シャーペンティエのSBK挑戦はどうなるのか。
2006年11月3日 スポーツスーパースポート世界選手権を二年続けて制したセバスチャン・
シャーペンティエがどうやら同じチームでホンダのリッターバイク
でスーパーバイク世界選手権に挑戦するようです。
まぁ、そろそろそういうことになるだろうなという気持ちを
抱きながらも、トーズランドの相方として、一年目のSBKを
どうするのか、どうなるのか楽しみではあります。
スーパースポートからスーパーバイクへのステップアップという
ことに関していえば、成功例もあれば、失敗例もあります。
そして、ウィンストンテンカーテホンダチームでの昨年、今年
のシャーペンティエはメーカーからの最恵国待遇を受け、
人やモノなど飛びぬけた贅沢さというか、潤沢な体制で
戦ってきました。
そこから、強豪ひしめくスーパーバイククラスに挑んでいく。
スーパースポートのドゥカティは大したことないが、スーパー
バイクはワールドチャンピオンであり、トロイ・ベイリスを
擁している。さらに、ホンダ系のほかのチームも強力だし、
ヤマハは芳賀、コーサーというラインナップ。スズキも
奪い取られた覇権奪回に燃えていてビアッジがやって来るし、
カワサキも虎視眈々である。
そこにシャーペンティエがデビューイヤーでどれだけやれるのか。
楽しみと難しさが同居するなか、かっ飛ばすことができるのか。
フランスという国から世界をめざしてスーパースポートを
戦いワールドチャンピオンになった彼の挑戦を見守りたいと
思います。
シャーペンティエがどうやら同じチームでホンダのリッターバイク
でスーパーバイク世界選手権に挑戦するようです。
まぁ、そろそろそういうことになるだろうなという気持ちを
抱きながらも、トーズランドの相方として、一年目のSBKを
どうするのか、どうなるのか楽しみではあります。
スーパースポートからスーパーバイクへのステップアップという
ことに関していえば、成功例もあれば、失敗例もあります。
そして、ウィンストンテンカーテホンダチームでの昨年、今年
のシャーペンティエはメーカーからの最恵国待遇を受け、
人やモノなど飛びぬけた贅沢さというか、潤沢な体制で
戦ってきました。
そこから、強豪ひしめくスーパーバイククラスに挑んでいく。
スーパースポートのドゥカティは大したことないが、スーパー
バイクはワールドチャンピオンであり、トロイ・ベイリスを
擁している。さらに、ホンダ系のほかのチームも強力だし、
ヤマハは芳賀、コーサーというラインナップ。スズキも
奪い取られた覇権奪回に燃えていてビアッジがやって来るし、
カワサキも虎視眈々である。
そこにシャーペンティエがデビューイヤーでどれだけやれるのか。
楽しみと難しさが同居するなか、かっ飛ばすことができるのか。
フランスという国から世界をめざしてスーパースポートを
戦いワールドチャンピオンになった彼の挑戦を見守りたいと
思います。
違う国籍と民族。愛される理由と経歴。
2006年10月31日 スポーツスーパーバイク世界選手権のイモラとマニクールの時にスロベ
ニア人のライダーとスタッフと話す機会がありました。
そこで話題になったのが、かつて彼らがユーゴスラビアという
国のパスポートを持っていたときサッカーのこと。当時の
サッカーのナショナルチームは素晴らしいタレントを抱えて
いて、それを指揮していたのがセルビア人の監督。そのセル
ビア人は現在、日本で最も知られるセルビア人であり、日本
代表監督であるイビツァ・オシムです。
ユーゴスラビアという国がなくなり、各共和国は独立を求め、
自由を求めると同時に、色々なものを失くし、そして、憎悪
や緊張といったものが高いレベルに達しました。
私が98年スロベニアとクロアチアの首都に足を運んだ時にも
色々な傷跡を見ることになり、あの地域の難しさとか土壌と
いったものが平和な日本とはあまりにもかけ離れていること。
日本やアメリカのニュースソースがバランスを欠いたもので
あることなどを実感しました。
あのひとつの国から新しい国が出来て、それが承認されていく
間には色々なことがあったのですが、そんな中、サッカーを
愛してやまないイビツァ・オシムは大変な苦悩と苦労を重ねて
ユーゴスラビア代表監督を務め、そして、辞めていきました。
そんなオシムという男が日本の千葉というバジェットの少ない
スター選手のいなかったクラブで成功を収め、彼の評価が
高いこと。さらに、その彼が65歳にして日本の代表監督
という大変な任務について次回のワールドカップに日本丸という
船の航海を行い、今までの監督にない方法論や精神性で
指導していることなどを説明すると、日本人の口から
まさかイビツァ・オシムの名前がイタリア語を話していて
出てくるとは思わなかった彼らは驚きながらも喜んでいました。
彼らスロベニア人のレース関係者はオシムの能力を高く評価し
ていました。そして、彼の人柄や能力が素晴らしい成果をユーゴ
スラビアサッカー界で残していたこと、イタリアのワールド
カップでのことなどを思い出し、喜んでかつてのサッカーの
話をしてくれましたね。
民族主義の台頭と共にユーゴスラビアという国がなくなり、
彼らはスロベニアという国を独立国家として成立させたのですが
そんな彼らですら、イビツァ・オシムという優れた監督を
評価しているのですから、いかにオシムという男が民族や
地域の壁を越えて人気を得ていたのか、評価されていたのか
改めて実感しました。
同時にオシムの言葉を訳すのに、ピッチの近くに三人通訳が
必要だということを話すと強く納得していました。
ニア人のライダーとスタッフと話す機会がありました。
そこで話題になったのが、かつて彼らがユーゴスラビアという
国のパスポートを持っていたときサッカーのこと。当時の
サッカーのナショナルチームは素晴らしいタレントを抱えて
いて、それを指揮していたのがセルビア人の監督。そのセル
ビア人は現在、日本で最も知られるセルビア人であり、日本
代表監督であるイビツァ・オシムです。
ユーゴスラビアという国がなくなり、各共和国は独立を求め、
自由を求めると同時に、色々なものを失くし、そして、憎悪
や緊張といったものが高いレベルに達しました。
私が98年スロベニアとクロアチアの首都に足を運んだ時にも
色々な傷跡を見ることになり、あの地域の難しさとか土壌と
いったものが平和な日本とはあまりにもかけ離れていること。
日本やアメリカのニュースソースがバランスを欠いたもので
あることなどを実感しました。
あのひとつの国から新しい国が出来て、それが承認されていく
間には色々なことがあったのですが、そんな中、サッカーを
愛してやまないイビツァ・オシムは大変な苦悩と苦労を重ねて
ユーゴスラビア代表監督を務め、そして、辞めていきました。
そんなオシムという男が日本の千葉というバジェットの少ない
スター選手のいなかったクラブで成功を収め、彼の評価が
高いこと。さらに、その彼が65歳にして日本の代表監督
という大変な任務について次回のワールドカップに日本丸という
船の航海を行い、今までの監督にない方法論や精神性で
指導していることなどを説明すると、日本人の口から
まさかイビツァ・オシムの名前がイタリア語を話していて
出てくるとは思わなかった彼らは驚きながらも喜んでいました。
彼らスロベニア人のレース関係者はオシムの能力を高く評価し
ていました。そして、彼の人柄や能力が素晴らしい成果をユーゴ
スラビアサッカー界で残していたこと、イタリアのワールド
カップでのことなどを思い出し、喜んでかつてのサッカーの
話をしてくれましたね。
民族主義の台頭と共にユーゴスラビアという国がなくなり、
彼らはスロベニアという国を独立国家として成立させたのですが
そんな彼らですら、イビツァ・オシムという優れた監督を
評価しているのですから、いかにオシムという男が民族や
地域の壁を越えて人気を得ていたのか、評価されていたのか
改めて実感しました。
同時にオシムの言葉を訳すのに、ピッチの近くに三人通訳が
必要だということを話すと強く納得していました。
ロッシはタイトルを逃した。王座を拾ったのはヘイデン。
2006年10月30日 スポーツMotoGPの最終戦のヴァレンシア。タイトルに王手を掛け、
ポールポジションを奪い、圧倒的に有利に日曜日の午後を
迎えたのはヤマハを駆るイタリア人ライダーでした。
しかし、彼はスタートをミスし、さらに前方を追いかける展開
の中で、転倒して致命的なタイムロスをしてしまいました。
これでタイトルを取ることになったのがニッキー・へイデン
でしたが、ちょっとなぁという感じがしますね。
いいライダーであるとは思うのですが、アメリカホンダの
後押しでレギュラーライダーになったという印象やら
どこへ行っても英語だけで通してしまうことなど
何か才能と能力で道を切り開いてきたというより、
周りがお膳立てしてくれて、それに乗っかってキャリアを
重ねてきたという感じを抱いていますし、優れた開発能力
というものを感じさせない上に、多くのアメリカ人がそうで
あるようにどこでも母国語だけで通してしまう。
順風満帆で世界一のバイクメーカーの傘の中でやりたいことを
やっている男という印象しか抱けないでいます。
ヘイデンの世界王座獲得よりも、代役で急に走ってくれと言われ
ヴァレンシアで世界の列強に影を踏ませぬ圧倒的な走りを
して優勝したベイリスとヤマハ陣営のワンアンドオンリーの
エースとしてチームやメーカーの考え方や方法論を変えて
ホンダに立ち向かっていったロッシに大河ドラマ的なストーリー
と挑戦者としてのスピリットを感じ、積極的な支持を
していた私です。
ポールポジションを奪い、圧倒的に有利に日曜日の午後を
迎えたのはヤマハを駆るイタリア人ライダーでした。
しかし、彼はスタートをミスし、さらに前方を追いかける展開
の中で、転倒して致命的なタイムロスをしてしまいました。
これでタイトルを取ることになったのがニッキー・へイデン
でしたが、ちょっとなぁという感じがしますね。
いいライダーであるとは思うのですが、アメリカホンダの
後押しでレギュラーライダーになったという印象やら
どこへ行っても英語だけで通してしまうことなど
何か才能と能力で道を切り開いてきたというより、
周りがお膳立てしてくれて、それに乗っかってキャリアを
重ねてきたという感じを抱いていますし、優れた開発能力
というものを感じさせない上に、多くのアメリカ人がそうで
あるようにどこでも母国語だけで通してしまう。
順風満帆で世界一のバイクメーカーの傘の中でやりたいことを
やっている男という印象しか抱けないでいます。
ヘイデンの世界王座獲得よりも、代役で急に走ってくれと言われ
ヴァレンシアで世界の列強に影を踏ませぬ圧倒的な走りを
して優勝したベイリスとヤマハ陣営のワンアンドオンリーの
エースとしてチームやメーカーの考え方や方法論を変えて
ホンダに立ち向かっていったロッシに大河ドラマ的なストーリー
と挑戦者としてのスピリットを感じ、積極的な支持を
していた私です。
兄弟ライダーと兄弟愛
2006年10月29日 スポーツイモラのパドックに戦うウィリアム・デアンジェリスと
激励に来たアレックス・デアンジェリスと会いました。
その前の週というのは、もてぎでアレックス・デアンジェリスと
会い、久しぶりに言葉を交わし、翌週のスーパーバイク世界選手権のイモラのことを話題にしていました。戦うカテゴリーは
違っても、やはり兄弟であり、同じ職業をしていて思うような
成績を収められないでいるライダーの気持ちは当然のことなが
ら肌感覚でわかっていますね。
私とあのチームの関係から、近い場所でサンマリノ人ライダーが
エミリアロマーニャ州で行われる彼にとって極めて特別な
レースを見ていましたが、そこでアレックスとウィリアムの
デアンジェリス兄弟の濃密で特別な関係を目にしました。
お金をもらって乗っているライダーとお金を払って契約して
走ることができているライダーというのが兄弟での才能やら
経歴の違いを物語っているのですが、しかしながら、世界の
頂上を目指している志や道筋というのはカテゴリーが違えども
ヘルメットをかぶった瞬間から同じものであり、現時点で
何をどうすればいいのかを見据えていました。
ついついルーティンワークになりがちなところに
イモラという舞台設定とアレックスというライダーであり、
兄弟であり、なかなか勝てそうで勝てないでいる男が
その勝利への渇望とそれを満たすための不足感を知っている
偉大なアドバイザーとしてピットで叱咤激励している
姿というのは何とも言えない兄弟愛を感じましたね。
イモラのウィリアム・デアンジェリスの五位というレースの
住人の思いもよらなかった成績の理由のいくつかはマシンや
道具が成績とリンクする世界で兄弟愛という人間くさい
ものが導いたのだと思います。
激励に来たアレックス・デアンジェリスと会いました。
その前の週というのは、もてぎでアレックス・デアンジェリスと
会い、久しぶりに言葉を交わし、翌週のスーパーバイク世界選手権のイモラのことを話題にしていました。戦うカテゴリーは
違っても、やはり兄弟であり、同じ職業をしていて思うような
成績を収められないでいるライダーの気持ちは当然のことなが
ら肌感覚でわかっていますね。
私とあのチームの関係から、近い場所でサンマリノ人ライダーが
エミリアロマーニャ州で行われる彼にとって極めて特別な
レースを見ていましたが、そこでアレックスとウィリアムの
デアンジェリス兄弟の濃密で特別な関係を目にしました。
お金をもらって乗っているライダーとお金を払って契約して
走ることができているライダーというのが兄弟での才能やら
経歴の違いを物語っているのですが、しかしながら、世界の
頂上を目指している志や道筋というのはカテゴリーが違えども
ヘルメットをかぶった瞬間から同じものであり、現時点で
何をどうすればいいのかを見据えていました。
ついついルーティンワークになりがちなところに
イモラという舞台設定とアレックスというライダーであり、
兄弟であり、なかなか勝てそうで勝てないでいる男が
その勝利への渇望とそれを満たすための不足感を知っている
偉大なアドバイザーとしてピットで叱咤激励している
姿というのは何とも言えない兄弟愛を感じましたね。
イモラのウィリアム・デアンジェリスの五位というレースの
住人の思いもよらなかった成績の理由のいくつかはマシンや
道具が成績とリンクする世界で兄弟愛という人間くさい
ものが導いたのだと思います。
ぼろぼろになるまで戦ったライダー
2006年10月28日 スポーツまだ力や能力が衰えていないのにヘルメットを脱いだ
シューマッハー。彼の引き際は美しかったなと色々なメディア
で様々な記事を読んだりして思いました。
その一方で、ぼろぼろになるまで戦ったライダーがいました。
ピエール・フランチェスコ・キリ。グランプリの250と
500で戦い、さらにSBKに活躍の場を移して、毎年、
ジャーナリストや関係者に『今年が最後ではないか』と
言われながら、勝てるライダーとして戦ってきました。
そんな彼がホンダCBRで戦いに臨んだシーズン。
開幕二戦を思うような走りができず、四月のミザノアドレアティコ
でのテストで転倒。かなりの重傷を負ってしまいました。
なじめないマシン。そして負傷というハンディキャップ。
彼のレーシングキャリアの中では様々なことがあり、
山もあれば谷もありました。
劣勢だったり、難しい時期を過ごしたこともありましたが、
それを乗り越えて戦いを続けて勝利に結び付けてきました。
マシンが機能しない場合でも、ライダーの腕で上位を
走ったり、チームが落ち込んでいるときでも、エンジニアや
メカニックを奮い立たせて悪い状況下でも望みうる最良の
成績を収めてきました。
しかし、それができずにもがき苦しむシーズンとなりました。
他のホンダユーザーで勝利するライダーやチームがある中、
なかなか彼は、そして彼のチームメイトもフィットすることなく
最終戦のマニクールでのレースを迎え、凡庸な成績でこの
フランスでのレースを終えました。
苦しみのなかで、彼は最後までファイターであり続けたの
ですが、その世界の列強に割って入る闘争心が怪我や
負傷によってちょっとなくなってしまったかなというのが
正直な印象でした。
まだまだやれると思われながらサーキットを去る決断を
したシューマッハーも美しい生き様を見せてくれましたが、
ぼろぼろになるまで戦って、敗者となって勝者をたたえる
彼の姿も美しいものでした。
レースを戦い、株とサッカーを楽しみ、そして、常に
トップランナーであり続けたキリはとうとう世界チャンピオンに
なれずに終わりましたが、ぼろぼろになってでも走るという
意思の強さとあきらめの悪さを私たちに見せてくれました。
シューマッハーとキリ。対照的な終わり方をした二人でしたが、
輝き方という部分では世界中の多くのファンに愛され、
ライバルチームやライダーに警戒され、なおかつ尊敬された
点では一緒でした。
寂しくなるのと同時に、これを受け止めなければいけないのだと
思う私です。まぁ、彼の近い場所にいた人はキリのいない
サーキットというのを特別な不在感を持って感じてしまいますね。
マニクールのレースの後の、あのチームで一緒に食べさせて
もらったケーキはおいしさと同時に特別な味を感じました。
彼ともう一度、イタリア国歌を歌いたかったですね。
敵味方にわかれてもかつてのチームにいたスタッフから
声を掛けられている姿を見て余計そう痛感しました。
ボローニャのライダーがサンマリノのチームで走る
ミザノのレースでドラマチックな展開で勝ったあのミザノ
のレース2。表彰台の前でピエール・グイード・パガーニと
フランシス・バッタの二人に囲まれて、かつてリミニに
住んでいた私が歌うイタリア国歌の意味というのはレースの
世界の住人は色々なことを感じながら聞いてくれました。
シューマッハー。彼の引き際は美しかったなと色々なメディア
で様々な記事を読んだりして思いました。
その一方で、ぼろぼろになるまで戦ったライダーがいました。
ピエール・フランチェスコ・キリ。グランプリの250と
500で戦い、さらにSBKに活躍の場を移して、毎年、
ジャーナリストや関係者に『今年が最後ではないか』と
言われながら、勝てるライダーとして戦ってきました。
そんな彼がホンダCBRで戦いに臨んだシーズン。
開幕二戦を思うような走りができず、四月のミザノアドレアティコ
でのテストで転倒。かなりの重傷を負ってしまいました。
なじめないマシン。そして負傷というハンディキャップ。
彼のレーシングキャリアの中では様々なことがあり、
山もあれば谷もありました。
劣勢だったり、難しい時期を過ごしたこともありましたが、
それを乗り越えて戦いを続けて勝利に結び付けてきました。
マシンが機能しない場合でも、ライダーの腕で上位を
走ったり、チームが落ち込んでいるときでも、エンジニアや
メカニックを奮い立たせて悪い状況下でも望みうる最良の
成績を収めてきました。
しかし、それができずにもがき苦しむシーズンとなりました。
他のホンダユーザーで勝利するライダーやチームがある中、
なかなか彼は、そして彼のチームメイトもフィットすることなく
最終戦のマニクールでのレースを迎え、凡庸な成績でこの
フランスでのレースを終えました。
苦しみのなかで、彼は最後までファイターであり続けたの
ですが、その世界の列強に割って入る闘争心が怪我や
負傷によってちょっとなくなってしまったかなというのが
正直な印象でした。
まだまだやれると思われながらサーキットを去る決断を
したシューマッハーも美しい生き様を見せてくれましたが、
ぼろぼろになるまで戦って、敗者となって勝者をたたえる
彼の姿も美しいものでした。
レースを戦い、株とサッカーを楽しみ、そして、常に
トップランナーであり続けたキリはとうとう世界チャンピオンに
なれずに終わりましたが、ぼろぼろになってでも走るという
意思の強さとあきらめの悪さを私たちに見せてくれました。
シューマッハーとキリ。対照的な終わり方をした二人でしたが、
輝き方という部分では世界中の多くのファンに愛され、
ライバルチームやライダーに警戒され、なおかつ尊敬された
点では一緒でした。
寂しくなるのと同時に、これを受け止めなければいけないのだと
思う私です。まぁ、彼の近い場所にいた人はキリのいない
サーキットというのを特別な不在感を持って感じてしまいますね。
マニクールのレースの後の、あのチームで一緒に食べさせて
もらったケーキはおいしさと同時に特別な味を感じました。
彼ともう一度、イタリア国歌を歌いたかったですね。
敵味方にわかれてもかつてのチームにいたスタッフから
声を掛けられている姿を見て余計そう痛感しました。
ボローニャのライダーがサンマリノのチームで走る
ミザノのレースでドラマチックな展開で勝ったあのミザノ
のレース2。表彰台の前でピエール・グイード・パガーニと
フランシス・バッタの二人に囲まれて、かつてリミニに
住んでいた私が歌うイタリア国歌の意味というのはレースの
世界の住人は色々なことを感じながら聞いてくれました。
惜しまれて引退したシューマッハーの幸福度
2006年10月23日 スポーツF1というとんでもない世界で長く生きていくには高いレベル
でハイテクと馬力が究極のレベルで融合しているF1マシンを
運転する能力と同時に肉体的、精神的なタフさ、頭のよさ、
闘争心の強さやスタッフやスポンサーに愛される人柄など
様々な要素が必要となってきます。
彼の素晴らしい部分と悪魔性の部分(まぁ、人を押しのけて
前に行く世界なのである部分での悪さが必要不可欠なのですが)
がマシンの開発を進めたり、チームをひとつにまとめたり
して、それを結果に結び付けてきました。
数字上のタイトル獲得の数少ない可能性を感じながら、
最後までほかのドライバーとの違いや差異を見せながら
F1ドライバー最後のチェッカーを受けた彼は凄みと能力を
見せながらサーキットを後にします。
体力や精神力の消耗を見せずに(実際は確実に衰えはあったと
思いますが)実力を見せ付けて、周囲がまだやれるはずなのに
と思われながらサーキットを去る彼は幸せな引き際を
見せてくれたと思います。
でハイテクと馬力が究極のレベルで融合しているF1マシンを
運転する能力と同時に肉体的、精神的なタフさ、頭のよさ、
闘争心の強さやスタッフやスポンサーに愛される人柄など
様々な要素が必要となってきます。
彼の素晴らしい部分と悪魔性の部分(まぁ、人を押しのけて
前に行く世界なのである部分での悪さが必要不可欠なのですが)
がマシンの開発を進めたり、チームをひとつにまとめたり
して、それを結果に結び付けてきました。
数字上のタイトル獲得の数少ない可能性を感じながら、
最後までほかのドライバーとの違いや差異を見せながら
F1ドライバー最後のチェッカーを受けた彼は凄みと能力を
見せながらサーキットを後にします。
体力や精神力の消耗を見せずに(実際は確実に衰えはあったと
思いますが)実力を見せ付けて、周囲がまだやれるはずなのに
と思われながらサーキットを去る彼は幸せな引き際を
見せてくれたと思います。
スーパーバイク世界選手権2007年暫定カレンダー発表
2006年10月23日 スポーツ北米大陸という大きなマーケットプラスコロナビールの
お膝元のメキシコラウンドの重要性。そして、バロスの
存在と南米ラウンドの要望にイタリアで三大会という
話やドイツのもう一レースの増加や南アフリカの復帰など
様々なファクターが重なりあって、発表になった来季の
スーパーバイク世界選手権の暫定カレンダーはTBAだらけの
ものとなっています。
マックス・ビアッジの参戦やバロスの活躍とブラジルでの
テレビ放映に関するリアクション、そして、やはり北米と
南米のレースの重要性がディスカッションの継続と正式発表
がウェイティングになっているという事態を引き起こしています
が(さらに今日になってブラジルラウンドの観客動員に
絶対的に必要なバロスがMotoGPのダンティンドゥカティ入り
というニュースが入ってきています。)
まぁ、この時期になって、来年の二月末スタートのカレンダーが
決まっていないのは問題だと考える人もいるでしょうが、
私はFGSPORTサイドがより良いカレンダーと他方面との調整に
力を注いでいて、最終的なサインができずにファンや視聴者、
メーカーやスポンサーによりエキサイティングなシーズンを
クリエイトするための生みの苦しみだと考えています。
来季のSBKも面白いことになると思います。ただ、十五戦と
なると小さなチームに大きな負担がかかってくる気がしますが。
お膝元のメキシコラウンドの重要性。そして、バロスの
存在と南米ラウンドの要望にイタリアで三大会という
話やドイツのもう一レースの増加や南アフリカの復帰など
様々なファクターが重なりあって、発表になった来季の
スーパーバイク世界選手権の暫定カレンダーはTBAだらけの
ものとなっています。
マックス・ビアッジの参戦やバロスの活躍とブラジルでの
テレビ放映に関するリアクション、そして、やはり北米と
南米のレースの重要性がディスカッションの継続と正式発表
がウェイティングになっているという事態を引き起こしています
が(さらに今日になってブラジルラウンドの観客動員に
絶対的に必要なバロスがMotoGPのダンティンドゥカティ入り
というニュースが入ってきています。)
まぁ、この時期になって、来年の二月末スタートのカレンダーが
決まっていないのは問題だと考える人もいるでしょうが、
私はFGSPORTサイドがより良いカレンダーと他方面との調整に
力を注いでいて、最終的なサインができずにファンや視聴者、
メーカーやスポンサーによりエキサイティングなシーズンを
クリエイトするための生みの苦しみだと考えています。
来季のSBKも面白いことになると思います。ただ、十五戦と
なると小さなチームに大きな負担がかかってくる気がしますが。
ヨゼフ・クビシェックとの日々
2006年10月21日 スポーツスーパースポート世界選手権にホンダCBR600で参戦
しているKLインターモト代表のヨゼフ・クビシェック。
かつてライダーであり、現在チームの運営者という立場で
世界で戦う彼の思うチェコという国と小さなチームの立ち位置
と姿勢をそばで見ながら。
今年の五月、チェコのプラハでテニスのECMプラハオープン
がありました。
チェコ人プレイヤーの活躍を願い、盛り上がるのは当然ですが、
今年のこの大会は一人のチェコで生まれたリビングレジェンド
の存在が関係者とファンの興味のほとんどを占めていました。
マルチナ・ナブラチロワ。チェコで生まれ、当時の68年の
プラハの春をジュニア時代にまともに経験し、共産主義
(それはバーツラフ・ハベルが口にした人間の顔をした
社会主義ではないシロモノであった)での不自由さと
色々な意味でのわずらわしさを体感し、体ひとつでアメリカへ
亡命し、数々のビッグタイトルを手にして一度は引退。
そして、ダブルス限定の出場という形で選手活動を再開し、
こうしてビロード革命を経て、経済的にある程度の経済規模の
テニス大会の開催が可能になり、生まれてある時期まで育った
プラハにやって来ました。
そんな彼女の帰還をビッグウェルカムで迎えたのが今年の
プラハでの大会でしたが、その様子をヨゼフは特別な気持ちで
見ていました。
チェコという国で生まれ育ち、共産主義国家の中で選手生命の
大部分を送った彼は世界で戦うことができずにライダー人生を
終えて、チームマネージャーという立場に身を置きました。
できることとできないこと。やりたいこととやりたいけれど
できないこと。様々な妥協を現実の社会の中で繰り返す
彼のレース活動。体ひとつで母国を離れて、攻撃的なテニスで
相手を圧倒し、世界の頂上に立ったナブラチロワを見ていた
彼には特別な気持ちがあったようです。
受け入れられない現実を拒否してチェコを飛び出してひたすら
攻撃的なテニスで世界王者になったナブラチロワを見ながら、
メーカーやスポンサーとの対話を繰り返しながら、ベストな
コンプロマイズを考え、徐々にチームを成長させ、イモラでは
ウィリアム デアンジェリスの勇敢な走りで五位という成績を
あげて、昨年より大きな進歩と成長を遂げたチームを率いて
彼が次に向かうのは思ったことを思ったようにして、世界の
頂上に立つことです。
きっと彼がナブラチロワを見ながら思った彼のライダーの現役時代
やチームの運営は何かを生み出すエネルギーになっているはずです。
しているKLインターモト代表のヨゼフ・クビシェック。
かつてライダーであり、現在チームの運営者という立場で
世界で戦う彼の思うチェコという国と小さなチームの立ち位置
と姿勢をそばで見ながら。
今年の五月、チェコのプラハでテニスのECMプラハオープン
がありました。
チェコ人プレイヤーの活躍を願い、盛り上がるのは当然ですが、
今年のこの大会は一人のチェコで生まれたリビングレジェンド
の存在が関係者とファンの興味のほとんどを占めていました。
マルチナ・ナブラチロワ。チェコで生まれ、当時の68年の
プラハの春をジュニア時代にまともに経験し、共産主義
(それはバーツラフ・ハベルが口にした人間の顔をした
社会主義ではないシロモノであった)での不自由さと
色々な意味でのわずらわしさを体感し、体ひとつでアメリカへ
亡命し、数々のビッグタイトルを手にして一度は引退。
そして、ダブルス限定の出場という形で選手活動を再開し、
こうしてビロード革命を経て、経済的にある程度の経済規模の
テニス大会の開催が可能になり、生まれてある時期まで育った
プラハにやって来ました。
そんな彼女の帰還をビッグウェルカムで迎えたのが今年の
プラハでの大会でしたが、その様子をヨゼフは特別な気持ちで
見ていました。
チェコという国で生まれ育ち、共産主義国家の中で選手生命の
大部分を送った彼は世界で戦うことができずにライダー人生を
終えて、チームマネージャーという立場に身を置きました。
できることとできないこと。やりたいこととやりたいけれど
できないこと。様々な妥協を現実の社会の中で繰り返す
彼のレース活動。体ひとつで母国を離れて、攻撃的なテニスで
相手を圧倒し、世界の頂上に立ったナブラチロワを見ていた
彼には特別な気持ちがあったようです。
受け入れられない現実を拒否してチェコを飛び出してひたすら
攻撃的なテニスで世界王者になったナブラチロワを見ながら、
メーカーやスポンサーとの対話を繰り返しながら、ベストな
コンプロマイズを考え、徐々にチームを成長させ、イモラでは
ウィリアム デアンジェリスの勇敢な走りで五位という成績を
あげて、昨年より大きな進歩と成長を遂げたチームを率いて
彼が次に向かうのは思ったことを思ったようにして、世界の
頂上に立つことです。
きっと彼がナブラチロワを見ながら思った彼のライダーの現役時代
やチームの運営は何かを生み出すエネルギーになっているはずです。
ベイリスとヤス ベイリスティックな十年物語 その五
2006年10月21日 スポーツはじまった2006年シーズン。カタールこそ遅れを取った
ベイリスでしたが、オーストラリア以降復調。ひとつの
ファーストネーム、ひとつの国籍、二つのメーカー、二人の
ライダーによるタイトル争いが白熱化しました。
しかし、シーズンが進むにつれて、昨年のような走りを
コーサーが見せることが少なくなります。マシン面で遅れを
取り、次第に差が広がっていく中でコーサーの方にバッドラック
が襲い掛かり、ベイリスの方には何も起こらずにポイント差が
広がりました。
そして、ボルゴパニガーレのメーカーにとって一番近い
サーキットであるイモラ。全てのチーム、メーカー関係者が
世界チャンピオンTシャツを用意して迎えたレース。
世界王座に王手を掛けていたベイリスはリスクを犯さずに
確実に慎重に走り五位でレースを終えてドゥカティの
お膝元で二度目の世界王者となりました。
昨年、一昨年とあまりいいところがなかった彼が家に戻り、
彼が思うように実力を発揮してドゥカティのお膝元で決めた
タイトル。37歳という最高齢でのタイトルという記録も
レコードブックに刻んでの二度目のタイトルでした。
そして、フランス。今度はメーカータイトルをドゥカティに
捧げる走り。そして第二レースを優勝で決めてシーズンを
終えました。
二十二歳という年齢でレース活動を始めたベイリス。
何かにチャレンジする時に年齢を言い訳にすることは
なかったオージー。
思うように世界に行けなかったベイリス。しかし、あきらめない
ことが先につながる道をつくることを彼は知っていた。
メーカーやスポンサーとの根強い関係がなかったが、その
時点でできうる最良のことを根気強く継続して体ひとつ、
能力だけで世界の扉を開いて入っていった彼は世界王者の
持つ精神的なタフさを抱いていました。
遅くなってからですが、イタリア語を勉強するようになった
彼にはほかの英語圏ライダーに対する視線がイタリア人
関係者からはなかったと思います。
お互いの立ち位置が変わり、肩書きも異なる我々ですが、
97年から今まで会えばあいさつもして、冗談も言い合うし、
シビアな話をするのは変わりません。
最終戦を終えて、ピレリのサービスブースにやって来て、
タイヤエンジニアに労をねぎらい、ちょうどその場にいた
私にも声を掛けてくれた彼の姿は以前と変化がありません。
若年化の進むレースの世界で22歳からレースを始めて
山も谷もあった中、継続してここまでやって来て、二度目の
タイトルを決めた彼を眺めていた十年は特別なものが
ありました。
ドゥカティとさらに二年契約を結び、タイトル防衛と
V2マシン1200ccというニューモデルの開発という
ミッションを彼の家から任命されて新しいストーリーが
はじまります。ベイリスティックな日々はまだ続きます。
ベイリスでしたが、オーストラリア以降復調。ひとつの
ファーストネーム、ひとつの国籍、二つのメーカー、二人の
ライダーによるタイトル争いが白熱化しました。
しかし、シーズンが進むにつれて、昨年のような走りを
コーサーが見せることが少なくなります。マシン面で遅れを
取り、次第に差が広がっていく中でコーサーの方にバッドラック
が襲い掛かり、ベイリスの方には何も起こらずにポイント差が
広がりました。
そして、ボルゴパニガーレのメーカーにとって一番近い
サーキットであるイモラ。全てのチーム、メーカー関係者が
世界チャンピオンTシャツを用意して迎えたレース。
世界王座に王手を掛けていたベイリスはリスクを犯さずに
確実に慎重に走り五位でレースを終えてドゥカティの
お膝元で二度目の世界王者となりました。
昨年、一昨年とあまりいいところがなかった彼が家に戻り、
彼が思うように実力を発揮してドゥカティのお膝元で決めた
タイトル。37歳という最高齢でのタイトルという記録も
レコードブックに刻んでの二度目のタイトルでした。
そして、フランス。今度はメーカータイトルをドゥカティに
捧げる走り。そして第二レースを優勝で決めてシーズンを
終えました。
二十二歳という年齢でレース活動を始めたベイリス。
何かにチャレンジする時に年齢を言い訳にすることは
なかったオージー。
思うように世界に行けなかったベイリス。しかし、あきらめない
ことが先につながる道をつくることを彼は知っていた。
メーカーやスポンサーとの根強い関係がなかったが、その
時点でできうる最良のことを根気強く継続して体ひとつ、
能力だけで世界の扉を開いて入っていった彼は世界王者の
持つ精神的なタフさを抱いていました。
遅くなってからですが、イタリア語を勉強するようになった
彼にはほかの英語圏ライダーに対する視線がイタリア人
関係者からはなかったと思います。
お互いの立ち位置が変わり、肩書きも異なる我々ですが、
97年から今まで会えばあいさつもして、冗談も言い合うし、
シビアな話をするのは変わりません。
最終戦を終えて、ピレリのサービスブースにやって来て、
タイヤエンジニアに労をねぎらい、ちょうどその場にいた
私にも声を掛けてくれた彼の姿は以前と変化がありません。
若年化の進むレースの世界で22歳からレースを始めて
山も谷もあった中、継続してここまでやって来て、二度目の
タイトルを決めた彼を眺めていた十年は特別なものが
ありました。
ドゥカティとさらに二年契約を結び、タイトル防衛と
V2マシン1200ccというニューモデルの開発という
ミッションを彼の家から任命されて新しいストーリーが
はじまります。ベイリスティックな日々はまだ続きます。
ベイリスとヤス ベイリスティックな十年物語 その四
2006年10月21日 スポーツドゥカティのMotoGP参戦計画の初期の段階から
候補ライダーの一人として名前が挙がっていたベイリス。
マールボロの潤沢なスポンサードを得て、出来上がった
マシンに乗ることになり、鈴鹿へとやって来ました。
02年の鈴鹿。私にとっては美しい思い出と悲しい出来事が
あった時間と場所。そこが彼にとってのMotoGPデビュー
となりました。
チームメイトはロリス・カピロッシ。いきなり彼はここで
三位表彰台を得ます。
色々な意味で複雑で、難しかったり、多様だったりする
MotoGPの世界。コンピューターのエンジニアが
いなければ何もはじめることができず、細かく細分化されて
いるこのカテゴリーの中で彼は優勝こそならなかったものの、
何度も三位表彰台をゲット。デビューイヤーにして、
まずまず満足できる走りを見せてくれました。
しかし、その翌年、このカテゴリーの中で運がなかったり、
ロッシとホンダという世界最高のライダーと世界最大の
バイクメーカーの最高傑作に圧倒的に差を見せ付けられる
シーズンを送りました。
ドゥカティMotoGPレースの最後のヴァレンシアで
三位という置き土産を送り、彼はホンダポンスへと移籍します。
しかし、このスイッチは結果的には失敗に終わりました。
彼の独特な走りとホンダのマシンのマッチングは思うような
方向性を見つけることができずに失望のシーズンを二年続けて
送ることになりました。
ライダーの能力はある。まだまだ体力も気力も衰えていない。
そんな彼が選んだマシンとチーム、そしてカテゴリーは
ドゥカティのファクトリーチームでSBKを戦うという
ものでした。
契約成立後の彼はこの時に『家に帰ってきたようなものだ』
とコメントを発表。何か、中小企業で一人に大きな裁量権を
与えられて期待されてやりがいと使命を感じながらいい仕事
ぶりを発揮していたビジネスマンがその仕事振りを評価されて
大きな会社にスカウトされて入社したものの、大組織ならでは
の難しさを感じてお金の面ではマイナスになるかもしれないが
中小企業でやりたいことをやろうと小さな組織(そこは
フレンドリーであり、一緒に働いている人のすべての顔と
名前が一致する場所だと思うのですが)に戻り、やりたいことを
実力どおりやろうして本来の居心地のいい場所に戻ったように
見えました。
そのベイリスの倒すべき敵はコロナアルスタースズキで
浜松の最高傑作マシンGSX−R1000を駆る同じ
ファーストネームを持つトロイ・コーサーでした。
開幕直前テストでも両者は拮抗。現チャンピオンと元チャンピオン
の争いは開幕前からヒートアップ。面白く激しく楽しい
シーズンになることは間違いなく、そこにトーズランド、
芳賀、加賀山、ウォーカー、ラコニ、キリといった世界の
列強が絡んでいく戦いになり、世界中のレースファンが
考えただけで楽しくなるシーズンが始まろうとしていました。
(以下 続く)
候補ライダーの一人として名前が挙がっていたベイリス。
マールボロの潤沢なスポンサードを得て、出来上がった
マシンに乗ることになり、鈴鹿へとやって来ました。
02年の鈴鹿。私にとっては美しい思い出と悲しい出来事が
あった時間と場所。そこが彼にとってのMotoGPデビュー
となりました。
チームメイトはロリス・カピロッシ。いきなり彼はここで
三位表彰台を得ます。
色々な意味で複雑で、難しかったり、多様だったりする
MotoGPの世界。コンピューターのエンジニアが
いなければ何もはじめることができず、細かく細分化されて
いるこのカテゴリーの中で彼は優勝こそならなかったものの、
何度も三位表彰台をゲット。デビューイヤーにして、
まずまず満足できる走りを見せてくれました。
しかし、その翌年、このカテゴリーの中で運がなかったり、
ロッシとホンダという世界最高のライダーと世界最大の
バイクメーカーの最高傑作に圧倒的に差を見せ付けられる
シーズンを送りました。
ドゥカティMotoGPレースの最後のヴァレンシアで
三位という置き土産を送り、彼はホンダポンスへと移籍します。
しかし、このスイッチは結果的には失敗に終わりました。
彼の独特な走りとホンダのマシンのマッチングは思うような
方向性を見つけることができずに失望のシーズンを二年続けて
送ることになりました。
ライダーの能力はある。まだまだ体力も気力も衰えていない。
そんな彼が選んだマシンとチーム、そしてカテゴリーは
ドゥカティのファクトリーチームでSBKを戦うという
ものでした。
契約成立後の彼はこの時に『家に帰ってきたようなものだ』
とコメントを発表。何か、中小企業で一人に大きな裁量権を
与えられて期待されてやりがいと使命を感じながらいい仕事
ぶりを発揮していたビジネスマンがその仕事振りを評価されて
大きな会社にスカウトされて入社したものの、大組織ならでは
の難しさを感じてお金の面ではマイナスになるかもしれないが
中小企業でやりたいことをやろうと小さな組織(そこは
フレンドリーであり、一緒に働いている人のすべての顔と
名前が一致する場所だと思うのですが)に戻り、やりたいことを
実力どおりやろうして本来の居心地のいい場所に戻ったように
見えました。
そのベイリスの倒すべき敵はコロナアルスタースズキで
浜松の最高傑作マシンGSX−R1000を駆る同じ
ファーストネームを持つトロイ・コーサーでした。
開幕直前テストでも両者は拮抗。現チャンピオンと元チャンピオン
の争いは開幕前からヒートアップ。面白く激しく楽しい
シーズンになることは間違いなく、そこにトーズランド、
芳賀、加賀山、ウォーカー、ラコニ、キリといった世界の
列強が絡んでいく戦いになり、世界中のレースファンが
考えただけで楽しくなるシーズンが始まろうとしていました。
(以下 続く)
ベイリスとヤス ベイリスティックな十年物語 その三
2006年10月21日 スポーツディフェンディングチャンピオンとして2001年シーズンに
入ったトロイ・ベイリス。シーズン開幕してから連勝街道を
驀進しました。
まぁ、このシーズン前半の強いこと速いこと。四戦を終えた
時点で他のライバルからギブアップ宣言が出たほどでした。
そんな、磐石に思えたベイリスとドゥカティでしたが、
その彼に急にかげりが見え始めます。
そんな敵失にしっかり付け込むのが勝負師。コーリン・
エドワーズがホンダのV2マシンを駆って猛反撃に出ました。
レースシーズン中盤からの開発のテンポとエドワーズの
快走は激しいアンサンブルを見せて一時はベイリス
退屈症候群と言われたレースシーズンを急激に変えていきました。
エドワーズのタイトルの可能性が見え始めたホンダサイドも
開発に邁進。一部にはシーズン開幕当初の予算の倍を掛けて
予算度外視で速くなるために必要なマテリアルやアイデアを
突っ込んで戦いに来ているという話も出ていたほどでした。
そして、イモラの最終戦。結果的にエドワーズはベイリスを
打ち破り世界チャンピオンを奪いとりました。
このレースの歴史に名を残す凄まじいバトルを見せた後、
二人はスーパーバイク世界選手権から戦いの場を様々な
思惑や事情が重なりMotoGPに移すことになりました。
(以下続く)
入ったトロイ・ベイリス。シーズン開幕してから連勝街道を
驀進しました。
まぁ、このシーズン前半の強いこと速いこと。四戦を終えた
時点で他のライバルからギブアップ宣言が出たほどでした。
そんな、磐石に思えたベイリスとドゥカティでしたが、
その彼に急にかげりが見え始めます。
そんな敵失にしっかり付け込むのが勝負師。コーリン・
エドワーズがホンダのV2マシンを駆って猛反撃に出ました。
レースシーズン中盤からの開発のテンポとエドワーズの
快走は激しいアンサンブルを見せて一時はベイリス
退屈症候群と言われたレースシーズンを急激に変えていきました。
エドワーズのタイトルの可能性が見え始めたホンダサイドも
開発に邁進。一部にはシーズン開幕当初の予算の倍を掛けて
予算度外視で速くなるために必要なマテリアルやアイデアを
突っ込んで戦いに来ているという話も出ていたほどでした。
そして、イモラの最終戦。結果的にエドワーズはベイリスを
打ち破り世界チャンピオンを奪いとりました。
このレースの歴史に名を残す凄まじいバトルを見せた後、
二人はスーパーバイク世界選手権から戦いの場を様々な
思惑や事情が重なりMotoGPに移すことになりました。
(以下続く)
ベイリスとヤス ベイリスティックな十年物語 その二
2006年10月21日 スポーツ2000年、SUGOでのチャンスをタイヤのマッチングの
悪さで逃したものの、再び巡ってきたチャンスをしっかりもの
にして、さらに好成績を収めて終えたシーズン。ベイリスは
初めて世界選手権のシーズンをエースライダーとして多くの
テストをこなして臨むことになりました。
この年の私はスーパースポートのチームのお手伝いをしながら
ベイリスの走りを見ていました。
チームに慣れ、開幕前から自分のバイクを理解し、それを
最大限発揮した彼にもたらされたのは勝利の数々。
チームメイトのチャウスがタイヤとバイクのマッチングに
苦しむ中、彼は好成績でシーズン後半に大量のリードを
築いてドイツ、オランダの二週連続のレースへ。
グランプリのチェコを終えて、オッシャースレーベンに
やって来た私はこの年参戦していたチームとサーキットで
合流するつもりでいたのですが、このイタリアのチームは
サーキットに現れず、FGSPORTのフランコに言われた
言葉は『あぁ、あいつは怪我してここには来ない。あのチーム
はドイツは走らないから』というものでした。
ショックで声が出ない私でしたが、沈んでばかりもいられないし
わざわざチェコのブルノからここまでやって来て帰るのも
馬鹿らしいので、いくつかのチームを手伝うということで
中に入れてもらい、あるフランスのチームを手伝うことに
なりました。(まぁ、芸は身を助けるというか、下手なフランス
語が私を救っていることを肌身で感じましたね)
どうやらこうやらドイツ、オランダにパドックに入れることに
なった私はこの二週をサーキットで過ごしました。
そして、オランダのアッセン。テニスファンにとっての
ウィンブルドンやゴルフファンにとってのオーガスタが
特別であるようにロードレースファンにとってのアッセンは
色々な歴史や土壌を持ったサーキットで有名です。
そのアッセンという世界のレースファンに愛され、多くの
ライダーが憧れるサーキットでトロイ・ベイリスは
世界王者になりました。
お金がなくて、お金のかかる世界で成功するには遠回りしたり
損をしたりしたこのオージー。メーカーとの関係が希薄で
世界に出てくるのが遅かったこのライダーが他のサーキット
よりライダーの能力が勝敗やラップタイムに関わる度合いが
高いこのアッセンというサーキットで世界チャンピオンを
決めたというのは何か、彼のライダー人生を象徴している
ような気がしましたね。
22歳から走り始めた彼が体ひとつでここまでやって来て、
そしてアッセンというスペシャルな場所で王者になった。
オーストラリア国歌の歌えない私は、喜びに涙ぐみながら
イタリア国歌を表彰台の前で歌っていました。
(以下続く)
悪さで逃したものの、再び巡ってきたチャンスをしっかりもの
にして、さらに好成績を収めて終えたシーズン。ベイリスは
初めて世界選手権のシーズンをエースライダーとして多くの
テストをこなして臨むことになりました。
この年の私はスーパースポートのチームのお手伝いをしながら
ベイリスの走りを見ていました。
チームに慣れ、開幕前から自分のバイクを理解し、それを
最大限発揮した彼にもたらされたのは勝利の数々。
チームメイトのチャウスがタイヤとバイクのマッチングに
苦しむ中、彼は好成績でシーズン後半に大量のリードを
築いてドイツ、オランダの二週連続のレースへ。
グランプリのチェコを終えて、オッシャースレーベンに
やって来た私はこの年参戦していたチームとサーキットで
合流するつもりでいたのですが、このイタリアのチームは
サーキットに現れず、FGSPORTのフランコに言われた
言葉は『あぁ、あいつは怪我してここには来ない。あのチーム
はドイツは走らないから』というものでした。
ショックで声が出ない私でしたが、沈んでばかりもいられないし
わざわざチェコのブルノからここまでやって来て帰るのも
馬鹿らしいので、いくつかのチームを手伝うということで
中に入れてもらい、あるフランスのチームを手伝うことに
なりました。(まぁ、芸は身を助けるというか、下手なフランス
語が私を救っていることを肌身で感じましたね)
どうやらこうやらドイツ、オランダにパドックに入れることに
なった私はこの二週をサーキットで過ごしました。
そして、オランダのアッセン。テニスファンにとっての
ウィンブルドンやゴルフファンにとってのオーガスタが
特別であるようにロードレースファンにとってのアッセンは
色々な歴史や土壌を持ったサーキットで有名です。
そのアッセンという世界のレースファンに愛され、多くの
ライダーが憧れるサーキットでトロイ・ベイリスは
世界王者になりました。
お金がなくて、お金のかかる世界で成功するには遠回りしたり
損をしたりしたこのオージー。メーカーとの関係が希薄で
世界に出てくるのが遅かったこのライダーが他のサーキット
よりライダーの能力が勝敗やラップタイムに関わる度合いが
高いこのアッセンというサーキットで世界チャンピオンを
決めたというのは何か、彼のライダー人生を象徴している
ような気がしましたね。
22歳から走り始めた彼が体ひとつでここまでやって来て、
そしてアッセンというスペシャルな場所で王者になった。
オーストラリア国歌の歌えない私は、喜びに涙ぐみながら
イタリア国歌を表彰台の前で歌っていました。
(以下続く)
ベイリスとヤス。ベイリスティックな十年物語 その一
2006年10月21日 スポーツスーパーバイク世界選手権のワールドチャンピオンになった
トロイ・ベイリスと私YASUが初めて会ったのが97年の
オーストラリア。立場や肩書きを変えながらサーキットという
磁場で同じ空気を吸い、色々なことを感じたり、話したり
していたこの十年のストーリー。
97年のオーストラリアGP。前の週のインドネシアで
転倒した沼田の代打でスズキの250cc急遽駆ることに
なったライダー。それがベイリスでした。
この年のオーストラリア選手権のSBKクラス二位という
成績のオージーはいきなりもらった話で準備などほとんど
ない中、卓越した才能と地の利をアドバンテージにして
予選で二列目をゲットするという好成績を収め。日曜の
午後でも世界の列強にひるむことなく攻撃的な走りを披露。
一気にオーストラリア国内だけでなく全世界の関係者と
レースファンの注目を浴びました。
一回のチャンスを活かして世界に行けるのではないか。
阿部や上田のように一気に世界への階段を駆け上がっていく
のではないかと思った人も多かったのでしょうが、彼には
欠けているものがありました。
メーカーとの強固な関係性とお金。そして、若さでした。
スズキのマシンでオーストラリア国内を走っていた当時の
彼でしたが、それほど浜松のメーカーとの間に強い結び
つきはなく、多くのライダーがお金持ちの子供で小さいころから
ミニバイクなどで走るような経済環境があったわけでもなく、
当時の彼はもう四捨五入すれば30でした。
いくつかの話が出てきては、お金やスポンサーのことが壁に
なり、つぶれていった彼に回ってきた話は98年シーズンを
ドゥカティでイギリスのSBKを走るという話でした。
国内選手権で高いレベルであり、各メーカーが人やモノを
かなりかけて戦うステージで彼は参戦二年目の99年に
タイトルを獲得します。
さぁ、いよいよ2000年シーズンは世界かと思っていた
彼にドゥカティ本社からもらったリクエストはアメリカで戦うというもの。
世界がだめならアメリカという場所でいい成績でお金と
名誉を得ようと彼がアメリカで戦う準備をしていた時に
起きたのが、当時のドゥカティのエースのフォガティの
事故でした。
アメリカに向いていた彼の体がボルゴパニガーレのドゥカティ
からの指令で日本で帝王の代打で走ることになりました。
しかし、この時のSUGOでのレースはミシュランタイヤの
マッチングがだめだめでひどい成績で終わりました。
彼の世界選手権での走りはこれでおしまいになってしまうのか
と思われていた頃、日本の後のイギリスでカダローラがこれまた
ファクトリーバイクでの走りとは思えない順位でレースを
終えました。
イタリアのバイクメーカーにとって重要なモンツァでの
レース。彼は再びファクトリーバイクを走らせるチャンスを
得ました。
このレースの木曜日に97年のオーストラリア以来の
再会を果たした我々。緊張感とやる気のミクスチャーが
彼の言葉と顔つきからひしひし伝わってきました。
この機会を逃したら、これから先どうなるのか、彼のレース人生
の中で重要なレースウィーク。彼は第一レース、第二レース
ともに四位という成績でドゥカティ首脳陣の信用を勝ち得ました。
二週間後のドイツのホッケンハイム。この時の我々の立ち位置
というのはドゥカティのファクトリーライダーとライバルチーム
の通訳ということでこのレースウィークを送りましたが、
彼はこの時に世界選手権での初優勝を奪いとりました。
悔しい反面、すごくうれしい気持ちだったのを覚えています。
そこからの彼はドゥカティのファクトリーライダーとして
メーカーやチームの期待に応える走りを見せて、翌年の
世界選手権参戦の契約を勝ち取りました。
(以降続く)
トロイ・ベイリスと私YASUが初めて会ったのが97年の
オーストラリア。立場や肩書きを変えながらサーキットという
磁場で同じ空気を吸い、色々なことを感じたり、話したり
していたこの十年のストーリー。
97年のオーストラリアGP。前の週のインドネシアで
転倒した沼田の代打でスズキの250cc急遽駆ることに
なったライダー。それがベイリスでした。
この年のオーストラリア選手権のSBKクラス二位という
成績のオージーはいきなりもらった話で準備などほとんど
ない中、卓越した才能と地の利をアドバンテージにして
予選で二列目をゲットするという好成績を収め。日曜の
午後でも世界の列強にひるむことなく攻撃的な走りを披露。
一気にオーストラリア国内だけでなく全世界の関係者と
レースファンの注目を浴びました。
一回のチャンスを活かして世界に行けるのではないか。
阿部や上田のように一気に世界への階段を駆け上がっていく
のではないかと思った人も多かったのでしょうが、彼には
欠けているものがありました。
メーカーとの強固な関係性とお金。そして、若さでした。
スズキのマシンでオーストラリア国内を走っていた当時の
彼でしたが、それほど浜松のメーカーとの間に強い結び
つきはなく、多くのライダーがお金持ちの子供で小さいころから
ミニバイクなどで走るような経済環境があったわけでもなく、
当時の彼はもう四捨五入すれば30でした。
いくつかの話が出てきては、お金やスポンサーのことが壁に
なり、つぶれていった彼に回ってきた話は98年シーズンを
ドゥカティでイギリスのSBKを走るという話でした。
国内選手権で高いレベルであり、各メーカーが人やモノを
かなりかけて戦うステージで彼は参戦二年目の99年に
タイトルを獲得します。
さぁ、いよいよ2000年シーズンは世界かと思っていた
彼にドゥカティ本社からもらったリクエストはアメリカで戦うというもの。
世界がだめならアメリカという場所でいい成績でお金と
名誉を得ようと彼がアメリカで戦う準備をしていた時に
起きたのが、当時のドゥカティのエースのフォガティの
事故でした。
アメリカに向いていた彼の体がボルゴパニガーレのドゥカティ
からの指令で日本で帝王の代打で走ることになりました。
しかし、この時のSUGOでのレースはミシュランタイヤの
マッチングがだめだめでひどい成績で終わりました。
彼の世界選手権での走りはこれでおしまいになってしまうのか
と思われていた頃、日本の後のイギリスでカダローラがこれまた
ファクトリーバイクでの走りとは思えない順位でレースを
終えました。
イタリアのバイクメーカーにとって重要なモンツァでの
レース。彼は再びファクトリーバイクを走らせるチャンスを
得ました。
このレースの木曜日に97年のオーストラリア以来の
再会を果たした我々。緊張感とやる気のミクスチャーが
彼の言葉と顔つきからひしひし伝わってきました。
この機会を逃したら、これから先どうなるのか、彼のレース人生
の中で重要なレースウィーク。彼は第一レース、第二レース
ともに四位という成績でドゥカティ首脳陣の信用を勝ち得ました。
二週間後のドイツのホッケンハイム。この時の我々の立ち位置
というのはドゥカティのファクトリーライダーとライバルチーム
の通訳ということでこのレースウィークを送りましたが、
彼はこの時に世界選手権での初優勝を奪いとりました。
悔しい反面、すごくうれしい気持ちだったのを覚えています。
そこからの彼はドゥカティのファクトリーライダーとして
メーカーやチームの期待に応える走りを見せて、翌年の
世界選手権参戦の契約を勝ち取りました。
(以降続く)
superbike magny cours stk600 e stk 1000
2006年10月18日 スポーツsimeon ha vinto il titolo stk 600 under 20 poi
dopo la squalifica di mv agusta con scassa ha regalato
al polita il titolo stk 1000
il titolo gia finito pero’ il duello non finisce mai
fino all’ultima tappa e all’ultimo giro tutti
arrivavano da vincere
stk 600
senza canepa con ducati stk simeon sta tranquillo
davide giugliano con la kawasaki e’ forma pero’
il nuovo campione di stk ha grande vantaggio
sopratutto alla curva veloce
se volesse vincere il kawasakista di roma
doveva fare tappabuchi sul suzukista
la gara comincia come il pronostico il duello
fra simeon e giugliano
il ximeon gira a magny cours di piu’
cioe’ il pilota di suzuki 600 partecipa anche la coppa
suzuki gsx600 cosi ha gia studiato tanto e
esperienza da girare di piu’ anzi il pilota della kawasaki
ha molto corragioso e non permetteva mai per simeon da
fugare
all’ultimi giri davide era in testa poi cominciava
fugare pero’ simeon puo’ girare con lo stesso tempo
se volesse arrivare al secondo davide giugliano non
guidava mai 100percento con il rischio anzi
lui voleva vincere e ha scommesso alla questa gara
vince o niente
lui ha perso il controllo e caduto
ha regalato la vittoria tranquillamente a simeon
STK1000
questa stagione i piloti della mv agusta sono forti
pero’ quando poteva guidare la moto come preferiscono
polita e corti sono forti
dopo essere caduto non sta alla griglia di stk 1000
ayrton badovini ha preparato ritornare in italia
poi luca scassa fermava la gara
due protagonsti con mv agusta non erano da vincere
domenica mattina
il duello fra di corti e polita dietro di loro
c’era mattio baiocco con yamaha r1
ultima tappa di stk 1000 c’era bella gara
polita voleva attaccare anzi corti non dava mai
lo spazio
gli ultimi giri corti al comando e fugava
polita voleva seguire anzi il pilota di como con r1
poteva tenere il vantaggio
ha vinto corti poi polita con suzuki gsx-r
terzo ottimo baiocco con la sua r1
regalava buon risulta alla squardra nuova team umbria bike
dopo la squalifica di mv agusta con scassa ha regalato
al polita il titolo stk 1000
il titolo gia finito pero’ il duello non finisce mai
fino all’ultima tappa e all’ultimo giro tutti
arrivavano da vincere
stk 600
senza canepa con ducati stk simeon sta tranquillo
davide giugliano con la kawasaki e’ forma pero’
il nuovo campione di stk ha grande vantaggio
sopratutto alla curva veloce
se volesse vincere il kawasakista di roma
doveva fare tappabuchi sul suzukista
la gara comincia come il pronostico il duello
fra simeon e giugliano
il ximeon gira a magny cours di piu’
cioe’ il pilota di suzuki 600 partecipa anche la coppa
suzuki gsx600 cosi ha gia studiato tanto e
esperienza da girare di piu’ anzi il pilota della kawasaki
ha molto corragioso e non permetteva mai per simeon da
fugare
all’ultimi giri davide era in testa poi cominciava
fugare pero’ simeon puo’ girare con lo stesso tempo
se volesse arrivare al secondo davide giugliano non
guidava mai 100percento con il rischio anzi
lui voleva vincere e ha scommesso alla questa gara
vince o niente
lui ha perso il controllo e caduto
ha regalato la vittoria tranquillamente a simeon
STK1000
questa stagione i piloti della mv agusta sono forti
pero’ quando poteva guidare la moto come preferiscono
polita e corti sono forti
dopo essere caduto non sta alla griglia di stk 1000
ayrton badovini ha preparato ritornare in italia
poi luca scassa fermava la gara
due protagonsti con mv agusta non erano da vincere
domenica mattina
il duello fra di corti e polita dietro di loro
c’era mattio baiocco con yamaha r1
ultima tappa di stk 1000 c’era bella gara
polita voleva attaccare anzi corti non dava mai
lo spazio
gli ultimi giri corti al comando e fugava
polita voleva seguire anzi il pilota di como con r1
poteva tenere il vantaggio
ha vinto corti poi polita con suzuki gsx-r
terzo ottimo baiocco con la sua r1
regalava buon risulta alla squardra nuova team umbria bike
superbike magny cours la gara
2006年10月18日 スポーツdopo essere caduto ivan goi con cbr 1000
fermava abbastanza tanti minuti
cosi tutti piloti di supersport non partecipavano alle 13 20
qualche piloto che era caduto ha un po’ di tempo di
ricuperare sia pilota sia moto
chi tiene la fortuna chi sente la sfortuna vediamo
partecipa bene anche qui il turchese sofuogru
dietro di lui due piloti della yamaha germany poi
seb charpentier che viene solamente da vincere
il pilota francese al comando e subito vicinava a sofuogru
i primi giri sofuogru e’ in testa con ottimo tempo
dietro di lui charpentier quasi con stesso tempo
broc parks poteva seguire due piloti della honda
guidava bene la sua r6 cosi il gruppo vincetori
c’erano sofuogru charpentier e parks
il duello per quarto posto davide checa e kavin curtain
dietro di loro nannelli fujiwara harms
charpentier arrivava in testa il turchese ha lasciato
il francese preparava lo spazio e entrava il pilota della
casa come il periodo di imola cominciava seguire il comapagno
al ottavo giro ha fatto il miracolo
kevin curtain ha caduto e si fermava la gara
senza nessun punto ritorna al box
la speranza della yamaha e’ solamente broc parks
pero’ i due hondista fugava e avevano il vantaggio
abbastanza il pilota australiano non poteva vicinare
ai duo di tenkate
charpentier non pensava mai di rallentare
gira solo per vincere dietro di lui sofuogru
le prove e la gara charpentier ha grande vantaggio e
non ha perso la concentrazione mai
e arrivava la fortuna a lui
ha vinto seb charpentier poi sofuogru secondo
poi parks ultimo posto del podio
festeggivano gli appasionati a magny cours e
i staff di ten kate
non hanno prepararto la maglietta di campione del mondo
anzi la festa continuava la sera tardi
il caduto di curtain era misterioso il duello fra
checa e lui era duro pero’ non era durissimo
non sentiva mai la difficolta’ da guidare la moto
pero’ ha perso il controllo di anteriore e
ha finito il titolo mondiale
quarto bravo nannelli con ducati 749 quinto checa con r6
harms con cbr ha preso sesto poi fujiwara sttigefelt
chambon tiberio ecco i primi 10 a magny cours
fermava abbastanza tanti minuti
cosi tutti piloti di supersport non partecipavano alle 13 20
qualche piloto che era caduto ha un po’ di tempo di
ricuperare sia pilota sia moto
chi tiene la fortuna chi sente la sfortuna vediamo
partecipa bene anche qui il turchese sofuogru
dietro di lui due piloti della yamaha germany poi
seb charpentier che viene solamente da vincere
il pilota francese al comando e subito vicinava a sofuogru
i primi giri sofuogru e’ in testa con ottimo tempo
dietro di lui charpentier quasi con stesso tempo
broc parks poteva seguire due piloti della honda
guidava bene la sua r6 cosi il gruppo vincetori
c’erano sofuogru charpentier e parks
il duello per quarto posto davide checa e kavin curtain
dietro di loro nannelli fujiwara harms
charpentier arrivava in testa il turchese ha lasciato
il francese preparava lo spazio e entrava il pilota della
casa come il periodo di imola cominciava seguire il comapagno
al ottavo giro ha fatto il miracolo
kevin curtain ha caduto e si fermava la gara
senza nessun punto ritorna al box
la speranza della yamaha e’ solamente broc parks
pero’ i due hondista fugava e avevano il vantaggio
abbastanza il pilota australiano non poteva vicinare
ai duo di tenkate
charpentier non pensava mai di rallentare
gira solo per vincere dietro di lui sofuogru
le prove e la gara charpentier ha grande vantaggio e
non ha perso la concentrazione mai
e arrivava la fortuna a lui
ha vinto seb charpentier poi sofuogru secondo
poi parks ultimo posto del podio
festeggivano gli appasionati a magny cours e
i staff di ten kate
non hanno prepararto la maglietta di campione del mondo
anzi la festa continuava la sera tardi
il caduto di curtain era misterioso il duello fra
checa e lui era duro pero’ non era durissimo
non sentiva mai la difficolta’ da guidare la moto
pero’ ha perso il controllo di anteriore e
ha finito il titolo mondiale
quarto bravo nannelli con ducati 749 quinto checa con r6
harms con cbr ha preso sesto poi fujiwara sttigefelt
chambon tiberio ecco i primi 10 a magny cours
alla sessione di prove libere giravano solamente 17 piloti
quando iniziava la sessione fa 12 gradi allora tanti piloti
stavano al box e hanno preparato la prove ufficiale
non piove pero’ la condizione non e’ ottimale
il tempo cambia un po’ anzi la velocita’ di francese
non cambiava mai mai mai
dopo aver girato seb charpentier subito al comando
a magny cours mi sembrava che sia la casa di tenkate
il velocissimo charpentier ha distrutto il tempo di ieri
e arrivava al mondo di 1min 42 mezza se non cade e non
avesse fatto il problemma nessuno non si ferma lui
il suo compagna sofuogru non poteva rinnovare il tempo di
ieri pero’ il suo 1min 43 si fa rimanere il secondo
piazzamento
terzo arriva parks con 43.5 poi davide checa 43.7
dietro di lui kevin curtain che non poteva rinnovare
il tempo della prima prove ufficiale
sesto fujiwara e settimo nannelli non poteva miglirare
il tempo di ieri poi ottavo roccoli arrivava 44.2
poi stiggefelt e chambon ci sembra che avrebbero partecipato
ultima gara della carriera
ecco i top 10
quando iniziava la sessione fa 12 gradi allora tanti piloti
stavano al box e hanno preparato la prove ufficiale
non piove pero’ la condizione non e’ ottimale
il tempo cambia un po’ anzi la velocita’ di francese
non cambiava mai mai mai
dopo aver girato seb charpentier subito al comando
a magny cours mi sembrava che sia la casa di tenkate
il velocissimo charpentier ha distrutto il tempo di ieri
e arrivava al mondo di 1min 42 mezza se non cade e non
avesse fatto il problemma nessuno non si ferma lui
il suo compagna sofuogru non poteva rinnovare il tempo di
ieri pero’ il suo 1min 43 si fa rimanere il secondo
piazzamento
terzo arriva parks con 43.5 poi davide checa 43.7
dietro di lui kevin curtain che non poteva rinnovare
il tempo della prima prove ufficiale
sesto fujiwara e settimo nannelli non poteva miglirare
il tempo di ieri poi ottavo roccoli arrivava 44.2
poi stiggefelt e chambon ci sembra che avrebbero partecipato
ultima gara della carriera
ecco i top 10
kevin curtain arriva in francia con zeppo di vantaggio
anzi seb charpentier ha un pochino speranza da vincere
il titolo mondiale
la yamaha ritorna al titolo mondiale con il pilota
australiano poi la honda difende il titolo mondiale ancora
vediamo
fa freddo fredissimo! alla mattina alla prove libere
non pensavano mai di girare piu’ forte
cosi quasi tutti credono di set up giusta per la domenica
al pomeriggio seb charpentier e’ in forma anche il suo
compagno kenan sofuogru che ha vinto due gare consecutivi
paesi bassi e germania poi secondo ad imola
e’ veramente forte grande coppia della tenkate honda
il francese ha cronometrato 1min 42.829
il suo compagno ha fatto 1min 43.097
e terzo? arrivava il leader della classifica mondiale
kevin curtain 43.765 poi il giapponese fujiwara
44.0
cioe’ fra charpentier e terzo curtain c’e’ differenza
nove decimo!!
curtain e fujiwara non sono male anzi i piloti della
tenkate sono bravissimi e velocissimi!!
quinto il ducatista nannelli il compagno di curtain
broc parks sesto settimo altre il pilota della yamaha
davide checa che ha girato mille volte con la yamaha mille
da partecipare endurance ottavo il svedese manager pilota
stigefelt (la voci del paddock questa gara e’ ultima
per la sua carriera) nono il kawasakista e chambon
che molto probabile finisce la sua carrierra alla sua casa
poi vizziello decimo ecco i top 10 di venerdi
mercato
ufficialmente la kawasaki motor europa annuncia
la forma nel 2007
gil motor kawasaki partecipa con due moto ufficiali
del modello 2007
i piloti sono fabien foret e pere riba
un pilota e’ ex campione del mondo e ha esperienza
girare con tante moto di supersport altre pilota
e’ collaudatore e partecipa al campionato britanico
alla ultima tappa di supersport non gira mexime berger
e al suo posto arriva fabien foret e comincia lavorare
insieme con gil motorsport prima di girare la nuova
kawasaki
la klintermoto czech klaffi non gira lavrive
gira in francia arie vos che aveva girato qualche
gara nel 2005 come terzo pilota della tenkate
sanna arriva!
team portogese tiene il pilota fiorentino che
ha preso ottimo secondo posto a misano adreatico
e voleva guardagnare i punti in francia
anzi seb charpentier ha un pochino speranza da vincere
il titolo mondiale
la yamaha ritorna al titolo mondiale con il pilota
australiano poi la honda difende il titolo mondiale ancora
vediamo
fa freddo fredissimo! alla mattina alla prove libere
non pensavano mai di girare piu’ forte
cosi quasi tutti credono di set up giusta per la domenica
al pomeriggio seb charpentier e’ in forma anche il suo
compagno kenan sofuogru che ha vinto due gare consecutivi
paesi bassi e germania poi secondo ad imola
e’ veramente forte grande coppia della tenkate honda
il francese ha cronometrato 1min 42.829
il suo compagno ha fatto 1min 43.097
e terzo? arrivava il leader della classifica mondiale
kevin curtain 43.765 poi il giapponese fujiwara
44.0
cioe’ fra charpentier e terzo curtain c’e’ differenza
nove decimo!!
curtain e fujiwara non sono male anzi i piloti della
tenkate sono bravissimi e velocissimi!!
quinto il ducatista nannelli il compagno di curtain
broc parks sesto settimo altre il pilota della yamaha
davide checa che ha girato mille volte con la yamaha mille
da partecipare endurance ottavo il svedese manager pilota
stigefelt (la voci del paddock questa gara e’ ultima
per la sua carriera) nono il kawasakista e chambon
che molto probabile finisce la sua carrierra alla sua casa
poi vizziello decimo ecco i top 10 di venerdi
mercato
ufficialmente la kawasaki motor europa annuncia
la forma nel 2007
gil motor kawasaki partecipa con due moto ufficiali
del modello 2007
i piloti sono fabien foret e pere riba
un pilota e’ ex campione del mondo e ha esperienza
girare con tante moto di supersport altre pilota
e’ collaudatore e partecipa al campionato britanico
alla ultima tappa di supersport non gira mexime berger
e al suo posto arriva fabien foret e comincia lavorare
insieme con gil motorsport prima di girare la nuova
kawasaki
la klintermoto czech klaffi non gira lavrive
gira in francia arie vos che aveva girato qualche
gara nel 2005 come terzo pilota della tenkate
sanna arriva!
team portogese tiene il pilota fiorentino che
ha preso ottimo secondo posto a misano adreatico
e voleva guardagnare i punti in francia
フランスのSBKの後、イタリアに戻ったのですが、
日本語が書けなかったり、ばたばたしていたりと
このブログを注目している日本語を母国語とする皆様の
期待や希望に添えない日々が続いたあげくにDiarynote
さんのメンテナンスなども重なってしまいました。
色々ネタはあるので、これから日本語で書ける環境の時には
がっつり書いていこうと思います。
日本語が書けなかったり、ばたばたしていたりと
このブログを注目している日本語を母国語とする皆様の
期待や希望に添えない日々が続いたあげくにDiarynote
さんのメンテナンスなども重なってしまいました。
色々ネタはあるので、これから日本語で書ける環境の時には
がっつり書いていこうと思います。
superbike magny cours sbk domenica
2006年10月18日 スポーツfa freddo pero’ non tanto come previsto
alla mattina alla sessione di stk era confusione
se avesse caduto all’ultima curva e dopo aver buttato
via benzine o/e aqua subito la bandiera rossa
alla mattina l’orologio in ritardo e pomeriggio ?
la gara uno
al primo giro subito comando tutti protagonisti
pero’ alla fine del giro il direzione della gara
indicava la bandiera rossa
questa volta non ha fatto mai le petronas
ha fatto ivan goi con cbr 1000 e fermava la gara uno
dopo aver pulito bene e il direzione della gara
iniziava creare il nuovo l’orologio e
tutti altri ritornavano alla griglia
riparte della gara uno
subito al comando troy corser subito dopo
toseland haga muggeridge bayliss pitt e lanzi
al quarto giro bayliss batte il recordo della pista e
ha spinto per il titolo costruttori
pero’ toseland ha un po’ di vantaggio guidava tranquillamente
anzi altri piloti hanno spinto con massimo livello
toseland e haga sono rivale da combattere il secondo posto
del campionato generale il pilota di nagoya attacca
paio di volte pero’ il pilota inglese non porta il
spazio per lui
da metagara il gruppo della testa ci sono 4moto
con 4 marchi diversi toseland con honda
haga con yamaha corser con suzuki poi bayliss con ducati
c’e’ la gara fantastica pero’ questa gara
toseland sempre ha qualche vantaggio
alla fine poteva guidare come preferisce
e arriva al top poi non regalava mai lo spazio
per gli tutti altri
ha vinto inglese poi haga all’ultimo posto del podio
e troy corser subito dietro troy bayliss che portava
il titolo marchio per la casa di borgo panigale
quinto kagayama poi walker barros lanzi e laconi
ecco top10 della prima manche
la gara 2
dopo aver dominato anche il titolo del marchio
troy bayliss non pensa mai di giro con suo 95percent
allora troy corser al comando poi il velocissima fireblade
toseland andava forte poi anche troy corser girava molto
bene
pero’ dopo aver vinto all’ultima gara puo’ sentire
il guisto vincente fino al marzo nel 2007
troy bayliss voleva tenere due titoli mondiale
sia pilota sia marchio poi non voleva la gara perduta
fino a doha (oppure phillipe island) ha spinto e
molto determinato fino all’ultimo giro
allora ancora in francia abbiamo sentito l’inno australiano
e quello d’italia
la secondo altre troy cioe’ corser poi terzo
toseland nuovo e ex campione del mondo sul podio
in francia
haga mancava qualcosa e doveva rallentare da metagara
quinto il suo compagno pitt quinto
muggeridge lanzi walker kagayama e barros
ecco i primi 10
alla mattina alla sessione di stk era confusione
se avesse caduto all’ultima curva e dopo aver buttato
via benzine o/e aqua subito la bandiera rossa
alla mattina l’orologio in ritardo e pomeriggio ?
la gara uno
al primo giro subito comando tutti protagonisti
pero’ alla fine del giro il direzione della gara
indicava la bandiera rossa
questa volta non ha fatto mai le petronas
ha fatto ivan goi con cbr 1000 e fermava la gara uno
dopo aver pulito bene e il direzione della gara
iniziava creare il nuovo l’orologio e
tutti altri ritornavano alla griglia
riparte della gara uno
subito al comando troy corser subito dopo
toseland haga muggeridge bayliss pitt e lanzi
al quarto giro bayliss batte il recordo della pista e
ha spinto per il titolo costruttori
pero’ toseland ha un po’ di vantaggio guidava tranquillamente
anzi altri piloti hanno spinto con massimo livello
toseland e haga sono rivale da combattere il secondo posto
del campionato generale il pilota di nagoya attacca
paio di volte pero’ il pilota inglese non porta il
spazio per lui
da metagara il gruppo della testa ci sono 4moto
con 4 marchi diversi toseland con honda
haga con yamaha corser con suzuki poi bayliss con ducati
c’e’ la gara fantastica pero’ questa gara
toseland sempre ha qualche vantaggio
alla fine poteva guidare come preferisce
e arriva al top poi non regalava mai lo spazio
per gli tutti altri
ha vinto inglese poi haga all’ultimo posto del podio
e troy corser subito dietro troy bayliss che portava
il titolo marchio per la casa di borgo panigale
quinto kagayama poi walker barros lanzi e laconi
ecco top10 della prima manche
la gara 2
dopo aver dominato anche il titolo del marchio
troy bayliss non pensa mai di giro con suo 95percent
allora troy corser al comando poi il velocissima fireblade
toseland andava forte poi anche troy corser girava molto
bene
pero’ dopo aver vinto all’ultima gara puo’ sentire
il guisto vincente fino al marzo nel 2007
troy bayliss voleva tenere due titoli mondiale
sia pilota sia marchio poi non voleva la gara perduta
fino a doha (oppure phillipe island) ha spinto e
molto determinato fino all’ultimo giro
allora ancora in francia abbiamo sentito l’inno australiano
e quello d’italia
la secondo altre troy cioe’ corser poi terzo
toseland nuovo e ex campione del mondo sul podio
in francia
haga mancava qualcosa e doveva rallentare da metagara
quinto il suo compagno pitt quinto
muggeridge lanzi walker kagayama e barros
ecco i primi 10
superbike magny cours sbk il secondo giorno
2006年10月18日 スポーツal secondo prove libero di supersport giravano solamente
circa 10 insieme tanti altri sono stati al box
alla pista dove faceva 12gradi
tutti dicevano freddo e pensano di risparmiare le gomme
fine della sessione di supersport noriyuki haga
mi ha detto" pochi girano e meglio pensare di superpole
sirumamente lui era giusto cosi periodo di prove ufficiale
di superbike non pensavano di attacare di piu’
e preparavano il duello dalle 16 con 16 piloti
oppure il set up per le gare di domenica
il francese sulla kawasaki cominciava alla pista di
magny cours iniziava la festa francese
il pilota piu’ popolare in francia guidava la sua
kawasaki pero’ la moto non e’ in forma
cosi abbiamo sentito grande differenza fra il suo talento
e il cronometro
anzi il pilota tedesco della suzuki alstare system
senza supporto elettorico
max neukirchner ci faceva il grande sorpresa
il pilota tedesco con la sua suzuki mille
ha cronometrato 1min 39.9
tutti altri pensavano di distruggere il suo migliore tempo
pitt e barros erano i protagonisti ad imola pero’ qua
in francia devono partecipare dietro del pilota tedesco
loro non potevano trovare ottima forma e sono i piloti
della club 1min 40secondi
karl muggeridge e’ il primo pilota da sorpassare il tempo di
giovane max poi due piloti della xerox ducati arriva
al 1min 39.911
poi anche troy bayliss ha trovato ottima forma e
1min 39.944
pero’ questa fine settimana e’ molto importante
per altre troy
corser faceva il capolavoro e ha fatto 1min 39.147!!
lanzi e toseland attacavano con il grande agonismo
pero’ non potevano arrivare 1min 39.1
anziche il pilota di cesena 1min 39.773
il pilota inglese 1min 39.355
oggi il giorno per troy corser con la suzuki gsx
altri devono esistere solamente outsider
top 10
troy corser
james toseland
lorenzo lanzi
karl muggeridge
noriyuki haga
troy bayliss
mex neukirchner
yukio kagayama
fonsi nieto
circa 10 insieme tanti altri sono stati al box
alla pista dove faceva 12gradi
tutti dicevano freddo e pensano di risparmiare le gomme
fine della sessione di supersport noriyuki haga
mi ha detto" pochi girano e meglio pensare di superpole
sirumamente lui era giusto cosi periodo di prove ufficiale
di superbike non pensavano di attacare di piu’
e preparavano il duello dalle 16 con 16 piloti
oppure il set up per le gare di domenica
il francese sulla kawasaki cominciava alla pista di
magny cours iniziava la festa francese
il pilota piu’ popolare in francia guidava la sua
kawasaki pero’ la moto non e’ in forma
cosi abbiamo sentito grande differenza fra il suo talento
e il cronometro
anzi il pilota tedesco della suzuki alstare system
senza supporto elettorico
max neukirchner ci faceva il grande sorpresa
il pilota tedesco con la sua suzuki mille
ha cronometrato 1min 39.9
tutti altri pensavano di distruggere il suo migliore tempo
pitt e barros erano i protagonisti ad imola pero’ qua
in francia devono partecipare dietro del pilota tedesco
loro non potevano trovare ottima forma e sono i piloti
della club 1min 40secondi
karl muggeridge e’ il primo pilota da sorpassare il tempo di
giovane max poi due piloti della xerox ducati arriva
al 1min 39.911
poi anche troy bayliss ha trovato ottima forma e
1min 39.944
pero’ questa fine settimana e’ molto importante
per altre troy
corser faceva il capolavoro e ha fatto 1min 39.147!!
lanzi e toseland attacavano con il grande agonismo
pero’ non potevano arrivare 1min 39.1
anziche il pilota di cesena 1min 39.773
il pilota inglese 1min 39.355
oggi il giorno per troy corser con la suzuki gsx
altri devono esistere solamente outsider
top 10
troy corser
james toseland
lorenzo lanzi
karl muggeridge
noriyuki haga
troy bayliss
mex neukirchner
yukio kagayama
fonsi nieto