コロナウィルスで芸人を辞めたり、引退発表している人を見て思う。
2020年6月28日 日常 可能性があるが、まだ売れていない芸人やテレビやラジオのレギュラーが
なくて、バイトをしながら活動している芸人がコロナウィルスの影響で芸人を
辞めている人が出てきました。
まぁ、ライブが開催されない、バイト先が閉鎖してしまっているとなると
先が見えないとなるとさすがに芸人人生を続けていいのか考えてしまう。
シングルだったらともかく、結婚していたり、親の介護なども引退の理由と
しても存在することでしょう。
そこで思うのは能力があって、周りのサポートにも恵まれているような
人は何か芸人としての活動を続けるか辞めてしまうの二択ではない答えが
ないのかなという素朴な思いです。
映画監督という職業の方々でも毎年、作品を発表できているわけではない。
スポンサーだったり、映画会社の方針というものがあって作品を作ることが
できるのですが、いい脚本があっても、監督に映像のイメージが仕上がって
いても、撮影できない状況というのは存在する。
私の好きな映画監督で周防正行さんがいるのですが、「ファンシィダンス」と
「シコふんじゃった」は二年しか間が空いていないのですが、その
「シコふんじゃった」から「Shall we ダンス?」までは五年という月日が
あり、そこから「それでも、ボクはやっていない」までは何と11年という
間隔がありました。
その間に企画が浮かんでは消えたり、スポンサーが見つかりそうになりながら
話がボツになったりということがあったようです。
その間に周防正行監督は監督業を辞めるとは言わずに、かつての傑作の
DVD販売だったり、地上波放送時に得られるお金や印税を得ながら
彼の能力でできることや生活のために仕事をしていたはずです。
家庭の事情があったり、芸人人生に見切りをつけた人は引退という判断を
してもいいのでしょうが、引退ということを口にしなかったり、公表しない
でいて、生活のために仕事をして、お金を稼ぎながら世の中が安定する
時までに空いている時間を使ってネタを作ったり、勉強をして活動実績は
なくても、引退という言葉を使わずに芸を磨くことはできると思いますね。
久米宏という人が出演していた「久米宏ラジオなんですけど」が終了
しましたが、彼は番組がなくなっても引退ということは表明していない。
まだ、何か表現に関わることができるから引退ということを決断していない
ですね。
今の状況でライブができなかったり、バイトができないから困難な状況
というのはよくわかる。しかし、別に引退ということを表明しなくて、
自らの能力を発揮できるために周防正行さんがしたようにあるいは多くの
映画監督がミュージックビデオであったり、テレビやネットで支払う人が
求めることをしながら生活のためにお金を稼いで、余暇時間にやりたいことを
具現化するために資料を集めたり、お金のことを考えたり、イメージを
固めたりして環境が整う時に備えるという選択肢はあるのではないかと
思っています。
通訳なんて立場なんて、しばらく仕事がなかったりしても通訳を引退
しましたなんて言わないし、コーディネーター業も動いていた話がなくなって
も他の仕事でお金を稼ぎながら、やりたいことや職能を発揮できることに
備えているものですしね。
きつくてとりわけ冬場に若い人がやりたがらない、冷蔵庫のような工場で
カット野菜をプラスチックボックスに詰めて、鍋野菜セットやらバーベキュー
野菜セットなんてものを作る作業をしながら、その会社がブースを出した
展示会で私が一番話せるイタリア語ではなくて、英語で海外の色々な業者
や法人の方々と会議や交渉の通訳をしていた私なんぞは簡単に引退という
言葉は使わずに生活のために仕事をしながらチャンスをうかがい、いただいた
時に持っている能力を発揮することに集中していました。そんな私は芸人に
活動継続とか引退という二択ではなくて、一時休止であったり、能力を外に
放出することが状況的にできないなら、蓄電するという方向性があっても
いいのになと思っています。
なくて、バイトをしながら活動している芸人がコロナウィルスの影響で芸人を
辞めている人が出てきました。
まぁ、ライブが開催されない、バイト先が閉鎖してしまっているとなると
先が見えないとなるとさすがに芸人人生を続けていいのか考えてしまう。
シングルだったらともかく、結婚していたり、親の介護なども引退の理由と
しても存在することでしょう。
そこで思うのは能力があって、周りのサポートにも恵まれているような
人は何か芸人としての活動を続けるか辞めてしまうの二択ではない答えが
ないのかなという素朴な思いです。
映画監督という職業の方々でも毎年、作品を発表できているわけではない。
スポンサーだったり、映画会社の方針というものがあって作品を作ることが
できるのですが、いい脚本があっても、監督に映像のイメージが仕上がって
いても、撮影できない状況というのは存在する。
私の好きな映画監督で周防正行さんがいるのですが、「ファンシィダンス」と
「シコふんじゃった」は二年しか間が空いていないのですが、その
「シコふんじゃった」から「Shall we ダンス?」までは五年という月日が
あり、そこから「それでも、ボクはやっていない」までは何と11年という
間隔がありました。
その間に企画が浮かんでは消えたり、スポンサーが見つかりそうになりながら
話がボツになったりということがあったようです。
その間に周防正行監督は監督業を辞めるとは言わずに、かつての傑作の
DVD販売だったり、地上波放送時に得られるお金や印税を得ながら
彼の能力でできることや生活のために仕事をしていたはずです。
家庭の事情があったり、芸人人生に見切りをつけた人は引退という判断を
してもいいのでしょうが、引退ということを口にしなかったり、公表しない
でいて、生活のために仕事をして、お金を稼ぎながら世の中が安定する
時までに空いている時間を使ってネタを作ったり、勉強をして活動実績は
なくても、引退という言葉を使わずに芸を磨くことはできると思いますね。
久米宏という人が出演していた「久米宏ラジオなんですけど」が終了
しましたが、彼は番組がなくなっても引退ということは表明していない。
まだ、何か表現に関わることができるから引退ということを決断していない
ですね。
今の状況でライブができなかったり、バイトができないから困難な状況
というのはよくわかる。しかし、別に引退ということを表明しなくて、
自らの能力を発揮できるために周防正行さんがしたようにあるいは多くの
映画監督がミュージックビデオであったり、テレビやネットで支払う人が
求めることをしながら生活のためにお金を稼いで、余暇時間にやりたいことを
具現化するために資料を集めたり、お金のことを考えたり、イメージを
固めたりして環境が整う時に備えるという選択肢はあるのではないかと
思っています。
通訳なんて立場なんて、しばらく仕事がなかったりしても通訳を引退
しましたなんて言わないし、コーディネーター業も動いていた話がなくなって
も他の仕事でお金を稼ぎながら、やりたいことや職能を発揮できることに
備えているものですしね。
きつくてとりわけ冬場に若い人がやりたがらない、冷蔵庫のような工場で
カット野菜をプラスチックボックスに詰めて、鍋野菜セットやらバーベキュー
野菜セットなんてものを作る作業をしながら、その会社がブースを出した
展示会で私が一番話せるイタリア語ではなくて、英語で海外の色々な業者
や法人の方々と会議や交渉の通訳をしていた私なんぞは簡単に引退という
言葉は使わずに生活のために仕事をしながらチャンスをうかがい、いただいた
時に持っている能力を発揮することに集中していました。そんな私は芸人に
活動継続とか引退という二択ではなくて、一時休止であったり、能力を外に
放出することが状況的にできないなら、蓄電するという方向性があっても
いいのになと思っています。
コメント