元と現世界王者の女子ファイナル
2006年7月7日 スポーツウィンブルドンの芝生もかなり痛んできた二週目の後半。
最終日のセンターコートで女子シングルスのタイトルを争う
のは元女王のエナン・アルデンヌと現在のナンバーワンの
モーレズモとなりました。
同じフランス語が母国語であり、バックハンドはシングルハンド。
そして、ハードで攻撃的なバックハンドを有しているが、
防御的であるショットと言われるスライスが素晴らしいプレイヤ
ーの二人が勝ちあがってきました。
このプレイの特色や武器の特徴はセミファイナルの相手が
両者ともに両手打ちのバックハンドを使うプレイヤーで
あっただけに視聴者により印象に残ったことでしょう。
芝生という今日のテニスシーンの中では極めて特殊であり
大会数が限られているサーフェイスの中で少し前にナンバーワン
スポットについたエナンアルデンヌと現在ナンバーワンで
在るモーレズモがどんな戦いをするのか今から楽しみです。
心配はロンドンの天気かな。
最終日のセンターコートで女子シングルスのタイトルを争う
のは元女王のエナン・アルデンヌと現在のナンバーワンの
モーレズモとなりました。
同じフランス語が母国語であり、バックハンドはシングルハンド。
そして、ハードで攻撃的なバックハンドを有しているが、
防御的であるショットと言われるスライスが素晴らしいプレイヤ
ーの二人が勝ちあがってきました。
このプレイの特色や武器の特徴はセミファイナルの相手が
両者ともに両手打ちのバックハンドを使うプレイヤーで
あっただけに視聴者により印象に残ったことでしょう。
芝生という今日のテニスシーンの中では極めて特殊であり
大会数が限られているサーフェイスの中で少し前にナンバーワン
スポットについたエナンアルデンヌと現在ナンバーワンで
在るモーレズモがどんな戦いをするのか今から楽しみです。
心配はロンドンの天気かな。
arriva gira pero’ pioveva
2006年7月5日 スポーツfinalmente arriva il texas tornade colin edwards che
ha gia vinto due volte otto ore di suzuka sulla moto
di yamaha (r7) e altre volte di honda (VTRmille)
questa volta lui gira sulla capolavoro della iwata
cioe’ r1 insieme con noriyuki haga
pero’ in giappone gli ultimi giorni piove un po’ troppo
cosi doveva girare con il setting della bagnata
anche domani c’e’ la sessione dalle case due giganti
honda e yamaha tamada kiyonari okada poi sicuramente
noriyuki haga e colin edwards
cosa e come cambia da girare otto ore
ormai otto ore di suzuka non e’ la gara di enduro
mi sembra che sia la gara velocita’ di un’ora * 8volte
abbiamo capito la honda sempre competitiva alla fine
luglio a suzuka pero’ dopo aver capito l’annucia
che partecipa colin edwards e haga
avevo gia capito la grande determinazione della iwata
allora vediamo!!
ha gia vinto due volte otto ore di suzuka sulla moto
di yamaha (r7) e altre volte di honda (VTRmille)
questa volta lui gira sulla capolavoro della iwata
cioe’ r1 insieme con noriyuki haga
pero’ in giappone gli ultimi giorni piove un po’ troppo
cosi doveva girare con il setting della bagnata
anche domani c’e’ la sessione dalle case due giganti
honda e yamaha tamada kiyonari okada poi sicuramente
noriyuki haga e colin edwards
cosa e come cambia da girare otto ore
ormai otto ore di suzuka non e’ la gara di enduro
mi sembra che sia la gara velocita’ di un’ora * 8volte
abbiamo capito la honda sempre competitiva alla fine
luglio a suzuka pero’ dopo aver capito l’annucia
che partecipa colin edwards e haga
avevo gia capito la grande determinazione della iwata
allora vediamo!!
allora come va la slovacca?
2006年7月4日 日常gli ultimi anni quasi tutti paesi dove funziona il
parlamento
non solo una partita vince mai mai mai
per questo la paritita che tiene la magioranza
pensa di partnar per cominciare loro attivita’
gli adulti non volevano una paritia che vince e
regna tutti
e allora la republica slovacca
ho gia capito che abbia il grande nazionalismo
infatti percio’ loro facevano divorzio fra loro e
cechi
ormai la slovacca non e’ lo stato della republica
cecaslovacca
ebbero voluto loro stato percio’ si chiama
la republica slovacca
dopo aver detto bye bye ai cechi
loro leader ebbe avuto il grande nazionalismo
ebbe capito loro pensiero cioe’ volevano loro paese
e loro indipendente
pero’ questo qualche volta il mentalita’ pericoroso
come contro altri paesi e minoranze al territore della
slovacca
sentivo tante differenza fra ceca e slovacca
in giappone anche in italia tanti ancora si chiama
cecaslovacca pero’ qualcosa simile fra di loro
anche ci sono tante differenze
allora ha finito l’elezione
se avesse fatto qualche boom a bratislava
il grande nazionalista arriva al posto di top
e pensa di fare il colaudatore come i primi anni
della republica slovacca
dobbiamo pensare di loro futuro
il grande nazinalismo puo’ dare contro minoranze e
stranieri
parlamento
non solo una partita vince mai mai mai
per questo la paritita che tiene la magioranza
pensa di partnar per cominciare loro attivita’
gli adulti non volevano una paritia che vince e
regna tutti
e allora la republica slovacca
ho gia capito che abbia il grande nazionalismo
infatti percio’ loro facevano divorzio fra loro e
cechi
ormai la slovacca non e’ lo stato della republica
cecaslovacca
ebbero voluto loro stato percio’ si chiama
la republica slovacca
dopo aver detto bye bye ai cechi
loro leader ebbe avuto il grande nazionalismo
ebbe capito loro pensiero cioe’ volevano loro paese
e loro indipendente
pero’ questo qualche volta il mentalita’ pericoroso
come contro altri paesi e minoranze al territore della
slovacca
sentivo tante differenza fra ceca e slovacca
in giappone anche in italia tanti ancora si chiama
cecaslovacca pero’ qualcosa simile fra di loro
anche ci sono tante differenze
allora ha finito l’elezione
se avesse fatto qualche boom a bratislava
il grande nazionalista arriva al posto di top
e pensa di fare il colaudatore come i primi anni
della republica slovacca
dobbiamo pensare di loro futuro
il grande nazinalismo puo’ dare contro minoranze e
stranieri
でもってスロバキアはどうなる。
2006年7月4日 日常議会制民主主義の制度を採っているどこの国でも、近年は一党
が多数を占めるということはなく、有権者がある程度の力の
均衡を求めた投票行動を取っている場所が多い気がします。
スロバキアという国も今回の選挙で一党が過半数を取るような
ことはなかったのですが、どうも穏やかでない状況になりそう
です。
まぁ、スロバキア人というのは愛国心が強くて、それが
チェコスロバキアという形態から独立を選び、スロバキア
共和国になり、メチアルというリーダーを選んだ歴史が
ありました。
私は日本語が母国語で二番目がイタリア語なので日本人や
イタリア人と話すことが多いのですが、よくチェコスロバキア
という言い方をいまだにする人が多いのですが、共通点も
多い二つの国ですが、かなりの相違点も感じます。
まぁ、スロバキアという国の人々が母国を愛するのはいいの
ですが、それが閉鎖性を生んだり、少数民族やほかの民族に
対する圧力を作らないことを願いますね。
が多数を占めるということはなく、有権者がある程度の力の
均衡を求めた投票行動を取っている場所が多い気がします。
スロバキアという国も今回の選挙で一党が過半数を取るような
ことはなかったのですが、どうも穏やかでない状況になりそう
です。
まぁ、スロバキア人というのは愛国心が強くて、それが
チェコスロバキアという形態から独立を選び、スロバキア
共和国になり、メチアルというリーダーを選んだ歴史が
ありました。
私は日本語が母国語で二番目がイタリア語なので日本人や
イタリア人と話すことが多いのですが、よくチェコスロバキア
という言い方をいまだにする人が多いのですが、共通点も
多い二つの国ですが、かなりの相違点も感じます。
まぁ、スロバキアという国の人々が母国を愛するのはいいの
ですが、それが閉鎖性を生んだり、少数民族やほかの民族に
対する圧力を作らないことを願いますね。
イタリア選手権 ミザノアドレアティコ
2006年7月3日 スポーツミザノアドレアティコで行われたイタリア選手権。
スーパースポートクラスはマッシモ・ロッコリが優勝
しました。先週の世界選手権と同じ舞台で行われた
イタリア選手権での戦いにも優勝で今の彼の勢いを
感じますね。
若いライダーにとってたくさん走ることの重要性は
大きく、その走る場がレベルが高いほど学習すること
は多くなり、成長が早くなると思います。
このイタリア選手権のレース。ライバルにはチームメイトの
ヴィッツィエッロに、カワサキを走らせるミッリョラーティ、
クルチャーニ、ホンダの600ではサンナ、ドゥカティの
カネパとタフな相手がいるレースで戦い優勝したわけですから
彼の能力と今の勢いは本物だと思いますね。
次の世界選手権はチェコのブルノ。彼がどんなレースを見せてくれる
か楽しみです。
スーパースポートクラスはマッシモ・ロッコリが優勝
しました。先週の世界選手権と同じ舞台で行われた
イタリア選手権での戦いにも優勝で今の彼の勢いを
感じますね。
若いライダーにとってたくさん走ることの重要性は
大きく、その走る場がレベルが高いほど学習すること
は多くなり、成長が早くなると思います。
このイタリア選手権のレース。ライバルにはチームメイトの
ヴィッツィエッロに、カワサキを走らせるミッリョラーティ、
クルチャーニ、ホンダの600ではサンナ、ドゥカティの
カネパとタフな相手がいるレースで戦い優勝したわけですから
彼の能力と今の勢いは本物だと思いますね。
次の世界選手権はチェコのブルノ。彼がどんなレースを見せてくれる
か楽しみです。
竹仲絵里のアルバムは素晴らしい。
2006年7月1日 音楽二月というヴァレンタイン商戦の最中に出色にして傑作の
ロストラブソングを世に出し、各FM局のパワープレイに
採用され、多くの人の支持を集めた竹仲絵里。その彼女が
今までのシングル作品に、CD化していなかった過去の作品や
新作をプラスして十二曲入りのフルアルバムを発売しました。
過去の竹仲と現在の絵里。そして現在進行形の彼女の表現者
としての土壌に熱や空気が混ざり、美しい化学反応を起こした
作品がまさにこの作品群となっています。
彼女のペルソナはどんなものだろうか。プライベートの彼女は
知りませんが、様々なことを経験したり、感じたりしたことが
全て作品に昇華されています。
もちろん、『サヨナラ サヨナラ』もは入っていますし、
『alice』も聴くことができます。
島谷ひとみが『亜麻色の髪の乙女』を歌うために生命を
与えられた存在であるように、竹仲絵里はこのアルバムを
出すために生まれてきたのでしょう。この作品は彼女で
なければ作ることができなかったはずですし、彼女だからこそ
作ることができた美しいアルバムです。
このアルバムの価格は何と二千円。この値段が安いと思える
曲の数々であり、彼女の美しいハイトーンボイスが縦糸に、
彼女らしい曲が横糸になって、美しい自己表現という名前の
衣装を作り上げています。
生の竹仲絵里に会いたくなる。そんなアルバムです。
ロストラブソングを世に出し、各FM局のパワープレイに
採用され、多くの人の支持を集めた竹仲絵里。その彼女が
今までのシングル作品に、CD化していなかった過去の作品や
新作をプラスして十二曲入りのフルアルバムを発売しました。
過去の竹仲と現在の絵里。そして現在進行形の彼女の表現者
としての土壌に熱や空気が混ざり、美しい化学反応を起こした
作品がまさにこの作品群となっています。
彼女のペルソナはどんなものだろうか。プライベートの彼女は
知りませんが、様々なことを経験したり、感じたりしたことが
全て作品に昇華されています。
もちろん、『サヨナラ サヨナラ』もは入っていますし、
『alice』も聴くことができます。
島谷ひとみが『亜麻色の髪の乙女』を歌うために生命を
与えられた存在であるように、竹仲絵里はこのアルバムを
出すために生まれてきたのでしょう。この作品は彼女で
なければ作ることができなかったはずですし、彼女だからこそ
作ることができた美しいアルバムです。
このアルバムの価格は何と二千円。この値段が安いと思える
曲の数々であり、彼女の美しいハイトーンボイスが縦糸に、
彼女らしい曲が横糸になって、美しい自己表現という名前の
衣装を作り上げています。
生の竹仲絵里に会いたくなる。そんなアルバムです。
エリアスの代役でMotoGPバイクをライド
2006年6月29日 スポーツスペイン人とスポンサーはダビデ・デ ヘアの名前を呼びつつ
フォンシ・二エトの存在を考え、
イギリスではジェームス・トーズランドの可能性を感じながら
アレックス・バロスの名前を挙げていたエリアスの代役選び
ですが、ここに来て、ミッシェル・ファブリッツィオで決定と
なり発表されました。
まぁ、他の候補に挙がったライダーより、ホンダヨーロッパとの
関係性が強く、イタリア人だったことや少し前に他社製のマシン
とは言えMotoGPマシンを走らせた経験があったことなどが
大きな決定要因であったような気がします。
私とミッシェルというのは不思議な縁がありまして、
彼がMotoGPの125でのチャレンジが失敗に終わり、
アルスタースズキでユーロスーパーストック(現在はFIMカップ
ストック1000選手権に改組)選手権に参戦していたときは
手強いライバルとして見ていて、その後、MotoGPのWCMで
走ることになったときは驚きながらも、彼の活躍ぶりを
評価し、昨年のスーパースポートで走っていたときは彼に
近い場所にいました。
まぁ、よくも悪くもローマ人ですね。彼の言葉にしても
行動様式にしてもリミネーゼやロマニョーロの私には、
あるいは日本人にはちょっと付き合うには難しい部分が存在
すると思います。
ライダーとしてはというと、、、、これが評価が難しい。
つまり、昨年は同じチーム、同じ道具でファビアン・フォレ
と一緒に走っていました。
この元世界王者はアッセンで何ともファンタスティックな優勝を
挙げました。(この時の事に関しては過去のレポートで
http://diarynote.jp/d/59911/_228_290.html)
しかし、彼はシーズンエンドまで結局勝つことができずに
終わってしまいました。
ライディングスタイルに大きな違いが存在し、さらに
三ヶ国語を話すフォレに対して、イタリア語のみのファブ
リッツィオ。
コースの印象やマシンの挙動を的確に英語なり、イタリア語
で表現するフランス人に対して、感じることはできるが
言葉にうまく表現できない、あるいは脳の中で消化できずに
うまく伝えることができないローマ人。
その違いがアッセンのサスペンションセッティングを完璧に
決めて、タイヤをうまく使って、勝てる態勢を作り上げて
自信を持って走って勝つことができたフォレと100%では
ないマシンながら悪くないタイムで走り三位となった
ファブリッツィオの違いだったと思います。
このことはミッシェル・ファブリッツィオというライダーの
最良の部分と最悪の部分を象徴していますね。
100%とは言えないマシンでありながらライダーの技量で
トップレベルのタイムをたたき出し、終盤まで優勝争い
できるレース展開をするというのはいいライダーであると
思います。
その一方で、マシンの開発能力という部分では、マシンの
悪いところ、つぶさなければいけないネガティブな部分を
指摘したり、正しい方向性を示したりできないでいる。
マシンの動きやコースとの相性、マシンのサーキット各部での
あり方を感じることはできるが言葉にできずにエンジニア
やメカニック、サスペンションスペシャリストやタイヤ
担当者が何でそういう状況でありながら、結構いいタイムで
走ることができるのか理解できないということが起きてしまう。
WCM時代の彼というのは、チームが弱小であり、予算も限られて
いて、少数サポートのダンロップタイヤでやりたいことも
やれることも限られている中で、重いバイクを与えられた条件
と道具で思い切り走るライダーを求めていて、その
チームの求めたことを理解して、限界まで攻めた走りを
することで評価を高めました。
ところが昨年のスーパースポートとスーパーバイクというのは
そういうチームとは違い勝てる環境と道具を与えられてい
ながら、彼の欠落している部分が影響して勝てないでいます。
まぁ、今回は一戦だけということですが、チームとホンダは
彼にオファーを出して急に走ることになったわけでマシンの
キャラクターやミシュランタイヤの性能などわからなかったり、
感じたことがない道具でできるだけの成績を挙げて欲しい
と考えているのか、勝って欲しいと考えているのか
知りたい私です。
フォンシ・二エトの存在を考え、
イギリスではジェームス・トーズランドの可能性を感じながら
アレックス・バロスの名前を挙げていたエリアスの代役選び
ですが、ここに来て、ミッシェル・ファブリッツィオで決定と
なり発表されました。
まぁ、他の候補に挙がったライダーより、ホンダヨーロッパとの
関係性が強く、イタリア人だったことや少し前に他社製のマシン
とは言えMotoGPマシンを走らせた経験があったことなどが
大きな決定要因であったような気がします。
私とミッシェルというのは不思議な縁がありまして、
彼がMotoGPの125でのチャレンジが失敗に終わり、
アルスタースズキでユーロスーパーストック(現在はFIMカップ
ストック1000選手権に改組)選手権に参戦していたときは
手強いライバルとして見ていて、その後、MotoGPのWCMで
走ることになったときは驚きながらも、彼の活躍ぶりを
評価し、昨年のスーパースポートで走っていたときは彼に
近い場所にいました。
まぁ、よくも悪くもローマ人ですね。彼の言葉にしても
行動様式にしてもリミネーゼやロマニョーロの私には、
あるいは日本人にはちょっと付き合うには難しい部分が存在
すると思います。
ライダーとしてはというと、、、、これが評価が難しい。
つまり、昨年は同じチーム、同じ道具でファビアン・フォレ
と一緒に走っていました。
この元世界王者はアッセンで何ともファンタスティックな優勝を
挙げました。(この時の事に関しては過去のレポートで
http://diarynote.jp/d/59911/_228_290.html)
しかし、彼はシーズンエンドまで結局勝つことができずに
終わってしまいました。
ライディングスタイルに大きな違いが存在し、さらに
三ヶ国語を話すフォレに対して、イタリア語のみのファブ
リッツィオ。
コースの印象やマシンの挙動を的確に英語なり、イタリア語
で表現するフランス人に対して、感じることはできるが
言葉にうまく表現できない、あるいは脳の中で消化できずに
うまく伝えることができないローマ人。
その違いがアッセンのサスペンションセッティングを完璧に
決めて、タイヤをうまく使って、勝てる態勢を作り上げて
自信を持って走って勝つことができたフォレと100%では
ないマシンながら悪くないタイムで走り三位となった
ファブリッツィオの違いだったと思います。
このことはミッシェル・ファブリッツィオというライダーの
最良の部分と最悪の部分を象徴していますね。
100%とは言えないマシンでありながらライダーの技量で
トップレベルのタイムをたたき出し、終盤まで優勝争い
できるレース展開をするというのはいいライダーであると
思います。
その一方で、マシンの開発能力という部分では、マシンの
悪いところ、つぶさなければいけないネガティブな部分を
指摘したり、正しい方向性を示したりできないでいる。
マシンの動きやコースとの相性、マシンのサーキット各部での
あり方を感じることはできるが言葉にできずにエンジニア
やメカニック、サスペンションスペシャリストやタイヤ
担当者が何でそういう状況でありながら、結構いいタイムで
走ることができるのか理解できないということが起きてしまう。
WCM時代の彼というのは、チームが弱小であり、予算も限られて
いて、少数サポートのダンロップタイヤでやりたいことも
やれることも限られている中で、重いバイクを与えられた条件
と道具で思い切り走るライダーを求めていて、その
チームの求めたことを理解して、限界まで攻めた走りを
することで評価を高めました。
ところが昨年のスーパースポートとスーパーバイクというのは
そういうチームとは違い勝てる環境と道具を与えられてい
ながら、彼の欠落している部分が影響して勝てないでいます。
まぁ、今回は一戦だけということですが、チームとホンダは
彼にオファーを出して急に走ることになったわけでマシンの
キャラクターやミシュランタイヤの性能などわからなかったり、
感じたことがない道具でできるだけの成績を挙げて欲しい
と考えているのか、勝って欲しいと考えているのか
知りたい私です。
結構豪華なミザノのイタリア選手権
2006年6月28日 スポーツ日曜日の世界選手権のレースのウィナーと二位のライダーが
そのまま同じサーキットで同じカテゴリーを走る。そんなこと
日本では考えられませんが、イタリアのミザノでは十分に
予想できたことであり、それが実現します。
リミネーゼ(それ故に私と同じようなイタリア語のなまりになる)
マッシモ・ロッコリとフィオレンティーノ(いわゆる標準な
言葉でイタリア人がイタリア語というとこの地方の方言をさす)
のシモーネ・サンナがR6とCBRでバトルを展開します。
リピートなのかリベンジなのか、あるいはヴィッツィエッロ、
クルチャーニ、ジュウゴバス、ミッリョラーティ、カネパと
いった連中がウィナーズサークルにやって来るのか、興味は
つきません。
さらに、スーパーバイククラスにはドリアーノ・ロンボニが
ライダーとして戻ってくるという話が持ち上がっています。
何やら豪華さを感じるイタリア選手権のミザノとなりそうです。
そのまま同じサーキットで同じカテゴリーを走る。そんなこと
日本では考えられませんが、イタリアのミザノでは十分に
予想できたことであり、それが実現します。
リミネーゼ(それ故に私と同じようなイタリア語のなまりになる)
マッシモ・ロッコリとフィオレンティーノ(いわゆる標準な
言葉でイタリア人がイタリア語というとこの地方の方言をさす)
のシモーネ・サンナがR6とCBRでバトルを展開します。
リピートなのかリベンジなのか、あるいはヴィッツィエッロ、
クルチャーニ、ジュウゴバス、ミッリョラーティ、カネパと
いった連中がウィナーズサークルにやって来るのか、興味は
つきません。
さらに、スーパーバイククラスにはドリアーノ・ロンボニが
ライダーとして戻ってくるという話が持ち上がっています。
何やら豪華さを感じるイタリア選手権のミザノとなりそうです。
何かが始まる序曲なのか
2006年6月27日 スポーツSBKのミザノアドレアティコ。日本人のレースファンは
あまり、注目していないのでしょうが、STK1000とU-18STK600
の結果というのは何か近い将来に面白いことが起きそうなことを
想像してしまうものがありました。
まずはSTK1000。ポリータの勝利は想定内ものであり、予想が
十分ついたものでしたが、MVアグスタを駆るイタリア人二人
バドヴィーニとスカッサが表彰台に登るというのは考えられ
なかったですね。
今季のアグスタ勢の活躍ぶりはひょっとしたら来年には
SBK世界選手権に出てくるなんてこともあり得るかも知れません。
まぁ、ずっと前からドイツ選手権を戦っているトイヘルト
はやりたいと訴えていますけどね。
そして、STK600ですが、シメオンのスズキとカネパの
ドゥカティの二人以外に誰が戦えるレベルに達するのかと
思っていたのですが、赤旗中断ということになりましたが、
カワサキライトスピードのジュリアーノがミザノを制しました。
チームにとってミザノというのは、同じエミリアロマーニャ
州で行われるレースであり、大きな意味を持つ舞台だったの
ですが、カワサキがこのカテゴリーで勝ったこと、シメオンと
カネパにドッグファイトを挑むことができたこと、そして、
独走するライダーが出なかったことなど色々な興味を持つ
レースとなりました。
何かが生まれ、何かが崩れたミザノ。ファイターたちによる
協奏曲は続きます。
あまり、注目していないのでしょうが、STK1000とU-18STK600
の結果というのは何か近い将来に面白いことが起きそうなことを
想像してしまうものがありました。
まずはSTK1000。ポリータの勝利は想定内ものであり、予想が
十分ついたものでしたが、MVアグスタを駆るイタリア人二人
バドヴィーニとスカッサが表彰台に登るというのは考えられ
なかったですね。
今季のアグスタ勢の活躍ぶりはひょっとしたら来年には
SBK世界選手権に出てくるなんてこともあり得るかも知れません。
まぁ、ずっと前からドイツ選手権を戦っているトイヘルト
はやりたいと訴えていますけどね。
そして、STK600ですが、シメオンのスズキとカネパの
ドゥカティの二人以外に誰が戦えるレベルに達するのかと
思っていたのですが、赤旗中断ということになりましたが、
カワサキライトスピードのジュリアーノがミザノを制しました。
チームにとってミザノというのは、同じエミリアロマーニャ
州で行われるレースであり、大きな意味を持つ舞台だったの
ですが、カワサキがこのカテゴリーで勝ったこと、シメオンと
カネパにドッグファイトを挑むことができたこと、そして、
独走するライダーが出なかったことなど色々な興味を持つ
レースとなりました。
何かが生まれ、何かが崩れたミザノ。ファイターたちによる
協奏曲は続きます。
SBKサンマリノラウンド ミザノの想定内と想定外
2006年6月26日 スポーツ二つのメーカー、二人のトロイによる世界一への争いになると
思われたミザノアドレアティコ。しかしながら、その予想は
ある部分的中し、かなりの部分は否定される結果になりました。
トロイ・ベイリスというライダーにとって、ミザノはどんな
場所なのだろうか。そして、アプリリア時代にここを疾走して
勝利を収めたコーサーにとって何を意味する場所なのだろうか。
勝利を目指し、頂上を奪おうとする二人のトロイは予選二日目
まで互角の戦いを繰り広げました。
この二人によるアナザープラネットのバトルにしなかったのが
今回からエレトリックトラクションコントロールというニュー
ウェポンを投入したと言われるテンカーテホンダの
トーズランド。スーパーポールの一発の速さでポールゲッター
として日曜日を迎えました。
暑いイタリアの夏。そして、ミザノの天候。そんな中、二人の
トロイとトーズランドのバトルに誰が絡んでいけるのかと
思っていたレース1ですが、コーサーはなんと転倒リタイア。
トーズランドが逃げをうつレースをしっかりと後ろから
計算しながら走り、行けるところと抑えるところを
理解し、自らの作戦を実行に移したベイリスがイギリス人
を抜き去り、そのままリードを築いてフィニッシュ。
なんとこれで九連勝ということでポイントテーブルも
かなりのアドバンテージを奪うことに成功しました。
二番手にトーズランド。三位には加賀山が久しぶりの表彰台
をゲットし、以下、中盤からハイペースでの走行が可能にな
ったバロス、ヤマハ勢最速の芳賀が五位というレース1でした。
レース2の想定内はレース1のリプレイを見ているような
前半のレース展開。しかし、そこから想定外の出来事が
アドリア海の波のように押し寄せてきました。
まず、ベイリスを追いかけなければいけないコーサーが
転倒リタイア。そして、ここまで絶好調でこのレースでも
ウィナーの可能性の高かったベイリスが転倒。
これでトーズランドに優勝の可能性が高まったかに思えた
のですが、なんとコースアウト。再びコース上に戻ったものの
タイムを大きくロスしてしまいました。
これでトップに立ったのがヤマハのそれも
優勝経験の豊富な芳賀ではなく、今季のカタールが初の
表彰台のピットでした。
ヤマハのリッターバイク最高傑作のR1を駆るこのオージーは
コンスタントに高いレベルの走りを重ねました。
この元スーパースポート世界王者を追いかけるのが、
芳賀、ウォーカー、加賀山といったところでしたが、
この三人に追いつき、追い越して行ったのが、かつて
カジバでGPでここで素晴らしいパフォーマンスを発揮
したことのあるバロスと彼のCBRでした。
二位に踊り出て、さらに自分の庭といっていいサーキット
(彼はグレシーニホンダ時代、ここの付近に住んでいました)
さらにトップを狙い追撃をしたものの、前半のスタートミスと
序盤でのタイム差を詰めきることができずに、何とピットが
ここでスーパーバイククラス初勝利をあげました。
二位にバロス。三位には芳賀とヤマハは前世紀以来の
表彰台2ポジションゲットという成績となりました。
四位にチームの地元でハッスルしたウォーカー、
五位に加賀山という順位。
レースは何が起きるかわかりませんが、必然と偶然が
重なり、絡み合ったレースとなったレース2でした。
思われたミザノアドレアティコ。しかしながら、その予想は
ある部分的中し、かなりの部分は否定される結果になりました。
トロイ・ベイリスというライダーにとって、ミザノはどんな
場所なのだろうか。そして、アプリリア時代にここを疾走して
勝利を収めたコーサーにとって何を意味する場所なのだろうか。
勝利を目指し、頂上を奪おうとする二人のトロイは予選二日目
まで互角の戦いを繰り広げました。
この二人によるアナザープラネットのバトルにしなかったのが
今回からエレトリックトラクションコントロールというニュー
ウェポンを投入したと言われるテンカーテホンダの
トーズランド。スーパーポールの一発の速さでポールゲッター
として日曜日を迎えました。
暑いイタリアの夏。そして、ミザノの天候。そんな中、二人の
トロイとトーズランドのバトルに誰が絡んでいけるのかと
思っていたレース1ですが、コーサーはなんと転倒リタイア。
トーズランドが逃げをうつレースをしっかりと後ろから
計算しながら走り、行けるところと抑えるところを
理解し、自らの作戦を実行に移したベイリスがイギリス人
を抜き去り、そのままリードを築いてフィニッシュ。
なんとこれで九連勝ということでポイントテーブルも
かなりのアドバンテージを奪うことに成功しました。
二番手にトーズランド。三位には加賀山が久しぶりの表彰台
をゲットし、以下、中盤からハイペースでの走行が可能にな
ったバロス、ヤマハ勢最速の芳賀が五位というレース1でした。
レース2の想定内はレース1のリプレイを見ているような
前半のレース展開。しかし、そこから想定外の出来事が
アドリア海の波のように押し寄せてきました。
まず、ベイリスを追いかけなければいけないコーサーが
転倒リタイア。そして、ここまで絶好調でこのレースでも
ウィナーの可能性の高かったベイリスが転倒。
これでトーズランドに優勝の可能性が高まったかに思えた
のですが、なんとコースアウト。再びコース上に戻ったものの
タイムを大きくロスしてしまいました。
これでトップに立ったのがヤマハのそれも
優勝経験の豊富な芳賀ではなく、今季のカタールが初の
表彰台のピットでした。
ヤマハのリッターバイク最高傑作のR1を駆るこのオージーは
コンスタントに高いレベルの走りを重ねました。
この元スーパースポート世界王者を追いかけるのが、
芳賀、ウォーカー、加賀山といったところでしたが、
この三人に追いつき、追い越して行ったのが、かつて
カジバでGPでここで素晴らしいパフォーマンスを発揮
したことのあるバロスと彼のCBRでした。
二位に踊り出て、さらに自分の庭といっていいサーキット
(彼はグレシーニホンダ時代、ここの付近に住んでいました)
さらにトップを狙い追撃をしたものの、前半のスタートミスと
序盤でのタイム差を詰めきることができずに、何とピットが
ここでスーパーバイククラス初勝利をあげました。
二位にバロス。三位には芳賀とヤマハは前世紀以来の
表彰台2ポジションゲットという成績となりました。
四位にチームの地元でハッスルしたウォーカー、
五位に加賀山という順位。
レースは何が起きるかわかりませんが、必然と偶然が
重なり、絡み合ったレースとなったレース2でした。
sicuramente non c’era il campione del mondo
seb charpentier poi non si era trovato alla pista
di misano il giapponese katsuaki fujiwara
tutti piloti che partecipano la gara di campionato
supersport mondiale
vengono da vincere alla pista romagnola
dopo aver sentito la grade chance dominare la questa gara
fino sabato abbiamo capito altre atmosferie
al secondo posto il sostuito di fujiwara
simone sanna con megabike honda poi terzo massimo roccoli
su r6 subito dopo altre il pilota della yamaha
davide checa ha ha capito la sua forma sulla moto di
supersport poi il ducatista austoriaco zaizer
faceva il grande lavoro
avevo capito il scenario viverso
la gara di misano c’era il duello duro fra
roccoli e sanna solo loro agli ultimi giri potevano
girare come preferivano
fino a silverstone solamente i francesi vincevano
charpentier e tiberio
prima di arrivare a misano solo CBR600 dominava
le gare di supersport al questo anno
il piccolino pilota sulla R6 ha distrutto il recordo
della questa stagione
massimo roccoli non ha perso la strada per la vittoria
e girava con la grande determinazione
e il pilota che sentiva la bandiera scacchi per la
prima volta davanti ai tutti
sulla mia blog avevo gia fatto l’intervista di roccoli
volevo farvi conoscere il pilota forte alla categoria
supersport
poi avevo capito il pilota che ha molto determinato
sopratutto dopo aver montato il suo casco
senza il pilota della honda poi nessun francese non
si era trovato al posto davanti a roccoli
finalmente arriva al posto giusto
faceva bella gara a monza come il migliore pilota della
yamaha davanti alla moto ufficialissimo cbr600 di sofuoglu
il periodo di gara a misano
mi sembra che sia il nuovo compleanno per lui
e la sua squadra
massimo roccoli che e’ ri-nato come il nuovo protagonista
nel 2006
quando ritornano seb charpentier e katsuaki fujiwara
cosa e come puo’ fare massimo sulla sua r6
possiamo capire il suo valore
da oggi massimo roccoli si trova come il brutto cliente
davanti ai tutti rivali alla classe di supersport
seb charpentier poi non si era trovato alla pista
di misano il giapponese katsuaki fujiwara
tutti piloti che partecipano la gara di campionato
supersport mondiale
vengono da vincere alla pista romagnola
dopo aver sentito la grade chance dominare la questa gara
fino sabato abbiamo capito altre atmosferie
al secondo posto il sostuito di fujiwara
simone sanna con megabike honda poi terzo massimo roccoli
su r6 subito dopo altre il pilota della yamaha
davide checa ha ha capito la sua forma sulla moto di
supersport poi il ducatista austoriaco zaizer
faceva il grande lavoro
avevo capito il scenario viverso
la gara di misano c’era il duello duro fra
roccoli e sanna solo loro agli ultimi giri potevano
girare come preferivano
fino a silverstone solamente i francesi vincevano
charpentier e tiberio
prima di arrivare a misano solo CBR600 dominava
le gare di supersport al questo anno
il piccolino pilota sulla R6 ha distrutto il recordo
della questa stagione
massimo roccoli non ha perso la strada per la vittoria
e girava con la grande determinazione
e il pilota che sentiva la bandiera scacchi per la
prima volta davanti ai tutti
sulla mia blog avevo gia fatto l’intervista di roccoli
volevo farvi conoscere il pilota forte alla categoria
supersport
poi avevo capito il pilota che ha molto determinato
sopratutto dopo aver montato il suo casco
senza il pilota della honda poi nessun francese non
si era trovato al posto davanti a roccoli
finalmente arriva al posto giusto
faceva bella gara a monza come il migliore pilota della
yamaha davanti alla moto ufficialissimo cbr600 di sofuoglu
il periodo di gara a misano
mi sembra che sia il nuovo compleanno per lui
e la sua squadra
massimo roccoli che e’ ri-nato come il nuovo protagonista
nel 2006
quando ritornano seb charpentier e katsuaki fujiwara
cosa e come puo’ fare massimo sulla sua r6
possiamo capire il suo valore
da oggi massimo roccoli si trova come il brutto cliente
davanti ai tutti rivali alla classe di supersport
SBKサンマリノラウンド SSクラス 新しいスターの誕生か。
2006年6月25日 スポーツ確かにシャーペンティエの不在はあきらかであった。藤原も
日本で静養中であった。強力なライダー二人がいない中で
優勝を奪うために牙を磨いてミザノアドレアティコに乗り込んで
きた世界の列強たち。藤原の代役のサンナの予選二位や
イタリア選手権で何度も走ったことのあるロッコリの三番手、
ようやく本来の実力を発揮し始めた感のあるダヴィデ・チェカの
予選四番手、ドゥカティSSマシンのいいところを活かした
ザイゼルの好パフォーマンスなど波乱を起こす空気は
アドリア海に面したサーキットに横溢していたのですが、
レースの結果を見て驚きました。
マッシモ・ロッコリとシモーネ・サンナの優勝争いという
いつもとは違う見慣れない光景になった戦い。
このレースを制したのは、マッシモ・ロッコリでした。
ここまでフランス人が勝ち続け、ホンダCBRのライダーのみが
勝利を奪っていた中、そんな日常をぶち破り、秩序を破壊
したのはマッシモ・ロッコリでした。
二位にサンナ、三位にヤマハジャーマニーのパークス。
このロッコリの優勝は新しい何かの始まりなのでしょうか。
スター誕生の瞬間がこのレースウィークにやってきたのでしょうか。
この私のブログにおいて今季スーパースポート世界選手権参戦
という新しい挑戦を始めたマッシモ・ロッコリのインタビューを
お届けしました。私の文章を愛読していただいている皆様には
より深くこの勝利の意味が理解できることでしょう。
そして、私がなぜ日本のレースファンの
皆様に彼のことを取り上げて、知っていただきたかったか
わかっていただけたのではないかと思っています。
マッシモ・ロッコリの優勝は新しい何かを生み出すはずです。
日本で静養中であった。強力なライダー二人がいない中で
優勝を奪うために牙を磨いてミザノアドレアティコに乗り込んで
きた世界の列強たち。藤原の代役のサンナの予選二位や
イタリア選手権で何度も走ったことのあるロッコリの三番手、
ようやく本来の実力を発揮し始めた感のあるダヴィデ・チェカの
予選四番手、ドゥカティSSマシンのいいところを活かした
ザイゼルの好パフォーマンスなど波乱を起こす空気は
アドリア海に面したサーキットに横溢していたのですが、
レースの結果を見て驚きました。
マッシモ・ロッコリとシモーネ・サンナの優勝争いという
いつもとは違う見慣れない光景になった戦い。
このレースを制したのは、マッシモ・ロッコリでした。
ここまでフランス人が勝ち続け、ホンダCBRのライダーのみが
勝利を奪っていた中、そんな日常をぶち破り、秩序を破壊
したのはマッシモ・ロッコリでした。
二位にサンナ、三位にヤマハジャーマニーのパークス。
このロッコリの優勝は新しい何かの始まりなのでしょうか。
スター誕生の瞬間がこのレースウィークにやってきたのでしょうか。
この私のブログにおいて今季スーパースポート世界選手権参戦
という新しい挑戦を始めたマッシモ・ロッコリのインタビューを
お届けしました。私の文章を愛読していただいている皆様には
より深くこの勝利の意味が理解できることでしょう。
そして、私がなぜ日本のレースファンの
皆様に彼のことを取り上げて、知っていただきたかったか
わかっていただけたのではないかと思っています。
マッシモ・ロッコリの優勝は新しい何かを生み出すはずです。
in giappone ci furono 2 gare di motomondiale e una gara
di superbike pero’ 8ore di suzuka sempre la gara
speciale in giappone
fine luglio a suzuka tanti appasionati della gara
vengono vederla questa gara
al mondo del motociclismo costano caro da partecipare
i marchi giganti giapponesi la honda la yamaha
la suzuki e la kawasaki ebbero partecipato alla gara
di 8ore anzi gli ultimi anni solamente la honda
sistema la forma ufficiale da vincere
invece altri marchi non partecipano come la honda
dopo aver sentito 10 anni dal perso
come economia tanti sponsor ebbero detto basta
da girare
ho capito che sia difficile partecipare con grossi soldi
poi tanti piloti non volevano venire in giappone
al periodo della vacanza
per questo ebbero mancato tanti partecipanti
gli ultimi anni e gli appasionati non vengono a suzuka
come negli anni 80 e i primi anni 90
pero’ questo anno su r1 che e’ capolavoro del litro
della casa di iwata
salgono il pilota di nagoya haga e insieme con
texas tornade edwards
mi sembra che sia bellissima notizia per tutti
a cui interessa 8ore di suzuka
haga che abita a nagoya dove si trova solamente 70chilometri
dalla pista di suzuka
haga che e’ famoso e il pilota forte e popolare
pero’ non c’e’ la opportunita’ vedere il suo giro
in giappone negli ultimi anni dopo aver perso
la gara di superbike a sugo
poi edwards e’ il pilota molto impressionato
ebbe vinto haga sulla yamaha poi girava su litro della
honda con valentino rossi
sicuramente la r1 e’ il capolavoro della yamaha
e comincia combattere fra il supermisto
nagoya-texas e le squadre ufficiale della honda
cosa ci sara cosa non manca cosa va e cosa succedera’
posso immaginare la bellissima opera lirica sulla pista
i staff della yamaha prepara il set da suonare e ballare
vediamo il nagoya jin volante e il texas tornade
cosa e come fanno loro
vediamo!!
di superbike pero’ 8ore di suzuka sempre la gara
speciale in giappone
fine luglio a suzuka tanti appasionati della gara
vengono vederla questa gara
al mondo del motociclismo costano caro da partecipare
i marchi giganti giapponesi la honda la yamaha
la suzuki e la kawasaki ebbero partecipato alla gara
di 8ore anzi gli ultimi anni solamente la honda
sistema la forma ufficiale da vincere
invece altri marchi non partecipano come la honda
dopo aver sentito 10 anni dal perso
come economia tanti sponsor ebbero detto basta
da girare
ho capito che sia difficile partecipare con grossi soldi
poi tanti piloti non volevano venire in giappone
al periodo della vacanza
per questo ebbero mancato tanti partecipanti
gli ultimi anni e gli appasionati non vengono a suzuka
come negli anni 80 e i primi anni 90
pero’ questo anno su r1 che e’ capolavoro del litro
della casa di iwata
salgono il pilota di nagoya haga e insieme con
texas tornade edwards
mi sembra che sia bellissima notizia per tutti
a cui interessa 8ore di suzuka
haga che abita a nagoya dove si trova solamente 70chilometri
dalla pista di suzuka
haga che e’ famoso e il pilota forte e popolare
pero’ non c’e’ la opportunita’ vedere il suo giro
in giappone negli ultimi anni dopo aver perso
la gara di superbike a sugo
poi edwards e’ il pilota molto impressionato
ebbe vinto haga sulla yamaha poi girava su litro della
honda con valentino rossi
sicuramente la r1 e’ il capolavoro della yamaha
e comincia combattere fra il supermisto
nagoya-texas e le squadre ufficiale della honda
cosa ci sara cosa non manca cosa va e cosa succedera’
posso immaginare la bellissima opera lirica sulla pista
i staff della yamaha prepara il set da suonare e ballare
vediamo il nagoya jin volante e il texas tornade
cosa e come fanno loro
vediamo!!
鈴鹿八耐に芳賀、エドワーズ組参戦
2006年6月22日 スポーツ日本で一番お客さんが入るバイクレースの大会と言うのは
鈴鹿八耐になります。かつて、GPが二レース、SBKがSUGO
で開かれていた時でも八耐が一番お客さんが入っていて、
歴史のある、特別な空気の横溢した濃密なレースを肌で
感じました。
お金のかかるのが、モータースポーツであり、メーカーや
チームの方針というのも、世間の状況や周辺の環境によって
変化し、かつてのように日本の四大メーカーがワークスマシン
を使って覇権を競うという時代ではなくなり、寂しさを
感じる時間を見てきましたが、今年の八耐は何と芳賀と
エドワーズがR1というリッターバイクの傑作マシンで
の参戦が決まりました。
これはうれしかったですね。
やはり、芳賀というのはファンに人気があり、
彼の走りが好きだという人が世界中にいるのですが、
その彼が彼の家から70キロしか離れていないサーキットで
お客さんが日本のレースで一番詰め掛けるレースで走ること
の意味は大きいと思います。
また、その彼がかつてヤマハのファクトリー参戦体制で
優勝を挙げたパートナーであるエドワーズと共に戦う
というのもうれしい話です。
発売と同時に美しさと性能で多くのバイカーを魅了した
R1というマシンが名古屋人とテキサンのコンビでどんな
輝きを見せてくれるのか今から楽しみです。
鈴鹿八耐になります。かつて、GPが二レース、SBKがSUGO
で開かれていた時でも八耐が一番お客さんが入っていて、
歴史のある、特別な空気の横溢した濃密なレースを肌で
感じました。
お金のかかるのが、モータースポーツであり、メーカーや
チームの方針というのも、世間の状況や周辺の環境によって
変化し、かつてのように日本の四大メーカーがワークスマシン
を使って覇権を競うという時代ではなくなり、寂しさを
感じる時間を見てきましたが、今年の八耐は何と芳賀と
エドワーズがR1というリッターバイクの傑作マシンで
の参戦が決まりました。
これはうれしかったですね。
やはり、芳賀というのはファンに人気があり、
彼の走りが好きだという人が世界中にいるのですが、
その彼が彼の家から70キロしか離れていないサーキットで
お客さんが日本のレースで一番詰め掛けるレースで走ること
の意味は大きいと思います。
また、その彼がかつてヤマハのファクトリー参戦体制で
優勝を挙げたパートナーであるエドワーズと共に戦う
というのもうれしい話です。
発売と同時に美しさと性能で多くのバイカーを魅了した
R1というマシンが名古屋人とテキサンのコンビでどんな
輝きを見せてくれるのか今から楽しみです。
la bandiera rossa al gp a barcelona
2006年6月20日 スポーツal primo giro a montmelo c’era la bandiera rossa
dopo aver toccato fra di piloti
penso che sia normalissimo fermare la corsa
e cominciava sistemare ri partenza
i piloti cioe’ melandri capirossi e gibernau
non hanno perso loro vita e cercando di forzare
il loro forma per la loro prossima gara
se non stiano bene non possono arrivare alla pista
comunque non ha finito loro vita
il direzione della gara mi faceva pensare la cosa da
indimenticare
vuole dire l’ultima gara di daijiro kato a suzuka
dopo aver perso il controllo la sua ufficiale honda v5
non ebbe fatto niente
fu stato al posto dell’ultima curva a suzuka
subito tanti ebbero capito la situazione grave
pero’ non fu fermato la gara mai
la direzione della gara non ebbe indicato mai
la bandiera rossa e tutti altri piloti
furono passato all’ultima curva
poi i giapponesi ebbero potuto portare all’altre posto
dove furono i dottori
i staff della moto gp e tutti circuiti devono
pensare di mancanza al periodo dell’ultima gara di kato
bisogna credere di cura per i piloti
che stanno al vicinissimo posto della pista
dopo aver toccato fra di piloti
penso che sia normalissimo fermare la corsa
e cominciava sistemare ri partenza
i piloti cioe’ melandri capirossi e gibernau
non hanno perso loro vita e cercando di forzare
il loro forma per la loro prossima gara
se non stiano bene non possono arrivare alla pista
comunque non ha finito loro vita
il direzione della gara mi faceva pensare la cosa da
indimenticare
vuole dire l’ultima gara di daijiro kato a suzuka
dopo aver perso il controllo la sua ufficiale honda v5
non ebbe fatto niente
fu stato al posto dell’ultima curva a suzuka
subito tanti ebbero capito la situazione grave
pero’ non fu fermato la gara mai
la direzione della gara non ebbe indicato mai
la bandiera rossa e tutti altri piloti
furono passato all’ultima curva
poi i giapponesi ebbero potuto portare all’altre posto
dove furono i dottori
i staff della moto gp e tutti circuiti devono
pensare di mancanza al periodo dell’ultima gara di kato
bisogna credere di cura per i piloti
che stanno al vicinissimo posto della pista
MotoGPバルセロナ レッドフラッグ
2006年6月20日 スポーツ日曜日で行われたMotoGPのバルセロナでのオープニングラップ。
多重クラッシュが起きてしまい、赤旗が出されて中断し、
再スタートとなりました。
まぁ、当然といえば当然ですが、安全性ということを
レースの世界の住人は考えなければいけないわけで、
ノーマルな判断をしたと思います。
クラッシュした当該のライダーですが、命にかかわるような
重大なことにはならずに病院で治療とリハビリに取り組んでいる
ようです。
忘れてはいけないこと。それは、ライダーの命や健康です。
コースサイドで重体で横たわっているライダーがいる時に
赤旗を出さずにレースを続行し、ほかのライダーがクラッシュ
したポイントを過ぎ去ってから担架に乗せて救急車に運んだ
加藤大治郎の最後のレースを忘れてはいけないし、あの時、
彼の命を救うのに何が足らず、何が欠けていたのかを考え
る時間を持つのは大事なことだと思います。
多重クラッシュが起きてしまい、赤旗が出されて中断し、
再スタートとなりました。
まぁ、当然といえば当然ですが、安全性ということを
レースの世界の住人は考えなければいけないわけで、
ノーマルな判断をしたと思います。
クラッシュした当該のライダーですが、命にかかわるような
重大なことにはならずに病院で治療とリハビリに取り組んでいる
ようです。
忘れてはいけないこと。それは、ライダーの命や健康です。
コースサイドで重体で横たわっているライダーがいる時に
赤旗を出さずにレースを続行し、ほかのライダーがクラッシュ
したポイントを過ぎ去ってから担架に乗せて救急車に運んだ
加藤大治郎の最後のレースを忘れてはいけないし、あの時、
彼の命を救うのに何が足らず、何が欠けていたのかを考え
る時間を持つのは大事なことだと思います。
due croati ai primi 10 dell’atp
2006年6月19日 スポーツleggevo di ranking dell’atp ci sono due croati
uno e’ ljubicic altre new entry mario ancic
che vengono da croazia dove abitano piu’ o meno
4.500.000 persone
immagino tante cose come il mondo di tennis
senza tanti soldi come formula uno
tiene racketta e subito cominca giocare ai tutti posti del
mondo
atomesferie da curare e aiutare i giocatori in croazia
poi il disposizione e la storia della quella zona
(per questo fu fondato il loro paese non e’ come
il nome della parte di iugoslavia)
comunque hanno grande agonismo e determinazione
da combattere dal piccolo torneo e arrivavano ai primi 10
della classifica mondiale
invece giappone come economia e’ ricca
i tennista in giappone
di solito hanno grosso sponsor come sia i soldi sia
i materiali
pero’ non ci furono tanti piccoli tornei
neanche altri paesi in asia non ci furono tanti
sicuramente al periodo di futures e challenger
non ci furuno tanti tornei poi ci vogliono tante ore
da arrivare al campo nei paesi asiatici
non hanno i grande sponsor in croazia pero’
non e’ difficile arrivare altre paese da giocare
i tennista croati
invece hanno tanti soldi e materiali pero’
e’ difficile arrivare in altri paesi
i tennista giapponesi
ci sono tutti due cosa positiva e negativa
pero’ i croati hanno lo spirito sperciale
da combattere e arrivare al top del mondo
allora ci sono due tennista ai primi 10
e la croazia e’ il campione della coppa davis nell’anno
scorso
cosa manca cosa non manca
confronto fra croazia e giappone
mi sembra che sia il compito per assiozionale in giappone
uno e’ ljubicic altre new entry mario ancic
che vengono da croazia dove abitano piu’ o meno
4.500.000 persone
immagino tante cose come il mondo di tennis
senza tanti soldi come formula uno
tiene racketta e subito cominca giocare ai tutti posti del
mondo
atomesferie da curare e aiutare i giocatori in croazia
poi il disposizione e la storia della quella zona
(per questo fu fondato il loro paese non e’ come
il nome della parte di iugoslavia)
comunque hanno grande agonismo e determinazione
da combattere dal piccolo torneo e arrivavano ai primi 10
della classifica mondiale
invece giappone come economia e’ ricca
i tennista in giappone
di solito hanno grosso sponsor come sia i soldi sia
i materiali
pero’ non ci furono tanti piccoli tornei
neanche altri paesi in asia non ci furono tanti
sicuramente al periodo di futures e challenger
non ci furuno tanti tornei poi ci vogliono tante ore
da arrivare al campo nei paesi asiatici
non hanno i grande sponsor in croazia pero’
non e’ difficile arrivare altre paese da giocare
i tennista croati
invece hanno tanti soldi e materiali pero’
e’ difficile arrivare in altri paesi
i tennista giapponesi
ci sono tutti due cosa positiva e negativa
pero’ i croati hanno lo spirito sperciale
da combattere e arrivare al top del mondo
allora ci sono due tennista ai primi 10
e la croazia e’ il campione della coppa davis nell’anno
scorso
cosa manca cosa non manca
confronto fra croazia e giappone
mi sembra che sia il compito per assiozionale in giappone
トップテンに二人のクロアチア人
2006年6月19日 スポーツ先週発表のATPのランキングのトップテンに二人のクロアチア人
が名前を連ねました。四位のリュビチッチに九位のアンチッチ。
人口450万の国から世界のトップテンに二人が入るというのは
いろいろなことを感じさせますね。
体ひとつで世界の舞台に入っていけるテニスという競技の
素晴らしさ、ヨーロッパでの移動の容易さと冷戦構造の
崩壊(まぁ、これがクロアチアという国が成立した理由の
ひとつですが)そして、プレイヤーの活躍をサポートする
土壌ですね。
日本のプレイヤーはマテリアルの部分で恵まれている反面、
男子の小規模大会が少なかったという過去があったり、
アジアの国々を回るにしても、近隣の国で小さな規模の
大会がなくて、アジア人プレイヤーが世界に戦う上で
の取っ掛かりがなかったという状況は確かにありました。
経済的には日本より後ろに位置するクロアチアという国から
世界のトップテンプレイヤーが二人も生まれ、さらに
国別対抗戦であるデビスカップを制することができた。
彼らの何としてでも出世したいとか、儲けたい、上に行きたい
という気持ちの強さは活動規模を自国内だけでなく、
地理的条件を活かし、ラケットひとつでヨーロッパを飛び回り、
色々な種類のサーフェイスで様々な相手と稽古を重ね、
世界の列強をなぎ倒すことができた。
気持ちの強さや欲望の大きさが経済的には高いレベルにあるとは
思えない国から優れたプレイヤーを育てる結果になっている
そんな気がします。
が名前を連ねました。四位のリュビチッチに九位のアンチッチ。
人口450万の国から世界のトップテンに二人が入るというのは
いろいろなことを感じさせますね。
体ひとつで世界の舞台に入っていけるテニスという競技の
素晴らしさ、ヨーロッパでの移動の容易さと冷戦構造の
崩壊(まぁ、これがクロアチアという国が成立した理由の
ひとつですが)そして、プレイヤーの活躍をサポートする
土壌ですね。
日本のプレイヤーはマテリアルの部分で恵まれている反面、
男子の小規模大会が少なかったという過去があったり、
アジアの国々を回るにしても、近隣の国で小さな規模の
大会がなくて、アジア人プレイヤーが世界に戦う上で
の取っ掛かりがなかったという状況は確かにありました。
経済的には日本より後ろに位置するクロアチアという国から
世界のトップテンプレイヤーが二人も生まれ、さらに
国別対抗戦であるデビスカップを制することができた。
彼らの何としてでも出世したいとか、儲けたい、上に行きたい
という気持ちの強さは活動規模を自国内だけでなく、
地理的条件を活かし、ラケットひとつでヨーロッパを飛び回り、
色々な種類のサーフェイスで様々な相手と稽古を重ね、
世界の列強をなぎ倒すことができた。
気持ちの強さや欲望の大きさが経済的には高いレベルにあるとは
思えない国から優れたプレイヤーを育てる結果になっている
そんな気がします。
porto si ritira
2006年6月16日 スポーツprima di gara a monmelo’ ho sentito la brutta notizia con
sacco di sorpresa
il pilota aregentino che si chiama sebastien porto ha
deciso di ritirarsi dal mondo della velocita’
questa stagione lui non poteva girare come il suo talento
sempre arrivava in ritardo e non potevo vedere "vero seb"
pero’ credevo che avrebbe cambiato qualcosa da forzare
pensavo che sarebbe stato la nuova stile da guidare
debito che averebbe montato qualcosa da ritornare
anzi sentiva solamente il periodo nero e non poteva
modificare qualche nuovo e cominciava credere il suo ritiro
il pilota argentino siginifica
manca il rapporto duro come i giapponesi e italiani che
hanno dal periodo di junior
il pilota che viene dal sud america vuole dire
non c’e’ il grosso sponsor come gli spagnoli
lui arrivava al campione del mondo solo il suo casco e
i guanti da combattere
i primi anni fu in difficolta’ sulla moto standard e
pneu normale poi con la piccola squadra che ebbe
mancato tante cose
pero’ lui ebbe veramente il grande agonismo e
il talento speciale
percio’ dopo aver girato i primi anni
tante manager dell’eqippe e la casa furono venuti da lui
e ebbe cominciato girare con la moto ufficiale
da vincere non solo da partecipare
dal primo appuntamento non andava bene
la differenza fra il suo talento e il piazzamento
fu troppo diverso
cosi pensavo che lui avrebbe cominciato qualcosa
per le gare anzi ha deciso di smontare il suo casco
io e lui abbiammo avuto il tempo fantastico
abbiamo giocato calcio con valentino rossi
dopo aver fornito le candelle della denso
ha spiegato impressioni e informazioni farmi
scrivere email
prima di arrivare in giappone
ebbe vinto la prima vittoria della sua carrieraa rio
poi arrivava all’aeroporto di narita
subito abbiamo bracciato con zeppo di felicita’
in spangna dov’e’ il posto speciale al mondo della velocita’
ebbe vinto e fu atomoferie speciale su e davanti
al podio
ha deciso e gli ultimi mesi non lo vedo lui
cosi non posso dire qualcosa pero’ al mondo di gran premio
avevo visto tante volte il pilota che ha il talento
pero’ la moto non va oppure la moto fu troppo speciale
per solamente unico pilota (come la moto di biaggi
su aprilia 250 altri piloti non andavano)
percio’ il pilota che non poteva girare come voleva
poi qualche condizione e sistema da girare meglio
mancava tanto ecc ecc
il suo ritiro mi fa pensare tante cose
sacco di sorpresa
il pilota aregentino che si chiama sebastien porto ha
deciso di ritirarsi dal mondo della velocita’
questa stagione lui non poteva girare come il suo talento
sempre arrivava in ritardo e non potevo vedere "vero seb"
pero’ credevo che avrebbe cambiato qualcosa da forzare
pensavo che sarebbe stato la nuova stile da guidare
debito che averebbe montato qualcosa da ritornare
anzi sentiva solamente il periodo nero e non poteva
modificare qualche nuovo e cominciava credere il suo ritiro
il pilota argentino siginifica
manca il rapporto duro come i giapponesi e italiani che
hanno dal periodo di junior
il pilota che viene dal sud america vuole dire
non c’e’ il grosso sponsor come gli spagnoli
lui arrivava al campione del mondo solo il suo casco e
i guanti da combattere
i primi anni fu in difficolta’ sulla moto standard e
pneu normale poi con la piccola squadra che ebbe
mancato tante cose
pero’ lui ebbe veramente il grande agonismo e
il talento speciale
percio’ dopo aver girato i primi anni
tante manager dell’eqippe e la casa furono venuti da lui
e ebbe cominciato girare con la moto ufficiale
da vincere non solo da partecipare
dal primo appuntamento non andava bene
la differenza fra il suo talento e il piazzamento
fu troppo diverso
cosi pensavo che lui avrebbe cominciato qualcosa
per le gare anzi ha deciso di smontare il suo casco
io e lui abbiammo avuto il tempo fantastico
abbiamo giocato calcio con valentino rossi
dopo aver fornito le candelle della denso
ha spiegato impressioni e informazioni farmi
scrivere email
prima di arrivare in giappone
ebbe vinto la prima vittoria della sua carrieraa rio
poi arrivava all’aeroporto di narita
subito abbiamo bracciato con zeppo di felicita’
in spangna dov’e’ il posto speciale al mondo della velocita’
ebbe vinto e fu atomoferie speciale su e davanti
al podio
ha deciso e gli ultimi mesi non lo vedo lui
cosi non posso dire qualcosa pero’ al mondo di gran premio
avevo visto tante volte il pilota che ha il talento
pero’ la moto non va oppure la moto fu troppo speciale
per solamente unico pilota (come la moto di biaggi
su aprilia 250 altri piloti non andavano)
percio’ il pilota che non poteva girare come voleva
poi qualche condizione e sistema da girare meglio
mancava tanto ecc ecc
il suo ritiro mi fa pensare tante cose
セバスチャン・ポルト引退へ。
2006年6月16日 スポーツバルセロナ郊外のモンメロで行われるカタロニアグランプリ
直前になってとんでもないニュースが入ってきました。
今季レプソルホンダで250CCクラスを戦っていたセバス
チャン・ポルトが引退を発表しました。今季不振でライダーの
本来持っている能力とは離れた成績しか残していなかった
このアルゼンチン人でしたが、まさか、この時期に引退とい
うのは信じられないというのが率直な私の気持ちです。
メーカーのサポートなどなく、体ひとつでレースの世界に
やってきた彼は、プライベート体制で走る時期が長く、
才能がありながらなかなかいい体制で走る機会がありませんでした。
アルゼンチン人ということやバイクメーカーとの関係性など
日本人やイタリア人、スペイン人などに比べてハンディキャップ
がある中、世界の舞台に出てきてガッツのある走りで
関係者を認めさせ、ようやくここ数年いい体制、マシンで
走れるようになったのですが、今年はマシンとの相性が
悪かったのか、思うような土壌を持つことができなかったのか
彼の才能からは考えられない成績ばかりだったのも事実。
そんな苦しい状況からでも何かを変えて、何かを付け足して、
何かを削って、本来持っている能力を発揮できるようにして
中盤から後半戦に反撃を仕掛けてくると思っていたのですが、
彼が選んだ道というのは私の想像とは反対の方向のものでした。
ロッシと彼と私の三人でサッカーをやって遊んでいた時のこと、
ヤマハクルツでデンソーのスポンサードを得て、プラグの
インプレッションを私に話してくれたときのこと、
ブラジルで初優勝を挙げて、日本に乗り込んできた成田空港の
目が合った瞬間、到着ロビーで抱き合った時のこと、
スペインというレースの世界で特別な場所で快心の勝利を
挙げて共に喜びを分かち合ったときのこと
など彼との思い出は数多くあります。
彼が考えた上での引き際なので何とも言えませんが、
ライダーとマシンの相性がペースを鈍らせたり、
人間関係の悪化が気持ちをネガティブにさえたりというのは
今までたくさん見てきました。
いろいろなことを想像してしまう私です。
直前になってとんでもないニュースが入ってきました。
今季レプソルホンダで250CCクラスを戦っていたセバス
チャン・ポルトが引退を発表しました。今季不振でライダーの
本来持っている能力とは離れた成績しか残していなかった
このアルゼンチン人でしたが、まさか、この時期に引退とい
うのは信じられないというのが率直な私の気持ちです。
メーカーのサポートなどなく、体ひとつでレースの世界に
やってきた彼は、プライベート体制で走る時期が長く、
才能がありながらなかなかいい体制で走る機会がありませんでした。
アルゼンチン人ということやバイクメーカーとの関係性など
日本人やイタリア人、スペイン人などに比べてハンディキャップ
がある中、世界の舞台に出てきてガッツのある走りで
関係者を認めさせ、ようやくここ数年いい体制、マシンで
走れるようになったのですが、今年はマシンとの相性が
悪かったのか、思うような土壌を持つことができなかったのか
彼の才能からは考えられない成績ばかりだったのも事実。
そんな苦しい状況からでも何かを変えて、何かを付け足して、
何かを削って、本来持っている能力を発揮できるようにして
中盤から後半戦に反撃を仕掛けてくると思っていたのですが、
彼が選んだ道というのは私の想像とは反対の方向のものでした。
ロッシと彼と私の三人でサッカーをやって遊んでいた時のこと、
ヤマハクルツでデンソーのスポンサードを得て、プラグの
インプレッションを私に話してくれたときのこと、
ブラジルで初優勝を挙げて、日本に乗り込んできた成田空港の
目が合った瞬間、到着ロビーで抱き合った時のこと、
スペインというレースの世界で特別な場所で快心の勝利を
挙げて共に喜びを分かち合ったときのこと
など彼との思い出は数多くあります。
彼が考えた上での引き際なので何とも言えませんが、
ライダーとマシンの相性がペースを鈍らせたり、
人間関係の悪化が気持ちをネガティブにさえたりというのは
今までたくさん見てきました。
いろいろなことを想像してしまう私です。