久しぶりにお笑いライブに行きました。色々と書きたいことが渋滞している
ので、まずは今回はマザー・テラサワさんに関して書きたいと思います。

 私はお笑いに関しては雑食属性があるので、フリートークもコンビや
グループでの練りこんだコントも桂とか三遊亭という名前の付く方々の
古くからのネタを話すものも創作した落語も見るのですが、物事や現象を
掘り下げてネタにしていくというスタイルが好きですね。

 私はよくイタリア語で大学を出たように思われることがあるのですが
イタリア語は大学を出てサラリーマンをしてお金を貯めて、イタリアに行って
勉強したものであって、実は大学の専門は社会学。そんなわけもあって
現象を推察して、統計的な裏付けや歴史的な背景や地域性や民族的な特色
を考慮して、解析するということに対してなじみがある。

 そんな私がお笑い好きで芸人さんのネタを見ると、このブログで取り上げた
ような意見であったり、感想を持ちますね。

 お笑いを分析するということで言うと、最近、ナイツの塙氏が
「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」を発表して、お笑いライブを
見に行くような能動的なファンだけでなくて、地上波でお笑い番組を
やっていたらなんとなくチャンネルを合わせるというようなライトな
人にも注目を浴びています。

 また、米粒写経のサンキュータツオ氏も持っている連載やお笑いライブ
やテレビ番組なので彼の注目している芸人に関して、解説をしています。

 マザー・テラサワさんのネタには推察と仮説と確かな解説があり、
それにお笑い脳を使ってネタにしている。お笑いライブが好きな人でも
好きなお笑いのタイプには偏りがあるのですが、練りこんだ笑いが
好きだったり、物事を解析する人には面白いと思います。

 ただ、私は小学校の修学旅行が京都と奈良だったのですが、面白かった
記憶が全くない。大人になって出かけた古都には感銘や喜びがあった。

 先日の「お智だちライブ」というのはたくさんの芸人が出てくるライブ
だったのですが、その中にはアイドル的なルックスがあり、その芸人を目当て
に来場している観客もいました。そんな客には残念ながら届かない笑いなの
ですが、逆に言うとある種、選ばれた人だから得られる果実なのかなとも
思いますね。

 外国語を話せれたら、友達が増えたり、楽しい思いをしたり、経済活動
がしやすかったりと得られるものが多くて、それを実感しているのですが
日本語だけ話す人で与えられたもので満足していて、価値基準がカワイイとか
モテという部分に特化している人というのはマザー・テラサワさんの
笑いを楽しめないと思う。フジテレビの報道で満足している人々が
為替や株の動きや流れなどを深掘りした番組であったり、アルジャジーラ
がいくら素晴らしい報道をしても伝わらないようなものだと思います。

 ただし、東京というビッグシティで世の中で流行っていることや
大多数を占める価値観に疑問を感じている人というのはたくさんいる。
そして、不満足や不足感を感じている人口も存在する。

 京都や奈良の良さがわかるひとや地上波放送のようにマジョリティを
対象としている番組に不満足感を抱いている人もいる。

 知的好奇心を持ち、お笑い好きであり、現状に満足していない人に
彼のネタは刺さると思いますね。

 ロンドンやパリではなくて、プラハを愛する私にとって、
そして、地上波放送に満足できていないお笑い好きにとってマザー・テラサワ
さんのネタをライブで見ることができるのは地方との文化格差を感じたり、
東京という街の面白さを体感する要素の一つであり、私のお笑い脳を
強く刺激してくれ、彼のネタを楽しめるのはある種の選民性を感じる
ことになっています。

 

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