営利企業があって、その企業の方向性や事業内容を評価する顧客が
あれば、利益が上がり事業が続いていくのは当然だが、その企業が自社の
サービスや商品の紹介をするのに、同業他社だったり、広い意味での飲食
関連の会社の画像をパクって、そこに自社のロゴを加えて紹介するというのは
あまりにもひどいと思います。
https://www.j-cast.com/2019/11/08372206.html?p=all

 衛生上の問題に関して、ネット上で疑問を投げかけられたり、厳しい
言葉を書かれて、その対応に関しても批判を受けていましたが、これは
主に消費者からの声でした。

 しかし、今回のサッポロビールや永谷園といった企業のサイト、
さらにグルメ情報のホームページから画像をパクって、それに自社のロゴを
加えて紹介するというのは上記の組織が売上の為に人的物的エネルギーを
費やしていたことをないがしろにしただけでなくて、敵に回すことでありますし、その企業や組織というのは規模が大きければ当然法務部門も自社の権利
や機会損失に関してしっかりと立ち向かっているところだと思います。

 なでしこ寿司側は運営会社が変わる前の段階での画像の使用とアップロード
だったと説明していて、11日現在で問題のあった画像の削除という対応を
していますが、果たしてなでしこ寿司側に画像の利用許諾を出していなかった
会社や組織はどういった判断や対応をするのか気になりますね。

 テニスの大会会場などでフォトグラファーと会話でしんどい思いをして
取材のための資金を捻出したり、パスの確保に苦しみながら撮影する機会を
確保していい写真を撮影しながらも、その作品を勝手に使われたりしたら
腹が立つという話をすることがあるので、なでしこ寿司の画像のパクリ
等に関して、大企業や組織がどんな対応や動きをするのかとても強い関心を
持っています。

 

 

 
 世界耐久選手権の2019-2020シーズンですが、スロバキアリンクでの
レースはなく、セパンサーキットでのセパン8時間が決定しています。

 セパンでのMotoGPでのレースは例年盛り上がる。しかしながら、F1を
失い、スーパーバイク世界選手権も観客動員で苦しみ、短期の開催で
終わってしまった。

 セパンサーキットが世界選手権格式のレースを求めたのは当然のことでした。

 そんななかでスロバキアリンクでのレースの契約更改がされないという
レース数の不足という外的要因と耐久レースが12月か2月に行われたら
いいのではないかという業界内部の声があり、それに応えることができる
サーキットの所在地の天候や地の利があり、何よりセパンが世界格式の
レースの開催を求めていたという内的要因が重なり合い、今季からの
セパン八時間の開催の交渉が進み、契約に至りました。

 昨年、ピレリタイヤのジョルジョ・バルビエール氏と鈴鹿八耐の際に
長く話す機会に恵まれた時にヨーロッパでのレースが一つ無くなってしまう
ということになった時に、12月や2月に寒くなくてサーキットのインフラや
経験があるのなら、セパンでの開催というのはいいのではないかという
話をしていたのですが、そこからのマレーシアサイドの力の入れ方というのは
目を見張るものがあり、現状シーズンを全て世界選手権を戦うチームと
全日本選手権を活動の場にしているチームとで50チームのエントリーが
確実視されています。
https://www.corsedimoto.com/endurance/sepang-8-hours-2019-entry-list/

 これはかなりいいニュースですし、また、セパンサーキットがF1と
スーパーバイク世界選手権を失ったことの大きさを理解して、何とでも
世界耐久選手権のレースを成功させようという強い意思を感じます。

 12月でも暑くてレースができるのでしょうが、個人的にはセパン八時間
というレース。あの国にいた時に大体16時過ぎからスコールが発生する
ことがノーマルなものだと肌感覚で感じていました。八時間のレースで
ドライからウェット、そこからさらにドライというようなことになったら
ライダーやメカニックやエンジニアは大変だろうなと思っています。
c’e’ la gara di MotoGP della repubblica ceca e la gara delll’endurance
la slovakiaring tiene una gara pero’ solamente due anni e non puo’
rinnovare il contratto e non ci sara’ la gara dell’endurance al parte
centro in europa invece arriva la pista malese a cui interessa
tenere una gara al campionato mondiale

ogni anni la gara di sepang international circuit ci sono tanti appasionati
alla finesettimana di MotoGP e loro volevano la gara del campionato
mondiale e infatti ci fu la gara di superbike mondiale
pero’ non ci furono tanti appasionati e hanno perso la gara

dopo aver perso la gara di mondiale i malesi pensano di firmare il
contratto per ospitare la gara alla categoria mondiale

e i malesi finalmente potevano trovare la situazione giusta
cioe’ dopo due anni la slovakia ring ha perso la gara di campionato
mondiale dell’endurance e tanti manager e gli staff dell’EWC
volevano la gara di dicembre o febraio

allora le team permanenti e poi tante squadre che partecipano
al campionato nipponico hanno deciso di partecipare alla pista malese
perlomeno alla finesettimana di sepang otto pre ci sono ben 50 squadre
(https://www.corsedimoto.com/endurance/sepang-8-hours-2019-entry-list/)

ancora non c’e’ l’annuncio ufficiale pero’ 50 squadre di partecipanti
c’e’ la ottima notizia per i malesi

poi la gara di sepang 8 ore sara’ sabato e anche la gara
dell’automobilismo ci sara’ a domenica

poco prima di natale e ci sono tanti turisti dall’estero o no
ancora non sappiamo pero’ io sento la grandissima determinazione
del promotor locale e la pista malese
 日刊ゲンダイのウェブページで本橋信宏氏が書いているコラムで
かつての昭和の頃の賞レースに関して書いていました。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/264141

 まぁ、当時の芸能界のいかがわしさとかドロドロしたエネルギーが
ある種のパワーを生んでいて、それによって生まれたひずみや妬みという
ものが具現化した時に賞を受賞した和田アキ子に菊の花が渡されるという
形になったのでしょう。昭和の芸能界の光と影を感じますね。

 ある種のいかがわしさというものは存在していいと思いますが、それが
行き過ぎると大衆も離れるし、同じ業界内でも距離を置きたいと思う人も
いることでしょう。

 私のように評価基準が売上というところに重点を置くということになると
年末の賞レースでの各テレビ局やメディア関係者の思惑であったり、
各審査員の好みや思いが反映される賞よりもゴールドディスク大賞の方が
販売実績から成立している分明快で消費者の動向が表現者を評価しているの
だからいいのではないか、多くの方々がお金を使ってでも作品を手に入れ
たいということだから、その年の代表する曲であると理解できるという
ことになりますし、消費者サイドから供給側の音楽業界の中にいて表現活動
をしているアーティストの方々で賞レースのどろどろしたところが嫌だということだと賞を辞退するという個人やグループが多くなると思いますね。

 また、地上波テレビ中心ではなくて、活動の中心を動画サイトや
ブログなどにすることで既成のメディアや審議委員に評価されなくても
一般消費者に近い場所でお金を使ってくれたり、課金してくれる人たち
から評価されることで輝くことにエネルギーを使いたいという人も多い
と思います。

 ある種のいかがわしさというのは面白がれるのでしょうが、それが
行き過ぎると客は引いてしまう。プロレスの過剰な演出やデスマッチ
が行き着いた先が和田アキ子への菊の花の贈呈と同じようなことに
なるような気がします。
 国籍の選択をするというのは、民族的なルーツだけでなくて、現時点での
居住地であったり、人間関係であったり、高額納税者であれば税額の問題
であったり、住みやすさや治安の問題であったり、家族の考えであったりと
複合的な問題があるのでしょうが、大坂なおみは日本国籍を選択しました。

 二重国籍でさらにその業界のスーパースターであると周りにたくさんの大人
がいて、その大人の帰属集団があって、その集団の方向性やら決断などが
あって有形無形なサポートはうれしい反面、色々なしがらみであったり、
様々な人の思惑が絡み合うのでしょうが、そんな中で彼女は日本国籍と
アメリカ国籍との比較対照した上で日本のパスポートを選びました。

 まぁ、彼女の関係者で日本国籍を選んで欲しいという人にとっては朗報
だったのは間違いないですね。

 また、私自身はお笑い好きなのですが、もし、大坂なおみがアメリカ国籍を
選んだとして、日本における差別というのがその一因だったとしたら、
お笑い芸人のAマッソはさらなる非難を浴びただろうなと思いますね。

 オリンピックイヤーが迫ってきて、民族的には違う国の人であっても
プレイヤーとしてチャンスを与えてくれるとか、いい環境を用意してくれる
国のパスポートを選ぶ人という人が一定する存在する中で大坂なおみが
日本国籍を選んだということの重みを実感しています。
 東京モーターショーが開かれていますが、日本の自動車とオートバイの
販売数やら中国市場の重要度の高さなどが絡んで海外メーカーの出展が
明らかに少なくなっていて東京モーターショーの地位や重要性が低下
していることを感じます。

 20年ほど前であれば、東京モーターショーに出展している各自動車メーカー
やパーツメーカー、さらにメディア関係者の数というのはかなり多かったと
思いますが、資源の集中やら日本市場に対する見方の変化などがかなり
あるなと実感しますね。

 観光業界というのは市場の閉鎖性は感じなかったり、インバウンド市場の
増大というものを強く感じますが、自動車産業というのは観光業界とは
大きく異なるのだなと東京での外国人観光客の多さを見ながら思っています。
 暑さであったり、外国人技能実習生の問題であったり、入管での
外国人への対応だったりと平和の祭典を日本の首都の東京でやることに
疑問を感じたり、問題があるのはわかります。

 東京という街や日本国政府がオリンピック&パラリンピックをやるのに
満点であるとは思いません。様々な問題があり、それを隠ぺいするのではなくて
おもてに出して、解決することは必要だと思います。

 ただ、最近思うのはでは招致活動をしていて、他の有力都市だったところは
どうだったのかなというものですね。

 最近のシリア情勢を見ていると、イスタンブールでオリンピックをやらなくて
正解だったというか、こういう問題が起きることを多くのIOCの役員は
想定していたからこそイスタンブールの名前を書かなかったのではないか。

 あるいはスペインのカタロニア地方に関する話題を読むことがありますが
カタロニア(さらにバスク地方)の問題を理解していたからこそ、この時期
になってまた問題となっているので2020年のマドリッドオリンピックはまずい
と思った人がIOCメンバーに数多くいたのではないか。

 これはかつて大阪がオリンピック&パラリンピックの招致活動を
していた時に大阪の市民の熱の低さとかバリアフリーとは程遠い当時の
大阪の公共交通機関を見て、ここでやるよりは違い都市の方がいいと
考えた人がいたように、選挙の際に「まだましな候補地」を投票する
のは自然な話なので、東京はイスタンブールやマドリッドよりも
「まだましな候補地」だったような気がします。
 バラエティ番組の人気格差が大きさを感じる二つの番組があり、その
一つは「笑点」で関東地方の視聴率と関西圏での数字の違いに驚くのですが
もう一つは「探偵ナイトスクープ」ですね。これは大阪のABC制作なんですが
同じ系列のテレビ朝日でかつては放送されていたのですが、かなり深すぎる
時間帯の放送となっていて、その後テレビ朝日では放送を打ち切り、関東
エリアでは東京MXとテレビ神奈川、とちぎテレビ、テレビ埼玉という局での
放送となっています。

 まぁ、関西圏でお笑いが好きな人、テレビのバラエティ好きには視聴習慣の
ある番組なのですが、ここの局長が変わるというのはかなり大きなニュース
でしたね。

 それでスポーツ紙の芸能ページでも大きく取り上げられたのですが、
業界内視聴率が高くて、彼らにとってのお気に入りの番組でニュースバリュー
があるということだから、かなりのボリュームで取り上げられたのですが
関東圏では関西程人気がない。あるいは視聴習慣に乏しい。

 これは歴史的にテレビ朝日とABCとの関係が複雑なものであるのが
大きな理由なんでしょうが、関東エリアの人からすると、これは
そんなにビッグニュースなのかと思うでしょうね。このあたりは
MBS制作で人気の番組をTBSで放送しようとしても枠の問題が
あったり、前述のテレビ朝日とABCの関係のようなネットワーク形成
のねじれ現象がTBSとMBSにもあったので、難しい部分もあります。

 ある意味、地上波による全国ネットとはならないが、BS朝日での
放送だったらいいではないかと思いますが、これもテレ朝日の系列の
地政学上、成立しないですからね。

 関西のバラエティ好きからするとビッグニュースで、関西初のスポーツ紙の
ウェブ上の記事で分厚い報道がされていて、困惑したり驚いている
関東圏のお笑い好きが相当多いのではないかと思っています。

 
 私がマルコ・メランドリと最初に会ったのは98年の鈴鹿でした。
「日本はどう思う。」という私の問いに「色々な意味で文化が違いすぎる」
と答えていた彼ですが、その後、日本メーカーとの付き合いや彼の考えの
変化などもあって、特に来日時には寿司を好んで食べるようになっていました。
人間関係なので、近い距離の時もあれば離れている立場の年もあり、
私の立ち位置も彼の帰属集団も変わることもありました。

 ロリス・レッジャーニが才能を見出して、彼のライダー生活は進んで
行きました。その才能を125cc時代はマッシモ・マッテオーニのチームで
過ごし、15歳324日にダッチTTで優勝して、最年少優勝記録を挙げます。
その時に私は現場に居て、彼や彼のチームクルーやレッジャーニと
一緒になって喜んでいました。

 125ccでわずか1ポイント差で世界タイトルには届かなかった時に
quasi world champion(=ほとんど世界チャンピオン)というTシャツで
表彰台に登壇して、そのイタリア語の意味を知らなかったのか、意図的
に知ろうとしなかったのか、日本のメディアが彼のことをワールドチャンピオンになりそこねたのに、ワールドチャンピオンTシャツを着用するひどい
性格のものだと報道したこと。それが多くのイタリア語を知らない日本人の
ファンに伝わること、あるいは当時のチームのスポンサーがベネトンだった
のですが、ベネトンの会社の姿勢に対して嫌悪感を持っている人がそれを
仕掛けたのではないかという想像をしていて、それが私がこのブログを
始める一つのきっかけとなりました。

 その後、250ccクラスでアプリリアワークスで難しい2シーズンの後に
ついにワールドチャンピオンになります。

 MotoGPクラスにスタップアップしたもののグレシーニホンダ時代に
輝きを放ったものの、それ以外の年では浮き沈みが激しいシーズンを
送ったり、カワサキの撤退に伴い、開発がきわめて限定的であった
ハヤテテーシングでのシーズンなど難しく、苦しいシーズンが多かった
彼がスーパーバイク世界選手権に転身して、再び彼の成績というのは
彼の能力が反映しているのではなくて、マシンパッケージによるもの
だということを示してくれました。

 その彼がチームやメーカーとの関係性という部分でうまくいかなかったのが
この二年のシーズンで今年はヤマハ系のチームとの契約がまとまりましたが
彼のライディングスタイルや好みに合わないということで浮上することが
できずに引退を発表しました。

 彼を見ていて思うのは、彼はいい人過ぎた。もう少し悪魔性があっても
良かったのではないか。それは私との関係性の中では楽しい時間を過ごす
ことができてうれしいことではあったのですが、ライダーとしての
強欲というものがあまり感じられなかった。そして、マシンがそれほど
調子が良くないときは余裕を持って走ることで限界走行をしなかった。

 まぁ、これはマシンの限界ぎりぎりの攻めた走りをしても優勝を
争えないという時に無理をして転んでしまったら意味がないという考えで
それ故に彼のライダー人生の中でひどいクラッシュやけががなかった
から、あの小さい体でずっとやってこれたということを意味するのですが
エンジニアやチームスタッフからの支持や信頼性という部分ではマイナスに
働くことにはなりました。

 まぁ、この辺りは彼はケビン・シュワンツやレジス・ラコニのような
タイプではなくて、ロリス・カピロッシやルカ・カダローラの思考と
方向性が同一でした。つまり、マシンが走らないときに無理して走ったり、
いいタイムが出ないのに気合いと技術でいいタイムを出したらエンジニアが
まずい部分がわからなくなるから、マシンセッティングで改良する部分が
わからなくなるし、エンジニアがいい調子だと錯覚する。それは良くない
と考えていたからマシンが悪い状態やマシンとサーキットの相性が悪い時
に無理して走ることがなく、それ故に転ぶことがなかったから、ライダー
生命が長くなったとも言えます。

 これからの彼がどんな活動をしていくのか、父親業を優先していく
のかわかりませんが、契約やいいパッケージを取るために政治的な動きを
したり、業界地勢図を利用するようなところがなくて、純粋に速く走りたい
という彼が第二の人生が楽しく豊かになることを願うばかりです。
 『真夜中のハーリー&レイス』のリスナーである私ですが、今まで生の
清野茂樹さんを見たことがない。そして、ねづっちのステージは下北沢
の小さな劇場で一回だけ見ただけなので、長い尺では見たことがない。
そんなわけで渋谷に『ねづっちと清野茂樹』というライブを見てきました。

 前売りの売れ行きが芳しくないとなると、私のように当日ぎりぎりにな
らないと行けるかどうかわからないという人にとっては何とかチケットが
手に入るのかなと思いながら、初めて渋谷のアップリンクに行きました。

 清野茂樹さんの仕事というのは主にスポーツ実況で私が彼の声を聞くのは
前述の番組以外では新日本プロレスの大会での実況のことが多いのですが、
このようなライブをやるというのはある種、実験をやっているのではないか
というものですね。

 モータースポーツの世界でオフシーズンにそれまでとは違う発想の商品
であったり、異なる素材を用いたモノを装着してライダーにオーバー200キロ
のレーシングスピードでの走りでパソコン上や工場でのデータや開発担当者
の考えや理解がライダーの乗り味と合致するのかどうかはやってみないと
わからないから、シーズンが終わって、サーキット走行の際に試してもらい、
新しいシーズンの新製品の供給に役立てる。

 あるいはミュージシャンが今までに使っていない技術を用いたり、
曲調などを試してみたいということがあって、それをシングル曲のカップリング
やアルバムの中のいくつかの曲に入れてみる。

 多くのファンが今までのヒット曲やなじみのある曲調の延長線上にある
ものを求めるのかもしれませんし、カラオケで歌いやすい作品が好きだったり
するかもしれませんが、クリエイターとかアーティストはやりなれたことを
続けるのも必要でしょうが、何か違うことや持っている技術や発想を具体化
してみたいと思うものです。

 以前、Mr.Childrenのアルバムを聞いたとき(私は本もCDも順番に楽しむ
タイプです)に彼らはこういった曲もあるんだと驚きを感じたことがありまし
たが、当然、資本主義社会なのでレコード会社や事務所やタイアップ先の要請で
当てにいくこともあるのでしょうが、その一方でやってみたいこと、試して
みたいこともあるでしょう。それをアルバムの中のいくつかの曲でやって
いました。

 清野さんとねづっちさんの今までの活動からオファーのある仕事というのは
それまでのしてきたことの延長線上のことが多いと思いますが、こういった
演者が自ら動いて主催するライブというのはミュージシャンやアーティストが
持っている技術だが使っていないこととか発想としては頭の中にあるが具現化
していないことをクリエイトするように、ある種の実験というものをやる
場所と時間だったのかなと思いますね。

 お笑いライブに出かけている私はちょーちんあんこーの二人にツィッター
で『今回のライブは今までにないネタをやるので見に来てください』と言われると技術があり、今までの延長線上のネタでも面白いが、彼女達が脳みそから
汗をかくような思いをして作る新ネタがどういったものだろうかと興味を
持ち、出かけるし、コントをやっているラムズが漫才をやるというと、
高い演技力を持つ二人がしゃべくりでどういった笑いを作るのか見てみたいと
思う。

 そんなわけで清野さんとねづっちさんがやってみようと思って、実際に
客前でやったことというのは面白いというかinterestingでしたね。
個人的には矢沢永吉は好きではないので、テーマにする人が私に刺さる人物
だったら、私の脳みそに刺さった気がします。まぁ、これは個人の好みの
問題だから他の客には刺さったのかもしれませんが。

 清野さんとねづっちさんにモータースポーツの世界でのオフシーズンテスト
やミュージシャンの実験というものを感じました。

 あとライブの感想とは離れてしまいますが、私は以前お手伝いをしていた
会社が名古屋の新栄一丁目で徒歩1分のところに放送局のCBCがあって
ちょくちょくアナウンサーの方を見受けましたが、これがCBCのオフィシャル
ホームページよりも髪の毛が黒く見えました。

 これは恐らく、特に女性アナウンサーの皺をみせたくないためにかなりの
光を当てて撮影しているから、ウェブ上は髪の毛が淡い色になっていたのだ
と思うのですが、実際に会ってみて髪の毛はずいぶん黒くて、皺の量は写真
よりも多いということがありました。

 清野さんとねづっちさんというのはオフィシャリーに出ている画像と
見た目との違いを感じなかったですね。これは実際にお会いした人が
変な差異や違和感を感じないためにしていることなのかなと思いました。
 水戸のホテルで待ち合わせが6時15分。そこからのサーキット行きの時間を
考えると本当に鈴鹿は立地条件に恵まれたサーキットだなと思う。

 その水戸からの道中でマッティア・パジーニの走らせる車とすれ違うが
これがまぁ、何というかワイルドな走りっぷりで我々のわきを通り過ぎて行った。

 何とか渋滞に遭遇することなくサーキット到着。色々な意味で日曜日の
サーキットはあわただしいのだが、今年はアジアタレントカップがMoto3の
前に行われるので、MotoGPのレースが各一時間遅れとなっている。

 これはヨーロッパのテレビ視聴者には朗報で時差七時間というのは
かなりの差を感じると思うが、一番視聴者の多いMotoGPクラスが
日曜の朝の8時というのはヨーロッパの視聴者にはいいことだろう。
逆に日本側の目線で言うと昨年のようにMotoGPが15時ぐらいに終了して
そこからアジアタレントカップだとMotoGPを見てから帰る客とサポート
レースのアジアタレントカップまで見てから帰宅する人とに分散されるから
交通渋滞が緩和されるのだが、それがないことを意味する。

 レースに関してはMoto3のオープニングラップのクラッシュというのは
コルンフェイルファンの私にとっては残念だったし、ポールポジションスタート
のニコロ・アントネッリの低調ぶりはフィジカルコンディションがよくない
なかで出来る限りのことをしようとしたが、あれが目いっぱいだったという
ことだと思う。

 Moto2は思いがけないクラッシュがあったが、レースとしては面白かった
と思う。

 MotoGPはかなりタイヤチョイスが分かれていたり、路面コンディション
が気温は上がったが、路面温度は想定ほど上がっていなかったりで各ライダー
がタイヤチョイスに悩んだようで、そんななかで思い通りの走りができなかった
人が多かったようだ。

 マルク・マルケスの快足ぶりは素晴らしかったのですが、ペトロナスヤマハ
の二人の元気のいい走りっぷりが見事なもので若さだけでなくて、チーム
が雰囲気がいいことを感じられた。

 このあたりは新しいチャレンジをしてゼロの状態から頂上を目指そうという
気持ちとマレーシア資本のバックアップ体制、ライダーの元気の良さとが
いいハーモニーを奏でていると思う。

 昨年の四月のテック3のヤマハ陣営からの離脱という衝撃的なアナウンス
の後にヤマハのサテライトチームはイタリアの衛星放送のSKYから資金供与
を受けていて、第二のバレンティーノ・ロッシを生み出そうとしている
SKY VR46になるのか、チームSICになるのか噂されていたが、資金的な
裏付けがあり、業界内的な地政学で有利だったPetronasが前述の2チーム
より参戦計画の実効性を評価されてヤマハからのマシン貸与を受けること
になったが、それが日本の地元のもてぎでも見せつけることになった
わけで、これからが楽しみになりました。

 一方、モンスターエナジーのカラーリングのファクトリーヤマハは
ちょっとどころかかなり難しい状況ですね。バレンティーノ・ロッシは
チーフエンジニアの変更ということで空気を変えようとしていますが、
それこそ、かつてのミシュランだったら遅いからブリヂストンにしてしまう
というような大きな変化(それがサスペンションメーカーの変更のような
メーカーも巻き込むようなもの)がないとこのままでは難しいと思います。

 パドックではザルコのLCRホンダでの走りはどうなのか、KTMは来年の
ラインナップをどうするのかといった話が飛び交うなかで、ようやく
プレスセンターでカルロ・ペルナットを捕まえることができて、彼が
発表した本をいただく。

 サインを入れてくれて、SNSで宣伝するんだぞと言われるが私の
レビューがどれだけ影響力があるかわからないが、この親父さんの話では
「君は思っている以上に発言に影響力があるんだから」ということらしい。
彼の書いた過去と現在のレース界のことを読む秋の夜長にしようと思う。


 土曜日のもてぎの続きです。

 MotoGPのヤマハファクトリーよりも元気に見えるのがペトロナスの二人
である。ルーキーだから年齢が若いということもあるし、チームもいい体制を
作れているのだろうがそれ以外にも理由があると思う。

 ここのところ強く思うのは93年のウェイン・レイニーがヤマハの車体が
気に入らなくて市販のROCの車体を用いた時のことですね。

 当時のヤマハがパワーがアップしているエンジンに対応するために剛性を
高めることやライダーのリクエストに応えるために原材料から色々開発を
進めたのだが、パソコンのデータから導かれた理想的な車体というものは
剛性の強さから生まれたものだが、コーナーリングとかライダーのフィーリング
というものを考えると一定の柔らかさが必要であったり、メーカーや
エンジニアがいいと思ったものがライダーには合わなかった。

 このあたりはテクニカルグループの考えや理論上の適正値というものが
あってもライダーの好みとかライディングスタイルとかサーキットの
路面係数も関係するからパソコンの画面上の正解がそのままご名答とはならない。

 また、単独走行ならいいが、競り合いだと乱気流による空力の影響
などもあって、かならずしも研究所やテスト走行で考えられた最適解が
サーキットでは最適とはならないこととなってしまう。

 そういったところで、フランスのフレームビルダーのROCが作った
車体というのは予算がないから、前年でいい走りだったことの延長線上で
作られたものだから、新規に何かを加えたことでの劇的な進化はないかも
しれないが、外した時のようなネガティブな要素がない。

 また、8人のライダーが使用するということでどんなライディングスタイル
でも対応するようなマシン作りをしていたので、癖がない車体なので
ライダーとしては扱いやすい。

 そんなわけで、扱いにくいライディングスタイルに合わないということで
当時のエースライダーのウェイン・レイニーがヤマハに改良を要望したが
思うように車体が仕上がらなくて、ROCの誰にとっても乗りやすい、扱い
やすい車体を持ち出して、これを使って思い通りの走りが可能になり
勝てるようになった。

 モンスターヤマハのマシンというのは昨年の敗戦を経て、技術部門の方々
が原材料や電子システムといったところに手を入れて、ホンダとの大差を
縮めて、凌駕しようとしたがエンジニアの考える最適解や最良の数値が
必ずしもライダーが満足できるものではなかったり、ライディングスタイルとは
合わないということになってしまっている。

 一方のペトロナスのマシンというのは基本的には型落ちと言われていて、
何か新技術や新しいシステムを入れるにしてもモンスターヤマハの方が
初めて取り入れて、その後、部品やシステムの導入に資金的な裏づけが
確認できたらようやくペトロナスが入れることができる。

 型落ちであるというと前の年から大きな変化がないから、昨年のデータを
基本的には有効活用することができる。そして、昨年のPCの記録を見て、
若いライダーに比較対象が理解しやすい指導をすることができる。

 まぁ、色々な意味で扱いやすいマシンを成長過程にある若いライダーが
勢いに乗って走っていてファクトリーヤマハよりも快足振りを見せている
ような気がする。

 そのあたりのことをペトロナスヤマハのヨハン・スティゲフェルトと
話しているとこのスウェーデン人は静かに微笑みながら否定することなく
聞いていました。

 日本グランプリでバレンティーノ・ロッシと日本人ライダーとの関係性や
かつて活躍していた日本人ライダーの過去のハイライトシーンの映像を見る。

 まぁ、バレンティーノ・ロッシがホンダ時代に警戒したのが加藤大治郎
なんですが、初めに乗っていたときに思ったのが小さいバイクだなという
ものでした。

 大柄で手足が長い彼にとって、恐らく加藤大治郎が乗りやすいバイクだと
思ったことは間違いないことでしょう。

 同じことはホンダがダニ・ペトロサに250ccのタイトルを獲らせるために
小さな車体のマシンを用意したから、体格でふた周り違うロベルト・ロルフォ
にとっては扱いマシンだった。

 今年のホンダで勝てているのはマルク・マルケスなんですが、世界最高峰
クラスなので高い技量を持っているライダーの集まりなんですが、勝てている
のはマルケスのみ。マシンがマルケススペシャルになっていて彼の体格、
彼のライディングスタイル、彼のマシンの好みに合わせてマシンを作って
いるわけで、他のライダーが乗っても彼ほど速く走れない。実際に業界
的にライダーとしての単純に走る才能に関しては世界のトップスリーに
入るホルへ・ロレンソがタイムも順位もマシンやタイヤが同じでありながら
ライバルに大きく離されているのは理由があると思います。

 クセのあるアルコールがおいしく大満足で味わえる人には最高の酒なんですが
とりあえずビールの人にはあわなくて楽しく酔えないので捨てたくなること
があるのでしょうが、レース専用車両のオートバイにも同じことが
言えると思いますね。

 色々なエンジニア、メカニックとライダーとマシンの相性、
暴れ馬を扱えるのが名ライダーなのか、扱いやすいマシンの素直に走らせて
いいタイムを走らせるのがいいライダーなのか、タイヤワンメイクでない
時にサイモン・クラファー、ベン・ボストロム、原田哲也がダンロップで
速いのにミシュランになったら後方で走っていたのはなぜなのか。

 また、業界評価が低かったbituboのサスペンションだが、かつてヤマハがR6で
スーパースポート世界選手権で世界チャンピオンになったのは製品の品質
が上がったからなのか、あるいは当時のチームが使ってやっているという
ことでライダーとチームの発言力が大きくて、ライダーが求める品質や
セットアップをbituboサイドが応えてきたからで、もともとの製品レベルは
どうだったのか、あるいは良くなったから当時のヤマハのスーパースポートの
チームが関係を求めたのかなどとチーム、メーカー、各部品メーカーなどの
相性や関係性などをうだうだ話して、土曜日のパドックを離れる。
 土曜日のもてぎの続きです。

 MotoGPのヤマハファクトリーよりも元気に見えるのがペトロナスの二人
である。ルーキーだから年齢が若いということもあるし、チームもいい体制を
作れているのだろうがそれ以外にも理由があると思う。

 ここのところ強く思うのは93年のウェイン・レイニーがヤマハの車体が
気に入らなくて市販のROCの車体を用いた時のことですね。

 当時のヤマハがパワーがアップしているエンジンに対応するために剛性を
高めることやライダーのリクエストに応えるために原材料から色々開発を
進めたのだが、パソコンのデータから導かれた理想的な車体というものは
剛性の強さから生まれたものだが、コーナーリングとかライダーのフィーリング
というものを考えると一定の柔らかさが必要であったり、メーカーや
エンジニアがいいと思ったものがライダーには合わなかった。

 このあたりはテクニカルグループの考えや理論上の適正値というものが
あってもライダーの好みとかライディングスタイルとかサーキットの
路面係数も関係するからパソコンの画面上の正解がそのままご名答とはならない。

 また、単独走行ならいいが、競り合いだと乱気流による空力の影響
などもあって、かならずしも研究所やテスト走行で考えられた最適解が
サーキットでは最適とはならないこととなってしまう。

 そういったところで、フランスのフレームビルダーのROCが作った
車体というのは予算がないから、前年でいい走りだったことの延長線上で
作られたものだから、新規に何かを加えたことでの劇的な進化はないかも
しれないが、外した時のようなネガティブな要素がない。

 また、8人のライダーが使用するということでどんなライディングスタイル
でも対応するようなマシン作りをしていたので、癖がない車体なので
ライダーとしては扱いやすい。

 そんなわけで、扱いにくいライディングスタイルに合わないということで
当時のエースライダーのウェイン・レイニーがヤマハに改良を要望したが
思うように車体が仕上がらなくて、ROCの誰にとっても乗りやすい、扱い
やすい車体を持ち出して、これを使って思い通りの走りが可能になり
勝てるようになった。

 モンスターヤマハのマシンというのは昨年の敗戦を経て、技術部門の方々
が原材料や電子システムといったところに手を入れて、ホンダとの大差を
縮めて、凌駕しようとしたがエンジニアの考える最適解や最良の数値が
必ずしもライダーが満足できるものではなかったり、ライディングスタイルとは
合わないということになってしまっている。

 一方のペトロナスのマシンというのは基本的には型落ちと言われていて、
何か新技術や新しいシステムを入れるにしてもモンスターヤマハの方が
初めて取り入れて、その後、部品やシステムの導入に資金的な裏づけが
確認できたらようやくペトロナスが入れることができる。

 型落ちであるというと前の年から大きな変化がないから、昨年のデータを
基本的には有効活用することができる。そして、昨年のPCの記録を見て、
若いライダーに比較対象が理解しやすい指導をすることができる。

 まぁ、色々な意味で扱いやすいマシンを成長過程にある若いライダーが
勢いに乗って走っていてファクトリーヤマハよりも快足振りを見せている
ような気がする。

 そのあたりのことをペトロナスヤマハのヨハン・スティゲフェルトと
話しているとこのスウェーデン人は静かに微笑みながら否定することなく
聞いていました。

 日本グランプリでバレンティーノ・ロッシと日本人ライダーとの関係性や
かつて活躍していた日本人ライダーの過去のハイライトシーンの映像を見る。

 まぁ、バレンティーノ・ロッシがホンダ時代に警戒したのが加藤大治郎
なんですが、初めに乗っていたときに思ったのが小さいバイクだなという
ものでした。

 大柄で手足が長い彼にとって、恐らく加藤大治郎が乗りやすいバイクだと
思ったことは間違いないことでしょう。

 同じことはホンダがダニ・ペトロサに250ccのタイトルを獲らせるために
小さな車体のマシンを用意したから、体格でふた周り違うロベルト・ロルフォ
にとっては扱いマシンだった。

 今年のホンダで勝てているのはマルク・マルケスなんですが、世界最高峰
クラスなので高い技量を持っているライダーの集まりなんですが、勝てている
のはマルケスのみ。マシンがマルケススペシャルになっていて彼の体格、
彼のライディングスタイル、彼のマシンの好みに合わせてマシンを作って
いるわけで、他のライダーが乗っても彼ほど速く走れない。実際に業界
的にライダーとしての単純に走る才能に関しては世界のトップスリーに
入るホルへ・ロレンソがタイムも順位もマシンやタイヤが同じでありながら
ライバルに大きく離されているのは理由があると思います。

 クセのあるアルコールがおいしく大満足で味わえる人には最高の酒なんですが
とりあえずビールの人にはあわなくて楽しく酔えないので捨てたくなること
があるのでしょうが、レース専用車両のオートバイにも同じことが
言えると思いますね。

 色々なエンジニア、メカニックとライダーとマシンの相性、
暴れ馬を扱えるのが名ライダーなのか、扱いやすいマシンの素直に走らせて
いいタイムを走らせるのがいいライダーなのか、タイヤワンメイクでない
時にサイモン・クラファー、ベン・ボストロム、原田哲也がダンロップで
速いのにミシュランになったら後方で走っていたのはなぜなのか。

 また、業界評価が低かったbituboのサスペンションだが、かつてヤマハがR6で
スーパースポート世界選手権で世界チャンピオンになったのは製品の品質
が上がったからなのか、あるいは当時のチームが使ってやっているという
ことでライダーとチームの発言力が大きくて、ライダーが求める品質や
セットアップをbituboサイドが応えてきたからで、もともとの製品レベルは
どうだったのか、あるいは良くなったから当時のヤマハのスーパースポートの
チームが関係を求めたのかなどとチーム、メーカー、各部品メーカーなどの
相性や関係性などをうだうだ話して、土曜日のパドックを離れる。
 前日の金曜日は天気が持ったもてぎではあるが、どうも怪しい。
雨のレースというのは私的にはウェルカムだし、ライダーでも得意な人に
とってはいい天候ということになるので、かつてのロベルト・ロカテッリ
のような人は乗りたくないということになるのだろうが、それ以外の人
にとってはチャンスがめぐってくるということになると思う。

 ニコロ・ブレガと会う。彼は雨が好きということではないが、父親の
ダビデ・ブレガがそうであったように好きではないが、不得意ではなくて
乗りこなすということである。この世界には二世ライダーが多いが
ニコロ・ブレガもその一人で、関係者で言われているのは才能は父親より
上であり、楽しみであるというものだが、父親の三言語、母親のナタリーは
ドイツ人でドイツ語、イタリア語、英語、フランス語を話すが、どういう
わけか息子のニコロはイタリア語のみでそこの遺伝子は受け継いでいない。

 雨が強くなってきた時に思うのは、ここはホンダのサーキットであるという
ことであり、ホンダのサーキットというのは鈴鹿ともてぎであるという
ことである。

 F1のジュール・ビアンキの事故の記憶は薄れていない。ヘリコプターで
搬送するにもサーキット近辺がレースができる程度の雨量であっても
病院付近が大雨だとドクターヘリを飛ばせることができない。

 ビアンキのケースだと頭のダメージを考えてヘリコプターで移動しないという
ことだったかもしれないが、基本的に雨だと道路移動のスピードは遅くなる。
晴れていないとレースはできても色々な支障がでてきるのだが、ビアンキの
ことがあって、早期に赤旗とか、セッションを最初からキャンセルということ
はあるだろうと思う。

 実際に今年の鈴鹿八耐のウィークで土曜日開催のストック600の四時間耐久
が残り80分ほどでクラッシュするライダーが出てそこで赤旗になり、
そのままレース終了。私はプレスセンターにいたのですが、四時間耐久の後
にプレスセンターをでると普段は後ろに待機しているヘリコプターはなく、
サーキット付近も四日市も強い雨で、八耐のフリー走行やトップテントライ
アルは何とかできそうなコンディションではあったがフリー走行やトップ
テントライアルの時間帯にもドクターヘリは存在しない状態が続いて、
全てのセッションがキャンセルとなりました。

 まぁ、ビアンキの件がサーキットに雨での走行可否に影響を与えていると
は思いながら、関係者とどうなんだろうかと話を続ける。

 そんなところにやってきたのが、イゴール・アントネッリ。
ニコロ・アントネッリの父親なんですが、息子のフィジカルコンディションを
考えると体に負荷のかからないレインコンディションはウェルカムのようだ。

 アジアタレントカップのセッション中にバレンティーノ・ロッシと顔を
合わせる。運よく持ってきた本にサインを入れてもらい、写真も撮ることが
できた。彼が通る場所はすぐに人垣ができる中で、これは本当に運が良かった
と思う。

 ノーランのブースに行くとやってきたのがフランコ・バッタイーニ。
雨の土曜日のもてぎというとここでのグランプリ初開催の99年に彼が
250ccクラスでキャリア初のポールポジションをアプリリアで獲得
したことを思い出す。

 90年代前半から競争力を増してきたアプリリアであったが、雨には
マシン性能、キャラクターから弱いことやエースライダーのマックス・ビアッジ
がライダー生活の初めのころは雨が嫌いで走りたがらなかったから、
データがないからセットアップしようがないというような理由でアプリリアは
雨で弱かったがそのアプリリアでトップタイムを出したことやライダーの
フランコ・バッタイーニが前年まで戦闘力に乏しいヤマハの市販マシンで
戦っていたので、順位が能力に反映されていなかったことなどがあったが、
土曜日の雨のコンディションで新設されたFGFバッタイーニレーシング
という彼のために設立されたチームで彼が求めるセッティングや戦略が
認められて周りが動いてくれるチームでポールポジションを獲得したことは
かなりのサプライズだった。

 当時のイタリアでの放映権を持っていたのは国営のRAIだったのですが、
レポーターのマッシモ・アンジェレッティと共にチームのピットに入って
共に天気は雨で寒かったが一緒に熱さと多幸感を感じたことを思い出す。

 イタルトランスのピットの前に行くとジョバンニ・サンディが助けを求めて
いるので、話を聞く。息子でアジア選手権でドゥカティを走らせて小活躍
中のフェデリコ・サンディが歯というか歯の周りの神経が痛くて、病院を
探して欲しいという。サーキットの周りに外国語が通じる歯科医院があるとは
思えない。水戸のあたりでどうかなと思って、まずはネットで調べてみて
から、情報をまとめてきて渡すと話してここを離れる。

 大都市の東京や大阪なら簡単なことでもサーキットというのは大体
地方にあり、移動も大変なのは当然だが、こういうことがあった時に
対応が難しいということを実感する。同時に日本の地方都市が海外の企業を
誘致したい時に美しい山とか川を撮影してパンフレットを作ったり、企画書を
書くのだが、海外企業が求めているのは英語が通じる医療機関がどれだけ
あるのかとか海外から日本にやって来て住むことになる従業員の子供の
教育の問題などのことなのに、対応する場所がないから情報出しをしないのか、重要視する場所が違うのか海外企業が求めている情報を提供しないのは
問題だと改めて思う。

 ネットで調べて、土曜日でも診療していて英語が通じて水戸市内、あるいは
水戸から近いエリアの歯科医を調べるが、ここで大丈夫だろうと思えたのは
一件だけであった。場所は車で水戸駅から15分ほどの場所でこれを彼に
伝えに行くと、彼は英語情報で調べて遅い時間までやっていて、水戸駅から
歩いていける場所で近いからこちらの方がいいということで彼と同行するか
できなければ彼一人で出かけて、電話で連絡して病状などを私が通訳する
ということになった。

 土曜日ということでキャンペーンガールも徐々に集まってきた。パドックを
歩いていたら、ゴンガーシホさんと会う。そこにいたのがキャンペーンガール
なんですが、そばにいて楽しいでしょうと言われるが私の場合は女性の評価
は見た目だけでなくて、きれいであっても見ているだけでは楽しくない。
フーゾク店で一番カワイイ子がその店の売り上げナンバーワンとはならなくて、
見た目で劣っても客が喜んでくれることをしてくれたり、性的な技術を磨いて
高い満足度を提供してくれる人が客に喜ばれてカワイイ子よりも高い
売り上げを上げるということはよくあるわけで、キャンペーンガールと
一緒にいたり、カワイイ人とそばにいても楽しいとは限らない。

 AGVのブースに戻り、Moto2のセッションを見る。ニコロ・ブレガが
好調で楽しみだなと思ったら、見事に転んでしまった。調子がいいなとか
今回のレースは楽しみだなと思ったら、こういうことをしてしまうのが
彼が才能は認めながらも評価できないところである。

 場内実況が各クラスごとにアナウンサーと解説が変わるが映像で
ピエール北川さんが映るが誰かに似ているなぁと思ったらAV男優の森林原人
さんに似ていることに気がつく。レースアナウンサーにしてももAV男優も
やれる人の絶対数が少ないので顔の印象を持ちやすいのだろうが、かなり
似ているなぁと思ってしまった。ピエール北川さんに森林原人さんに
似ていますねと言ったらどういう感想を抱くのだろうか。

 カルロ・ペルナットの親父さんに会って、彼の著作を本人から買おうと
思って声掛けするが、ホテルに置き忘れたという。今日、もらわないと
日曜日の忙しい状況でもらい忘れるなんてことがあるから不安になる。
彼は明日は忘れないというが、果たしてどうなることやらである。

 イタルトランスのピットに行くと、フェデリコ・サンディはすでにサーキット
を出て病院に行ったという。まぁ、余裕を持ってピットに行ったが、
彼自身は予約の時間より早く到着して、枠に余裕があったら、少しでも早く
診察してもらおうという考えだったようだ。まぁ、一緒に出かけたらいいが
それが無理なら電話をかけてもらって、病状やらして欲しいことを説明
することになる。

 フォワードレーシングに出かける。長年世話になっているマウロ・ノッチョリ
と話す。小さい、軽い、それでいて安いというものは土産に最適なので
彼に100円ショップで買ったものを渡す。まぁ、重い、大きいものはもてぎ、
フィリップアイランド、セパンの三連戦というのはできるだけ荷物を少なく
したいということなので、渡す土産やプレゼントも考える必要性がある。

 彼は99年にチームカッパにいた時に渡した孫の手を今も使ってくれていると
いう。嬉しい限りであるが、レースのことに関して言うとかつてロッシ、
カピロッシといったライダーでワールドチャンピオンになった彼の能力は
高いものがあるが、彼の能力を発揮できていない体制だったり、若くて元気
はあるがマウロの深い解析だったり、話していることを理解できなくて
速く走ることができないのは極めて残念である。

 このあたりはこのスポーツの特徴でロッシ、カピロッシというライダーは
マウロ・ノッチョリを始めエンジニアグループの話すことが理解できて、
どこを修正したり何を加えればいいのか瞬時に知りえて、タイムや順位を
よくできたし、それ故にワールドチャンピオンになったのだが、現状の
チームフォワードのライダーはそれができていないから現状のタイムや順位
ということなんだろう。

 以前、私が手伝っていたチームインターモトで元世界チャンピオンの
ファビアン・フォレはK-Techのサスペンションエンジニアの言うことが
細かいところ、深いところまで理解できて細かいセッティングの変更が
可能でそのセッティングで高いレベルの話ができるが、チームメイトの
若手のフローリアン・マリノはある程度はわかるがフォレほどではなくて
それがデータ解析するとフォレはマシンのいいところを目いっぱい使って
いるが、それがマリノは全てのコーナーではできていなくて、7つのコーナー
でコンマ一秒遅いとそれが同じマシンでありながら、コンマ7から1秒の
タイム差に反映されてしまっていると話していたが、エンジニアが能力が
高くてライダーを速く走らせたいと思っていても、マシンの対する理解力
がないと宝のもちぐされとなってしまう。

 AGVのブースに戻ってフランチェスコ・レヴィとうだうだと話していた
ところにフェデリコ・サンディの到着した歯科医院から電話がかかってきたが
症状を説明できないとなると間違った理解で治療したり処方したりで医療事故
になったらまずいということや一度で治まることが二度三度とかかってしまう
のでまずいということを言われて、診療できないと言われてしまう。

 こういうことがあるかもしれないから、距離的には少々離れてしまうし、
土曜日の午後の診療時間が短いが英語が通じる場所を案内したが、彼は
水戸駅からのアクセスで症状の説明は携帯で話して、それを訳してもらって
何とかなるだろうと思っていたが、結果はまずい展開になってしまった。
まぁ、本人が選択したので納得はしていたが、関わった立場としては非常に
後味の悪い一連の展開ではあった。

 この土曜日に関しては、書きたいことが渋滞しているので稿を改めて
また書きます。

 金曜日のセッションが終了。パドック内をうろちょろしながら、
持ってきた本にサインを入れてもらおうと動いていて旧友に声をかけられる。

 立ち話をした後に私が今回お世話になっているAGVヘルメットのブースへと
移動して話をする。

 彼はヘルメットに関して大変興味があり、実際に色々と海外通販で買い付けたり各社、各メーカーのブランドに関して知識があり、使う側のユーザー目線、
買う立場でお金を使う心理、誰かに頼まれたり、自ら購入する時にカタログ
でわかる部分と実際に使ってみたり、お金を払う時の為替とか送料に関する
肌感覚を持っている人なので、話が深くて面白い。

 それを感じるのは私だけでなくて、AGVのマウリッツィオにしても
その感覚は有していて、彼の息子の使っていたであろうヘルメットの
レプリカの画像をスマホで表示して、これと同じものは何年まで使ってい
たのか、同じカラーリングなのか、レースに同じデザインで違うカラーリングの
ものを持ってきていたのかなど質問する。

 AGVヘルメットのブースに日本のレースの場合、ロッシのファンが
パドックパスを購入して入室するケースが多いが、ヘルメットメーカーの
人間が嬉しいのはロッシのシャツやキャップを身に着けている人よりも
実際にヘルメットを購入してくれたり、同じ会社の他のライダーのものや
ライダーレプリカでないものでも自社製品を買ってくれたり、興味を持って
くれる人であるのは当然なので、マウリッツィオも他のファンの場合だと
口にしないようなヘルメットの製造工程やデザイン、品質や使用感や民族的
な特性による帽体のサイズや骨格の違いに伴う修正後のフィット感であったり、
サーキットでの使用とバイカーが街乗りで使うヘルメットとの違いなど
を喜んで話してくれる。

 彼の場合、それに加えて少しではあるがイタリア語も話すので、その
あたりモノ作りの現場の人としては他のロッシファンでほぼ日本語のみで
自社製品を買ってくれているのか不透明な人との会話とは気持ちのオープン
加減が大きく違うなと思う。

 このことは私にもあって、レースが好きだから私と繋がりたいという
人からのコンタクトがあっても「レースが好きというよりロッシが好きな
だけな人」というのは心のドアをクローズすることがある。
私と親しいアンドレア・アントネッリがスーパースポート世界選手権での
レースでのアクシデントで生死がどうなるのかという時に友達申請して
きた人というのはレースが好きというより、特定のカテゴリーだけを見ていて
好きなライダーのレースを見る人なんだろうなと強く感じることがありました
が、レースというジャンルが好きという人とは話していて楽しいものが
あります。

 彼と別れてパドックを歩いていると見かけたのがカルロス・チェカ。
すぐに彼の掲載されているページにサインペンを差し込んで、彼に向って
「tanti auguri a te!」と歌い始める。久しぶりの再会である。

 他に何人かファンがいたが、この時期の誕生日であることを知らなかったり、
知っていても祝意の言葉を言わなかったり、緊張して言葉が出なかったり
する人が多かったみたいだが、私はいきなり歌い始めてしまうので、
かなり長い間あっていなくても、体は太ったが気持ち的な変化がなくて
スペイン語でも英語でもなくてイタリア語で会話をし始める。

 チェカ一家というのはレーシングファミリーで弟のダビデ・チェカ
はスプリントではチーム体制やマシンのこともあって、タイトルに届かなかった
が耐久に転向してからはリッターバイクとタイヤをいたわりながら高いレベル
で走ることやチームメイトとのセットアップのアジャストする能力などで
活躍して、今年の鈴鹿八耐で世界チャンピオンに輝いた。
このブログの読者の方はご存じかと思いますが、私は昨年と今年はイタリアの
サイトの特派員という立場で報道で出かけていたので、ダビデ・チェカの
タイトル獲得の現場にいたり、彼と言葉を交わすことが結構ありました。

 カルロス・チェカがスーパーバイク世界選手権で私と近いチームで
世界チャンピオンになり、ダビデ・チェカは私が長年親しくさせていた
だいているピレリタイヤのスタッフと共に開発を進めて、ライバルの
ダンロップ、急激に耐久での立ち位置を確立してきたブリヂストン、長年
の経験のあり勝ち味を知っているミシュランを相手にしてピレリタイヤを
用いて2018-2019シーズンを耐久の世界チャンピオンになった。
カルロスと直接会う機会は久しぶりでも共通の友人がいたり、弟のダビデと
鈴鹿で取材も兼ねて長く触れる機会があったりで、昔話と最近の話で
楽しい時間を過ごすことができたのはうれしかったですね。

 ペトロナスのピット裏に行くと、ヨハン・スティゲフェルトと会う。
彼とはライダー活動していた時期のチームアブルッツォで250のバイクを
走らせていた時代、ワールドスーパースポートでホンダのマシンで活動
していた時期など割に近い距離で接していたが、その後、チームマネージャー
としてスーパーバイク世界選手権での活動中に資金ショートを起こして
姿を消したものの、そこからMoto3のチームのマネージャーとして鮮やかな
復活を遂げて、今季はペトロナスヤマハでのマネージメントとして活躍
している。

 彼自身のチームの資金難ということでの活動停止とレースシーンからの
離脱というのは悲しいことではあったが、こうして人生の再スタートから
素晴らしいシーズンを送れているというのは一時期近い場所にいた私に
とってすごくうれしいことである。
(かつて、彼がスーパースポート世界選手権で走り始めた時期の記事は
こちらです。https://yasumarzo.diarynote.jp/200504280255090000/

 その後、ジーノ・ボルソイやダニーロ・ペトルッチと会う。
ボルソイと私は彼がヤマハの開発の止まっていたTZ125のバイクでグランプリ
に出てきてから話すようになったが、特に近くなったのは99年のチームカッパ
と彼が契約して、チームの登録出走台数の関係でレンタル移籍して
チームセンプルッチに所属していた時のことで、その時にチームのトラックを
運転していたのがペトルッチの親父であり、一見縁遠い関係に思えるボルソイ
とペトルッチと私yasumarzoとの距離は非常に近いものがあるので、
今は昔とはずいぶん立ち位置が変わったものの、会うとわいわいがやがやと
話し込む。 

 親しかったライダーが強力な戦闘力を持つチームのマネージャーに
なっていたり、父親に連れられてサーキットにやってきた子供が
ドゥカティのワークスライダーとなり、地元のムジェッロで初優勝
したりと居場所や肩書は違うがレースに対する愛とか情熱が出会ったり
再会する土壌を作ってくれることを実感する。また、彼らが私のイタリア語が
落ちていないことを褒めてくれるのは率直にうれしい。

 太ってしまったこととヨーロッパにいつ戻るのかを散々尋ねられた
金曜日のもてぎでした。 
 例によって待ち合わせのホテルのロビーに入る通り道でアプリリアのスタッフ
と顔を合わせるが、そこにいたのが、アプリリアのスポーツ活動の責任者の
ロマーノ・アルベジアーノ。会いたいなと思っていながら会えなくてずいぶん
と久し振りの再会である。

 マルコ・メランドリがアプリリアのスーパーバイクで走っていた時に
マレーシアに行き、ロマニョーロジャッポネーゼの私とラヴェンナ人との
ふざけた会話や近い関係性を見て面白がっていて、セパンでのレースで
見事なダブルウィンの後で表彰式では私がイタリア国歌を表彰台の前で歌って
いたのがとても印象に残っていたらしくて、頼みたいことがあったら、連絡したいと言われていた。しかし、その後連絡がなく、また彼も日本でのレースに
くることがなかったために久し振りの再会となった。

 彼と挨拶してAGVとダイネーゼのスタッフの連中との待ち合わせのために
ホテルのロビーに向かうと前日同様いたのがドゥカティコルセの
ダビデ・タルドッツィ。週末の天気の話をするが雨が降ったら、金銭感覚が
非常にシビアになってきたアンドレア・ドヴィツィオーゾと安い値段で
高いコストパフォーマンスのダニーロ・ペトルッツィの二人の
レインマスターは速いのではないかなどと話す。

 長い歴史のレース界で80年代以降は日本メーカーが強い時期があったけれ
ど、雨が降ってイタリアのメーカーが勝利することを見てきたわけで、
『ブタペストの奇跡』のグランプリのカジバ初、エディ・ローソン最後の
優勝であったり、ワールドスーパーバイクの『狂乱のフィリップアイランド』
のビモータがホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの日本の四メーカーと
ドゥカティ、アプリリアがワークスチームを結成していながら、雨を味方に
して、難しいコンディションながらアンソニー・ゴバートというど天才
の信じられないマシンコントロールとレースマネージメントを発揮して
従業員50人の小さなメーカーが大きな勝利を奪った時のように雨が見方に
できることもあるわけで、空が泣いたら、あなた方は笑うのではないかと
いうとこの優秀なチームマネージャーは静かに微笑んでいました。
ただし、勝負師の彼なので冗談交じりでも何か感じることがあったのか、
口元は笑っていたが目は笑っていなかった。

 (『ブタペストの奇跡』に関しては過去のブログをご覧ください。
https://yasumarzo.diarynote.jp/201507132146102404/

 『狂乱のフィリップアイランド』に関してはこちらになります。
https://yasumarzo.diarynote.jp/201802201424434915/)

 AGVとダイネーゼのスタッフと会うが、これが私を含めて四人での移動
ということになった。理由は単純で元ライダーのマウリッツィオ・ビターリ
の運転が荒い(本人の中ではグランプリで勝ったようなライダーなので
速度が速かったり、激しくコーナーリングしていて周りが危険に見えても
十分に安全に走っていると理解している。)ためでスタッフの二人は
ヘルメットメーカーとしてはライバル関係にあるノーランヘルメットのスタッフ
に乗せてもらって移動したという。まぁ、イタリア人のなかでは商売敵という
面もあるが、同時に同じ業界の仲間という意識が強いので、こういう時に
こんな呉越同舟や助け舟というのが存在します。

 サーキットに到着。AGVの隣がアルパインスターの仮設オフィスですが、
そこにやってきたのがランディ・マモラ。今回持ってきた本にサインを入れて
もらう。写真は彼がグランプリで活動し始めた時期なので髪の毛はふさふさで
ヘルメットはアライでもAGVでもなくて、NOVAである。

 レッドブルのホスピタリティでエスプレッソをいただきながら、Moto3で
走っているニッコロ・アントネッリの親父のイゴール・アントネッリと
うだうだ話す。彼としては息子の体調が今二つなので、三週連続開催
のレースで最初に無理して転んだりしたら3レース連続ノーポイントという
ようなことになりかねないので、できうる限りの最高のタイムと順位で
ここのレースをまとめて欲しいということである。

 AGVのブースに戻ってきたところでルーチョ・チェッキネッロと会う。
彼は2000年までに一勝しているので持ってきた本にサインを入れてもらい、
記念にツーショットの写真を撮る。チームマネージャーとして色々な問題やら
思っていても話せないことが多いのだが、かつてのライダー時代の話をする
時はノーストレスで話すこととなる。冗談とかつての昔話で盛り上がる。

 シャークヘルメットのブースに行って、ここのスタッフとうだうだ話す。
私が聞きたかったのはDORNAは極めて近い将来に年間22レースを考えて
いるということだが、そうなるとグランプリで22レース。ワールド
スーパーバイクが13ぐらいあり、これが増える可能性があり、世界耐久
選手権のレースがあり、国内選手権がある。そうなると本当にとんでもない
スケジュールになるわけで、いくらなんでも多すぎるということを口に
している。

 私としてはメーカー関係者の方々の人的、物的、金銭的な負担も大変
だろうし、私が考えているのは小さなチームやビッグスポンサーがない
チームは今以上にスポンサー持参のライダーの優遇であったり、小額しか
持って来れないライダーはいわゆるパフォーマンス条項などを入れるのでは
ないか。また、持参金の額も上昇することになって、速いがスポンサー
を持って来れない、持参金がないというライダーが単純に走る能力は
あるが、今以上に相当困るのではないかということを話す。
その私の意見にほとんど納得しながら、合意していたが、これはここの
人たちだけでなくて、多くの業界関係者が感じていることだと思う。

 チームフォワードのピットに行き、マウロ・ノッチョリと会う。
彼がイタリアを離れる前に彼とチームマネージャーに水戸北インターのあたりが
ひどいことになって、水戸からサーキットに行くのに、そこを避けない
といけないということやら、メカニックが来日の時に行きたがるホームセンター
のことやら情報を送っていて、それに関して御礼を言われる。

 マックス・ビアッジと会い、彼のサインを本に入れてもらう。今回、この
本を持ってきたのは元ライダーと会いたいときに会っておかないといけない
ということが理由なのだが、これはマックス・ビアッジの親父のピエトロ・
ビアッジに関しても言えることで、しばらく会っていないなぁと思って
いるうちに永遠の別れとなってしまった。

 彼と今シーズンの新しいチーム設立と参戦に関することや今後の予定に
関して話をする。AGVのマウリッツィオ・ビターリが引退したライダーが
ライディングスクールの先生という職業をすることが多い。しかし彼はお金を
稼ぐことができても、こちらが話すことがわからない人間は相手にしたくない
と言っていたが、マックス・ビアッジという人がマネージャーであり、指導者
という立場であるが、世界チャンピオンの感性や理解力や強い闘争心などを
説明しても伝わる部分と経験を重ねないと若いライダーが理解できない
ことがあるようだ。

 ニコロ・ブレガと顔を合わせる。彼がここ日本にいるときに思うのは
彼が初めて見たレースというのは彼の父親のダビデ・ブレガがスーパースポート
世界選手権で戦っていた時に生後七ヶ月で両親と一緒にやってきた時のこと
であることやブレガファミリーと南海ショップに出かけたところ
レジ横にたまたまキックボードが売ってあった。

 当時、ヨーロッパになくて、日本ではブームになっているので、試し乗り
してみたら、眠たそうだった彼が笑い出した時のことである。その彼が以前、
ここでポールポジションでありながら、決勝はだめだめな走りであったり、
やたらコーラばかり飲みたがったり、父親は三ヶ国語で母親は四ヶ国語
話せるのに彼はイタリア語のみだったり、何か走る才能はかなりあるのに、
才能を生かすための努力をしていないように思えてしまう。

 ブレガと別れてから、AGVのブースに行くとイゴール・アントネッリ
とマウリッツィオ・ビターリが話している。ニコロ・アントネッリと
ルカ・ビターリが二世ライダーであり、似たような境遇ではあるが、
ライダーとしての記録はあまり芳しくなかったパパアントネッリだが
息子のニッコロ・アントネッリには能力を感じ、世界の頂上もいけるような
気がするのだが、世界グランプリは二勝して年間ランキングで4位までいき
イタリア選手権の125と250で二回づつタイトルを獲ったパパビターリだが
子供のルカ・ビターリは少なくとも今までは特筆する成績を残していない。

 おまけにアプリリアで125ccに参戦していた年はもてぎとへレスのニ週
連続開催なのに水戸のレストランにパスポートを置き忘れるということを
しでかして、日本の小都市の小さなレストランなどはイタリア語も英語も
通じないわ、パスポート不携帯でイタリアに戻れなかったり、翌週のスペイン
のそれも西の端のジブラルタル海峡に近いへレスに行けないなんてことに
なると契約上、違約金の発生なんてこともあり得たわけで、私がいて、
レシートを出させて電話して話ができなかったら、あるいは店主がパスポート
のような重要度の高いものだと思わずに捨ててしまっていたらどえらいこと
になっていたのは間違いない。

 元気が良すぎ、負けず嫌い、遊ぶのが好きというのを彼が五歳の時から
見ていてライダー向きだとは思うが、プロフェッショナルライダーとして
の欠けている部分を近い場所にいるから理解できています。その彼が遅咲きで
あることを父親であるマウリッツィオが理解ていて、パパマネージャーが
出来る限りのことをするのならいいが、早く次の進路を考えることも大事
ではないかとも思う。

 母親はどう考えているかわからないが、父親としてはいい環境や体制を
作ってあげたいということなんだろう。アントネッリの来季はすでに発表に
なっているが、公式な発表はないがビターリの方は世界耐久選手権で
ストック1000クラスで走ることが決まっていて次戦のセパン八時間には
ルカ・スカッサのチームで走ることが確定しているが、イタリア選手権は
今のところ話がまとまっていないようだ。

 何とか雨が降らず一日のセッションが終わった。雨になるとどうしても
ピット内や仮設オフィスにこもってしまうから、声が消したくてもできない
ケースが増えてしまうが今日に関しては雨予想だったが、何とか降らずに
全てのクラスがドライコンディションで行なわれて良かったと思う。

セッション終了後にもいろいろありましたが、長くなるので稿を改めて
この日の続編を書きます。

 

  

 

 

 
2019年MotoGP日本グランプリどたばた日記その一。
 起床して待ち合わせ場所のホテルのロビーへと出かける。ソファーに座って
いたのはドゥカティのダビデ・タルドッツィとこのチームのメンバー。
ダビデは私を見るなり『yasuさん』と声を掛けてくれた。彼と先週の台風
のことと浜松、磐田といったあたりの状況を尋ねてきたのでできる限り
答える。メーカーは違うが、部品メーカーなどドゥカティと関係のあるところも
あるのだろう。かなり気にしている様子だった。

 私のことを知らなかった新しいドゥカティのメンバーが私のSOLINCOと
プリンスのラケットバッグを見てテニスをやるのかと尋ねてきた。
なかなかやれないが、テニスをやるし、テニスを見たり書いたりすることも
あり、イタリア人との関係性が深いこと、そして私とイタリアのテニス
ジャーナリストとの関係やかつて我が友ジョルジョ・スパルートに協力して
発表した錦織圭に関する記事を紹介したり、日本人との関係性はほぼないが
日本人の私がイタリア語を話すと特別なので私とイタリア人テニス関係者の
話などをする。まぁ、私のことを知らない人というのは私と初めて会った
時に驚くのですが、テニス関係のことを話すと彼の場合二度驚いていました。
http://www.blogquotidiani.net/tennis/indexa63d.html?p=1647

 そんな最中、AGVヘルメットとダイネーゼのスタッフがやってきて、朝食を一緒にしながら近況報告をする。

 彼らと一緒に車に乗り、サーキットに入る。木曜日のサーキットということで
まだ忙しさとお祭り気分と戦いが入り混じった独特の空気感にはなっていない。
そんななか、今回は『The Grand Prix Winners 1949-2000』という資料的
な価値がある重たい本を持参してきた。ライダーのサインをもらうことが
極めて少ない私だが、今回のもてぎでグランプリで2000年までのシーズンで
ウィナーになったことのあるのが今回の来場の目的でもある。

 私と親しかったドリアーノ・ロンボニの死亡事故、ラルフ・ヴァルドマンの
病死と近い距離感だったライダーが亡くなり、この本にサインをしてもらって
おけばよかったかなという思いが強くなり鈴鹿八耐の時に実家の本棚を整理
していて、もてぎに持っていくという思いが強くなった。名古屋から今住んで
いる松戸に持ってくることも今回こうやって持ち歩くのもしんどかったが
この本は本当に素晴らしいものだと思う。

 まずはAGVヘルメットのマウリッツィオ・ビターリにサインをお願いする。
83年の優勝した時の顔というのは当然のことながらとても若い。これに
サインをしてもらって、開いたままにしていたら、彼にヘルメットのケアを
してもらっているライダーが珍しいものを見ながら感嘆している。

 この重たい本を持って歩いていたら、青木三兄弟とお会いする。ウィナー
となった三兄弟のなかのお二人にサインをお願いすると、青木治親君は
『また、これはすごいものを持ってきましたね』と言われる。この本を
持っている人は日本ではかなり数が限られているし、この本を目にして
喜んでいた。

 しばらく歩くとイタリアのレーシングサイトのGPOneのパオロ・スカレーア
と顔を合わせる。近況を報告しながら、日本の観光業や外国人観光客の増大
などを話す。

 彼と長々話をした後にカルロ・ペルナットの親父さんに会う。私のこの
持っている本を見るとかなり興味を持っていた。そこに通りがかるレース関係者
などが『見てみろよ。この素晴らしい本を』と話していてベテランの業界
関係者と話すが、知っている人のほうが多い。さすがにこの本は業界的に
有名で所有している人も多いことを実感する。彼と最初に会ったのが1994年
でアプリリアの勝ち始めやら古い友人のことやら昔話に花が咲く。

 Moto3のピットのあたりに行くと、ヤクブ・コルンフェイルが私を見て
声を掛けてきた。先週の台風のこと、全日本選手権のこと、私の近況のこと
などを話す。今年は女子テニスの大会が東京ではなくて大阪になったり、
男子テニスの有明に行けなかったりで例年は9月に聞くことの多いチェコ語
を秋になってから彼の口から聞く。例によって三割のチェコ語と七割の英語で
会話する。

 どこにどのチームやメーカーの仮設オフィスがあるのか歩き回って
行きたい場所を何となく認識してAGVのオフィスに戻る前にレッドブルの
ホスピタリティを通りがかると昨年知り合ったレッドブル系のチームの
食事を出しているスタッフと顔を合わせる。ライダーやメカニックや
チームスタッフ以外にこうして久し振りの再会を喜びながら、歩き回って
疲れた体がレッドブルを求めていたので、一本いただく。

 チームフォワードに行くとここのチームのユニフォームを着ていたのが
ロベルト・ロカテッリ。昨年は彼はイタリアのテレビのSKYのコメンタリー
業というのが主な仕事だったので、チームの中で実務というのは久し振り
である。彼がいるもてぎというのは宇井陽一君と激しいバトルのタイトル争い
の年でここでワールドチャンピオンになったことが印象深い。

 私とは知り合ってなんだかんだ20年以上の付き合いで、昨年会えなかった
彼とこうして会えるのはうれしいものがある。特にしばらく会えなかった
ドリアーノ・ロンボニを失ったり、ラルフ・ヴァルドマンが亡くなったり、
マックス・ビアッジの親父のピエトロ・ビアッジと永遠のお別れをしてしまい、二度と会えなかった人たちがこの数年続いたためにこうしてお会いできる
のはうれしいものがある。

 ホンダLCRのピットの前を歩くとジャコモ・グイドッティと顔を合わせる。
彼は今年は中上貴晶のエンジニアとして働いているが、彼にこの日本人ライダー
に関する評価を聞く。ステーファノ・ぺルジーニ、フランコ・バッタイーニ、
トロイ・コーサー、芳賀紀行、レオン・ハスラム、ダニ・ペドロサといった
世界の列強と仕事をしてきた彼から見ての中上というライダーの実力を
聞く。逆に私は先日ブログで触れた彼のスポンサーに関する話などをする。
https://yasumarzo.diarynote.jp/201910160246364222/

 このあたりの出光の株価が一年前の半値になっていることやら出光と
昭和シェルとの合併後の新会社のことなどはホンダや出光の方々は口に
することがないというか、話題にならないようなので、彼にとっては貴重な
話だったようだ。まぁ、私が結果がチームやメーカーやスポンサーが求めている
レベルではないというか、もう少しいけるのではないかと思われている中で
スポンサーの株価が6300円ほどから3100円程度まで一年で激しく低下して
それでもなおビッグマネーを出してくれるというスポンサーは素晴らしい存在
であると思うが、払う立場の組織の株価が半分になったら、経営者も
投資家も大金とリターンが合わないということになるわけで来年は正念場
であると静かにうなづいていたのがジャコモ・グイドッティであった。

 ライダーであり、メカニックやエンジニアとして世界で戦っていた
ジャコモ・グイドッティであるが、昔から仲がいいのは、彼が知らないことや
普段目を向けてない視点の話をこうして時間が合った時に話すと喜んで
聞いたり、私としてはメカニック目線で素直なライダーの評価を聞けたりという
ことでお互いに知らないことを情報交換できていることが大きい。それは
私がステーファノ・ぺルジーニや彼の当時の彼女や両親を含めて仲が良かった
ころから変わらない。

 ジャコモと会った後に今度は弟のファブリッツィオ・グイドッティと
会う。グイドッティ兄弟に彼らの父親というのは昔も今も変わらずに
接してくれるのがうれしい。そこに前述のカルロ・ペルナットがやってきた。
昔も今も会えば必要なことを情報交換できる仲であるのがうれしい。
まぁ、彼らからするとメーカーの立場ではない私だからニュートラルな
意見をイタリア語で話せるというのが大きいのだろうが、私にとっては
日本のメディアで読めないことを大御所から事実関係を聞けるのは嬉しい。

 本を持っていて重たくなったのと歩き疲れたのだが、エミリオ・アルサモラ
と会う。

 近年はマルク・マルケスのマネージャーということで知られている彼で
あるが、125ccでワールドチャンピオンになった前後のことや彼が
チームマッテオーニで走っていて、レースウィークに顔を合わせてうだうだ
冗談を言い合っていた関係である。その彼に本にサインを入れてもらう。
彼にとってもこの本はとても印象深いのでどこでこの本は手に入るのか
尋ねられる。

 AGVの仮設オフィスに戻るとそこにやってきたのがエルベ・ポンシャラル。
昨年の今頃はヤマハとの別れの時期が近い中で迎えたシーズン後半のメーカー
のホストグランプリで長い付き合いの関係者で日本グランプリだけは来場
するという方々との会談などでかなり忙しかったようだが、今年はかなり
状況が異なる。昨年のような多忙さはないようだ。

 彼はライダーではなかったが、フォトグラファーだったモウリス・ビュラ
とは長い付き合いの友人であったから、この本のことは当然知っていて、
広告ページにオリビエ・ジャックや中野真矢君と一緒に移っている写真の
ことを見て、ホンダからヤマハへのスイッチや毎年参戦資金で脳みそから
汗がでることばかりだが、ヤマハで250ccのタイトルを獲った年の後半は
500ccクラスの挑戦を考えていた時はヤマハといい関係であったことに加えて
フィリップモーリス(チェスターフィールドブランド)もゴロワーズも
ウエストもかなりいい条件の話を持ってきて、色々な意味でいいシーズンオフ
だったということを思い出しながら話してくれた。

 当然のことながら、その広告ページにサインを入れてもらう。
彼にとっても、そんな会話や思い出話がうれしかったのか笑顔ばかりの
時間であった。

 モウリス・ビュラが亡くなって、ずいぶんになるが彼が私のフランス語を
褒めてくれたり、私が知らないがいいライダーのことを紹介してくれたり
したときのこと(私は99年のスーパーバイクのオーストリアラウンドで
ジョバンニ・ブセイのことを知った)があったり、思い出が尽きないが
映画監督が亡くなっても素晴らしい作品は残り、多くの映画ファンが世界中
で素晴らしいシーンや良質の脚本などを語り合うように彼が残してくれた
本を持ってきたことによって、楽しい時間が過ごせるというのは
天国でフォトグラファーとしてきっと喜んでくれていると思う。
(彼への追悼ブログはこちらhttps://yasumarzo.diarynote.jp/200509272231330000/

 彼が亡くなった後のグランプリで彼に対してレース前に黙祷があった時に
国際映像は違うサーキットの場所を映していたが、若いライダーや関係者
は知らなくても、ある年代以上の人たちは彼の業績や人柄を偲びながら
彼との永遠の別れを惜しみました。

その後、シャークヘルメットの連中と会ったり、nolanヘルメットのスタッフ
とうだうだ話して過ごしているところにこれまた長い付き合いのエルフオイル
のジャンジャック・ユトゥールが登場。長い付き合いで今年の鈴鹿八耐で
会えなかった人たちと会えて楽しい時間を過ごしました。

 モウリス・ビュラの残した偉大な写真集や作品の素晴らしさを感じたり、
再会を喜んだりした木曜日のもてぎでした。
dopo lunghissimo discorso fra Lucio Cecchinello e il figlio della honda
Takaaki Nakagami e sono d’accordo il rinnovo contratto per la partecipazione
alla classe regina nel 2020

il pilota giapponese e’ molto importante per la casa madre
sicuramente la honda vuole il pilota giapponese per il mercato in giappone
anche in asia perlomeno altri piloti giapponesi non possono arrivare
alla classe MotoGP

allora la honda non tiene altre schieda per il discorso fra la team LCR e
la Honda quindi Nakagami ha l’appoggio dalla casa di honda

e poi gli ultimi anni lo sponsor e’ la casa petrolio che si chiama idemitsu
la questa casa ha fatto sostanzioso appoggio economico per la squadra
e l’attivita’ del pilota nipponico

la team la honda e nakagami hanno annunciato "la team si chiama
LCR honda idemitsu" e con questa squadra partecipa nakagami

ho capito non cambia mai la squadra la motocicletta’ e il sponsor
principale

pero’ hanno dovuto discutere tanti mesi e hanno dovuto credere di
contratto tantissimo

qui in giappone ci sono marchi delle benzine e il numero 2 fu idemitsu
e numero 4 fu showa shell cioe’ in questo paese non esiste royal dutch
shell

allora le case devono credere di futuro vicino infatti tante case
degli automobili pensano di macchina senza benzine cioe’ il motore
degli elettorici

quindi gli ultimi anni idemitsu e showa shell hanno discorso per
creare la nuova casa e marchio "idemitsu shell"

dopo lunghissimo discorso fra di loro finalmente sono d’accordo
e ebbe integrato una casa

all’anno scorso dopo intergrazione 5 ottobre nel 2018 la borsa
costava 6.310yen al mercato di tokyo

e 15 ottobre nel 2019 costa 3.100 yen

dalla prima tappa del motomondiale nel 2019 il nakagami con il suo
manager e il manager della pubblicita’ di idemitsu hanno parlato
per il contratto del futuro vicino pero’ nel fratempo il prezzo della borsa
scende tantissimo

il mondo del motociclismo non esiste senza lo sponsor
e una casa a cui interessa sponsorizzare pero’ il prezzo della borsa
scende il manager deve credere di altre cosa

perlomeno ora il magior parte e i posti importanti della nuova
casa"idemitsu shell" ci sono manager che vengono da idemitsu
a cui interessa pagare i soldi per il futuro di nakagami
pero’ se i manager della shell cominciano agire contro idemitsu e
contro nakagami cosa succedera’?

l’annuncio ha fatto pero’ la nuova stagione agonistica di nakagami
deve credere di soddisfazione della idemitsu shell se mancasse
la risulta’ come lo sponsor voleva ci sara’ anno nero nel 2021
 最高峰クラスで走る日本人ライダーというのは日本の市場やメーカーに
とって重要度が高い。しかしながら、成績やスポンサーシップや業界内政治
によって翌年の活動がどのカテゴリーでどういったマシンやパッケージングに
なるのか不透明だったりする。契約間近と言われながら中上貴晶がチームや
メーカーとの長い交渉の末にようやく話がまとまり、オフィシャリーに
彼の2020年の活動が発表になりました。
https://www.as-web.jp/bike/532470?all

 彼が所属するチームはLCRチームイデミツと話していますが、果たして
この名前通りのエントリーになるのでしょうか。

 日本人のエネルギー産業に関わるひとや取材対象としている人はご存じ
でしょうが、出光と昭和シェルとの経営統合が話題になり、大枠で
合意しながらも、なかなか細部の部分でまとまらなかったり、人事や
金額のやり取りで難しい局面に陥ったりしていました。

 企業の近い未来がそうなっている時になかなかレース活動のサポート
という部分でビッグマネーを動かす時に迅速な動きであったり、
契約書の作成などは当然難しい。

 さらに中上はいいライダーではあるが、少なくともウィナーズサークルに
入っていない状態であり、地上波放送がなくて、レースファンだけが
レースを見ている状態なので、そこに莫大な額のお金の投資というのは
難しい。

 そんな状況下で株価の下落が続いていたら、なかなか話も進まないはず
です。
https://diamond.jp/articles/-/193051

 まぁ、何とか契約がまとまったのですが2020年は彼にとって正念場
でしょうね。出光とシェルの皆さんの莫大なスポンサーマネーに感謝
しながら、一年前の6310円だった株価が3120円になっているのに
スポンサードを継続してくれる決定をしてくださった方々の思いと
期待に応えるために頑張らないといけない新シーズンですね。

 
 外国人が住んでみてひどい国だとか、差別が強いとか、入管の職員
の対応がひどいという国は国際的な平和の祭典であるオリンピックや
パラリンピックをやるべきではないと思う。

 BBCを始めとする外国の報道機関に世界的な共通言語である英語で
日本のひどいところや闇の部分が発信されるということは私はいいことだと
思っています。http://www.news-digest.co.uk/news/news/japan-news/19280-2019-09-05.html

 むしろ、ジャーナリストとして立派な仕事をしていることの
証明であったり、きれいなこと、素晴らしいところばかりを取り上げて
報道するのは良くないことだと考えています。

 日本にはいいところもありますが、外国人から見てひどいところが
あって、外国人をとんでもない扱いをしているところもあるので、
ひどすぎるのであればIOCがこんなところでオリンピックやパラリンピック
などはやるのはまずいという判断が働くと思います。彼らが考えている
開催都市の条件にはインフラや政府のバックアップということ以外にも
重要視しているところもあると思います。

 そんなわけで、以前大阪オリンピック、パラリンピックの招致活動
がされた時に私はこんなバリアフリーとは程遠い当時の大阪では
パラリンピックにまったくふさわしくないと思っていて、実際に落選
したのですが、それは当然だと思いました。

 外国人技能実習生の問題や入管での外国人のハンスト(そして、死亡)
に関して、日本以外の国の人がその情報を入手した時にオリンピック、
パラリンピックの開催にふさわしくないと考えるかもしれません。

 そう思いながらも、じゃあ何故、東京が開催都市に選ばれてマドリッド
とイスタンブールが落選したのだろうかとも考えてしまいます。

 スペイン政府のカタロニアとの関係性やらバスクの問題というのは
長く報道されています。非常に明快にわかりやすかったり、特に
ヨーロッパの人には伝わりやすいことですね。そこでスペインのマドリッドで
の開催に関して反対して他の都市の方がいいやと思うかもしれません。

 トルコのイスタンブールはどうなのかというとこれがシリアに対して
の武力を用いた行動というのは多言語で報道されています。まぁ、
トルコ政府がきれいごとや彼らの正義を言葉にして発信してもを
平和の祭典にふさわしくないなと考えるIOCのメンバーは多いことでしょう。
https://www.afpbb.com/articles/-/3248768

 日本にもひどいところも悪いところもあるが、マドリッドやイスタンブール
の名前を書くのには抵抗感があるという人が東京を選んだような気がしますね。
あるいはスペインやトルコの闇の部分やまずいところの方がIOCのメンバー
に深く理解されていて、日本のそれはあまり伝わっていないから東京が
消極的な支持を得ることができた気がします。

 東京が勝ったのではなくて、他のニ都市が負けてしまったということを
最近つくづく感じています。

 

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