何年か前に夜中にテレビを見ていて、コマーシャルになったので
いつものようにチャンネルを変えていたら、見覚えのある顔を見る
ことになりました。

たまたまNHK教育のフランス語会話を目にしたのですが、
この番組の文化人や有名人のインタビューに
ベルトラン・タヴェルニエが出ていました。恐らく新作のある種
のプロモーションを兼ねてのものだと思いました。

私はこの映画監督と過去二回会ったことがあります。

一回目は私が16歳の時。彼の「田舎の日曜日」”dimanche a la
compagne"の上映会が名古屋の千種の河合塾であり、
この上映の後、彼を含めてティーチインが行われました。

色々な話が聞けたのですが、その後、彼に握手を求めに
行き、彼もそれに応じてくれたのですが、その時に「merci」
と言われたのですが、当時の私はその程度のフランス語もわか
らずに(今の私を知っている人には理解できないかもしれま
せんが)英語で「thank you」と答えていました。

二回目は私が私が22歳か23歳の時。フランス映画祭横浜に行った
時のこと。

この映画祭で彼の「L627」が上映され、場所を変えて、やはり
お話する機会に恵まれました。

この時に私はじっくり話すことができたのですが、最初に会った
時に「merci」と言われたのに、それがわからなかったこと。
それが理由で大学の第二外国語にフランス語選んだこと。
ところが、その後に始めたイタリア語の発音やイントネーション
が名古屋弁に似ているので、イタリア語の方が上手くなってしまっ
たこと、「ラウンドミッドナイト」に大変感銘を受けたこと
などを話したら、大変喜んでくれて、私に合わせてイタリア語
で話してくれる有り様でした。
(多分、タヴェルニエ氏とイタリア語で話した初めての日本人では
ないでしょうか)

その後、私はサラリーマンを辞め、イタリアに留学しさらに
イタリア語を勉強し、バイクのレースの世界の片隅で一日中
日本語、イタリア語、フランス語、英語を話すような日々を
送るようになり、浮き沈みはあるものの部分的な成功と
一定の評価を得ることに成功しました。

一方タヴェルニエ氏はベルリン映画祭でグランプリを獲り、
その後も創作意欲が衰えることなく、作品を発表しています。

もし、私がタヴェルニエ氏と三度目に会うときは何が集中し、
そして拡散するのか、何が生まれ、何が壊れるのか、様々な
進化と深化を遂げてどんな言葉が咆哮するのだろうか。

お楽しみはこれからだ。
名古屋人の私にとって、テレビ東京系列のテレビ愛知の開局
というのはとても大きなものでした。

まずは、それまでテレビ東京の番組を独立U局の
三重テレビで見たり、名古屋の他の局でかなり遅れた時間を経て
見ることから解放されたこと。そして、多くのテレビ東京らしい、
番組を見ることが見られるようになったことですね。

その中の一つが、「ワールドビッグテニス」であり、さらに「三菱
ダイヤモンドサッカー」や強かった頃のタイソンのボクシングヘビー
級のタイトルマッチでありました。

これらの番組のおかげで今の私があるといっても不思議ではあり
ません。

「ワールドビッグテニス」で世界のトップクラスのプレイを毎週、
見られるようになったこと。そして、彼らがインタビューに応じて
いる時に、チェコ人のレンドル、スロヴァキア人のメチージュ、
ハンガリー人のテメシュバリ、ブルガリア人のマレーバ姉妹も
みんな英語で受け答えしていることを知り、何らかの形で世界に出て
いくとなると英語が必要なんだと感じました。と同時にテニスは
シーズンオフが少なく、世界中で大会があることもあの番組を
見始めてからすぐに理解できました。

英語を話し、世界を掛けまわる私のような人間の原点があの番組に
ありました。その後、実際にテニスプレイヤーと親しくなるなんて
中学や高校時代には考えられなかったけどね。

よそがやらないことをやることが好きなテレビ東京ですが、
テニスファンに愛され、育ててきたのに、様々な事情から
「ワールドビッグテニス」が終わり、サッカーがポピュラーでなかった
時からサッカーファンを支えてきた「ダイヤモンドサッカー」が
姿を消し、タイソン戦などのボクシングもいつしか見なくなりました。

テレビ東京、そして系列局であるテレビ愛知が育ててきたソフトを
衛星でお金を払ってみるという形になっているのは、お金を払って
でも見たいという人がたくさんいて、ある種、マーケットとして
成立していいことだと思う反面、ただで見られて、味わい深いテレビ
東京のアナウンサーの名実況が聞けなくなってしまったなぁという
さみしい思いが私の心の中に混在しています。
何年か前かテレビで競馬を見ていたら、レースの後に勝利騎手
インタビューをやっていました。

勝った馬の名前というのはすぐに忘れてしまいましたが、ジョッキーは
今でもはっきり覚えています。彼の名前はオリヴィエ・ぺリエ。

フランス人でオリヴィエという名前でスポーツ選手で思い浮かべるのは、この素晴らしい騎手、そして、かつて世界グランプリロードレースの250ccクラスで世界チャンピオンになった、オリヴィエ・ジャック、それからF1ドライバー(だった)のオリヴィエ・パニスの三人ですね。

私が面識があるのはオリヴィエ・ジャックだけなのですが、ぺリエ
という人のインタビューを見ていてある種の共通点を感じました。

まずは、フランス人であるが、英語を話すという点。世界規模の
スポーツに参加していると、必要なものだと英語嫌いの私も思います。

そして、簡単な日本語で協力してくれた人や、関係者にお礼を言う
ところですね。ぺリエはインタビューで、「どうもありがとう。
関西の人にはどうもおおきに」なんて言っていました。

日本人で何らかの形で世界に出たいと思っている人は、様々な
ジャンルでたくさんいると思いますが、体一つで世界に出るにせよ、
スポンサーやメーカーなどとの繋がりを得て海外に行くにしても
やはり、英語は必要だし、また、お世話になった人や団体に御礼の
言葉をその人や、携わっている団体で話されている言葉で口にすると
いうのは、重要なことだと思いますね。

私がオリヴィエ・ジャックとフランス語で話ながらも、簡単な日本語
を彼が口にする様子を目にして、根性や技術と同時に必要なものを
感じる私です。

その彼は様々な理由が重なって、浪人生活を余儀なくされて
いますが、来季に関して、交渉を始めました。できることなら、
F1的になってきているMOTOGPではなく、SBKに来て暴れて欲しい
ものです。
日本のバイクのレースが好きな方の多くはNHKBSで放送されている
世界グランプリ(MOTOGP)はよく目にするけれど、スーパーバイク世界選手権(SBK)はあまり見ないと思います。

まぁ、これはNHKBSというかなり普及したメディアと
スカパー内のJ SPORTSというこれから普及するであろうメディアでの放送ということでアクセスの仕方もあって、どうしてもGPの
方が見る人が多くなるということになってしまいますが、私が思うに
競争とかスポーツ、企業のPR活動、ファンサービスという部分では
SBKの方がはるかにいいと思います。

SBKのよさ、楽しさなどをこれから書いていこうと思っています。
また、その他の分野の私が感じたこと、楽しかったことなども
書いていこうと思っています。

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