私の趣味は料理なのですが、今まで友人や彼女がおいしいと言ってくれた
時はうれしかったのですが、おいしくなかった時にあれこれ言ってくれたら、
それが参考意見になって、改良するところ、加える部分、減らす分量など
修正して自らの実力の向上につながっていました。

 そんなわけで逆に作ってもらって出してもらう立場の時も率直に意見を
するのですが、果たして世の中の男性は美味しい時もまずい時も口に出すの
でしょうか。

 私の知っている日本人は彼女や奥さんや母親が料理を作ってまずかった時に
何も言わずにすべてを食べるのが愛だと思っていて、驚いたことがありました。

 直したり、加えたり、減らすところをそのまま手つかずだと何も変わることが
なくて、同じ料理で同じようにまずいままになってしまいますよね。

 私は愛する人が間違った時にきちんと指摘するのが愛だと思うのですが、
私の周りではまずい料理を出されても何も言わずに食べるのが愛だという
認識をしている男が多かったです。

 そういった人で自民党支持者や公明党支持者だと果たしてどうなるので
しょうか。

 支持する政党や内閣の議会運営が乱暴だったり、問題ある言動や行動
があったり、政策が支持できない、台風やコロナウィルスに対する対応が
too little too lateでスピードに欠けて、対策が不十分だったりした時に
何も言わない、やっていることを黙認するというのは果たして正しいこと
なのでしょうか。

 志村けんさんという素晴らしいコメディアンは長年タバコをかなりの量
吸い続けていました。

 数年前に病気を気にタバコを止めたという話を報道で読みましたが、
長年の莫大な量の喫煙で肺の機能は低下していて、そこで病気をしたら
年齢のこともあって、悪化するのは速かったということは十分に考え
られます。

 志村さんの近くには彼を愛して、タバコを止めるように言った人はいたの
でしょうか。あるいは類は友を呼ぶということで愛煙家が多かったので
しょうか。

 イタリア人というのは家族愛が強い。そして、孫がかわいくて仕方ない
という人たちなんですが、ある時、おじいちゃんと孫がテレビを見ていました。

 それはタバコの害を訴える報道系の番組だったのですが、笑っていた
かわいい孫が顔を曇らせていき、医療的な単語などはわからなかったのですが
号泣して「おじいちゃん、タバコ止めて。」と泣き叫んだそうです。

 イタリア人の子供というのはかわいいなと思うのですが、特に彼らが
かわいくて仕方ない孫が泣きじゃくってタバコを止めてと言われて、その
イタリア人は持っていたマールボロを捨てて、以来タバコを吸っていない
そうです。

 医者は科学的な判断で学術的な理解でもって、長年タバコを止めるように
言ったのに、タバコをやめることはなくて、医学的な知識に乏しいが
おじいちゃんが大好きな孫がテレビ番組を見て五分でタバコを止めるように
泣き叫んでタバコを止めるようになった。

 愛のある指摘や指導というのは人の行動を変えるものですし、幸せを
もたらすものだなと思いますね。

 

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