女芸人と男女ペアの芸人ばかりが集まるライブを見に中野へ行ってきました。
ある芸人さんは舞台での姿とそばにいるときに違いを感じるということを
強く感じました。

 単純に背が高いのに、小さく見える人というのがいて、それは芸歴の浅い
人が緊張感と同時に落ち着かない状況で目の前のやることと話の流れという
ことだけに気持ちが向かっていて、客のことよりもネタを客に披露すると
いうよりやらなければいけないことをこなすという状況下で動きも小さくなり
声の張りもなくなってしまっていることから生まれてしまっていると思います。

 これは有元さくら子が当てはまっていて、肉体的には大きいのに気持ちに
余裕がなくなり、場数をこなしていないから落ち着いた状態でできない
と脳に下した命令の再現性が劣った状態になってしまうということだと
思います。

 逆にネタをやっている中で大きく見えたのはモノマネ芸人のナナちゃんでした。

 これは単純にヒールを履いていて、実際に公演が終わってから、お会いした
時にヒールではなかったので小さく見えたということもあるのですが、
芸人としてネタをやっているところが大きく見えましたね。

 舞台を大きく使うということだけでなくて、客席の方まで動き回るという
ことで大きさを感じることができた。そこにプラスして彼女の声量とか
声の張りというものがあったと思います。

 彼女が歌っている中で、最前列の客に目掛けて歌声を出しているという
ことではなくて、最後尾に向かって歌うことを考えているでしょうし、
おなかから声を出すことを意識して大きな肺活量で歌うということが
できている。

 ある意味、身長の小さなオペラ歌手でも大きな歌声と腹式呼吸の意識と
最後列に向かって歌うということで実際以上の大きさを感じることがある。

 それが芸歴の浅い時からできているとは思えないので、色々なトライ&
エラーがあったり、失敗体験から学んだり、彼女は英語が話せるのですが、
ひょっとしたら脳みその命令が言葉や歌にする時にそのままできないと
わかっていたら、私が外国語の発音を大げさなぐらいでちょうどいいと
考えて、そういった発声をするように、彼女はマイクを使っていても
大げさなぐらいの発声と確かな呼吸法で前の方の席の客ではなくて、後方の
客にしっかりと届くことを考えているのかもしれない。

 いわゆる最近の量産型グループアイドルの人たちが口パクでのパフォーマンス
が多くて、そこには大げさなぐらいの発声でいいとか、最後尾の観客に
歌声を届けるとか、おなかを意識して歌うという作業や考えが不在なので
小さい人がそのまま小さく見えるということがあるのですが、その方向とは
逆である故に舞台上で大きく見えたのかなという気がしますね。
でもって、大きく見える人にはスキルとか技術などを強く感じることが
できる。

 そして、見る側としては女芸人の場合半径5メートルの女の子社会のあるある
ネタをやる人が多くて、そこに毒とか演技力とかがないとつまらないが、
モノマネの場合はそういったものとは離れた性質のネタとなるわけで、
そこで好きなシンガーだから真似るというのもあるのでしょうが、笑いを
生み出すために脳みそから汗がでるようなネタ作りから生まれたものが
歌に内包される。

 ナナちゃんの昨日の姿が大きく感じられたというのは、彼女のスキルと
技術があの衣装とメイクと共に大きな印象を与えていたのだなと思います。

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