オーストリアGPのスケジュールの中で彼に関する発表があると言われて
注目していましたが、引退を発表しました。
https://www.corsedimoto.com/motomondiale/motogp/valentino-rossi-ho-deciso-di-fermarmi-a-fine-stagione/

 最初があれば最後がある。続けたくても続けられない状況もあれば
続けられる環境を得ながらも辞める方を選ぶことだってある。
彼はビッグスポンサーからの強いオファーを受けながらもライダーとしての
活動を止めることにしました。

 個人的にはバレンティーノが先頭集団で走れない姿を見るのはつらいものが
ありましたし、勝てる道具や環境を得ていない中で走り続けるのは
本人も不満足だったことでしょう。

 ホンダを離れてヤマハに移り、ヤマハは打倒ホンダでタイトルを奪うために
バレンティーノの求めるマシンを作り、彼はそれを自在に操りチャンピオンに
なった。しかしながら、ヤマハの戦略が変わり、バレンティーノスペシャル
のバイクを作らなくなった。その状況下で彼自身が年齢を重ねて体力や
動体視力が落ちていく中でマシンに走りを合わせなければいけなくなったが
それが難しくなってきた。

 世界のスーパースターの衰えを見るというのはつらいものがありました。

 走ろうと思えば来年ドゥカティのマシンで走ることができたのでしょうが、
ボルゴパニガーレのマシンが彼の好みのマシンでなかったら当然のことながら
どこかしら無理をしてクラッシュする可能性も出てくる。壊れる前に
辞めるというのはいい判断だったと思います。

 ライダーが引退してチームマネージャーとして活動するのを見ますが
今後の彼がチームマネージャーとして成功を収めるのか、あるいは
車の世界でパイロットとして活動していくのか見ていきたいと思っています。

 1996年の鈴鹿で当時の彼のメカニックから「彼は生まれた時からどうしたら
速く走れるか分かっているようなライダーだ。」と言われ興味を持って彼の
走りを見ていたら、ひとりだけラインが大きく異なっていたのですが
素晴らしい速さを見せていて、予選の後に「写真を撮らせてくれるか」と
今より下手だったイタリア語で話すと「私となのか?親父となのか?」
と答えてくれました。ツーショットで写真を撮りましたが当時なので
フィルムカメラでしたね。

 あの時期はグラッツィアーノ・ロッシの息子というのが
バレンティーノ・ロッシだという見方をされていて、本人もそうであると
認識していたのですが、350ccクラスで年間ランク二位で世界チャンピオンに
なれなかった父親を超えてある時期からバレンティーノ・ロッシの父親
というのは以前、世界グランプリで走っていたんだという認識に変わりました。

 親子で似ているところと似ていない部分がありますが、ひょっとしたら父親の
ライダーとしてのキャリアの終え方を見ていて、ライディングが難しく
なってきたり、自らアジャストしなければいけないバイクでクラッシュして
引退するよりも今の段階で辞めた方がいいと考えたのかなという想像も
しています。

 アプリリアやヤマハのロッシスペシャルといってもいいようなバイク
での快走やブリヂストンタイヤとの契約など彼が求めるものを得て、
それで能力を発揮できるマテリアルやシステムで勝ってきた彼が
F1におけるミハエル・シューマッハーのキャリア最後のメルセデス時代のように
自らアジャストしていかなければいけないというのは難しいことだった
のだろうなと思いますね。

 今は彼の残りのレースをどう戦うのかを注目したいと思っています。

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