関係者が高く評価しても、その時に来場している客のニーズにマッチ
しないと笑いは起きない。客層を理解し、共通理解があるなかで持っている
ネタの中でどれが顧客満足度が高くなるのか、何をやってはいけないのかを
理解している人が劇場で大きな笑いを生むことができますね。

 多人数出演しているお笑いライブでは知らなかった芸人さんのネタを見ること
も多くて、ある意味街中で流れる有線やお店で耳に入ってきた音楽がいいなと
思ってその作品を聞こうとしたり、さらにそのミュージシャンの他の楽曲も
聞きたくなったりしますが、それに似たようなことを池袋のお笑いライブで
感じました。

 バーバラ鬼頭さんのネタというのはその時に来場していた客に共通理解が
あった。そして、見た目と人物設定がマッチしていた。俳優さんにはまり役
が存在するようにバーバラ鬼頭さんが演じた役は彼女の見た目に合っていた
から見る側からするとすんなりとストーリーに入っていけた。そして、
私やほかの客で同じ年代の人というのは大林宣彦監督の「転校生」を
見ていた人も多いし、お笑いライブに来場するような人であり、ライブイベント
と演者の関係性をある程度知識として得ているからアイドルとファンとの
関係性も理解している。

 その客を相手に見た目に合った役割設定をして、毒があって、ちゃんと
演技していたら笑いが発生する。そこはやりたいこととは異なるかも
しれないが、やるべきことを選択した彼女のクレバーさがあるのかも
しれないし、やりたいことと当日の客層から考えてやるべきことが合致
したとしたら幸運な偶然が持たされたのだと思いますね。

 彼女の見た目で時事ネタをやったらたかまつななとかぶってしまう。
女芸人が作りやすくてよくやっている容姿や恋愛に関するネタは
何組も続いているとお笑い脳が胃もたれして、もういいよと思って
舞台に集中できない・

 バーバラ鬼頭さんのネタの選択と演技力は彼女のお笑い偏差値の高さを
感じさせてくれました。

 

 単純に開催数が増えたり、東京だけでなくて地方都市でもやることになったら
見る人も増えて、感想をネット空間で読むことになるのですが、彼の話術の
素晴らしさを評価する声が多いですね。

 そこで思うのは、古舘伊知郎さんであったり、所属事務所とテレビ局との
縛りがなくなったり、本人がやりたいことをやろうとしていて、それを
バックアップしようとしている体制ができているのでしょう。

 古舘伊知郎さんのトーキングブルースもいいのですが、他の方でメディア
との縛りが緩くなってきていたり、帯番組のレギュラーがない人で能力や
技術のある人にトークライブをしていただけたらいいのになぁと思っています。

 久米宏、みのもんたさんと荒川強啓さんのトークライブは開催されたら
見たいと思う人が多くて観客動員数も高いものになるだろうなと思っています。
 揺れる巨乳のファンタジィと震える下っ腹のリアリティを有する
じゅんこBAN!BAN!さんの配信を始めて見ましたが、これはとんでもなく
面白かったですね。

 私はちょーちんあんこーの素晴らしさに関して今までもこのブログでも
取り上げてきました。

https://yasumarzo.diarynote.jp/201803290059029887/

https://yasumarzo.diarynote.jp/201807131141157299/

 漫才で面白い人ではあるのですが、そこには二人で目指す方向性に
立脚した脚本であったり、時間的な制約などが当然あります。
そこにはテニスのダブルスペアのようなコンビネーションで生まれるものや
競走馬とジョッキーのような関係性で成立するものもあります。

 優れたダブルスプレイヤーがシングルスでは結果で出なかったり、
いいジョッキーでも駄馬では能力を発揮できなかったりすることを
テニス好きであり、競馬もやる私は理解しているのですが、その一方で
優れたダブルスプレイヤーでありながらもシングルスでもトッププレイヤー
だったり、どんな馬でも乗りこなせるジョッキーもいます。

 配信を見ていて思ったのはじゅんこさんはいいダブルスプレイヤーでも
ありながら、シングルスでも結果を残すプレイヤーであり、どんな
気難しい馬でも乗りこなせるジョッキーだと確信しましたね。

 彼女がこの配信をしようとかコンビとは別にこうしてソロでの活動を
しようとした理由とか決断にいたる過程は知りませんが、一人喋りで
一時間以上も高いテンションで笑いを生むためにはガチンコの能力の高さと
強い決断力と深い欲望がなければできなかったことでしょう。

 この時期になると私の立場上、パリダカールラリーのことを考えることが
多いのですが、あのモーリタニア砂漠を車やバイクで走破する過酷で
厳しいラリーを発案して、各国の政府や多くの自動車メーカー、
バイクメーカーに難しい交渉をして、舞台を揃えた創始者のティエリー・
サビーヌは参加を考えていたドライバーやライダーにこう言いました。

 「冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れて行こう。」

 冒険の扉を開いて厳しくも激しいラリーを制したドライバーやライダーが
レース界で栄光とビッグマネーを手にして、世界中のファンから愛され
尊敬されることになりました。

 同時にあんな過酷な環境下で走るための車やバイクを製造するのは
大変だが、それに耐えうるマシンを作ることで技術革新が進み、
ヘルメットメーカーやタイヤメーカーも限界性能を突き詰めることで
製品が進化して、それが悪路でも高い品質を持つ商品開発が進みました。

 そして、近年ではカーナビの技術革新にもつながっています。

 冒険の扉を開いたじゅんこさんが面白さでお笑い好きから愛されながら
一人喋りをすることで話術の進化をもたらし、それが今後の自らの
商品価値を高めてブランド力を上げる。優れたドライバーやライダー
に通じる実力や技術力を彼女のきれいな発話とネタの爆発力から感じて
います。

 年齢は単なる数字であって、高い技術と大きなパワーを持っている人は
見ていて楽しい。ボーカリストの浜田麻里さんとの共通性を感じたり
するのですが、そういえば彼女はパリダカールラリーのテーマ曲を
歌っていましたね。「ポケットの夢と眠れない時間。真夜中につづられる
イリュージョン」じゅんこさんがあまり寝てないと言いながら話すことは
まさにそれを感じますね。パリダカールラリーを考えながら浜田麻里さんの
「nostalgia」を聞きながらそんなことを考えています。
(浜田麻里さんの「nostalgia」はこちら↓)

https://www.youtube.com/watch?v=fyZ-TJJ8I74

https://www.youtube.com/watch?v=uneFrTnxpE8

 





 
 体調不良を理由に都議としての活動をしなくて、ようやく議会に出てきた
かと思えば、議員としての活動は継続するらしい。見た目は遺伝子的なもの
などがあるから、あれこれ言う気はないが、気持ちがブスなのは本当に嫌ですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e5105077f66b76728353dabb8de1e620122541f

 木下富美子の都議会選挙からここまでの振る舞いや行動を見ていると
彼女に投票した人でも辞めた方がいいという人も多いと思います。記者会見で
議員活動を続けて欲しいと応援している人がいると話していましたが、
それはいったいどれぐらいの人数になるのでしょうか。

 
 NHKの朝ドラの「純情きらり」にこれまでのキャリアでずっと悪役をやって
いて、現代劇では反社の偉い役職の人や時代劇では悪代官などで斬られる
役をやってきた八名信夫さんが頑固だが人のいいおじさんの役をやって
評価を得たことがありました。はまり役というのはあるのでしょうが、
同じことをやり続けると飽きたり違うこともやりたくなってくるところに
それまでのイメージとは異なる役が当てはまるのではないかと配役を考えて
オファーしたNHKのプロデューサーはものすごく見る目があったのだと思い
ました。

 そんなNHKの朝ドラを時計代わりに見ていて、この数年はお笑いライブを
見ていている私が先日面白がっていたのがなかの芸能小劇場で見た
じゅるりという女性コンビのネタでした。

 それまでに彼女たちのネタを見たことがありますが、いわゆる女の子社会
のあるあるネタをやっていることが多かった。そこではコントの役側に
マッチしやすいから人物設定していたと思います。

 それはネタを作りやすいとか演じやすいということがあったのでしょうが
この日の「TEPPEN ハニー」でやったネタというのはこれまでやってきた
ネタや人物設定とは大きく異なるものでした。

 そして、このネタにはかなり爆発力のあるネタでしたね。
これまでのやってきたネタや人物とは大きく異なることをやる勇気や
やりたいというある意味の深い欲望とネタの良さが爆発していました。

 そして、彼女たちぐらいのキャリアの芸人だと割に小さなキャパシティの
劇場でやることが多い。20人から50人ほどの収容人員の場所で舞台も
小さいところが多いのですが、この日のなかの芸能小劇場は彼女たちが
このネタをやるのに適した舞台サイズであり、そこで大きな動きのある
ネタをやるのは適材適所だったと思いますね。

 ある意味、前述の小さな劇場でやるのは家庭のガスコンロの火力と
一般的に使うフライパンで作る中華料理でなかの芸能小劇場でのこのネタは
中華料理店の業務用の火力で大きな中華鍋を用いて作った中華料理ぐらい
の違いがあったと思います。

 悪役が善人役をやりたいと思っていたところでオファーを得て思わぬ
視聴者が驚きを感じながら高い評価を得たように芸人が今までのネタや
人物設定から大きく離れることをやりたいという気持ちを抱いている時に
ネタができて、空想を具現化して、それをその生かせるサイズの舞台で
やり切った時に爆発的な盛り上がりと笑いが生まれたのだと思います。


 
 先日の「NHK新人お笑い大賞」に元バレーボール選手でスポーツキャスターや
女優や大学の非常勤講師を務めている大林素子さんが審査員をしていました。
私はこのことを肯定的に捉えています。

 かつて80年代のお笑いのオーディション番組の「お笑いスター誕生」で
いわゆる大御所で名人と言われる芸人さんが審査員として登場していましたが
同じ並びで放送回によってはガッツ石松さんや横森良造さんや水野晴郎さん
やタモリさんや近江俊郎さん、赤塚不二夫さんが審査をしていました。

 これは大御所と言われる人からすると異端に思えて面白いけれど
評価されないような芸人であったり、ベテランで名人になると評価基準が
技術面に偏るというところがあったから、当時のプロデューサーさんの
赤尾健一さんがあえて複眼的な批評軸を求めて正統派で名人芸と言われる
人以外に技術性に重点を置かずに視聴者目線に近い人であり、それでその
道でトップレベルのボクサーであったり、表現者を選んだということの
ようです。

 技術的には粗いかもしれないが、ネタが面白いとかいわゆる名人芸
とは明らかに距離があるが新しい発想を有していている新しい芸人を
発掘しようとした狙いが審査員の人選にありました。

 10月31日に開催、放送された「NHK新人お笑い大賞」で大林素子さんが
審査員をするというのはかつての「お笑いスター誕生」で赤尾健一さんが
名人や大御所以外の方に審査員をお願いして一軸ではなくて、複数の
批評軸を設定した時と同じような感性をNHKの番組スタッフが持っていた
のではないでしょうか。

 大林素子さんというのは元バレーボーラーであり、世界のトップに行くことの
しんどさや難しさと喜びや快楽を知っている人であり、練習や研究に
取り組んだ人であり、その人が引退後スポーツキャスターとして活動したり
非常勤講師として人に伝えることや表現することの楽しさと難しさを
体験的に理解していて、それでいてお笑いマニアで東京圏のお笑いライブの
会場に足を運んで今売れている芸人を見ながら、次世代の面白いお笑いに
対する視点を持っていて、実際に演劇の舞台に立ってコミカルな舞台も
経験している。

 そのあたりのことを知らない人はなんで大林素子さんが審査員なんだろうか
と思ったりするのでしょうが、放送業界やお笑いの世界では大林さんは
単なる視聴者ではなくて、演者の気持ちもわかり、お笑いライブに出かけている
ということが制作側にも演者側にも共通認識がある。

 そして、どうしてもお笑いの世界で長いキャリアを持っている人は
評価が技術面に偏る傾向があるのですが、そうではない視点を持つ人が
審査委員の中にいて欲しいとNHKの制作サイドにかつての日テレの
赤尾健一メソッドを持つ人がいたのかなと思いますね。

 私は「NHK新人大賞」で大林素子さんを審査員の一人に入れたのは
正解だったと思いますね。
 歌の世界でもお笑いの業界でもキャリアが浅い段階では先生と呼ばれる人や
役職の付いている大人が考えるいいものを提示されて、それをこなしたり
トレースして表現することで当てることで経済的な成功を得たり、
評価を高めることがあります。ただ、それが表現者のやりたいことと
合致していなかったり、ずれがあったりすることは当然あると思います。

 表現者がやりたいことをやるというのはTAIGAさんが言うところの体重の
乗った表現ということになるわけで、初期衝動に根差していたり、原始的な
欲望に従っているわけで、歌を歌うのであればすんなり歌うことができたり
お笑いであればネタを早い時間で作り上げることができて、演者としては
キャラクターになり切ることができると思いますね。

 「TEPPEN ハニー」というお笑いライブで地獄パワフルのネタを見ていた
のですが、これが攻めた下ネタでした。

 彼女たちのネタというのは何度も見たことがあるのですが、これまで
見たネタとはかなりかけ離れていましたね。

 女芸人がやるネタというのは容姿とか恋愛に関することが多くて、
作りやすいからこういうネタになるのかなと思いつつ、今の円安や原油価格
などを見ていると世の中には大変な思いをしながら生活しているなかで
見た目と色恋に関する話はすんなり入っていけない。入っていけるのは
強い毒であったり、とんでもないパワーがあったり、コントであれば高い
演技力があって引き込まれるようなことがないとすんなり見ることができない。

 そんな私にとって、地獄パワフルの今回のネタというのは突き抜けた
くだらなさのパワーが溢れて面白いものでした。

 ひょっとして、今までの彼女たちのネタというのは作りやすいから
作ったネタかもしれないし、事務所や芸人仲間や作家がこういうものが
いいと思って提示されたものをなぞったものかもしれない。
それでは体重の乗ったものではなくて、本人の欲求や希望が表現されなくて
他の芸人がたくさん出るライブで埋没してしまう。

 しかし、昨日なかの芸能小劇場で見たネタというのは強い下ネタだった
のですが、これは本人がやってみたいことを突き詰めて、しっかりと練りこんで
舞台上で暴れまわった気がしますね。

 また、このネタというのはこの日の来場していた客層とも合っていたと
思いますね。

 デビュー以来歌の世界で氷川きよしさんが事務所やレコード
会社の言うことを聞いて作品を発表して業界内の大人の考えるいい楽曲を
歌ってきて彼らに経済的な利益をもたらしてきました。そして、この二年
ぐらいは彼が歌う作品やビジュアル的な表現などやりたいことをやって、
その方向性に戸惑いながらも支持する人やずっと持っていたやりたいこと
や欲望を満たしてあげようと積極的に肯定している状況がありますが、
その氷川きよしさんとファンとの関係をなかの芸能小劇場で感じましたね。

 私はお笑い芸人が欲望をむき出しにして作る姿は美しいと思いますし、
ほぼほぼそういうネタは根源的なパワーとかエネルギーが溢れているから
面白いから楽しめることが多い。

 多少粗かったり、勢い任せの部分もあったと思いますが、面白かった
なと思った私でした。


 
 いつもやっていることの延長線上は物事に取り組みやすい。そして、
それが芸事だと客が求めていることや見慣れていることなので受け入れられ
やすい。しかし、同じカラーのことをやり続けていると飽きてきたり、
違った芸風や技術のものを試したりやってみたいと思うのは当然だと思います。

 善人役がはまり役だった岡本信人さんや石黒賢さんがやったテレビドラマでの
悪役はそれまでのイメージとは真逆で怖さを感じたのですが求められた役を
演じた以上に本人に面白さや発見があったと以前話していました。

 大ヒットした「田園」を玉置浩二が崩して歌うのも長く同じ曲を同じに
歌ってきて、何かしか変化であったり、違ったカラーを加えたいという
ボーカリストとしての根源的な欲望がそうさせている気がします。

 土日に遊んでいた人にとっては行きにくい月曜日のお笑いライブというのは
集客面で苦労するということがあるのですが、それまでのイメージや芸歴
で同じネタを求める客がいなかったり、少ないという状況はある意味、
芸人の持っている遊び心や実験精神を持ってくだらないことを具現化して
テストするいいチャンスであるとも言えます。

 ちょーちんあんこーのじゅんこBAN!BAN!と正子(イナキ)がユニットを
組んでやってみたいことをやったというのはそういうことだと思いますね。
ある種、実力者の遊び心を持って今までにないことをやるストリートライブ
葉加瀬太郎さんと里英さんのアドリブライブみたいでしたね。
当該のライブはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=6Oa8R5_x8_0

 これは魔族というSM芸人の世界を下ネタウェルカムの女芸人二人が解釈と
アレンジを加えたらこんな感じになるのかとか東スポの一面見出しやフーゾク
ページを読み込んでいるひとがネタを作るとなるとこうなるんだなと思い
ながら見ていました。

 じゅんこさんの揺れる巨乳のファンタジィと震える下っ腹のリアリティが
それに欲の深さにリアリティを与えていましたね。はまり役というものが
あるように見た目に合致したネタを楽しんだ一夜でした。

 私の幼少時代から少年時代というのは名古屋にいて関西の放送局の制作番組を
見ることができました。その時に感じたのは「これはミスキャストではない
のかな」というものでした。

 当時の在阪局で出演していたのが、キダ・タローさん、上岡龍太郎さん、
横山ノックさん、笑福亭鶴瓶さん、島田紳助さんといったメンバーでした。
彼らが主にトーク番組などで面白いことを30分番組や60分番組でしゃべ
りまくるというのを見ていたのですが、そこに若い女性タレントやアイドル
をやっていて活動の中心を歌番組からバラエティにも広げようという人が
キャスティングされていることが結構ありました。

 素晴らしい話芸とネタを持っている芸人さんがいるなかで少々浮いている
ように見えて私はこれはミスキャストではないかと思ったりしていましたが
今となってはそうとも言い切れないなと思えますね。

 濃いキャラクターでずっとおじさんたちが映っていたら、おじさん臭が
強すぎる。これが「PAPEPO」のようにポップな美術セットでの撮影で
二人だったらともかく三人以上となると見ていてしんどくなりますね。

 それがいいという人もいるのでしょうが、さすがにテレビは見た目というのは
重要なので女性の若手のタレントがいたほうが見た目からおじさん臭を
ある程度抜くことができる。

 そして、それほど高くなくて若手の女性タレントを使うのは予算内で
収まるし、タレント側も素晴らしい芸人さんと一緒にいて勉強になる
ことも多いから雇う側も使われる側にもメリットがある。

 ここ三年ほど東京でお笑いライブを見ることが多いのですが、
女性ファンのついていない容姿のよくない男の芸人ばかりだと見ていて
何だか疲れますね。ブステレビに出演していたようなレベルの容姿の
女芸人が出てきても空気がやわらいだり、場が明るくなるのは感じます。

 重厚な名人芸を見られる寄席に女芸人とかイロモノの芸人があって
緊張と緩和が生まれるように、男ばかりの暑苦しいお笑いライブには
女芸人が必要なんだろうなと思っています。
 




 両リーグ共に前年最下位のチームが優勝。競馬の予想などはフルゲートで
18頭なのですが、野球のリーグ戦の予想は6チームなので優勝チームを
予想するのは競馬ほど難しくないのにほとんどの解説者は予想できなかった
ですね。

 競馬の予想で堅い予想をする人は直近のレースで好成績を上げて、調教や
追いきりで悪くない状況の馬を高く評価して◎や〇をつける。

 しかし、大穴狙いの競馬記者や評論家は前々走や前走の成績が下位に沈んで
いても調教が上手くいっていたり、当日の騎手が調子良かったり、距離特性
なり血統でこれは行けると思ったら同業者が低く評価していても自らの判断と
感性で本命や対抗馬として高く評価して、大荒れとなったレースで上位人気
の馬が沈んだレースで予想を的中して穴狙いの競馬好きから高い評価を
得ています。

 野球評論家はある種人気チームであったり、局が推しているチームの
取材を長時間していて、その当該チームが前年の成績が良かったりすると
上位に予想して、前年の成績が下位で所属している媒体との関係の薄い
チームは取材時間が圧倒的に少なかったり、しなかったりして戦力分析
をしっかりしないまま順位予想をしているのではないかと思えますね。

 野球解説者と競馬記者との間にある種の相似性や同じ土壌が存在している
ような気がしています。

 

ラムズ解散。

2021年10月22日 日常
 始まりがあれば終わりがある。当事者だけにしかわからないことも
あるでしょうし、オフィシャリーに発表されていることを受け止めるしか
ないのですが残念でしたね。

 このブログの読者の方は私が彼女たちのことを高く評価していて、
ネタを見ての感想などを書いているので、インフルエンサー的な立ち位置に
なっていることをご理解していると思います。

 かわいいと思われたいということよりも面白いと言われたいという考え
から発せられるパワーの強さは素晴らしいものでした。

 自動車評論家が高速走行時のエンジンパワーであったり、急減速時の
車体の安定性などを高く評価して、技術屋目線での評価をすることが
多いと思うのですが、一般人が車を評価するときに200キロオーバーでの
エンジンパワーなどは評価しようがないし、高速コーナーでの減速などは
めったに経験しない。「フツウの人=一般消費者」にとってはファミリーカー
で言えば車内の居住性であったり、車の耐久性能を評価の軸にしている
ことが多い。

 そんなわけで自動車評論家が評価する車と「フツウの人=一般消費者」
の評価するポイントが大きく異なり、「いい車」の車種が違うことが
多いと思います。

 同じようなことを私はお笑いにも感じていて、芸人が芸人仲間や作家や
事務所の方にネタ見せしたり、ライブでネタをやっていた時に評価の対象が
技術に偏ることがあると思うのですが、客目線から面白いというものは
違った部分だったりする。

 したがって業界人が受けている部分と客が笑っているところが違うことが
結構あったりするのですが、そこでお金を払っている人の考えや感性を
重要視して、私のブログであったり、意見を取り入れてネタに修正を
加えて見やすくしたり、ネタに厚みを加えたりしていたのがラムズの二人
でした。

 このラムズの姿勢というのは錦鯉やぺこぱにも見られるところがあって
技術を磨きながらも、客が笑うポイントを探り、ネタをブラッシュアップして
いくという共通性を感じていました。

 錦鯉とぺこぱは大ブレイクを果たしましたが、ラムズは石田麻由香が
30歳になるまで売れるようになるというのが一つの目標でしたが、
それができずに解散という決断を下しました。

 方向性は間違っていない。実際に面白い。しかし、売れたというところ
には到達しなかったのは残念ですが、彼女たち二人が出した結論なので
二人の未来がやりたいことをして経済的な利益を得られるように願うしか
ないですね。

 

 


 
 チェコ時代の作品に素晴らしいものがあり、さらにプラハの春以降に
アメリカへと渡り、名作を作ったのちにまだ冷戦中であり、当時の
チェコスロバキアを離れてアメリカ国籍を取った彼がヨーロッパベースで
「アマデウス」を作った。そして、さらに創作意欲を持って傑作映画を
創造しました。彼の作品は名作ぞろいだと思います。

 私のなかでの彼の最高傑作は「ラリー・フリント」ですね。
(オリジナルタイトルはthe people vs larry flynt)

 私の好きなテーマ性があるから、私にとって集中して見やすいという
部分もあるのでしょうが、アクションとコミカルと社会性がいいバランスで
保たれているからずっと集中して見ることができて時間が短く感じる。

 そして、アメリカという国の保守性と革新性というものがとてもわかりやすく
理解できる。

 このことは大資本のコロンビアピクチャーが莫大なバックアップ体制
を有していながらも、ヨーロッパの真ん中でドイツとロシアの狭間で生きてきた
チェコ人のミロス・フォアマンがアメリカという国を生まれも育ちもアメリカ
ではないから出来上がった脚本や映画会社のいうことを部分的な修正を
加えながら創造できたのではないかと思いますね。

 ジャック・ニコルソンとルイーズ・フレッチャーの狂気じみた演技を
させた作品も監督自身が冷戦下でありながら大いなる帰還を果たして
サリエリとモーツァルトの愛と憎しみの世界をプラハで撮影した映像も
素晴らしいと思いますが、村西とおると黒木香の過激にして典雅な映像と
二人の栄光と挫折を知っている私にとっては「ラリー・フリント」が
私的な最高傑作だと思っています。


 
 私的傑作映画というのは年に一度は見てみたいもので、それがスクリーン
だったり、テレビだったりするのですが、パソコンの画面で「太陽を盗んだ男」
を見ました。

 ゲリラ撮影や首都高速でのカーチェイスなどどれだけ始末書を書いたのか
わかりませんが、まともには撮影できないことを撮影してしまったり、
テーマ性がテーマ性だったりということで今だったらできないのだろうなと
思える作品でしたね。

 長谷川和彦監督はアントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンの新宿
伊勢丹事件をご存じだったか知りませんが、街中のシーンを見て、お金が
なくて、過剰なエネルギーと商魂があったころのアントニオ猪木のことを
思い出しましたね。

 今の時代で日本の優れたクリエイターやアクターで「新太陽を盗んだ男」を
作るとなるとビッグマネーを用意して、「全裸監督」を世に出した
Netflixがやれるのかなと思いますが、テーマからしてできないのかな
などと思ったりします。

 お笑いライブでネタを見ている時に観客が笑っていて芸人が受けていない
ということがありますが、プロが見る場合は技術面を高く評価する傾向が
ありますね。

 「太陽を盗んだ男」で粗が目立っているところを評論家が評価しなくて、
粗くてもパワーがあるところを客が評価しているところがあるのかなと
思ったりします。

 何とも言えないパワーを感じながら、興行的にはさほど成功しなかった
ということらしく、長谷川和彦さんがその後、映画を作れない理由の一つに
なりました。あの時代だから作ることができたのでしょうが、周防正行監督が
「ファンシィダンス」が興行成績的にはよくなかったが、当時のVHSの
売り上げとレンタルビデオ店での稼働率の高さでその後の仕事に繋がった
ようですが、「太陽を盗んだ男」公開のころはまだまだレンタルビデオ
が広がっておらず周防正行監督のような活動に繋がらなかったのは残念ですね。

 あの時代だからできたことと今の時代ではできるとしたらどういう体制
や予算規模になるのか。俳優としての沢田研二の素晴らしさをこの作品で
高く評価できることや池上季実子の美しさ、警察内部の構図が黒澤明監督の
「天国と地獄」に似ていることは単なる偶然なのか、映画やテレビでの
警察のセットの設計図があって、それを踏襲しているのか。今よりも
はるかに汚いころの東京湾に投げ込まれるのは大変だったろうなとか色々感じることが見終わってから渋滞している私です。

 

 

 三年契約の最終年となった与田剛監督ですが、契約満了で退任ということに
なりました。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110120001176.html

 まぁ、結果が出なかった時に責任を取るのは監督ですが果たして監督だけの
責任とは思えなかったですね。

 今年のシーズン前の順位予想でスワローズの大躍進を予想できた人は
ほとんどいなかったのですが、外国人野手が二人当たればチームの成績は
上昇する。それはフロントの役割でスワローズはそれをうまくやりましたね。

 では、我がドラゴンズはどうだったか。ダヤン・ビシエド以外の外国人野手
はダメダメでしたね。

 与田監督の采配に疑問を感じるところはありました。そして、成績がファン
の望んだものではなかった。そして、三年契約の最終年であった。
退任に関しては納得できるものではありますが、今季の成績に関しては
フロントの編成に関わっている人の責任というものもあると思いますね。

 新監督が求めるチーム編成ができなければ来年以降もドラゴンズの成績は
上がらない。あるいはスワローズのように年によってアップダウンの
激しいチームの下降する時期にかち合うという他律的なもので相対的に
順位が上がるということでしかAクラスに入れないということになるのだろうな
と思いますね。
 大ヒットした曲があり、それを聴いていたり、カラオケで歌う人がいますが
大当たりした作品は歌うことがあるから、同じように歌うのではなくて、
歌う時に崩したり、曲のバージョンを変えたりする人がいて、素直にCDのように
歌って欲しいという人がいれば、崩したりバージョン違いもありだという人も
います。

 まぁ、私はいつも同じことをやるということは与えられたものを素直に
表現することに徹する人にとってはいいかもしれませんが、クリエイター気質
の人は何かしらの変化をつけて進化を求めるのかなと思いますね。

 昔の話でありますが、石黒賢さんや岡本信人さんが悪役をやったら、すごく
怖かったり、八名信夫さんが頑固だが気のいい親父の役をやったら高い
評価を得たことがありました。はまり役というのはあると思いますが、
同時にそれまでの役とは正反対のキャラクターをやってみてもうまいし、
やっている本人も違う役柄をやることで演者も新しい発見があったり、
芸の方向性が一方向ではなくて、多方向で色々な役をできるから、それまでの
ファンの求めているものとは異なるから離れる人もいるかもしれないが。
面白がる人もいるのかなと思いますね。

 ラムズの風間春菜がユニットを組んで漫才をやっているのを見たのですが、
ラムズの場合はコントで舞台を大きく使って石田麻由香と大きく動きまわる
というのが多いのですが、泣くなよというユニットを組んでの漫才は
動と静のコンビなのでまた違った面白さが感じられて新たな発見があって
面白かったですね。

 CDに収録されて最初に発売されて大ヒットした玉置浩二の「田園」も
いいですが、テレビで枠を上げるから好きにやっていいですよと言われて
生歌で崩して歌う「田園」を聴いて、これはこれで表現者が変化や進化を
求めて脳みそから汗が出るほど考え抜いて作った一つの作品だなと
思いながら喜んで見るタイプの観客はユニットで漫才をやった風間春菜
を見て素直に笑えるのだろうなと思いますね。

 私はお笑いに関しては雑食属性があるので、落語家がラジオで編成上必要
とされる交通情報や天気予報などの番組を挟みながらフリートークをするのも
好きですし、漫才師がコントをやるのも面白がるので、それまでのキャリアで
やったことがないことや畑違いのことをやるの見て楽しんでいます。

 真冬の一月のパリからモーリタニア砂漠を車やバイクで走り抜けるという
とんでもないラリーを計画し、各国の関係各所と難しい交渉をして、
世界一過酷なラリーを計画して、参加者を募ることになった
パリダカールラリーの創始者のティエリー・サビーヌが
「冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れて行こう」と世界中の
ドライバーとライダーに話し、過激で過酷なラリーを変化や進化のチャンスだと
思い世界中から多くのチャレンジャーが集まりました。

 勇敢で現状に満足しなくて、何かしらの変化を求める人がいて、その変化を
面白がる人は砂漠を走るラリーにも東京の小劇場にもいますね。
風間春菜は色々な意味で冒険の扉を開こうとしたのだと思います。

 パリダカールラリーは過酷な環境でノートラブルで走ることができる
ように車体の改良やタイヤやサスペンションの開発が進み、カーナビシステム
の実践を兼ねた実験をやるなかで製品の進化が進みました。

 風間春菜は何を身に着けて、どんな進化を見せるのか、パリダカールラリー
の映像を見ながら考えています。CD通りに歌って欲しいと思うファンでは
なくて、崩して歌ったりバージョン違いを受け入れて面白がる私には
彼女の進化や成長や変化を見ることができる権利と自由があります。

 https://www.youtube.com/watch?v=C7VZ9pzgwGE&t=1s

 https://www.youtube.com/watch?v=uneFrTnxpE8

 浜田麻里さんの「nostalgia」のバージョン違いも好きですよ。
わが友ジョバンニ・ザマーニやジジ・ソルダーノがMotoGPのシーズンエンド
あたりからパリダカ取材のために動き始めていたころを思い出しています。
90年代後半から2000年代前半はMotoGPの開幕戦の鈴鹿でジョバンニ・ザマーニ
からレースのことを聞き、ジジ・ソルダーノから撮影した写真を見せてもらって
いました。
 
 

 
 オリンピックの金メダリストであった体操の森末慎二さんがかつてTBSラジオ
の深夜番組で小堺一機と関根勤の二人がテレビとは全く違う毒のあるコサキン
の世界が爆発する空間を共にしてしみじみと「いいなぁ、こんなパワーのある
ラジオ。」なんて話していました。

 大体世界の頂上に行った人というのはものすごいパワーを持って
いる。オリンピックの金メダリストなんて色々な意味でパワーを持っていると
思うのですが、その人を感嘆させるパワーを持っていたのがTBSの深夜1時から
の二時間枠でしゃべり倒していたコサキンの二人でしたね。

 私自身は人前に出る立場ではないのですが、身近にワールドチャンピオン
とか世界ナンバーワンプレイヤーとかグランドスラム大会ウィナーを
知っています。彼らというのは色々な意味でパワーと深い欲望を持って
いますね。

 その世界の頂上に行った人たちのとんでもないパワーを持っている人を
そばで見ていた私がパワーの強さを感じた芸人がちょーちんあんこー
とあっぱれ婦人会でした。

 芸風とかネタにもよるのですが、肉体的精神的に元気な若い芸人では
なくてキャリアを重ねてきているちょーちんあんこーとあっぱれ婦人会
にパワーを感じました。

 これまで色々なネタをやってきたり、実験をしてみて修正しながら
ネタの完成を試みたり、動きが少ないこともやってきたなかで舞台を大きく
使いながら強い毒と客をいじったネタをやっていたちょーちんあんこー
の二人ですが、発話がきれいで好きな漫才師が技術的に秀でた人であり、
そこに対する憧憬がありながらも、そこに舞台のサイズでどれぐらい暴れても
大丈夫であるのかという理解力や当日来場していたお笑いライブ好きの
常連客をいじることで生まれるライブならではの空気感を強いパワーで
生み出していましたね。

 パワーを当然感じたのですが、同時にじゅんこBAN!BAN!という能力の
あるサラブレッド(それも面倒な牝馬にして暴れ馬)をどこまで暴れさせて
いいのか、どこで手綱を締めるのかなどを瞬時に判断していたひぃちゃんの
素晴らしい騎手ぶりが見事だったからこそ、暴れながらも適度なスピード
とパワーが生まれていて人馬一体の走行ができていたのだと思います。

 ハングリーガッツというものから生まれるパワーというものがあり、
今年のお笑いの賞レースでの成績が二人の望むものとは程遠いものであり、
悔しさや悲しさを持っているなかで満たされなかった思いをネタにして
爆笑を取っていたのは見事でしたね。

 私は行けなかったのですが、かつて下ネタワールドカップというお笑いライブ
があったのですが、素晴らしいパートナーがいて充実した時間を過ごし、
技術的にも大満足していたらなかなかいいネタができない。しかし、
満たされない思いや快楽に対する妄想などがあったらいい下ネタができた
ようなので、ある意味不満足感や不足感から生まれるパワーはあるのかなと
思いますね。

 まぁ、リッターで10キロしか走らない車を見て、車なんかこんなものだと
思っている人がリッターで50キロ走る車や電気自動車の開発ができないよう
なもので不満足感や不足がパワーを生み、進化が進み創造物が発生する
のだと思いますね。

 もう一組、とんでもないパワーを感じたのがあっぱれ婦人会の二人でしたね。

 客層がオーバー50の親父たちが多い。そこに年齢が近くて見てきたり、
感じたことや共通理解がある客に刺さるネタのチョイスがありましたね。

 マラソンの宗兄弟なんていうのは明らかにアンダー30にはぴんとこないが
80年代前半のマラソン協議を見ている人には刺さる。

 「WOWOWエキサイトマッチ」でのジョー小泉さんのダジャレはボクシング
ファンは見ている映像とファイターの名前などの視聴者の共通理解があって
笑えるものになる。

 同じように文字起こししたらつまらないかもしれないが、客と演者の
共通理解となかの芸能小劇場という小さすぎず大きすぎない空間で激しい
動きがあるなかでのダジャレは見ている人のお笑い脳に強く突き刺さるもの
がある。

 若くてカワイイ女芸人が見た目で客を獲得しているなかでアラフィフの
女芸人がネタで観客の支持を得て爆笑を取っている姿は美しいと思いましたね。

 技術とかうまさというものもお笑いを生み要因ではあると思うのですが
強い押し出しとか強い思いや深い欲望から生まれるパワーというのは客の
お笑い脳を強く刺激してくれて大きな笑いを生むことを実感した一夜でした。

 

 

 
 急に予定が変更になり、体が空いてしまった夜。家にいてTBSラジオを
流しながらインターネットをしようか、DAZNでドラゴンズ対カープの
ゲームをオンタイムで見ようか、買っておいて見ていないアダルトビデオの
作品を視聴しようかとも思いましたが、なかの芸能小劇場で多くの芸人が出演
するお笑いライブに行くことにしました。

 この手のお笑いライブはある種芸人にとってトライアル的な部分があって、
芸歴が短い人やコンビを組んで間もない人も出る。そんななかで私の知らない
芸人も出演しています。

 能力があって、すでに知っていて面白いと思う芸人さんのネタを見るのも
楽しみですが、知らない芸人さんを発見する喜びもありますね。

 好きなミュージシャンは当然いるのですが、街中を歩いていて店で
流れている有線放送であったり、ラジオから私の知っていないミュージシャンの
音楽が流れて、私の音楽脳に刺さると面白いというかinterestingだと思って
その作品を聴きたいなと思ったり、その人の他の楽曲を追いかけたりという
ことがあり、そこからファンになるということはあります。

 同じことはお笑いライブでも存在して、知らなかった芸人さんのネタを
見て面白いと感じて私のお笑い脳が活性化することはありますね。

 今回見た中で面白かった芸人は何人かいましたが、ある種の発見の喜び
を感じたのはてづくりパンでした。

 多くの若手の芸人でよしもと所属でない芸人は新宿や中野や下北沢
の小さなキャパシティが30人から50人ぐらいの劇場であったり、
東京の区の会議室などでお笑いライブでネタをやることが多い。

 そういった人たちがなかの芸能小劇場というサイズの場所で出演すると
舞台のサイズを生かしきれていなかったり、前の方の列の客ばかりに
目線を送り発話をすることが多い。

 しかしながら、てづくりパンの二人は舞台の大きさが活きるネタを
持ってきて、舞台を大きく使い、後方の客席にも届くような発声をして
いました。

 今回のこのネタを小さな場所でやるというのはある意味、家庭のガスコンロ
の火力で一般的なフライパンで中華料理を作ることに似ていると思いますね。

 このなかの芸能小劇場という舞台のサイズとキャパシティでこのネタと
いうのは中華料理屋の厨房の火力で業務用の中華鍋で作る中華料理だった
と思います。

 ネタの良さというか、ネタそのものも良くて、オーバー50と思われる
年齢層の客にもすんなりとストーリーに入っていけるシンプルな構成で
客層に合っていた。この舞台サイズと客層を考えて今回のネタを選んで
大きなアクションとしっかりとした発声で最前列から後方の客席まで
届くネタをやりました。

 アダルトビデオ女優のスリーサイズがリアルかわからない。

 キャンペーンガールの年齢が本当なのか理解できない。

 原油価格の高騰や為替相場がどうなるのかは知ることができないし、
株式市場がどんな動きをするのか予想できないし、政府のコロナ対策が
正しいかは判断できない。

 しかしながら、不透明な世の中にあって、私がてづくりパンのネタのセンスや
客層にあったネタをチョイスするお笑い頭や会場にあったアクションや発声
する確かな頭脳は十分に理解できました。

 heroの女性形はheroineだけど、ずっとheroと言い続けていた
ところだけはわからなかったけどね。

 知らなかった芸人で面白かったのがてづくりパンの二人ですが、
知っていたが見たことがなくて面白いと思ったのがらむ音さんでした。

 イタリア語を話す私がポルトガル語を聞いたら完ぺきではないにせよ
ある程度わかるので、彼女がポルトガル語でつかみのネタを言っていた
時に関心しながら笑っていました。

 私が高校生や大学生だった80年代はブラジルでの経済不況であり、
仕事を求めて日系ブラジル人がたくさんやって来て、トヨタ系の工場に勤める
人が多くいて、そこに食料品店やスーパーができるようになった。

 私が今ほどイタリア語が話せない時でしたが、イタリア語とポルトガル語
で会話していた時のことを思い出しながら見ていましたが、きちんとした
発話と若手のお笑いも見るが落語にも親しみを持っている私や多くの客
にも刺さるネタをやっていて、面白く見ることができました。

 ある意味、発見の喜びであったり、知らなかった食べ物を食べておいしかった
時や知っているが飲んだことがない飲み物を飲んでうまかった時のような
喜びを感じた一夜でした。

 他の芸人さんに関しては稿を改めて書きたいと思います。

 


 ここのところ、地上波放送のバラエティで錦鯉の二人を見ることが多いの
ですが、これは明らかに昨年のM1グランプリの影響だと思います。
ただ、これはいいことなのかという思いも抱いています。

 昨年のM1以前に新宿や中野や千川や下北沢で開催されたお笑いライブで錦鯉の
二人の漫才を見ていました。観客が十人ほどしかいないようなライブでも
パワーは今と変わらず、面白かったです。

 ただ、そんな時代で面白さは変わらないのに、メディアでの露出は少なく、
オンエア争奪バトルでお笑いマニアが観覧して面白い芸人を審査する
TBSラジオの「マイナビラフターナイト」での爆発ぶりとよそがやらないことを
やることが好きなテレビ東京の深夜番組で出ていて、観覧の若いの女性客
よりも出演者が笑っていることぐらいが目立っていたくらいでした。

 ところが、M1グランプリでの決勝進出と昨年の放送から彼ら二人の
知名度や出演番組数が一気に上がりました。

 地上波のゴールデンタイムで注目度の高いところで面白かったから
バラエティー番組に呼ぼうということはわかるのですが、何だか価値基準が
偏っているように思いますね。

 無名でも面白い人もいる。地上波で出ていないが劇場で高い評価を得ている
芸人もいる。そんななかでバラエティー番組のテレビ番組制作者がお笑い
ライブに行ったり、寄席に出かけていなくて、出演者の偏りや特定の事務所
の芸人が多かったりしているから地上波放送があまり面白いと思われなくて
配信メディアに流れたり、多額の金をかけて面白いものを作る国の作品に
興味が流れている気がしますね。

 私自身はお笑いライブの面白さであったり、ラジオの楽しみであったり、
配信メディアを楽しんだりすることが多くなりましたが、これは地上波放送
のキャスティングの偏りであったり、よしもととジャニーズ事務所の
人が多く出ていてマンネリ感や同質性を感じているから、そこから離れたい
という気持ちが地上波放送から距離を取るということになっているのだと
思います。
 

 
 第69代横綱白鵬が引退という報道がされています。長年やっていれば
古傷もあれば、付き合っている傷もある。そんななかで土俵に上がり続けて
きたのでしょうが、とうとう最後の時がやってきたようです。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6405526

 角界関係者、メディアの方々、ファンの人々から立ち振る舞いや品格など
否定的な声が上がっていましたが、彼の勝負に対する執着心は横綱にふさわしい
ものだったと思います。

 彼の最後の優勝となった場所での14日目の立ち合いのポジション取りで
あったり、千秋楽のかちあげなど問題視する人が多かったのですが、私は
ルールに抵触しているわけでもなくて、自らの衰えを戦術や技術で有利な
態勢にして勝ち星を取ろうという強い欲望を感じました。

 昭和のプロレスファンは全盛期を過ぎたジャイアント馬場が爆発力のある
スタン・ハンセンにまともにぶつかっては負ける可能性が高いと考えて
スモールパッケージホールドという奇策でピンフォールを取ってタイトルを
奪ったことを覚えていると思いますが、白鵬の最後の優勝のために使った
戦術と技術は自らの衰えや対戦相手との力関係を考えていかに勝利するかを
考えぬいた奇策であり、勝負手だったと思います。

 白鵬の引退というのは、もう体力や気力が終わりに近づき、奇策を
用いて一度は勝っても二度目は難しいということを理解していたから
なのかなと思いますね。

 ジャイアント馬場はスモールパッケージホールドでスタン・ハンセンを
丸め込んだあとのダイレクトリマッチでスタン・ハンセンに完敗して
メインカードでの出場はなくなり、前座でファンからコミカルな試合を
して愛されるという方向に転換しましたが、相撲の世界の大横綱には
挑んでくる力士に金星を献上して衰えを露呈するという方向ではなく
引退という決断をしたのだと思います。
 本日、The Wの準決勝進出者の発表がありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/80640e2b689043d6899dfb08c88a4810133d3203

 個人的に大注目は変ホ長調ですね。あのM1グランプリの衝撃は今でも
忘れられないですね。

 評価と好き嫌いが分かれるかもしれませんが、あの発想力というのは
破壊力があって私は好きです。

 明らかに出色で異色な芸人が大きな舞台で爆発する姿を見たいと思いますね。


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