マスコミ関係者が好きなテニスプレイヤーやライダーを応援するというのは
ありますが、そこに密接な関係性から生じる分厚いサポートというものを
感じた経験がありました。

 イタリアのテニスジャーナリストの大御所のウバルド・スカナガッタと
私は親しい関係にあり、テニスプレイヤーのサーラ・エッラーニとは初対面
から私と同じ訛りのイタリア語を話すのでシンパシーを感じていました。

 そういうわけでこの二人とも私は旧知の仲だったのですが。サーラ・
エッラーニが全仏オープンで快進撃を続けていて彼のサイトを読み、彼女のプレイを楽しんでいたのですが、サーラ・エッラーニがセミファイナル進出して
次の対戦相手がサマンサ・ストーナーとなりました。

 そのセミファイナル前日のロランギャロにウバルド・スカナガッタの
乗るスクーターの後部座席に彼女は乗って、大会会場にやってきました。

 まぁ、このことは二人の良好な関係性を示すものだなと思いましたし、
彼女が言うようにパリは大都市で込み合うから一番快適な移動手段が
スクーターだということもあるから、こういうこともありで、ウバルドに
乗せてきてもらったんだなということを思いました。

 快適に思い通りの時間の使い方、到着時間を求めていてこういうことも
あり、そのお礼に短いですが独占インタビューにも応えるということだった
のだと思いましたね。(当該の画像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=_l48dUedsNI

 そんなことを思っていて、翌日のサーラ・エッラーニ対サマンサ・ストーサー
の試合を見ていて、エッラーニはストーサーの強力な武器である、キック
サービスを放たれてもリターンを肩よりも上で打たされることが極めて
少なく、逆に肩より上で前さばきで叩いて、リターンから攻めてポイントを
奪って、試合の流れを支配しまして勝利を奪いました。

 そう、大会関係者が用意するオフィシャルカーだと車だから到着に時間が
かかる。そして、いつ大会会場、練習コートにやってきて、ストーサー
陣営やストーサーに近い人が見ることができる。それはエッラーニは
避けたいことではある。特別な技術や秘策を練っているときはとりわけ
そう思うはずである。

 ジャーナリストサイドとしては、自国のプレイヤーに活躍して欲しい。
それが単純にスクーターに乗せてもらって、プレイヤーが思い通りの
スケジュールで会場入りして欲しい。それで勝利や成功に繋がってくれたら
うれしいし、送迎のお礼にインタビューを取れたらありがたいというところ
から発生したアクションなんでしょうが、ある意味プレイヤーが快進撃を
するうえで手伝えることがあったら、よっぽど負荷がかからないことで
あれば、喜んで請け負うというところがあったと思います。

 オートバイのレースの世界で言うと、すぐに私が思い浮かべるのは
バレンティーノ・ロッシとカルロ・フロレンツァーノとの関係ですね。

 アプリリアで250ccクラスで世界チャンピオンになり、当時の500ccクラス
でホンダ、ヤマハ、スズキから声を掛けられ、アプリリアも当時は500ccの
エンジンがなかった時にサイドカーのスイスオートのエンジンの流用という
形で何とか用意して、車体の開発を進めるという形でオファーをしていました。

 当時の一番強いマシンというのはホンダであり、そこに行きたいと思った
時にロッシが頼ったのは当時ジャーナリストであり、イタリアのレースメディアの大御所であったカルロ・フローレンツァーノでした。

 イタリアのレース世論としてはアプリリアというイタリアのメーカーで
イタリアのスターが走って、日本のメーカーで走る他国のライダーを打ち
破って欲しいという空気が結構流れていましたが、勝つためには500ccの
経験のないアプリリアの車体と信頼性の薄いスイスオートのエンジンでは
ロッシを持ってしても勝てないのではないか。そうであれば、チャンピオン
マシンでロッシが走って勝って欲しいというレースファンもかなりいました。

 そこでレース界の表も裏もわかっていたカルロ・フローレンツァーノで
彼がホンダ陣営との話し合いを持ったり、色々な情報提供や交渉のアレンジ
をしました。

 まぁ、彼としてはロッシがさらなる成長を遂げて、スターになりイタリアの
レース界が盛り上がってくれたらいいということがあったのでしょうが、
上記のような動きで敵も作ったのは事実。そうなると生活に困るのかも
知れませんが、フロレンツァーノはホンダイタリアで世界選手権の現場で
ロッシのレース活動を手伝いながら、イタリア選手権で未来のスターライダー
を育てるような部門での仕事を始めることになりました。
(http://www.gpone.it/archivio/motomondiale01/SpecialeValentino/team.htm)

 この時期は私はパトリツィオ・カントゥとの関係を深めていたのでホンダの
ホスピタリティにいることだったり、イタリア選手権の現場にいることも
多かったのですが、フロレンツァーノの姿のいる場所や避けている所を
まざまざと感じました。

 まぁ、イタリアのジャーナリストとプレイヤー、ライダーの関係で
ジャーナリストが応援するというところに実行力や判断力というものを
強く感じましたね。

 日本のジャーナリストやメディア関係者がプレイヤーを応援するという
ところに果たしてどこまで支援というものができるのか、できないのか。
メディアの中立性で応援する気持ちがありながらも、できないのか。
できることは限定的なのか、分厚くできるものなのかなどを考えています。

 私は単なるブロガーでマスメディアではなくて、ナロウメディアなんですが
イタリア人テニスプレイヤーやライダー、レーススタッフの
トラベルマネージャーだったり通訳でお手伝いできる範囲で力を貸して
います。

 マスメディアだと人的、物的に有しているものがあると思うので
困っているプレイヤーや助けを求めているアスリートがいたら、なんらかの
応援、支援をして欲しいものだな思いますね。

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