先日、スーパーバイク世界選手権とイタリア選手権のミザノ
アドレアティコを終えて、リミニの空港からスカイヨーロッパ
(detail at www.skyeurope.com)でコミコミで47ユーロで
プラハに戻ってきました。

そこで知ったのがリミニの空港の名前ですね。

イタリアという国では道やら広場に過去の歴史上の人物の
名前をつけることが結構あるのですが、同じようにエアポート
にもある映画監督の名前がつけられていました。

そう、リミニのエアポートは

l’aeroporto di rimini federico felini
リミニ フェデリコ・フェリーニ空港という名前になっています。

まぁ、リミニのティべりオ橋から少し路地を南にいくと
フェリーニのかつての作品の一シーンがアパートの壁面に
描かれていたりして、リミニで生まれたイタリアの天才
映画監督に対する気持ちの強さが形として残っていたり、
ビーチに近い広場がやはりフェデリコ・フェリーニ広場という
名称になっていたりと彼の業績を記憶だけにとどめずに
記録しているのが、リミニのローカルガバメントのやり口
だなと思うのですが、空港の名前もあの巨尻好きの監督の
名前が付いているとは思わなかったです。

ミラノはルキーノ・ヴィスコンティ空港という名前でも
いい気がするのは私だけでしょうか。
機内への持ち込み可能な液体が100MLまでになってしまい、
ここのところ、おいしいワインを持って日本に戻ろうとか
チェコビールを買って、帰国しようにもできない状態に
なってしまっています。

ドバイの空港の免税店のレベルは高いとは思うのですが、
高くていいワインや知られているブランドが並んでいて、
いかにも名古屋人が好みそうな安いけれどおいしいワインやら
知られていないけれどうまい商品はありません。

ビールもハイネケンとかフォスターズはあるけれど、
チェコの商品はないですしね。

どうもアルコール関係に従事していて、観光客の購買量が
結構な割合を占めている会社はかなり大変だし、私のような
消費者も割りを食っちゃっているなと思う今日この頃です。
まぁ、ヘイデンもメランドリも鈴鹿に来ないとなると、
トーズランドとチェカかなと思ったりするのですが、
今に至るまで発表がないまま、月火と鈴鹿での合同テストが
ありました。

私は現場に行っていなかったのですが、SBKのライダーだったら
スケジュール的にも少しは来やすい状況だったわけで、
最終決定に至っていないことが状況からよく理解できます。

有力なライダーでMotoGPで走っている連中となると、
ハードスケジュールと800になってからホンダの劣勢ぶりなど
を頭に入れると日本まで往復して、湿度が高く、くそが
付くほど暑い鈴鹿に来たくないというのが本音だと思います。
エリアスが負傷してしまい、誰が代役になるのだろうか。
うわさとしてはSBKでテンカーテホンダに乗るトーズランドや
ロルフォ、DFXホンダのファブリッツィオといったところの
名前が挙がっていますが、同時にブリヂストンのタイヤで
テストしたこともあるホッジソンのことやら、ドイツという
場所ではドイツ人ライダーの名前も挙がっています。

wait and seeで、発表を待ちたいと思います。
ドゥカティの排気量1200への移行を求めていたときに、
アルスター代表のフランシス・バッタはこう言いました。

『もし、そんなレギュレーションが認められるならば、スズキ
は来年、ここにはいない。』

さらに、『我々はMotoGPも視野に入れている。ビアッジは
ヴァーミューレンやホプキンスよりいいライダーだ。』
と加えていました。

まぁ、色々な思惑と作戦が入り乱れてこういった発言になった
ようですが、1200の導入が付加条件つきで認められるのと
タイミングを同じくして、来季のコロナアルスタースズキの参戦
を口にしました。

コロナカラーのスズキのリッターバイクが来年もSBKのパドック
で見られます。
嫌な思いだけが残ったレースの後には気分転換が必要なのでしょう。
テニスのウィンブルドンの会場にヴァレンティーノ・ロッシが
顔を出していました。

レース界の王者は実はテニス界の帝王のロジャー・フェデラーと
仲がよくて、普段から連絡を取り合っているような関係でして、
ジャンルは違っても世界の頂上に立つものだけが分かり合える
ものが存在するようです。

昨年のオーストラリアで決勝戦の後の勝利者インタビューで
『今回も勝つだろうと思っていた人が多かったと思うけれど
そんなに簡単なものではないんだ。』と生みの苦しみを言葉に
した後涙を見せたフェデラー。

常勝チャンピオンだが、車体、エンジン、タイヤが高いレベルで
マッチしないと勝つことができずに、フラストレーションが
ためているロッシ。

勝つものだけが理解できる喜びと同時に苦しみやつらさも
分かり合えるからある種の友情が成立するのでしょう。
125gp

ritorna giele perino sulla moto di ottavo di litro
subito era forma
la battaglia era duro fra lui e nipote biaggi
(babbo pietro biaggi sta alla pista romagna)
pero’ ha vinto lui

supersport

massimo roccoli dominava alla pista della casa
alla qualificazione e domenica pomeriggio subito
ha commandato e tiene il grande vantaggio
tutti altri non possono sostuire il pilota di misano
e senza nessun problemma roccolino ha vinto alla sua pista
il secondo arrivava cruciani con la honda cbr
e terzo gradino vizziello sulla r6 yamaha

stock 1000

venerdi pomeriggio e’ caduto il pilota comsasco
claudio corti sulla la sua velocissima r1
ha perso il protagonista della questa categoria

domenica pomeriggio ancora faceva caldo e
la situazione era duro per la moto di massima cilindrata
sulla questa pista la metzeler ha trovato la ottima gomma
e dominava il primo e dal terzo fino sesto
ha vinto dionisi sulla suzuki 1000 e secondo
pirro con la r1 poi toti della altre yamaha r1

superbike

marco borciani non ha nessun problemma sia qualificazione
che la gara
infatti sempre guidava tranquillamente e teneva il vantaggio
abbastanza
la domenica vittoria fatta il bresciano della steril garda
ducati

il secondo altre ducatista norino brignola poi terzo
hondista conforti della cbr1000
シーズン当初からクラッシュが多く、あのあきらめの悪い男が
地元のフランスGPを休むくらいだったのだから相当に色々と
いたんでいるのだろうと思っていましたが、ここに来て引退の
発表をしました。

まぁ、体のことですから本人にしかわからないので、周りが
まだまだやれるのにと言ったところで、走れることにはなりません。

彼との間には色々な思いであり、様々な忘れることができない
レースがあります。

98年のホンダのバイクがアプリリアワークスの大きく
遅れを取り、コーナーで頑張りすぎてクラッシュしたこと多数。
シーズンが進むごとにクラッシュの数は増え、髪の毛の本数は
減っていく姿を近い場所で見ていました。

彼のレースで一番印象深いのはその98年のフランスですね。
この前の週のイタリアで高速コーナーでクラッシュして、
走れるのかどうか疑っていた私でしたが、ポールリカールに
満身創痍でやってきた彼が素晴らしい予選のアタックと
決勝のレースを見せてくれました。

勝者とは別に英雄が存在するそんなレースがこの時のフランス
でした。レース終盤私は涙が止まらなかったです。

そんな彼と彼のチームがメーカーを代えて2000年シーズンに
250で世界チャンピオンとなり、自分のことのように喜び
ました。

シーズン終了後の初めての500のテストが鈴鹿であり、
祝福に行って言葉を交わしたときのことを今も覚えています。

そんな彼が2スト500と4スト990の戦いに必死に挑み、
クラッシュを重ねて、そして、レギュラーライダーに戻った
今季も転倒が多く、こういう決断を出した。

高いレベルで戦えないと自分の体が悟った時に潔く
決断を出したというべきか、もう体が言うことが聞かないから
ここでやめてしまわないといけないと思って判断したと言うのか
何とも言えませんが、今はゆっくり休んで欲しいというのが
割に近場で見ていた私の率直な気持ちです。
ミザノでのスーパーバイク世界選手権を終えた
サーキットにバイクとマテリアルのすべてをおいて
テストに臨んだのがチームライトスピード。
そのチームで今回カワサキのスーパースポートマシンを
テストしたのが何とアルノー・ヴァンサンでした。

まぁ、両者の近い将来に考えていることが一致してのジョイント
ということでしょう。

今季スーパースポートで走る話が頓挫してしまったヴァンサンが
来年に向けて就職活動をするのは当然です。

そして、ダビデ・ブレガが来年は二台体制で戦うべく動きまわって
いて、レベルの高いライダーを探しているのもロジカルなこと
でしょう。

今回はテストのみでお互いが模擬試験をやっているようなもの
でしたが、これからの動きに注目です。
olivier jacque ha deciso di smettere guidare la moto
della MotoGP
ha annuciato il suo ritiro della gara

dalle prime gare della questa stagione
e caduto tante volte e poi non poteva ricuperare come
preferice cioe’ non poteva stare ottimi condizioni fisici
e sentiva difficolta’ la moto con piu’ di 200 cavalli

allora olivier rimane alla kawasaki solamente come
il collaudatore e il supervisor per la casa di akashi

la decisione era sicuramente dura per il pilota francese
infatti lui e’ sempre il pilota determinato
corre con il grande agonismo
io non posso dimenticare la sua bellisima gara
sopratutto il suo giro a le castellet nel 1998
il condizione ficische erano troppo peggio
peggio ancora la sua honda ufficiale era lento
(sulla lettelinea era 20chilometri piu’ lento delle moto
dell’aprilia ufficiale)

non poteva vincere davanti agli suoi appasionati pero’
ho capito bene
questa gara il vincetore era il harada pero’
il vero eroe era olivier jaqcue

poi lui e la sua squadra cambiava il marchio e
ha dominato la stagione nel 2000 con la yamaha 250

prima di vincere ha caduto tanto
poi sentiva difficolta’ girare la sua moto 2tempi
500 insieme con 4tempi 990

e ancora cominciava cadere perche’ doveva spingere
troppo per vicinare ai primista con 4tempi 990

allora ancora ha l’agonismo pero’ ormai non puo’
guidare la moto con piu’ di 200cavalli
bisogna riposare lui

e peccato pero’ il tempo da decidere
gia arrivato
tanti appasionati volevano il suo giro ancora
pero’ lui ha capito il suo fisico
dobbiamo essere convinto della sua decisione
ex 125 campione del mondo
arnaud vincent guidava la kawasaki 600 della davide bulega
alla pista di misano
questa notizia mi faceva sentire la sorpresa pero’ sia
pilota che la team volevano ottimo condizione

arnaud vincent pensa di girare la moto di 600
al campionato mondiale di supersport nel 2008

la team di davide bulega crede di due moto con
il livello alto al campionato mondiale all’anno prossimo

tutti due volevano ottima schieda sotto il condizione
presente e vorebbero ottimo schinario per il futuro vicino

ancora non sono sicuri cominciano partecipare all’anno
prossimo oppure no
comunque vediamo
今朝のレース関係のメディアのトップはアンソニー・ウェストが
イギリスGP以降カワサキのMotoGPマシンを走らせるというもの
でしたが、特にジャーナリストが力点を置いて書いていたのが
ヤマハSSPチームとの契約を破棄して、違約金を払ってフリーの
身にして、カワサキの話に乗ったというものでした。

ウェストがそれほどマシン的に競争力のないアプリリアの
250で走っていて、もったいないと思っていたチームや
メーカーは多数ありました。

ケビン・カーテンの復帰が長引き、ヤマハのR6を走らせて
欲しいと思ったのがドイツヤマハでして、モンツァラウンドに
おいて、一戦の契約を結びました。

このモンツァでアンソニーは三位という成績を収め、
ドイツヤマハサイドはシーズンエンドまでの契約を考え、
その契約をお互い納得して完了しました。

そして、イギリスのシルバーストーン、イタリアのミザノと
雨でもドライでも速さと強さを実証したのですが、
この二戦の間にカワサキのMotoGPライダーのオリビエ・ジャック
が負傷してしまい、代役でテストライドをしていました。

そこでカワサキは彼の最高峰マシンと4ストバイクに対する
順応性を評価して、今後のレースでの走行を持ちかけたのですが
そこで壁となってくるのが、ドイツヤマハとの契約でした。

アンソニーは相当迷ったようですが、三戦走ったスーパースポート
より、テストでしか走ったことのないMotoGPでの挑戦を選び、
違約金を用意して、ヤマハサイドに払いイギリス以降の
カワサキでの仕事を選びました。

何とも言えないのですが、こういったことをすると、
他のメーカーやライダーは契約書の重みを感じていない
ライダーと理解して、近い将来に話を持っていきづらいのは
確かだと思います。

ライダーとしての能力の高さはあるのでしょうが、もし
カワサキでの走りが失敗に終わった場合、彼の行き先が
どうなるのか気になります。大きな決断をしたのですが、
その決断がどうなるのかイギリス以降の彼の走りが気になります。

west goes east

2007年6月21日 スポーツ
il pilota austrarliano anthony west salira’
sulla moto della kawasaki MotoGP alla questa fine
settimana

poi ... non ritorna sulla moto di yamaha r6
dopo aver girato a monza la yamaha (non la iwata
anzi la yamaha germania)preparava il contratto
fino alla gara di magny cours e firmava lui

e anthony ha fatto bellissime gare sia silverston
sulla gara bagnata che misano sulla gara asciutta

nel fratempo il pilota francese olivier jacque era caduto
e si faceva male
la kawasaki MotoGP preparava l’opporutnita’ da fare il test
a barcelona

anthony ha girato e ha vinto lui gli ultimi due gare
sulla r6yamaha anzi ancora non guida al periodo della gara
pero’ ha pagato abbastanza tanto alla yamaha germania
e ha deciso di salire sulla kawasaki MotoGP

ho capito che lui voglia girare sulla moto della classe
regina
pero’ questa decisione non va bene per il suo futuro
vicino e lontano

cioe’ tutti marchi e team a cui interessa questo pilota
pero’ non posson fidarlo
perche’ non pensa che sia importante il contratto

comunque west goes to east dove c’e’ la kawasaki
se non puo’ girare bene sulla kawasaki
penso che sara finito la sua carriera
イギリスのシルバーストーンのレースの後、フランスのカレー
に泊めていたチームアルトエボリューションのバイク、パーツ
など一切合財入っていたカミオンが盗まれてしまったのですが、
この一件にはチームの売却と新体制作りに関するごたごたが
原因になっているようです。

ベルトッキの親父さんというのは、私は会えば親しく話を
するような仲であり、カワサキからホンダへのスイッチと
新体制による07年シーズンの参戦がうまくいけばいいなと
思っていたのですが、何ともブルーになるニュースが入って
きて、このことによるイメージの低下ははなはだしいものが
あります。

バイク自体も警察の監視下に置かれている事もあって、
ミザノでの参戦はできなく、チームに不透明感が漂って
います。

走るバイクがなく、先行きに不安を感じたライダーが
他のチームと話し合いを持ったのも当然だと思います。

いやはやという感じですね。

同時に先週末のミザノでDFXのファブリッツィオが二レースとも
にエンジントラブルで早々に戦列を離れてしまいましたが、
これも腕のあるエンジニアが時間とお金をかけてエンジンを
メンテナンスしていないというか、そうしたくてもできない
チーム事情が引き起こしたトラブルだったと思えて仕方
ありません。

実際、マーティンの離脱というのは、お金が入らない、
エンジニアもいなくなる、果てにはライダーサイドがお金を
用意しなければ今季走れないことになりそうだということに
なって、彼はチームを抜けたということに発展しました。

モータースポーツは金のかかるスポーツで、その競技を
やり続けるには情熱や夢以外に必要なものがあると思うのですが
どうもイタリア人にはオーガナイズ能力の欠如を感じてしまう
私です。まぁ、大口のスポンサーが決まっていたのに、
当該のスポンサーが急に降りたりしたらいい体制をまとめ
たくてもできなかったのかもしれませんが。
カール・フォガティが来場。

 どういうわけか今回ミザノに帝王フォガティが来ていました。
直後に来年以降のレギュレーションの発表があったのは、メーカー
各社との話し合いのためだったのでしょうか。

 
ルーカ・スカッサ スポット参戦。

 STK1000を昨年まで戦い、今季は戦いの場をアメリカに移した
ルーカ・スカッサがMVアグスタでSTK1000で走っていましたが、
これが彼らのテントにはなかなか近寄れない空気感とオーガナイズ
でした。開発に力を入れている部分と同時に何かを試している
空気が横溢していました。

ヴァレンティーノ・ロッシが見物。

 まぁ、実家がペーザロなので来ていて当たり前でしょうが、
スクーターを借りて、コースサイドでヤマハをウェアと
どういうわけかダイネーゼのヘルメットをしたロッシが
カメラに捕らえられていました。

STK600で大クラッシュ

 久々に大きいクラッシュを見ました。二台がとんでもない
ことになってしまい。そのうちの一台は観客席に飛び込む
ありさまでした。200馬力のMotoGPマシンがコントロールを
失ったときのことを考えてしまった業界人が多数。

スティーブ・マーティン、カール・ムジェリッジなど
就職活動中。

 マーティンがステリィルガルダドゥカティのボルチャーニと
会談を持った模様。同時に他のチームとの話し合いもしていた
ようです。ベルトッキのとんでもない一件でこのレースを走れず
にいたムジェリッジも今回来場し、関係者にあいさつ回り
していました。
アンソニー・ウェストが雨のシルバーストーンを制して
翌週にはカタロニアグランプリの250をライディング。その
レースの翌日はカワサキのMotoGPマシンをテストして、
イタリアのミザノアドレアティコに再びヤマハR6をライディング
することになった。

シーズン序盤はホンダとソフオグルの圧倒的な速さと強さ
ばかりが目立ったシーズンであったが、予選を始まって
感じたのが、少なくともこのサーキットにおいて、各マシンと
ライダーの差が少ないことであった。ダビデ・チェカの話では
ここはアッセンと同様で成績やタイムに関してライダーのスキル
が占める割合が多いとのこと。となると、序盤のソフオグル
の強さは彼の操るホンダの600が強かったのかなと思えてしまう
ほどの予選の混戦ぶりである。

二回目の予選を終えて、ヤマハのパークスがPPであったが、
二番手のウェストと二十番手までが一秒以内にひしめく
壮絶な予選であり、上手くいけば二番手だが、コンマ数秒
の違いでグリッドポジションがとんでもなく後方になる
激しい戦いであった。

レースウィーク中目だったのがヤマハ勢の速さ。年に何回かで
あるがあのチームのサスペンションエンジニアがとんでもなく
セッティングを決めて、馬鹿あたりすることがあって、それが
今回だという声があちらこちらから聞こえてきた。二年前の
ラウジッチユーロスピードウェイのようなことがここでも
起きるのだろうか。

決勝が路面温度52度でスタート。先頭をウェストが奪い、
それをジョーンズとフォレが追いかけていこうとしたときに
ジョーンズとフォレが接触。私にとってはジョーンズが
レース序盤なのに気持ちが強く入りすぎていて、無駄な
アクシデントを引き起こした気がして仕方がなかった。
まぁ、穏やかな人たちで私に丁寧に接してくれるあのチームの
人たちの荒れ方は半端でないものだった。

そのアクシデントの翌週はドゥカティのマシンがオイルを
撒き散らしてリタイヤ。そのせいで赤旗中断となり、レースは
二ヒート合算タイムで計算されることとなった。

第二ヒートであるが、何とかトップに立って、逃げを打ちたい
ソフオグルであったが、それを割りに簡単に攻略したのが
ウェストのヤマハ。彼が苦しむことなく、取り立てて
プッシュしているように思えないのだが、ハイレベルの
走りを続けると後続は小さくなる背中を眺めるだけ。

パークスが少し離れて二番手を走行。その後ろから三番手
争いを藤原、サンナ、フォレス、ロッコリ、ソフオグルなどが
展開。とりわけサンナのアグレッシブな走りは見ていて楽しく、
レースを盛り上げてくれた。

中盤以降、ウェストは単独走行。二番手にパークスだが、
これをソフオグルが懸命に追いかける。四番手以降に
藤原、サンナ、フォレス、ロッコリとなり、マシン的に苦しく
なったのか、サンナは現状維持でチャンスがあれば仕掛ける
という単調なレース展開になったところでロッコリが
十分なマージンで抜ける時にしっかり抜く冷静さを披露。

結局、誰にも脅かされることもなくウェストが前回のイギリスの
レインレースに続いて、ここイタリアのミザノでドライでも
強さと速さを見せて連勝となった。

二番手争いは最終ラップまでもつれたが最後の最後にパークス
が根性を見せて二番手を奪い取り、ヤマハSSPの1−2フィニッシュ
となった。三番手にはソフオグルで、リタイヤしたフォレに
十分なマージンを取ってブルノ行きとなった。
やはり今年ただひとつの開催となったエミリアロマーニャ州の
レースでドゥカティが負けるわけにはいかない。プレッシャーも
あるが、やりがいもあり、タイトル争いを考えるとここでしっかり
勝って後半につなげたいベイリスとドゥカティ陣営であった。

序盤トップグループを形成したのがコーサー、芳賀のヤマハドゥオ。
そして、ゼロックスドゥカティのベイリスとビアッジだったが、
ビアッジはミスを犯して、チャウス、トーズランドらの先行
を許してしまう。

ヤマハ二台とドゥカティの争いだったが、徐々にコーサー
が遅れ始めてしまい、ベイリスと芳賀のマッチレースに。
前半の遅れを取り戻すにはビアッジのタイムは悪くはないが
スペシャルなものではなく、中団グループを抜けたあとは
単独走行に。

ベイリスは高いレベルの走りをしていたが、そこでひるまずに
戦いを挑むことができていたのが芳賀であり、元気な走りを
この難しい天候(路面温度が45度を超えるレースが何度
あるのだろうか)のなかで見せていたが、残りラップが
わずかになったところでベイリスのラストスパート。
これに抵抗しようとしたヤマハライダーだったが、ついていけずに
最後はベイリスの一人旅。これで連勝となった。

圧倒的に勝って見せたベイリスとドゥカティは今回のミザノで
輝くことができず凡庸な走りしかできなかったトーズランドに
差を詰めて、ブルノを迎えることになった。
ドニントンが遠い過去のことに思える私である。
まぁ、なんと言えばいいのやら。これもレーシングアクシデント
だと一言で片付けられないことがあったミザノでした。

ポールはヤマハのトロイ・コーサー。しかしながら序盤から
ハイスパートの争いをしたのは、メーカーの地元で気合十分の
ドゥカティのトロイ・ベイリス。そして、差のない状態で
追いかけるのがヤマハの芳賀とスズキのビアッジ。少しはなれて
ポイントリーダーのトーズランド、チームメイトのロルフォ、
ファクトリードゥカティのランツィと前年モデルのドゥカティの
チャウスが中団を形成する展開。

四番手以降が離されていく中、オージー、名古屋人、ローマ人
が激しいドッグファイトを展開。くそがつくほど暑い中で、
ハイスパートでタイヤはどうなるのか心配を抱きながら
見守っていたところで終盤にとんでもないドラマが。

芳賀のインを突いて二番手にあがろうとしたビアッジだったが、
仕掛けが急すぎたのか、あせりがあったのか、コーナーリング
を終了としかけていた芳賀に追突。

両者ともにサンドトラップに弾かれてリタイヤとなった。

最終ラップのドラマを期待していた多くのファンにとって
とても残念な結果となってしまった今回のレースであった。

これで敵のいなくなったベイリスは優勝で、レース1を終了。
イモラがなくなり、唯一のエミリアロマーニャ州のレースを
奪いポイントテーブル上もトーズランドを追いかける状態で
レース2へと向かうこととなった。
パリのロランギャロのバトルが繰り広げられている中、
私はチェコのプレロフの女子の七万五千ドルのチャレンジャー
に行っていました。

私の知っているプレイヤーが参戦しているのがその理由ですが、
それ以外に気になったプレイヤーをご紹介したいと思います。

決勝でマッチポイントを三本も握ったにも関わらず負けてしまった
ザコパローバ。名古屋のスポーツデポでルキシロンのストリングス
を眺めていると、クララ・クーカローバがレコメンドする
ストリングスと顔写真入りのシールが貼ってありますが、
結婚してザコパローバという名前になったのが彼女です。

私は二年前の五月のプラハオープンで彼女のプレイを見ていて
やる気がないのか、力が抜けすぎているような印象を受けて、
なんだかミュージックステーションのタモリの司会を思い出した
のですが、相変わらず、リターンの時はやる気がなさそう
(に見えてしまう)半立ちで力を抜いた状態からフラットで
威力のあるショットを叩いていました。

不調の時はネットにかかってしまい、好調だったら、それが
相手のコートの奥に突き刺さりエースとなる彼女のスタイルは
名前が変わっても変化なく、そのままでした。

そんな彼女がキレキレだったのがセミファイナル。ポイントの
ほとんどが彼女のエースが大部分。彼女のエラーが少々。
そして、彼女のボールに押されて相手がミスすることで
得られたポイントが存在するという試合で、改めて彼女が
好調だったら誰も止められないなと思いましたね。

そのザコパローバにやられてしまったサッラーニでしたが、
彼女の二回戦とQFの試合は見事でした。二回戦ではクレイノーバ
が走れないと見るとゆるいボールとドロップショットを織り交ぜて
翻弄し、ゲームを支配して勝利。

QFではオンジャラスコーバとの激しいバトルになり、競り合いの
中で欲しいポイントが取れずに第一セットを落としてしまい、
セカンドセットもツーサービスダウンで0−3まで行き、
これでこのまま終わりかなと思いました。

しかしながら、ここで中ロブでゆるいリズムを作り、相手の
ボールが浅くなったところを回り込んでフォアのストレート
と逆クロスで叩き込むよりアグレッシブな展開を試み
オンジャラスコバのゲームプランを破壊することを試み、
それを成功させました。

今までやってきた本来の戦略を競り合いながらもセットを落とし
さらに敗戦がリアルなものに感じた時に、捨て去り、違った
形でゲームをデザインして、それを突き進めていったところに
リスクを恐れず、変化を求めた彼女の強さを見ました。

第二セットを奪い、最終セットはベーグルで奪って、敗戦
必至の試合を逆転勝ちした姿は見事なものでした。

彼女のコーチもセカンドセットが0−3になった時点で
もう今日はだめだとあきらめたいたほどですから、この
逆転勝利は彼女の頭とあきらめの悪さが生み出したミラクル
だったと思います。

グランドスラムとは違い、お客さんも大体五十人ほどしかいない
ところでしたが、ザコパローバの本来持っている力と
エッラーニという新しいプレイヤーを見られてハッピーだった
私でした。
女子の決勝も男子の決勝も結果は予定調和であったに
思えるが、決勝に至るまでの過程は実にいろいろなものが
まざりあったもので、まっとうでないものが見られて面白
かったですね。

まぁ、勝とうという意思が強く、手に入れたチャンスはしっかり
モノにして、しぶとく走ることができるプレイヤーが
相手の放つショットを拾い、返し、幅を広げて、頭の中で
デザインした戦略を具現化していた割合が他のプレイヤーより
多かったのがエナンであり、ナダルだったと思います。

さぁ、これからはウィンブルドンです。

< 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 >