新宿の夜にお笑いライブを楽しむ。
2019年9月8日 日常 体が空いたので新宿にお笑いライブを見に行きました。ドラゴンズが
好調だったらいい気持ちで出かけて、不調だったら気持ちを晴らすために
出かけるのですが、ドラゴンズのゲームの満足感を抱いて、楽しいステージを
見て多幸感を感じる一日になりました。
ラムズ、キュウ、錦鯉を目当てに出かけたライブだったのですが、他にも
楽しめる芸人がいて面白かったですね。
ぽんぽこの二人は以前、『マイナビラフターナイト』で見たことがあって、
私は面白かったのですが、ある意味食材の良さと見た目を生かした料理のような
もので、ナチュラルにキャラクターが出来上がっている人をどう生かしたら
面白いのかということをネタに昇華していましたね。年齢層や性別など
関係なく、お笑いライブに来ているコアなお笑いグルメでも親子連れが
集まるような地方のお祭りのような営業でも受けるようなネタをやって
いました。
ギフト☆矢野という芸人は一人コントで練りこんだネタをやっていたの
ですが、高校のクラスの中での出来事をネタにしていて、私のような
80年代のテレビドラマを見てきた人にとっては大映テレビ製作の学園ドラマ
のような感じがしました。
くどい演技に高校生の若さゆえのパワーと純な気持ちが炸裂するような
伊藤かずえと松村雄基が出てきて、強い目力と過剰な台詞回しが作品に
力を与える大映テレビ製作のドラマがありましたが、それを思わせるような
コントでしたね。
ジョウダンアオナナテンパイの二人はネタが出来上がってからどう表現
するのかというところで、いわゆるスタンダードとかお約束の部分を崩した
ことをすることで笑いを生んでいました。これはひねった笑いが好きだったり
私のような雑食属性を持つ私には面白いものでした。
ラムズのネタというのはマルクスブラザースが『我輩はカモである』
(オリジナルタイトルはduck soup)で発表されて、古典的な笑いの手法の
鏡の芸を使ったものなんですが、彼女達がマルクスブラザースを知らなかった
り、あの作品を認識していなくても、笑いの方法論ということは十分に
理解していて、それをネタに取り入れて、笑いが起きていましたね。
キュウという二人組みは私は『マイナビラフターナイト』の公開収録で
見たり、深夜のお笑い番組で見ていて、生の舞台を見たいなと思っていたの
ですが、彼らの長所や方向性を感じられていてよかったですね。
私のこのブログに触れている読者の方はご存知でしょうが、日本語と
ヨーロッパ系の言語との間の通訳をする時に日本語にあるが、外国語に
ないことやイタリア語や英語ではあるが、日本語にないニュアンスの言葉を
訳す時というのはベストマッチの単語がない場合、より近い意味合いの言葉
を当てはめることをしたり、噛み砕いて説明したりすることになる。
そういった作業をしている人間からすると、ベストマッチが難しい
ならば瞬時に近い言葉を探して話すわけで、そんな立場の人だと、
瞬時に脳みそから汗がでるような思いをして言葉を見つける。
キュウの二人の漫才ではかなり言葉の選択という部分でひねったり、
深堀りして、客のお笑い頭に刺さるための作業をしていると思いますね。
そして、そこから創出された言葉というのは私のような人だったり、
通訳をしている人の脳みそに突き刺さる。
南海キャンディーズの山里亮太の言葉のチョイスの巧みさを語彙の豊富さ
が漫才好きやラジオリスナーの笑いを生んだり、かつてのTBSラジオの
コサキンの深夜ラジオでのネタや小堺と関根のフリートークが大きな支持を
得ていましたが、キュウの二人のお笑いにはスタンダードな笑いから
色々なものを練り上げたところから発生する進化と深化があるように
思えましたね。
南海キャンディーズや山里亮太のラジオの深夜番組やコサキンの一連の
TBSラジオの番組もそうですが、キュウの二人の漫才にはお笑いグルメに
とってのクセがあるが中毒性のある料理やアルコールのように思えますね。
錦鯉の二人は確かな実力と素晴らしいネタの構成でこの日一番面白かった
ですね。ある意味爆発力があるというか、お互いの信頼関係があって、
テニスの優れたダブルスチームがどこでがっついて、どの展開はディフェンス
して、チャンスメイクするか二人とも理解していて、中間粋のボールの
処理もどちらがでしゃばってボールを取りに行くのかわかっているような
もので、互いの個性や技術を理解して作ったネタを持っている実力と
コンビとして培われた戦術を使ってゲームを進めるようなところを
感じました。
多種多様な笑いを楽しんだ新宿の夜でした。
好調だったらいい気持ちで出かけて、不調だったら気持ちを晴らすために
出かけるのですが、ドラゴンズのゲームの満足感を抱いて、楽しいステージを
見て多幸感を感じる一日になりました。
ラムズ、キュウ、錦鯉を目当てに出かけたライブだったのですが、他にも
楽しめる芸人がいて面白かったですね。
ぽんぽこの二人は以前、『マイナビラフターナイト』で見たことがあって、
私は面白かったのですが、ある意味食材の良さと見た目を生かした料理のような
もので、ナチュラルにキャラクターが出来上がっている人をどう生かしたら
面白いのかということをネタに昇華していましたね。年齢層や性別など
関係なく、お笑いライブに来ているコアなお笑いグルメでも親子連れが
集まるような地方のお祭りのような営業でも受けるようなネタをやって
いました。
ギフト☆矢野という芸人は一人コントで練りこんだネタをやっていたの
ですが、高校のクラスの中での出来事をネタにしていて、私のような
80年代のテレビドラマを見てきた人にとっては大映テレビ製作の学園ドラマ
のような感じがしました。
くどい演技に高校生の若さゆえのパワーと純な気持ちが炸裂するような
伊藤かずえと松村雄基が出てきて、強い目力と過剰な台詞回しが作品に
力を与える大映テレビ製作のドラマがありましたが、それを思わせるような
コントでしたね。
ジョウダンアオナナテンパイの二人はネタが出来上がってからどう表現
するのかというところで、いわゆるスタンダードとかお約束の部分を崩した
ことをすることで笑いを生んでいました。これはひねった笑いが好きだったり
私のような雑食属性を持つ私には面白いものでした。
ラムズのネタというのはマルクスブラザースが『我輩はカモである』
(オリジナルタイトルはduck soup)で発表されて、古典的な笑いの手法の
鏡の芸を使ったものなんですが、彼女達がマルクスブラザースを知らなかった
り、あの作品を認識していなくても、笑いの方法論ということは十分に
理解していて、それをネタに取り入れて、笑いが起きていましたね。
キュウという二人組みは私は『マイナビラフターナイト』の公開収録で
見たり、深夜のお笑い番組で見ていて、生の舞台を見たいなと思っていたの
ですが、彼らの長所や方向性を感じられていてよかったですね。
私のこのブログに触れている読者の方はご存知でしょうが、日本語と
ヨーロッパ系の言語との間の通訳をする時に日本語にあるが、外国語に
ないことやイタリア語や英語ではあるが、日本語にないニュアンスの言葉を
訳す時というのはベストマッチの単語がない場合、より近い意味合いの言葉
を当てはめることをしたり、噛み砕いて説明したりすることになる。
そういった作業をしている人間からすると、ベストマッチが難しい
ならば瞬時に近い言葉を探して話すわけで、そんな立場の人だと、
瞬時に脳みそから汗がでるような思いをして言葉を見つける。
キュウの二人の漫才ではかなり言葉の選択という部分でひねったり、
深堀りして、客のお笑い頭に刺さるための作業をしていると思いますね。
そして、そこから創出された言葉というのは私のような人だったり、
通訳をしている人の脳みそに突き刺さる。
南海キャンディーズの山里亮太の言葉のチョイスの巧みさを語彙の豊富さ
が漫才好きやラジオリスナーの笑いを生んだり、かつてのTBSラジオの
コサキンの深夜ラジオでのネタや小堺と関根のフリートークが大きな支持を
得ていましたが、キュウの二人のお笑いにはスタンダードな笑いから
色々なものを練り上げたところから発生する進化と深化があるように
思えましたね。
南海キャンディーズや山里亮太のラジオの深夜番組やコサキンの一連の
TBSラジオの番組もそうですが、キュウの二人の漫才にはお笑いグルメに
とってのクセがあるが中毒性のある料理やアルコールのように思えますね。
錦鯉の二人は確かな実力と素晴らしいネタの構成でこの日一番面白かった
ですね。ある意味爆発力があるというか、お互いの信頼関係があって、
テニスの優れたダブルスチームがどこでがっついて、どの展開はディフェンス
して、チャンスメイクするか二人とも理解していて、中間粋のボールの
処理もどちらがでしゃばってボールを取りに行くのかわかっているような
もので、互いの個性や技術を理解して作ったネタを持っている実力と
コンビとして培われた戦術を使ってゲームを進めるようなところを
感じました。
多種多様な笑いを楽しんだ新宿の夜でした。
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