加藤大治郎の死から三年
2006年4月26日 スポーツ日本人ライダーで素晴らしい才能を持ったライダーが
信じられない事故の後、息を引き取って三年の月日が
流れました。
つらかったり、悲しかったりしたのですが、その一方で
色々なことを考えましたね。
コラード・カタラーノというライダーがかつて、プライベート
体制で500CCクラスを走っていました。
その彼がライダー生命を失ったのが、ドイツのホッケンハイムの
高速クラッシュでした。
この時には、すぐにレースは中断。救命スタッフ、医療チーム
が現場に急行。病状を見たスタッフが時間との戦いであることを
悟り、できうる限りのことを全力で行いました。
サーキットにいたライダー、メカニック、メーカー関係者、
チームスタッフなどが最悪のことも考えながらも、彼の回復と
クリニカモービレという、レース開催時に医療専門家の
よって作られているドクターのチームが奇跡を起こしてくれる
ことを願っていました。
クラッシュした地点での救命作業が行われ、そこからヘリコプ
ターでマンハイムの病院に移され、そこでドイツ人ドクターと
イタリア人のスタッフによる賢明の緊急手術によって、
彼は一命をとりとめました。
彼がサーキットにライダーとして来ることはなくなりましたし、
体の一部に不自由がありますが、サッカーと女性が好きな
イタリア人として一般的な生活ができるようになりました。
鈴鹿の加藤の時はどうだったでしょうか。
とんでもないクラッシュの後に赤旗が振られてレースが
中断することはなく、レースは続行されました。
重体の状況で救命するには時間との戦いが必要なのに医療
スタッフが現場に急行することなく、他のライダーが
現場を通り過ぎるのを見届けてからタンカでパドック裏の
医療チームがいる場所に移されました。
そして、ヘリコプターで四日市に移動となりました。
素晴らしいライダーがなくなったのもショックでしたが、
あの状況で赤旗中断がなかったのはとても衝撃的でした。
ドイツのホッケンハイムと日本の鈴鹿でものごとの進め方
の違いやライダーに対する接し方に差があったのが
悲しかったですし、腹が立ちました。
レースディレクション責任者の責任というものを問う声
というのが日本人が日本語で話していても世界格式の
レースでは届かないのかなと思ったりもしました。
レースというのは危険性のあるスポーツイベントだと
思いますが、できうる限り、それを取り除き、そして
参加者が危険な状態になった時には医療グループが
全力で仕事に邁進できる環境を作る必要があります。
責任を有する人の責任や高い立場にある人の責任の
とり方というのを感じましたね。
彼の事故の後にも私はライダーが亡くなった現場に立会い
ました。
FIMカップストック1000というクラスに改組される前の
ユーロストック1000選手権。場所はオランダのアッセン
でした。
インフィールドのコーナーでコントロールを失った
ペリーニというライダーが危険な状態になりました。
あのチームのことを知っていて、本人とも話したことがある
私は画面を見続けていました。
すぐに赤旗掲示でレースストップ。緊急医療チームと
救急車が現場に向かい、その場ですぐにしなければいけないこと
を施しました。
ヘリコプターが現場に到着し、慎重にライダーをヘリコプター
の乗せてアッセンの病院に移されました。
その後、私の耳に入ってきたのは、彼が息を引き取ったという
ものでした。
すごく悲しい気持ちになったのは当然ですが、家族やチーム
スタッフ、スポンサーやファンの人たちはかなり危ない状態
になっていながら懸命の救命活動をしてくれた人に対して
感謝の気持ちを持っていたと思います。
危険な状態でコース脇で倒れている人がいるのに、周りで
レーシングスピードで走っていく多くのライダーがいて、
レースが中断にならずに特殊な才能を持ったドクターが
何とかしてあげたくても、倒れた現場に何もできずに
時間が過ぎてから運ばれてきたライダーの時を経て悪い
状態になっているライダーに何かしようとしていた医療スタッフ
は無念だったでしょう。また、ライダーの家族や関係者
チームスタッフの悲しさは深いものでしょう。
ペリーニの周りの人たちも彼を失って、大変だったはずですが、
レースをストップして、できうる限りの手を尽くしてくれた
結果、彼の人生が終わってしまったことに対して納得感
はあったと思います。
MotoGPに目を移すと中野がムジェッロの一番スピードの出る
ところでタイヤがおかしくなってクラッシュして横たわって
いるところでレースが中断されずに後続のマシンやライダーが
マシンやタイヤの破片を拾って、ハイスピードでクラッシュ
したり、コントロール不能でライダーやマシンが横たわって
いる彼のもとに向かっていったらどうなっていたのか。
レースディレクションや救急医療など考えたりすることを
忘れないでいようと思うこの時期の私です。
信じられない事故の後、息を引き取って三年の月日が
流れました。
つらかったり、悲しかったりしたのですが、その一方で
色々なことを考えましたね。
コラード・カタラーノというライダーがかつて、プライベート
体制で500CCクラスを走っていました。
その彼がライダー生命を失ったのが、ドイツのホッケンハイムの
高速クラッシュでした。
この時には、すぐにレースは中断。救命スタッフ、医療チーム
が現場に急行。病状を見たスタッフが時間との戦いであることを
悟り、できうる限りのことを全力で行いました。
サーキットにいたライダー、メカニック、メーカー関係者、
チームスタッフなどが最悪のことも考えながらも、彼の回復と
クリニカモービレという、レース開催時に医療専門家の
よって作られているドクターのチームが奇跡を起こしてくれる
ことを願っていました。
クラッシュした地点での救命作業が行われ、そこからヘリコプ
ターでマンハイムの病院に移され、そこでドイツ人ドクターと
イタリア人のスタッフによる賢明の緊急手術によって、
彼は一命をとりとめました。
彼がサーキットにライダーとして来ることはなくなりましたし、
体の一部に不自由がありますが、サッカーと女性が好きな
イタリア人として一般的な生活ができるようになりました。
鈴鹿の加藤の時はどうだったでしょうか。
とんでもないクラッシュの後に赤旗が振られてレースが
中断することはなく、レースは続行されました。
重体の状況で救命するには時間との戦いが必要なのに医療
スタッフが現場に急行することなく、他のライダーが
現場を通り過ぎるのを見届けてからタンカでパドック裏の
医療チームがいる場所に移されました。
そして、ヘリコプターで四日市に移動となりました。
素晴らしいライダーがなくなったのもショックでしたが、
あの状況で赤旗中断がなかったのはとても衝撃的でした。
ドイツのホッケンハイムと日本の鈴鹿でものごとの進め方
の違いやライダーに対する接し方に差があったのが
悲しかったですし、腹が立ちました。
レースディレクション責任者の責任というものを問う声
というのが日本人が日本語で話していても世界格式の
レースでは届かないのかなと思ったりもしました。
レースというのは危険性のあるスポーツイベントだと
思いますが、できうる限り、それを取り除き、そして
参加者が危険な状態になった時には医療グループが
全力で仕事に邁進できる環境を作る必要があります。
責任を有する人の責任や高い立場にある人の責任の
とり方というのを感じましたね。
彼の事故の後にも私はライダーが亡くなった現場に立会い
ました。
FIMカップストック1000というクラスに改組される前の
ユーロストック1000選手権。場所はオランダのアッセン
でした。
インフィールドのコーナーでコントロールを失った
ペリーニというライダーが危険な状態になりました。
あのチームのことを知っていて、本人とも話したことがある
私は画面を見続けていました。
すぐに赤旗掲示でレースストップ。緊急医療チームと
救急車が現場に向かい、その場ですぐにしなければいけないこと
を施しました。
ヘリコプターが現場に到着し、慎重にライダーをヘリコプター
の乗せてアッセンの病院に移されました。
その後、私の耳に入ってきたのは、彼が息を引き取ったという
ものでした。
すごく悲しい気持ちになったのは当然ですが、家族やチーム
スタッフ、スポンサーやファンの人たちはかなり危ない状態
になっていながら懸命の救命活動をしてくれた人に対して
感謝の気持ちを持っていたと思います。
危険な状態でコース脇で倒れている人がいるのに、周りで
レーシングスピードで走っていく多くのライダーがいて、
レースが中断にならずに特殊な才能を持ったドクターが
何とかしてあげたくても、倒れた現場に何もできずに
時間が過ぎてから運ばれてきたライダーの時を経て悪い
状態になっているライダーに何かしようとしていた医療スタッフ
は無念だったでしょう。また、ライダーの家族や関係者
チームスタッフの悲しさは深いものでしょう。
ペリーニの周りの人たちも彼を失って、大変だったはずですが、
レースをストップして、できうる限りの手を尽くしてくれた
結果、彼の人生が終わってしまったことに対して納得感
はあったと思います。
MotoGPに目を移すと中野がムジェッロの一番スピードの出る
ところでタイヤがおかしくなってクラッシュして横たわって
いるところでレースが中断されずに後続のマシンやライダーが
マシンやタイヤの破片を拾って、ハイスピードでクラッシュ
したり、コントロール不能でライダーやマシンが横たわって
いる彼のもとに向かっていったらどうなっていたのか。
レースディレクションや救急医療など考えたりすることを
忘れないでいようと思うこの時期の私です。
passa 3anni kato a suzuka
2006年4月25日 スポーツmentre vedevo la gara di suzuka
ha successo la brutta accidente mortale
cioe’ non poteva frenare e andava diritto al muro
dell’ultima curva
tanti sentivano zeppo di tristezza ma io mi ero
molto arrabiato e non capivo mai responsabilita’
dei vip al mondo della velocita’
allora spiego io
quando girava il pilota italiano girava ad hockemheim
ring dove c’e’ la pista molto molto veloce’
ha sbagliato e ha perso il controllo
subito dopo c’era la bandiera rossa e fermare
la sessione cronometrica
il posto dove ha successo tutti specialista e i dottori
arrivavano curare e subito hanno preparato tutto come
potevano fare
il dottore ha confesso
"molto male!! e c’e’ il duello fra nostra forza e
i minuti!"
hanno fatto e curato tutte cose al posto dove era caduto
e preparavano helicottelo portare all’ospedale a manheim
i manager alla squadra marchi e sponsor speravano
che avrebbe ricuperato pero’ cominciavano di
pensare la fine della sua vita
sicuramente tutti piloti e ingernieri pensavano
di sua vita
e speravano che stia bene pero’ nessuno non poteva
pronosticare
unica cosa da fare speravano la sua forza e
i grandi lavori dell’equippe di dottor costa
ha portato all’ospedale a manheim poi i tutti tedeschi
lavoravano benissimo e gli italiani della squadra di
dottor costa facevano perfettamente
e non potevano esistere alla pista come il pilota
pero’ ritorna al suo mondo come italiani che pensano di
calcio e donne
penso che non sia l’azzione normale che ha fatto
alla pista
fermava la sessione e al posto dove ha caduto
tutti cercavano di curare e subito portavano
dell’helicottelo dal posto che il pilota c’e’
invece cosa successo e cosa mancava a suzuka
dopo aver caduto lui tanti venivano da lui
pero’ non fermava la gara non c’era mai la bandiera rossa
poi nessuno non poteva curare al posto dove il giapponese
c’era dopo aver passato tutti altri piloti
hanno portato al medical center
mancava il curo che deve fare al primo periodo
per il pilota
poi al medical center hanno curato e portava via
con helicottelo
fra il pilota privata e il campione del mondo
troppe differenza
fra la gara in germania e in giappone
ci sono cura diversa
fra la direzione delle gara negli anni 90 e 2000
ci sono altri tipi
allora gli appasionati di kato sentivano il zeppo di
tristezza
anche io sentivo tanto pero’ piu’ di tristezza
sentivo la significa la responsabilita’
alla pista e la direzione della gara
quando il pilota e’ in difficolta devono
portare la bandiera rossa fermare
e deve fare come i dottori volevano per la vita
allora ancora corrado catalano vive
e daijiro kato non c’e’ mai
cosa manca cosa c’era cosa bisognava
il direzione della gara
tanti vip al mondo della velocita’
dovono capire
al mondo di superbike mondiale
2anni fa il pilota giovane italiano ha morto in paesi bassi
pero’ perlomeno al posto dove ha caduto
tutti hanno fatto come i dottori volevano
dopo la bandiera rossa poi helicottero
arrivava alla curva e dal posto del pilota
ha portato all’ospedale ad assen
lui ha perso la sua vita e sentiva la tristezza
pero’ hanno ringraziato ai tutti che lavoravano
fino al fine
ha successo la brutta accidente mortale
cioe’ non poteva frenare e andava diritto al muro
dell’ultima curva
tanti sentivano zeppo di tristezza ma io mi ero
molto arrabiato e non capivo mai responsabilita’
dei vip al mondo della velocita’
allora spiego io
quando girava il pilota italiano girava ad hockemheim
ring dove c’e’ la pista molto molto veloce’
ha sbagliato e ha perso il controllo
subito dopo c’era la bandiera rossa e fermare
la sessione cronometrica
il posto dove ha successo tutti specialista e i dottori
arrivavano curare e subito hanno preparato tutto come
potevano fare
il dottore ha confesso
"molto male!! e c’e’ il duello fra nostra forza e
i minuti!"
hanno fatto e curato tutte cose al posto dove era caduto
e preparavano helicottelo portare all’ospedale a manheim
i manager alla squadra marchi e sponsor speravano
che avrebbe ricuperato pero’ cominciavano di
pensare la fine della sua vita
sicuramente tutti piloti e ingernieri pensavano
di sua vita
e speravano che stia bene pero’ nessuno non poteva
pronosticare
unica cosa da fare speravano la sua forza e
i grandi lavori dell’equippe di dottor costa
ha portato all’ospedale a manheim poi i tutti tedeschi
lavoravano benissimo e gli italiani della squadra di
dottor costa facevano perfettamente
e non potevano esistere alla pista come il pilota
pero’ ritorna al suo mondo come italiani che pensano di
calcio e donne
penso che non sia l’azzione normale che ha fatto
alla pista
fermava la sessione e al posto dove ha caduto
tutti cercavano di curare e subito portavano
dell’helicottelo dal posto che il pilota c’e’
invece cosa successo e cosa mancava a suzuka
dopo aver caduto lui tanti venivano da lui
pero’ non fermava la gara non c’era mai la bandiera rossa
poi nessuno non poteva curare al posto dove il giapponese
c’era dopo aver passato tutti altri piloti
hanno portato al medical center
mancava il curo che deve fare al primo periodo
per il pilota
poi al medical center hanno curato e portava via
con helicottelo
fra il pilota privata e il campione del mondo
troppe differenza
fra la gara in germania e in giappone
ci sono cura diversa
fra la direzione delle gara negli anni 90 e 2000
ci sono altri tipi
allora gli appasionati di kato sentivano il zeppo di
tristezza
anche io sentivo tanto pero’ piu’ di tristezza
sentivo la significa la responsabilita’
alla pista e la direzione della gara
quando il pilota e’ in difficolta devono
portare la bandiera rossa fermare
e deve fare come i dottori volevano per la vita
allora ancora corrado catalano vive
e daijiro kato non c’e’ mai
cosa manca cosa c’era cosa bisognava
il direzione della gara
tanti vip al mondo della velocita’
dovono capire
al mondo di superbike mondiale
2anni fa il pilota giovane italiano ha morto in paesi bassi
pero’ perlomeno al posto dove ha caduto
tutti hanno fatto come i dottori volevano
dopo la bandiera rossa poi helicottero
arrivava alla curva e dal posto del pilota
ha portato all’ospedale ad assen
lui ha perso la sua vita e sentiva la tristezza
pero’ hanno ringraziato ai tutti che lavoravano
fino al fine
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSS決勝レース
2006年4月25日 スポーツ朝のウォームアップは雨が残っていて大して意味をなさないの
ではないか。問題は、今日の天気と風が何を起こすのか、
シャーペンティエという人は嫌いではないが、強い横綱が
勝ち続けて、それに誰が立ち向かうのかという図式よりも
群雄割拠している状況が好きな私が感じた日曜の午後のレース。
風は強いが、雨にはならないレースとなったスーパースポート。
ヤマハジャーマニーとメガバイクホンダがどれだけシャーペン
ティエを追い詰めることができるのだろうか。
サイティングラップを終えてレーススタートである。
いいスタートを切ったのがシャーペンティエ。しかし、
素晴らしいダッシュを見せたのが、地元でいいところを見せたい
フォレスであった。
かって知ったるサーキットでR6を何とかシャーペンティエの
内側にねじ込んでトップを奪おうとするものの、それはかなわず、
さらに二コーナーでもチャンスを狙うがここでもパスはできずに
終わった。
思わぬ伏兵の走りに、あわてた感のあったフランス人であったが
冷静さと闘志を取り戻して、ハードにプッシュ。
一周目をトップで通過して、渾身の走りでリードを広げようと
して、それに成功する。
何とほぼフルタンクに近い状態でコラーディが持っていた
サーキットレコード更新である。
この一撃にはさすがに世界の列強も挙げた手を下げざるを得ない。
そこからワールドチャンピオンは好タイムを連発して、序盤
にセーフティマージンを築く。
二位争いは、当初フォレスが走っていたが、カーテンが
攻略し、単独で二番手。さらに藤原が若くて元気が良すぎる
スペイン人を抜き去って前を追う。
興味の中心は二位争いかなと思っていたところに、先週の
ミザノテストで好タイムで興味の対象だったザイゼルのドゥカ
ティがリタイア。さらにシャーペンティエのチームメイトの
ソフオグルがコースアウトでヘルメットを脱いだ。
中盤からタイヤの消耗に苦しむフォレスをパークス、ハームス、
ティベリオがオーバーテイク。
カワサキとドゥカティのSSマシンは今回も後方で苦しむ展開
であった。
最終的にシャーペンティエは圧勝ということで開幕三連勝
となった。二位にはカーテン。三位に手首の痛みをこらえ
ながら藤原がゲット。以下、パークス、ハームス、ティベリオ、
フォレス、ロッコリ、ヴィッツィエッロ、べネマンというトップ
テンであった。
二週間後のモンツァで同じシナリオが描かれるのだろうか。
シャーペンティエのアンタッチャブルぶりばかりが目立った
レースであった。
ではないか。問題は、今日の天気と風が何を起こすのか、
シャーペンティエという人は嫌いではないが、強い横綱が
勝ち続けて、それに誰が立ち向かうのかという図式よりも
群雄割拠している状況が好きな私が感じた日曜の午後のレース。
風は強いが、雨にはならないレースとなったスーパースポート。
ヤマハジャーマニーとメガバイクホンダがどれだけシャーペン
ティエを追い詰めることができるのだろうか。
サイティングラップを終えてレーススタートである。
いいスタートを切ったのがシャーペンティエ。しかし、
素晴らしいダッシュを見せたのが、地元でいいところを見せたい
フォレスであった。
かって知ったるサーキットでR6を何とかシャーペンティエの
内側にねじ込んでトップを奪おうとするものの、それはかなわず、
さらに二コーナーでもチャンスを狙うがここでもパスはできずに
終わった。
思わぬ伏兵の走りに、あわてた感のあったフランス人であったが
冷静さと闘志を取り戻して、ハードにプッシュ。
一周目をトップで通過して、渾身の走りでリードを広げようと
して、それに成功する。
何とほぼフルタンクに近い状態でコラーディが持っていた
サーキットレコード更新である。
この一撃にはさすがに世界の列強も挙げた手を下げざるを得ない。
そこからワールドチャンピオンは好タイムを連発して、序盤
にセーフティマージンを築く。
二位争いは、当初フォレスが走っていたが、カーテンが
攻略し、単独で二番手。さらに藤原が若くて元気が良すぎる
スペイン人を抜き去って前を追う。
興味の中心は二位争いかなと思っていたところに、先週の
ミザノテストで好タイムで興味の対象だったザイゼルのドゥカ
ティがリタイア。さらにシャーペンティエのチームメイトの
ソフオグルがコースアウトでヘルメットを脱いだ。
中盤からタイヤの消耗に苦しむフォレスをパークス、ハームス、
ティベリオがオーバーテイク。
カワサキとドゥカティのSSマシンは今回も後方で苦しむ展開
であった。
最終的にシャーペンティエは圧勝ということで開幕三連勝
となった。二位にはカーテン。三位に手首の痛みをこらえ
ながら藤原がゲット。以下、パークス、ハームス、ティベリオ、
フォレス、ロッコリ、ヴィッツィエッロ、べネマンというトップ
テンであった。
二週間後のモンツァで同じシナリオが描かれるのだろうか。
シャーペンティエのアンタッチャブルぶりばかりが目立った
レースであった。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSS二日目
2006年4月25日 スポーツ朝の六時台はずっと雨。前日からどれくらいのタイムの上昇が
あるのだろうかと思っていた人には恨めしい雨である。
一方、決勝がレインだとチャンスがあるという連中にとっては
今日、雨用のセットアップを試して日曜の午後に備えたいわけで
各チームの思惑が雨空と強い風の中で交錯していた。
午後に入り、晴れ上がってきたものの、路面温度は二十度まで
達することなく強い風をまともに感じながらセッションスタート
となった。
やはり、全チームともにタイムが伸びない。45分の予選セッ
ションの中で半分以上過ぎたあたりで、ようやく各チームが
まともにアタックしようかという展開である。
いつもなら最初にアタックして高いレベルのタイムを出して
そこからさらに本気を出して、強い一撃をライバルに与える
シャーペンティエも前日のタイムを更新できないでいる。
フランス人の今日の今ひとつ感というのが、伝染している
わけではなく、今日のコースコンディションが全てのライダー
にとってタイムを出しにくいセッションとなっていた。
シャーペンティエを脅かす存在となりえる藤原がタイムアップ。
さらにヤマハジャーマニーの二人もタイムを削り、昨年、
成長を見せて、今季期待されるハームスもジャンプアップを
果たす。
さらにワイルドカード参戦のフォレスが元気な走りを見せて、
トップランカーのタイム差が小さくなって面白くなってきた
ところでシャーペンティエがコースイン。
どんなことになるのか、どんなタイムを出すのか注目されたが
珍しく昨日のタイムを更新できずに、昨日のタイムのままで
セッション終了となった。
昨日のタイムがスペシャルで、今日のタイムがこのコンディ
ションにおいてはノーマルなのか、手のうちを見せないための
作戦なのか、前日のタイムが良かったので、予選に力を
入れずにレースセットアップに力を入れたのか見方は様々
であった。
シャーペンティエのタイムに謎かけを感じながら二日目の
セッション終了となった。明日は雨なのだろうか、晴れるのだろうか。
あるのだろうかと思っていた人には恨めしい雨である。
一方、決勝がレインだとチャンスがあるという連中にとっては
今日、雨用のセットアップを試して日曜の午後に備えたいわけで
各チームの思惑が雨空と強い風の中で交錯していた。
午後に入り、晴れ上がってきたものの、路面温度は二十度まで
達することなく強い風をまともに感じながらセッションスタート
となった。
やはり、全チームともにタイムが伸びない。45分の予選セッ
ションの中で半分以上過ぎたあたりで、ようやく各チームが
まともにアタックしようかという展開である。
いつもなら最初にアタックして高いレベルのタイムを出して
そこからさらに本気を出して、強い一撃をライバルに与える
シャーペンティエも前日のタイムを更新できないでいる。
フランス人の今日の今ひとつ感というのが、伝染している
わけではなく、今日のコースコンディションが全てのライダー
にとってタイムを出しにくいセッションとなっていた。
シャーペンティエを脅かす存在となりえる藤原がタイムアップ。
さらにヤマハジャーマニーの二人もタイムを削り、昨年、
成長を見せて、今季期待されるハームスもジャンプアップを
果たす。
さらにワイルドカード参戦のフォレスが元気な走りを見せて、
トップランカーのタイム差が小さくなって面白くなってきた
ところでシャーペンティエがコースイン。
どんなことになるのか、どんなタイムを出すのか注目されたが
珍しく昨日のタイムを更新できずに、昨日のタイムのままで
セッション終了となった。
昨日のタイムがスペシャルで、今日のタイムがこのコンディ
ションにおいてはノーマルなのか、手のうちを見せないための
作戦なのか、前日のタイムが良かったので、予選に力を
入れずにレースセットアップに力を入れたのか見方は様々
であった。
シャーペンティエのタイムに謎かけを感じながら二日目の
セッション終了となった。明日は雨なのだろうか、晴れるのだろうか。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSS初日
2006年4月25日 スポーツ先週のミザノテストにはテンカーテホンダの姿はなく、
ヤマハ勢、その他のホンダユーザーとの比較対照が
できず、このスペインに入ったチーム。何が起きて、
何が起きないのだろうか。
乗りに乗っているというか、何もさえぎるものがないというか、
元気が良すぎるというか、周りが黙ってしまうという速さを
見せたのがシャーペンティエ。すぐに走り出して速い。
そして、そこからタイムの上積みがあり、その一発の速さが
とてつもなくレベルが高いので、周りが押し黙ってしまう
ことになってしまう。
もちろん、ヤマハジャーマニーの二人、メガバイクの藤原と
ティベリオといった昨年優勝を奪ったノンテンカーテチーム
の連中もアタックしていくが、シャーペンティエの一撃が
あまりにもすごすぎて、いいタイムを出してもかすんでしまう。
シャーペンティエのチームメイトのトルコ人の新人のソフオグルも
決して悪いタイムではないと思うのだが、何だか天才との
同居の難しさや王者との比較対照ということを考えてしまう。
昨年のこのオランダチームを眺めると、経験があり、いいラ
イダーである藤原でさえ、なかなか難しい状況であったわけ
で、ルーキーで始めてホンダのスーパースポートマシンを操り、
世界王者に同等の走りをするのはタフな仕事だろう。
選ばれた人間がいいマシン、いい体制で持っている才能を
表現できる環境になると、いい仕事ができることを改めて
確認した一日だった。
まぁ、そう考えるとBKMやクラッフィ時代の彼は何かが足らなか
ったのでしょう。
相当の確率でシャーペンティエが勝つことを理解した一日で
あった。
ヤマハ勢、その他のホンダユーザーとの比較対照が
できず、このスペインに入ったチーム。何が起きて、
何が起きないのだろうか。
乗りに乗っているというか、何もさえぎるものがないというか、
元気が良すぎるというか、周りが黙ってしまうという速さを
見せたのがシャーペンティエ。すぐに走り出して速い。
そして、そこからタイムの上積みがあり、その一発の速さが
とてつもなくレベルが高いので、周りが押し黙ってしまう
ことになってしまう。
もちろん、ヤマハジャーマニーの二人、メガバイクの藤原と
ティベリオといった昨年優勝を奪ったノンテンカーテチーム
の連中もアタックしていくが、シャーペンティエの一撃が
あまりにもすごすぎて、いいタイムを出してもかすんでしまう。
シャーペンティエのチームメイトのトルコ人の新人のソフオグルも
決して悪いタイムではないと思うのだが、何だか天才との
同居の難しさや王者との比較対照ということを考えてしまう。
昨年のこのオランダチームを眺めると、経験があり、いいラ
イダーである藤原でさえ、なかなか難しい状況であったわけ
で、ルーキーで始めてホンダのスーパースポートマシンを操り、
世界王者に同等の走りをするのはタフな仕事だろう。
選ばれた人間がいいマシン、いい体制で持っている才能を
表現できる環境になると、いい仕事ができることを改めて
確認した一日だった。
まぁ、そう考えるとBKMやクラッフィ時代の彼は何かが足らなか
ったのでしょう。
相当の確率でシャーペンティエが勝つことを理解した一日で
あった。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSBKレース2
2006年4月24日 スポーツSBKのレース1が終わった時には青空が広がり、風も突風は
なくなり、暗い色や長袖を着ている人の姿が少なくなった。
ビールや水の売れ行きが良くなっているのは来場者数が
昨日より多いのもあるが、天候が大きな理由だろう。
スズキGSX-Rカップが終わり、もうレインレースはないだろうと
口にしながらレース2の時を迎えた。
スタートを元気良く飛び出したのが阿部のR1。そして、
地元で燃える二エトも気合が走りにみなぎっている。
しかし、三周目のスタートフィニッシュラインをまたいだ
あたりから、やはり二人のトロイだけの優勝争いになりそうだと
気づく。
三位争いにはランツィのドゥカティ、芳賀と阿部のR1,二エト、
ウォーカー、ラコニのカワサキニンジャが争うが、そこから
ゼロックスカラーのドゥカティが抜け出して単独走行に。
優勝争いは二人のものであったが、中盤コーサーが大きくは
ないが一息つけるほどのリードを得る。時に不安定さを
見せるベイリスのマシンを見て、コーサーがタイムアップを
果たして二秒以上のリードを奪えば、かなりの確率で
優勝に近づくように見えた。
しかしながら、セーフティーマージンを得るまでには至らずに
再び二人の接近戦に。レース1では残り三周からスパートを
掛けてトップでチェッカーを受けたベイリスだったが、今回は
抜かないのか、抜けないのか、レース1の終盤よりバイブレー
ションが大きいように見える999でGSXを攻める。
抜きたくても抜けないベイリスと優勝を目の前にして最終
ラップに入って、勝てるチャンスを得ているコーサー。
どんなドラマが待っているのかと思っていた観客の前で
ベイリスが一コーナーで仕掛けた。
クロスラインで再び抜かれそうだったが、これを阻止して、
ベイリスがニコーナーをクリアして、インフィールドへ。
抜きどころでないところ、抜きどころで仕掛けどころをしっかり
理解して、よく集中していたベイリスは手にした勝利の権利を
離そうとしない。
レース1の残り四周の様なタイムや戦闘力の違いのないコーサー
も抜こうとするが抜くまでにはいたらずに最終コーナーへ。
しっかりと立ち上がってがっちりと勝利を得たのはベイリス
であった。
二位にコーサー、三位は単独走行のランツィとレース1と同じ
表彰台のメンバーとなった。
四位に阿部、五位に芳賀と二台のR1が続き、二エト、ウォーカー、ラコニのカワサキ三銃士、ピットのR1,ファブリッツィオの
ファイアブレードというトップテンであった。
なくなり、暗い色や長袖を着ている人の姿が少なくなった。
ビールや水の売れ行きが良くなっているのは来場者数が
昨日より多いのもあるが、天候が大きな理由だろう。
スズキGSX-Rカップが終わり、もうレインレースはないだろうと
口にしながらレース2の時を迎えた。
スタートを元気良く飛び出したのが阿部のR1。そして、
地元で燃える二エトも気合が走りにみなぎっている。
しかし、三周目のスタートフィニッシュラインをまたいだ
あたりから、やはり二人のトロイだけの優勝争いになりそうだと
気づく。
三位争いにはランツィのドゥカティ、芳賀と阿部のR1,二エト、
ウォーカー、ラコニのカワサキニンジャが争うが、そこから
ゼロックスカラーのドゥカティが抜け出して単独走行に。
優勝争いは二人のものであったが、中盤コーサーが大きくは
ないが一息つけるほどのリードを得る。時に不安定さを
見せるベイリスのマシンを見て、コーサーがタイムアップを
果たして二秒以上のリードを奪えば、かなりの確率で
優勝に近づくように見えた。
しかしながら、セーフティーマージンを得るまでには至らずに
再び二人の接近戦に。レース1では残り三周からスパートを
掛けてトップでチェッカーを受けたベイリスだったが、今回は
抜かないのか、抜けないのか、レース1の終盤よりバイブレー
ションが大きいように見える999でGSXを攻める。
抜きたくても抜けないベイリスと優勝を目の前にして最終
ラップに入って、勝てるチャンスを得ているコーサー。
どんなドラマが待っているのかと思っていた観客の前で
ベイリスが一コーナーで仕掛けた。
クロスラインで再び抜かれそうだったが、これを阻止して、
ベイリスがニコーナーをクリアして、インフィールドへ。
抜きどころでないところ、抜きどころで仕掛けどころをしっかり
理解して、よく集中していたベイリスは手にした勝利の権利を
離そうとしない。
レース1の残り四周の様なタイムや戦闘力の違いのないコーサー
も抜こうとするが抜くまでにはいたらずに最終コーナーへ。
しっかりと立ち上がってがっちりと勝利を得たのはベイリス
であった。
二位にコーサー、三位は単独走行のランツィとレース1と同じ
表彰台のメンバーとなった。
四位に阿部、五位に芳賀と二台のR1が続き、二エト、ウォーカー、ラコニのカワサキ三銃士、ピットのR1,ファブリッツィオの
ファイアブレードというトップテンであった。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSBKレース1
2006年4月24日 スポーツまたしても朝の六時半に雨で目が覚める。昨日ほどではないが
雨が降り、空はどんよりとしている。そんな中、日曜日開催の
SBK,SS,STK1000のウォームアップが行われ、SBKのレース直前
に行われたSTK1000は完全に乾ききっているとは思えず、
湿気を含んだレーストラック。そこをリッターバイクのレースが
行われ、ピットウォークが始まると、ようやく青空が出てきた。
風は強く、路面温度が低いが、スペイン人のような開放感を
感じる中でピットオープンし、時を迎えた。
コーサーのスズキ、ベイリスのドゥカティに絡んでいけるのは
誰で、どのマシンなのか。マーティンのペトロナスの意外な
速さと献身的な仕事振りに再評価の気運が高まっていて、
レギュレーション変更されたときのドゥカティ1200
マシンのテストライダーへの起用などが持ち上がっているが、
その彼がアングロマレーシアマシンでサプライズを与えるのか、
あるいはチャウスのドゥカティ、二エトのカワサキが地元の
ファンの期待に応えるのか、願望や希望が入り乱れる中で
レーススタートとなった。
スタート序盤。すぐに今回も一人のファーストネーム、
一つの国籍による二人のライダー、二種類のマシンの
マッチレースとなることが確定した。
安定してハイペースで走行するコーサーとベイリスに
他のライダーは差を広げられるばかりである。
トップ争いが二人のオージーで行われる中、三番手争いは
二エトのカワサキ、芳賀と阿部のヤマハ、ランツィの
ドゥカティで展開。そこに前半遅れた加賀山が追いつき、
集団を形成する形になった。
優勝争いは逃げたいが逃げられず、抜きたいが抜くには至らない
二人のマッチレース。離そうとしてもきちんと着いてくるし、
抜こうにも差が少なくパスにはいたらない。序盤から中盤まで
お互いが影のようにぴったりとほとんど変わらないペース
での走行となった。
三位集団は徐々にランツィが抜け出し、単独走行へ。
四位争いを阿部、芳賀、加賀山が展開。期待された二エトは
戦線離脱、マーティンは一周を速く走ることはできても
レース通じてのハイペースは無理なようで後方に沈んだ。
残り四周となり、燃料が軽くなったドゥカティを駆る
ベイリスがコーサーに仕掛ける。ここまでのじりじりするほどの
接近戦からは信じられないくらいにあっさりとオーバーテイクに
成功し、差を広げていく。
コーサーは勝ちたいが無理を悟ったのか、できうる限りの
ハイペースを保ち、二位を確実に得る戦法を取り、残り
三周はベイリスのサンデークルージングとなった。
三位は後半単独走行となったランツィ。
四位には阿部、以下芳賀のヤマハ、加賀山のスズキが続き、
健闘を見せたチャウス、ラコニのカワサキ、トーズランドの
ファイアブレード、ピットのR1と続いた。
雨が降り、空はどんよりとしている。そんな中、日曜日開催の
SBK,SS,STK1000のウォームアップが行われ、SBKのレース直前
に行われたSTK1000は完全に乾ききっているとは思えず、
湿気を含んだレーストラック。そこをリッターバイクのレースが
行われ、ピットウォークが始まると、ようやく青空が出てきた。
風は強く、路面温度が低いが、スペイン人のような開放感を
感じる中でピットオープンし、時を迎えた。
コーサーのスズキ、ベイリスのドゥカティに絡んでいけるのは
誰で、どのマシンなのか。マーティンのペトロナスの意外な
速さと献身的な仕事振りに再評価の気運が高まっていて、
レギュレーション変更されたときのドゥカティ1200
マシンのテストライダーへの起用などが持ち上がっているが、
その彼がアングロマレーシアマシンでサプライズを与えるのか、
あるいはチャウスのドゥカティ、二エトのカワサキが地元の
ファンの期待に応えるのか、願望や希望が入り乱れる中で
レーススタートとなった。
スタート序盤。すぐに今回も一人のファーストネーム、
一つの国籍による二人のライダー、二種類のマシンの
マッチレースとなることが確定した。
安定してハイペースで走行するコーサーとベイリスに
他のライダーは差を広げられるばかりである。
トップ争いが二人のオージーで行われる中、三番手争いは
二エトのカワサキ、芳賀と阿部のヤマハ、ランツィの
ドゥカティで展開。そこに前半遅れた加賀山が追いつき、
集団を形成する形になった。
優勝争いは逃げたいが逃げられず、抜きたいが抜くには至らない
二人のマッチレース。離そうとしてもきちんと着いてくるし、
抜こうにも差が少なくパスにはいたらない。序盤から中盤まで
お互いが影のようにぴったりとほとんど変わらないペース
での走行となった。
三位集団は徐々にランツィが抜け出し、単独走行へ。
四位争いを阿部、芳賀、加賀山が展開。期待された二エトは
戦線離脱、マーティンは一周を速く走ることはできても
レース通じてのハイペースは無理なようで後方に沈んだ。
残り四周となり、燃料が軽くなったドゥカティを駆る
ベイリスがコーサーに仕掛ける。ここまでのじりじりするほどの
接近戦からは信じられないくらいにあっさりとオーバーテイクに
成功し、差を広げていく。
コーサーは勝ちたいが無理を悟ったのか、できうる限りの
ハイペースを保ち、二位を確実に得る戦法を取り、残り
三周はベイリスのサンデークルージングとなった。
三位は後半単独走行となったランツィ。
四位には阿部、以下芳賀のヤマハ、加賀山のスズキが続き、
健闘を見せたチャウス、ラコニのカワサキ、トーズランドの
ファイアブレード、ピットのR1と続いた。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSBK二日目
2006年4月24日 スポーツ朝の六時半にたたき付けるような雨で目が覚めてしまった。
水曜日から何度イタリア語やフランス語で『女心と秋の空』
という言葉を教えて、スペインの空も変わりやすいことを
口にしただろう。とにかく、雨で目覚めたヴァレンシアである。
午前11時にスタートした予選の二回目。
しかし、空模様と路面温度を気にしながらの走行であったり、
ピットでの待機というチームが多い。走ってみてもタイムが
出ないのでピットに戻り、出方をうかがったり、空を眺めて
タイヤを温存という連中が多いこと。このセッションの
半分はごく少数のライダーが走行するという姿であった。
三十分が経過して、阿部、ノイキルフナー、今回ワイルド
カード参戦のデヘアといったあたりが前日のタイムを更新
し始めてから、徐々に強い風の中、各チーム動くが活発に
なってきた。
ほんのコンマ数秒を更新していくライダーが出て、
順位に変動が見られるようになる。そんな中で真打登場と
いうような形でコーサーがアタックに入り、ベイリスの
タイムを打ち破る。もう一人のトロイという名前を持つ
ドゥカティスタであるが、前日のタイムを破るまでには
いたらずにセッション終了となる。
懸命のアタックをしていたのがカワサキのウォーカーで
昨年のここのヒーローであった彼は35.5をたたき出して
三番手のタイムとなる。
四番手は前日のタイムのままでマーティン。芳賀、加賀山
はタイムが伸びずに五、六番手。チャウスのドゥカティの
後にワークスドゥカティのランツィ、阿部、ニエトと続いた
カルロ・フィオラーニ氏がローマから駆けつけたが
ローマ人のホンダヨーロッパのマネージャーにはこの日の
ホンダの成績はきわめてネガティブなものであり、
トップ10にホンダユーザーがいないという結果であった。
ウェットスーパーポールセッションになるのか、ドライに
なるのか、四時間後のことは予想がつかないまま、二回目の
予選が終了となった。
午後四時からドライ宣言でスーパーポール開始である。
曇り空、低い路面温度。雨が途中で降ったら、どういう
変更点があるのか気にしながらのセッションとなった。
好調ぶりを見せたのが、PSG1カワサキの三人衆である。
ラコニの集中力とシャープな走りがタイムを削り、
それに負けまいとウォーカーも昨年いい走りを見せたここで
マシンのいいところを活かし、タイムアタック。そして、
ここが地元であるフォンシ・ニエトが渾身の攻撃的な走りで
35秒3から4にカワサキ勢がひしめく展開となった。
このカワサキ三銃士に切り込んでいったのが、ランツィの
ドゥカティであり、望外の好タイムで伏兵ぶりを発揮して
いるマーティンである。この二人がカワサキの三人の
タイムを上回る。
残り二人。出走するのは二人のトロイ、一台のドゥカティと
一台のスズキである。ベイリスの方がアタックに入り、
快足振りを発揮。普段はいい奴だがヘルメットを被ると
速く走るために必要な我がままをいい尽くすという
彼が悪魔性を発揮して、コーサーのタイムに襲い掛かり、
35.1をマーク。
対するもう一人のトロイで、ここでアプリリアでもスズキでも
勝っている彼は自信があるのだろうか、あるいはコースが
好きなのだろうか、素晴らしいコーナーリングでタイムを
削っていく。
肌寒さを感じるフィニッシュラインを通過したときに計時された
タイムはただ一人34秒台。速さと強さを見せ付ける結果と
なった。
コーサー、ベイリス、ランツィ、マーティンという一列目。
二列目にはニエト、ウォーカー、ラコニの三台のカワサキに
R1最速の阿部。
トーズランドのホンダ、芳賀とピットのヤマハ、スーパーポール
を走らなかった加賀山が二回の予選タイムで十二番手。
四列目にチャウス、フォレ、ロルフォ、バロスという順位に
なった。
決勝はどんな天気になるのか、どんな天気でも二人のトロイには
関係ないのか、大いに関係が出てくるのか、意外な速さを
見せたカワサキの三人はどういう戦いを見せるのかが焦点に
なる日曜となりそうだ。
水曜日から何度イタリア語やフランス語で『女心と秋の空』
という言葉を教えて、スペインの空も変わりやすいことを
口にしただろう。とにかく、雨で目覚めたヴァレンシアである。
午前11時にスタートした予選の二回目。
しかし、空模様と路面温度を気にしながらの走行であったり、
ピットでの待機というチームが多い。走ってみてもタイムが
出ないのでピットに戻り、出方をうかがったり、空を眺めて
タイヤを温存という連中が多いこと。このセッションの
半分はごく少数のライダーが走行するという姿であった。
三十分が経過して、阿部、ノイキルフナー、今回ワイルド
カード参戦のデヘアといったあたりが前日のタイムを更新
し始めてから、徐々に強い風の中、各チーム動くが活発に
なってきた。
ほんのコンマ数秒を更新していくライダーが出て、
順位に変動が見られるようになる。そんな中で真打登場と
いうような形でコーサーがアタックに入り、ベイリスの
タイムを打ち破る。もう一人のトロイという名前を持つ
ドゥカティスタであるが、前日のタイムを破るまでには
いたらずにセッション終了となる。
懸命のアタックをしていたのがカワサキのウォーカーで
昨年のここのヒーローであった彼は35.5をたたき出して
三番手のタイムとなる。
四番手は前日のタイムのままでマーティン。芳賀、加賀山
はタイムが伸びずに五、六番手。チャウスのドゥカティの
後にワークスドゥカティのランツィ、阿部、ニエトと続いた
カルロ・フィオラーニ氏がローマから駆けつけたが
ローマ人のホンダヨーロッパのマネージャーにはこの日の
ホンダの成績はきわめてネガティブなものであり、
トップ10にホンダユーザーがいないという結果であった。
ウェットスーパーポールセッションになるのか、ドライに
なるのか、四時間後のことは予想がつかないまま、二回目の
予選が終了となった。
午後四時からドライ宣言でスーパーポール開始である。
曇り空、低い路面温度。雨が途中で降ったら、どういう
変更点があるのか気にしながらのセッションとなった。
好調ぶりを見せたのが、PSG1カワサキの三人衆である。
ラコニの集中力とシャープな走りがタイムを削り、
それに負けまいとウォーカーも昨年いい走りを見せたここで
マシンのいいところを活かし、タイムアタック。そして、
ここが地元であるフォンシ・ニエトが渾身の攻撃的な走りで
35秒3から4にカワサキ勢がひしめく展開となった。
このカワサキ三銃士に切り込んでいったのが、ランツィの
ドゥカティであり、望外の好タイムで伏兵ぶりを発揮して
いるマーティンである。この二人がカワサキの三人の
タイムを上回る。
残り二人。出走するのは二人のトロイ、一台のドゥカティと
一台のスズキである。ベイリスの方がアタックに入り、
快足振りを発揮。普段はいい奴だがヘルメットを被ると
速く走るために必要な我がままをいい尽くすという
彼が悪魔性を発揮して、コーサーのタイムに襲い掛かり、
35.1をマーク。
対するもう一人のトロイで、ここでアプリリアでもスズキでも
勝っている彼は自信があるのだろうか、あるいはコースが
好きなのだろうか、素晴らしいコーナーリングでタイムを
削っていく。
肌寒さを感じるフィニッシュラインを通過したときに計時された
タイムはただ一人34秒台。速さと強さを見せ付ける結果と
なった。
コーサー、ベイリス、ランツィ、マーティンという一列目。
二列目にはニエト、ウォーカー、ラコニの三台のカワサキに
R1最速の阿部。
トーズランドのホンダ、芳賀とピットのヤマハ、スーパーポール
を走らなかった加賀山が二回の予選タイムで十二番手。
四列目にチャウス、フォレ、ロルフォ、バロスという順位に
なった。
決勝はどんな天気になるのか、どんな天気でも二人のトロイには
関係ないのか、大いに関係が出てくるのか、意外な速さを
見せたカワサキの三人はどういう戦いを見せるのかが焦点に
なる日曜となりそうだ。
スーパーバイク世界選手権スペインラウンドSBK初日
2006年4月24日 スポーツ二月の終わりに開催されていた時のヴァレンシアというのは
寒かった印象が強く、インフィールドのコーナーでメインス
タンドを背にしてフォトセッションをしていた時の風の強さ
が今でも思い浮かぶ。
四月開催になって、暖かいだろうなと思ってやってきた
ライダー、エンジニア、チームスタッフを出迎えたのは気まぐれ
な天候と寒さ、僅かな日照時間であった。
何とか晴れてほしいという思いと路面温度を気に掛けながら
初日のセッションスタートである。
キリがミザノテストで衝撃のクラッシュと戦線離脱。
ムジェリッジはチューリッヒで怪我のために静養。
さらに、この週末にフランスではルマン24時間レース
開催のため、リッターバイクでフランス人でコンスタントに
タイムを稼ぎ、R1に乗れるライダーということでジャンベール
が駆り出された。
キリの後任がナンネッリ、ムジェリッジの代役にブセイ。
ジャンベールの代わりがアルフォンシということになった。
色々変わることがあったレースウィークであったが、変わらな
かったのは現在と元世界チャンピオンが高いレベルの戦いを
繰り広げるということ。まぁ、ベイリスのドゥカティと
スズキのコーサーの速いこと。この二人だけが34秒台に
入れてきた。割りにタイムが簡単に出て、そのタイムを礎に
して、さらなるタイムアップを図る。好調なライダーが
モノや人をしっかり機能させて、より高いレベルに行こうと
している姿が理解できる。
そんな二人に戦いを挑むのが他のメーカー、チームのライダー
であるが、これが日本のメーカーやライダーでなく、
ペトロナスのマーティンが意外な(私だけに限らず、多くの
業界人が)速さを見せる。二人のトロイの後ろは何と
マーティンのペトロナスであった。
芳賀のR1がヤマハユーザー最上位で四番手。加賀山のスズキが
五番手。前回のヴァレンシアテストで上位に食い込み、本人の
やる気と速さを見せつけたチャウスがドゥカティの型落ち
マシンながら六番手に入り、阿部のヤマハ、ランツィのドゥカ
ティワークスが続いた。
九番手がここが地元で燃えるニエトのカワサキで十番手が
今季からSBKをスズキのリッターバイクで戦うフォレで
あった。
そうトップテンにクラッフィホンダもDFXもウィンストンも
ない初日。ホンダ勢トップは十一番手の前世界チャンピオンの
トーズランドであった。
路面温度の低さ、風の強さ、良くなってきた天候、変化する
風向きなど自然の変化がライダーを悩ませ、エンジニアが
苦労したが、どんなコンディションでもトップを争う
二人のトロイの順位に変更はなく、常時トップ2をマーク
していた。この安定性とレベルの高さからこの週末も
この二人中心に展開されていくことが確認された金曜日であり、
マーティンの好タイムの驚かされ、芳賀が決してあきらめること
が美徳だと思わず、献身的に色々試したり、力を尽くして、
食らいつこうとした姿が確認できた初日であった。
寒かった印象が強く、インフィールドのコーナーでメインス
タンドを背にしてフォトセッションをしていた時の風の強さ
が今でも思い浮かぶ。
四月開催になって、暖かいだろうなと思ってやってきた
ライダー、エンジニア、チームスタッフを出迎えたのは気まぐれ
な天候と寒さ、僅かな日照時間であった。
何とか晴れてほしいという思いと路面温度を気に掛けながら
初日のセッションスタートである。
キリがミザノテストで衝撃のクラッシュと戦線離脱。
ムジェリッジはチューリッヒで怪我のために静養。
さらに、この週末にフランスではルマン24時間レース
開催のため、リッターバイクでフランス人でコンスタントに
タイムを稼ぎ、R1に乗れるライダーということでジャンベール
が駆り出された。
キリの後任がナンネッリ、ムジェリッジの代役にブセイ。
ジャンベールの代わりがアルフォンシということになった。
色々変わることがあったレースウィークであったが、変わらな
かったのは現在と元世界チャンピオンが高いレベルの戦いを
繰り広げるということ。まぁ、ベイリスのドゥカティと
スズキのコーサーの速いこと。この二人だけが34秒台に
入れてきた。割りにタイムが簡単に出て、そのタイムを礎に
して、さらなるタイムアップを図る。好調なライダーが
モノや人をしっかり機能させて、より高いレベルに行こうと
している姿が理解できる。
そんな二人に戦いを挑むのが他のメーカー、チームのライダー
であるが、これが日本のメーカーやライダーでなく、
ペトロナスのマーティンが意外な(私だけに限らず、多くの
業界人が)速さを見せる。二人のトロイの後ろは何と
マーティンのペトロナスであった。
芳賀のR1がヤマハユーザー最上位で四番手。加賀山のスズキが
五番手。前回のヴァレンシアテストで上位に食い込み、本人の
やる気と速さを見せつけたチャウスがドゥカティの型落ち
マシンながら六番手に入り、阿部のヤマハ、ランツィのドゥカ
ティワークスが続いた。
九番手がここが地元で燃えるニエトのカワサキで十番手が
今季からSBKをスズキのリッターバイクで戦うフォレで
あった。
そうトップテンにクラッフィホンダもDFXもウィンストンも
ない初日。ホンダ勢トップは十一番手の前世界チャンピオンの
トーズランドであった。
路面温度の低さ、風の強さ、良くなってきた天候、変化する
風向きなど自然の変化がライダーを悩ませ、エンジニアが
苦労したが、どんなコンディションでもトップを争う
二人のトロイの順位に変更はなく、常時トップ2をマーク
していた。この安定性とレベルの高さからこの週末も
この二人中心に展開されていくことが確認された金曜日であり、
マーティンの好タイムの驚かされ、芳賀が決してあきらめること
が美徳だと思わず、献身的に色々試したり、力を尽くして、
食らいつこうとした姿が確認できた初日であった。
intervista con massimo roccoli
2006年4月24日 スポーツall`anno scorso girava per il titolo di stk 1000
e mi faceva spiegare il suo valore con r1yamaha
nel 2005 aveva girato con sofuglu e keymurlen
per titolo di stk litro
e arrivava al campionato mondiale di supersport
prima di partire a valencia ho trovato lui
che faceva il test a misano adreatico
ecco intervista con lui
yasumarzo(yasu)
mentre ti vedevo nel 2005 ho molto impressionato
su r1 percio ancora non ho abituato vedere roccoli su r6
invece tu cosa senti?
massimo roccoli(mm)
yasu stai qui al circuit in europa vedere al campionato
italiano e mondiale stk cosi hai impressione tanto
vedermi su r1 invece alla mia carriera tanti anni
giravo su r6
nel2004 giravo su r6 anche nel 2003 mentre facevo il
campionato italiano e coppa r6
quindi mi trovo bene girare su 600
sicuramente fisicamente si sta bene questo moto
yasu
ho capito! allora tu senti tante differenza fra
vecchio r6 e la nuova r6?
mm
sicuramente si!ogni anni cambia e veloce la moto
non cambiava mai la carattere della questa moto
pero’ cambiava tanto
yasu
prima di arrivare al mercato
tanti specialista’ hanno detto "il capolavoro
e la migliore della storia r6" e cosa pensi? e come senti?
mm
si! come la moto stradale questa moto e’ buonissima moto
pero’ honestamente devo capire l’esistenza della cbr
honda sopratutto quella della ten kate e’ molto veloce
dobbiamo svillupare e montare qualcosa farci piu’
competitiva
yasu
il tuo compagno (gian luca vizziello) ha detto la stessa
cosa cioe’ tanti piloti girano sulla pista
con charpentier e dopo aver girato sentono la stessa
impressione
e allora i tuoi obbiettivi nel 2006
mm
niente sperciale devo sentire il livello altissimo
della questa catogoria noi il primo anno
partecipare al mondiale supersport con 2 moto
e bisogna capire imparare sentire vedere tante cose
e preparo le gare nel 2007
yasu
ok ! grazie
e mi faceva spiegare il suo valore con r1yamaha
nel 2005 aveva girato con sofuglu e keymurlen
per titolo di stk litro
e arrivava al campionato mondiale di supersport
prima di partire a valencia ho trovato lui
che faceva il test a misano adreatico
ecco intervista con lui
yasumarzo(yasu)
mentre ti vedevo nel 2005 ho molto impressionato
su r1 percio ancora non ho abituato vedere roccoli su r6
invece tu cosa senti?
massimo roccoli(mm)
yasu stai qui al circuit in europa vedere al campionato
italiano e mondiale stk cosi hai impressione tanto
vedermi su r1 invece alla mia carriera tanti anni
giravo su r6
nel2004 giravo su r6 anche nel 2003 mentre facevo il
campionato italiano e coppa r6
quindi mi trovo bene girare su 600
sicuramente fisicamente si sta bene questo moto
yasu
ho capito! allora tu senti tante differenza fra
vecchio r6 e la nuova r6?
mm
sicuramente si!ogni anni cambia e veloce la moto
non cambiava mai la carattere della questa moto
pero’ cambiava tanto
yasu
prima di arrivare al mercato
tanti specialista’ hanno detto "il capolavoro
e la migliore della storia r6" e cosa pensi? e come senti?
mm
si! come la moto stradale questa moto e’ buonissima moto
pero’ honestamente devo capire l’esistenza della cbr
honda sopratutto quella della ten kate e’ molto veloce
dobbiamo svillupare e montare qualcosa farci piu’
competitiva
yasu
il tuo compagno (gian luca vizziello) ha detto la stessa
cosa cioe’ tanti piloti girano sulla pista
con charpentier e dopo aver girato sentono la stessa
impressione
e allora i tuoi obbiettivi nel 2006
mm
niente sperciale devo sentire il livello altissimo
della questa catogoria noi il primo anno
partecipare al mondiale supersport con 2 moto
e bisogna capire imparare sentire vedere tante cose
e preparo le gare nel 2007
yasu
ok ! grazie
マッシモ・ロッコリ インタビュー
2006年4月18日 スポーツ昨年、FIMカップSTK1000選手権で激しくケイミューレンや
ソフオグルと戦い、今季戦いの場をスーパースポートに移した
マッシモ・ロッコリ。そんな彼をミザノアドレアティコでの
テストセッション中にキャッチして話を聞きました。
(分責yasumarzo 言語 イタリア語)
yasumarzo(以下yasu)
昨年のR1を走らせていた印象が強くて、どうもこのチームの
同じカラーリングでR6を走る姿がまだ馴染まないけれど、本人
は600を走らせることにはもう慣れたのかな。
massimo roccoli(以下mm)
yasuは私の姿を昨年、SBKのヨーロッパラウンドとイタリア選手権
で見ていて、R1と私の印象が強いけれど、実はキャリアの中で
R6を走らせていた時期のほうが長いんだ。
一昨年もその前もイタリア選手権、R6カップなどでずっと
ヤマハの600を走らせていたからね。だから、リッター
バイクより、こちらの方が馴染みがあるんだ。まぁ、体の
大きさからも言って1000より600の方が私にも向いている
からこっちの方が走りやすいしね。
yasu
なるほど。では、以前、乗っていたR6と現行モデルのR6の
違いは大きいのかな。
mm
すごく、大きい。もちろん、マシンの進化というのは早いし、
さらに強さと速さというのは増している。基本的なマシンの
キャラクターというのは変わらないけれどね。
yasu
今年のR6というのは、登場前から世界中でR6の歴史の中で
最高傑作だと言われていたけれど、実際乗ってみて、どう
思う。
mm
確かにストリートバイクとしてはそうだと思う。しかし、
コース上ではホンダのCBR。とりわけテンカーテホンダの
CBRの強さを率直に認めなければいけない。我々のマシンの
基本性能は素晴らしいけれど、そこに何かを加えて、差を
つめていかないと彼らに追いつけないし、抜けない。
yasu
さっき、インタビューしたヴィッツィエッロも同じような
ことを話していたけれど、それがR6を走らせていて、
シャーペンティエの速さを見ている人の共通認識なんだろうね。
では、今季の目標を
mm
特にないけれど、高いレベルの選手権の走りに慣れることだね。
そして、できるだけ走りきって、できうる限りのポイントを
ゲットしてレースを終えることだね。そして、来年に備える
ことだと思う。我々のチームも二台のR6を世界選手権で
走らせるのは初めてだし、私もスーパースポートで参戦するのも
初めてだから、覚えたり、学習することが必要だからね。
yasu
ありがとう。期待しているよ。
ソフオグルと戦い、今季戦いの場をスーパースポートに移した
マッシモ・ロッコリ。そんな彼をミザノアドレアティコでの
テストセッション中にキャッチして話を聞きました。
(分責yasumarzo 言語 イタリア語)
yasumarzo(以下yasu)
昨年のR1を走らせていた印象が強くて、どうもこのチームの
同じカラーリングでR6を走る姿がまだ馴染まないけれど、本人
は600を走らせることにはもう慣れたのかな。
massimo roccoli(以下mm)
yasuは私の姿を昨年、SBKのヨーロッパラウンドとイタリア選手権
で見ていて、R1と私の印象が強いけれど、実はキャリアの中で
R6を走らせていた時期のほうが長いんだ。
一昨年もその前もイタリア選手権、R6カップなどでずっと
ヤマハの600を走らせていたからね。だから、リッター
バイクより、こちらの方が馴染みがあるんだ。まぁ、体の
大きさからも言って1000より600の方が私にも向いている
からこっちの方が走りやすいしね。
yasu
なるほど。では、以前、乗っていたR6と現行モデルのR6の
違いは大きいのかな。
mm
すごく、大きい。もちろん、マシンの進化というのは早いし、
さらに強さと速さというのは増している。基本的なマシンの
キャラクターというのは変わらないけれどね。
yasu
今年のR6というのは、登場前から世界中でR6の歴史の中で
最高傑作だと言われていたけれど、実際乗ってみて、どう
思う。
mm
確かにストリートバイクとしてはそうだと思う。しかし、
コース上ではホンダのCBR。とりわけテンカーテホンダの
CBRの強さを率直に認めなければいけない。我々のマシンの
基本性能は素晴らしいけれど、そこに何かを加えて、差を
つめていかないと彼らに追いつけないし、抜けない。
yasu
さっき、インタビューしたヴィッツィエッロも同じような
ことを話していたけれど、それがR6を走らせていて、
シャーペンティエの速さを見ている人の共通認識なんだろうね。
では、今季の目標を
mm
特にないけれど、高いレベルの選手権の走りに慣れることだね。
そして、できるだけ走りきって、できうる限りのポイントを
ゲットしてレースを終えることだね。そして、来年に備える
ことだと思う。我々のチームも二台のR6を世界選手権で
走らせるのは初めてだし、私もスーパースポートで参戦するのも
初めてだから、覚えたり、学習することが必要だからね。
yasu
ありがとう。期待しているよ。
イモラでライコネンが全てオフィシャリーに発表すると
話しています。そして、ロス・ブラウンがシューマッハーの
今後については五月か六月に公にすると述べています。
ヴァレンティーノ・ロッシはヤマハとの契約が今季いっぱいで
切れますが、今後の活動については六月をめどに決定すると
話しています。
何が起こるのか、何も起こらないのか、見守るしかないのです
が、王者となり、そのタイトルを防衛した人間の去り際の
難しさを感じますね。周りの人間が食べていくこと、周囲の
環境が一人の決定で激変することなど、影響力の大きい人間
ほど様々なことが絡み合ってもつれ合うのだと思います。
道具が勝敗の大きな部分を占める世界ではなかなか、王者と
言えども実力の劣化をジャッジしにくい。なかなか
マイク・タイソンのように叩きのめされて去っていくことが
できないわけで、鮮やかな復活を考えている元王者が
勝利への執着心を失わない限り、いい環境、勝てるマテリアル
を求めて現役生活を続けようとして、考え、動き、時に
もがき苦しむのは当然でしょう。
シューマッハーの決断が何を生むのか、ロッシの結論が
何を作るのか見守りたいと思います。
話しています。そして、ロス・ブラウンがシューマッハーの
今後については五月か六月に公にすると述べています。
ヴァレンティーノ・ロッシはヤマハとの契約が今季いっぱいで
切れますが、今後の活動については六月をめどに決定すると
話しています。
何が起こるのか、何も起こらないのか、見守るしかないのです
が、王者となり、そのタイトルを防衛した人間の去り際の
難しさを感じますね。周りの人間が食べていくこと、周囲の
環境が一人の決定で激変することなど、影響力の大きい人間
ほど様々なことが絡み合ってもつれ合うのだと思います。
道具が勝敗の大きな部分を占める世界ではなかなか、王者と
言えども実力の劣化をジャッジしにくい。なかなか
マイク・タイソンのように叩きのめされて去っていくことが
できないわけで、鮮やかな復活を考えている元王者が
勝利への執着心を失わない限り、いい環境、勝てるマテリアル
を求めて現役生活を続けようとして、考え、動き、時に
もがき苦しむのは当然でしょう。
シューマッハーの決断が何を生むのか、ロッシの結論が
何を作るのか見守りたいと思います。
mentre vedevo la partita di c-1 fra napoli e perugia
al stadio di napoli era grande casino e dopo aver finito
la partita cominciava la festa e la pasqua
infatti loro aspettavano tanto tempo da ritornare serie b
e sabato pomeriggio ha fatto
allora a napoli ha successo la grande festa fra gli appasionati e la squadra
ho capito pero’ mi sembra che fosse la felicita’ e
la brutta cosa cioe’ la squadra non era competitiva
mentre essendo serie c pero’ tanti venivano vedere
la partita
questo mi sembra che fosse la felicita’
credo che abbiano ottimo il rapporto fra la squadra e
gli uomini locali
invece anche io sentivo la brutta cosa
vorrei dire se fossero contenti al livello da arrivare
serie b
manchera’ la vittoria al livello altissimo come serie a
per esempio qualche giocatore di tennis che ha vinto
tanti tornei di junior e arrivava agli migliori
sono i tennista che guardagna
su questa condizione se fossero convinti
non possono giocare bene al mondo di tour professionale
ne’ atp ne’ wta
anche in giappone quando arrivavano ai primi 5 in giappone
i tennista (sopratutto gli uomini) hanno abbastanza i soldi
e manca la determinazione viaggiare tutti posti del mondo
guardagnare i punti del tour e rimangono in giappone
vivere tranquillamente
poi vedo il mondo della velocita’ dopo essere arrivato
al motomondiale o superbike mondiale sono gia contenti
e credo che vadano perdere le determinazioni
cosi non hanno vinto e arrivavano primi 10 e sono gia
contenti
questo come i piloti non va bene
valentino rossi max biaggi loris capirossi sempre
volevano vincere e cercano il moto migliore
e il pnuematico megliore da girare piu’ competitiva
napoli si trova solamente serie b
tanti festeggiavano di la
ma secondo me dopo aver vinto il scudetto
meglio festeggiare tanto
penso che non sia periodo da festeggiare
calciatore ha perso la determinazione
non puo’ fruttare mai non gioca bene
non guardagna tanto e perdera’ loro vantaggio
al stadio di napoli era grande casino e dopo aver finito
la partita cominciava la festa e la pasqua
infatti loro aspettavano tanto tempo da ritornare serie b
e sabato pomeriggio ha fatto
allora a napoli ha successo la grande festa fra gli appasionati e la squadra
ho capito pero’ mi sembra che fosse la felicita’ e
la brutta cosa cioe’ la squadra non era competitiva
mentre essendo serie c pero’ tanti venivano vedere
la partita
questo mi sembra che fosse la felicita’
credo che abbiano ottimo il rapporto fra la squadra e
gli uomini locali
invece anche io sentivo la brutta cosa
vorrei dire se fossero contenti al livello da arrivare
serie b
manchera’ la vittoria al livello altissimo come serie a
per esempio qualche giocatore di tennis che ha vinto
tanti tornei di junior e arrivava agli migliori
sono i tennista che guardagna
su questa condizione se fossero convinti
non possono giocare bene al mondo di tour professionale
ne’ atp ne’ wta
anche in giappone quando arrivavano ai primi 5 in giappone
i tennista (sopratutto gli uomini) hanno abbastanza i soldi
e manca la determinazione viaggiare tutti posti del mondo
guardagnare i punti del tour e rimangono in giappone
vivere tranquillamente
poi vedo il mondo della velocita’ dopo essere arrivato
al motomondiale o superbike mondiale sono gia contenti
e credo che vadano perdere le determinazioni
cosi non hanno vinto e arrivavano primi 10 e sono gia
contenti
questo come i piloti non va bene
valentino rossi max biaggi loris capirossi sempre
volevano vincere e cercano il moto migliore
e il pnuematico megliore da girare piu’ competitiva
napoli si trova solamente serie b
tanti festeggiavano di la
ma secondo me dopo aver vinto il scudetto
meglio festeggiare tanto
penso che non sia periodo da festeggiare
calciatore ha perso la determinazione
non puo’ fruttare mai non gioca bene
non guardagna tanto e perdera’ loro vantaggio
intervista con gianluca vizziello
2006年4月16日 スポーツall’anno scorso sentiva la bella speranza con il sogno
girava alla categoria regina di derivate di serie
qualcosa non funzionava e mancava qualcosa
e ora gianluca vizziello lasciato sua r1 e sale su r6 della
yamaha per cominciare la nuova sfida
allora l’intervista con gian luca vizziello
yasu
avevo visto tanti anni tu giravi sempre su r1 poi
questa stagione giri su r6
ancora mi sembra che non sia reale
invece tu cosa senti e cosa pensa?
gianluca
infatti sento grande differenza fra litro e 600
sopratutto all’uscita della curva sento tanto
cosi devo spingere di piu’ e dare gas subito dopo
essere uscito alla curva
yasu
prima e dopo arriva questa r6
tanti hanno detto e scritto "il capolavoro della serie di r6"
dei tutti posti del mondo e tu cosa pensi?
gianluca
ha ragione sulla strada normale bella moto questo
pero’ alla pista un po’ diverso
ancora la cbr e’ velocissima sopratutto quella moto di
ten kate e’ molto veloce per questo
ancora c’e’ differenza fra loro honda e nostra moto
quindi abbiamo bisogno da fare
per stare vicinando da 2secondi al 1 secondo e mezzo,,,
yasu
quale pilota e’ veloce’ e il brutto cliente per te alla questa
categoria?
gianluca
chapentier!! sicuramente lui e’ velocissimo
e la ten kate ha vinto 4anni consecutivi titolo mondiale
di supersport
il pilota piu’ forte sale sulla moto di campione del mondo
sicuramente lui e’ velocissimo!!
pero’ altre pilota sono veloce’ e forte
ma non sono esistenza intoccabile cosi
penso di girare con loro come primista
yasu
per trovare charpentie e passare lui
oppure girare col gruppo top
cosa bisogna e cosa manca?
gianluca
abbiamo bisogna svillupare tanto
nostra moto arrivava fine dicembre e noi prima volta
prepariamo 2 moto di 600 cosi manca esperienza
quindi cerchiamo di svilluppare inniterrotamente
questa moto
yasu
obbiettlivi del 2006?
gianluca
cerco di girare ai primi 5
alla questa catogoria chapentier e’ velocissimo
e poi anche tanti piloti sono buoni
poi ritorna nannelli significa arriva altre rivale in piu’
cosi la competitione e’ duro
pero’ al questo gruppo devo girare come primista
poi aspetto la opportunita’ vincere la gara
e voglio vincere
e alla fine dopo sub africa voglio stare i primi cinque
yasu
grazie
girava alla categoria regina di derivate di serie
qualcosa non funzionava e mancava qualcosa
e ora gianluca vizziello lasciato sua r1 e sale su r6 della
yamaha per cominciare la nuova sfida
allora l’intervista con gian luca vizziello
yasu
avevo visto tanti anni tu giravi sempre su r1 poi
questa stagione giri su r6
ancora mi sembra che non sia reale
invece tu cosa senti e cosa pensa?
gianluca
infatti sento grande differenza fra litro e 600
sopratutto all’uscita della curva sento tanto
cosi devo spingere di piu’ e dare gas subito dopo
essere uscito alla curva
yasu
prima e dopo arriva questa r6
tanti hanno detto e scritto "il capolavoro della serie di r6"
dei tutti posti del mondo e tu cosa pensi?
gianluca
ha ragione sulla strada normale bella moto questo
pero’ alla pista un po’ diverso
ancora la cbr e’ velocissima sopratutto quella moto di
ten kate e’ molto veloce per questo
ancora c’e’ differenza fra loro honda e nostra moto
quindi abbiamo bisogno da fare
per stare vicinando da 2secondi al 1 secondo e mezzo,,,
yasu
quale pilota e’ veloce’ e il brutto cliente per te alla questa
categoria?
gianluca
chapentier!! sicuramente lui e’ velocissimo
e la ten kate ha vinto 4anni consecutivi titolo mondiale
di supersport
il pilota piu’ forte sale sulla moto di campione del mondo
sicuramente lui e’ velocissimo!!
pero’ altre pilota sono veloce’ e forte
ma non sono esistenza intoccabile cosi
penso di girare con loro come primista
yasu
per trovare charpentie e passare lui
oppure girare col gruppo top
cosa bisogna e cosa manca?
gianluca
abbiamo bisogna svillupare tanto
nostra moto arrivava fine dicembre e noi prima volta
prepariamo 2 moto di 600 cosi manca esperienza
quindi cerchiamo di svilluppare inniterrotamente
questa moto
yasu
obbiettlivi del 2006?
gianluca
cerco di girare ai primi 5
alla questa catogoria chapentier e’ velocissimo
e poi anche tanti piloti sono buoni
poi ritorna nannelli significa arriva altre rivale in piu’
cosi la competitione e’ duro
pero’ al questo gruppo devo girare come primista
poi aspetto la opportunita’ vincere la gara
e voglio vincere
e alla fine dopo sub africa voglio stare i primi cinque
yasu
grazie
allora nannelli arriva
2006年4月16日 スポーツdopo la brutta accidente a misano adreatico
il team dfxtream e la honda europa dovevano cercare
il pilota che puo’ guidare la moto di litro di tokyo
avevo visto carlo fiorani e daniele carli (il team manager
del dfxtream)che girava tanto al circuit per loro business
poi hanno gia deciso il pilota prima di sessione
secondo test di sbk alla pista
il pilota toscano girava sulla moto di borgo panigale
di supersport poiche’ cominciava girare su fireblade
della honda
ormai il rapporto fra gianluca nannelli e team caracchi
ducati ha gia finito e cominciava la nuova avventura
la honda
mi sembrava che fosse scommesso per lui
infatti dopo essere ritornato frankie chili sicuramente
ri sale su sua fireblade anzi la squadra di caracchi
tutti due piloti di supersport ducati non sono
competitiva e voleva gianluca fine dell’anno
per suo superperfomance come all’anno scorso
comunque davanti alla moto di tokyo
la nuova sfida con drxtream non poteva rifiutare
l’offerta e ha gia deciso
cosa va e cosa non va
la honda e la squadra dfxtream non poteva avere il
tempo cercare il pilota all’ufficio e subito parlava con
gianluca infatti subito c’e’ la gara di valencia
chi puo’ fruttare alla pista di valencia
vediamo il questo scommesso
il team dfxtream e la honda europa dovevano cercare
il pilota che puo’ guidare la moto di litro di tokyo
avevo visto carlo fiorani e daniele carli (il team manager
del dfxtream)che girava tanto al circuit per loro business
poi hanno gia deciso il pilota prima di sessione
secondo test di sbk alla pista
il pilota toscano girava sulla moto di borgo panigale
di supersport poiche’ cominciava girare su fireblade
della honda
ormai il rapporto fra gianluca nannelli e team caracchi
ducati ha gia finito e cominciava la nuova avventura
la honda
mi sembrava che fosse scommesso per lui
infatti dopo essere ritornato frankie chili sicuramente
ri sale su sua fireblade anzi la squadra di caracchi
tutti due piloti di supersport ducati non sono
competitiva e voleva gianluca fine dell’anno
per suo superperfomance come all’anno scorso
comunque davanti alla moto di tokyo
la nuova sfida con drxtream non poteva rifiutare
l’offerta e ha gia deciso
cosa va e cosa non va
la honda e la squadra dfxtream non poteva avere il
tempo cercare il pilota all’ufficio e subito parlava con
gianluca infatti subito c’e’ la gara di valencia
chi puo’ fruttare alla pista di valencia
vediamo il questo scommesso
デビスカップのタイトル防衛は、、、。
2006年4月15日 スポーツ少し前の話になってしまいますが、クロアチアのザグレブ
で行われたデビスカップのクロアチア対アルゼンチンの
試合はホームのクロアチアが負けてしまいました。
まぁ、当初エントリーされていたアンチッチが出場しなかった
ので、まだプレイの場がジュニアであることが多いプレイヤー
を代役に使い、戦ったのですが、やはりリュビチッチと
アンチッチの二枚看板のうち、一人が欠けるとこういうことに
なるんだろうなという結末になりましたね。予想と結果が
一致を見ました。
それにしてもリュビチッチはアメリカからザグレブに戻って
来る前はどうも体調が思わしくなくて(それでいてフェデラー
とハードな試合をしていた。)完璧な状態とは言えないと
思うと話していながら、自分の役割を全うして若手の奮起に
期待して、持てるものを環境や状況を見ながらカードを切って
勝利を目指した。プレイングマネージャーという立場で
今回の戦いをプレイしながら指揮したのですが、立派だった
と思います。
さて、そのリュビチッチというプレイヤーにモナコやドイツ、
そして、フランスのパリのクレーコートはどんな夢、あるいは
悪夢を用意するのでしょう。フェデラーエクスプレスを
止めるのは大変だと思いますが、クレーコートでクロアチア人
がスイス人を破る可能性はあると私はにらんでいます。
どんなことが起こるのか、クレーコートシーズンの始まりから
終わりまでを見守りたいと思います。
で行われたデビスカップのクロアチア対アルゼンチンの
試合はホームのクロアチアが負けてしまいました。
まぁ、当初エントリーされていたアンチッチが出場しなかった
ので、まだプレイの場がジュニアであることが多いプレイヤー
を代役に使い、戦ったのですが、やはりリュビチッチと
アンチッチの二枚看板のうち、一人が欠けるとこういうことに
なるんだろうなという結末になりましたね。予想と結果が
一致を見ました。
それにしてもリュビチッチはアメリカからザグレブに戻って
来る前はどうも体調が思わしくなくて(それでいてフェデラー
とハードな試合をしていた。)完璧な状態とは言えないと
思うと話していながら、自分の役割を全うして若手の奮起に
期待して、持てるものを環境や状況を見ながらカードを切って
勝利を目指した。プレイングマネージャーという立場で
今回の戦いをプレイしながら指揮したのですが、立派だった
と思います。
さて、そのリュビチッチというプレイヤーにモナコやドイツ、
そして、フランスのパリのクレーコートはどんな夢、あるいは
悪夢を用意するのでしょう。フェデラーエクスプレスを
止めるのは大変だと思いますが、クレーコートでクロアチア人
がスイス人を破る可能性はあると私はにらんでいます。
どんなことが起こるのか、クレーコートシーズンの始まりから
終わりまでを見守りたいと思います。
キリ復帰はブランズハッチか。後任は、、、
2006年4月15日 スポーツムジェリッジが怪我してヴァレンシアの出走が無理だという
結論になった時に、名前が挙がったのがグールベルグ、
清成、そしてジョバンニ・ブセイでした。
色々な考えと方針が交錯する中、今年スーパーモタードを
やる予定だったブセイがヴァレンシアでCBRを走らせることに
なりました。
そんなニュースが流れてはじめていたミザノアドレアティコ
でのテスト初日にピエールフランチェスコ・キリがたいしたこと
ないだろうと思われていたが、実際は大きな事故を起こして
しまいました。
復帰は早くて七月のブルノ。これはちょっと難しくて、
ブランズハッチで戻ってくるのではないかという声が大きく
なっています。
ということでこのテストセッション時にサーキット入りしていた
カルロ・フィオラーニは後任ライダー探しを始めました。
でもって、すぐにテスト二日目にキリのマシンのゼッケンを
はがして、テストさせたのが何とジャンルカ・ナンネッリ
でした。
まぁ、ものすごい急展開に驚きましたが、ドゥカティのSSマシ
ンをテストするために来場していたナンネッリに話を持ちかけ、
決断を迫り、マシンを用意して、テストをさせる。ヴァレンシア
が来週に迫っていることもあって、動きが早かったですね。
ナンネッリ自身は戸惑いながら、CBRを初ライド。かつて、
浪人の危機に陥りながら、何とかチームペデルチーニで型落ちの
ドゥカティを走らせるという話がまとまった時に、ほとんど
テストをしていない状況で、コース上走っているドゥカティ
のSBKマシンで一番古い型のバイクでどうなることかと
思わせたのですが、与えられた状況で見事な走りを披露し
て、評価を高めました。
いきなりの話で、ドゥカティでSSを走らせること、速く走る
こと、どうやって他メーカーのSSに戦っていくのかを考えて
いた彼にとって、チームもメーカーも変わって大変かと
思いますが、彼ならやれるのではないかという気持ちを持って
います。
トスカーナ人のギャンブルがどういう結末を迎えるのか、
ヴァレンシアは来週です。
結論になった時に、名前が挙がったのがグールベルグ、
清成、そしてジョバンニ・ブセイでした。
色々な考えと方針が交錯する中、今年スーパーモタードを
やる予定だったブセイがヴァレンシアでCBRを走らせることに
なりました。
そんなニュースが流れてはじめていたミザノアドレアティコ
でのテスト初日にピエールフランチェスコ・キリがたいしたこと
ないだろうと思われていたが、実際は大きな事故を起こして
しまいました。
復帰は早くて七月のブルノ。これはちょっと難しくて、
ブランズハッチで戻ってくるのではないかという声が大きく
なっています。
ということでこのテストセッション時にサーキット入りしていた
カルロ・フィオラーニは後任ライダー探しを始めました。
でもって、すぐにテスト二日目にキリのマシンのゼッケンを
はがして、テストさせたのが何とジャンルカ・ナンネッリ
でした。
まぁ、ものすごい急展開に驚きましたが、ドゥカティのSSマシ
ンをテストするために来場していたナンネッリに話を持ちかけ、
決断を迫り、マシンを用意して、テストをさせる。ヴァレンシア
が来週に迫っていることもあって、動きが早かったですね。
ナンネッリ自身は戸惑いながら、CBRを初ライド。かつて、
浪人の危機に陥りながら、何とかチームペデルチーニで型落ちの
ドゥカティを走らせるという話がまとまった時に、ほとんど
テストをしていない状況で、コース上走っているドゥカティ
のSBKマシンで一番古い型のバイクでどうなることかと
思わせたのですが、与えられた状況で見事な走りを披露し
て、評価を高めました。
いきなりの話で、ドゥカティでSSを走らせること、速く走る
こと、どうやって他メーカーのSSに戦っていくのかを考えて
いた彼にとって、チームもメーカーも変わって大変かと
思いますが、彼ならやれるのではないかという気持ちを持って
います。
トスカーナ人のギャンブルがどういう結末を迎えるのか、
ヴァレンシアは来週です。
ジャンルカ・ヴィッツィエッロ インタビュー
2006年4月14日 スポーツ希望を感じながら、いろいろなものが足りなかったり、欠けて
いて成功に至らなかったSBKチャレンジ。今季カテゴリーを
SSに変えて、世界の頂上に挑む。
才能とスピリッツはあるが、まだ特筆すべき成績を残せない
でいるファイターのテストセッションにインタビューに成功
しました。未来のスターとなる可能性を感じさせる南イタリア
人ライダーのインタビュー(分責yasumarzo 言語 イタリア語)
yasumarzo(以下yasu)
どうも、君にはR1に乗っている印象が強くて、まだR6を走ら
せている姿が馴染まないけれど、本人はR1とR6の違いを
どう感じているのかな。
gianluca vizziello(以下glv)
やはり、当然のことながら違いは大きい。コーナーの脱出
スピードが違うから、600ではコーナーを出て、速く
プッシュすることをまだまだ意識的にやっているよ。
yasu
このR6というバイクは発表前から、ヤマハスーパースポートの
歴史の中でも最高傑作だという声が世界中で挙がっていたけれど
実際、乗ってみてどう感じたのかな。
glv
確かにストリートではそれは正しいと思う。しかし、コース上
となると話は違ってきて、まだまだCBR。とりわけテンカーテの
CBRに比べると差があって、やらなければいけないこと、
必要なことが多い。差が二秒から一秒、コンマ5と縮めるために
我々がすべきことはまだあると思う。
yasu
テンカーテの話が出てきたところでこのクラスで強いとか
速いというライダーは誰だろう。
glv
シャーペンティエ。とにかく、頭一つ抜け出ている。
それと彼らのバイクはこの四年チャンピオンを獲っているわけで
チャンピオンバイクに王者が乗っているから速いのは当然。
彼は速い。
しかし、ほかのライダーは速いとは思うが、あのフランス人ほど
ずば抜けていて手がつけられないということはないと思う。
yasu
そのシャーペンティエを追っかけたり、他のライバルより
前に出るのに、何が必要だろう。
giv
まぁ、開発していくことだろう。我々のチームにバイクが
届いたのが年末で、チームも二台がR6に乗るというのも
初めてなわけで、開発を怠らずに、進めなければいけない。
yasu
今季の目標は
glv
常にトップ5を目指している。このカテゴリーはシャーペン
ティエが速いけれど、いいライダーがいっぱいいて、さらに
ナンネッリがドゥカのSSに帰ってくるとライバルが増えること
になる。そんな中でトップ5で走れるようにして、勝利の
チャンスをうかがえるようにして、勝てるチャンスを得たいし、
勝ちたい。そして、年間ランクではトップ5入りしたいね。
yasu
ありがとう。期待しているよ。
このインタビューをしていたミザノで彼は好タイムをたたき出し
存在感をアピールしていました。ファブリッツィオ、ランツィ
といった連中と激しく戦いながら、出世という部分では
遅れた感じが否めない彼ですが、ライダーの能力という部分
では関係者の評価の高い彼がどんな戦いを見せてくれるのか
見守りたいと思います。
いて成功に至らなかったSBKチャレンジ。今季カテゴリーを
SSに変えて、世界の頂上に挑む。
才能とスピリッツはあるが、まだ特筆すべき成績を残せない
でいるファイターのテストセッションにインタビューに成功
しました。未来のスターとなる可能性を感じさせる南イタリア
人ライダーのインタビュー(分責yasumarzo 言語 イタリア語)
yasumarzo(以下yasu)
どうも、君にはR1に乗っている印象が強くて、まだR6を走ら
せている姿が馴染まないけれど、本人はR1とR6の違いを
どう感じているのかな。
gianluca vizziello(以下glv)
やはり、当然のことながら違いは大きい。コーナーの脱出
スピードが違うから、600ではコーナーを出て、速く
プッシュすることをまだまだ意識的にやっているよ。
yasu
このR6というバイクは発表前から、ヤマハスーパースポートの
歴史の中でも最高傑作だという声が世界中で挙がっていたけれど
実際、乗ってみてどう感じたのかな。
glv
確かにストリートではそれは正しいと思う。しかし、コース上
となると話は違ってきて、まだまだCBR。とりわけテンカーテの
CBRに比べると差があって、やらなければいけないこと、
必要なことが多い。差が二秒から一秒、コンマ5と縮めるために
我々がすべきことはまだあると思う。
yasu
テンカーテの話が出てきたところでこのクラスで強いとか
速いというライダーは誰だろう。
glv
シャーペンティエ。とにかく、頭一つ抜け出ている。
それと彼らのバイクはこの四年チャンピオンを獲っているわけで
チャンピオンバイクに王者が乗っているから速いのは当然。
彼は速い。
しかし、ほかのライダーは速いとは思うが、あのフランス人ほど
ずば抜けていて手がつけられないということはないと思う。
yasu
そのシャーペンティエを追っかけたり、他のライバルより
前に出るのに、何が必要だろう。
giv
まぁ、開発していくことだろう。我々のチームにバイクが
届いたのが年末で、チームも二台がR6に乗るというのも
初めてなわけで、開発を怠らずに、進めなければいけない。
yasu
今季の目標は
glv
常にトップ5を目指している。このカテゴリーはシャーペン
ティエが速いけれど、いいライダーがいっぱいいて、さらに
ナンネッリがドゥカのSSに帰ってくるとライバルが増えること
になる。そんな中でトップ5で走れるようにして、勝利の
チャンスをうかがえるようにして、勝てるチャンスを得たいし、
勝ちたい。そして、年間ランクではトップ5入りしたいね。
yasu
ありがとう。期待しているよ。
このインタビューをしていたミザノで彼は好タイムをたたき出し
存在感をアピールしていました。ファブリッツィオ、ランツィ
といった連中と激しく戦いながら、出世という部分では
遅れた感じが否めない彼ですが、ライダーの能力という部分
では関係者の評価の高い彼がどんな戦いを見せてくれるのか
見守りたいと思います。
ミザノアドレアティコテスト二日目 SS
2006年4月14日 スポーツホンダの日本人スタッフがメガバイクホンダのピットに
貼りつき、カワサキヨーロッパの日本人の姿をジルモーター
のホスピタリティで見かけ、ヤマハジャーマニーはレースの
時ほどではないが、緊張感を保ち、カラッキドゥカティは
ナンネッリの里帰りに喜びを感じながらスケジュールを
こなしていたスーパースポートクラスのテスト二日目であった。
速さを見せたのは前日と同様ヤマハジャーマニーである。
快調に好タイムをたたき出していく。ノンテンカーテ
ホンダクラスで最速を争い、昨年二勝を上げたヤマハスーパー
スポートのエース格である彼らが実力を発揮するのは当然で
ある。パークス堂々トップタイムである。
二番手はというと、これがコンマ一秒差でドゥカティの
それもナンネッリではなくザイゼルであった
業界的にいいライダーであると評価され、世界選手権を
戦える体制とマシンを得た彼は快足振りをここでも発揮。
(思えば、ライダーの国籍にこだわってチェコ人とポーランド
人を使っていたKLインターモトのヨゼフ・クビシェック代表が
昨年、低空飛行を続けるライダーを眺めて、結果と成績を求め
600にすぐに乗ってタイムを残していてくれるライダーと考え、
採用に踏み切ったカンフル剤がこのオーストリア人であった)
何と、コンマ一秒差で二番手であった。
三番手にはR6のヴィッツィエッロ。四番手にカーテンで
あった。
五番手にホンダ最速の藤原。六番手にロッコリ。七番手が
帰ってきたナンネッリで、藤原のチームメイトのティベリオ
が八番手。ダヴィデ・チェカのR6と続き、アルドロヴァンディの
CBRが十番手であった。
ブルックスとネドックのドゥカティは十四番手と最下位。
スロベニア人の方は転倒まで喫するありさまでナンネッリ
が良かっただけに今後が気になる。
今年のライダーエントリー数は多く、人数の増加は考えられず
一人を入れるとなると、ひとりを削減ということになるはず
である。
貼りつき、カワサキヨーロッパの日本人の姿をジルモーター
のホスピタリティで見かけ、ヤマハジャーマニーはレースの
時ほどではないが、緊張感を保ち、カラッキドゥカティは
ナンネッリの里帰りに喜びを感じながらスケジュールを
こなしていたスーパースポートクラスのテスト二日目であった。
速さを見せたのは前日と同様ヤマハジャーマニーである。
快調に好タイムをたたき出していく。ノンテンカーテ
ホンダクラスで最速を争い、昨年二勝を上げたヤマハスーパー
スポートのエース格である彼らが実力を発揮するのは当然で
ある。パークス堂々トップタイムである。
二番手はというと、これがコンマ一秒差でドゥカティの
それもナンネッリではなくザイゼルであった
業界的にいいライダーであると評価され、世界選手権を
戦える体制とマシンを得た彼は快足振りをここでも発揮。
(思えば、ライダーの国籍にこだわってチェコ人とポーランド
人を使っていたKLインターモトのヨゼフ・クビシェック代表が
昨年、低空飛行を続けるライダーを眺めて、結果と成績を求め
600にすぐに乗ってタイムを残していてくれるライダーと考え、
採用に踏み切ったカンフル剤がこのオーストリア人であった)
何と、コンマ一秒差で二番手であった。
三番手にはR6のヴィッツィエッロ。四番手にカーテンで
あった。
五番手にホンダ最速の藤原。六番手にロッコリ。七番手が
帰ってきたナンネッリで、藤原のチームメイトのティベリオ
が八番手。ダヴィデ・チェカのR6と続き、アルドロヴァンディの
CBRが十番手であった。
ブルックスとネドックのドゥカティは十四番手と最下位。
スロベニア人の方は転倒まで喫するありさまでナンネッリ
が良かっただけに今後が気になる。
今年のライダーエントリー数は多く、人数の増加は考えられず
一人を入れるとなると、ひとりを削減ということになるはず
である。
ミザノアドレアティコテスト二日目 SBK
2006年4月14日 スポーツ前日のような、肌寒さと暖かさが交互にやってきて、時に
雨を気にするようなコンディションにはならずに、テスト日和と
なった合同テスト二日目。ネット情報やスポーツ紙でテスト開催
を知った人で体の空いている人も来場。にぎやかさが増した
ミザノの二日目である。
変わったのは天候とタイム。しかし変わらないのはベイリスの
速さとコーサーのスピード。とりわけドゥカティスタのオージー
の方は好タイムを連発したあげくに02年のシーズンにマーク
され、現在まで破られることのなかったコースレコードを
ぶち破る元気のよさである。
負けじと現役のチャンピオンがゼッケン1のチャンピオンマシン
を走らせるが、最終的にはコンマ5秒の差がついてしまった。
ベイリスのタイム恐るべしである。
三番手にはコーサーと僅差でヤマハR1の芳賀であった。
日本人のヤマハのスタッフの姿、テストライダーである
グラミーニの来場というのは何かを想像させるのだが、
ドゥカとスズキの天下にさせる気がないのはライダーもメーカー
も当然であり、テストスケジュールを進めて、このタイムと
なった。
四番手にはファンクラブのメンバーの声援を受けて(平日の
昼間にここにやって来る彼らの熱意と愛はすごい)
ドゥカティのランツィ。カタール、オーストラリアの二戦の
結果から、今ひとつどころか、今ふたつかなと思われていた
カワサキの反撃はここからなのか。サンマリノのカワサキユー
ザーチームの三人衆が、チームの本拠のお膝元で5−6−7位。
ウォーカー、ラコニ、二エトの順であった。
加賀山のスズキが九番手でドゥカティのセミワークスマシン
を駆るチャウスが九番手。トップテンの最後がピットのR1
であった。
ホンダヨーロッパのカルロ・フィオラーニ氏やフロレンツァーノ
氏が忙しく動き回っていたパドック。増えたホンダユーザーの
ことを考えてやることが増えて忙しかったのも理由のひとつで
あるが、もう一つの理由は負傷したキリに代役を走らせるのか
ファブリッツィオの一台体制とするのかという宿題をこなす
必要性が出たわけで、彼らとチームマネージャーのダニエーレ・
カルリのとりあえずの方策は何とジャンルカ・ナンネッリを
このテストで走らせて見るというものであった。
そのトスカーナ人は24番手のタイムで終わった。
ホンダ勢のトップはこの日バロス。次いでファブリッツィオ
であった。隠している何かがあるのか、タイム出しより必要な
ものを試したり、実験しているのか気になるところではあった。
ビアッジという能力があり、本人の意欲もあり、評価もされて
いる男が今日のセッションをどう感じるのか気になる私で
ある。イタリアのマスメディアもナローメディアも書いたり
話していることが多いが、近いうちに何らかの動きがある
だろう。
雨を気にするようなコンディションにはならずに、テスト日和と
なった合同テスト二日目。ネット情報やスポーツ紙でテスト開催
を知った人で体の空いている人も来場。にぎやかさが増した
ミザノの二日目である。
変わったのは天候とタイム。しかし変わらないのはベイリスの
速さとコーサーのスピード。とりわけドゥカティスタのオージー
の方は好タイムを連発したあげくに02年のシーズンにマーク
され、現在まで破られることのなかったコースレコードを
ぶち破る元気のよさである。
負けじと現役のチャンピオンがゼッケン1のチャンピオンマシン
を走らせるが、最終的にはコンマ5秒の差がついてしまった。
ベイリスのタイム恐るべしである。
三番手にはコーサーと僅差でヤマハR1の芳賀であった。
日本人のヤマハのスタッフの姿、テストライダーである
グラミーニの来場というのは何かを想像させるのだが、
ドゥカとスズキの天下にさせる気がないのはライダーもメーカー
も当然であり、テストスケジュールを進めて、このタイムと
なった。
四番手にはファンクラブのメンバーの声援を受けて(平日の
昼間にここにやって来る彼らの熱意と愛はすごい)
ドゥカティのランツィ。カタール、オーストラリアの二戦の
結果から、今ひとつどころか、今ふたつかなと思われていた
カワサキの反撃はここからなのか。サンマリノのカワサキユー
ザーチームの三人衆が、チームの本拠のお膝元で5−6−7位。
ウォーカー、ラコニ、二エトの順であった。
加賀山のスズキが九番手でドゥカティのセミワークスマシン
を駆るチャウスが九番手。トップテンの最後がピットのR1
であった。
ホンダヨーロッパのカルロ・フィオラーニ氏やフロレンツァーノ
氏が忙しく動き回っていたパドック。増えたホンダユーザーの
ことを考えてやることが増えて忙しかったのも理由のひとつで
あるが、もう一つの理由は負傷したキリに代役を走らせるのか
ファブリッツィオの一台体制とするのかという宿題をこなす
必要性が出たわけで、彼らとチームマネージャーのダニエーレ・
カルリのとりあえずの方策は何とジャンルカ・ナンネッリを
このテストで走らせて見るというものであった。
そのトスカーナ人は24番手のタイムで終わった。
ホンダ勢のトップはこの日バロス。次いでファブリッツィオ
であった。隠している何かがあるのか、タイム出しより必要な
ものを試したり、実験しているのか気になるところではあった。
ビアッジという能力があり、本人の意欲もあり、評価もされて
いる男が今日のセッションをどう感じるのか気になる私で
ある。イタリアのマスメディアもナローメディアも書いたり
話していることが多いが、近いうちに何らかの動きがある
だろう。