日刊ゲンダイのウェブページで本橋信宏氏が書いているコラムで
かつての昭和の頃の賞レースに関して書いていました。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/264141

 まぁ、当時の芸能界のいかがわしさとかドロドロしたエネルギーが
ある種のパワーを生んでいて、それによって生まれたひずみや妬みという
ものが具現化した時に賞を受賞した和田アキ子に菊の花が渡されるという
形になったのでしょう。昭和の芸能界の光と影を感じますね。

 ある種のいかがわしさというものは存在していいと思いますが、それが
行き過ぎると大衆も離れるし、同じ業界内でも距離を置きたいと思う人も
いることでしょう。

 私のように評価基準が売上というところに重点を置くということになると
年末の賞レースでの各テレビ局やメディア関係者の思惑であったり、
各審査員の好みや思いが反映される賞よりもゴールドディスク大賞の方が
販売実績から成立している分明快で消費者の動向が表現者を評価しているの
だからいいのではないか、多くの方々がお金を使ってでも作品を手に入れ
たいということだから、その年の代表する曲であると理解できるという
ことになりますし、消費者サイドから供給側の音楽業界の中にいて表現活動
をしているアーティストの方々で賞レースのどろどろしたところが嫌だということだと賞を辞退するという個人やグループが多くなると思いますね。

 また、地上波テレビ中心ではなくて、活動の中心を動画サイトや
ブログなどにすることで既成のメディアや審議委員に評価されなくても
一般消費者に近い場所でお金を使ってくれたり、課金してくれる人たち
から評価されることで輝くことにエネルギーを使いたいという人も多い
と思います。

 ある種のいかがわしさというのは面白がれるのでしょうが、それが
行き過ぎると客は引いてしまう。プロレスの過剰な演出やデスマッチ
が行き着いた先が和田アキ子への菊の花の贈呈と同じようなことに
なるような気がします。

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