阪神淡路大震災が起きたあの時から長い月日が流れました。
しかし、私たちが日本に住んだり、日本との付き合いがあるなかで
地震というのは避けることができない。

 防げることや被害などを広範囲にしないために個人であったり、集団が
何をできるのか、何をすべきか、どんなことを考えるべきかを考える一日
にしたいと思っています。
 世界中のテニスファンが驚きを持って目に触れたペトラ・クビトバの被害の
件でいわゆる世界のスーパースター達が住む場所に関して考えてしまいました。

 多くの人がモナコだったり、ドバイに住むことを選ぶ。
そういう状況で郷土愛や愛国心を持つ人から非難をされることもあるようですが
お金持ちが集まる場所というのは警備体制であったり、サポートのシステムが
整っていることが考えられる。そう考えると安心して住むことができるのではないか。

 以前、ジャイアント馬場さんが日本プロレスの全盛期の頃で日本中を興業で
周り、金曜の20時台に主に生放送されていた時に何度も泥棒に入られて
被害にあったということを口にしていましたが、ビッグマネーを持つ人がその国の
地方都市に住むことはかなりリスクがあるのではないかと思えてきました。

 モナコやドバイという場所に類を持って集まるということはある意味土壌があること
を意味して、治安などの面でも安心して住むことができることがあるのかなと
今回の一件を読んで思いましたね。
il campione italiano della classe regina della deivate di serie
matteo baiocco lascia la ducati e guida la motociciletta veneta alla prossima
stagione agonistica
http://www.corsedimoto.com/il-caso/matteo-baiocco-va-in-aprilia-cambio-quattro-carte-e-tento-il-poker/

il pilota di ancona pensava di continuare il rapporto con la casa di borgo panigale
pero’ poco prima di finire la stagione lui pensa di parlare con altre squadra e marchio

e’ la notizia sorprendente pero’ ormai il campione italiano e’ convinto della sua scelta
e poi arrivava a cartagena dove comincia il test invernale

allora cosa ci sara’ e cosa ci manca alla prossima stagione agonistica?
vediamo il suo futuro vicinissimo e aspettiamo il suo futuro vicinissimo!





 クリスチャーノ・ロナウドが以前、PR活動で子供にポルトガル語で質問された
時の話が話題になっているのですが、そこで思ったのは今年の鈴鹿八耐です。

 今年の八耐の日曜日のスタート直前にFIMの会長のビット・イッポリート氏が
挨拶をしました。

 私は当然、英語か彼の母国語のスペイン語になるだろうと思っていたのですが
そこで彼の口から発せられたのは何と日本語でした。

 スペイン語やイタリア語を母国語とする人が日本語の発音をするのはそれほど
難しいことではないと思うのですが、まさか会長の口から日本語での挨拶がされる
とは想像できなくて、かなり衝撃を受けましたね。

 このあと、スタート直前のメインストレートで会長とお話する機会に恵まれて
大変感動したし、素晴らしい挨拶でしたと伝えると、笑みを浮かべながら、
喜んでいましたが、普段、使わない言語を用いてオフィシャリーな場所で
言葉を発するというのは大変、意味があり、同時に訴えるものが大きいと
思いましたね。

 少年がクリスチャーノ・ロナウドにたどたどしいポルトガル語で話した時は周囲から
笑いが起きましたが、鈴鹿サーキットにはそういったことはなく、私はただただ
感動していました。

 
 能力と若さがあり、いい意味で欲が深いフランス人ライダーとしばらくのブランクから
世界選手権に戻ってくる磐田のメーカーがお互いに必要なものを突き詰めていって
今回の発表になりました。ルーカス・マヒアスは2017年シーズンをスーパースポート
世界選手権でR6を走らせて、世界の列強に挑みます。
https://www.moto-net.com/article/lucas-mahias-sur-la-yamaha-officielle-de-grt-racing-en-supersport-2017.html

 ここ数年、スーパースポート世界選手権はカワサキライダー対ホンダライダーの
戦いが続いていました。

 ヤマハの傑作バイクであるR6。このマシンがスーパースポート世界選手権の
戦いからいなくなって、大きな不在感を感じていた人は多かったことでしょう。

 磐田のメーカーとしては参戦するとするなら、いいライダーと契約して、
準備がしっかいと整ってからでないと意味はないと考えていたのか
色々なところから復帰の噂が出ながら、今年もR6を見ることがなくシーズンが
終了しました。

 果たしてヤマハの次の一手は何なのかと思っていたところでルーカス・マヒアス
がR6で走ることが明らかになりました。

 来年のスーパースポート世界選手権の戦いは激しく厳しいものになることでしょう。
今から楽しみです。



 
il talenutoso pilota francese guida la nuova moto della yamaha
lucas mahias sta alla pista con la R6 alla prossima stagione agonistica!
https://www.moto-net.com/article/lucas-mahias-sur-la-yamaha-officielle-de-grt-racing-en-supersport-2017.html

il pilota ha determinazione e fino oggi lui mi fa vedere la gara impressionante
e la casa di iwata pensa di ritornare alla pista di campionato mondiale di supersport
con la nuovissima moto R6

allora lucas mahias non vuole stare alla pista solamente il tappabuchi
e la casa nipponica bisogna di tenere il pilota che ha il gran desiderio per il futuro vicino

gli ultimi anni alle piste di supersport mondiale c’e’ il duello fra kawasakista e hondista
pero’ tutti appasionati del motociclismo possono capire il vero potente della R6

ancora non sappiamo mai solamente mahias guida la R6 o altre pilota e squadra
firma con la yamaha o no

vediamo e aspettimamo la prossima notizia per la stagione di 2017
 アイルトン・バドビーニがカワサキのマシンで2017年のスーパーバイク世界選手権
を走ることが明らかになりました。
http://www.corsedimoto.com/in-pista/mondiale-sbk/superbike-2017-ayrton-badovini-con-kawasaki-grillini/

 能力はあるが、スポンサーを持っていない。そんなライダーはとりわけこの数年、
世界選手権で走るチャンスを得ることができないでいます。

 アイルトン・バドビーニというのはロレンツォ・ランツィ、アンソニー・ウエストなどと
同様に単純にマシンを走らせる能力だけを考えれば、素晴らしいライダーですが、
ライダーが世界選手権カテゴリーで走る資質をスポンサー獲得能力まで含めると
そういった部分の能力は劣る。そんなわけで世界選手権で走るライダーが怪我だったり
契約などで揉めた時に能力があり、契約的な縛りがない彼が走るという状況が
今年も続いていました。

 その彼と交渉を進めたのがチームグリッリーニ。チームとしてはリッターバイクでの
経験が豊富で様々なメーカーのマシンを走らせたことのあるライダーを求めたのは
当然のこと。

 相互の思惑であったり、希望が高いレベルで合致を見て、今回の2017年の活動の
明らかになりました。

 ライダーがいいマシンやチーム体制を得られないというのはルキノ・ヴィスコンティが
予算がない状態で映画の撮影をするようなものです。

 果たしてボローニャのチームは潤沢な予算を確保できたのか。カワサキの
ファクトリーバイクを用意できるのか。あるいはファクトリーに近いスペックのバイクで参戦できるのか気になるところです。
il pilota che non ha sponsor ormai e’ molto difficile partecipare
al campionato mondiale e ayrton badovini e’ il pilota che non ha i grossi sponsor
e la team vuole il pilota che ha guidato la moto mille e anche con la gomma pirelli
fra di loro hanno cominciato discutere per la nuova stagione agonistica e
il pilota di biella guida la moto di akashi alla squadra bolognese
http://www.corsedimoto.com/in-pista/mondiale-sbk/superbike-2017-ayrton-badovini-con-kawasaki-grillini/

ayrton badovini ebbe guidato tante moto fino oggi
ebbe guidato la MV agusta e BMW alla categoria stock 1000
poi fu stato alle piste di superbike mondiale e ebbe guidato la BMW
e la bimota

lui e’ buon pilota pero’ non ha sponsor e gli ultimi anni le squadre prima di tutto
pensano si pilota che puo’ pagare

ecco per questo ayrton non puo’ partecipare come il pilota permanente
e lui deve fare "il tappabuchi"

ancora non sappiamo mai la moto di grillini sara’ "quasi ufficiale" o "la privatissima"
abbiamo capito tanto luchino visconti ebbe immaginato le belle scene prima di
arrivare allo studio pero’ se mancasse i soldi non ebbe creato le scene come voleva
come il maestro milanese prima di tutto la team e il pilota devono credere di pacchetto
per il programma di nuova stagione

la team grillini puo’ trovare lo sponsor? e team manager ha parlato con la kawasaki
per la moto piu’ competitiva o no? perlomeno la team di emilia romagna ha gia
tenuto il pilota per il futuro vicinissimo

vediamo il talentuoso pilota che puo’ stare alle piste di superbike mondiale nel 2017


 色々な思いがよぎっていますが、カワサキの強さばかりがスーパーバイク、
スーパースポートの二つのクラスで際立ったなぁと思えたシーズンでした。

 この五年ぐらいカワサキの強さと速さを感じていますが、それ以前の
カワサキには美しさや鋭さを感じることが極めて少なかったです。

 以前、藤原克昭と話していた時に『速いバイクというのはやはりカッコイイ
バイクなんだ。見た目がいいバイクというのは空力的にもとんがっていて
鋭さがあって速さに直結しているんだ。』と言っていましたが、ここ五年の
カワサキのバイクはリッターバイクも600のマシンもカッコイイ。

 そして、思うのはかつてのドゥカティやヤマハ、アプリリアのSBKマシンが強かった時に
思ったのは、これは最初にサーキットで走ることを考えて作って、そこで10万単位で
のマシンやエンジンや部品などの信頼性が確認できたら、そこから市販品を
製造しているような印象がありました。

 その時期のカワサキのマシンを思ったのは、先に市販品を製造して、その
マシンをサーキットに持っていって、どれだけ速く走るのか改良を加えている
印象。

 この五年ぐらいのカワサキのバイクは見た目のカッコよさプラス実力のある
ライダーと現場でのオペレーションがしっかりと噛み合って、勝つべくして勝って
スーパーバイクもスーパースポートも制覇したんだなと思いますね。

 果たして来季のホンダのニューマシンがどんな爆発力をヘイデンとブラドルという
ラインナップで見せるのか、カッコイイバイクであるが、今二つの成績だった
ヤマハR1がどういう進化を見せるのか、アプリリアとドゥカティが打倒カワサキ
を目指して、どんな体制で反撃するのか、そして、BMWがどんな動きを見せるのか
来年の2月のオーストラリアが楽しみです。
 イモラでタイトルを決めることができなかったケナン・ソフォーグルですが、
ヘレス・デ・ラ・フロンテラで五度目の世界選手権を決めました。時期が時期だけに
彼のキャリアの分岐点となったレースのことを思い出していました。

 パスポートはトルコ。住んでいるのはドイツ。そういったこともあって、彼が世界格式
のレースの舞台に入ってきた時に彼はヤマハジャーマニーでR1というバイクで
ストック1000選手権で戦っていました。

 ライダー本人の勢いもあり、マシンの戦闘力も高く、チームのレベルも他のチーム
よりも秀でていて、彼がストック1000選手権の主人公の一人になり、タイトルが手の
届くところで最終戦のフランスのマニクールに乗り込んで来ました。

 予選も好調、他のチームのライダーは遥か後方であり、チームメイトのディディエ・
ファンケーミューレンもついていくのが精いっぱいという状況。もう、タイトルは彼の
手のひらにありました。

 そして、最終戦の最終ラップ。彼はトップを快走して、残りは最終コーナーを
立ち上がってチェッカーを受けるだけでした。

 しかし、その彼は最終コーナーをオーバースピードで入り、コースアウト。
転ぶことはなかったのですが、彼のすぐそばをチームメイトであり、ランキング二位
だったベルギー人が抜き去って行き、彼が優勝して、タイトルは彼のものに
なりました。

 まぁ、この時に思ったのはディディエ・ファンケーミューレンにとってはとんでもない
棚ボタ。しかし、同時に思ったのは棚ボタはボタ餅が落ちてくる場所に適切な
準備をして、落ちてくるのを待って手を広げていなければ手に入れることはできない。

 彼にとってタイトルは単なるラッキーではなくて、それまでの成績や走りなどを
見て十分に値するものだと理解していました。

 鮮やかに勝者と敗者が別れた最終戦の表彰台。二位になり、タイトルをほぼ
確実にしながら失った彼にトルコ人の観客が国旗を投げたり、声をかけても
何も反応できなかったケナン・ソフォーグル。あの姿を私は現場で見ていましたが
これはひょっとしたら彼のキャリアの危機に直面したのではないかと思いました。

 その彼が忘れられないレースのデータを読み、何度も映像を見たという話を
後に聞きました。

 ヤマハジャーマニーでのストック1000選手権参戦という形からテン・カーテホンダ
でCBR600を走らせてスーパースポート世界選手権に出走。一年目の前半はかなり
苦しみましたが、同僚のセバスチャン・シャーペンティエから多くのことを学び、
後半はこのカテゴリーでもトップライダーの一人に成長し、翌年は前半から世界の
列強を蹴散らして、このクラスで初めてのワールドタイトルを獲得。タイトル決定の
イギリスのブランズハッチには多くのトルコ人が駆けつけ、世界選手権のレースで
あんなにトルコ国旗が振られる様子を世界中のレースファンが初めて見ました。

 レースシーズンが終わり、ドイツからトルコに帰国した彼を出迎えたレースファンの
数や熱狂ぶりを見て、彼は感激で涙を流しました。

 その後、浮き沈みがありましたが、ホンダでスーパースポート世界選手権の
タイトルを奪い、さらにカワサキでも昨年チャンピオンになり、そして、今年も
最後に苦しみましたが、チャンピオンを獲得した。

 この時期にチャンピオンを獲得したから強く思うのですが、彼の五度目のタイトルの
全ての始まりはあの2004年の後悔しても後悔しきれないあの最終戦の最終ラップの
最終コーナーがあったからではないか。レース界では成功体験よりも失敗体験の
方が教科書になるのですが、彼があのレースのデータを解析して、映像を見まくって
同じミスは二度しない、こんな思いは一度だけでいいという彼の強い思いが走りに
繋がり、彼の求めるものをかつてはホンダやテン・カーテ、その後、カワサキや
バンニ・ロレンツィーニ。この二年はマヌエル・プチェッティが応えてきたから
成立したものでしょう。

 彼のチャンピオン獲得を見て大きなミステイクやとんでもない失敗がライダーを
成長させたり、二度とつまらないミスをしない人、間違いから学ぶ人が世界チャンピオン
になるのだろうなと思い、あの2004年のマニクールの最終ラップの悲劇と今年の
ヘレス・デ・ラ・フロンテラの栄光と喜びに満ちた最終ラップが私の頭の中で
リフレインしています。
 もてぎでの出来事を日記で書いてきましたが、書ききれないこと、話の流れから
外れることがあったので、番外編として書くことにしました。

 ヨハン・スティゲフェルトと再会する。彼とはチームアブルッツォ時代やら
彼がライダーとしてスーパースポート世界選手権で走っていた時、さらに
チームマネージャーとして、スーパーバイク世界選手権で戦っていた時代に非常に
近い場所にいたのですが、しばらくサーキットで見なかったが、こうして彼の本来いる
場所に戻って、チームマネージャーとして活躍している姿を見るのは嬉しいものだ。

 でもって、気になる来年のことを聞くと、まだオフィシャリーには話せないことだが
すでに話はまとまっている。さすがにこのブログでもお伝えできない話ではあった。

 現在、スーパーバイク世界選手権でドゥカティワークスで走っているが離脱が
決まっているダビデ・ジュリアーノ。ニコロ・ブレガの父親であるダビデ・ブレガが
チームライトスピードでチームマネージャー時代に一緒に居たこともあるので非常に
彼の近い未来が気になって色々な人に話を聞きに行ったが、カワサキプチェッティの
話は無くなったとのこと。

 仮契約まではしていたが、最後の最後の本契約をする段階で決裂して、現在は
浪人の可能性もあり、一年、生まれたばかりの子供の面倒を見るハウスハズバン
ドをやることだってありうる状況。

 モテギでも彼を走らせることの興味を隠さないMoto2のチームも多いが少なくとも
今の彼はもらって乗るライダーであって、お金を持ち込んで走るライダーではない。
そうなると、Moto2ではなくて、BSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)の方が
可能性があるのではないか。そんな話が乱れ飛んでいた。

 まぁ、イタリア選手権でもドイツ選手権の可能性もあるが、Moto2がだめなら
次善のチョイスはBSBだろう。

 浪人になってしまうとしたら、、、、、鈴鹿8耐で実戦を離れたくなくて、日本の
メーカーにアピールしたい状況になるわけだから、今年のアンソニー・ウエストのようにそれほど大きくないチームでも条件次第では走ることはありそうだ。

 ダビデ・ジュリアーノが浪人になった、あるいは国内選手権での活動ということに
なった場合なら、リッターバイクで4ストの経験が豊富で色々なメーカーを走らせてきた
ライダーである程度実力が高くて鈴鹿での結果が欲しいチームにとっては交渉
できるライダーだと言える。これはアイルトン・バドビーニやロレンツォ・アルフォンシに
関しても言えることでもあるが。

 このメンバーからちょっと実力が落ちるがギャラは払えないが鈴鹿での
滞在費は何とかなるということだったら、フェデリコ・サンディやルカ・ビターリ
も面白い
 早朝から吉野家に出かけて、牛丼を四つ購入して待ち合わせ場所に出かける。
そこにいたのがルカ・カダローラ。そう言えば彼と2ショットの写真を撮っていないな
と思い、撮影をお願いしてOKをもらう。撮ってくれたのはマウリツィオ・ビターリで
あった。

 木曜日からここまでの四日間で一番混んでいる道を進んでサーキット到着。
しばらくしてやって来たのがダビデ・ブレガである。色々と難しい状況がこの
レースウィークにある中で最近のレース状況と彼が現役時代だった頃の話になる。

 今朝、私がうだうだと話していたルカ・カダローラは現役時代に一日に60本吸ってい
たがその彼が世界チャンピオンとなったが今のレースの世界でライダーがそんなこと
をやって世界チャンピオンになる可能性はかなりゼロに近くなると思う。

 口にするものをかなり注意を払うようになったわけでノーアイデア、
ノーイマジネーションだと強くなれないし、このままワールドチャンピオンシップが
もっと拡大化したら、つばぜり合いの激化が進むから、ある意味チームがオリンピック
の団体競技のチームのようになっていくのだろうが、チームマネージャーが私利私欲
に走ってしまったり、メーカーのマネージャーが使途不明金を莫大な額にしてしまった
らまずいことになるだろうから、ある意味、いい方向に進むかもしれないなどと
いう話をする。

 まぁ、このブログの昔からの読者の方はご存知のようにダビデ・ブレガ
はライダーであり、チームマネージャーだった過去があり、今は息子がライダー
という立場だから息子が栄光をつかむために何が必要なのかわかっていて、
それを求めるだろうし、マウリツィオ・ビターリからすると息子がいい体制で
走るためにエネルギーを費やしているわけで非常に興味深い話であった。

 レースに関する部分は色々な報道がされているから、この私のブログでは
触れませんが、レースに絶対というものがないということがよく分かる一日でした。

 地元の日本で表彰台という結果を残したにも関わらず、失格になり、ニコロ・ブレガ
が三位という結果になったり、MotoGPではファクトリーヤマハの二人が転んでしまい
このモテギでマルク・マルケスが彼の世界チャンピオンが決定するということになり、
まぁ、時期が時期だけにかつてのケナン・ソフォーグルがチームヤマハジャーマニー
でR1を走らせてストック1000選手権のタイトルをほぼ手中にしていながら、最終戦
の最終ラップの最終のシケインで真っ直ぐ行ってしまい、タイトルを逃した時のこと
を思い出していました。

 MotoGPの後、時間があったので、ぶらぶらしていると久しぶりに宇井陽一君の
奥様に声をかけられてしばらくお話する。

 宇井陽一君が125でグランプリに出るようになって最初は夫婦で、後にお子さんも
一緒にドイツに住んでいたが当時のドイツの状況と今との違いであったり、
私がチェコのチームとの関係を深めて色々とアイデア出しをしながら、スーパースポート
でインターモトカワサキ、Moto3でFGRとアクティブなことをやっていこうとか
考えていたが、我が友ヨゼフ・クビシェックが行方不明になり、可能性が消えてしまい
チェコベースで考えていたことが具体化できずに終わったことなどを話す。

 AGVとダイネーゼのオフィスに行くと今回はレース途中でバレンティーノ・ロッシが
転んだこともあって、片付けが早く進む。私も関係者の方々にあいさつ回りを
しながら、頃合いを見て戻ったりしながら、撤収作業を手伝い、例年よりも相当
早く荷物をまとめてサーキットを出る。

 サーキットから高速まででかなり時間を食ったのは想定内であったが、つくばの
手前あたりで渋滞となったのは想定外。このまま走らせていくか一旦、高速を降りて
食事にするか考えて、遅く羽田近辺に着いて食べるところが無かったら嫌だと
いうことで高速を降りて回転寿司屋に入り食事。

 その食事時間というのがスペインでのスーパーバイククラスのちょうど終盤頃。
レースを見ながら食事をして、その後始まるストック1000選手権も見る。

 まぁ、マウリツィオ・ビターリはイタリア人の父親なので息子が走るレースが
当然気になる。MotoGPとSBKが同日開催でもこうしてやっている場所が離れて
いると両方ライブで見られるというのはいいことである。

 すでに終わったスーパースポートクラスでケナン・ソフォーグルがタイトルを決めた
のに加えて、ストック1000選手権でラッファエレ・デロザがタイトル決定。ストック1000
というエンジニアがいじれる範囲が限られているカテゴリーでBMWがタイトルを
獲得したというのはメーカーにとってもチームにとっても非常に意味のあること
だったと思う。

 その後、羽田空港の近くのレンタカーオフィスに到着し、彼らと別れてホテルへと
向かう。明日は東京で彼らのトラベルマネージャー兼通訳業である。
 いつものように牛丼を購入して、ホテルのロビーへと向かう。AGVとダイネーゼの
スタッフが来る前に顔を合わせたのがドゥカティのダビデ・タルドッチ。『ciao! yasuさん』
という言葉を聞いて嬉しくなる。そこに表れたのが今季からバレンティーノ・ロッシとの
関係を深めたルカ・カダローラ。彼の聞きやすいモデナなまりのイタリア語が耳に
心地いい。

 一緒に移動する仲間が三人そろったところで車に乗り、駐車場から出ようとした
ところのゲートで焦った顔をして料金の機会を前に焦った顔をしてお金を入れていた
のがノーランヘルメットのエンリコであった。
 
 水戸からモテギへと移動。金曜よりも車の台数が少なく感じる。

 サーキット入りして、AGVのオフィスに行くとダビデ・ブレガと鉢合わせ。
AGVのヘルメットとダイネーゼのつなぎには満足しているようだが、これにプラスして
南海部品に出かけて、色々と必要なものを購入して土曜日のセッションに臨んで
いるようだ。まぁ、イタリア人なので、息子のやりたいことをいい環境や条件で
させるためにエネルギーは費やすのだろう。あとで話があると言われて、かつて
世話になっていることもあって、後ほど落ち合うことにする。

 カルロ・ペルナットの親父さんと会い、今回の天気が良さそうなので、ドクターヘリの
準備もちゃんと出来て、レーススケジュールがスムーズに行きそうだという
話から加藤大治郎の最後のレースの話題になる。

 このブログでも何度か取り上げてきましたが、コラード・カタラーノのほとんど死にかけ
ながら、時間との戦いに買って紙一重のところから生還した時と加藤大治郎の死亡事故
の時では状況判断とか即時の対応とかが違いすぎるという話になる。

 コラード・カタラーノの場合はすぐに赤旗になり、ドクターたちがむごたらしい
現場に行き、救命救急活動をしているところにヘリコプターがやって来て、彼が倒れて
死にかけている現場からマンハイムの病院に搬送されて、命を失わずに済んだ。

 しかしながら加藤大治郎の場合はあんな事故が起きてしまっても、赤旗が
出されずに後続のマシンが全て過ぎ去ってから、倒れている現場に救命救急
隊員がやってきて、彼らが加藤を担架に乗せて、そこから少々離れたヘリポートに
運んでからヘリコプターで運ばれていったわけで、命の重みが違いすぎることも
話す。

 また、あの時代のバレンティーノ・ロッシに対して新しいライバルが必要だった
わけで加藤大治郎がそうなる可能性があったなかでああいったことが起きたというのは
残念だったなどと話す。

 MotoGPの後にパドックカフェに出かけて、ブレガ夫妻と会う。

 ナタリーが昨日、夜中に地震がなかったか聞いてきたが、それはなく、単純に
一緒に寝ていたダビデ・ブレガが夜中に起きてトイレに走っていった時に今の彼
が太りすぎで振動が大きかったということらしい。その話を聞いて
ステーファノ・ペルジーニの両親のことを思い出す。

 パパペルジーニがママペルジーニと付き合っていた時にははるかに痩せていて
いたが結婚して太り、産後に輪をかけてさらに太って、彼女が白い服を着ていたら
ミシュランタイヤのビバンダムに見えるらしいのだが、ビバンダムがカワイイと思える
から関係が壊れなくて続いているわけで、あのキャラが汚いと思ったらだめだった
が私は昔の彼女も今のビバンダム化した姿もカワイイと思っているからいいのだ
と言っていたが、男女の違いがあるが、ナタリーも痩せていて250ccや600ccで走って
いたダビデ・ブレガを愛して結婚したが、太って息子のマネージャー業をしている今の
旦那も愛することができているから問題ないのだろう。

 その愛する息子のニコロ・ブレガだが、昨年までの彼は言ってみれば、彼の
走る機会を作るために生まれたり、構成されたチームで走って、父親の一言で
より走りやすい環境ができたり、浮ついた空気が引き締まったりというような
ことがあった。しかし、今年はそうではなくて、大きなお金や組織のエネルギーや
パワーがかかれば、そこに様々な人の思惑や方向性が入ってくるわけで
どうもそれが彼にとっては理解していても難しいことが多いようだ。

 シーズン中盤で彼のチームメイトが急に切られたが、そんなことがあって同じ
チームに居て気持ちいいはずがないし、何か悪い流れがあった時にひょっとして
同じことが自分の身にも降りかかるのではないかと思っても仕方ない。

 そんな彼が酒を飲みすぎることはないが、母親から見ていてコーラを飲み過ぎる
ことが多いらしい。ダビデ・ブレガが少し居なくなった時にナタリーとそのことに絡めて
話す。

 私と親しくなったハンガリー人のテニスコーチと彼の教え子のプレイヤーと
大阪スーパージュニアの時に一緒に食事に行こうということになって、天満の
駅を降りて、あの長い商店街を歩きながら、食事処を見ながら食べる場所を選ぼうと
して、一緒に着いてきた10人ほどのアンダー18のプレイヤーと会話しながら
歩いていたときのこと。

 このコーチは『ハンガリーは君が知っているように海がないから、魚を食べに行こう。』
と話していて、そりゃあそうだなと思いながら、一緒に歩いていて、ここにしようか
と思っていたら、彼の教え子のプレイヤーと他の何人かのプレイヤーが言ったのは

 『マクドナルドはどこ。』というものでした。

 そこで無理強いしても仕方ないので、魚メインのレストランのグループとマクドナルド
に行く一団に分かれて食事をして、うだうだと話していたときのこと。
このコーチが『yasu、君はどう思う。せっかく、これだけたくさんレストランがあって、
おいしいものが食べられるのに私のプレイヤーはマクドナルドを選んでいる。』

 少々顔を曇らせて続けて『試合になって、タフマッチのつばぜり合いでファイナル
セットが5-5のデュース。一方が魚や鳥中心に野菜をたくさん取って、飲むものも
気をつけていて、もうひとりが週に三回マクドナルドで食事している。どっちが
土壇場で体のコンディションが良かったり、これだけ気を使って体調を整えている
から私は大丈夫だと思いこんでプレイしたり、いい体調でいいメンタルも保てる
かわかるよな』と話してくれました。

 まぁ、この話を聞いて、ナタリーは随分、納得していましたが、果たしてニコロ・ブレガ
の過剰なコーラの摂取はどうなるのか、気になります。

 Moto3の予選が始まり、見ていてやはり、テニスの錦織圭の登場によって、
BSでの中継が増えたり、楽天オープンの入場者が劇的に変わったように自国の
ヒーローの必要性というのはあることを感じる。小野の走りと結果を見ていて
好成績の時とそうでない時のサーキットの熱量が明らかに違うことを実感する。

 MotoGPは素晴らしい走りでバレンティーノ・ロッシがポールポジション。
彼の素晴らしい走りに満足なファンは多かったことだろう。でもって、ホルヘ・ロレンソ
も痛み止めを打っての走りでどれだけ体が持つのかわからないが、決勝が
楽しみではある。

 サーキット内のレース実況でドゥカティがこのコースで今まで好成績を上げている
から日曜日が楽しみだという話をしていたが、どうなのかなと思いながら、プラマック
のジャコモ・グイドッティと話をする。

 ホンダとヤマハはミシュランでここをテストで走ったことがあるから、やはりそれは
大きなアドバンテージとなるが、そうでない我々はデータもないし、一発のタイムは
出せるかもしれないが、そちらに偏った戦術を取ってロングランのセットアップ
を出さないと明らかに日曜日に後ろを走るから難しいレースになると話、
彼のライダーのダニーロ・ペトルッチは予選は大満足ではないが、いいセットアップ
が見つかれば面白くなる。ただ、やはりブリヂストンでここで走った時と今回、初めて
ミシュランでの走行では大きな違いを感じたらしく、決勝はどうなるかは路面温度で
かなり変わってくるだろうと話してくれた。

 再び、ブレガ夫妻と会い、ナタリーが『これから水戸に行くけれど、明日が息子の
誕生日なの。どこで大きなケーキを買えるか調べてくれない』と尋ねられ、いくつか
電話番号と名前をピックアップして、伝える。スマートフォンを持つようになると
本当にこういった時に便利だと実感する。

 帰り支度が住んで水戸へと移動。今日も寿司である。本当に寿司が好きなんだな
と思うのと同時にファーストフードというものをイタリア人のオーバー40は好まない
ということを実感する。まぁ、その姿を見ていて、息子や娘がどうするのかは個人差が
あるので、何とも言えないが、いいことだと思う。

 時間的にモテギでのセッションが終わり、水戸に戻ってこの街の最大級の
ホームセンターに出かける。まぁ、モテギーフィリップアイランドーセパンの三連戦は
できるだけ荷物を少なくしたいということであるが、同時にこうして日本のこの場所に
しか置いていないものや待たずに購入できるもの、高い品質のものなどもある。
ちょっと見てみたいが、かなりの時間となり、買い物を済まして、すぐ近くの
回転寿司屋で夕食の時間。食事をしながら気になるのは今週開催のスペインの
ヘレス・デ・ラ・フロンテラでのスーパーバイク選手権である。

 AGVのマウリツィオ・ビターリの立ち位置からすると当然、ストック1000選手権の
ルカ・ビターリがどうなっているのかはネットですぐに調べたいということになる。
今週のスペインの状況、ライバルたちのタイムや走り、同じメーカーのマシンを
使っている他のライダーとの比較などの話をしているうちに眠くなってきて
うとうとしてきたので、帰り支度の時間となり、待ち合わせ時間を決めて別れる。
モテギも気になるが、同時にスペインも気になり、一日中レースのことを考えている
レースウィークである。
 いよいよグランプリウィークの始まりである。昨日とは違って朝の
7時に集合。そこにいたのがダビデ・タルドゥッチ。かつてのスーパーバイク
世界選手権のことなどを話していたところにマウリッツィオがやってきて
会話を切り上げて車中の人となる。

 例によってパリダカラリーのような運転にはらはらどきどきしながら
サーキット入り。

 いつものようにAGVのオフィスに入ったところにダビデ・ブレガがやって
来た。まぁ、イタリア人の父親のやること、ライダーの親父でマネージャーの
考えることというのはみな一緒で息子を速く走る状況を作ってあげたい、
いい環境を用意したいというもので、前日は南海部品に出かけていろいろと
探しものをして、少しでも成績に結びつけるためのマテリアルを探していた
とのこと。まぁ、初めてこのモテギを走るわけでそれはできる限りのことを
してあげたいということなんだろう。

 続々とライダー本人、あるいはチームスタッフやマネージャーがAGV
のヘルメットを取りに来たり、ダイネーぜのライディングスーツをピックアップ
に来ている中でサンドロ・コルテーゼと会う。

 イタリアというのは実に地方色が豊かでそれぞれの方言を話すが、
現在、ドイツ国籍でイタリアのレース関係者と話すときはイタリア語を
話す彼はきれいなイタリア語を話す。親のカラーブリアなまりが感じられない
のは不思議だと思いながら、そのことを口にすると彼自身は習ったり、
親しんでいる言葉を話しているだけでことさらフィレンツェ方言という
いわゆるイタリア語を話しているつもりはないと言う。

 ノーランのオフィスに行き、ここでエンリコと話す。そこにレース業界の
トラベルエージェンシーのFASTのスタッフがやってきて、一緒にうだうだと
話す。

 FASTのマネージャーの娘が日本語を勉強しているということで、日本人
がイタリア語を勉強するよりもイタリア人が日本語を勉強するほうがはるかに
難しいこと。私はイタリア語の前にフランス語をやっていたからイタリア語
の初期段階でフランス語発想してイタリア語を勉強すればいいので実に
楽だったことなどを話す。

 いったん、AGVのオフィスに戻ったあと、ぶらつくとカルロ・ペルナット
の親父さんがパオロ・スカレアと話していて、そこにさらにやってきたのが
スズキのチームマネージャーのダビデ・ブリービィオ。来シーズンに関する
こと、他社の動きやミシュランのタイヤの話などをする。

 昼飯のテイクアウトした牛丼を食べ終わって、話題に上がったのがスペイン
で今週開催のスーパーバイク世界選手権のスペインラウンドのこと。
来季のホンダのマシンのこと、アプリリアの体制などわかっていることを
話しながらすごす。

 Moto3やMotoGPで結構転倒が多いなと思っていたところでダニ・ペトロサの
とんでもないクラッシュ。マシンの問題なのか、エンジンに理由を求める
べきなのかわからないが今年のミシュランの出来そのものだったり、
ミシュランのタイヤに合わせる必要があるなかでビッグクラッシュが
多くなっているとタイヤに何が大きな理由が存在するんではないかと
思ってしまう。

 パドック内でその素朴な疑問をぶつけるとオフィシャリーな場所ではミシュラン
批判をしない人ばかりだが、個人的な意見と前置きをして、ブリヂストンに比べて
いろいろな意味で問題があるとか、スペックをたくさん作りすぎているという話を聞く。
確かに不思議に思える転倒などがあると世界最高峰のライダーがコントロール
できないのにはタイヤの要因が強いように思える。

 ぶらぶらと歩いていると日本人の旧友と再会。彼はヘルメットオタクで知識も
収集欲もある人で彼と一緒にAGV,ノーラン、シャークといったメーカーのオフィスに
出かける。

 イタリアの二社のAGVとノーランに関してはスペックに関する質問が多かったが
シャークに関しては彼は今まで装着したことがなく、日本で流通自体がしていないのか
ということを尋ねると、シャークの市場はヨーロッパとアメリカ、カナダが主なところで
アジアではスクーター人口の多いマレーシアでは強い関心と意欲を持って活動しているが
ほかのアジアの国では日本のメーカーが強いことや距離的にも心理的にも遠いと
いうことで販売はしていないということらしい。

 この日本人の友人とパドックを歩きながら、年齢を重ねてきたことを実感するのが
我々の年代だとエッテルといえばぺトルであり、ブラドルという名前で想起するのが
ヘルムートであり、ブレガと聞いて思い浮かべるのがダビデであるわけで、長く
レースを見てきているが、近年のライダーのファミリーネームを聞いて、父親の姿が
頭に浮かぶことを二人して実感する。

 彼と別れて歩いていると久しぶりにヨハン・シュティゲフェルトと顔を合わせる。
彼が250ccクラスで走っていたときやスーパースポートでの活動をしていた時期、
さらにチームマネージャーとして自らのチームを率いていたときにはよく顔を合わせて
いたが、こうして会って話す機会を持つというのは実にうれしいものだ。

 その彼のチームだが、現行のラインナップから来季はメンバーを変えてくる。
その名前というのが結構サプライズ感を感じさせるもので、私も少々の驚きを
感じたライダーで公式のアナウンスはできないが君だけにだぞといって教えて
くれた。

 その後、カルロ・ペルナットの親父さんやグイドッティ兄弟とうだうだ話した後に
AGV&ダイネーゼのスタッフとともにサーキットを離れる。まず、ホームセンターで
買いたいものがいくつかあるということで出かけるがしばらく商品を探しているうちに
現れたのがアプリリアのスタッフ。そこにイタルトランスの連中もやってきたわけで
世界は狭いものだというか類を持って集うものだと実感する。

 ホテルに戻りすしとてんぷら両方食べたいという彼らとアントネッリの親父の
イゴールとともに和食の店に行って、今日の出来事、今週起きそうなことなどを
話しながら飲み食いして金曜日が終了。果たして土日はどんな日になるのだろうか。

 
 

 9時に約束したAGVヘルメットのマウリツィオとダイネーゼのステーファノ&ロレンツォ
に会いに行く。待っているところにやって来たのが今年、バレンティーノ・ロッシの
コーチ兼コーディネーターのルカ・カダローラ。私にとってはかなり久しぶりの再会と
なり、うだうだと今年のシーズンのことを話す。

 AGV&ダイネーゼのスタッフがやって来て、車中の人となりモテギへと向かう。
車中の話題というのは今週末のこのモテギのこともあるが、スーパーバイク世界選手権
のスペインも気になる。マウリツィオの息子のルカ・ビターリはストック1000選手権
で走っているが、お金をもらって乗るレベルに達しておらず、払って乗るチャンスや
契約を得ているが、イタリアの小さなチームのことで払った、もらっていない、私の
ところに届いていないなどのことがあるようで走る前にやることが多いようだ。

 ライダーマーケットというのが気になるが、ダイネーゼのステーファノにとって
気がかりなのがダビデ・ジュリアーノの来季のこと。これは私も大変気にしていること
であり、このレースウィーク中に色々なチームやメーカーと話し合いを持つのだろうが
今のレース界のことなのでお金を持ち込んでくれないライダーが浪人になる
可能性が高い。彼がファクトリーチームのアルバドゥカティを離れるとなると可能性が
あるのはMoto2かブリティッシュスーパーバイク選手権ということになるようで
私はダビデのことは彼がカワサキのストック600で走っていた童貞だったころから
知っているので、才能はあるが運がない彼がステップダウンするのは非常に
残念な思いを抱く。

 そんなこんなライダーマーケットのことを話しているうちにモテギに到着。
パーキングエリアからパドックへ行くシャトルバスに乗ったところにジョバンニ・サンディ
が登場。バス内で、そして、バスを降りてパドックに行く間、息子のフェデリコ・サンディ
の活動に関して話す。

 今季のフェデリコ・サンディはチームとの話がまとまらず、スポット参戦に終わっていて
年間を通して走ることができていない。来季に関しても色々と話はしているが、まだ
決定もしていなくて、発表もできないとのこと。

 そこで思ったのは、私がかつて新垣敏之さんと話していたことで、鈴鹿8耐の
時にライダーを選ぶ時に国籍や民族はこだわりがないが、ライダーのスキルや
経験は問いたいということで具体的にはずっと同じメーカーのバイク、サスペンション、
タイヤで走っていて、他社になるとアジャストできないというのはまずくて、
色々なメーカーのマシンやサスペンション、タイヤを経験していて、真夏の鈴鹿を
走る体力があって、同じ週に出走しなければいけないレースがなくて日本に
やってこれるライダーが欲しいというもの。

 その質問に対して、少し前までのシーズンだと鈴鹿8耐とイタリア選手権の
レースが同週開催だったからイタリア人ライダーを推奨できなかったが、ここ
数年は鈴鹿8耐とイタリア選手権のレースが重なっていないから、ピックアップ
したライダーの名前というのがロレンツォ・アルフォンシ、ロレンツォ・ランツィ、
ジャンルカ・ヴィッツィエッロ、パオロ・ブローラ、そして、フェデリコ・サンディ
というメンバー。

 来季のフェデリコ・サンディがどの国の選手権でどのカテゴリーで走るかわか
らないが、スケジュールが空いていて、契約的な縛りがないのであれば、ぜひ、
走るチャンスを与えたいし、オーガナイズしたいということを話すとかなりパパサンディ
は喜んでいた。できることならフェデリコ・サンディが鈴鹿8耐の出走というものが
現実化したいものである。個人的にはリッターバイクで一定以上のスペック及び
競争力のマシンであれば、フェデリコ・サンディとロレンツォ・アルフォンシの二人を
呼んで走らせてみたいと思う。

 しばらくパドックをぶらぶらしていたところにニコロ・ブレガが登場。彼のことは
六ヶ月でベビーカーに乗って日本にやって来た時から知っているが、こうして
世界選手権のレベルになって来日してサーキットで会うというのは感慨深いものが
ある。
 
 彼と話していたところにダビデ・ブレガ登場。久しぶりの再会である。このブログの
愛読者の方々はご存知のように彼とは彼がライダーとして走っていた時からの仲で
あり、チームマネージャーとしてライトスピードレーシングを率いていた時も密接な
関係にあった。立ち位置は変わっても、こうしてサーキットで再会できるというのは
嬉しいものだ。

 その彼からランチを一緒に取ろうと言われて、ランチタイムになり、パドック内の
レストランで落ち合う。

 ダビデと奥さんのナタリーと一緒に食事を取る。ニコロ・ブレガの今季の活躍は
非常に喜ばしいものだが、ダビデ・ブレガは息子の成績を予想以上のものだと
思っているが、私は実はもっていい成績を残せるはずだと思っている。

 私がそう思う理由というのは昨年のスペイン選手権での走りと結果を見ていて
もっといいタイム、より良い順位で走れるのにという素直な思いを抱いているわけで
よくやっているが残念であると伝える。

 ラーメンを食いながら、いいライダー、トップライダーやチャンピオンの持っている
共通項の話になり、同じミスをしなかったり、間違いに気がついたら、同じエラーを
繰り返さず、何をすべきか何を話すのかを理解して、それを実行するわけで
かなり昔の話だが、彼らがレッジョエミリア郊外のサンティラリオに住んでいて
私が彼らの家に行った時のことを話す。

 二日続けて、あのでかい家に行った時に一日目にナタリーがイタリア料理を作って
くれた時。

 何も言わずに静かにしているニコロ・ブレガ。その彼に料理が趣味の私が言ったのが
『お母さんは何を作るか考えている時、買い物をしている時間、そして、作っている
時に思っているのは子供がおいしいと思ってたくさん嬉しい顔をして食べてくれる
ことなんだよ。だから、おいしかったときはおいしいと言わないとお母さんは悲しむ
からね。もし、君のお母さんが料理ができなかったり、お父さんと喧嘩して台所
でストライキしたら、君とお父さんは餓死しちゃうからね。おいしかったときは
おいしいと言わないといけないよ。君がちゃんと思いを口にしたら、疲れも
吹っ飛ぶんだからね。』と言うと恥ずかしそうな顔をしながら小声で

 ニコロが『おいしい』と言ったところ、ナタリーは『その言葉待っていたのよ。
これでレッドブルを飲まなくても莫大なエネルギーチャージができたから元気に
なったわ』などと言っていました。

 でもって、その翌日、私がみりんや醤油などを持ち込んで作ったのが、親子丼、
肉じゃが、お好み焼き。

 それらを食べて、ニコロ・ブレガが私に言ったのは

『yasu すごくおいしいよ。どれもみんな上手くて、大満足だよ』というものでした。

 
 つまり、何が間違っていたのか、何が足りないのかを理解して、何をすべきか
何を言うべきなのかを小さい頃からニコロ・ブレガはわかっていて、それを私が
作った料理を食べた時にちゃんと言動に移すことができた。

 ケナン・ソフォーグルがヤマハのR1でストック1000選手権でほぼほぼタイトルを
手にかけていながら、最終戦の最終ラップの最終コーナーで真っ直ぐ行ってしまい
大きな魚を逃した時に同じミス、エラーはしない。だから何をすべきか何を修正
するのかを勉強して実行に移したようなことをニコロ・ブレガはちゃんとやっている
と思うと話すとブレガ夫妻は昔を懐かしみながら喜んでいましたね。

 続いて、『だから、ニコロの彼女が料理しても何も話さないというと何を意味
するのかわかるよね』と話すと、ブレガ夫妻は即否定。彼女はお金持ちの娘
で見た目を磨くために時間もエネルギーも費やすが料理は全くできないというか、
やったことがないらしい。

 しばらくぶらぶらしてルカ・カダローラと顔を合わす。ブレガファミリーと会った
あとなので家族の話題になり、『君がライダー生活をしていた時に競り合っていた
マウリツィオ・ビターリやピエール・フランチェスコ・キリなどは息子がライダー生活を
送っているが、カダローラジュニアはライダーはやらないのか』と話すと二人の娘
にミニバイクで走らせたことがあるが、興味を抱かなかったらしい。

 カダローラの話ではこれは少し寂しかったが、同時にホッとしたというか良かった
と思ったとのこと。今季のここまでのシーズンの話やバレンティーノ・ロッシの話題
の時と違って、明らかにお父さんの顔になっているのが明らかにわかりましたね。

 上の娘がテニスをやっていて、これが趣味レベルではなくて、かなり世界を目指すため
にやっていて、下の娘はバレーを踊っているということで、テニスに関しては
私も色々とイタリア人のテニス業界人との繋がりやエピソードを話すとかなり
食いついてきて、どのジャンルでもプレイヤーのお父さんというのは必死になる
ものだと実感する。

 そんなカダローラと話していたところにロリス・カピロッシ登場。何だか90年代の
サーキットを思い出してしばらく冗談の応酬。こんな時間が嬉しいものである。

 エクトル・バルベラのファクトリードゥカティでの出走とトロイ・ベイリスの秘蔵っ子
がエクトルの走らせていたチームで走るという発表があり、イタリアのSKYの
インタビュー収録現場に出くわして、少しエクトルと話をする。まぁ、彼にとっては
大きなチャンスである。彼と笑顔で会話している、少し離れたところにいたのが
カルロ・ペルナット。

 一年前と変わらない見た目だが、彼のiPhoneの待ち受け画面は孫の写真。
ここは大きく変わっている部分だと思う。

 彼の担当しているアンドレア・イアンノーネの状況のついて少し聞く。
来週のフィリップアイランドには戻ってきたいし、穴があいたところで代役が活躍する
とまずい展開になるということで早期の復帰を望んでいるが、こればかりは
ドクターの判断次第だから、オーストラリア行きのチケットを買っても捨てる
可能性もあるということ。私とアンドレアとの関係性を知っているカルロ・ペルナット
氏なので割にフランクに話してくれているが、彼自身もドゥカティ内でバルカン政治
が発動したらまずいことは重々承知。急遽、イタリアのSKYのインタビューに答える
のもある意味、ライダーを思っての情報発信ということもあるが、ドゥカティに対する
牽制もあるのだろう。

 久しく会っていなかった連中とうだうだ話したり、近況を報告しているうちに一日が
終了。今のところ天気も良さそうなので楽しいレースウィークとなりそうだ。

 ブレないキャラクターと確かな音楽性。今のベッドインが面白いなと思っています。
http://realsound.jp/2016/07/post-8525.html

 ベッドインのことを知ったのは『真夜中のハーリー&レイス』に益子寺かおりが
ゲストに出て、高いレベルのプロレス愛を感じさせる言葉を並べて、堂々と
清野茂樹と堂々と渡り合っていた時なのですが、ブレないキャラ設定が素晴らしい
なと思いましたね。
http://blog.jorf.co.jp/bijuuradio/2016/04/426vs-b9b2.html

 色々な意味で突き抜けた感があるこのユニットの方向性とかコンセプトは面白い
ですね。いわゆるAKBグループの真逆の方向にあり、時代に逆行しているように
思えますが、素晴らしいなと思いますね。今、一番面白いユニットだと思います。
 
 鈴鹿に近い名古屋生まれで名古屋育ち。そして、イタリアのリミニで勉強して
2000年代はダビデ・ブレガ(現在、Moto3で走っているニコロ・ブレガの父親)の
チームの関係でレッジョエミリアにいたことが多く、イタリア選手権で走っていた
ルイージ・ペッツォーニとの付き合いでパルマで過ごすことが多く、エミリアロマーニャ
訛りのイタリア語を話す私にとって色々な意味で突き刺さったのが、ミナルディのみ
を取り上げて製作、販売された本でした。
http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=9144

 イタリア映画とモータースポーツが好きでイタリア語に走った私にとっては
ミナルディの情熱とか愛というのは色々な意味で影響を受けました。

 好きな俳句が『痩蛙 負けるな一茶 ここにあり』だったり、『咳をしても一人』
などというような私はミナルディに対してシンパシーを感じるのは当然ですね。

 ミナルディ三昧の誌面はお金と手間と愛情がいっぱいに詰まった本でした。
フェッラーリやメルセデスに関する思いだったり、マクラーレンに対する気持ちを
有している日本人のレースファンは多いと思いますが、私は自らの人生を投影
する部分やエミリアロマーニャ州での日々ということもあって、あのチームに
対して強い思いを抱いていますね。

 夢中になって見ていた時代のF1とミナルディというチームのことを思いながら
シルバーストーンのマルティーニとサラの5-6フィニッシュやマーク・ウェバーの
デビュー戦5位やマルク・ヘネの大荒れのニュルブルクリンクの6位などといった
勝者はいるけれども、ヒーローは別にいたレースを思い出していました。
 夏目三久が日刊スポーツの報道の有吉弘行との間の交際、妊娠、結婚報道
がまったく事実ではないものだとスポーツニッポンの取材に答えて話していました。
それを読んで思ったのは情報戦とマスコミの怖さでした。
http://news.livedoor.com/article/detail/11959522/

 本人が認めていなかったり、否定していることがメディアで報道される。
そして、それが事実や真実であると捉えられて流布していく。

 私が強く思ったのは、かつてのセルビアのことでした。

 木村元彦氏の作品にも書かれていたり、多くのセルビア人が口にしていること
でもあるのですが、かつて、バルカン半島がとんでもない大混乱となった時に
情報戦を制したいたのがクロアチア。

 そのクロアチアが発信していた情報がイギリス、ドイツ、アメリカに届き、そこから
セルビア悪玉論という複雑なバルカン半島の状況を極めてわかりやすく善と悪を
カテゴライズする形で世界に広まっていった。

 そして、世界中のセルビア人が非常に厳しい状況の追い込まれたり苦労をした。

 夏目三久さんは今回のスポーツニッポンの質問に『事務所にも私にも取材せず電話の一本すら入れていないあのような記事は信用され、事務所が事実無根と言っても信じてもらえない。』と答えていましたが、セルビア人の多くがそれを経験したことでしょう。

 メディアの圧倒的な影響力と信頼性が悪い方に働いた場合、今回のようなことが
起こってしまう。

 今回の一件で思ったのは、夏目三久という人なら、セルビア人の方々の悲しみや
苦しみ、痛みやしんどさを理解できる。

 彼女が今後、どういう活動をするのかわかりませんが、彼女ならセルビア人の
心に寄り添って情報戦敗者や弱者の痛みを掘り起こしたり、理解して、あの時期の
報道がいかに間違っていたり、偏っていたものなのかを聞き出せる素晴らしい
インタビュアーになれるのではないかと思いますね。

 ただ、一つそこで懸念するのは、彼女が日本テレビのアナウンサーだった時代に
バルカン半島の状況をアナウンサーとして原稿を読んでいたとしたら、これは
かなりの確率でアメリカのメディアやイギリスのBBC、当時のヨーロッパの通信社
から発信されたニュースを日本語化した文章を読んでいた可能性が高い。
となると、そんなアナウンサーの試みるインタビューを受けたくないというセルビア人
が考えるかもしれません。
 野球のU18アジア選手権を見ていて、野球というのは盛んな国が限られていて
熱のない国だと運動能力が違うスポーツに走って、野球には天才や秀才が
プレイしないのかななどと思いながら、チェコでの日々を思い出していました。

 チェコでの国技というのはやはりアイスホッケーであり、そして、サッカーが
それに続くのかなという気がします。

 アイスホッケーはプレイする人が多くて、そして、見る人も多い。そんなスポーツは
当然、レベルが上がりますね。

 アイスホッケーの世界選手権をスポーツバーで見たり、チェコの国内リーグの
ゲームをスパルタプラハやスラビアプラハのホームアリーナで見ていて思うのは
世界選手権やウィンターオリンピックで見ていてトップテンはすごくレベルが高いが
そこから下となるとかなりレベルが落ちるなという印象。

 野球のU18のアジア選手権を見ていて、アイスホッケー世界選手権の参加国を
増やすとかなりのワンサイドマッチが増えるだろうなと思ってしまいました。
 堺のホテルをチェックアウトする。その際にマウリツィオが関空に行くルートを
ホテルのフロントマンに『これでいいかと』タブレットを見せるが、彼はosaka
airportと入力して、出てきた地図とルートを見せていた。即座に『違います』
と返答される。私がkansai airportと入力して出てきた地図とルートを見せて
確認する。

 彼一人でもし、確認せずにこれで大丈夫だろうと思っていたら、ルフトハンザ
航空に乗れずに帰国できなかったわけで、どえらいことになっていたはずである。

 以前、私がユニオンバイクジモータースポーツでラウジッツリンクにいて、
飛行機でやってくるジャンルカ・ヴィッツィエッロを迎えに行ったが、彼は
ただ、ベルリンに着くとだけ行っていて、ベルリンの当時の二つのエアポートを
駆けまわったことを思い出す。

 車中で月曜日の名古屋便が取れなかったから、大阪まで移動してきたが、
名古屋便で火曜日ということは考えなかったのかと尋ねたら、月曜日の
大阪ーフランクフルトが取れなかったらそれも考えたかもしれないが、
こうしてチケットが取れたから、こちらを選んだという話。
火曜日以降の名古屋ーフランクフルト便だったら、ルカ・ビターリのために
名古屋や近郊のメーカーへのあいさつ回りなどもスケジューリングできたのに
と私などは思ってしまう。

 日本語の表示でレンタカーのオフィスの方が書かれているが、彼はそれが
当然のことながらわからず、terminalと書かれている方に行こうとしてします。
結果私がレンタカーのオフィスの方に行って、それで正解だったが、外国人一人で
空港にレンタカーを返却する時に困っている人も多いのではないかと心配になる。

 まぁ、何とかかんとか空港に到着し、そして、チェックインを済まして、一安心である。
同時に最悪に備えようとする私の性分から、もし、彼一人で違うエアポートに
行ってしまっていたらとかレンタカーのオフィスを探しまわって、あっち行ってこっち
行ってなんてことになっていたら大変なことになっていただろうなと思ったり、
名古屋は利便性が高いなと感じたりもしました。

 彼のレンタルしていたwi-fiルーターを返却して、私は電車で難波へと向かう。
同じ電車ですぐとなりにフランス人の家族連れの観光客。夫婦と息子で
空港から難波へと向かうところで父親がレースが好きなようでうだうだと話す。

 『君のフランス語はかなりいいね。』などとほめてくれるのはうれしいが、
私のフランス語の下手さは私が一番、よく理解していて『私のフランス語は
うまくない。しかし、うまくなりたいという気持ちは強い。』
と答える。

 さらに『ほとんど多くの日本人がフランス語に限らず、外国語が上手くないとか
片言だという認識だと何をするかというと沈黙してしまう。ところが私はフランス語
は上手くないし、全然足りない部分ばかりなのだが、それ故にサーキットであったり、
テニスの大会会場などでフランス語を話す機会があったら、これはビッグチャンス
だと考えて、話すようにしていて、サーキットだったらエルフ石油やシャークヘルメット、
フランス人ライダー、ジャーナリストなどにかわいがってもらえているし、テニスの
大会会場だったらプレイヤーやコーチなどと会話の機会を得て、色々な意味で競技
やツアー環境に理解を深めている。』

 とこの20年ぐらいこの手の会話になるといつも口にすることを説明すると納得した
様子であった。

 続いて

 『私がイタリア語を教えている時で、私がまずは話せ。そして、そのあとでどこが
間違えているのか、何が必要で何が足りないのか考えなさい。と指導していたの
だが、どうも日本人はそういうトライアンドエラーの発想が極めて希薄なので
教えていて、疲れてしまった』などと話すとかなり私の思考や方向性などを
わかってくれたようだった。

 難波でこのフランス人一家と別れて、難波のあたりをうろうろする。
当然、金券ショップもたくさんあるので、近鉄の窓口でチケットを買わずに
金券ショップで名古屋行アーバンライナーのチケットを買い、電車に乗ったら
爆睡状態に突入。気がついたら名古屋駅のちょっと手前で、慌ただしかったし
ここのところ短時間睡眠が昨晩も含めて多かったなぁと実感する。

 名古屋に着き、我が家に到着して五分後にゲリラ豪雨。天気が一日
前にずれていたらレースはどうなっていたのだろうか。2009年の台風直撃で
三度セーフティーカーのような展開になったのだろうかと思いながら、
各ライダーやメーカー、チームのSNSでの発信を眺めていると酒井大作君が
今回の鈴鹿8耐のチームメイトと難波の辺りで食事したり、歩いていた写真を
発見。ニアミスだったなぁと実感したり、名古屋から飛ばない連中は大阪で
一日過ごす様子を見て、祭りの後の静けさを感じた。

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