M1グランプリ2019のミルクボーイのネタを思う。
2019年12月24日 日常 観客席から爆笑が起こり、審査員の評価も高かったミルクボーイが
M1グランプリ2019を制しました。私も面白いなと思いながら、色々と
考えをめぐらせていました。
いかにもお笑いをやっていそうな見た目と昭和の頃を思わせるような
ネタの運びやシンプルさなどが私のお笑い脳に突き刺さりました。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン以前と以降では漫才のあり方
やお笑いの形式が大きく変わっていると思うのですが、今回のミルクボーイ
を見ていて、昭和の頃のスタンダードな笑いに彼らが面白いと思った
ネタを書いて演じたら爆発したという感じでしたね。
会場となったテレビ朝日のスタジオに集まっていたのはF1とF2という
客層だったと思うのですが、彼女たちからするとかなり新しく感じた
のではないでしょうか。
これは以前、私がラジオに関して思うところがあり、DJという言葉
は曲をガンガンかけまくり、ワンオペレーションスタイルのアメリカの
放送局でしゃべり手がレコードをターンテーブルに乗せて、レコードを
かけて、さらに取っ払って、次のレコードを流そうとしている様子が
競馬のジョッキーに似ているからディスクジョッキー(DJ)という
言葉が生まれました。ところが、日本でアナウンサーであったり、タレントや
ミュージシャンが朝と昼間は生活情報やニュース。夜から深夜はお笑い
とか70年代以降はミュージシャンの語りというものをメインにした
番組が主流となり、曲をどんどん流すということをしない番組が大部分を
占めた。DJというには語源からかけ離れたパーソナリティによる番組が
大多数となっていました。
そんななかで関東圏ではJ-WAVEであったり、中部地方ではZIPFMのような
「less talk more music」で曲をメインにしてしゃべりは少なくするという
FMの特性を生かした番組作りをした時に長い間、アナウンサーやお笑い
タレントやミュージシャンの語りに慣れきった人にとっては本来の
DJという語源に戻った番組作りが非常に新しく思えた。そして、それを
素晴らしいものだと考えて支持したということがありました。
今回のミルクボーイの見た目というのはいわゆる昭和のしゃべくり漫才の
コンビを思わせるものでしたし、コントに近いようなことではなくて動きの
量などスタンドマイクを真ん中にしてボケとツッコミがやりあうというもの
でした。
私のようなアラフィフの人にとってはラジオ局のDJスタイルへの原点回帰
のように芸人がいわゆるスタンダードとかベーシックとカテゴライズできる
ところに回帰して作った様式がテレビ朝日のスタジオに集った人たちには
新しいものと見えて、ある種の新鮮さを面白さと同時に体感して大きな
笑いに繋がったのではないでしょうか。
話芸におけるスタンダードとかベーシックというのは見る側の理解力
であったり、読解力がそれほど高いものを求められないので素直に観客の
お笑い脳に刺さりやすいわけですし、そこに一本目で言うとコーンフレーク。
最終決戦となった二本目ではもなかという格好のネタを作って、発話の
きれいさや確かなコンビネーションで演じて見せた。そこに売れたいという
芸人の持つ根源的な欲望から生まれるパワーがあり、ネタの面白さと聞きやす
さで観客から笑いを発生させながら昭和の頃の漫才のあり方を知っている
審査委員はシンパシーを感じながら技術とネタの良さを評価した。
ミルクボーイがスタンダードとかベーシックを考えてネタ作りをして、
練習に励み、J-WAVEやZIPFMのステーションイメージ作りや番組制作
などの方向性をどれだけ参考にしたのかわかりませんが、今の若年層に
新しく思えて、アラフィフから上の層には懐かしさを感じさせる昭和の漫才
だから観客にも審査員にも爆発的に受ける技量と実力と戦略性
を感じさせてくれました。
優勝した時に感想を求められて、現実を受け止めきれなくて彼らは
うそやろうと話していましたが、技術やネタの面白さと同時に確実に
冷静な判断力と確かな戦略があったと思いましたね。
M1グランプリ2019を制しました。私も面白いなと思いながら、色々と
考えをめぐらせていました。
いかにもお笑いをやっていそうな見た目と昭和の頃を思わせるような
ネタの運びやシンプルさなどが私のお笑い脳に突き刺さりました。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン以前と以降では漫才のあり方
やお笑いの形式が大きく変わっていると思うのですが、今回のミルクボーイ
を見ていて、昭和の頃のスタンダードな笑いに彼らが面白いと思った
ネタを書いて演じたら爆発したという感じでしたね。
会場となったテレビ朝日のスタジオに集まっていたのはF1とF2という
客層だったと思うのですが、彼女たちからするとかなり新しく感じた
のではないでしょうか。
これは以前、私がラジオに関して思うところがあり、DJという言葉
は曲をガンガンかけまくり、ワンオペレーションスタイルのアメリカの
放送局でしゃべり手がレコードをターンテーブルに乗せて、レコードを
かけて、さらに取っ払って、次のレコードを流そうとしている様子が
競馬のジョッキーに似ているからディスクジョッキー(DJ)という
言葉が生まれました。ところが、日本でアナウンサーであったり、タレントや
ミュージシャンが朝と昼間は生活情報やニュース。夜から深夜はお笑い
とか70年代以降はミュージシャンの語りというものをメインにした
番組が主流となり、曲をどんどん流すということをしない番組が大部分を
占めた。DJというには語源からかけ離れたパーソナリティによる番組が
大多数となっていました。
そんななかで関東圏ではJ-WAVEであったり、中部地方ではZIPFMのような
「less talk more music」で曲をメインにしてしゃべりは少なくするという
FMの特性を生かした番組作りをした時に長い間、アナウンサーやお笑い
タレントやミュージシャンの語りに慣れきった人にとっては本来の
DJという語源に戻った番組作りが非常に新しく思えた。そして、それを
素晴らしいものだと考えて支持したということがありました。
今回のミルクボーイの見た目というのはいわゆる昭和のしゃべくり漫才の
コンビを思わせるものでしたし、コントに近いようなことではなくて動きの
量などスタンドマイクを真ん中にしてボケとツッコミがやりあうというもの
でした。
私のようなアラフィフの人にとってはラジオ局のDJスタイルへの原点回帰
のように芸人がいわゆるスタンダードとかベーシックとカテゴライズできる
ところに回帰して作った様式がテレビ朝日のスタジオに集った人たちには
新しいものと見えて、ある種の新鮮さを面白さと同時に体感して大きな
笑いに繋がったのではないでしょうか。
話芸におけるスタンダードとかベーシックというのは見る側の理解力
であったり、読解力がそれほど高いものを求められないので素直に観客の
お笑い脳に刺さりやすいわけですし、そこに一本目で言うとコーンフレーク。
最終決戦となった二本目ではもなかという格好のネタを作って、発話の
きれいさや確かなコンビネーションで演じて見せた。そこに売れたいという
芸人の持つ根源的な欲望から生まれるパワーがあり、ネタの面白さと聞きやす
さで観客から笑いを発生させながら昭和の頃の漫才のあり方を知っている
審査委員はシンパシーを感じながら技術とネタの良さを評価した。
ミルクボーイがスタンダードとかベーシックを考えてネタ作りをして、
練習に励み、J-WAVEやZIPFMのステーションイメージ作りや番組制作
などの方向性をどれだけ参考にしたのかわかりませんが、今の若年層に
新しく思えて、アラフィフから上の層には懐かしさを感じさせる昭和の漫才
だから観客にも審査員にも爆発的に受ける技量と実力と戦略性
を感じさせてくれました。
優勝した時に感想を求められて、現実を受け止めきれなくて彼らは
うそやろうと話していましたが、技術やネタの面白さと同時に確実に
冷静な判断力と確かな戦略があったと思いましたね。
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