキが
あるようです。レース関係のニュースがRAIからもメディアセット
からも、活字やネットメディアからも入ってこない状況です。
(ちなみにイタリア国鉄は月曜の9時から17時までストです)

団交に力を入れているのか、休むことがわかっているから
何もやらなくて、クリスマスの予定を考えているのか、
家族のことを考えているのかわかりませんが、ネタが入って
きませんね。

マックス・ビアッジのカワサキとの契約の話というのは
入っていますが、オフィシャリーな発表がまだなのは、
タイヤに関する問題だと思われますが、これはどうなるのか。
同様に玉田君とコニカミノルタレーシングがセパンに
姿を見せなかった理由もタイヤの件が理由のようですしね。

ジャーナリストとブリヂストンとミシュランの動きが
気になる私です。
FNS歌謡祭を見ていた時の話をもう一回。
どうも伊藤由奈に足りないものを感じましたね。

一青窈が出てきて、彼女が生で彼女自身が作詞者として
作った作品を彼女は彼女のカラーというかキャラクターと
か毒とかエネルギーといったものを集中し、それを拡散して
いました。そこには、見ている私はある種の緊張感と
集中力を持って、彼女の詞と歌唱をじっくり吟味しなければ
いけない空気感をテレビの向こう側から感じました。

これは彼女の生きてきた歴史であるとか、歌に対する姿勢
であるとか、作品を作った背景や現在の時代状況などを
彼女はビビッドに感じ取って、それを研ぎ澄まされた五感
を通して作品化し、それを歌っていることで発生される
一青窈磁場がそうさせています。

ところが、伊藤由奈には歌がまぁまぁうまいなというのは
感じますが、何かエネルギーとかキャラクターの濃さや
緊張感の高さを感じませんでしたね。

彼女が歌っている曲というのは、映画『NANA』の中での
曲なのですが、この曲の構成というのも、何か凡庸だし、
歌詞もひねりとか複雑さとかにかけて、つまらないものです。

この曲がヒットして評価されているようですが、私には
その理由がわかりませんね。

映画を見ていないので、映画のシーンと実にマッチして、
見ている人に強い印象を残したからセールス的に当たった
のかもしれません。私はこの映画を見ていないので、
この映画と音楽が1+1が2以上のものを作り出して
平凡に思える曲が強い印象を見る側に与えてセールスに
つながったとするならば、それは映画側の力が強いのでは
ないか。単純にあの音楽にそれほどの魅力を感じない
私です。

色々な意味で濃く、重く、強い存在である一青窈。
薄く、軽く、弱い存在である伊藤由奈の違いが
はっきりと浮かび上がったFNS歌謡祭であった気がしました。
大晦日に毎年開催され、発表される日本レコード大賞ですが、
そのレコード大賞の候補になっている楽曲とアーチストの
名前を見て、少々ではなく、かなりびっくりしてしまいました。

色々な専門家がデータと知識、セールスと音楽性をたたき台
にして審議の対象にしているのでしょうが、レコード大賞の
候補曲を見て、正直、この国の一年の締めにふさわしい
音楽性とポピュラリティを得ている曲が出揃ったとは思えな
かったですね。

私からすると、仮にアーチストおよびマネージメントサイドが
受賞を拒否するようなことになっても、いい作品であり、
高セールスを記録したということであれば、そのアーチスト
と作品を表彰の対象にするべきだと思いますし、そうあるべき
だと考えています。

AIやケツメイシがどういった考えを持っているのかわかりま
せんが、私はレコード大賞の候補となる金賞に彼らの
『story』や『さくら』が入っていないのは驚くと同時に
何やらこのレコード大賞の末期症状を見る思いがしました。

レコード大賞やそのほかの賞に対して拒否反応を表して
いるアーチストは結構いると思いますが、ひょっとしたら
そういう考えの方でも会計士が素直にセールスデータを
カウントしていくゴールドディスク大賞に関しては
ファンや特別ファンでもないがいい作品なのでCDを買うことに
したという購買数が賞に直結しているので、変な政治力や
審議する側の政治的な力や妙な音楽的な偏りとは離れたところ
に位置するため、ゴールドディスク大賞は認めているという
人も多いのではないかと思ったりする私です。
FNS歌謡祭を見ていて思ったのは、郷ひろみの年齢を感じさせ
ないパワー。そして歌を歌う上でのコンディションのよさ
でした。日本という国で幅を利かせる学歴や学閥、年功序列や
系列といったものが極めて少ないと言われ、競争の激しい
社会である芸能界で30年以上生き延びて、色々なことに
チャレンジし、様々な曲をこなした彼のステージをテレビで
見ていましたが、彼の元気のよさとやっていることのレベルの
高さを感じました。

その反面、寂しさと残酷なリアリティを感じさせたのが
マッチでしたね。

昔の音楽番組に出まくっていたころの彼のFNS歌謡祭での
受賞シーンとそのときのパフォーマンスを見た後に
現在の彼が歌う姿を見て思ったのは、パワーのなさと
声量の不足でした。

郷ひろみの年齢を感じさせない動きと張りのある声を感
じた後に出てきた彼には残酷な真実が伝わってきました。

愛とか情熱という言葉を使うときにひょっとしたら私は
ある種の毒や日本人にない発想をしてしまうのかも知れません
が、マッチの周りに彼の新曲を売っていこうとか、いい
パフォーマンスを発揮してほしいという愛とか情熱を持っている
人がいるならば、マッチに対して時間を作ってジョギングや
腹筋をすることを進言するべきでしょう。

目上のものや業界の先輩に対してモノを言えなかったり、
よくない状況でもただ見ているだけで、何らかの提言や
助言をできないというのはよくないことであり、それは
私は愛とか情熱が欠けているように思います。

郷ひろみのコンディションのよさは彼が健康に気を配っている
こと、歌が好きであるということもあるのでしょうが、
ひょっとしたら彼の周りに私が考える愛とか情熱を持って
彼の作品を売っていこうとか、やることのレベルを高めたり
キープすることに頭を働かしていたり、新しいことを
することに脳みそを使っていることのミクスチャーが
彼の肉体を通じて現れているような気がした私でした。
何が何でも行くべきであった。お金がなかったら頭と体を
使って出かけるべきであった。求めているもの、欲している
ものを得るための努力と方法を考えずにできない理由を考える
のは愚かであることを理解しているのに、それをやってしまって
名古屋に居た私は感動的なシーンを五感で感じることなく
ネット情報のみでことの次第を知るだけであり、モニター
では感じられないことや現場にいるから得られる快楽を
得ることなく過ごしてしまった。

スロバキアのブラティスラバで行われたテニスのデビスカップ
決勝のスロバキア対クロアチアは歴史に残る三日間となり、
新しいテニスの歴史をクロアチアが作ることになりました。

文章や写真からも、この最終日の最終試合まで勝敗が
もつれこんだすさまじいメガバトルの模様がびんびん
伝わってきました。ヨーロッパの小国であり、今日では隣国
となっている国との結びつきから離れて、ひとつのネーション
ステートとなったこの二カ国。初めての決勝進出であり、
デビスカップの長い歴史で世界一になった国は今まで
11カ国しかありません。

試合の模様や解説など、文章を読んだだけで、場内の熱狂振り
が伝わってきて、現場の空気感が圧倒的なリアリティで感じ
られる。

この試合の熱さと冷たさ、リアルとファンタジー、痛みを
伴う温かみと優しさを内包する暴力性が英語でイタリア語で
フランス語で私に向かって襲い掛かってきました。

私がいる場所は名古屋ではなく、ブラティスラバであり、
ほかの日本人がやらないのなら私が三月にやったように
現場からライブ感にあふれたレポートを日本語という
言語でお伝えしたかった。

バイクの世界グランプリの125ccクラスでアルノー・
ヴァンサンがワールドチャンピオンになった時にテレビを
見ながら涙を流して喜ぶべき場所はここではなく、スペインの
ヴァレンシアだと思いましたが、同じようなことを感じた
私でした。
イタリアの国営放送のRAIのニュースをネットで動画で
見ることができるので、毎日見るようにしています。
そこで開幕したボローニャモーターショーのことを
やっていたので見ていましたが、まぁ、イタリア人はイタリア人
ですね。

日本も同じような存在があるのですが、より強い熱意で量と
質を追求しているのがイタリアという国であり、たくさんの
お客さんがくるボローニャモーターショーでの彼らのやり方
だと思います。

テレビのニュースでの映像でも、カメラマンの狙いは彼らの
本能を感じさせるものでもあり、また視聴者が求めているもの
を撮ろうとする強い意志を感じました。

イタリアという国でのモーターショーは数多く、高い質の
セクシーなお姉ちゃんを各社、各メーカーとも揃えて
イタリア人のお客さんの求めているものを提供するという
ものすごい情熱と愛情を感じます。まぁ、女性とサッカーに
対するハイテンションはあの国のモーターショーにも率直に
現れています。
熱く日本語で今の日本でロックをやっているのがサンボマスター
だと思います。彼らの演奏と詞は彼らのルックスとコミコミで
好きなんですが、そんな彼らがNEWS23に出演して生演奏を
していて少々びっくりしました。

まぁ、彼らのことだから何かひねったり加えたりするだろうな
と思っていたのですが、やはり彼らの曲をやっていて最後の
方に加川良の『教訓』を少しアドリブなのか計算づくなのか
入れていました。

このNEWS23という番組で『教訓』をやることの意味や
今の日本や地上波で視聴率の高いニュース番組で演奏する
ことの意義を考えながら見ていたのですが、色々な解釈が
できると思うし、様々な思いを抱くことができるものでした。

彼らの思いを受け止めると同時に彼らの謎かけも感じた
私でした。
il grande capitano slovacco che si chiama magic mecir
era il grande tennista’ e mi ebbe fatto capire cosa
significa ’il mito ’

ora lui e’ capitano della sqaurdra slovacca e
arrivava al finale pero’ ha un po’ di probelemma e
una possibilita’ da perdere una miglire schieda

allora cosa fa e cosa deve fare e cosa bisgona?
infatti karol beck gicava bene fino al semifinale
pero’ ha il problemma del suo braccio e non giocava
a parigi neanche a moscova

magic mecir preparava altre schieda che si chiama
karol kucera che fu studente di mecir
alla prima volta lo vedevo mi sembrava che fosse
foto copy di mecir

quando fu ottimo rapporto fra macir e kucera
arrivava al numero 6 della classifica mondiale
pero’ ora numero 297

la prima partita fra ljubicic e kucera

a bratislava manca beck pero’ c’e’ il vantaggio
dei tifosi slovacchi e il loro surfice e’ troppo
veloce e molto violente per i croati

i slovacchi pensavano di miracolo del sostuito
e il grande gioco come il periodo di numero 6

pero’ ljubicic giocava bene e molto meglio di
kucera e ha vinto la prima partita

la seconda partita del primo giorno e’

dominik hrbaty e mario ancic

se avesse perso la questa partita manca la speranza
pero’ hrbaty giocava benissimo sopratutto il suo
servizio era il brutto cliente per il croato

poi a bratislava tutti hanno gia capito
il potere dei tifosi e’ molto importante come
periodo di coppa davis
i slovacchi hanno perso la partita importantissima
come il campionato mondiale degli hockey su ghiaccio
e il play off del calcio contro spagna

loro volevano la bella vittoria di coppa davis
e tifono tantissimi

domino giocava bene sopratutto io suo servizio sul
campo ultra velocissimo e tifosi e’ il grande partner
ufficiale con loro

allora finito il primo giorno uno pari

penso che manchi beck al secondo giorno come
un partner di doppio e molto probabile non
sta al campo di terzo giorno

il mito mecir cosa fara’ cosa pensa e cosa bisogna
e cosa sara

la partita fra di tennista pero’ slovacca c’e’ la testa
del mito mecir che faceva fantasia

vediamo

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