お笑い芸人のパワーの大きさを若手とは言えない芸人から感じる。
2021年10月6日 日常 オリンピックの金メダリストであった体操の森末慎二さんがかつてTBSラジオ
の深夜番組で小堺一機と関根勤の二人がテレビとは全く違う毒のあるコサキン
の世界が爆発する空間を共にしてしみじみと「いいなぁ、こんなパワーのある
ラジオ。」なんて話していました。
大体世界の頂上に行った人というのはものすごいパワーを持って
いる。オリンピックの金メダリストなんて色々な意味でパワーを持っていると
思うのですが、その人を感嘆させるパワーを持っていたのがTBSの深夜1時から
の二時間枠でしゃべり倒していたコサキンの二人でしたね。
私自身は人前に出る立場ではないのですが、身近にワールドチャンピオン
とか世界ナンバーワンプレイヤーとかグランドスラム大会ウィナーを
知っています。彼らというのは色々な意味でパワーと深い欲望を持って
いますね。
その世界の頂上に行った人たちのとんでもないパワーを持っている人を
そばで見ていた私がパワーの強さを感じた芸人がちょーちんあんこー
とあっぱれ婦人会でした。
芸風とかネタにもよるのですが、肉体的精神的に元気な若い芸人では
なくてキャリアを重ねてきているちょーちんあんこーとあっぱれ婦人会
にパワーを感じました。
これまで色々なネタをやってきたり、実験をしてみて修正しながら
ネタの完成を試みたり、動きが少ないこともやってきたなかで舞台を大きく
使いながら強い毒と客をいじったネタをやっていたちょーちんあんこー
の二人ですが、発話がきれいで好きな漫才師が技術的に秀でた人であり、
そこに対する憧憬がありながらも、そこに舞台のサイズでどれぐらい暴れても
大丈夫であるのかという理解力や当日来場していたお笑いライブ好きの
常連客をいじることで生まれるライブならではの空気感を強いパワーで
生み出していましたね。
パワーを当然感じたのですが、同時にじゅんこBAN!BAN!という能力の
あるサラブレッド(それも面倒な牝馬にして暴れ馬)をどこまで暴れさせて
いいのか、どこで手綱を締めるのかなどを瞬時に判断していたひぃちゃんの
素晴らしい騎手ぶりが見事だったからこそ、暴れながらも適度なスピード
とパワーが生まれていて人馬一体の走行ができていたのだと思います。
ハングリーガッツというものから生まれるパワーというものがあり、
今年のお笑いの賞レースでの成績が二人の望むものとは程遠いものであり、
悔しさや悲しさを持っているなかで満たされなかった思いをネタにして
爆笑を取っていたのは見事でしたね。
私は行けなかったのですが、かつて下ネタワールドカップというお笑いライブ
があったのですが、素晴らしいパートナーがいて充実した時間を過ごし、
技術的にも大満足していたらなかなかいいネタができない。しかし、
満たされない思いや快楽に対する妄想などがあったらいい下ネタができた
ようなので、ある意味不満足感や不足感から生まれるパワーはあるのかなと
思いますね。
まぁ、リッターで10キロしか走らない車を見て、車なんかこんなものだと
思っている人がリッターで50キロ走る車や電気自動車の開発ができないよう
なもので不満足感や不足がパワーを生み、進化が進み創造物が発生する
のだと思いますね。
もう一組、とんでもないパワーを感じたのがあっぱれ婦人会の二人でしたね。
客層がオーバー50の親父たちが多い。そこに年齢が近くて見てきたり、
感じたことや共通理解がある客に刺さるネタのチョイスがありましたね。
マラソンの宗兄弟なんていうのは明らかにアンダー30にはぴんとこないが
80年代前半のマラソン協議を見ている人には刺さる。
「WOWOWエキサイトマッチ」でのジョー小泉さんのダジャレはボクシング
ファンは見ている映像とファイターの名前などの視聴者の共通理解があって
笑えるものになる。
同じように文字起こししたらつまらないかもしれないが、客と演者の
共通理解となかの芸能小劇場という小さすぎず大きすぎない空間で激しい
動きがあるなかでのダジャレは見ている人のお笑い脳に強く突き刺さるもの
がある。
若くてカワイイ女芸人が見た目で客を獲得しているなかでアラフィフの
女芸人がネタで観客の支持を得て爆笑を取っている姿は美しいと思いましたね。
技術とかうまさというものもお笑いを生み要因ではあると思うのですが
強い押し出しとか強い思いや深い欲望から生まれるパワーというのは客の
お笑い脳を強く刺激してくれて大きな笑いを生むことを実感した一夜でした。
の深夜番組で小堺一機と関根勤の二人がテレビとは全く違う毒のあるコサキン
の世界が爆発する空間を共にしてしみじみと「いいなぁ、こんなパワーのある
ラジオ。」なんて話していました。
大体世界の頂上に行った人というのはものすごいパワーを持って
いる。オリンピックの金メダリストなんて色々な意味でパワーを持っていると
思うのですが、その人を感嘆させるパワーを持っていたのがTBSの深夜1時から
の二時間枠でしゃべり倒していたコサキンの二人でしたね。
私自身は人前に出る立場ではないのですが、身近にワールドチャンピオン
とか世界ナンバーワンプレイヤーとかグランドスラム大会ウィナーを
知っています。彼らというのは色々な意味でパワーと深い欲望を持って
いますね。
その世界の頂上に行った人たちのとんでもないパワーを持っている人を
そばで見ていた私がパワーの強さを感じた芸人がちょーちんあんこー
とあっぱれ婦人会でした。
芸風とかネタにもよるのですが、肉体的精神的に元気な若い芸人では
なくてキャリアを重ねてきているちょーちんあんこーとあっぱれ婦人会
にパワーを感じました。
これまで色々なネタをやってきたり、実験をしてみて修正しながら
ネタの完成を試みたり、動きが少ないこともやってきたなかで舞台を大きく
使いながら強い毒と客をいじったネタをやっていたちょーちんあんこー
の二人ですが、発話がきれいで好きな漫才師が技術的に秀でた人であり、
そこに対する憧憬がありながらも、そこに舞台のサイズでどれぐらい暴れても
大丈夫であるのかという理解力や当日来場していたお笑いライブ好きの
常連客をいじることで生まれるライブならではの空気感を強いパワーで
生み出していましたね。
パワーを当然感じたのですが、同時にじゅんこBAN!BAN!という能力の
あるサラブレッド(それも面倒な牝馬にして暴れ馬)をどこまで暴れさせて
いいのか、どこで手綱を締めるのかなどを瞬時に判断していたひぃちゃんの
素晴らしい騎手ぶりが見事だったからこそ、暴れながらも適度なスピード
とパワーが生まれていて人馬一体の走行ができていたのだと思います。
ハングリーガッツというものから生まれるパワーというものがあり、
今年のお笑いの賞レースでの成績が二人の望むものとは程遠いものであり、
悔しさや悲しさを持っているなかで満たされなかった思いをネタにして
爆笑を取っていたのは見事でしたね。
私は行けなかったのですが、かつて下ネタワールドカップというお笑いライブ
があったのですが、素晴らしいパートナーがいて充実した時間を過ごし、
技術的にも大満足していたらなかなかいいネタができない。しかし、
満たされない思いや快楽に対する妄想などがあったらいい下ネタができた
ようなので、ある意味不満足感や不足感から生まれるパワーはあるのかなと
思いますね。
まぁ、リッターで10キロしか走らない車を見て、車なんかこんなものだと
思っている人がリッターで50キロ走る車や電気自動車の開発ができないよう
なもので不満足感や不足がパワーを生み、進化が進み創造物が発生する
のだと思いますね。
もう一組、とんでもないパワーを感じたのがあっぱれ婦人会の二人でしたね。
客層がオーバー50の親父たちが多い。そこに年齢が近くて見てきたり、
感じたことや共通理解がある客に刺さるネタのチョイスがありましたね。
マラソンの宗兄弟なんていうのは明らかにアンダー30にはぴんとこないが
80年代前半のマラソン協議を見ている人には刺さる。
「WOWOWエキサイトマッチ」でのジョー小泉さんのダジャレはボクシング
ファンは見ている映像とファイターの名前などの視聴者の共通理解があって
笑えるものになる。
同じように文字起こししたらつまらないかもしれないが、客と演者の
共通理解となかの芸能小劇場という小さすぎず大きすぎない空間で激しい
動きがあるなかでのダジャレは見ている人のお笑い脳に強く突き刺さるもの
がある。
若くてカワイイ女芸人が見た目で客を獲得しているなかでアラフィフの
女芸人がネタで観客の支持を得て爆笑を取っている姿は美しいと思いましたね。
技術とかうまさというものもお笑いを生み要因ではあると思うのですが
強い押し出しとか強い思いや深い欲望から生まれるパワーというのは客の
お笑い脳を強く刺激してくれて大きな笑いを生むことを実感した一夜でした。
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