la questa stagione alla classe regina del campionato tedesco(IDM)
posso capire che markus reiterberger sia ottimo pilota al campionato
in germania e tanti appasionati tedeschi pensano che sara il protagonista del
futuro vicino pero’ anche io immagino il suo futuro al gruppo medio
http://www.gpone.com/2015082417927/BMW-e-MV-Agusta-cercasi-seconde-punte.html

quando parlavo con erwan nigon a suzuka dove c’era 8 ore di suzuka
alla scorso mese e mi ha spiegato il livello di superbike in germania
il pilota francese non voleva correre al campionato francese anzi
la sua scelta e’ campionato tedesco(IDM) perche’ perlomeno i primi5
sono veloci e la gara e’ duro fra di primisiti

e markus reiterberger e’ ancora giovane e deve correre insieme
lorenzo lanzi max neukirchner erwan nigon matej smrz xavi fores
pero’ lui gira piu’ competitiva alla questa stagione e la casa tedesca a cui
interessa ritornare al campionato mondiale con il nuovo fenomeno

la bella notizia pero’ immagino qualche mancanza alle piste
cioe’ "luchino visconti senza sponsor" e "federico fellini che manca la musica di nino rota"

il maestro milanese non ebbe sponsor necesario non ebbe creato il film
come ebbe voluto

ci sono honda suzuki kawasaki MVagusta ducati aprilia e molto probabile
ritorna la yamaha quindi la competizione sara’ duro

e la BMW ritorna alla pista senza l’appoggio della casa madre o no?
quando vedo le gare di superbike mondiale mi ero accorto qualche mancanza

cioe’ ayrton badovini e’ buon pilota pero’ la sua BMW non ha support
dalla casa madre direttamente e la casa tedesca fornisce la moto e
i ricambi pero’ la squadra e’ indipendente e bisogna il gran support
per la vittoria

il talentuoso pilota arriva alla pista di superbike mondiale sara’ ottima
notizia e la BMW ci sta con il pilota tedesco pero’ se mancasse lo support
della casa madre la sfida sara’ difficile e il pilota che non puo’ vincere
contro i fenomeni al campionato mondiale di superbike

allora markus sara’ alla pista con la BMW che ha il grande determinazione
o no? vediamo il loro futuro vicino
 今日の時点でかなり分厚いラインナップになることがわかりました。
同時にこのメンバーがこの時期の東京にやってくるのは色々な
ことがうごめいているのではないかという素朴な思いです。

 大会の開催権の問題でダウンサイジングした東レPPO。その賞金額や
大会の規模の中でいいプレイヤーに有明にやって来てもらうということは
大変なことだと思いますね。

 私がすぐに思い出したのは、WTAのパレルモの最終年のことです。
サーラ・エッラーニとロベルタ・ビンチがプレイしたのですが、世界の
6位と11位だったら、いくらかもらってプレイするレベルなのに、彼女たちは
大会の内情とローマ以外ではイタリアでのただひとつのWTAの大会ということで
1ユーロももらわなかった。

 ハードコートシーズンに入り直前のイタリアのレッドクレイの大会という
ことで大会側がメンバー的に弱いと思って、前の年のウィンブルドンの
ファイナリストのラドワンスカに話を持っていったら、35,000ユーロを
求められて、その話の後に病気になって不出場になったということなど
をイタリアのサイトで読んでいて、グランドスラムのすぐ下のレベルの
大会にはトッププレイヤーが集まるが、その下の規模になると業界政治や
野望や勢力といったものが絡むものだと思いましたね。
http://www.ubitennis.com/sport/tennis/2013/09/29/957596-dormito_malesi.shtml

 個人的には今の時期にプレイヤーが発表になっても、前の大会で故障したり、
直前に病気になったりすることもあるわけで、今の発表のメンバーが集まったら
タフで面白い大会になるなと思うのですが、果たして、このメンバーが揃って
来るのか疑問を持ってしまうので、前売り券を買うのはリスクだなと思っています。

 
 
 セントラルリーグの中で最下位に沈んでいる我が愛しのドラゴンズですが
CBCテレビの『サンデードラゴンズ』を見て、こんなチーム状態の中でも
ナゴヤドームに応援に行くファンを見て、確かにこういう時だからこそ応援
しなければいけないと思いましたね。

 かつて、生前のカール・ゴッチが『調子のいい時に近づいてくるのは友人
だが、調子の悪い時に寄り添ってくれるのが本当の友人だ。』と話していましたが
現在のドラゴンズの成績と試合内容の中でもナゴヤドームに駆けつけてチームの
勝利を願うのは本当のファンだと思います。

 『サンデードラゴンズ』の中でもファンの方がこんな時期でも応援するのが
ドラゴンズファンだとインタビューに答えるいましたが、それは真実ですね。

 私も昨年の八月の大失速の時にナゴヤドームで負け戦を何度も見ていましたが
本当にそう思います。

 同時に考えるのは南海ホークスが身売りの話が持ち上がった時に『福岡に
行かないで欲しい』とか『ここに球団がないのはさみしい』などと話していた
人があんなに立地条件が良くて、今よりも入場料金が安かった大阪球場に
行かない人が多かったり、球団のグッズを買っていない人ばかりだった
という事実でした。

 それまでも球団譲渡の話は出ていたわけで、球団経営が苦しくなる前に
もっとあの立地条件が良くて行きやすい場所に観戦に行って赤字額を減ら
すことをやって来なかった人の意見を聞くことはないと判断したのは
当然のことでした。

 今の状態のドラゴンズを応援して、ナゴヤドームに行っている人、球団の
グッズを購入している方々というドラゴンズファンの熱や消費活動は素晴らしい
と思いますし、そんなドラゴンズファンは言いたいことを言える権利を有していると思っています。
 今週末はMotoGPのインディアナポリスとドイツ選手権(IDM)のアッセンがあります。どちらも気になるのですが、個人的にはIDMのほうが興味深いですね。

 今日のレースの世界では車体、エンジン、サスペンション、チームの技術力
といったパッケージが成績に70%寄与していて、残りの30%がライダーの技量
だと言われています。

 そんな中で、場所によってはライダーの力が50%タイムや成績に
関わってくるサーキットがある。それがオランダのアッセンであると言わ
れています。

 そのオランダのアッセンでドイツ選手権のレースが行われるというのは
色々な業界政治の部分もあってのことなんでしょうが、このオランダ北部の
サーキットでレースが行われることで我々レースファンや業界関係者が楽しめ
たり、理解できることがあります。

 ライダーに実力がありながら、様々な条件で彼らが求めるベストなパッケージ
を得られないライダーがこのオランダのサーキットでは実力や技術でいいタイム
で走ったり、いい成績を残すことができる。そのことでライダーの実力が
あるのかどうかを判断することが可能になる。

 メーカーサイドとしても、ライダーがマシンやタイヤのお陰で速く走れる
のか、あるいは技術があるからいいタイムを叩き出せるのかが明白になる。

 個人的にはBMWのマルクス・レイテルベルガーの業界内評価や同業者、
ライバルからの評価が高いのですが、このアッセンで彼の成長や速さが
ジャッジできるのではないか。

 このブログの愛読者の方は私が鈴鹿8耐に行っていたのをご存知でしょうが、
鈴鹿のパドックで聞いた話ではかなりこの若きドイツ人に対する評価が
一気に上がっていることを実感しました。

 今週末のアッセンでマルクス・レイテルベルガーがどんな走りをするのか。
どんなタイムをライバルに見せつけるのか。私は路面温度や当日の天候の違い
はありますが、彼が今週末に出したタイムとスーパーバイク世界選手権の
レギュラーライダーが同じサーキットで走った時のタイムはどれぐらい
違うのか大変興味があります。

 彼の今週末のタイムと成績が来年のBMWの世界選手権レベルでの活動にも
大きな判断材料となり、彼の好成績や素晴らしいタイムがこの二年とは違った形でのスーパーバイク世界選手権での参戦ということが具現化するのではないかと思っています。
 
 土曜日のトップテントライアルを見ていて、ポル・エスパルガロの素晴らしい
アタックを見ていて、凄いなぁと思ったのですが、その後、中須賀克行が
ほぼ同じタイムを出してポールポジションを奪った時に考えこんでしまいました。

 ポル・エスパルガロは素晴らしいライダーで業界関係者の中でも大変評価が
高い。その彼ですが、8耐ウィークの前の週の鈴鹿での合同テストが初めての
鈴鹿であり、R1初体験でした。

 その彼が素晴らしい攻撃的な走りで土曜日の主役になったのですが、
あの時に思ったのは、彼の実力の高さと同時にR1というバイクが初乗りで
あってもいいタイムが出せたり、ライダーの好みのセッティングが高い
レベルで変更できる傑作バイクだということですね。

 どのライダーが走らせても高い競争力で走ることができる。
非常にライダーフレンドリーなバイクなんだろうなと思いますね。

 そして、彼のスーパーラップの後に走った中須賀克行。

 彼のタイムも素晴らしかったのですが、同時に思ったのは、何度も
鈴鹿を走っていて、開発にも関わっていて、全日本選手権でヤマハの
エースライダーとしてあのバイクを走らせているのであったら、初乗りの
ポル・エスパルガロよりも速く走らねければ評価を得られないのではないか。

 R1というバイクが素晴らしいバイクであるということを理解するのと同時に
ポル・エスパルガロより速く走れなかった中須賀克行は評価を落としたのでは
ないかというものです。

 ポル・エスパルガロが素晴らしいライダーであり、攻略が難しいサーキット
でスーパーラップを決めたのは素晴らしいが、ヤマハの関係者は中須賀克行
に対してどういう評価を下したのか気になるところです。
 東京ドームでのジャイアンツ戦で本当に久しぶりにオフェンスもディフェンスも
いいところが出て勝利しました。

 まぁ、我が愛しのドラゴンズの勝利というものがなく、果たして『サンデードラゴンズ』はどんな番組作りをしているのだろうかとか、中日スポーツの編集部
はどうしたらいいのか悩んでいるだろなと思っていたのですが、久しぶりに
ドラゴンズが勝って良かったです。

 強い時に応援するのも当然ですが、弱い時こそ愛するチームが上昇するために
熱い声援を送らなければいけないと思っています。そんなわけで、予告先発制度
で山本昌がナゴヤドームで投げるとなると彼の勝利とドラゴンズの勝ち星を
見るために出かけようと思っている私です。

 それにしても、ここのところビールが苦く感じたなぁ。
ha finito il gran duello otto ore di suzuka domenica e subito c’e’ il test
della categoria gran turismo perche’ ci sara’ la gara fine agosto
i marchi devono fare test sulla pista caldissima e poi dopo aver finito
il test cosa ci sono? ci sono gare dell’automobilismo alla fine settimana

i piloti i meccanici e gli ingernieri potrebbero immaginare la gara
dell’automoblismo con le benzine nel 2020 anzi ancora ci saranno tante
benzine nel 2030?

allora gli ingernieri e i professori qui in giappone pensano di futuro
vicino e tutte categorie dell’automobilismo prima di tutto devono fare
test e pensano di progetto da produrre mille modelli e 10mille di modelli

questa fine settimana a suzuka c’e’ la gara di "macchina con il panelli solari"i primi anni pochissime partecipanti e il livello non ci fu alto anzi
gli ultimi anni ci sono tanti partecipanti e sopratutto tanti studenti
a cui interessa questa categoria e ci sono tante macchine con il pannelli
solari
http://www.suzukacircuit.jp/solarcar_s/

questa gara venerdi e sabato al tracciato a suzuka e poi cosa ci sara’
domenica? c’e’ altre gara il campionato dell’ambiente
ecco la casa giapponese la panasonic sostanzioso appoggio economico
e la casa degli elettorici pensa di futuro vicino e ci sta
il regolamento deve partecipare la macchina con la panasonic
evolta(puo’ caricare tante volte)quindi la gara si chiama"ene1 gp"
http://panasonic.jp/battery/drycell/
http://www.suzukacircuit.jp/ene1gp_s/

vediamo il futoro vicino dell’automoblismo a suzuka dove ci sono gare
e anche il test per il futuro vicino e lontano


 バイクの真夏の祭典の鈴鹿8耐が終わり、今度はGTカーのテストが開催。
その後、何があるかというと、これからの時代に関する非常に興味深いレースが
行われます。

 自動車産業やオートバイ産業に関わっている方々で2020年に行われている
レースでガソリンを使って行われるのは割にリアルなものとして捉えられて
います。

 では、2030年に今と同じように石油を使ったレースが存在するかというと
不透明であったり、懐疑的です。

 そんなわけで、強い意識なり、未来に対する危機感であったり、高い理想
がある方々は近い将来を考えた製品作りだったり、製品化前の実験をして
いたりしますね。

 今週の鈴鹿サーキットではソーラーカー選手権があり、さらに乾電池を
源として車を走らせるENE1選手権が開催されます。
http://www.suzukacircuit.jp/solarcar_s/
http://www.suzukacircuit.jp/ene1gp_s/

 そこに希望なり展望というものを強く感じたり、研究者や開発メーカーの
いい意味での欲の深さや強い思いを感じます。

 朝、何とか早起きして自宅を出る。例によって乗り継ぎをして平田町駅に
到着してマウリツィオのいるホテルへと急ぐ。

 7時20分には到着したが、彼の車はまだ駐車場。そんなわけで1階朝食
ルームで水を飲ませていただきながら待っていたら業界人がどんどんここに
やってくる。今回はユーロスポートフランスの力が入っているようで、彼らの
宿泊施設もここ。朝からフランス語を単語を探しながらうだうだと話している
ところにマウリツィオ登場。朝食を終えて、一緒にサーキットへと向かう。

 8時10分には何とか彼はヤマハのオフィスに到着。昨晩のマッサージの効果が
あって、ぐっすり寝られたというか寝過ぎたから予定より10分ほど遅れての
到着である。

 マウリツィオに与えられたパドック内駐車場が2コーナー近くの激観エリアで
そこから歩いて行く。まだ、4耐の参加チームの車やトラックはかなり多い。
チームによっては4耐だけのチームだが勉強のために残っていたり、
部品メーカーが揃うこういう機会にミーティングしたいということをらしい。

 私はマウリツィオと違って徒歩10分の距離は車で移動するのではなくて
歩くべきという考えだが、坂道を10分歩くとさすがにこの天候では喉が
乾く。エミリアーノ・ベルッチのいるピットに行き、ウォーターサーバーで
いきなり500ミリリットルほど飲んでようやく落ち着く。

 パドックからメインスタンドの裏手のイベントスペースに行き、各メーカー
やスポンサーのブースをうろつく。9時少し前の段階だが、かなり人が多く
なってきた。どこのブースもかなり盛況である。

 ウォームアップが終わって、ピットウォークの時間。私もピットウォーク
に参加するが、本当にキャンペーンガールが多い。

 まぁ、50以上のチームがキャンペーンガールを用意していて、あるチームは
一人だが、二人やなかには四人体制なんてところもあり、それ以外にメーカー
やタイトルスポンサーのコカコーラゼロやサーキットのキャンペーンガールが
いるとなると相当な数に及ぶ。そして、この時間でこの酷暑。それを想定
していて当然のことながら露出度は高く、数多くのセクシー系だったりカワイイ
系のキャンペーンガールがいるとなるとカメラ小僧の人数も半端ではない。

 私も見ていて楽しいので写真を撮影するが、高性能のカメラだったり、
4Kや8Kでの撮影だとそれにともなって化粧なども創意工夫が必要なんだろうな
と思う。同時にここからAVに活動を移した人のDVDを喜んでいる人がいたり
カワイイ子だなぁと思って撮影したのがキャンペーンガールをしていた頃の
はるな愛だったことを知った人はどんな思いなんだろうかなどと思ったり
してしまう。

 4人ほど誰がどんな価値基準で選んだのかなというキャンペーンガールが
いたが、やはり8耐は色々な意味で特別だったりするなと思いを抱きながら
パドックへ。以前、デンソーのキャンペーンガールが寝る前に50回は最低限
腹筋をしていますという言葉を思い出す。まぁ、露出度が高い衣装を着ていて
下っ腹がプルプル震えていたらまずいわなぁとは思うし、まだらに日焼け
したら良くないので大変だなぁと思う。

 11時の段階でメインスタンドと1コーナーよりの指定席はほぼ満員。
土日の来場者が多いだろうと思っていたが、意外にも日曜日のみの観戦の
人が多くて少々意外な印象を抱く。

 サイティングラップがあり、ライダーの紹介を経て、いよいよレースへ。

 レースに関することはかなりのメディアがすでに報じているので詳細は
省くが、個人的にはケーシー・ストーナー対ポル・エスパルガロのバトルが
見たかったがそれがオージーライダーというかホンダのマシンの転倒に
よって叶わなかったことが残念なのと意外とチームグリーンが思いのほか
戦闘力に欠けていたこと、SERTやGMTといったチームが耐久レースの戦い
方を知っていて、しっかりとレースをまとめてきたこと、BMW勢がもう少し
上位でフィニッシュするものと思っていたが、レースでは今ふたつスピード
がなかったことなどが印象に残るレースでした。

 8時間ノートラブル、ノーストレスの圧勝というのはないと思うのですが
ヤマハファクトリーも目の前でラップ遅れのドゥカティが煙を吹いた時と
19時台のセーフティーカーランは気が抜けないことだったが、優勝する時は
勝ち運もあるものだと実感した。

 ドゥカティのトラブルは真後ろではなかったから、まともにあおりを食うこと
なく済み、セーフティーカーの件は東西に長い鈴鹿では二台のセーフティーカー
がレースをコントロールして、二位のFCCテクニカルスポーツは半周遅れと
いうことになったことは非常に大きなことだったと思う。

 結果、ヤマハファクトリーチームの優勝でフィニッシュ。二位がFCC
テクニカルスポーツで三位がチーム加賀山というヤマハ、ホンダ、スズキの
3メーカーが表彰台の三つの場所を分け合う結果となった。

 ポル・エスパルガロのヘルメットの最後のメンテナンスを終えたマウリツィオ
と合流して、中部国際空港へと向かう。空港近くよりも鈴鹿のエリアの方が
恐らく時間から言っても食べる場所が多いだろうという考えで日本食の
レストランに入る。ずっと寿司と刺し身が続いていたので、疲れを取ることも
ありカツ丼とそばのセットを二人とも選択して食べる。

 私自体はカツ丼を家で作ることはないのだが、親子丼は好んで料理する。
リミニで勉強していた時にかつてのマウリツィオ・ビターリファンクラブの
会長のオリアーノ・アルディーニやレッジョエミリアに居た時にダビデ・ブレガ
に親子丼を作って好評だったことを話す。また、現在、ダビデ・ブレガの
息子のニッコロ・ブレガがスペイン選手権で走っているのだが、ライディング
スキルとは別の部分で彼がライダーとして持っているキャラクターの部分に
関して話す。

 ダビデ・ブレガの家に行った時に奥さんのナタリーが料理を作ってくれた
のだが、私はおいしいと思ったのだが、ニッコロ・ブレガは黙っていた。
そこで私が『彼女や奥さんや母親というのは子供においしい料理を出したい
と思ってスーパーで買い物をして子供が満足して欲しいと考えて料理を
しているもので、子供がおいしいと言ってくれたら頭の疲れも肉体疲労も
吹っ飛んでいくものなんだから、この料理がおいしいと思ったらおいしいと
言わなければいけないよ。』と話した。

 でもって、ダビデ・ブレガが『ニッコロ。この料理はどう思う。おいしいかい』と
言ってようやく彼は小声で恥ずかしながら『おいしい』と言っていた。

 そして、翌日は私が彼の家で親子丼、肉じゃが、お好み焼きを作ったのだが
大きな声で『yasu!最高の仕事。とてもおいしい』と言ってくれたことが
ありました。

 つまり、いいライダーやチャンピオンというのは何か間違ったことをしたり、
正しいことに気づいたら、すぐに正しいことをちゃんとやるもの
で、ニッコロ・ブレガというのはそういう意味では多くのチャンピオンが
サーキット上でした修正とか改善ということができるライダーではないか
と思うし、そのことをダビデ・ブレガとナタリーとyasuは知っている
と話す。その修正能力に体力とか技術が加われば彼は大変楽しみな存在
だろうと話すとマウリツィオはかなり納得していました。

 マウリツィオはニッコロ・ブレガをかなりいいライダーと技術的に
認識しているようで、怪我なく経験を重ねれば世界まではやってこれるのでは
ないかと考えているようだ。

 食事後、セントエアの方面へ向かうが、かなりマウリツィオが眠くなって
いて、一旦給油とコーヒーブレイクを挟んで名古屋方面へ。

 何とか眠気のピークが去り、伊勢湾岸自動車道を東へと進み、名古屋市港区
のエリアに入り、そこから北へ進み、我が家へ。

 何と我が家まで送ってくれて、まだ起きていた両親に彼を紹介し、玄関先に
張っているエミリア・ロマーニャ州の敷物のイジェアマリーナのところに
彼にサインをしてもらってお別れ。ちょうど、その時にホテルからご丁寧
にも電話があり、中途の渋滞のこともあり、24時ぐらいの到着になると
伝えて、荷物を持って念の為にカーナビをセットして、別れる。

 長いようで短かった今年の8耐が終わった。
 土曜日ということで朝から行われるのがストック600の4耐。
そんなわけで、すでにヘルメットのメンテナンスができていて特別な用事の
ないマウリツィオは9時にホテルを出るということでそれに合わせてホテルの
一階にやって来たが、彼の姿はない。

 待っている間にユーロスポートのフランス人と話す。まぁ、いつものことだが
私が下手だが気持ちのこもったフランス語を話すと初対面の彼らは驚く。

 そこにウィリアム・コストが登場。ウィリアムが私のことをもう20年も
前から知っていてこの日本人は凄いというかクレイジーでレースを全部
フォローしているといささかオーバーに話す。

 エルベ・ポンシャラルのチームテック3でホンダの250で走っていた時に
ファクトリーバイクはオリビエ・ジャックでRSを走らせていたのがウィリアム。
同じ体制で続けていくのかなと思っていたが、98年のホンダのファクトリー
マシンがダメダメでテック3はヤマハと交渉し、ジャックは残留。もう一人は
ヤマハのプッシュで中野真矢が加入して、ウィリアムはカテゴリーを変えて
このスイッチがバッドリザルトに繋がったら彼のライダー生命は終わりに近づく
と思っていた。

 しかし、高速ハードバトルのモンツァでポールポジション。現場に居て、
あのトップタイムはチームも本人も嬉しかったが、私にとってもすごく嬉
しかったことだったなどと話す。

 こういうライダーにとって大きな意味のある成績やレースのことを話すと
本人は非常に喜んでくれる。無論、ウィリアムもそうで彼としばし談笑した後、
別れて、マウリツィオを待つ。

 9時20分ほどになり、マウリツィオ登場。朝食の時間は終わってしまって
いるが、彼を待っている間に目の前のスーパーにどんどん人が入っていく
姿、買い物カゴを持って車に入っていく姿を見たので、ここで食べられない
なら、あそこで何か買おうと進めて一緒に店内に。

 開店間もないということで店内で焼きあがってすぐのホカホカのパンの
匂いに足が早く動き、さらに缶コーヒーを買おうとすると弁当売場を通る
ことになり、お寿司のセットに彼の足は止まる。

 そんなわけで、クロワッサンを朝食に、寿司のセットを昼食のために
購入して、店内の食事スペースで食べながら、ルカ・ビターリに鈴鹿8耐
に一度経験のために参戦させてみたいが、どこかカワサキ系のチームを
知らないかと尋ねられる。プライベートチームは知っているが、彼らは
ディーラー系のチームでその結びつきでショップの地元のライダーを
地方選手権なり全日本なりで走らせているわけで、そうなるとそこに
イタリア人を走らせるということは難しいし、レベルやチームの規模が
大きくなると若いライダーを経験のために走らせるということよりも
実績を求めるから日本のチームでエルワン・ニゴンあたりのクラスの
ライダーを走らせるような形になるから難しいだろうと率直に答える。

 車に乗り込み、サーキットへ入る。茂木と違って、近くにホテルや商業
施設があるというのはいいことである。

 サーキットではすでにストック600による鈴鹿4耐が行われていて、
未来のスター候補生が走っている。8耐関係者はのんびりしている人、
慌ただしい人がいるが海外から来たメディア関係者は4耐は基本的にノーケア
なので、8耐参戦ライダーのインタビューを取ったり、土曜日ということで
明らかに増えてきたキャンペーンガールを撮影したり口説いていたりしていた。

 4耐のウィナーが14歳のボーイで、テニスのジュニアの大会に行って、
14や15歳のプレイヤーの親の年齢が私と一緒だったり、最近は年下だったり
することを思い出す。

 パドックから離れてメインスタンドの裏のイベントスペースに行く。
スタンドはまばらだが、こちらの方はかなり人が多くて、バイクの展示に
目が奪われたり、ステージで行われているイベントを眺めながら過ごして
一旦、ヤマハのオフィスに行き、マウリツィオに冷蔵庫で保管してもらった
寿司を食べる。

 土曜日ということもあり、かなりパドックは人も増えてきた。まぁ、
当然ではあるが、注目度があって、たくさんの人やモノや商品があるところに
宣伝費なり広告費用というのは存在する。そして、この酷暑という天候。
たくさんのキャンペーンガールがいて、彼女たちの露出度が高いのは当然
というか必然だろう。そこに群がるのがたくさんのカメラ小僧たちである。
キャンペーンガールが少なくて、参戦ライダーやスポンサーが乏しくて
メーカーが力を入れていないというのは良くないことだなと改めて思う。

 このレースの参加台数は多く、華やかさがあるのだが、一方で思うのは
今回のように世界チャンピオンクラスが参戦するとなると、上位レベルでは
タイム差や実力の違いがなくてもポールシッターと最後尾のライダーでは
ラィディング能力やチーム力に力があるので、スプリントならともかく
耐久レースでは危険ではないだろうかとも思う。

 さて、今日の注目はトップテントライアルであるが、これはもう、
本当にポル・エスパルガロの素晴らしさと凄さを感じる圧巻の走り。
コースの前半の1コーナーからS字の切り返しなどマシンから振り落とされる
のではないかと思われるようなライディングでギリギリまで攻めた走り。

 明らかにライダーもマシンも100%の走りでサーキットがどよめいている
中でフィニッシュラインを超えてタイムが2分6秒フラット。大歓声が
ヤマハピットで起こり、メインスタンドのヤマハフラッグが大きく揺れる
すさまじい盛り上がりだった。

 その後、ケーシー・ストーナーの素晴らしい走りを見せる。スーパーラップ
であり、彼のタイムも本当に素晴らしいし、見事なタイムでしたが、何せ
エスパルガロのタイムと走りが素晴らしすぎて霞んでしまう。

 中須賀も素晴らしい走りを見せるが、エスパルガロのタイムに僅かに及ばず
ポールシッターはポル・エスパルガロということになった。

 まぁ、マシンの素晴らしさとポル・エスパルガロの凄さと彼を呼んできて
必勝体制を作ったヤマハの本気を感じた予選結果で、これに果たしてホンダと
ケーシー・ストーナーが何を考え何をするのかが気になる結果でした。

 興奮から醒めて思ったのは、ポル・エスパルガロの神ラップを見て彼の
能力の高さを感じたのと同時にR1というバイクがライダーフレンドリー
なマシンであるということ。そして、同時に思ったのはエスパルガロが
R1に乗ったのは先週の鈴鹿でのテストが初乗り。そして、鈴鹿も初めて。

 同僚の中須賀はR1というバイクは耐久用もスプリント用も何度も走っていて
鈴鹿も全日本でもテストでも何度も走っている。

 その彼がポル・エスパルガロにコンマ1以下のタイム差であっても負けて
しまうというのはいかがなものか。

 ポル・エスパルガロの能力の高さ、マシンへの適応性とサーキットの迅速な
理解度の高さが高い評価を与えることができることは当然だし、私も彼の
素晴らしさを感じる。
 
 その一方で中須賀がポル・エスパルガロよりいいタイムを出せなかった
というのは彼の評価を下げることになるだろう。

 中須賀の近未来の活動予定がどのようなものになるのかわからないが、
世界レベルのライダーの凄さを感じるのと同時に中須賀の足りないもの、必要な
ことを感じてしまった。

 マウリツィオと会い、ポル・エスパルガロのスーパーラップについて振り返る。

 彼の話ではポル・エスパルガロの能力はワンラップだけだったら今や
バレンティーノ・ロッシを凌駕するのではないか。しかし、空タンクに
近い状態で新品のグリップのいいタイヤで一周のみでの戦いになるわけでは
ないので、95%の力を50分出し続けるという部分で足りない部分があると
いうことと所属しているチームに問題があるのではないかというのが彼の
理解である。

 同時に思うのは私が知る限りポル・エスパルガロはいいやつで話していて
楽しい。その彼に足りないのはバレンティーノ・ロッシが有している悪魔性
ではないだろうか。

 125時代のバレンティーノ・ロッシは能力と若さで勝つことができたが
250時代の一年目ではそれだけで勝つのは難しくなってきたことが理解できた。

 そこで原田哲也とロリス・カピロッシが居なくなった時にアプリリアという
小さな規模のメーカーが勝つには一人にリソースを集中させて、ホンダ、ヤマハ
ファクトリーに対抗して、彼のライディングスタイルにマッチしたマシンを
開発して王者になった。

 500のナストロアズーロホンダは彼のために作られたチームで全てが
彼に集中する体制を構築して、MotoGPになってからはミシュランが彼の
ライディングに合わせてタイヤを作り、それを利用してアドバンテージ
を手にした。それがブリヂストンライダーの伸長で劣勢になってきたら
マスコミを利用して玉田誠が勝てるのはブリヂストンだからという論調を
張って、同じ道具で玉田が勝ちたい気持ちを利用してブリヂストンの
プライオリティライダーの彼がミシュランに来て、タイヤメーカーの
変更に悩む彼が沈み、バレンティーノ・ロッシはアドバンテージを
得ることになった。

 ミシュランが全体的に競争力を失い始めたら、政治力を使ってブリヂストン
を手にする。

 良く言えば、勝利に純粋できわどいカードを躊躇なく切れるのが支配者の
条件なのでしょうが、それができるのがバレンティーノ・ロッシだと思うの
ですが、そういったことがポル・エスパルガロには少なくとも現時点ではない。

 同時にルーチョ・チェッキネッロというのはライダーとして中級レベルで
あるが、彼は陸上競技などと違って道具とかパッケージがバイクのレースでは
勝敗やタイムに大きく結びつくことを知っていて、スポンサーを業界関係
企業ではすでに先発のチームに取られていることを知っているから業界に
縁のない企業で話を進めて資金を獲得したり、部品メーカーとの繋がりを
密接にして、お金を払うことなく部品を手にしなかったり、現物支給しても
らったりいい製品やレースで強みを発揮する道具を出してもらうことで
ラィディング能力で足りないところを補ったりして、それをチームマネージャー
の立場でもそれを行いいい成績を上げようとする。

 バレンティーノ・ロッシが持っている良く言えば純粋で悪く言えば悪魔性
であったり、ルーチョ・チェッキネッロがビジネスマインドを現在の
ポル・エスパルガロは持っていないから、それが今後必要ではないかという
ことを私が社会学の立場から話していました。

 その後、マウリツィオと車に乗り、寿司を食べに行った後、マッサージ
を受けたい彼にホテルの近場の情報を渡して平田町駅へ行き、帰宅する。
酷暑の戦いになりそうだ。
  
 名古屋の自宅を出て、平田町駅へ行き、マウリツィオを迎えにホテルへと
行き、彼と合流。車内で先週のイタリア選手権のイモラの話をしながら、
今年のイタリア選手権のことに触れながら移動してピットに入る。

 ヤマハのピットに行くと、そこに何とパオロ・ゴッツィの姿。彼ほどの
ジャーナリストが来るというのは今年の8耐が非常にニュースバリューの
あることを示している。

 今年のホンダの8耐の体制。全日本のことなどをうだうだと話す。
同時に思ったのはバレンティーノ・ロッシが8耐を戦った時にジョバンニ・
ザマーニあたりも来ていてレースが特別な価値を生み出す時はイタリアの
ジャーナリストも来るものだなというものであった。ただし今回が
ジョバンニ・ザマーニが鈴鹿に来た時と大きく違うのはパオロ・ゴッツィに
とってはSBKのUSラウンド、鈴鹿8耐、SBKのマレーシアという三週連続
の取材であるということだ。この三つの中の二週はまだしも、三週連続は
結構しんどいと思う。

 そこにブレンボのエウジェーニオ登場。しばらく、うだうだと話す。
パドックを歩いていたら、きれいなおねえちゃんが多くなってきたことを
実感する。さすがに木曜日から分厚く宣伝活動をするチームやメーカーは
少ないのだろうが、今日や明日からの観客に向けてやることが多いことを
実感する。

 今年の8耐で唯一のイタリア人ライダーである、エミリアーノ・ベルッチ
のピットに行く。彼が言うのにはこのサーキットは本当に素晴らしい。
近年のサーキットはストップアンドゴーのところばかりでどこも同じに
感じてしまうが、ここはロングストレート、スローコーナー、ファストコーナー
があり、アップダウンもあって、エンジニアにもライダーにも難しいが
実にチャレンジングなところという評価である。これは彼に限らず、数多くの
海外のライダーから聞く話。私も地元の身びいきで言うわけではなく、
鈴鹿はブルノ、アッセン、バルセロナ、ムジェッロと同様にエキサイティング
なサーキットだと思う。

 彼と話をしていて、たまたまライダーの選択という話になった。
私が10年ほど前に新垣敏之さんと話をしていて、できることなら8耐に
ウィリアム・コストとクリスティアーノ・ミッリョラーティを呼んでチームを
作りたいという話があった。そこで私に上記の二人以外でリッターバイクの
経験があり、複数のメーカーに乗ったことがあり、一定以上の実力がある
ライダーで鈴鹿8耐に乗せて面白いのは誰だという質問を受けて、10年前の
私の答えが『ジョバンニ・ブセイとマウロ・サンキーニ』であった。

 同じ質問を5年前にされて、スポンサー次第だが、お金を払えない、あるいは
払ったとしても少額だが、この日本で一番注目されていて業界人への
最大のアピールになるレースにリッターバイクで走れる能力があるのは誰か
と言われた時の私の回答は『ジャンルカ・ヴィッツィエッロ、ジャンルカ・ナンネッリ、ロレンツォ・アルフォンシ、ロレンツォ・ランツィ』であった。
こういう私の理解力に基づくライダーの評価を話すことはあまりないのだが
答えを聞いて彼が思ったのは、割に彼らのような能力はあるがスポンサー
を持参できなくて、チャンスがなかったり、ビッグチームで望んだカテゴリーで
参戦できなかったライダーは喜んでイタリアから来るのではないかというもの
であった。

 ヤマハのピットの辺りを歩いていたらアレックスフォトのマッテオと会う。
そこにパオロ・ゴッツィが合流。来週のスーパーバイク世界選手権の
マレーシアのことを話す。アプリリアでマックス・ビアッジが走り、
今シーズンを再び走れそうにない不運なダビデ・ジュリアーノの代打は
予想通りミケーレ・ピッロであることを知る。現在は長いお休みとなった
マルコ・メランドリはどうなるのかと話すと目線がヤマハのR1の方に。
まぁ、ヤマハとしても再参入となると実力があって、世界選手権レベルでの
経験も豊富なメランドリというのはいくつかある中の有力な候補者であるのは
間違いない。

 マルコ・メランドリ以外で考えられるのはシルヴァン・ギュントリや
マックス・ノイキルフナーらしい。さらにフローリアン・マリーノも候補者
であるとのこと。

 昨日に続いて、エルワン・ニゴンと話す。彼はフランス人だが、今年は
この耐久レース以外の主要な活動というのはドイツ選手権である。彼の理解
ではフランス選手権で競り合いになるのは一人か二人だが、ドイツ選手権
では5人以上になる。マックス・ノイキルフナー、ロレンツォ・ランツィと
いった世界レベルでの勝った経験のある連中がここで戦っていて、さらに
ハビ・フォレス、マテイ・シュムルツも時にトップクラスの走りをして
現在、ドイツで業界評価が高くなっているマルクス・レイテルベルガーが
いるからほぼ同じ条件でどちらをやるのかという選択になった場合、
ドイツを選んで、レースウィークが重複しない時にこうして日本のチーム
との交渉がまとまれば来日したり、他の耐久のチームで違う大会に出る
ということでシーズンを進めているとのこと。

 ここでもマルクス・レイテルベルガーの名前が挙がっていて、果たして
2016年シーズンに若きスター候補生がスーパーバイク世界選手権に
参戦を果たすのか、BMWイタリアでメーカーのサポートを受けながら
アイルトン・バドビーニとチームを組んで世界で走るのかかなり気になる。

 コース上に目を移すと、エルワン・ニゴンと話していた内容もあって
BMWの快速ぶりがかなり気になる。どうしてもハルク・プロとサクライホンダ、
ヤマハファクトリーとチームグリーン、チーム加賀山のメーカーの関与度に
濃淡はあるが手の入っていて、いいタイムを叩きだしているマシンとライダーは目を奪われるのだが、同時にBMWの速さは出色でライダーがいいのは当然
だが、マシンもかなりいいのだろう。来季のスーパーバイク世界選手権に
BMWがただ、マシンを出すだけという形でなくて、力を入れてきたら
面白いことになるし、そこにヤマハのR1も加われば実にエキサイティング
なシーズンになるだろう。

 ヤマハGMTのピットの辺りにいるとジャンマルクと会う。現在の彼の
活動はシャークヘルメットではなくて、色々と素材や材質関連だったり、
ライディングギアに関するものでシャークは離れているということらしい。

 しばらく、シャークヘルメットのブースで会わなかったのでどうしているのか
と思っていたら、こういう活動の転向ということがあったということだ。

 私がジャンマルクと話しているところに現れたのが何とウィリアム・コスト。
ずいぶん久しぶりである。今回のこの8耐は注目度が高く、ユーロスポート
での放送もあって、今回の彼はユーロスポートフランスのコメンテーター
ということでの来日。現在の彼はこういった放送関係とライダーのコーチ業
が主なことになっているとのこと。

 しばらく会っていなかったり、懐かしい顔を見たりできるというのも
レースの規模が大きかったり、注目度が高いからであって、今年の8耐の
持つ意味を強く感じる。

 その後、マウリツィオと合流して、イオンに行き、食事をして私は名古屋へと
戻る。長い一日が終わった。


 
 
 鈴鹿の8耐というのは日本人にとっても特別なレースですが、多くの
レース関係者も絡んだ世界的にも興味を持たれるビッグイベントです。
私も今回は色々な絡みがあって出かけることになりました。

 我が家を出て、近鉄に乗り名古屋駅へ。そして、名鉄に乗り換えて
中部国際空港駅に到着。地元の身びいきで言うわけではないがアクセスが
いいし、使い勝手がいい空港である。

 そのいい空港に初めてやって来たのが我が友マウリツィオ・ビターリである。
彼が現役のグランプリライダーであった頃は名古屋でも小牧の空港と大阪便は
伊丹空港だったわけで、AGVのサービスパーソンとして初めてこの空港に
降りることになったが、全てが新しい上に導線がしっかりしていて移動
しやすいのですぐに到着ロビーに来れたと驚いていた。

 彼のリクエストに応えて、SIMカードの購入に行き、その後、レンタカー
オフィスへ向かい、その足ですぐに鈴鹿へ出発。強い雨で伊勢湾岸自動車道
から東名阪自動車道へと入る。気になるのはこの週末の天気のことで台風
のリスクはないが、逆に暑くなると話す。彼にとって想像以上の暑さだった
のがバレンティーノ・ロッシがホンダ入りして二年は8耐に出るという縛りが
あって、出場した時のことでその十年以上の年月に彼は歳を重ね、日本の夏は
厳しさを増していることを考える。

 ホテルに荷物を預けて、サーキット入り。木曜日でしかもまだ太い粒の
雨が降っていることもあって、観客席はまばら。パドックもすぐに走行後に
ピットに居るか、オフィスに入るかで人が少なく感じる。

 ポル・エスパルガロに挨拶して、私はパドック内を歩く。先日の公開テスト
の時に顔を合わせなかった人やその時に不参加のチーム関係者と比較的時間の
あるうちに会っておきたい。

 そんなことを思っていたところにダビデ・チェカが現れる。私も昨年の
8耐には来ていないから実に久しぶりに感じるが、昔も今も気軽に声を掛けて
くれてうだうだ話す。実に彼らしいと思ったのが、いい天気の時も酷暑の
ケースも雨が降った時もここで走っていたが、彼にとってはいい成績を
残せるチャンスがあるときがいい天気であるということ。彼いわく、
できれば雨が降ってトップ集団、ホンダとヤマハのメーカーの力の入った
チームとの戦闘力の差が縮まって欲しいというのが本音であることを
話してくれた。

 しばらくすると目の前を歩いてきたのがセバスチャン・ジャンベール。
彼というとグランプリでの活動期はホンダ系で、その後スーパーバイクの
フランス選手権ではヤマハのイメージが強いが、ホンダのリッターバイク
に乗る彼の姿というのは新鮮なものを感じる。

 雨が止んで、人の流れが活発になったころに出くわしたのがピレリの
エンジニア連中。先週のスーパーバイク世界選手権のUSラウンドでは
痛ましい事故があったことやアメリカ人のオーガナイズに不満を持っている
せいか、この鈴鹿が楽しくていいと話してくれた。

 8耐のセッションが終わり、4耐の走行時間となり、ピットから人が出てくる。
やはりというか当然というか、ケーシー・ストーナーの人気というのはレース
ファンで高く、ここだけは警備員が張り付いている。ただ、そのチームメイト
にはサインや写真を求める人はほとんどいない。STK600、SSと順調に
出世街道を歩んでいるマイケル・ファンデンマルクはSBKに来るまでの走りを
映像で見ることが少なく、SBKでマシンの戦闘力に比例して、どうしても
上位陣の壁が厚いことで中団を走っているから知名度が低いのだろう。
個人的には近い将来が楽しみではあるが、コアなファン以外には人気が
ないことを実感する。

 天候が回復したこともあって、グランドスタンドで走りを見たくなり、
パドックから移動。祭りの前の下準備感が漂う木曜日のグランドスタンド
裏の空間を歩いていて、今回4耐に出場しているオージーライダー二人と
話す。

 日本のレースファンにとって非常に意味のあるレースで、多くの業界
関係者が来場するこのウィークで登竜門的レースの4耐でいい走り、好成績
を上げれば近い将来に明るい道筋が見えてくることなどは彼ら二人も十分
承知だったのが印象的で、たくさんのメーカーやチームが分厚く活動したり
サポートしているから、それにともなってキャンペーンガールもたくさん
来るから頑張ればいいことが起きるかも知れないと話すと笑っていながら
納得していた。

 まぁ、お金持ちになりたいとかおねえちゃんにもてたいという欲望が
あって、その欲を満たすために体力、知力、精神力を使ってのし上がろう
というのは正しいことで、私がこうして英語を話したり、イタリア語の
通訳したり、フランス語で会話するのも、原始的な欲求を満たすために
コミュニケーションの道具は日本語一つでないほうがいいということで
実際に今まで色々な国でいい思いをすることもあったから、欲深さが
持っている能力を高めたり、進化や成長を促すからいいことだと思う
と話すと喜んでいましたね。

 しばらくグランドスタンドで8耐のセッションを見た後、パドックへ戻る。
SERTのピットへ行くと、先日の公開テストの時にバンサン・フィリップに
紹介されたメカニックと会い、しばらくうだうだ話す。そこに知らない
エンジニアが登場。私のフランス語を褒めてくれる。

 素直に謝意を示した後に、私はフランス語は上手くない。というわけで
上手くないからこそ、こうしてフランス語を話す機会があった時に必死
こいて話すようにしている。ところが多くの日本人は上手くないという
実感があったり、まだやり始めて日が浅いという連中は機会があっても
話そうとしない。これは本当に言語の習得の害悪だと思っていて、
レースと同様成功体験よりも失敗体験の方が教科書になることを理解
しているから上手くなくても話しているし、下手なのはよく実感している
と話す。まぁ、エンジニアなのでこういう進化や成長のプロセスは何度も
経験しているせいか深く理解してくれたようだった。

 その後、エルワン・ニゴンと会う。ラィデングブーツにハンドメイドで
小さな穴を空けて、通気性を良くして、少しでも快適なライディングにしたい
らしい。まぁ、何もしないよりはいいことだし、これだけのことをしているから
タイムが上がるだろうとか、ブーツ内の発熱を記にしなくていられるだろうと
暗示をかけているようでもある。

 その後、マウリツィオと合流し、先週のイタリア選手権のイモラの話を
聞いているうちにここを離れる時間となり、平田町駅へと移動して、帰宅。
長い一日が終わった。
 雨のモスクワでのレースで彼を失ってもう二年なのかまだ二年なのか
わからないが、アンドレア・アントネッリのファンにとって特別な日です。

 全てのレースにおいて全ての危険性を取り除くことはできない。
しかし、危険性を減らすことは可能であるとは思います。

 あの雨のモスクワでのレース。非常に難しく危険な状況でのレースが
始まり、彼はひどいクラッシュで二度とチームスタッフの待つパドックに戻る
ことはできませんでした。

 いつも、こういう大きな事故が起きた時に思うのは、私を含めてオーバー
40の世界中のレースファンが思い出すのはコラード・カタラーノがひどい
クラッシュで生死をさまよったどころかかなり死に近づいてしまった
ホッケンハイムリンクでの事故のことです。

 あの時はドライコンディション。すぐに赤旗が掲示され、すぐにコスタ
先生とメディカルスタッフが現場に直行し、死の一歩手前の段階でしたが
一秒の無駄もない素晴らしい救急、救命活動があり、そのすぐそばに
ヘリコプターがやって来て、マンハイムの病院に搬送されて、彼は
文字通り九死に一生を得ることとなりました。

 ヘビーレインの状態では、果たしてヘリコプターが飛べるのだろうか。
霧がひどかったら、サーキットから病院への移動も車での搬送になって
しまいます。そして、それは時間を費やしてしまうことを意味します。

 レースでのリスクをゼロにすることはできません。しかし、減らすことは
可能だと思います。

 私にとって彼のイタリア選手権や世界選手権でのレース活動を振り返り
ながら、レースにおける中止や中断の判断、救急時の救護体制などを考える
一日になっています。多くの世界中のアンドレア・アントネッリファンも
きっと同じ思いではないでしょうか。
il mondo del motociclismo ebbe perso andrea antonelli all’ospedale
in russia
lui ebbe corso sulla pista pericolosa e bagnata e ebbe perso il controllo
e non fu ritornato al box dove ci furono amici e tutti staffe della squadra

ebbe piovuto tantissimo e bagnato tantissimo pero’ la direzione della gara
non ebbe creduto smettere la gara prima di suo brutissimo caduto

se piovesse tantissimo penso che sia difficile girare sulla pista e poi
possiamo sentire altre rischio cioe’ se dottore e’ gia seduto sull’ericottero
non potrebbe volare dalla pista all’ospedale

gli appasionati che hanno piu’ di 40anni possiamo ricordarsi facilmente
il brutto caduto ad hockenheimring dove fu caduto il corrado catalano

tutti staffi medici prima di credere di support ebbero pensato di
fine della vita pero’ subito la direzione della gara ebbe deciso di
bandiera rossa e i staff medici furono arrivati rapidamente e
ericottero fu arrivato al posto dove lui ci fu e il dottor costa e i suoi
staff ebbero lavorato con la forza e non ebbero perso nessun secondo
e fu partito dal tracciato tedesco e fu arrivato all’ospedale a manheim

e ancora lui vive

e gli appasionati dell’automobilismo possono ricordarsi la gara di suzuka
all’anno scorso quando fu caduto jules bianchi

sulla pista bagnata e la pista di suzuka c’e’ la montagna di suzuka
piove tantissimo e ci furono nebbie alla montagna
ebbe potuto volare da arrivare all’ospedale ad yokkaichi o no

abbiamo perso andrea antonelli che ebbe amicizia fra di noi
pero’ non posso vedere le sue gare eternamente e oggi mi ricordo le
sue gare al campionato italiano e mondiale e cosa significa il debito
motivo di cancellare le gare
la sua famiglia e tutti appasionati dell’automobilismo ebbero voluto
il gran ritorno del talentuoso pilota francese pero’ sta mattina
jule se ne va....

il talentoso pilota pero’ non ebbe potuto guidare la macchina piu’
competitiva della prima stagione della classe regina dell’automobilismo
cosi ebbe guidato la macchina che no n fu competitiva

se potesse guidare meglio e se mancasse un posto alla scuderia
lui potrebbe guidare la ferrari dipende sua carriera e il ottimo rapport
fra lui e maranello

pero’ sulla pista bagnata e nebbie a suzuka lui non ebbe perso il controllo
tutti appasionati sentivano l’incubo pero’ la scena con realta’

subito io personalmente pensavo di corrado catalano che fu il pilota
di 500 al motomndiale

il corrado catalano fu caduto violentissimo e subito la bandiera rossa
e furono arrivati il dottor costa e i suoi staff che ebbero sentito la fine
della sua vita

subito la bandiera rossa e poi i dottori ebbero lavorato con la forza
e ericottero fu arrivato al posto dove fu caduto lui

subito fu partito dal tracciato tedesco e fu arrivato all’ospedale a
manheim dove ci sono dottori e specialisti

e il corrado catalano pochissima scena da morire lui ebbe potuto
ritornare del suo morto e ancora vive lui

allora jules bianchi fu caduto a suzuka sulla pista bagnata
e pioveva tantissimo e il dottore ebbe gia seduto sull’ericottero
pero’ non ebbe potuto partire mai

il dottore ebbe creduto di condizione sulla testa e anche la montagna
di suzuka dove ci furono nebbie tanto

ericottero non ebbe partito dalla pista e la macchina polizia guida
davanti alla macchina ambranze pero’ la fine settimana e al periodo
di formula 1 sulla bagnata le strade non furono ideale quindi non
ebbe guidato la macchina da arrivare ad yokkaichi dove c’e’ il grande
ospedale

quando fu stato a mugello e dopo la gara di motomondiale fu ritornato
dalla pista di scarperia al centro di firenze
pensavo che fosse uguale le strade come fra suzuka e yokkaichi

il dottore prima di partire con ericottero ebbe bisogno di pensare di
due cose uno la condizione sulla testa del pilota francese
e altre il meteo che e’ molto difficile volare con ericottero

il pilota di 500cc corrado catalano fu molto fortunato e al mondo
della velocita’ ha bisogno di tenere la grande fortuna girare meglio
e vivere tranquillamente

se piovesse tantissimo e se non potesse partire ericottero
penso che abbia bisogno di preparare la bandiera rossa

il direzione della gara ebbe gia preparato da smettere la gara o no
ancora non lo so io pero’ io sento la grande differenza fra
corrado catalano e jules bianchi
e il mondo dell’automobilismo deve credere di jules bianchi
e bisogna pensare di motivo e mancanza al periodo dove fu caduto
 家族、そして、世界中のモータースポーツファンの願いがかなわず
ジュール・ビアンキは永眠しました。
http://www.gazzetta.it/Formula-1/18-07-2015/morto-jules-bianchi-f1-120604422945.shtml

才能を感じさせるドライバーであり、マルシャで輝けば、その先にフェッラーリ
という話も彼の経歴や背景からは考えられました。

 モータースポーツというのは危険なスポーツで一瞬の判断や想定外の出来事が
あれば死へと結びついていて、それを関係者もファンも甘受しなければいけません。

 私がパドックにいて、関係性を持っているのはオートバイの方ですが
ここでも親しい人を亡くしたこともありました。

 彼の死というのは悲しいことですし、冥福を祈る一方で、彼の死を無駄に
しないために何かを考えるべきだと思います。

 コラード・カタラーノというライダーが世界グランプリの500ccで戦って
いた時にとんでもないクラッシュでホッケンハイムリンクで死にかなり近づいた
ことがありました。

 その時はコスタ先生はじめメディカルスタッフが現場にすぐに到着し、
そこにドクターヘリがやって来て、そこからマンハイムの病院へ搬送して
時間との戦いの中でドクターが最良の仕事をして死亡事故にならずに
済みました。

 雨の鈴鹿で陽が落ちる時間が迫っていた時の彼のビアンキの事故。
雨が強く降りはじめ、鈴鹿山麓は霧がかかり、彼がダメージを負った場所が
頭部ということもあり、ヘリコプターでの搬送は難しく、警察車両が
先導して雨でレースウィークの鈴鹿サーキットからの道を四日市へと
車での搬送となりました。

 強い雨が降っている時にレースを中断する勇気やドクターヘリが霧が
かかっていて飛べなかったり、飛行しにくい状況でレッドフラッグを出す
判断といったものがなかったのだろうか。あるいは中断をする直前に彼が
ノーコントロール状態でクラッシュしてしまったのだろうか。

 彼の家族はレース一家なんですが、彼の死を悲しみつつ、より安全な
環境を求めていると思います。

 ジュール・ビアンキの冥福を祈りながら、何かがより良くなってほしいと
思っています。
 MotoGPのサマーブレイクの中で日本のレースファンの世間的な注目は
鈴鹿8耐に集まっていますが、そんな中でフォワード・レーシングの周辺が
きな臭くなってきて、今後の活動が不透明になってきました。
http://www.gpone.com/en/2015071617555/Nubi-nere-sul-team-Forward-Yamaha.html

 レースの活動には莫大なお金がかかる。そんな中でチームマネージャーは
問題の大小ある中でお金のことを考えながら、資金を集めて活動を継続
させていくが、そこにもしお金の流れの中でグレーな部分があったとしたら
税務当局は動いているお金が大きい中でこれはより高いパーセンテージでの
税の徴収ができるのではないかと思って動く。

 現在、チームマネージャーは当局に拘束されていて、チームスタッフも
何も動けない状態です。果たしてフォワード・レーシングの未来はどうなるの
でしょうか。

 カテゴリーは違いますが、F1の世界で難しい局面や厳しい状況を何度も
くぐり抜けてきたジャンルカ・ミナルディの偉大さがよくわかる最近の
私です。
al mondo del motociclismo prima di tutto ha bisogno di tanti soldi
e il manager sempre usa la testa per l’attivita’ da partecipare
al campionato del mondo
ora il manager si ferma e tutti staffi non possono credere di futuro vicino
http://www.gpone.com/en/2015071617555/Nubi-nere-sul-team-Forward-Yamaha.html

il mndo della velocita’ ha bisogno di sacco di soldi e sempre cercano
di risorse da risolvere il problemma poi i funzionari locali e nazionali
vedono l’attivita’ neri o bianchi alle piste o/e all’ufficio
infatti quando valentino rossi doveva pagare sacco di soldi quando
il grande campione abitava nel regno unito

allora il team manager non e’ libero non possono partire mai
gli ultimi anni posso capire benissimo il grandissimo agonismo
di gian luca minaldi che tanti anni se ne va dalla situazione difficilissima
e durissima al campionato del mondo della formula1

vediamo il futuro vicino della forword racing
negli anni 2000 al box di suzuka ci fu francis batta che e’ il manager
dell’alstare perche’ lui fu stato? 8 ore di suzuka e’ la gara molto speciale
e tanti manager delle motociclette e sponsor ci furono al box di suzuka
quindi loro ebbero discutato per il programma e l’attivita’ sportiva
quindi il manager dell’alstare ebbe voluto parlare con tanti manager
e casa di hamamatsu e ebbe preparato per il contratto con la suzuki

allora vediamo la questa stagione del mondiale superbike

abbiamo capito che la yamaha ritorni alle piste di superbike mondiale
e poi la honda arriva il nuovo presidente che pensa di risparmiare il
budget alle piste e poi la suzuki non rinnova il contratto con la team
crescent se la casa di hamamatsu pensasse di partecipare al campionato
mondiale deve credere di team a cui interessa lavorare insieme

ci sono ipotesi e gli scenari piu’ possibile e tutti manager dei marchi
arrivano a suzuka e poi la settimana successiva la gara di sepang
quindi se i manager della squadra e i convocati volevano parlare
con tantissimi manager loro comprano il biglietto citta’ di europa-nagoya-kuala lumpur

se potessi entrare al box di suzuka molto probabile posso parlare con
tanti manager che prepara per la stagione agonistica nel 2016

i giornalisti delle gare del motociclismo arrivano a suzuka? o posso
tenere un pass o no? comunque ci sono due circuiti
sia suzuka che sepang ci sono bellissime fantasie e bruttissimi realismi
al mondo del motociclismo
ci sono gare da dimenticare anzi tutti appasionati hanno la gara da non
dimenticare e subito possono ricordarsi la gara speciale
la mia gara speciale e’ motomondiale la classe 500 a budapest nel 1992
cioe’ "il miracolo a budapest"
https://www.youtube.com/watch?v=_Rg8XrScv_A

pochissimi secondi della partenza cominciava piovere e la direzione
della gara portava la bandiera rossa e tutti piloti erano ritornati al box
e poi hanno preparato la gara bagnata

dopo il semraforo blu il gran specialista della pista bagnata
randy mamola su budweiser yamaha subito comando
lui faceva la bellissima gara sulla condizione difficile con
la moto "ex ufficiale"della yamaha

poi doug chandler sulla lucky strike suzuki cominciava spingere
e altri protagonisti come wayne rainey e kevin shwantz non hanno
rischiare sulla pista difficile

e doug chandler e’ passato e subito poteve girare con i miglior tempo
sulla pista bagnata e aveva un vantaggio su randy mamola

la meta della gara doug chandler poteva controllare la sua suzuki
e quasi tutti appasionati e giornalista al tracciato ungherese
avevano creduto della prima vittoria della sua carriera con
la lucky strike suzuki davanti ai piloti con la forma ufficiale

pero’ la pista del record cominciava ascuigare e solamente
un pilota che ha montato la gomma intermedia all’anteriore
e cut slick al posteriere

il grande eddie lawson cominciava girare con ottimo ritmo
sulla linea record e tutti altri piloti non potevano guidare la motoa
come preferiscono

doug chandler aveva quasi 50secondi sul pilota della cagiva
alla meta gara pero’eddie lawson poteva attacare ai primista
e lui con le gomme "giuste"sulla sua cagiva

dalla meta gara eddie lawson con la sua cagiva mi faceva
immaginare la moto della altre categoria e senza nessun problemma
poteva girare tranquillamente anzi tutti altri inclusi randy mamola
con la yamaha e doug chandler sulla suzuki non potevano guidare
la moto sulla meta ascuitta con le gomme bagnate

la grande rimonta dell’eddlie lawson con la cagiva cominciava e
tutti altri piloti niente da fare solamente guidavano la moto
da non perdere il controllo

e eddie lawson arrivava alla zona del podio e poi subito dopo
ha passato su randy mamola con la yamaha

gli appasionati del motociclismo e i giornalisti vedevano la gara
incredibile e il consiglio della dunlop era pazzesco pero’ per questo
c’era possiblita da vedere la gara speciale

al 28mo giro finalmente eddie lawson poteva vedere il primista
della moto piu’ competitiva con la moto giusta del periodo partenza
e all’entrata di curva destra ha passato senza nessun problemma

tutti appasionati del motociclismo ai tutti posti del mondo
e anche in italia vedevano le moto giapponesi che dominano
le gare del motomondiale pero’ la cagiva era in testa davanti
ai tutti piloti delle case giapponesi

era la gara molto speciale per gli italiani e la casa italiana
e la casa di dunlop a budapest
potevo vedere la gara pazzesca e sorpresa su televisione
anche tutti appasionati del motociclismo non potevano dimenticare
la questa gara storica e non possiamo dimenticare questa gara
e subito possiamo ricordarsi questo "il miracolo a budapest"

l’ultimo trionfo di eddie lawson e la prima vittoria della cagiva ha fatta
in ungheria mi fa sentire tante cose e la questa gara cambiava la mia
vita

mi piacciono i film italiani e io preferisco la cucina italiana
e se rimanessi in giappone solamente la lingua giapponese e’ basta
stare qui in giappone anzi se volessi andare ai altri posti del mondo
cosa bisogna e cosa manca

pensavo che inglese sia lingua internazionale pero’ non ci sara’ sufficiente
per me

credevo che sarebbe stato meglio studiare altre lingua per il futuro vicino

il giorno dopo cioe’ lunedi pensavo di comprare il dizionario italiano
giapponese e giapponese italiano

poi anno successivo ho gia comprato il vocaborario italiano inglese
e inglese italiano

ormai la mia vita senza la lingua itailana non esiste e
ogni anni mi ricordo la gara speciale in ungheria

< 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 >