10月20日土曜日。

 待ち合わせのホテルのロビーに行き、例によって、AGVのマウリッツィオ
ダイネーゼのステーファノ、レンツォと会い車中の人となる。

 サーキットへの車内での会話というのはやはりレース関連となる。
ホンダのスーパーバイクの供給体制はどうなるのか。カワサキから離脱する
トム・サイクス、アプリリアがスーパーバイク世界選手権から撤退すると
体が空いてしまうロレンツォ・サバドーリがホンダを走らせる可能性は
あるだろうとかルーカス・マヒアスがヤマハのスーパーバイクで3万ユーロで
乗らないかというオファーを蹴って、プチェッティカワサキで11万ユーロ
でスーパースポートを走らせることになるなど、私の知っている話と
知らないが進んでいる話などを耳にする。

 サーキットに到着して、ノーランヘルメットのところに行く。彼と
二週前に終わったイタリア選手権の話をする。

 今年のイタリア選手権のスーパーバイククラスのチャンピオンはドゥカティ
のテスターであり、イタリア選手権ではバルニレーシングにレンタルされて
走っているミケーレ・ピッロだったが、アプリリアのリソースが人的にも
物的にもMotoGPとスーパーバイク世界選手権に一点集中のような形
となっていて、ホンダもヤマハも全日本選手権のような形での参戦形態
ではない。そうなると、実力的にもバイク的にも突き抜けているドゥカティ
のミケーレ・ピッロが負けられない戦いでプレッシャーがあるという言い方
もできるが、ライバルメーカー不在、ライバルライダーがいないという
イージーウィンだっただろうという話をする。

 まぁ、ミケーレ・ピッロのドゥカティを脅かすとしたら、考えられた
のはマッテオ・バイオッコのアプリリアだったのだろうが、メーカーの
考え方として分厚いサポートができなかった時点で今年のイタリア選手権の
勝負は決まっていたわけだろうし、今年の戦いでいわゆるメーカーの
サポートがなかったり、限定的なバイクでピッロに迫ることができたり、
ピッロ以外のライダーに差をつけていたら来年の契約にいい形で臨めた
はずだが、それができたライダーはいなかったという話をしてくれた。

 ノーランのブースを離れたところでフランコ・バッタイーニと会う。
彼のキャリア初のポールポジションというのはここもてぎで99年の雨の
予選の時のものであり、彼にとってもそうだし、彼のために作られた
FGFバッタイーニレーシングにとっても初のポールポジションであった
ことを当時のことを思い出しながら話す。あの時期はまだ国営のRAIが
放映権を持っていて、彼のポールポジションが決まって、レポーターの
マッシモ・アンジェレッティと共にピットの中に入って、喜びを分かち
あった。あれが90年代最後の年で、2000年代、2010年代と三つのディケイド
をこうしてサーキットでシンパシーを感じながら話ができるのがうれしい。

 カレル・アブラハムと会う。彼の隣でダイネーゼのライディングスーツを
抱えて運んで来たのが今まで見たことない男で初めて話す。

 イタリア語もフランス語も英語も話せないというので、チェコ語で必死
こいて単語を探しながら話す。今の私はサーキットで聞きたいこと、伝え
たいことをイタリア語英語では困ることなく、フランス語でもそれほど
困難さを感じることがないのだが、チェコ語はあいさつ程度なので、
単語を必死こいて探すことになる。

 それはかつての英語ができたらいいなと思っていた高校時代やフランス語や
イタリア語を勉強していて、なかなか上達しなかった時に単語を探したり
集中力をマックスにしてヒアリングしようとしていた経験をチェコ語という
言語でしているのだが、こういうコミュニケーションに困ることで生まれる
不便さやもどかしさを感じるのは自らの原点を振り返る上でいいことでは
ないかなと思ったりする。

 このチェコ人の男と話していて日本人の多くは98年の長野オリンピックの
アイスホッケーのチェコの快進撃を覚えていて、決勝リーグのQFでアメリカ
に勝ち、SFで残り50秒ほどでこのまま2-1で勝つかなと思ったら、同点に
追いつかれて、劣勢のゲームを守りきり、ペナルティショット戦で勝ち、
決勝のロシア戦をペトル・スボボダの鮮やかなシュートで得た一点を
懸命に守ってゴールドメダルを獲得したことを覚えていると話すと、何と
この兄ちゃんはもてぎにやってくる前に長野の大会会場に行ってきて、そこで
撮影した写真を見せてくれた。

 まぁ、チェコという国では男の子はアイスホッケーのスティックを持って
生まれてくるなんて話があるくらいなので、日本の印象や知られている都市
というのは長野ということになるのだろう。

 予選セッションを終えて、パドックを歩いているとかつてグランプリで
走っていた新垣敏之さんと遭遇。昔話に花が咲く。

 彼の能力は高いものがあったが、お金がなかったり、チーム体制に
恵まれなかったりということがあったが、それでも500ccクラスで時に
光る走りや驚くべきタイムと成績を残したことを知っている人は多い。
今の彼はライディングスクールでの業務や指導が大きな部分を占めているが
できることならかつて、全日本で走ったり、鈴鹿八耐で戦ったように
彼の能力や才能を見せて欲しいと思うが、色々な意味で難しいようだ。

 その新垣さんがライダーとして一人一万円一口として寄付を募って
グランプリに参戦したが、今年のサンドロ・コルテーゼがスーパースポート
世界選手権に参戦するためにファンドで15万ユーロをかき集めて何とか
契約をまとめて、現在、カタールラウンドを残した段階でポイントリーダー
である。能力があっても走るために必要な資金集めがあるが、新垣さんが
現代の時代背景や環境だったら、もう少しお金集めも上手くいったのかなと
も思ってしまう。

 土曜日のパドックをうろうろしながら、なかなか会えない人やずっと
話せなかった人たちと言葉を交わしているうちにアジアタレントカップ
の時間になり、レースを見る。未来のスターがここから出現するかもしれ
ないなという思いと同時にヨーロッパ中心のレース界だが、中国やインド
という人口の多い国のライダーのレベルが上がったら、地域の偏りが
なくなって、ワールドチャンピオンシップらしくなるなとかイスラエル人
とパレスチナ人のライダーが世界チャンピオンを争い、お互いに全力を
尽くして戦い、健闘を称えあうような光景が将来見られたらいいななどと
思いながら、スター候補生の戦いを眺める。

 サーキットは陸上の会場と違って、民族や宗教などが偏っていると
思うのですが、これからどうなるのか。そんなことを思っていた時に
入ったニュースがトプラック・ラツガトリオグルがカワサキのマシンで
全日本選手権の最終戦に参戦するという話。才能豊かなトルコ人がメーカー
との関係を深めて近い将来のいい体制で出走できることを考えているわけで
国籍や民族が多様なワールドチャンピオンシップスとなったら面白いな
と思うし、カメラ小僧がたくさんいて、キャンペーンガールの写真を撮影
している姿を見ると、イケメンの男が露出度が高い衣装を着て、それを
イケテナイ女性が高性能のカメラで写真を撮るようなことになっても
いいと思う。

 motulがタイトルスポンサーの日本グランプリでMotoEのライダー
ラインナップの話が飛び交う中でそんなことを思っていた土曜日の
もてぎでした。

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