会いたい人と会えた喜び
2019年9月2日 スポーツ かなり前の話になってしまいますが、テレビ大阪のアナウンサーを
していた千年屋俊幸さんと今年の鈴鹿八耐開催中にサーキット内の
報道センターでお会いしました。
まぁ、古くからのグランプリファンにとっては彼のことを覚えている
人が多いことでしょう。私が車だけでなくて、バイクのレースにはまった
きっかけというのはテレビ大阪が放映権を獲得し、日曜日の深夜にテレビ東京
系列でロードレース世界選手権を放送するようになり、鈴鹿サーキット
に行くようになったり、毎レース私の住んでいた名古屋でテレビ愛知で
見ることになってからです。
これがもし、当時日テレがMotoGPになってからの時のように放映権
を持っていたら事情はかなり異なっていたことでしょう。関東圏以外の
方には文化格差、情報格差を感じることが多いと思うのですが、日テレ
の深夜でのMotoGPの放送は関東圏以外のエリアでは放送されない。
しかし、テレビ大阪が放映権を獲得していた時代はテレビ東京系列は
系列各局はネットをしていた。関西圏は当然のことながら、関東圏と中部地方、
そして、他のテレビ東京系列局があるところでは放送があり、地上波
放送なので視聴の為にいくらか払うことやパラボラアンテナを購入することなく見ることができた。
よそがやらないことをやることが好きなテレビ東京の編成やテレビ愛知他
テレビ東京系列の決断ということが無料の地上波放送というものでレースファン
がグランプリを見るということを可能にしていました。
そこでレースが好きになり、レースの世界に行きたいなと思うようになり、
当時、サラリーマンをやっていて年末年始仕事をしていて、その分の休みを
花粉症がしんどくてつらい時期にマレーシアグランプリや鈴鹿での日本
グランプリに行くようになった。
そして、マレーシアの当時のクアラルンプールの空港で当時アプリリア
で走っていたジャンフィリップ・ルジア、ジャンミッシェル・バイルに
会い、今よりも相当下手なフランス語で話しかけ、イタリア人メカニックには
congiuntivoやcondizionaleなどが理解できていないながら、イタリア語で
うだうだ話し、当時のチームマネージャーのカルロ・ペルナットがやって
きたら、イタリア人メカニックが「彼は日本人なんですけれど、面白いんですよ。イタリア語もフランス語も話すんですよ」などと紹介してくれて、
ジェノバ人の彼が鈴鹿での日本グランプリのパドックパスに発給元欄に
アプリリアの当時のメインスポンサーだったタバコブランド名のchesterfieldとペンで書き入れてくれて、私に渡してくれた。
そのパスを持って、鈴鹿サーキットのパドックに入ったら、取材を
一休みしていた千年屋さんとお会いして、お話しすることができたのですが、
原田哲也がアプリリアに加入する前の時代に日本人の私がイタリアメーカー
の発給された私のパスを見て、ひどく驚いていたのが印象に残っています。
まぁ、最初の一歩がなければ、二歩目も三歩目もないわけで、レースを
見ることが日常となったこと。そして、レース界に入るなら、おそらく
英語だけではだめだろうから、イタリア語を勉強したこと。それが理由で
レース界の片隅で生息するようになり、昨年と今年の鈴鹿ではイタリアの
メディアでのお付き合いのなかで報道の形でサーキットに入り、イタリアと
チェコのレースメディアにライダーや関係者のインタビューやレースウィークの
情報をお届けすることができた。それもこれも、よそがやらないことを
やることが好きなテレビ東京系列のテレビ大阪が放映権を得ていたこと。
テレビ愛知が開局していたこととテレビ愛知でも放送があったということ
が大きかったですね。
テレビ大阪さんというのは関西広域圏の放送免許を得ているわけはなくて、
あくまで大阪府がサービスエリアなので、地理的に阪神間でのスピルオーバー
はあるものの、関西の二府六県に向けて放送している局と比べると視聴人口
は違う。
ということになるとそこにスポンサードする企業や組織の数は当然少な
かったり、他の関西の局に比べてコマーシャル料金は低くなるため収入は
少ないのですが、そのテレビ大阪が小さな組織でありながらお金をかき集めて、できうる限りの放映権料を支払った。となると獲得したコンテンツを大阪府域
だけでなくて、テレビ東京系列全国ネットにしようという系列各局の
共通認識があり、テレビ東京系の各系列局が編成したことで、日テレが地上波放映権を獲得してから、関東圏以外の地方が地上波で見られなくなってしまったような状況とは大きく異なりことになっていました。
そんなわけで、日本グランプリが行われていた鈴鹿サーキットに距離的、
心理的に近さを感じていた私の視聴習慣を変えたり、サーキットに出か
けたりするようになったことは人生を変えることになりましたね。
同じことを経験した名古屋人や山や大規模なビルなどがなくて
スピルオーバーで見ることができた中部地方の方々やテレビ大阪を
受信できるとりわけ近鉄沿線のレースファンの考えや行動を大きく変えた
と思います。
というわけで私の人生を変えたテレビ番組で実況を担当していた
千年屋さんとお会いできて、あの番組があったから今の私の言語能力で
あったり、鈴鹿サーキットでのレースウィークでの役割が生まれたり、
イタリア人に可愛がられて日本語の次に話せるのがイタリア語となって
いたり、様々な大きな変化がありました。
オーバー40のサッカーファンにとって、テレビ東京が放送していた
「三菱ダイヤモンドサッカー」が単純に他国のサッカーのレベルの高い試合を
見るということ以外にも色々な影響があり、視聴者から関係者になる
最初のステップとなったり、プレイヤーにとっての教科書であったり、
他国の文化をしることになり、サッカーを愛する皆さんが金子勝彦
アナウンサーに対して強い思いを抱いているように、私のとって、そして
多くのレースファンにとって千年屋俊幸さんというアナウンサーと
グランプリの中継というのは特別なものがあります。サーキットでお会い
できて、短い時間ですがお話しできてうれしかったですね。
していた千年屋俊幸さんと今年の鈴鹿八耐開催中にサーキット内の
報道センターでお会いしました。
まぁ、古くからのグランプリファンにとっては彼のことを覚えている
人が多いことでしょう。私が車だけでなくて、バイクのレースにはまった
きっかけというのはテレビ大阪が放映権を獲得し、日曜日の深夜にテレビ東京
系列でロードレース世界選手権を放送するようになり、鈴鹿サーキット
に行くようになったり、毎レース私の住んでいた名古屋でテレビ愛知で
見ることになってからです。
これがもし、当時日テレがMotoGPになってからの時のように放映権
を持っていたら事情はかなり異なっていたことでしょう。関東圏以外の
方には文化格差、情報格差を感じることが多いと思うのですが、日テレ
の深夜でのMotoGPの放送は関東圏以外のエリアでは放送されない。
しかし、テレビ大阪が放映権を獲得していた時代はテレビ東京系列は
系列各局はネットをしていた。関西圏は当然のことながら、関東圏と中部地方、
そして、他のテレビ東京系列局があるところでは放送があり、地上波
放送なので視聴の為にいくらか払うことやパラボラアンテナを購入することなく見ることができた。
よそがやらないことをやることが好きなテレビ東京の編成やテレビ愛知他
テレビ東京系列の決断ということが無料の地上波放送というものでレースファン
がグランプリを見るということを可能にしていました。
そこでレースが好きになり、レースの世界に行きたいなと思うようになり、
当時、サラリーマンをやっていて年末年始仕事をしていて、その分の休みを
花粉症がしんどくてつらい時期にマレーシアグランプリや鈴鹿での日本
グランプリに行くようになった。
そして、マレーシアの当時のクアラルンプールの空港で当時アプリリア
で走っていたジャンフィリップ・ルジア、ジャンミッシェル・バイルに
会い、今よりも相当下手なフランス語で話しかけ、イタリア人メカニックには
congiuntivoやcondizionaleなどが理解できていないながら、イタリア語で
うだうだ話し、当時のチームマネージャーのカルロ・ペルナットがやって
きたら、イタリア人メカニックが「彼は日本人なんですけれど、面白いんですよ。イタリア語もフランス語も話すんですよ」などと紹介してくれて、
ジェノバ人の彼が鈴鹿での日本グランプリのパドックパスに発給元欄に
アプリリアの当時のメインスポンサーだったタバコブランド名のchesterfieldとペンで書き入れてくれて、私に渡してくれた。
そのパスを持って、鈴鹿サーキットのパドックに入ったら、取材を
一休みしていた千年屋さんとお会いして、お話しすることができたのですが、
原田哲也がアプリリアに加入する前の時代に日本人の私がイタリアメーカー
の発給された私のパスを見て、ひどく驚いていたのが印象に残っています。
まぁ、最初の一歩がなければ、二歩目も三歩目もないわけで、レースを
見ることが日常となったこと。そして、レース界に入るなら、おそらく
英語だけではだめだろうから、イタリア語を勉強したこと。それが理由で
レース界の片隅で生息するようになり、昨年と今年の鈴鹿ではイタリアの
メディアでのお付き合いのなかで報道の形でサーキットに入り、イタリアと
チェコのレースメディアにライダーや関係者のインタビューやレースウィークの
情報をお届けすることができた。それもこれも、よそがやらないことを
やることが好きなテレビ東京系列のテレビ大阪が放映権を得ていたこと。
テレビ愛知が開局していたこととテレビ愛知でも放送があったということ
が大きかったですね。
テレビ大阪さんというのは関西広域圏の放送免許を得ているわけはなくて、
あくまで大阪府がサービスエリアなので、地理的に阪神間でのスピルオーバー
はあるものの、関西の二府六県に向けて放送している局と比べると視聴人口
は違う。
ということになるとそこにスポンサードする企業や組織の数は当然少な
かったり、他の関西の局に比べてコマーシャル料金は低くなるため収入は
少ないのですが、そのテレビ大阪が小さな組織でありながらお金をかき集めて、できうる限りの放映権料を支払った。となると獲得したコンテンツを大阪府域
だけでなくて、テレビ東京系列全国ネットにしようという系列各局の
共通認識があり、テレビ東京系の各系列局が編成したことで、日テレが地上波放映権を獲得してから、関東圏以外の地方が地上波で見られなくなってしまったような状況とは大きく異なりことになっていました。
そんなわけで、日本グランプリが行われていた鈴鹿サーキットに距離的、
心理的に近さを感じていた私の視聴習慣を変えたり、サーキットに出か
けたりするようになったことは人生を変えることになりましたね。
同じことを経験した名古屋人や山や大規模なビルなどがなくて
スピルオーバーで見ることができた中部地方の方々やテレビ大阪を
受信できるとりわけ近鉄沿線のレースファンの考えや行動を大きく変えた
と思います。
というわけで私の人生を変えたテレビ番組で実況を担当していた
千年屋さんとお会いできて、あの番組があったから今の私の言語能力で
あったり、鈴鹿サーキットでのレースウィークでの役割が生まれたり、
イタリア人に可愛がられて日本語の次に話せるのがイタリア語となって
いたり、様々な大きな変化がありました。
オーバー40のサッカーファンにとって、テレビ東京が放送していた
「三菱ダイヤモンドサッカー」が単純に他国のサッカーのレベルの高い試合を
見るということ以外にも色々な影響があり、視聴者から関係者になる
最初のステップとなったり、プレイヤーにとっての教科書であったり、
他国の文化をしることになり、サッカーを愛する皆さんが金子勝彦
アナウンサーに対して強い思いを抱いているように、私のとって、そして
多くのレースファンにとって千年屋俊幸さんというアナウンサーと
グランプリの中継というのは特別なものがあります。サーキットでお会い
できて、短い時間ですがお話しできてうれしかったですね。
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