この時期になって思い出す日航機123号機御巣鷹山墜落と明石家さんま。
2021年8月12日 日常 真夏になると色々なことを思い出しますが、アラフィフの私にとって
強い印象があるのは1985年の日航機123号機の御巣鷹山墜落事件ですね。
あの事件で人生を終えてしまった人もいれば、大きく人生が変わった人も
います。私の好きな明石家さんまさんもその一人です。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_2065410/
東京での番組収録を終えて大阪でのラジオの生放送出演のために
「いつもの大阪行きの123号便」に搭乗を予定していたのですが、収録が
思いのほか早く終わり、一本早い便に切り替えて大阪へ向かい、
MBSのスタジオに入ったら報道セクションだけでなくて、局が大騒ぎに
なっていて、何が起きたかと思ったら、彼にとって馴染み深く乗る予定
だった日航機123号が消息不明になっているというニュースが入り、
さらにその不明だった飛行機が墜落していたという続報を聞くことに
なった。
さすがにお笑い怪獣の明石家さんまとしても運の良さを喜んでいるわけにも
いかずに楽しい話をしゃべりまくるなんてこともできずに曲をかけて
心ここにあらずで報道セクションと連携しながら進行して終えたようです。
明石家さんまというお笑い芸人もいつかは亡くなる時というのはあるの
でしょうが、500人以上が亡くなり、いつもと同じタイムスケジュールだったら、その中の一人になる可能性が極めて高かった。
実力や技術の高さもスターの持つ要素ですが運の強さも必須だと思いますね。
明石家さんまという人が恐怖を感じ苦しみながら最期の瞬間を迎える
というのはらしくないと勝手に思っているのですが、そうなる可能性を
外的要因で避けることができた日でもあるなと思っています。
トヨタの社長が交通事故ゼロ社会を目指すとことあるごとに話していますが
JALも悲惨で大事故が起きて社内的にあの暑い夏の日からお考えになり、
進めていること、受け継がれていることがあると思います。私のような
お笑い好きが明石家さんまさんを見て笑っていられるのもあれ以来大きな事故、
死亡事故が航空業界に起きていないことも理由の一つだなと思いますね。
36年前のブラウン管の画面でレギュラー番組が変更になり、報道特別番組
に切り替わり、新聞があの事故報道一色になった時のことを思い出します。
後年、さんまさんがJALのコマーシャルをやったけれど、あれはどんな
気持ちでJALサイドがオファーして、さんまさんが納得して受けたのか
知りたいですね。生きているだけでまるもうけでJALも安全対策をずっと
やってきたからということなのでしょうか。
強い印象があるのは1985年の日航機123号機の御巣鷹山墜落事件ですね。
あの事件で人生を終えてしまった人もいれば、大きく人生が変わった人も
います。私の好きな明石家さんまさんもその一人です。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_2065410/
東京での番組収録を終えて大阪でのラジオの生放送出演のために
「いつもの大阪行きの123号便」に搭乗を予定していたのですが、収録が
思いのほか早く終わり、一本早い便に切り替えて大阪へ向かい、
MBSのスタジオに入ったら報道セクションだけでなくて、局が大騒ぎに
なっていて、何が起きたかと思ったら、彼にとって馴染み深く乗る予定
だった日航機123号が消息不明になっているというニュースが入り、
さらにその不明だった飛行機が墜落していたという続報を聞くことに
なった。
さすがにお笑い怪獣の明石家さんまとしても運の良さを喜んでいるわけにも
いかずに楽しい話をしゃべりまくるなんてこともできずに曲をかけて
心ここにあらずで報道セクションと連携しながら進行して終えたようです。
明石家さんまというお笑い芸人もいつかは亡くなる時というのはあるの
でしょうが、500人以上が亡くなり、いつもと同じタイムスケジュールだったら、その中の一人になる可能性が極めて高かった。
実力や技術の高さもスターの持つ要素ですが運の強さも必須だと思いますね。
明石家さんまという人が恐怖を感じ苦しみながら最期の瞬間を迎える
というのはらしくないと勝手に思っているのですが、そうなる可能性を
外的要因で避けることができた日でもあるなと思っています。
トヨタの社長が交通事故ゼロ社会を目指すとことあるごとに話していますが
JALも悲惨で大事故が起きて社内的にあの暑い夏の日からお考えになり、
進めていること、受け継がれていることがあると思います。私のような
お笑い好きが明石家さんまさんを見て笑っていられるのもあれ以来大きな事故、
死亡事故が航空業界に起きていないことも理由の一つだなと思いますね。
36年前のブラウン管の画面でレギュラー番組が変更になり、報道特別番組
に切り替わり、新聞があの事故報道一色になった時のことを思い出します。
後年、さんまさんがJALのコマーシャルをやったけれど、あれはどんな
気持ちでJALサイドがオファーして、さんまさんが納得して受けたのか
知りたいですね。生きているだけでまるもうけでJALも安全対策をずっと
やってきたからということなのでしょうか。
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