厳しい寒さの後には春が訪れる。我慢の時が来ている
2009年5月3日 スポーツ難しい時期に来ている今のドラゴンズ。そのドラゴンズが今、生みの苦しみを
味わっています。
まぁ、投手陣が良く投げている時に打てなくて、打撃戦になったときは打ち負けて
と悪いスパイラルに入っていますね。
ただ、この今の時期の戦いというのは何かを生み出すための陣痛だと思って
います。
これから五年先まで谷繁がプレイできるとは思えない。
そうなると、近い将来のことを考えながら控え捕手を起用しなければいけない。
そこには、間違いを犯しながらも勉強していく必要があるでしょう。
また、ブランコも今年が一年目です。
最強助っ人のバースだって一年目のシーズン当初から打てたわけではない。
長い目で見ながら、雪や雨の後に美しい花が咲くことを考えながら、
見守らなければいけないのでしょう。
味わっています。
まぁ、投手陣が良く投げている時に打てなくて、打撃戦になったときは打ち負けて
と悪いスパイラルに入っていますね。
ただ、この今の時期の戦いというのは何かを生み出すための陣痛だと思って
います。
これから五年先まで谷繁がプレイできるとは思えない。
そうなると、近い将来のことを考えながら控え捕手を起用しなければいけない。
そこには、間違いを犯しながらも勉強していく必要があるでしょう。
また、ブランコも今年が一年目です。
最強助っ人のバースだって一年目のシーズン当初から打てたわけではない。
長い目で見ながら、雪や雨の後に美しい花が咲くことを考えながら、
見守らなければいけないのでしょう。
シュムルツが来た。やっと来た。
2009年5月2日 スポーツオランダでのスーパーバイク世界選手権でヤクブ・シュムルツが初めての
表彰台をゲットしました。
125㏄で世界に現われて、250㏄での難しいシーズンを送り、様々な話が
ある中でドゥカティでスーパーバイクを走ることを選んだ彼ですが、
予選でいいところを見せてくれたものの、決勝で出遅れて、順位を落とすことが
多かった彼ですが、ようやく決勝レースで思うような走りをして、キャリア初の
表彰台をゲットしました。
まぁ、彼とは長い付き合いになりますが、素直にうれしかったですね。
彼の親父さんがやっているチェスキーブデヨビッツェのjech smrz honda
というショップに行った時に親父がホンダのショップをやっているから、
当然ホンダのマシンで走らないと駄目なのかなと思いつつ、そのことが
彼の可能性を狭めていると思ったことがありました。
また、彼が250㏄クラスで走っていた時に、オランダのチームでプライベート
マシンプラスダンロップのスタンダードタイヤで走るのに20万ドルを
払っていたという話を聞いていて、そのお金があるならば、スーパースポート
やスーパーバイクで走る方を選んだほうがいいのにと思ったことが
ありました。
彼は250で走り続けて、時に速さを見せましたが、ファクトリーバイクの
速さの絶対値の違いから、中団グループでの走りを余儀なくされ、
ホンダ系のチームからアプリリアでマウロ・ノッチョリのチームで走る
ことになるものの、今二つの走りとなり、スーパーバイクの方に舞台を
移し、予選で目を見張る速さを見せてくれました。
その彼が予選だけでなく、決勝でも速く走れるとなると、多くのライダー
にとっては厄介なライバルが出てきたと思うことでしょう。
さて、シュムルツが満タン状態でも、思い描いている走りができるように
なった時に何が生まれるのか、楽しみです。
シュムルツがやっと来たなぁという思いを抱いている私です。
表彰台をゲットしました。
125㏄で世界に現われて、250㏄での難しいシーズンを送り、様々な話が
ある中でドゥカティでスーパーバイクを走ることを選んだ彼ですが、
予選でいいところを見せてくれたものの、決勝で出遅れて、順位を落とすことが
多かった彼ですが、ようやく決勝レースで思うような走りをして、キャリア初の
表彰台をゲットしました。
まぁ、彼とは長い付き合いになりますが、素直にうれしかったですね。
彼の親父さんがやっているチェスキーブデヨビッツェのjech smrz honda
というショップに行った時に親父がホンダのショップをやっているから、
当然ホンダのマシンで走らないと駄目なのかなと思いつつ、そのことが
彼の可能性を狭めていると思ったことがありました。
また、彼が250㏄クラスで走っていた時に、オランダのチームでプライベート
マシンプラスダンロップのスタンダードタイヤで走るのに20万ドルを
払っていたという話を聞いていて、そのお金があるならば、スーパースポート
やスーパーバイクで走る方を選んだほうがいいのにと思ったことが
ありました。
彼は250で走り続けて、時に速さを見せましたが、ファクトリーバイクの
速さの絶対値の違いから、中団グループでの走りを余儀なくされ、
ホンダ系のチームからアプリリアでマウロ・ノッチョリのチームで走る
ことになるものの、今二つの走りとなり、スーパーバイクの方に舞台を
移し、予選で目を見張る速さを見せてくれました。
その彼が予選だけでなく、決勝でも速く走れるとなると、多くのライダー
にとっては厄介なライバルが出てきたと思うことでしょう。
さて、シュムルツが満タン状態でも、思い描いている走りができるように
なった時に何が生まれるのか、楽しみです。
シュムルツがやっと来たなぁという思いを抱いている私です。
arriva kuba alla classe regina
2009年5月2日 スポーツfinalmente kuba smrz era salito sul podio
credevo che fosse buon pilota quando il pilota della rep ceca
cominciava gareggiare alla classe 250 di motomondiale
dopo le stagione duri alla 250
cambiava la sua strada per la competizione
arrivava alla classe regina di derivate di serie
subito era in forma con la moto di 4 tempi di borgo panigale
pero’ non poteva arrivare alla zona podio
lui era un protagonista della qualificazione
anzi la gara non poteva esprimere il suo valore
molto probabile con la bezina pieno
non potrebbe guidare la moto come preferisce
pero’ finalmente in paesi bassi dove la pista molto difficile
puo’ arrivare alla zona podio e arrivava al terzo piazzamento
e la prima volta sale sul podio
allora se potesse trovato una soluzione per la gara
lui puo’ gareggiare come i primista con i protagonista
perlomeno il kuba smrz puo’ girare fortemente alla qualificazione
e mancava qualcosa (forse con le benzine pieno non puo’ guidare
come vuole)per la gara
allora vediamo il nuovo kuba smrz che puo’ guidare la moto
di borgopanigale come preferisce anche domenica pomeriggio
credevo che fosse buon pilota quando il pilota della rep ceca
cominciava gareggiare alla classe 250 di motomondiale
dopo le stagione duri alla 250
cambiava la sua strada per la competizione
arrivava alla classe regina di derivate di serie
subito era in forma con la moto di 4 tempi di borgo panigale
pero’ non poteva arrivare alla zona podio
lui era un protagonista della qualificazione
anzi la gara non poteva esprimere il suo valore
molto probabile con la bezina pieno
non potrebbe guidare la moto come preferisce
pero’ finalmente in paesi bassi dove la pista molto difficile
puo’ arrivare alla zona podio e arrivava al terzo piazzamento
e la prima volta sale sul podio
allora se potesse trovato una soluzione per la gara
lui puo’ gareggiare come i primista con i protagonista
perlomeno il kuba smrz puo’ girare fortemente alla qualificazione
e mancava qualcosa (forse con le benzine pieno non puo’ guidare
come vuole)per la gara
allora vediamo il nuovo kuba smrz che puo’ guidare la moto
di borgopanigale come preferisce anche domenica pomeriggio
わがレーシングデイズ 日本編 その五
2009年5月2日 スポーツ四月二十六日 日本グランプリの決勝日である。
六時半に水戸を出て、七時半にピット到着。相変わらずマウリッツィオの
グッドジョブである。
前日の午後が全てのクラスの予選がキャンセルになり、日曜朝のウォームアップ
はいつもより時間をプラスして行われることになった。
しかしながら、天気しだいというところはすべてのカテゴリーに言えるため、
ドライ用のセットアップとレインを見越した設定を考えなければいけない
難しい決勝日である。
125㏄
正午スタートなった、このカテゴリーであるが、ダミーグリッドにライダー
が現れた時には、まだレコードラインはウェットのままであった。
タイヤチョイスに悩まされる中で、それぞれが自らを信じてのセット
アップとタイヤチョイスを行った。
オールクリアとなり、レーススタート。最初の三周に快調に速さを見せたのは
レインタイヤを装着したライダーである。
しかしながら、路面は急速に乾き、逆に四周目以降の走りはインターミディエイト
やカットスリックを選んだ連中がラップタイムを更新しながら前を追いかける。
中盤を迎えるころにはレインタイヤユーザーはタイヤの消耗に苦しめられ
ながらの走りとなった。
そんな中でレース中盤からどんどん追いかけてきたのが、アンドレア・
イアンノーネであった。
私はてっきり満タン状態で、何かしら不具合があったのかとおもっていたの
だが、彼は実はドライタイヤを履いて、レースに臨んでいたのだった。
そんなわけで、残り僅かになり、イアンノ―ノが他の誰よりも速く走れるように
なり、最後は余裕のサンデードライブで優勝を奪い取ったのであった。
まぁ、誰も考えないことを予想して賭けをする人が万馬券を当てることが
できるわけで、他のライダーがインターミディエイトやレインを使う中で
自らの予想を信じてドライを選んだイアンノ―ネと彼のクルーは勝利の美酒を
味わうことができた日曜の午後であった。
250cc
誰もがドライセッティング、晴れ用のタイヤを選んだレースとなったこのクラス。
そのレースで光輝いたのが青山であった。
もはや開発が終わったと言われるホンダの250㏄のマシンを駆り、日本の
ファンの前で勇敢さに満ち溢れた走りを披露。一時はトップを走行した。
その青山を抜き去っていったのが今回復帰のシモンチェッリ。実に
高いレベルの速さと安定性を見せた彼の姿が小さくなっていくのを甘受
せざるを得ないライバルライダーとチームであった。
そのシモンチェッリの優勝は疑いのないものであったが、何とフロントタイヤ
の問題が生じてしまい、緊急ピットインを余儀なくされて、優勝戦線から
脱落してしまう。
トップに立ったのはアプリリアのバウティスタ。二番手に青山で、地元の
レースで何とか勝ちたいと思う青山であったが、バウティスタは安定した
速さを持っていて、アンビータブルであった。
悔しさと悲しさと入り混じり、涙を流していた青山に大きな声援が
送られた日本グランプリの250㏄クラスであった。
MotoGP
ヤマハファクトリーとホンダファクトリーの二メーカー四人のライダーの
トップ集団となり、どんなレースになるのかなと思っていたが、ロレンツォが
トップに立ち、ロッシは二番手をきっちり防御して、三位以下のライダーに
パスを許さない。
スタート直後中位集団に沈んでいたドゥカティのケーシー・ストーナーが
追い上げて五番手まであがるが、そこからは前が遠く、先に行けない。
結局、ウィナーがロレンツォ、二位にロッシ、三位にペドロサという
動きや変化の少ないレースとなった。
六時半に水戸を出て、七時半にピット到着。相変わらずマウリッツィオの
グッドジョブである。
前日の午後が全てのクラスの予選がキャンセルになり、日曜朝のウォームアップ
はいつもより時間をプラスして行われることになった。
しかしながら、天気しだいというところはすべてのカテゴリーに言えるため、
ドライ用のセットアップとレインを見越した設定を考えなければいけない
難しい決勝日である。
125㏄
正午スタートなった、このカテゴリーであるが、ダミーグリッドにライダー
が現れた時には、まだレコードラインはウェットのままであった。
タイヤチョイスに悩まされる中で、それぞれが自らを信じてのセット
アップとタイヤチョイスを行った。
オールクリアとなり、レーススタート。最初の三周に快調に速さを見せたのは
レインタイヤを装着したライダーである。
しかしながら、路面は急速に乾き、逆に四周目以降の走りはインターミディエイト
やカットスリックを選んだ連中がラップタイムを更新しながら前を追いかける。
中盤を迎えるころにはレインタイヤユーザーはタイヤの消耗に苦しめられ
ながらの走りとなった。
そんな中でレース中盤からどんどん追いかけてきたのが、アンドレア・
イアンノーネであった。
私はてっきり満タン状態で、何かしら不具合があったのかとおもっていたの
だが、彼は実はドライタイヤを履いて、レースに臨んでいたのだった。
そんなわけで、残り僅かになり、イアンノ―ノが他の誰よりも速く走れるように
なり、最後は余裕のサンデードライブで優勝を奪い取ったのであった。
まぁ、誰も考えないことを予想して賭けをする人が万馬券を当てることが
できるわけで、他のライダーがインターミディエイトやレインを使う中で
自らの予想を信じてドライを選んだイアンノ―ネと彼のクルーは勝利の美酒を
味わうことができた日曜の午後であった。
250cc
誰もがドライセッティング、晴れ用のタイヤを選んだレースとなったこのクラス。
そのレースで光輝いたのが青山であった。
もはや開発が終わったと言われるホンダの250㏄のマシンを駆り、日本の
ファンの前で勇敢さに満ち溢れた走りを披露。一時はトップを走行した。
その青山を抜き去っていったのが今回復帰のシモンチェッリ。実に
高いレベルの速さと安定性を見せた彼の姿が小さくなっていくのを甘受
せざるを得ないライバルライダーとチームであった。
そのシモンチェッリの優勝は疑いのないものであったが、何とフロントタイヤ
の問題が生じてしまい、緊急ピットインを余儀なくされて、優勝戦線から
脱落してしまう。
トップに立ったのはアプリリアのバウティスタ。二番手に青山で、地元の
レースで何とか勝ちたいと思う青山であったが、バウティスタは安定した
速さを持っていて、アンビータブルであった。
悔しさと悲しさと入り混じり、涙を流していた青山に大きな声援が
送られた日本グランプリの250㏄クラスであった。
MotoGP
ヤマハファクトリーとホンダファクトリーの二メーカー四人のライダーの
トップ集団となり、どんなレースになるのかなと思っていたが、ロレンツォが
トップに立ち、ロッシは二番手をきっちり防御して、三位以下のライダーに
パスを許さない。
スタート直後中位集団に沈んでいたドゥカティのケーシー・ストーナーが
追い上げて五番手まであがるが、そこからは前が遠く、先に行けない。
結局、ウィナーがロレンツォ、二位にロッシ、三位にペドロサという
動きや変化の少ないレースとなった。
わがレーシングデイズ日本編 その四
2009年5月1日 スポーツ四月二十五日
朝の六時五十分にホテルに行き、車中の人となる。話題の中心はやはり
前日のタイム。そして、今日の天気である。いい天気でレースウィークの
セッションが進んで行って欲しいが、変わりやすい春の天気に加えて、
山合いのサーキットである。
いつも使っている道を通って、サーキット到着。前日に比べて、駐車されている
台数が相当違う。土曜日のサーキットの空気感を感じる。
AGVのブースに入ると、明らかにマウリッツィオが不機嫌なのがわかる。
理由は簡単でルーカがパスポートを失くしたとのこと。ヘルメットのケアを
しながら、善後策を練ることになる。
まぁ、若さから来るパワーやエネルギーを彼から感じることも多いのだが、
時折、彼からはガキの甘さを感じることもある。それが、まともに出たのだろう。
何かあった時のために今回来ている私がやる仕事が少ないことはイコール平和
であるのだが、解決可能かできないのか極めて不透明な仕事が舞い込んでしまった。
まずは、サーキットのインフォメーションに行って、事後対応に追われる
私である。何せ、失くしたものがものであるだけに、帰ることができないと
どえらいことになる。
イタリア大使館の場所や仮パスポートなり、新規のパスポートの発給方法
などをマウリッツィオと話しながら、考える。
125のセッションが始まる。まぁ、親子はどうしてか似てほしくないところ
ばかり似るのだろうか、あるいはメンタル的にへこんでしまったのか、
ルーカ・ビターリは最後尾のタイムを出してはピットに引っ込んでということの
繰り返しである。
一方、トップ集団はキャリアをそれなりに積んでいる連中が揃っている。
デビューイヤーで国内選手権でしか走っていなかった連中はこのサーキットが
初めてなわけで、経験の差は明らかだろう。
MotoGPクラスの時間になり、雨がさらに強くなってきた。そんな中で
チャンスと考えるのがメランドリやカネパであろう。実際、この二人は
エンジンパワーやチームの能力差が縮小されるコンディションでは
ライダーのスキルを発揮して、少しでも前に出ようという気概を見事に
タイムに反映させている。
このサーキットが初めてであり、同じドゥカティのマシンでもエレクトリック
デバイス抜きのカネパの健闘ぶりが目を引いた。
250ccはカレル・アブラハムの気合いの入った走り、ルーカシュ・ペシェック
の戦いぶり、雨大好きのタルマッチのタイムとライディングに目を奪われる。
明日も雨だととんでもないレースになりそうな予感がする。
雨がどんどん強くなっていく中、サーキットのインフォメーションセンターと
警察の詰め所に行って、ルーカのパスポートの紛失届の話をして、対応策を
練る。まぁ、ことがことだけに警察の方もサーキット側もとても心配して
くださっている。
パドックに戻って、イタリアのテレビの音声エンジニアスタッフのところに
顔を出すと、そこに現れたのが、ディレクターと実況と解説担当の二人。
マシンが走らないのと、日本のレースということで、話しをつなごうにも
どうしてもすかすかになってしまうということで、私が呼ばれて、急きょイタリア
の地上波の全国放送にゲスト解説として話すことになってしまった。
まぁ、彼らに頼まれたら断れないし、イタリアのレースファンに知らせたい
ネタを日本人の口からイタリア語で話してもらう方が色々な意味で都合が
いいとのことで、30分ほど話す。
その30分の間に125の予選が250の予選の後に回されること。
そして、状況を見ながら、最終的な決定を測るということが文字情報で
知らされる。
いろいろな質問に答えながら、ゲスト解説を終えて、ブースを出ようとすると
皆から、いいコメントだったと声をかけられる。
子供の頃アナウンサーやディスクジョッキーにあこがれていた私にとっては
うれしい体験であった。
その後、さらに雨は強くなり、何とすべての予選が中止となってしまった。
ライダーはパドック内のレストランでプレステをやるもの。さっさと帰るもの、
明日の準備をするもの、この決定に関して意見を交わすものであふれていた。
予選のグリッドはフリー走行と予選一回目のベストタイムで算出して
決定ということになった。まぁ、今日の午前中のタイムは途中でレインになって
しまったので、実質、前日のフリーのタイムで決まりである。
ルーカのパスポートは何とか見つかり、受け取るだけの態勢になり、一息
着く。お留守番をしたり、声をかけてくれる人にあいさつしたりしながら
過ごして、車中の人となる。
dainese、nolanとsuomiのサービスパーソンはブレンボのスタッフと水戸
に向かうということで、私とマウリッツィオと水戸に戻る。
車内で今季ルーカが走る上でいくら払ったのか、前週のイタリア選手権での
話し、鈴鹿八耐に走ってくれるリッターバイクの経験のあるイタリア人は
いるかなどといった話をしながら、水戸に到着。
何とかパスポートも戻ってきて、食事をした後、マウリッツィオが
マッサージを受けたいということで、スーパー銭湯の一角の整体のコーナー
に行き、私が訳しながらマッサージを受ける。
マッサージ師の話では、かなり腰の具合と体のバランスの方に問題が
あるとのこと。ライダーとして活動していた時の怪我プラス年齢による
ものが重なって体の不具合につながっているようだ。
その後、冷えたコーラを飲んで、明日の出発時間を打ち合わせて、今日は
終了である。明日は晴れるのだろうか。
朝の六時五十分にホテルに行き、車中の人となる。話題の中心はやはり
前日のタイム。そして、今日の天気である。いい天気でレースウィークの
セッションが進んで行って欲しいが、変わりやすい春の天気に加えて、
山合いのサーキットである。
いつも使っている道を通って、サーキット到着。前日に比べて、駐車されている
台数が相当違う。土曜日のサーキットの空気感を感じる。
AGVのブースに入ると、明らかにマウリッツィオが不機嫌なのがわかる。
理由は簡単でルーカがパスポートを失くしたとのこと。ヘルメットのケアを
しながら、善後策を練ることになる。
まぁ、若さから来るパワーやエネルギーを彼から感じることも多いのだが、
時折、彼からはガキの甘さを感じることもある。それが、まともに出たのだろう。
何かあった時のために今回来ている私がやる仕事が少ないことはイコール平和
であるのだが、解決可能かできないのか極めて不透明な仕事が舞い込んでしまった。
まずは、サーキットのインフォメーションに行って、事後対応に追われる
私である。何せ、失くしたものがものであるだけに、帰ることができないと
どえらいことになる。
イタリア大使館の場所や仮パスポートなり、新規のパスポートの発給方法
などをマウリッツィオと話しながら、考える。
125のセッションが始まる。まぁ、親子はどうしてか似てほしくないところ
ばかり似るのだろうか、あるいはメンタル的にへこんでしまったのか、
ルーカ・ビターリは最後尾のタイムを出してはピットに引っ込んでということの
繰り返しである。
一方、トップ集団はキャリアをそれなりに積んでいる連中が揃っている。
デビューイヤーで国内選手権でしか走っていなかった連中はこのサーキットが
初めてなわけで、経験の差は明らかだろう。
MotoGPクラスの時間になり、雨がさらに強くなってきた。そんな中で
チャンスと考えるのがメランドリやカネパであろう。実際、この二人は
エンジンパワーやチームの能力差が縮小されるコンディションでは
ライダーのスキルを発揮して、少しでも前に出ようという気概を見事に
タイムに反映させている。
このサーキットが初めてであり、同じドゥカティのマシンでもエレクトリック
デバイス抜きのカネパの健闘ぶりが目を引いた。
250ccはカレル・アブラハムの気合いの入った走り、ルーカシュ・ペシェック
の戦いぶり、雨大好きのタルマッチのタイムとライディングに目を奪われる。
明日も雨だととんでもないレースになりそうな予感がする。
雨がどんどん強くなっていく中、サーキットのインフォメーションセンターと
警察の詰め所に行って、ルーカのパスポートの紛失届の話をして、対応策を
練る。まぁ、ことがことだけに警察の方もサーキット側もとても心配して
くださっている。
パドックに戻って、イタリアのテレビの音声エンジニアスタッフのところに
顔を出すと、そこに現れたのが、ディレクターと実況と解説担当の二人。
マシンが走らないのと、日本のレースということで、話しをつなごうにも
どうしてもすかすかになってしまうということで、私が呼ばれて、急きょイタリア
の地上波の全国放送にゲスト解説として話すことになってしまった。
まぁ、彼らに頼まれたら断れないし、イタリアのレースファンに知らせたい
ネタを日本人の口からイタリア語で話してもらう方が色々な意味で都合が
いいとのことで、30分ほど話す。
その30分の間に125の予選が250の予選の後に回されること。
そして、状況を見ながら、最終的な決定を測るということが文字情報で
知らされる。
いろいろな質問に答えながら、ゲスト解説を終えて、ブースを出ようとすると
皆から、いいコメントだったと声をかけられる。
子供の頃アナウンサーやディスクジョッキーにあこがれていた私にとっては
うれしい体験であった。
その後、さらに雨は強くなり、何とすべての予選が中止となってしまった。
ライダーはパドック内のレストランでプレステをやるもの。さっさと帰るもの、
明日の準備をするもの、この決定に関して意見を交わすものであふれていた。
予選のグリッドはフリー走行と予選一回目のベストタイムで算出して
決定ということになった。まぁ、今日の午前中のタイムは途中でレインになって
しまったので、実質、前日のフリーのタイムで決まりである。
ルーカのパスポートは何とか見つかり、受け取るだけの態勢になり、一息
着く。お留守番をしたり、声をかけてくれる人にあいさつしたりしながら
過ごして、車中の人となる。
dainese、nolanとsuomiのサービスパーソンはブレンボのスタッフと水戸
に向かうということで、私とマウリッツィオと水戸に戻る。
車内で今季ルーカが走る上でいくら払ったのか、前週のイタリア選手権での
話し、鈴鹿八耐に走ってくれるリッターバイクの経験のあるイタリア人は
いるかなどといった話をしながら、水戸に到着。
何とかパスポートも戻ってきて、食事をした後、マウリッツィオが
マッサージを受けたいということで、スーパー銭湯の一角の整体のコーナー
に行き、私が訳しながらマッサージを受ける。
マッサージ師の話では、かなり腰の具合と体のバランスの方に問題が
あるとのこと。ライダーとして活動していた時の怪我プラス年齢による
ものが重なって体の不具合につながっているようだ。
その後、冷えたコーラを飲んで、明日の出発時間を打ち合わせて、今日は
終了である。明日は晴れるのだろうか。
わがレーシングデイズ日本編 その三
2009年4月30日 スポーツ四月二十四日
日本グランプリの初日である。ただ、昨年までと違って、金曜日の午前の
セッションはない。そのため、九時過ぎに水戸のホテルを出て、十時頃に
サーキット到着となった。
ルーカ・ビターリは期待と不安が入り混じった気持ちである。
これは彼のチームメイトも同様であった。
サーキットに着くと、前日姿を見なかったジャーナリスト連中が群れを
作っていた。その中にいるのがジョバンニ・ザマーニ、マルコ・マセッティ
であった。久しぶりの再会に話に花が咲く。
昨日はさすがにファンがほとんどいなかったパドックであるが、
今日は人がかなり集まってきた。そして、暖かいこともあって、かなり
露出度の高い服を着ている人も多い。
カルロ・ペルナットの親父さんが目をつけた女性と話したいということで
くっついていく。まぁ、英雄色を好むというのは確かで、ヴァレンティーノの
ファンで、イタリア語を勉強し始めたという女性に声を掛けて、口説いている。
その通訳をやる羽目になったのが、この私である。
そこに通りがかったのが、エルベ・ポンシャラルである。
決勝日のグリッドガールを探していた彼が、ペルナットやザマーニ、
パパカピロッシとつるんでいたところやってきて、耳元で『この娘に日曜に
グリッドで傘を持ってくれるように頼めないか』とフランス語でつぶやく。
カルロ・ペルナットの親父は昔からフランス語もわかるので、何を言っていたのか
即座に理解して、『おれがマネージメントをやってあげるよ。私はカピロッシ、
デアンジェリス、シモンチェッリ、カネパといったあたりのマネージャーだから
お金とか条件面とか話せるからな』などと言っている。
払ってモデルを用意できるなら、とっくに払って話をつけているはずなので
このカルロの提案は招かざる客といったところだろう。冗談混じりに
『カルロはいらないから。そんなに払えないし。』と言っていたエルベで
あった。
そんなわけで、私がこの女性とくっついて、モンスターヤマハのピットに
入り、今後の予定を打ち合わせて、納得してもらい、土曜に衣装合わせ、
日曜に本番ということで話がまとまった。
その現場に今回、poliniがこのモンスターヤマハのスポンサーであり、
日本グランプリのタイトルスポンサーということもあって、旧知のマネージャー
が姿を現した。久しぶりの再会で喜びながらあいさつする。
私のことを昔から知っているモンスターヤマハのチームクルーはいつものことだ
と思っているが、初めて私を見た人はフランス語でグリッドギャルの話を
進めた後に、poliniのスタッフとイタリア語で話し始めて驚いていた
ようだった。
私の携帯が鳴り、ちょっと助けてほしいと言われ、イタリアの放送スタッフ
の方に顔を出す。今回、彼の友達がサーキットにやってくるということだが
パスの支給場所、発給の仕方などに手続きが必要で、そのことを訳してほしい
と言われ、彼の言う通りに伝えて、お礼を言われ、ここで飯を食べていけと
言われて、お弁当をごちそうになる。
そうこうしているうちに125㏄のセッションスタートである。今回好調の
イアンノーネとは親父を含めて、色々と思い出があるが、彼がチーム
アブルッツォで走っていた時には大したことのない、払って乗るライダー
だと思っていたが、昨年からの成長ぶりは素晴らしい。
気になるのは、ステファン・ブラドル。何かがかみ合ってからの彼は
本来持っている能力を発揮できるようになって、自分の力を信じられるように
なった気がする。
長い付き合いのもう一人の二世ライダーのルーカ・ビターリであるが、
大苦戦である。まぁ、イタリア選手権で飛びぬけていたわけでもなく、
開幕前にテストをたくさんできたわけでもないので、仕方ないかという
感じではある。
MotoGPクラスについては、改めて思ったのは走っている台数が少ないな
というものである。そして、今二つ感のあるスズキのバイク。シーズン前に
マセッティあたりも今年はスズキが面白いと話していたのだが、カタール
とここでの爆発を感じなかった。明日は雨である。どうなることやら、
ヴァレンティーノショーの始まりを感じたセッションであった。
250は今年のライダーラインナップの面白さを感じる中で、帰ってきた
シモンチェッリの鮮やかな復活である。そして、わが友タルマッチの
250での走りを初めて生で見たが、まだやることが多いと言いながらも
いいタイムを出しているところに彼の能力の高さを感じた。
バルベラの今一つ感、ワイルドカードライダーの今二つの走りを
見終わってから、イタリアのテレビ解説のレッジャーニに情報収集を
頼まれて、それを手伝い、シャークヘルメットに質問攻めにあい、
それに応えて、さらにニコロ・カネパとうだうだ話しているうちに
陽が落ちだした。
マウリッツィオの運転する車に同乗し、水戸へ行き、例によって
日本食レストランを探し、一緒に鮨を中心に食事をして、お休みということに
なった。
日本グランプリの初日である。ただ、昨年までと違って、金曜日の午前の
セッションはない。そのため、九時過ぎに水戸のホテルを出て、十時頃に
サーキット到着となった。
ルーカ・ビターリは期待と不安が入り混じった気持ちである。
これは彼のチームメイトも同様であった。
サーキットに着くと、前日姿を見なかったジャーナリスト連中が群れを
作っていた。その中にいるのがジョバンニ・ザマーニ、マルコ・マセッティ
であった。久しぶりの再会に話に花が咲く。
昨日はさすがにファンがほとんどいなかったパドックであるが、
今日は人がかなり集まってきた。そして、暖かいこともあって、かなり
露出度の高い服を着ている人も多い。
カルロ・ペルナットの親父さんが目をつけた女性と話したいということで
くっついていく。まぁ、英雄色を好むというのは確かで、ヴァレンティーノの
ファンで、イタリア語を勉強し始めたという女性に声を掛けて、口説いている。
その通訳をやる羽目になったのが、この私である。
そこに通りがかったのが、エルベ・ポンシャラルである。
決勝日のグリッドガールを探していた彼が、ペルナットやザマーニ、
パパカピロッシとつるんでいたところやってきて、耳元で『この娘に日曜に
グリッドで傘を持ってくれるように頼めないか』とフランス語でつぶやく。
カルロ・ペルナットの親父は昔からフランス語もわかるので、何を言っていたのか
即座に理解して、『おれがマネージメントをやってあげるよ。私はカピロッシ、
デアンジェリス、シモンチェッリ、カネパといったあたりのマネージャーだから
お金とか条件面とか話せるからな』などと言っている。
払ってモデルを用意できるなら、とっくに払って話をつけているはずなので
このカルロの提案は招かざる客といったところだろう。冗談混じりに
『カルロはいらないから。そんなに払えないし。』と言っていたエルベで
あった。
そんなわけで、私がこの女性とくっついて、モンスターヤマハのピットに
入り、今後の予定を打ち合わせて、納得してもらい、土曜に衣装合わせ、
日曜に本番ということで話がまとまった。
その現場に今回、poliniがこのモンスターヤマハのスポンサーであり、
日本グランプリのタイトルスポンサーということもあって、旧知のマネージャー
が姿を現した。久しぶりの再会で喜びながらあいさつする。
私のことを昔から知っているモンスターヤマハのチームクルーはいつものことだ
と思っているが、初めて私を見た人はフランス語でグリッドギャルの話を
進めた後に、poliniのスタッフとイタリア語で話し始めて驚いていた
ようだった。
私の携帯が鳴り、ちょっと助けてほしいと言われ、イタリアの放送スタッフ
の方に顔を出す。今回、彼の友達がサーキットにやってくるということだが
パスの支給場所、発給の仕方などに手続きが必要で、そのことを訳してほしい
と言われ、彼の言う通りに伝えて、お礼を言われ、ここで飯を食べていけと
言われて、お弁当をごちそうになる。
そうこうしているうちに125㏄のセッションスタートである。今回好調の
イアンノーネとは親父を含めて、色々と思い出があるが、彼がチーム
アブルッツォで走っていた時には大したことのない、払って乗るライダー
だと思っていたが、昨年からの成長ぶりは素晴らしい。
気になるのは、ステファン・ブラドル。何かがかみ合ってからの彼は
本来持っている能力を発揮できるようになって、自分の力を信じられるように
なった気がする。
長い付き合いのもう一人の二世ライダーのルーカ・ビターリであるが、
大苦戦である。まぁ、イタリア選手権で飛びぬけていたわけでもなく、
開幕前にテストをたくさんできたわけでもないので、仕方ないかという
感じではある。
MotoGPクラスについては、改めて思ったのは走っている台数が少ないな
というものである。そして、今二つ感のあるスズキのバイク。シーズン前に
マセッティあたりも今年はスズキが面白いと話していたのだが、カタール
とここでの爆発を感じなかった。明日は雨である。どうなることやら、
ヴァレンティーノショーの始まりを感じたセッションであった。
250は今年のライダーラインナップの面白さを感じる中で、帰ってきた
シモンチェッリの鮮やかな復活である。そして、わが友タルマッチの
250での走りを初めて生で見たが、まだやることが多いと言いながらも
いいタイムを出しているところに彼の能力の高さを感じた。
バルベラの今一つ感、ワイルドカードライダーの今二つの走りを
見終わってから、イタリアのテレビ解説のレッジャーニに情報収集を
頼まれて、それを手伝い、シャークヘルメットに質問攻めにあい、
それに応えて、さらにニコロ・カネパとうだうだ話しているうちに
陽が落ちだした。
マウリッツィオの運転する車に同乗し、水戸へ行き、例によって
日本食レストランを探し、一緒に鮨を中心に食事をして、お休みということに
なった。
わがレーシングデイズ日本編 その二
2009年4月29日 スポーツ四月二十三日
ホテルにマウリッツィオに会いに行くが、まだ、部屋から降りてこない。
suomiヘルメットのエンリコはレセプションのところに降りてきたが、
まだ来ないので心配になってエンリコが部屋に電話すると、寝ていたらしい。
定刻より二十分遅れて、出発となった。例によってイタリア製ヘルメット
メーカーのサービスパーソンの呉越同舟である。日本のアライとショーエイが
一緒に車に乗って現場に行くことは考えられないが、イタリア人というのは
ライバルというより、同じ現場で働いているという仲間意識が強いので、
こういうことはありである。
以前、私がホンダイタリアやチームアブルッツォと付き合っていた時と
いうのは、割に大会運営側が推奨するルートで水戸からサーキットまで
行っていたのであるが、マウリッツィオとエンリコというのは、どこで
どう調べたのか知らないが、早く到着するルート情報を入手していて、
それを駆使していく。
道中の中では、昨年の話、今年のユーロ安円高の話になる。
私のような立場の人間がヨーロッパに入るのはありがたいが、昨年の
1ユーロ155円を味わっている彼らにとってはすべて高く感じるらしく
ヤマダ電機でもそれほど財布のひもは緩まなかったらしい。
約50分ほどでサーキット到着。インフォメーションで仮説のオフィスの
鍵を貰い、その場所に行き、作業の下準備に入る。
今年のAGVヘルメットのユーザーライダーは六人プラスワイルドカード
参戦のライダーということ。今回は日本人でイタリア製のヘルメットを
使う人はいないため、レギュラーの六人ということになる。
木曜日ということもあって、ライダーも続々到着し始める。
昔からの付き合いの連中は再会を喜び、イタリアの新人ライダーは私が
イタリア語を話すと知り、かなり驚いている。
ニッコロ・カネパが姿を現し、言葉を交わす。そこにチームプラマックの
スタッフも一緒にいるが、私とカネパはかつて私がダビデ・ブレガのチーム
を手伝っていて、そこに彼が遅いライダーの後任としてやってきて、同じ
ピットで戦っていた仲間であり、お互いに仲がいいことを知り、それを知った
プラマックのチームスタッフはひどく驚いていた。
カネパは初めてのもてぎであるが、どうなるのだろうか。
私は彼の能力の高さを知っているが、単純に速く走るだけではなくて、
様々なファクターが必要とされるのが今のMotoGPである。そして、
いい意味でがつがつしていて、欲望が強くないと難しいカテゴリーである
のだが、そこで走るには彼は少し、性格がおとなしすぎるような気がして
しまう。
昨年、顔を合わせていないうちに何かいい方向での変化があるといいのだが
速さのあるいい人では戦えないと考えられるこのクラスでどんな獰猛さを
身につけたのか気になる私であった。
カピロッシの親父と会い、相変わらず元気そうで安心し、イタリアのテレビ
スタッフと言葉を交わし、タルマッチと再会を喜び、メランドリ、パジーニ、
シモンチェッリといったあたりが輪になっているところに私が登場し、
昨日のメランドリ一日買い物ツアーの顛末をライダーやメカニックあたりと
話すとまぁ、みんなシャワートイレが200ユーロ以下で買える話になった
とたん、食い付きがものすごく早い。
改めて、日本の商品ラインナップや独自のカルチャーを感じる私であった。
そんなこんなで気がつけば夕方となり、少々遅く到着したdaineseの
スタッフ、nolan,suomiのサービスパーソンと共に車に乗り、マウリッツィオの
運転で水戸へ帰還。
一緒に夢庵に食事に行き、メニューの説明をしながら、和食好きの連中と
共においしい食事を口にして、宴は終了。
いよいよ、レースは明日からである。
ホテルにマウリッツィオに会いに行くが、まだ、部屋から降りてこない。
suomiヘルメットのエンリコはレセプションのところに降りてきたが、
まだ来ないので心配になってエンリコが部屋に電話すると、寝ていたらしい。
定刻より二十分遅れて、出発となった。例によってイタリア製ヘルメット
メーカーのサービスパーソンの呉越同舟である。日本のアライとショーエイが
一緒に車に乗って現場に行くことは考えられないが、イタリア人というのは
ライバルというより、同じ現場で働いているという仲間意識が強いので、
こういうことはありである。
以前、私がホンダイタリアやチームアブルッツォと付き合っていた時と
いうのは、割に大会運営側が推奨するルートで水戸からサーキットまで
行っていたのであるが、マウリッツィオとエンリコというのは、どこで
どう調べたのか知らないが、早く到着するルート情報を入手していて、
それを駆使していく。
道中の中では、昨年の話、今年のユーロ安円高の話になる。
私のような立場の人間がヨーロッパに入るのはありがたいが、昨年の
1ユーロ155円を味わっている彼らにとってはすべて高く感じるらしく
ヤマダ電機でもそれほど財布のひもは緩まなかったらしい。
約50分ほどでサーキット到着。インフォメーションで仮説のオフィスの
鍵を貰い、その場所に行き、作業の下準備に入る。
今年のAGVヘルメットのユーザーライダーは六人プラスワイルドカード
参戦のライダーということ。今回は日本人でイタリア製のヘルメットを
使う人はいないため、レギュラーの六人ということになる。
木曜日ということもあって、ライダーも続々到着し始める。
昔からの付き合いの連中は再会を喜び、イタリアの新人ライダーは私が
イタリア語を話すと知り、かなり驚いている。
ニッコロ・カネパが姿を現し、言葉を交わす。そこにチームプラマックの
スタッフも一緒にいるが、私とカネパはかつて私がダビデ・ブレガのチーム
を手伝っていて、そこに彼が遅いライダーの後任としてやってきて、同じ
ピットで戦っていた仲間であり、お互いに仲がいいことを知り、それを知った
プラマックのチームスタッフはひどく驚いていた。
カネパは初めてのもてぎであるが、どうなるのだろうか。
私は彼の能力の高さを知っているが、単純に速く走るだけではなくて、
様々なファクターが必要とされるのが今のMotoGPである。そして、
いい意味でがつがつしていて、欲望が強くないと難しいカテゴリーである
のだが、そこで走るには彼は少し、性格がおとなしすぎるような気がして
しまう。
昨年、顔を合わせていないうちに何かいい方向での変化があるといいのだが
速さのあるいい人では戦えないと考えられるこのクラスでどんな獰猛さを
身につけたのか気になる私であった。
カピロッシの親父と会い、相変わらず元気そうで安心し、イタリアのテレビ
スタッフと言葉を交わし、タルマッチと再会を喜び、メランドリ、パジーニ、
シモンチェッリといったあたりが輪になっているところに私が登場し、
昨日のメランドリ一日買い物ツアーの顛末をライダーやメカニックあたりと
話すとまぁ、みんなシャワートイレが200ユーロ以下で買える話になった
とたん、食い付きがものすごく早い。
改めて、日本の商品ラインナップや独自のカルチャーを感じる私であった。
そんなこんなで気がつけば夕方となり、少々遅く到着したdaineseの
スタッフ、nolan,suomiのサービスパーソンと共に車に乗り、マウリッツィオの
運転で水戸へ帰還。
一緒に夢庵に食事に行き、メニューの説明をしながら、和食好きの連中と
共においしい食事を口にして、宴は終了。
いよいよ、レースは明日からである。
わがレーシングデイズ 日本編
2009年4月29日 スポーツ四月二十二日
前日の夜行バスに乗って、午前五時に東京駅着。上野まで出て、乗り換えて
成田空港に向かう。
死ぬほどぐっすり寝ていたら、気がつけば空港のターミナル駅に到着。
第一ターミナルで例によって、ルフトハンザで到着しているであろう
AGVヘルメットのマウリッツィオ・ビターリを探すが、到着していない。
となると、オーストリア航空のウィーン発の便か、スイス航空のチューリッヒ
からかなと思っているが、これらの朝八時台に到着する便に多くのレース
関係者は搭乗しているが、マウリッツィオは見当たらない。
アンドレア・イアンノーネとその父と挨拶し、シャークヘルメットのスタッフに
新宿行きのバスのチケットの手配を頼まれたり、レッドブルKTMの連中と
うだうだ話しているうちに、どうもマウリッツィオもSUOMYヘルメットの
エンリコ・ビーニもいないと知り、どうやって水戸まで行こうかと考えて
いたところにマルコ・メランドリが登場。
昨年の日本グランプリ以来の再会に喜ぶ、私とマルコ、そして、彼のツアー
マネージャーである。
その彼だが、車を運転手つきで手配しているのだが、その運転手が英語が
片言らしい。
そんなわけで、私が旅行会社のスタッフ、運転手とマルコの間に入って、
通訳していて、私の予定がマウリッツィオの不在で未定になってしまっていて、
マルコも『まぁ、ライダーやメカニックと違ってマウリッツィオの仕事
だったら今日の午後便か夕方便で来るんじゃないのか』ということを
説得力たっぷりに話すので、だったら、マルコのお手伝いをすることにして、
同乗することになる。
当初、旅行会社の話では成田山観光の後に、近隣を周ってから茂木に行く
ということだったが、マルコは東京に買い物に出かけてから、茂木の
サーキットホテルに行きたいということで、だったら、茂木に入る前に
私を水戸で降ろして、茂木に流れるということで話がまとまり、
出発進行である。
車中、98年に初めて会った時の話、私がラヴェンナでよく食べにいった
ボンバーピッツァというお店は彼のお気に入りの場所だったという話、
女子テニスのマリア・エレナ・カメリンが私と彼との共通の友達だという話。
プラハでの珍道中やカワサキと契約して、オートポリスに行った時のことや
車体のエアロダイナミクスの実験で広島のマツダの研究施設に行って
感銘を受けた話などをしているうちに新宿の伊勢丹に到着。
ここでISSEI MIYAKEの服、パンツ、靴などをじっくり品定めをして
購入。昔の彼と違って、お金を持っているなと実感する。
満足して、免税手続きをしたのちに、レストランフロアで食事をしてから
上野へ移動して、今度はカジュアルな服を選ぶ。
イタリアのテレビで映される東京のイメージにはない、雑然としながらも
かっぱらいや泥棒を目にしない活気と治安が同居するエリアに初めて
入って、喜ぶマルコである。
そんなエリアであれやこれやと服とパンツを選んで、車に戻り、
今度は秋葉原でシャワートイレを店員にあれこれ質問しながら
二機購入。
車に戻って、今年のレースのこと、カタールでのテストの話、エンジンの
好感触などについて語ってくれたあと、うとうとと眠りについているうちに
水戸に到着。
私を水戸プラザホテルに送ってくれて、彼とグッドジョブをしてくれた
運転手に別れを告げる。
マルコは何とも言えないいい笑顔で『サーキットで会おう』と言ってくれて、
車内の人となった。
水戸プラザホテルに到着し、いったん荷物を預けると、今季はトーマシュ・ルティ
とルーカシュ・ペシェックの二台体制でアプリリアの250㏄クラスを戦う
チームの連中とチーフエンジニアのマウロ・ノッチョリが登場。
昨年、日本グランプリにはルティが怪我で参戦せず、彼のエンジニア、メカニック
などが不在であった。
かつて、同じチームで立ち位置が一緒であり、いろいろよくしてくれる
マウロ・ノッチョリがサーキットにいないというのは、私にとって大きな
不足感を感じていたが、今年は日本にいるというのはうれしいものである。
『昨年の日本グランプリは良かったんだけれども、どうも、大きな欠如感を
感じたよ。マウロのいないグランプリというのは、ニーノ・ロータの音楽の
ないフェッリーニの映画みたいなもので、悪くはないけれど、完璧では
ない。今年はマウロがいるので、最高なコース上のアートが見られるだろうね。
ニーノ・ロータの音楽のあるフェッリーニの映画のようなものだね』
などと言うと、素直に喜んでくれるマウロ・ノッチョリであった。
ヤマダ電機でアプリリアの250のメカニックと話したり、商品購入の
相談に乗ったあとに、再び水戸プラザホテルに戻り、フロントにて
マウリッツィオ・ビターリが来ていないと聞き、仕方ないから電話するかと
ブラステルのカードを手にして、電話をかけようと思った矢先にマウリッツィオ・ビターリ、
今年から125㏄クラスでフル参戦することになった息子のルーカ・ビターリ
登場。
この五歳の時から知っている子供であるが、二年ほど会っていない間に
親父よりも大きくなり、声も変わっていた。
変わっていないのは、遊ぶのが好き、負けず嫌い、元気良すぎといった
ところだろう。
再会を喜び、しばらく話して、翌日の出発時間の予定を決めて、
お別れとなった。
前日の夜行バスに乗って、午前五時に東京駅着。上野まで出て、乗り換えて
成田空港に向かう。
死ぬほどぐっすり寝ていたら、気がつけば空港のターミナル駅に到着。
第一ターミナルで例によって、ルフトハンザで到着しているであろう
AGVヘルメットのマウリッツィオ・ビターリを探すが、到着していない。
となると、オーストリア航空のウィーン発の便か、スイス航空のチューリッヒ
からかなと思っているが、これらの朝八時台に到着する便に多くのレース
関係者は搭乗しているが、マウリッツィオは見当たらない。
アンドレア・イアンノーネとその父と挨拶し、シャークヘルメットのスタッフに
新宿行きのバスのチケットの手配を頼まれたり、レッドブルKTMの連中と
うだうだ話しているうちに、どうもマウリッツィオもSUOMYヘルメットの
エンリコ・ビーニもいないと知り、どうやって水戸まで行こうかと考えて
いたところにマルコ・メランドリが登場。
昨年の日本グランプリ以来の再会に喜ぶ、私とマルコ、そして、彼のツアー
マネージャーである。
その彼だが、車を運転手つきで手配しているのだが、その運転手が英語が
片言らしい。
そんなわけで、私が旅行会社のスタッフ、運転手とマルコの間に入って、
通訳していて、私の予定がマウリッツィオの不在で未定になってしまっていて、
マルコも『まぁ、ライダーやメカニックと違ってマウリッツィオの仕事
だったら今日の午後便か夕方便で来るんじゃないのか』ということを
説得力たっぷりに話すので、だったら、マルコのお手伝いをすることにして、
同乗することになる。
当初、旅行会社の話では成田山観光の後に、近隣を周ってから茂木に行く
ということだったが、マルコは東京に買い物に出かけてから、茂木の
サーキットホテルに行きたいということで、だったら、茂木に入る前に
私を水戸で降ろして、茂木に流れるということで話がまとまり、
出発進行である。
車中、98年に初めて会った時の話、私がラヴェンナでよく食べにいった
ボンバーピッツァというお店は彼のお気に入りの場所だったという話、
女子テニスのマリア・エレナ・カメリンが私と彼との共通の友達だという話。
プラハでの珍道中やカワサキと契約して、オートポリスに行った時のことや
車体のエアロダイナミクスの実験で広島のマツダの研究施設に行って
感銘を受けた話などをしているうちに新宿の伊勢丹に到着。
ここでISSEI MIYAKEの服、パンツ、靴などをじっくり品定めをして
購入。昔の彼と違って、お金を持っているなと実感する。
満足して、免税手続きをしたのちに、レストランフロアで食事をしてから
上野へ移動して、今度はカジュアルな服を選ぶ。
イタリアのテレビで映される東京のイメージにはない、雑然としながらも
かっぱらいや泥棒を目にしない活気と治安が同居するエリアに初めて
入って、喜ぶマルコである。
そんなエリアであれやこれやと服とパンツを選んで、車に戻り、
今度は秋葉原でシャワートイレを店員にあれこれ質問しながら
二機購入。
車に戻って、今年のレースのこと、カタールでのテストの話、エンジンの
好感触などについて語ってくれたあと、うとうとと眠りについているうちに
水戸に到着。
私を水戸プラザホテルに送ってくれて、彼とグッドジョブをしてくれた
運転手に別れを告げる。
マルコは何とも言えないいい笑顔で『サーキットで会おう』と言ってくれて、
車内の人となった。
水戸プラザホテルに到着し、いったん荷物を預けると、今季はトーマシュ・ルティ
とルーカシュ・ペシェックの二台体制でアプリリアの250㏄クラスを戦う
チームの連中とチーフエンジニアのマウロ・ノッチョリが登場。
昨年、日本グランプリにはルティが怪我で参戦せず、彼のエンジニア、メカニック
などが不在であった。
かつて、同じチームで立ち位置が一緒であり、いろいろよくしてくれる
マウロ・ノッチョリがサーキットにいないというのは、私にとって大きな
不足感を感じていたが、今年は日本にいるというのはうれしいものである。
『昨年の日本グランプリは良かったんだけれども、どうも、大きな欠如感を
感じたよ。マウロのいないグランプリというのは、ニーノ・ロータの音楽の
ないフェッリーニの映画みたいなもので、悪くはないけれど、完璧では
ない。今年はマウロがいるので、最高なコース上のアートが見られるだろうね。
ニーノ・ロータの音楽のあるフェッリーニの映画のようなものだね』
などと言うと、素直に喜んでくれるマウロ・ノッチョリであった。
ヤマダ電機でアプリリアの250のメカニックと話したり、商品購入の
相談に乗ったあとに、再び水戸プラザホテルに戻り、フロントにて
マウリッツィオ・ビターリが来ていないと聞き、仕方ないから電話するかと
ブラステルのカードを手にして、電話をかけようと思った矢先にマウリッツィオ・ビターリ、
今年から125㏄クラスでフル参戦することになった息子のルーカ・ビターリ
登場。
この五歳の時から知っている子供であるが、二年ほど会っていない間に
親父よりも大きくなり、声も変わっていた。
変わっていないのは、遊ぶのが好き、負けず嫌い、元気良すぎといった
ところだろう。
再会を喜び、しばらく話して、翌日の出発時間の予定を決めて、
お別れとなった。
鮮やかなロレンツォショー。日本グランプリ MotoGPクラス
2009年4月28日 スポーツ午前中のフリープラクティスは雨が降り、あまり走らなかったり、
全然走らなかった連中が多かった、この最高峰クラス。
レーススタートの時には晴れ上がり、ドライコンディション。
これが何を生み出したのか。
レース開始で、最初のリタイヤは高橋とニッキー・ヘイデン。まだ、
タイヤが温まっていない状態ながら、タイトなコーナーのシビアな
ブレーキングで体制を乱した唯一の日本人ライダーの高橋が、地元で
のレースを一周も走ることなく終えてしまった。
レースが進むにつれて、ヤマハ二台のロッシとロレンツォ、ホンダの
ファクトリー二台のペドロサとドヴィツィオーゾ。そこからしばらくあって
ハヤテレーシングのメランドリが意外な戦闘力の高さを見せて快走し、
後ろから前半のタイムがいま一つだったドゥカティのストーナーが
追いかける展開。
ヤマハ二台とホンダ二台がほぼ等間隔で走る中で、早めの仕掛けを見せたのが
ロレンツォで、ロッシをパスして、先頭に立つ。
ロッシは無理に追いかけずに、タイヤの状況やレース展開を見ながらの
走り。その後ろからホンダの若いスペイン人とイタリア人が追いかける。
今季のプレシーズンテストで印象的なタイムと走りだったスズキのカピロッシ
であるが、ここでは不発。そして、ワークス以外のホンダのタイムが今二つ
であり、序盤にして、優勝争いはヤマハ、ホンダのファクトリーライダー
に限られる状態。
ハヤテというネーミングで、スポンサーのロゴが見当たらないマシンで
メランドリがトップ5で走る望外の展開。そこに前半いま一つだったストーナーが
迫っていく。
ロレンツォは快調であり、ロッシは前を追いかけるというよりは、後ろを
気にしながらの展開。
怪我からの回復やニューマシンとブリヂストンタイヤとのマッチングが
懸念されたレプソルホンダボーイズは前のロッシに迫っていく状況。
中盤以降ロレンツォは十分なマージンを持ちながら、ペース配分を考えた
圧勝。二位にはホンダの二人の攻撃をしのぎながら走りきったロッシ。
三位にはペドロサ、四位にドヴィツィオーゾ、五位に後半ラッシュをかけた
ドゥカティのストーナー。六位にライダーのスキルの高さと意外なマシンの
戦闘力を見せたハヤテのメランドリというレースであった。
全然走らなかった連中が多かった、この最高峰クラス。
レーススタートの時には晴れ上がり、ドライコンディション。
これが何を生み出したのか。
レース開始で、最初のリタイヤは高橋とニッキー・ヘイデン。まだ、
タイヤが温まっていない状態ながら、タイトなコーナーのシビアな
ブレーキングで体制を乱した唯一の日本人ライダーの高橋が、地元で
のレースを一周も走ることなく終えてしまった。
レースが進むにつれて、ヤマハ二台のロッシとロレンツォ、ホンダの
ファクトリー二台のペドロサとドヴィツィオーゾ。そこからしばらくあって
ハヤテレーシングのメランドリが意外な戦闘力の高さを見せて快走し、
後ろから前半のタイムがいま一つだったドゥカティのストーナーが
追いかける展開。
ヤマハ二台とホンダ二台がほぼ等間隔で走る中で、早めの仕掛けを見せたのが
ロレンツォで、ロッシをパスして、先頭に立つ。
ロッシは無理に追いかけずに、タイヤの状況やレース展開を見ながらの
走り。その後ろからホンダの若いスペイン人とイタリア人が追いかける。
今季のプレシーズンテストで印象的なタイムと走りだったスズキのカピロッシ
であるが、ここでは不発。そして、ワークス以外のホンダのタイムが今二つ
であり、序盤にして、優勝争いはヤマハ、ホンダのファクトリーライダー
に限られる状態。
ハヤテというネーミングで、スポンサーのロゴが見当たらないマシンで
メランドリがトップ5で走る望外の展開。そこに前半いま一つだったストーナーが
迫っていく。
ロレンツォは快調であり、ロッシは前を追いかけるというよりは、後ろを
気にしながらの展開。
怪我からの回復やニューマシンとブリヂストンタイヤとのマッチングが
懸念されたレプソルホンダボーイズは前のロッシに迫っていく状況。
中盤以降ロレンツォは十分なマージンを持ちながら、ペース配分を考えた
圧勝。二位にはホンダの二人の攻撃をしのぎながら走りきったロッシ。
三位にはペドロサ、四位にドヴィツィオーゾ、五位に後半ラッシュをかけた
ドゥカティのストーナー。六位にライダーのスキルの高さと意外なマシンの
戦闘力を見せたハヤテのメランドリというレースであった。
レースは終わってみないとわからない。日本グランプリ250ccクラス
2009年4月27日 スポーツマシンが快調で、ライダーも好調で、ライバルを寄せ付けない速さを
結果に結びつけたら、優勝することができるのでしょう。
怪我から復帰のマルコ・シモンチェッリが鮮やかに復活を印象づける
走るを見せて、地元のレースで燃えている青山とドッグファイトを
展開して、トップに立ち、すぐに引き離してアドバンテージを広げます。
今回のレースはシモンチェッリの復活劇を見ることになりそうだと
サーキットに詰めかけたファンの多くが思ったことでしょう。
私もその人でした。
セーフティリードを保持していた彼が急激なタイムを下げたのは
フロントタイヤが原因でした。
結果、巡ってきたチャンスをしっかりものにしたばバウティスタが
優勝。二位に青山、三位にはパジーニです。
結果に結びつけたら、優勝することができるのでしょう。
怪我から復帰のマルコ・シモンチェッリが鮮やかに復活を印象づける
走るを見せて、地元のレースで燃えている青山とドッグファイトを
展開して、トップに立ち、すぐに引き離してアドバンテージを広げます。
今回のレースはシモンチェッリの復活劇を見ることになりそうだと
サーキットに詰めかけたファンの多くが思ったことでしょう。
私もその人でした。
セーフティリードを保持していた彼が急激なタイムを下げたのは
フロントタイヤが原因でした。
結果、巡ってきたチャンスをしっかりものにしたばバウティスタが
優勝。二位に青山、三位にはパジーニです。
浮き沈み、アップアンドダウン。日本グランプリGP125
2009年4月27日 スポーツ午前中の雨が止み、日差しが強さを増してきて、長そでにジャケットを
羽織ったお客さんが傘を閉じて、着る服をしまうころ、ダミーグリッド
上に何種類かのタイヤを用意して、125㏄クラスに参戦するライダーが
スタートの時を迎えました。
レコードラインの外はウェットコンディション。しかしながら、レコードラインは
どんどん乾いてきている。さて、路面の乾きが遅い方にタイヤチョイスを
向けるのか、乾いてきて晴れ用のタイヤを選ぶのか、誰もが頭を悩ましていた
スタート直前のライダーとエンジニアたち。
確信と疑念の中でタイヤを選んで、レースがスタートしました。
ポールポジションスタートのアンドレア・イアンノーネは調子よく飛び出した
かに思えたが、ポジションをどんどんダウンしていく。
そんな中で飛び出して、前半から素晴らしいスピードでリードを築いて
いったのが、ダニー・ウェブ。明らかに異次元の速さでどんどん他のマシンを
離していく。
しかしながら、彼のスピードはウェットコンディションから明らかにドライに
なるにつれて、苦しさを増していく。
強い日差しと共に彼のリードが失っていく。
そのイギリス人に襲いかかっていたライダーはそのほとんどがインター
ミディエイトかカットスリックというドライとウェットの両方に対応
するタイヤか浅い溝のタイヤを使っていたのだが、そのライダーをレース中盤から
蹴散らすように上位に上がってきたのが、アンドレア・イアンノーネである。
彼は前後ともに、晴れ用のスリックタイヤでギャンブルを打ち、雨が残っていて
路面温度の低い状態では無理をせずに、走り、他のライダーの先行を許して
いたのだが、路面が乾いて、理想的なタイヤの状態になり、満タン状態
から燃料の搭載量が減ってくるにつけて、攻撃を開始。
そして、次々と先行するライダーを鮮やかに追い抜いていく。
そして、誰よりも早く、力強く走って見せて、見事にギャンブルを当てて
優勝である。
狂喜するチームクルー。前半の苦しい状態を辛抱しながら走って、
後半の路面状態、ライバルの動向をしっかりと見極めての攻撃と
浮き沈みやアップダウンというものがある中で、ハートは熱く、
ヘッドはクールに打ったばくちは最良の結果を得ました。
お金を持ち込んで走るライダーから稼げるライダーに変わっていくのは
成績によりけりなのですが、鮮やかな勝利は彼に美しい未来を想像
させるでしょう。
羽織ったお客さんが傘を閉じて、着る服をしまうころ、ダミーグリッド
上に何種類かのタイヤを用意して、125㏄クラスに参戦するライダーが
スタートの時を迎えました。
レコードラインの外はウェットコンディション。しかしながら、レコードラインは
どんどん乾いてきている。さて、路面の乾きが遅い方にタイヤチョイスを
向けるのか、乾いてきて晴れ用のタイヤを選ぶのか、誰もが頭を悩ましていた
スタート直前のライダーとエンジニアたち。
確信と疑念の中でタイヤを選んで、レースがスタートしました。
ポールポジションスタートのアンドレア・イアンノーネは調子よく飛び出した
かに思えたが、ポジションをどんどんダウンしていく。
そんな中で飛び出して、前半から素晴らしいスピードでリードを築いて
いったのが、ダニー・ウェブ。明らかに異次元の速さでどんどん他のマシンを
離していく。
しかしながら、彼のスピードはウェットコンディションから明らかにドライに
なるにつれて、苦しさを増していく。
強い日差しと共に彼のリードが失っていく。
そのイギリス人に襲いかかっていたライダーはそのほとんどがインター
ミディエイトかカットスリックというドライとウェットの両方に対応
するタイヤか浅い溝のタイヤを使っていたのだが、そのライダーをレース中盤から
蹴散らすように上位に上がってきたのが、アンドレア・イアンノーネである。
彼は前後ともに、晴れ用のスリックタイヤでギャンブルを打ち、雨が残っていて
路面温度の低い状態では無理をせずに、走り、他のライダーの先行を許して
いたのだが、路面が乾いて、理想的なタイヤの状態になり、満タン状態
から燃料の搭載量が減ってくるにつけて、攻撃を開始。
そして、次々と先行するライダーを鮮やかに追い抜いていく。
そして、誰よりも早く、力強く走って見せて、見事にギャンブルを当てて
優勝である。
狂喜するチームクルー。前半の苦しい状態を辛抱しながら走って、
後半の路面状態、ライバルの動向をしっかりと見極めての攻撃と
浮き沈みやアップダウンというものがある中で、ハートは熱く、
ヘッドはクールに打ったばくちは最良の結果を得ました。
お金を持ち込んで走るライダーから稼げるライダーに変わっていくのは
成績によりけりなのですが、鮮やかな勝利は彼に美しい未来を想像
させるでしょう。
venerdi mattina ormai non c’e’ nessun sessione
poi sabato mattina c’era la prova libera
anzi sabato pomeriggio
quando piove violentemente non c’e’ nessun moto che corre
allora?
la pista di motegi e’ troppo lontano e vicino alla pista
quasi non c’e’ il posto da mangiare bere ecc ecc
tanti appasionati volevano vedere la qualificazione
anzi non esiste la moto che gira
credo che debba pensare di soluzione per gli appasionati
negli anni 90 la prima tappa di motomondiale fu a suzuka
pero’ fine marzo fa freddo e piove tanto
per questo cambiava il calendario
anche il tempo di primavera cambia molto velocemente
e la pista di motegi si trova alla montagna
il promotor e il manager della pista potevano immaginare
questo rischio pero’ ha successo
e il brutto tempo ha buttato via la sessione di sabato
pomeriggio
la copertura della televisione e’ importante
bisogna pensare di il calendario
e dovrebbe decidere le tappe
prima di dire il tempo NON da immaginare
credo che debbano pensare
come gli anzianni cambaiava il calendario di suzuka
da fine marzo a prima settiman di aprile
poi sabato mattina c’era la prova libera
anzi sabato pomeriggio
quando piove violentemente non c’e’ nessun moto che corre
allora?
la pista di motegi e’ troppo lontano e vicino alla pista
quasi non c’e’ il posto da mangiare bere ecc ecc
tanti appasionati volevano vedere la qualificazione
anzi non esiste la moto che gira
credo che debba pensare di soluzione per gli appasionati
negli anni 90 la prima tappa di motomondiale fu a suzuka
pero’ fine marzo fa freddo e piove tanto
per questo cambiava il calendario
anche il tempo di primavera cambia molto velocemente
e la pista di motegi si trova alla montagna
il promotor e il manager della pista potevano immaginare
questo rischio pero’ ha successo
e il brutto tempo ha buttato via la sessione di sabato
pomeriggio
la copertura della televisione e’ importante
bisogna pensare di il calendario
e dovrebbe decidere le tappe
prima di dire il tempo NON da immaginare
credo che debbano pensare
come gli anzianni cambaiava il calendario di suzuka
da fine marzo a prima settiman di aprile
MotoGP もてぎにて
2009年4月26日 スポーツかつて、オーストリアグランプリが雪で中止になったり、
先日はカタールグランプリが大雨で一日先送りでレースが開催
になったことがありました。
ある意味、豪雨でスケジュールのキャンセルというのは歴史的な
時間と場所に立ち会えたのでしょう。
まぁ、仕方ないといえば、仕方ないのですが、カレンダー的なこと、
タイムスケジュールの部分のところで遠いところに足を運んでいる
ファンに何かできなかったのかなと思いましたね。
先日はカタールグランプリが大雨で一日先送りでレースが開催
になったことがありました。
ある意味、豪雨でスケジュールのキャンセルというのは歴史的な
時間と場所に立ち会えたのでしょう。
まぁ、仕方ないといえば、仕方ないのですが、カレンダー的なこと、
タイムスケジュールの部分のところで遠いところに足を運んでいる
ファンに何かできなかったのかなと思いましたね。
イタリア選手権シーズン開幕
2009年4月19日 スポーツミザノアドレアティコで、イタリア選手権が開幕しました。
個人的にはスーパーバイク、スーパースポート、ストック1000
の争いが気になりますね。
そして、イタリアで報道され、参戦するかに思われたランツィ
とKTMの不在が気になります。
RC8Rというマシンが間に合わなかったのか、シーズン前の
どたばたで色々な意味で準備が足りなかったのかわかりませんが、
ランツィとチームカラッキの姿は今週末ないようです。
そして、イタリアのホンダ系チームのアルテアホンダが
トミー・ヒルの後釜としてランツィを使うのではないかという
話が飛び交っている中で、チーム側がオフィシャリーな
文章を発表して、この噂を否定しました。
様々な話が流れる中で、自制的に重なりあっているのが
気になりますね。
果たして、カラッキとランツィの明日はどっちなのか
興味が増大している私です。
ミザノにはSBK世界選手権のウィナーであるスペイン人が
走っています。
グレゴリオ・ラビーアがこのミザノでの一戦だけという
ことらしいのですが、ドゥカティを走らせています。
まぁ、ライダーとしてスキルが落ちていないことを業界関係者
に示すにはいいチャンスでしょう。
スーパースポートクラスでは、まぁ、ピッロの速いこと。
今回スポット参戦のマッコイのトライアンフに一秒の差を
つけてのポールポジションです。
マッコイ、ディオニージ、バッタイーニ、ナンネッリ、
ブランネッティ、イバノフ、サンナ、ルナデイ、ベリーニといった
連中に影を踏ませない圧倒的な速さと強さ。
昨年までロッコリがこのミザノで強さを発揮していて、
このチームは貴重なデータや経験があるのでしょうが、
それにしてもとんでもないタイムでした。
日本のファンの方は125時代の彼しか知らない人が多いと
思うのですが、4ストに転向した後の彼の成長ぶりと
強さは本物です。
私も当初はいわゆる、払って走ることができるライダーだと
思っていたのですが、あのクラウディオ・コルティと同等や
それ以上のタイムと成績を上げるにつれて、認識を改め
ました。
昨年までのストック1000選手権からスーパースポートに
スイッチして、ヤマハの600を走らせる彼に先物買いが
好きなレースファンは注目していいと思います。
個人的にはスーパーバイク、スーパースポート、ストック1000
の争いが気になりますね。
そして、イタリアで報道され、参戦するかに思われたランツィ
とKTMの不在が気になります。
RC8Rというマシンが間に合わなかったのか、シーズン前の
どたばたで色々な意味で準備が足りなかったのかわかりませんが、
ランツィとチームカラッキの姿は今週末ないようです。
そして、イタリアのホンダ系チームのアルテアホンダが
トミー・ヒルの後釜としてランツィを使うのではないかという
話が飛び交っている中で、チーム側がオフィシャリーな
文章を発表して、この噂を否定しました。
様々な話が流れる中で、自制的に重なりあっているのが
気になりますね。
果たして、カラッキとランツィの明日はどっちなのか
興味が増大している私です。
ミザノにはSBK世界選手権のウィナーであるスペイン人が
走っています。
グレゴリオ・ラビーアがこのミザノでの一戦だけという
ことらしいのですが、ドゥカティを走らせています。
まぁ、ライダーとしてスキルが落ちていないことを業界関係者
に示すにはいいチャンスでしょう。
スーパースポートクラスでは、まぁ、ピッロの速いこと。
今回スポット参戦のマッコイのトライアンフに一秒の差を
つけてのポールポジションです。
マッコイ、ディオニージ、バッタイーニ、ナンネッリ、
ブランネッティ、イバノフ、サンナ、ルナデイ、ベリーニといった
連中に影を踏ませない圧倒的な速さと強さ。
昨年までロッコリがこのミザノで強さを発揮していて、
このチームは貴重なデータや経験があるのでしょうが、
それにしてもとんでもないタイムでした。
日本のファンの方は125時代の彼しか知らない人が多いと
思うのですが、4ストに転向した後の彼の成長ぶりと
強さは本物です。
私も当初はいわゆる、払って走ることができるライダーだと
思っていたのですが、あのクラウディオ・コルティと同等や
それ以上のタイムと成績を上げるにつれて、認識を改め
ました。
昨年までのストック1000選手権からスーパースポートに
スイッチして、ヤマハの600を走らせる彼に先物買いが
好きなレースファンは注目していいと思います。
パロディはパワーのある作品に宿る
2009年4月18日 日常かつて、アメリカ横断ウルトラクイズがパワーとエネルギー
を持っていた時に、タモリ倶楽部で新宿区横断ウルトラクイズ
をやって、すごく面白かった印象がありました。
まぁ、オリジナルの方にどえらい求心力と遠心力がある時に
それをネタにしたパロディというのは、また光輝くものですね。
そんなわけで、新規参入のしやすさがあり、表現に制約が
それほどかからない(と業界内部の方々が口にしている)
アダルトビデオの世界では、これまで様々なパロディ作品
が作られてきていますが、きっと、多くのメーカー、
プロデューサー、監督、制作スタッフが考えているのは
『おっぱいバレー』のパロディ(あるいはあふれるほどの
リアルな作品)ではないかと思う私です。
を持っていた時に、タモリ倶楽部で新宿区横断ウルトラクイズ
をやって、すごく面白かった印象がありました。
まぁ、オリジナルの方にどえらい求心力と遠心力がある時に
それをネタにしたパロディというのは、また光輝くものですね。
そんなわけで、新規参入のしやすさがあり、表現に制約が
それほどかからない(と業界内部の方々が口にしている)
アダルトビデオの世界では、これまで様々なパロディ作品
が作られてきていますが、きっと、多くのメーカー、
プロデューサー、監督、制作スタッフが考えているのは
『おっぱいバレー』のパロディ(あるいはあふれるほどの
リアルな作品)ではないかと思う私です。
lanzi con caracchi
2009年4月16日 スポーツil pilota romagnolo e’ in piedi nella stagione agonistica
della velocita’
il pilota talentuoso italiano ritorna alla pista con
la nuova offerta
e allora?
la team RG partecipava al campionato mondiale di superbike
e l’ex pilota ufficiale della ducati guidava la moto di
borgo panigale e ha vinto la gara durissima a valencia
e ha regalaro importantissima vittoria
pero’ la team RG ho deciso di ritirarsi al campionato mondiale
di superbike
e il lorenzo lanzi ha perso l’opportunita’ da girare
al campionato mondiale nel 2009
dopo aver perso il suo posto arriva qualche offerta
per gareggiare nel 2009 pero’ non poteva essere d’accorto
con la team
abbiamo aspettato la bella notizia
e finalmente arriva il messagio ufficiale
il lorenzo lanzi guida la KTM con la team SC caracchi
nel campionato italiano
arriva a misano adreatico con il marchio austriaca
allora vediamo la nuova sua sfida nel 2009
il lanzi doveva svillupare la moto per il futuro vicino
e anche debrebbe vincere al campionaziole
sara’ duro pero’ credo che possa fare lui
cosa fa cosa ci sara’ vediamo
la nuova decisione del ottimo pilota
della velocita’
il pilota talentuoso italiano ritorna alla pista con
la nuova offerta
e allora?
la team RG partecipava al campionato mondiale di superbike
e l’ex pilota ufficiale della ducati guidava la moto di
borgo panigale e ha vinto la gara durissima a valencia
e ha regalaro importantissima vittoria
pero’ la team RG ho deciso di ritirarsi al campionato mondiale
di superbike
e il lorenzo lanzi ha perso l’opportunita’ da girare
al campionato mondiale nel 2009
dopo aver perso il suo posto arriva qualche offerta
per gareggiare nel 2009 pero’ non poteva essere d’accorto
con la team
abbiamo aspettato la bella notizia
e finalmente arriva il messagio ufficiale
il lorenzo lanzi guida la KTM con la team SC caracchi
nel campionato italiano
arriva a misano adreatico con il marchio austriaca
allora vediamo la nuova sua sfida nel 2009
il lanzi doveva svillupare la moto per il futuro vicino
e anche debrebbe vincere al campionaziole
sara’ duro pero’ credo che possa fare lui
cosa fa cosa ci sara’ vediamo
la nuova decisione del ottimo pilota
昔のコサキンのネタでいい年齢をして
露出度の高い服を着る人に対しての話がありました。
誰も頼んでいないのに超ミニスカートを履く欧陽菲菲と木の実ナナに
誰か二枚目のイエローカードを出してくれないか。見ている方が
すごく恥ずかしいというもので、さらに、西川峰子のキャミソール姿に
レッドカードを出してほしいというものでした。
まぁ、確かにそうだなと思った覚えがありましたが、その後私は
イタリアで住みはじめました。
そこで、他人の目を気にすることが馬鹿らしいとか、自分を素直に表現
することが大事なんだとか、自分に自信を持つことの必要性を感じましたね。
そんなわけで、暖かくなってきましたが、以前のようにコサキンのネタのような
ことを思わなくなりました。
自分がやりたいファッションをやることというのは大事な自己主張だと
思います。
暖かくなってきて、露出度の高い服を着るのを受容する社会、好きな服を
着られる自由が認められる世の中というのはいいのだと思います。
露出度の高い服を着る人に対しての話がありました。
誰も頼んでいないのに超ミニスカートを履く欧陽菲菲と木の実ナナに
誰か二枚目のイエローカードを出してくれないか。見ている方が
すごく恥ずかしいというもので、さらに、西川峰子のキャミソール姿に
レッドカードを出してほしいというものでした。
まぁ、確かにそうだなと思った覚えがありましたが、その後私は
イタリアで住みはじめました。
そこで、他人の目を気にすることが馬鹿らしいとか、自分を素直に表現
することが大事なんだとか、自分に自信を持つことの必要性を感じましたね。
そんなわけで、暖かくなってきましたが、以前のようにコサキンのネタのような
ことを思わなくなりました。
自分がやりたいファッションをやることというのは大事な自己主張だと
思います。
暖かくなってきて、露出度の高い服を着るのを受容する社会、好きな服を
着られる自由が認められる世の中というのはいいのだと思います。
果たして、ベイスターズは今年どれだけ負けるのか
2009年4月9日 スポーツまぁ、いい投手がいいピッチングしたら、点数を取るのは難しい。
そして、大量得点を奪われたら、劣勢に試合を進めることになる。
では、何をどうするのか。大矢監督の悩みは深いですね。
今年は横浜ベイスターズは一体どれだけ負けるのでしょうか。
セントラルリーグをつまらなくする可能性はかなり高いと思います。
石井がドラゴンズの二軍でくすぶっていたのは、チーム事情が
あってのことでしょうが、そんな選手が能力を発揮できる磁場があれば
活躍できる。
ベイスターズのフロントスタッフは現状に満足できなかったら、よその
チームの能力はあるば、場所を得られていない投手を取りに行く必要が
あると思います。
そして、大量得点を奪われたら、劣勢に試合を進めることになる。
では、何をどうするのか。大矢監督の悩みは深いですね。
今年は横浜ベイスターズは一体どれだけ負けるのでしょうか。
セントラルリーグをつまらなくする可能性はかなり高いと思います。
石井がドラゴンズの二軍でくすぶっていたのは、チーム事情が
あってのことでしょうが、そんな選手が能力を発揮できる磁場があれば
活躍できる。
ベイスターズのフロントスタッフは現状に満足できなかったら、よその
チームの能力はあるば、場所を得られていない投手を取りに行く必要が
あると思います。
F1マレーシアグランプリ。だから言わんこっちゃない。
2009年4月6日 スポーツヨーロッパでのテレビ視聴者のことを考えて、メルボルン、セパンの
二レースをナイトレース開催にしようと考えている人たちが多く、
今シーズンを前に関係各所の話し合いがされて、ベストコンプロマイズとして
夕方の開催ということで決着しました。
しかし、メルボルンはともかく、セパンでそれをやるのは気象条件から考えて
とんでもないレインレースになることは予想できましたね。
でもって、昨日のレース。多くの人の予想は具体化しました。
まぁ、だから言わんこっちゃないと思った人、とりわけマレーシアに
住んでいる人は多かったことでしょう。
恵の雨になった人、逃した魚が大きかったと思った人もいたのが、
豪雨で中断となったレースに存在したのでしょうが、個人的には
レースが途中でフィニッシュしてハーフポイントに終わるより、
じっくり見たいと思います。
二レースをナイトレース開催にしようと考えている人たちが多く、
今シーズンを前に関係各所の話し合いがされて、ベストコンプロマイズとして
夕方の開催ということで決着しました。
しかし、メルボルンはともかく、セパンでそれをやるのは気象条件から考えて
とんでもないレインレースになることは予想できましたね。
でもって、昨日のレース。多くの人の予想は具体化しました。
まぁ、だから言わんこっちゃないと思った人、とりわけマレーシアに
住んでいる人は多かったことでしょう。
恵の雨になった人、逃した魚が大きかったと思った人もいたのが、
豪雨で中断となったレースに存在したのでしょうが、個人的には
レースが途中でフィニッシュしてハーフポイントに終わるより、
じっくり見たいと思います。
ブラウンの優勝はフロックか、ラックか、実力か
2009年3月29日 スポーツまぁ、とんでもないレースを見てしまいました。
このメルボルンというのは、市街地サーキットで色々なことが起きてしまう
サーキットなので常勝チャンピオンも星を落とすこともあるし、意外な
リザルトが残ることもあるので、少々のことでは驚かないのですが、
このブラウングランプリの快足ぶりには世界中がシーズン前に予想していた
ものを感じたことでしょう。私もその一人です。
さて、このグレートビクトリーが次のマレーシア以降も続くのでしょうか。
あるいはメーカー系チームの反撃が起きるのでしょうか。
とにかく、テニス界にボリス・ベッカーが出てきた時にそれまでの秩序や
序列が変わってしまったことがありました。その時のような地殻変動が
レースの最高峰の世界で起きそうな気がします。
ブラウンのバトンとバリチェッロという名前の二枚刃の切れ味は鋭いです。
このメルボルンというのは、市街地サーキットで色々なことが起きてしまう
サーキットなので常勝チャンピオンも星を落とすこともあるし、意外な
リザルトが残ることもあるので、少々のことでは驚かないのですが、
このブラウングランプリの快足ぶりには世界中がシーズン前に予想していた
ものを感じたことでしょう。私もその一人です。
さて、このグレートビクトリーが次のマレーシア以降も続くのでしょうか。
あるいはメーカー系チームの反撃が起きるのでしょうか。
とにかく、テニス界にボリス・ベッカーが出てきた時にそれまでの秩序や
序列が変わってしまったことがありました。その時のような地殻変動が
レースの最高峰の世界で起きそうな気がします。
ブラウンのバトンとバリチェッロという名前の二枚刃の切れ味は鋭いです。