なかの小劇場での女芸人ばかりのライブを見てきました。
2020年3月15日 日常 お笑いライブのキャンセルが続いている中で、数少ない中止や延期に
ならなかったライブを見に行きました。
今回のライブというのは推しの芸人にプレゼントを送り、その数で
今回のライブのナンバーワンを決めるというものでした。
まぁ、こういうのは人気が残酷に反映されるものですが、これはこれで
面白かったですね。
人気と実力の両方があればいいが、そうでない芸人も存在する。
面白いが観客動員力がない人もいれば、取り置きチケットをたくさん
捌くがお笑いの実力がない人もいる。
そして、コロナウィルスの影響と雪が降り、行きにくいということが
あったなかで来場する人という人というのはかなり濃いお笑いファンだと
言える。
そのファンが集まる中で熱のあるライブになりましたね。
さなさんが今までの経歴のなかで感じた「一番やばいのは女芸人を追い
かけるお笑いファンで二番目が子役のファンで三番目がアイドルファンだ。」
と言っていましたがそれは感じますね。
ライブ自体は面白い人もそうでない人もいたし、パスサッカーをする人も
いれば、勝手にガツガツと前に出てシュートを打とうとするような
奇天烈オムレツはつをという人もいたのですが、入場料が500円で何かの
トライアウトの要素を持ったライブではない。そうなると、いつもの
のネタではなくて使っていない技術を用いたり、普段とは違う芸風の
ネタをやってみようと思うこともある。
あるいは小さな劇場ではできない動きをこの舞台では可能となることも
ある。
誰も頼んでいないのにミニスカートを履く欧陽菲菲や木の実ナナは誰得
なのかわからないし、西川峰子のキャミソール姿は誰かレッドカードを
出してくれよと思ったりするのですが、志真うたさんのセーラー服姿や
さなさんのミュージカルのアニーのキャラクターは演じるキャラクター
にリアリティがあり、ネタに毒が含有されていることで見ていて面白い
ものがありました。
ももたにかなさんは歌のお姉さんの見た目で毒を吐くということを
やっていましたが、今回のこの会場を子供番組の公開収録されている
会場と見立てて言葉のチョイスであったり、振り付けや舞台での動きを
考えていたように思いましたね。私の好みのネタだったこともあって
私は面白いと思いましたし、とても印象に残りました。
また、あいあいパーティのやったコントは今までやってきたことではない
ことをやろうとする実験性を感じましたね。
これはひょっとしたら今までの彼女たちのファンはどう評価するか
わかりません。
好きなミュージシャンの代表作を聴いたり、カラオケで歌うことが好きな
人がアルバムやシングルのカップリング曲で使っていない技術やそれまでに
ない曲調の作品を受け付けないことがある。しかしMr.childrenのアルバムの
中でシングルヒットした曲とは明らかに違う曲を作って自らの可能性を
探ったり、こういう曲をファンが喜んでくれるのかと世に問うことを
していたのですが、センターマイクを挟んで女の子社会のあるあるネタを
やって来たあいあいパーティが戦闘モノのアニメのキャラクターをたたき台
にしたコントをやっていたのはミュージシャンがアルバム内で異質な作品を
収録してファンに届けるようなところを感じました。
メルヘン須長さんは何度か見たネタをやっていたのですが、多少の変化を
加えて、どこが受けて、どこがそれほどでもないのかを理解しようとしていた
ような気がしました。あるいは受けが良かったところを分厚くしていたのか
と思いましたね。
ラムズの二人はこの舞台のサイズを意識して、大暴れして毒のあるネタに
大きなアクションを加えて、後方のお客さんにも伝わるようにしていました。
これは練りこんだネタを舞台のサイズ、観客数というものを考えて修正を
加えてこのサイズの劇場の客に届けていたと思いました。経験の浅い芸人で
小さな劇場でのライブの出演が多い人というのは客席の前の列の客ばかり
意識していたり、小さな動きが体に染みついていて、大きく動くことが
なくて躍動感の欠如を感じることがあるのですが、ラムズの二人はこの
ネタをやるうえで舞台のサイズを理解していましたね。
90年代の野球ファンで特定の球団だけでなく、万遍なく試合を見ていた
人はわかると思うのですが、神戸のレフト田口、センター本西、ライト
イチローの外野守備を見た後に、神宮や横浜や広島市民球場のゲームを
見たら広い外野守備範囲を必要としないから外野守備の範囲や打球判断
が上記のオリックスブルーウェーブの選手とは大きな違いが出ることを
感じたのですが、そのことと同質のことをなかの小劇場で感じましたね。
野球はアクションを起こすときにplayという言葉を使うのですが、
これは持っている能力を具現化するとか、持っている実力を発揮するという
意味がある。それが野球以外のジャンルでは名詞で演劇とかシナリオという
意味があり、動詞で演じるという意味を持つ。
風間春菜は母親の影響でテニスを近く感じていて石田麻由香は高校時代
までソフトボールをやっていた。持っている能力や磨いたことを身体的な
特徴とその時に演じる場所でplayするということを深く理解していたから
デビューから20キロ以上太った身体的特徴を用いて衣装やメイクを決めて
playして、この舞台サイズを考えてplayしていたように思いますね。
私は遊びイコール悪いというイメージを持っていたら面白いネタはできな
いと思っていて、さらにロジェ・カイヨワが世に出した「遊びと人間」とか
工業化社会における「怠ける権利」を私は肯定的にとらえているのですが
いるのですがラムズの二人はお笑い脳を駆使して遊び=play=脚本、演技、
アクションというものを仮定と実行をしていたように思いますね。
今回のこのライブでは出演していなかったのですが、英語を深く理解
できている、あるいは上手く話せる人やロジェ・カイヨワの定義する
遊びに関して勉強した社会学出身者やフランス語やラテン系の言語を
理解できる人は感性や発想や理解がラムズに近いのかなと思いますね。
私がお笑いライブを見ていたり、配信を見ていると森高千里のモノマネを
しているナナちゃんの英語はきれいでそれが彼女のリズム感の良さとか歌唱力と
繋がっていると思うのですが、その英語力がありplay=悪ではないという
ことを理解している部分がラムズと仲がいいというところにリンクしている
気がしますね。ナナちゃんは楽器もplayするようですしね。
日本語で「彼は遊んでいる」とか「あいつは遊び人だ」ということには
人物を否定的な評価として使うのですが、ネタの脚本がいいplayであり、
役割を演じるgood playができていたり、舞台上でgood playerである
ことをラムズと志真うたさん、さなさん、ももたにかなさんに感じた
一夜でした。
ならなかったライブを見に行きました。
今回のライブというのは推しの芸人にプレゼントを送り、その数で
今回のライブのナンバーワンを決めるというものでした。
まぁ、こういうのは人気が残酷に反映されるものですが、これはこれで
面白かったですね。
人気と実力の両方があればいいが、そうでない芸人も存在する。
面白いが観客動員力がない人もいれば、取り置きチケットをたくさん
捌くがお笑いの実力がない人もいる。
そして、コロナウィルスの影響と雪が降り、行きにくいということが
あったなかで来場する人という人というのはかなり濃いお笑いファンだと
言える。
そのファンが集まる中で熱のあるライブになりましたね。
さなさんが今までの経歴のなかで感じた「一番やばいのは女芸人を追い
かけるお笑いファンで二番目が子役のファンで三番目がアイドルファンだ。」
と言っていましたがそれは感じますね。
ライブ自体は面白い人もそうでない人もいたし、パスサッカーをする人も
いれば、勝手にガツガツと前に出てシュートを打とうとするような
奇天烈オムレツはつをという人もいたのですが、入場料が500円で何かの
トライアウトの要素を持ったライブではない。そうなると、いつもの
のネタではなくて使っていない技術を用いたり、普段とは違う芸風の
ネタをやってみようと思うこともある。
あるいは小さな劇場ではできない動きをこの舞台では可能となることも
ある。
誰も頼んでいないのにミニスカートを履く欧陽菲菲や木の実ナナは誰得
なのかわからないし、西川峰子のキャミソール姿は誰かレッドカードを
出してくれよと思ったりするのですが、志真うたさんのセーラー服姿や
さなさんのミュージカルのアニーのキャラクターは演じるキャラクター
にリアリティがあり、ネタに毒が含有されていることで見ていて面白い
ものがありました。
ももたにかなさんは歌のお姉さんの見た目で毒を吐くということを
やっていましたが、今回のこの会場を子供番組の公開収録されている
会場と見立てて言葉のチョイスであったり、振り付けや舞台での動きを
考えていたように思いましたね。私の好みのネタだったこともあって
私は面白いと思いましたし、とても印象に残りました。
また、あいあいパーティのやったコントは今までやってきたことではない
ことをやろうとする実験性を感じましたね。
これはひょっとしたら今までの彼女たちのファンはどう評価するか
わかりません。
好きなミュージシャンの代表作を聴いたり、カラオケで歌うことが好きな
人がアルバムやシングルのカップリング曲で使っていない技術やそれまでに
ない曲調の作品を受け付けないことがある。しかしMr.childrenのアルバムの
中でシングルヒットした曲とは明らかに違う曲を作って自らの可能性を
探ったり、こういう曲をファンが喜んでくれるのかと世に問うことを
していたのですが、センターマイクを挟んで女の子社会のあるあるネタを
やって来たあいあいパーティが戦闘モノのアニメのキャラクターをたたき台
にしたコントをやっていたのはミュージシャンがアルバム内で異質な作品を
収録してファンに届けるようなところを感じました。
メルヘン須長さんは何度か見たネタをやっていたのですが、多少の変化を
加えて、どこが受けて、どこがそれほどでもないのかを理解しようとしていた
ような気がしました。あるいは受けが良かったところを分厚くしていたのか
と思いましたね。
ラムズの二人はこの舞台のサイズを意識して、大暴れして毒のあるネタに
大きなアクションを加えて、後方のお客さんにも伝わるようにしていました。
これは練りこんだネタを舞台のサイズ、観客数というものを考えて修正を
加えてこのサイズの劇場の客に届けていたと思いました。経験の浅い芸人で
小さな劇場でのライブの出演が多い人というのは客席の前の列の客ばかり
意識していたり、小さな動きが体に染みついていて、大きく動くことが
なくて躍動感の欠如を感じることがあるのですが、ラムズの二人はこの
ネタをやるうえで舞台のサイズを理解していましたね。
90年代の野球ファンで特定の球団だけでなく、万遍なく試合を見ていた
人はわかると思うのですが、神戸のレフト田口、センター本西、ライト
イチローの外野守備を見た後に、神宮や横浜や広島市民球場のゲームを
見たら広い外野守備範囲を必要としないから外野守備の範囲や打球判断
が上記のオリックスブルーウェーブの選手とは大きな違いが出ることを
感じたのですが、そのことと同質のことをなかの小劇場で感じましたね。
野球はアクションを起こすときにplayという言葉を使うのですが、
これは持っている能力を具現化するとか、持っている実力を発揮するという
意味がある。それが野球以外のジャンルでは名詞で演劇とかシナリオという
意味があり、動詞で演じるという意味を持つ。
風間春菜は母親の影響でテニスを近く感じていて石田麻由香は高校時代
までソフトボールをやっていた。持っている能力や磨いたことを身体的な
特徴とその時に演じる場所でplayするということを深く理解していたから
デビューから20キロ以上太った身体的特徴を用いて衣装やメイクを決めて
playして、この舞台サイズを考えてplayしていたように思いますね。
私は遊びイコール悪いというイメージを持っていたら面白いネタはできな
いと思っていて、さらにロジェ・カイヨワが世に出した「遊びと人間」とか
工業化社会における「怠ける権利」を私は肯定的にとらえているのですが
いるのですがラムズの二人はお笑い脳を駆使して遊び=play=脚本、演技、
アクションというものを仮定と実行をしていたように思いますね。
今回のこのライブでは出演していなかったのですが、英語を深く理解
できている、あるいは上手く話せる人やロジェ・カイヨワの定義する
遊びに関して勉強した社会学出身者やフランス語やラテン系の言語を
理解できる人は感性や発想や理解がラムズに近いのかなと思いますね。
私がお笑いライブを見ていたり、配信を見ていると森高千里のモノマネを
しているナナちゃんの英語はきれいでそれが彼女のリズム感の良さとか歌唱力と
繋がっていると思うのですが、その英語力がありplay=悪ではないという
ことを理解している部分がラムズと仲がいいというところにリンクしている
気がしますね。ナナちゃんは楽器もplayするようですしね。
日本語で「彼は遊んでいる」とか「あいつは遊び人だ」ということには
人物を否定的な評価として使うのですが、ネタの脚本がいいplayであり、
役割を演じるgood playができていたり、舞台上でgood playerである
ことをラムズと志真うたさん、さなさん、ももたにかなさんに感じた
一夜でした。
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