雨になったら鈴鹿八耐はどうなる。
2019年7月27日 スポーツ コースを走るライダーはいないし、サインを求めようにも仮設オフィス
に入るかパドック内にいてもらえない。でもって、来日しているイタリア人
スタッフは仮設控え室にキャンペーンガールが待機状態でいるから、表に
出て来ないし、いても露出度が低いから面白くない。個人的にはウェット
コンディションのレースはドライとは違った面白さや楽しさがあります。
私の人生とレースの絡みで言うと、カジバ初にしてエディ・ローソンの
最後の優勝のあの『ブタペストの奇跡』というのがきっかけでイタリア語に
走り、日本に戻るか、ヨーロッパに留まるかを考えていた時に小さなメーカー
の大きな勝利。あの『狂乱のフィリップアイランド』のアンソニー・ゴバート
とビモータが見せた美しい奇跡のレースを見て、レース界の片隅でもいいから
いようと思いました。
(詳細はこちら
https://yasumarzo.diarynote.jp/201807260642096627/)
今回の鈴鹿で私が雨のコンディションで上手いなぁと思う二人のライダーが
いません。一人が芳賀紀行であり、もう一人は酒井大作です。
ライダーが走らない。あるいは走りたくても走れないということには
理由があるのでしょうが、芳賀の場合は恐らく、二人の息子が今週末の
イタリア選手権のスーパースポートクラスに参戦しているから、その
サポートというのが大きな理由だと思われます。
酒井君の場合は理由がわからないので、単純に残念だなあと思いますね。
彼のレースを始めて見たのが2002年の鈴鹿での日本グランプリで彼は
ワイルドカードで出走しました。
予選のパフォーマンスが芳しくなかった彼ですが、雨となった日曜日に
輝きを放ちました。
マシンは市販RSで他のメーカーやホンダワークスに戦闘力で劣る中で
ブリヂストンタイヤの利点を十分に発揮し、見事なマシンコントロールで
世界の列強をぶち抜いて大殊勲の二位表彰台を獲得しました。
非常に印象的な走りをした彼のことを注目したのはこの時で、レース後
に行なわれたホンダのパーティで見かけて、話す機会を得て、同じ場に
いたスコットレーシングチームのエンジニアに会わせて、彼の能力に
関して話し、ライダーの選択で国籍や民族が重要視されないのであれば
近い将来に関して、交渉のテーブルに立てないかなどと話したものでした。
また、その後にMotoGPにいきなり行くのは難しい。しかし、250で
話がまとまらないとなると行き場がないという彼に日本での目線だと
そうかもしれないが、ヨーロッパでの感覚だとスーパースポート世界選手権
という選択があって、実際に250からスーパースポートに活動の場を
移したり、ファクトリーチームでなかったら、チームがマシンを買いたい
となったら、メーカーも売ることに障害はなく、そこで活動するのは
それほど障害がない上にマシンの差が少ないので、上位で戦えるカテゴリー
だと話していたら神妙な顔をして聞いていました。
その後、彼はカワサキに移籍して全日本でストック600選手権を戦って
いたのですが、ちょうどその時期というのが私がダビデ・ブレガ(現在、
Moto2クラスに参戦しているニコロ・ブレガの父親で当時、イタリア選手権
とスーパースポート世界選手権に参戦していたライトスピードカワサキの
チームマネージャー)との関係性を深めていた時期でよくいいライダーで
カワサキの600に走らせたいライダーのことを議論していました。
当然のことながら、私が推薦していたのが酒井大作でして、
アルノー・ヴァンデンボッシュを走らせたり、ガボール・タルマッチに
頼まれて彼の弟にテストライディングのチャンスを与えるお手伝いをしたり
していたので、酒井君が全日本のチャンピオン獲得したり、上位でシーズンを
終えて、次は世界選手権格式でカテゴリーがスーパーバイクでないとする
と当然のことながらスーパースポート世界選手権ということになる。
カワサキでスーパースポート世界選手権だということになるので、
酒井大作がライトスピードカワサキで世界で戦う姿を見たいなと思ったり、
何かお手伝いできないかなと考えていたのですが、ダビデ・ブレガの父親でありチームオーナーのブルーノ・ブレガが亡くなったことが一つの契機となり、
ダビデ・ブレガはチームの活動を閉鎖することになって、私の願望は具現化
することなく終わってしまいました。(その活動休止直前にライダーの能力を見抜いて彼のチームで走らせたのが、後にドゥカティワークスで走ることになる
ダビデ・ジュリアーノと今週末、この鈴鹿で何と金曜日に2分6秒台をたたき
出したニコロ・カネパ。)
その酒井大作に対する認識というのは私の中では業界内でかつて
クリスチャン・リンドルムに関するものと一緒でして、ワークスライダー
と同等の速さを持っていたり、実力が高いので、いいマシン、いいチーム
体制であれば世界選手権でトップクラスで走れるだろうというものでした。
その後、私の立ち位置も変わり、酒井大作もカワサキを離れてのレース
活動となったのですが、10年前の台風の影響で四度もセーフティカーが
出動する荒れた雨のレースでチームメイトと共に見事にマシンをコントロール
してヨシムラスズキを駆って、世界選手権カテゴリーでのレースで
優勝した時に本当に良かったなぁと思いましたね。あの時はヤマハオーストリア
のグウェン・ジャッバニが難しいけれど、上位フィニッシュでよかったと
話し、スティーブ・マーティンが脳みそが疲れて、暑さでしんどいのとは
違った難しいレースだけどいい順位で満足だと話し、maco racingの
マネージャーは我々のバイクはドライだったら、こんないいタイムと順位は
望めなかったから、苦しかったけれど恵の雨だったわと興奮していました。
酒井大作不在の雨の鈴鹿。彼が今年のこの雨の鈴鹿で戦うことができたら
という思いが私の脳みそを駆け巡っています。
に入るかパドック内にいてもらえない。でもって、来日しているイタリア人
スタッフは仮設控え室にキャンペーンガールが待機状態でいるから、表に
出て来ないし、いても露出度が低いから面白くない。個人的にはウェット
コンディションのレースはドライとは違った面白さや楽しさがあります。
私の人生とレースの絡みで言うと、カジバ初にしてエディ・ローソンの
最後の優勝のあの『ブタペストの奇跡』というのがきっかけでイタリア語に
走り、日本に戻るか、ヨーロッパに留まるかを考えていた時に小さなメーカー
の大きな勝利。あの『狂乱のフィリップアイランド』のアンソニー・ゴバート
とビモータが見せた美しい奇跡のレースを見て、レース界の片隅でもいいから
いようと思いました。
(詳細はこちら
https://yasumarzo.diarynote.jp/201807260642096627/)
今回の鈴鹿で私が雨のコンディションで上手いなぁと思う二人のライダーが
いません。一人が芳賀紀行であり、もう一人は酒井大作です。
ライダーが走らない。あるいは走りたくても走れないということには
理由があるのでしょうが、芳賀の場合は恐らく、二人の息子が今週末の
イタリア選手権のスーパースポートクラスに参戦しているから、その
サポートというのが大きな理由だと思われます。
酒井君の場合は理由がわからないので、単純に残念だなあと思いますね。
彼のレースを始めて見たのが2002年の鈴鹿での日本グランプリで彼は
ワイルドカードで出走しました。
予選のパフォーマンスが芳しくなかった彼ですが、雨となった日曜日に
輝きを放ちました。
マシンは市販RSで他のメーカーやホンダワークスに戦闘力で劣る中で
ブリヂストンタイヤの利点を十分に発揮し、見事なマシンコントロールで
世界の列強をぶち抜いて大殊勲の二位表彰台を獲得しました。
非常に印象的な走りをした彼のことを注目したのはこの時で、レース後
に行なわれたホンダのパーティで見かけて、話す機会を得て、同じ場に
いたスコットレーシングチームのエンジニアに会わせて、彼の能力に
関して話し、ライダーの選択で国籍や民族が重要視されないのであれば
近い将来に関して、交渉のテーブルに立てないかなどと話したものでした。
また、その後にMotoGPにいきなり行くのは難しい。しかし、250で
話がまとまらないとなると行き場がないという彼に日本での目線だと
そうかもしれないが、ヨーロッパでの感覚だとスーパースポート世界選手権
という選択があって、実際に250からスーパースポートに活動の場を
移したり、ファクトリーチームでなかったら、チームがマシンを買いたい
となったら、メーカーも売ることに障害はなく、そこで活動するのは
それほど障害がない上にマシンの差が少ないので、上位で戦えるカテゴリー
だと話していたら神妙な顔をして聞いていました。
その後、彼はカワサキに移籍して全日本でストック600選手権を戦って
いたのですが、ちょうどその時期というのが私がダビデ・ブレガ(現在、
Moto2クラスに参戦しているニコロ・ブレガの父親で当時、イタリア選手権
とスーパースポート世界選手権に参戦していたライトスピードカワサキの
チームマネージャー)との関係性を深めていた時期でよくいいライダーで
カワサキの600に走らせたいライダーのことを議論していました。
当然のことながら、私が推薦していたのが酒井大作でして、
アルノー・ヴァンデンボッシュを走らせたり、ガボール・タルマッチに
頼まれて彼の弟にテストライディングのチャンスを与えるお手伝いをしたり
していたので、酒井君が全日本のチャンピオン獲得したり、上位でシーズンを
終えて、次は世界選手権格式でカテゴリーがスーパーバイクでないとする
と当然のことながらスーパースポート世界選手権ということになる。
カワサキでスーパースポート世界選手権だということになるので、
酒井大作がライトスピードカワサキで世界で戦う姿を見たいなと思ったり、
何かお手伝いできないかなと考えていたのですが、ダビデ・ブレガの父親でありチームオーナーのブルーノ・ブレガが亡くなったことが一つの契機となり、
ダビデ・ブレガはチームの活動を閉鎖することになって、私の願望は具現化
することなく終わってしまいました。(その活動休止直前にライダーの能力を見抜いて彼のチームで走らせたのが、後にドゥカティワークスで走ることになる
ダビデ・ジュリアーノと今週末、この鈴鹿で何と金曜日に2分6秒台をたたき
出したニコロ・カネパ。)
その酒井大作に対する認識というのは私の中では業界内でかつて
クリスチャン・リンドルムに関するものと一緒でして、ワークスライダー
と同等の速さを持っていたり、実力が高いので、いいマシン、いいチーム
体制であれば世界選手権でトップクラスで走れるだろうというものでした。
その後、私の立ち位置も変わり、酒井大作もカワサキを離れてのレース
活動となったのですが、10年前の台風の影響で四度もセーフティカーが
出動する荒れた雨のレースでチームメイトと共に見事にマシンをコントロール
してヨシムラスズキを駆って、世界選手権カテゴリーでのレースで
優勝した時に本当に良かったなぁと思いましたね。あの時はヤマハオーストリア
のグウェン・ジャッバニが難しいけれど、上位フィニッシュでよかったと
話し、スティーブ・マーティンが脳みそが疲れて、暑さでしんどいのとは
違った難しいレースだけどいい順位で満足だと話し、maco racingの
マネージャーは我々のバイクはドライだったら、こんないいタイムと順位は
望めなかったから、苦しかったけれど恵の雨だったわと興奮していました。
酒井大作不在の雨の鈴鹿。彼が今年のこの雨の鈴鹿で戦うことができたら
という思いが私の脳みそを駆け巡っています。
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