2018年MotoGP日本グランプリどたばた日記その一。
2018年10月22日 スポーツ10月19日金曜日
朝、7時に待ち合わせということでホテルのロビーに6時50分に着くと
顔を合わせたのがドゥカティチームのクルーとダビデ・タルドッツィ。
彼にとっては今の私は何も警戒したりする必要のない立ち位置なので
しばらくうだうだ話す。
2000年シーズンのスーパーバイク世界選手権でチームコロナアルスター
スズキで当時は日本語のみであった藤原克昭とのコミュニケーションでの問題を抱えていた上に成績が上がっていなかったので何かを変えようと考えたチームマネージャーのフランシス・バッタが私に声を掛けて関係を始めました。
そして、迎えたミザノアドレアティコで予選が一列目。レース1が3位。
レース2が4位となり、成績が上がり、何が理由なのかを考えた彼が
藤原のそばで日本語ー英語ーイタリア語の通訳をしていた私の存在に敏感に
反応したのが三人いました。
それがライダーではヤマハで走っていた芳賀紀行であり、チームの
チーフエンジニアでは当時アプリリアで働いていたジャーコモ・グイドッティ
であり、チームマネージャーではドゥカティで采配を振るっていた
ダビデ・タルドッツィでした。(このあたりの話は後日、ブログで記事に
したいと考えています。)
まぁ、あの一年以降は私は『安いチーム』に行っていたり、他のカテゴリー
で活動していたりということもあり、フランクに話すようになって今年の
シーズンを振り替えながら、うだうだ話していたところに、かつてPSG1
カワサキのメカニックと再会。話が弾む。
そこにAGVのマウリッツィオ・ビターリ、ダイネーゼのステーファノと
レンツォが登場。車上の人となる。
車内での話というのは二週前に終了したイタリア選手権の話とルーカ・
ビターリの近い未来のこととなる。
まぁ、イタリアの父親というのは息子のことを深く考えるわけだし、
親子の絆が強くて、レース界では父親がマネージャーで子供がライダーと
いうのはたくさんあるのですが、グラッツィアーノ・ロッシの息子の
バレンティーノ・ロッシというような例は少なくて、ビターリ家の息子も
ピエール・フランチェスコ・キリの子供のケビンも(少なくとも今のところは)
結果が出ていない。
となるとお金を持ち込んで走るということになるが、交渉を地理的に
離れている日本ーオーストラリアーマレーシアの三連戦の時に
パパマネージャーがするのは難しいということになる。
まぁ、これにアプリリアのスーパーバイク世界選手権での活動停止や
スーパーバイク世界選手権での状況がイタリア選手権での活動や他のメーカー
の動きに影響があるわけで最終的にはなるようにしかならないのですが、
不透明な状況下の中で関係各所とすることになって、脳みそから汗がでるような
ことがありながら、終わったシーズンの後の支払いがあるという状況
になっている。
そんなイタリア選手権の話をしているうちにサーキット到着。しばらく
AGVとダイネーゼの仮設オフィスにいた後にシャークヘルメットのオフィス
に行く。
まぁ、そこにフランス人がやってくるのですが、シャークのスタッフと
再会を喜びながら、フランス語でうだうだ話せるのが楽しい。
彼らとしばらく話した後にノーランヘルメットに行く。
ここになぜ行くかというと、このブログのファンは私とマルコ・メランドリ
との世紀をまたいだ長い付き合いを知っている人もいるでしょうが、
ラベンナのライダーの去就をよく知っているのは当然のことながらノーラン
ヘルメットのスタッフなわけでここのエンリコと話そうと思ったら、
彼自身はいたが、彼はこのヘルメットメーカーを離れていたことを知る。
彼曰く、10年以上ノーランのために働いていて、さすがにもう離れても
いい時期だということで今はダニーロ・ペトルッチに個人的に雇われて
彼の専属でヘルメットもそうだが、色々と使っている道具のメンテナンスや
モディファイなどを担当しているとのこと。
そんなわけで他のノーランのスタッフにメランドリの話を聞くと、彼自身
も決定していることはないと話し、メディアに流れているインディペンデント
チームでヤマハからスーパーバイクの供給を受けて、彼のためのチームが
設立されるか、イタリア選手権なり他の国内選手権をやっているチームが
受け皿となって活動するか、あるいは新大陸に渡ってMotoアメリカで走る
という話が進んでいるとのこと。
個人的には彼にはスーパーバイク世界選手権で走って欲しいと思うが、
現状は非常に話が流動的で難しいことがよくわかる。BMWがトム・サイクス
を欲しがっている話が流れているが、これがどこまで進んでいる話なのか
ドイツサイドからの観測気球なのかも正直、ノーランでもわからないらしい。
まぁ、BMWは世界耐久選手権の方での新シーズンでの力の入れ方を見ている
とスーパーバイク世界選手権ではどうなるのか、ストック1000選手権の
今年のシーズンの競争力やマルクス・レイテルベルガーの走りを見ていて
気になるところではある。メランドリはかつてBMWでも走っていたし、
シートがあり、条件が合えば、彼がBMWのリッターバイクで走っても
おかしくはない。
そんな話をしていると、秋晴れの天気から曇り空になり、雨がぱらぱら
と降ってきた。Moto3は非常に難しいコンディションでの開催となる。
まぁ、土日は秋晴れの予報が流れているが、秋口の山の中のサーキット
なので何が起きてもおかしくない。そんななかで路面の乾いているところ
とウェット状態が残っているところでのセッションとなる。
個人的に好きなライダーのヤクブ・コルンフェイルがいい走りを朝の
フリープラクティスでトップタイムで、午後はかなりセットアップに
悩む展開となってしまった。そのあたりの話をしているところにテレビの
解説で来ていた上田昇さんが声がけしてきて、チェコ人ライダーが
彼のマシンと他のライダーのマシンとの車体性能の話とそれに伴う
セットアップの話を聞く。これはなかなか興味深い話であった。
ヤクブと上田昇の鮮烈なデビューウィンが私の目をレースに向けて、
そして、エディ・ローソンの最後であり、カジバの初勝利が私にイタリア語を
やるきっかけになったことを話す。
MotoGPのセッション中にレッドブルのホスピタリティのスタッフと
話す。彼はイタリア国籍だが出身がアルトアルジェ州ということで私とは
イタリア語で話すが、家庭内ではドイツ語とのこと。日本人が考えている
以上にヨーロッパの国々でのドイツ語の普及率は高くて、イタリアでも
アルトアディジェ州のようなところもあるので、私はドイツ語が
話せれたらいいが、NHKラジオのドイツ語講座の進むスピードが早くて
二週間で辞めてしまったという悲しい過去があるのでイタリア語で
レースとモータースポーツが好きでイタリア語になったという話をする。
その彼からレッドブルを一本いただいてAGVの仮設オフィスに戻ると
マウリッツィオ・ビターリとイゴール・アントネッリがうだうだ話している。
彼らの会話の中心というのはやはりライダーで息子のルーカ・ビターリと
ニコロ・アントネッリのこととなる。そこに今回はダビデ・ブレガと
子供のニコロ・ブレガがいないのは非常に残念だなと感じる。
このブログの昔からの読者の方は私とブレガ家との密接な関係があった
時代のこともご存知でしょうが、私も含めてニコロ・ブレガが高い能力が
あることは間違いないようだが、どうも父親とか周りがお膳立てしてくれて、
才能だけで走っているようなところがあり、それが悪い方に流れが行ってしまう
と今年のようなことになってしまうというのが多くの業界関係者の認識の
ようだ。
そこにフィリップ・エッテルというペトル・エッテルが子供のためにチーム
を作って運営しているチームで走っているライダーが来たから余計に
そんなことを感じてしまう。
AGVとノーランの仮設オフィスを行ったり来たりしていて、尋ねられること
というのが今年の鈴鹿八耐の話で私が感じたこと、理解したことなどを話す。
ヤマハがここのところワークスチームを結成して参戦しているが、今年の
八耐にはカワサキとホンダの熱量を感じたこと、スズキの八耐での関わりかた
が限定的であることと同時にBMWのチームのことを話す。
私は酒井大作というライダーのファンなのですが、彼がホンダの市販マシン
とブリヂストンタイヤというパッケージで鈴鹿でのグランプリにワイルドカード参戦した時に250ccクラスで雨を味方にして、ブリヂストンタイヤを有効に
活用して、鮮やかなマシンコントロールとレースマネージメントで二位を
奪った話やその後のホンダのパーティでチームスコットのチーフエンジニア
に紹介したこと(そばでその様子を見ていたミルコ・ジャンサンティと
アンドレア・ドヴィツィオーゾは嫌そうな顔をしていましたが、イタリア人
相手のライダーの売りこみや自己アピールはガツガツしたところがないと
いけない。)
その後、彼がカワサキのバイクで全日本でストック600選手権を戦って
いたが、当時のホンダとヤマハが強くて厳しい戦いを強いられながらも
能力を発揮していて、彼が全日本でカワサキでの活動を見ていて、
できることならダビデ・ブレガがチームマネージャーとして活動していた
ライトスピードカワサキに行ったら、いい環境でスーパースポート世界選手権
で戦えたと思っていたが、チームオーナーのブルーノ・ブレガも含めて、
酒井大作のことを興味を持っていたものの、残念ながらブルーノ・ブレガが
亡くなり、チームが活動停止となり、ニコロ・ブレガのミニバイクでの活動のみ
になってしまって、話が頓挫してしまったことなどを話す。
ライダー生命とバイクメーカーと紆余曲折があった酒井大作がBMWと
いい関係を構築して、他の国の選手権で走っているBMWのライダーが
彼のチームで7月の最終週に鈴鹿で走っているが、そこでチェコ人の
ルーカシュ・ぺシェックが走ったり、ラファエッラ・デローザがやってきたり
ということがあって、ドイツの本社なり、BMWイタリアが一定以上の
スキルを持っていて、酒井大作のチームで走って欲しいというような
認識になったらイタリア、イギリス、ドイツ、フランスといった国の
選手権で走っているBMWライダーが走ることになっていることを話す。
この話というのはルーカ・ビターリを鈴鹿八耐で一度走らせたいと
考えているパパマネージャーのマウリッツィオ・ビターリには刺さるものが
あったようだ。
ただ、今年はこのブログで触れたように鈴鹿八耐のレースウィークに
イタリア選手権のレースも開催されていたから、リッターバイクの経験が
あり、一定以上のスキルがあって、契約的な縛りがないダビデ・ジュリアーノ
やロレンツォ・ランツィは鈴鹿八耐参戦チームから話があってもおかしく
なかったが、レース関係者から話がなかったからなのか彼らはミザノで
業界関係者にあいさつ回りをしながら、近い将来の就職活動をしていました。
パドックをうろうろしていると、このブログの読者であり、古い友人
の男と会い、近況報告を交えながら、レースのことやメーカーの動きについて
話す。
彼はヘルメットが好きなので、彼を連れてAGV、ノーラン、シャークといった
ヘルメットメーカーの仮設オフィスに連れて行き、彼がしたい質問や疑問を
通訳する。マニアにとっては、カタログであったり、ウェブや雑誌に載っている
ことということも好奇心を持って読むこともできるのだろうが、レーシング
スピードで限界走行したり、この金曜日のように難しいコンディションの
なかで走る時にヘルメットのレーシングサービスの担当者がどんな改良を
加えていたり、ライダーのリクエストに応じながら、安全性を保つのかを
知るのは大変知的好奇心を満たされることで楽しい時間を過ごすことが
できたようだ。
彼と一緒にグランドスタンドの方に行き、ビールと焼きそばをごちそうに
なり、再びパドックに戻る。よくよく考えたら、このレースには私が長く
サーキットで会っていたマウロ・ノッチョリやロッサーノ・ブラッツィの
姿がないのは寂しいものがある。
AGVの仮設オフィスに戻り、彼らと一緒に水戸へ帰る。まぁ、色々な
ことを情報交換した一日だった。
朝、7時に待ち合わせということでホテルのロビーに6時50分に着くと
顔を合わせたのがドゥカティチームのクルーとダビデ・タルドッツィ。
彼にとっては今の私は何も警戒したりする必要のない立ち位置なので
しばらくうだうだ話す。
2000年シーズンのスーパーバイク世界選手権でチームコロナアルスター
スズキで当時は日本語のみであった藤原克昭とのコミュニケーションでの問題を抱えていた上に成績が上がっていなかったので何かを変えようと考えたチームマネージャーのフランシス・バッタが私に声を掛けて関係を始めました。
そして、迎えたミザノアドレアティコで予選が一列目。レース1が3位。
レース2が4位となり、成績が上がり、何が理由なのかを考えた彼が
藤原のそばで日本語ー英語ーイタリア語の通訳をしていた私の存在に敏感に
反応したのが三人いました。
それがライダーではヤマハで走っていた芳賀紀行であり、チームの
チーフエンジニアでは当時アプリリアで働いていたジャーコモ・グイドッティ
であり、チームマネージャーではドゥカティで采配を振るっていた
ダビデ・タルドッツィでした。(このあたりの話は後日、ブログで記事に
したいと考えています。)
まぁ、あの一年以降は私は『安いチーム』に行っていたり、他のカテゴリー
で活動していたりということもあり、フランクに話すようになって今年の
シーズンを振り替えながら、うだうだ話していたところに、かつてPSG1
カワサキのメカニックと再会。話が弾む。
そこにAGVのマウリッツィオ・ビターリ、ダイネーゼのステーファノと
レンツォが登場。車上の人となる。
車内での話というのは二週前に終了したイタリア選手権の話とルーカ・
ビターリの近い未来のこととなる。
まぁ、イタリアの父親というのは息子のことを深く考えるわけだし、
親子の絆が強くて、レース界では父親がマネージャーで子供がライダーと
いうのはたくさんあるのですが、グラッツィアーノ・ロッシの息子の
バレンティーノ・ロッシというような例は少なくて、ビターリ家の息子も
ピエール・フランチェスコ・キリの子供のケビンも(少なくとも今のところは)
結果が出ていない。
となるとお金を持ち込んで走るということになるが、交渉を地理的に
離れている日本ーオーストラリアーマレーシアの三連戦の時に
パパマネージャーがするのは難しいということになる。
まぁ、これにアプリリアのスーパーバイク世界選手権での活動停止や
スーパーバイク世界選手権での状況がイタリア選手権での活動や他のメーカー
の動きに影響があるわけで最終的にはなるようにしかならないのですが、
不透明な状況下の中で関係各所とすることになって、脳みそから汗がでるような
ことがありながら、終わったシーズンの後の支払いがあるという状況
になっている。
そんなイタリア選手権の話をしているうちにサーキット到着。しばらく
AGVとダイネーゼの仮設オフィスにいた後にシャークヘルメットのオフィス
に行く。
まぁ、そこにフランス人がやってくるのですが、シャークのスタッフと
再会を喜びながら、フランス語でうだうだ話せるのが楽しい。
彼らとしばらく話した後にノーランヘルメットに行く。
ここになぜ行くかというと、このブログのファンは私とマルコ・メランドリ
との世紀をまたいだ長い付き合いを知っている人もいるでしょうが、
ラベンナのライダーの去就をよく知っているのは当然のことながらノーラン
ヘルメットのスタッフなわけでここのエンリコと話そうと思ったら、
彼自身はいたが、彼はこのヘルメットメーカーを離れていたことを知る。
彼曰く、10年以上ノーランのために働いていて、さすがにもう離れても
いい時期だということで今はダニーロ・ペトルッチに個人的に雇われて
彼の専属でヘルメットもそうだが、色々と使っている道具のメンテナンスや
モディファイなどを担当しているとのこと。
そんなわけで他のノーランのスタッフにメランドリの話を聞くと、彼自身
も決定していることはないと話し、メディアに流れているインディペンデント
チームでヤマハからスーパーバイクの供給を受けて、彼のためのチームが
設立されるか、イタリア選手権なり他の国内選手権をやっているチームが
受け皿となって活動するか、あるいは新大陸に渡ってMotoアメリカで走る
という話が進んでいるとのこと。
個人的には彼にはスーパーバイク世界選手権で走って欲しいと思うが、
現状は非常に話が流動的で難しいことがよくわかる。BMWがトム・サイクス
を欲しがっている話が流れているが、これがどこまで進んでいる話なのか
ドイツサイドからの観測気球なのかも正直、ノーランでもわからないらしい。
まぁ、BMWは世界耐久選手権の方での新シーズンでの力の入れ方を見ている
とスーパーバイク世界選手権ではどうなるのか、ストック1000選手権の
今年のシーズンの競争力やマルクス・レイテルベルガーの走りを見ていて
気になるところではある。メランドリはかつてBMWでも走っていたし、
シートがあり、条件が合えば、彼がBMWのリッターバイクで走っても
おかしくはない。
そんな話をしていると、秋晴れの天気から曇り空になり、雨がぱらぱら
と降ってきた。Moto3は非常に難しいコンディションでの開催となる。
まぁ、土日は秋晴れの予報が流れているが、秋口の山の中のサーキット
なので何が起きてもおかしくない。そんななかで路面の乾いているところ
とウェット状態が残っているところでのセッションとなる。
個人的に好きなライダーのヤクブ・コルンフェイルがいい走りを朝の
フリープラクティスでトップタイムで、午後はかなりセットアップに
悩む展開となってしまった。そのあたりの話をしているところにテレビの
解説で来ていた上田昇さんが声がけしてきて、チェコ人ライダーが
彼のマシンと他のライダーのマシンとの車体性能の話とそれに伴う
セットアップの話を聞く。これはなかなか興味深い話であった。
ヤクブと上田昇の鮮烈なデビューウィンが私の目をレースに向けて、
そして、エディ・ローソンの最後であり、カジバの初勝利が私にイタリア語を
やるきっかけになったことを話す。
MotoGPのセッション中にレッドブルのホスピタリティのスタッフと
話す。彼はイタリア国籍だが出身がアルトアルジェ州ということで私とは
イタリア語で話すが、家庭内ではドイツ語とのこと。日本人が考えている
以上にヨーロッパの国々でのドイツ語の普及率は高くて、イタリアでも
アルトアディジェ州のようなところもあるので、私はドイツ語が
話せれたらいいが、NHKラジオのドイツ語講座の進むスピードが早くて
二週間で辞めてしまったという悲しい過去があるのでイタリア語で
レースとモータースポーツが好きでイタリア語になったという話をする。
その彼からレッドブルを一本いただいてAGVの仮設オフィスに戻ると
マウリッツィオ・ビターリとイゴール・アントネッリがうだうだ話している。
彼らの会話の中心というのはやはりライダーで息子のルーカ・ビターリと
ニコロ・アントネッリのこととなる。そこに今回はダビデ・ブレガと
子供のニコロ・ブレガがいないのは非常に残念だなと感じる。
このブログの昔からの読者の方は私とブレガ家との密接な関係があった
時代のこともご存知でしょうが、私も含めてニコロ・ブレガが高い能力が
あることは間違いないようだが、どうも父親とか周りがお膳立てしてくれて、
才能だけで走っているようなところがあり、それが悪い方に流れが行ってしまう
と今年のようなことになってしまうというのが多くの業界関係者の認識の
ようだ。
そこにフィリップ・エッテルというペトル・エッテルが子供のためにチーム
を作って運営しているチームで走っているライダーが来たから余計に
そんなことを感じてしまう。
AGVとノーランの仮設オフィスを行ったり来たりしていて、尋ねられること
というのが今年の鈴鹿八耐の話で私が感じたこと、理解したことなどを話す。
ヤマハがここのところワークスチームを結成して参戦しているが、今年の
八耐にはカワサキとホンダの熱量を感じたこと、スズキの八耐での関わりかた
が限定的であることと同時にBMWのチームのことを話す。
私は酒井大作というライダーのファンなのですが、彼がホンダの市販マシン
とブリヂストンタイヤというパッケージで鈴鹿でのグランプリにワイルドカード参戦した時に250ccクラスで雨を味方にして、ブリヂストンタイヤを有効に
活用して、鮮やかなマシンコントロールとレースマネージメントで二位を
奪った話やその後のホンダのパーティでチームスコットのチーフエンジニア
に紹介したこと(そばでその様子を見ていたミルコ・ジャンサンティと
アンドレア・ドヴィツィオーゾは嫌そうな顔をしていましたが、イタリア人
相手のライダーの売りこみや自己アピールはガツガツしたところがないと
いけない。)
その後、彼がカワサキのバイクで全日本でストック600選手権を戦って
いたが、当時のホンダとヤマハが強くて厳しい戦いを強いられながらも
能力を発揮していて、彼が全日本でカワサキでの活動を見ていて、
できることならダビデ・ブレガがチームマネージャーとして活動していた
ライトスピードカワサキに行ったら、いい環境でスーパースポート世界選手権
で戦えたと思っていたが、チームオーナーのブルーノ・ブレガも含めて、
酒井大作のことを興味を持っていたものの、残念ながらブルーノ・ブレガが
亡くなり、チームが活動停止となり、ニコロ・ブレガのミニバイクでの活動のみ
になってしまって、話が頓挫してしまったことなどを話す。
ライダー生命とバイクメーカーと紆余曲折があった酒井大作がBMWと
いい関係を構築して、他の国の選手権で走っているBMWのライダーが
彼のチームで7月の最終週に鈴鹿で走っているが、そこでチェコ人の
ルーカシュ・ぺシェックが走ったり、ラファエッラ・デローザがやってきたり
ということがあって、ドイツの本社なり、BMWイタリアが一定以上の
スキルを持っていて、酒井大作のチームで走って欲しいというような
認識になったらイタリア、イギリス、ドイツ、フランスといった国の
選手権で走っているBMWライダーが走ることになっていることを話す。
この話というのはルーカ・ビターリを鈴鹿八耐で一度走らせたいと
考えているパパマネージャーのマウリッツィオ・ビターリには刺さるものが
あったようだ。
ただ、今年はこのブログで触れたように鈴鹿八耐のレースウィークに
イタリア選手権のレースも開催されていたから、リッターバイクの経験が
あり、一定以上のスキルがあって、契約的な縛りがないダビデ・ジュリアーノ
やロレンツォ・ランツィは鈴鹿八耐参戦チームから話があってもおかしく
なかったが、レース関係者から話がなかったからなのか彼らはミザノで
業界関係者にあいさつ回りをしながら、近い将来の就職活動をしていました。
パドックをうろうろしていると、このブログの読者であり、古い友人
の男と会い、近況報告を交えながら、レースのことやメーカーの動きについて
話す。
彼はヘルメットが好きなので、彼を連れてAGV、ノーラン、シャークといった
ヘルメットメーカーの仮設オフィスに連れて行き、彼がしたい質問や疑問を
通訳する。マニアにとっては、カタログであったり、ウェブや雑誌に載っている
ことということも好奇心を持って読むこともできるのだろうが、レーシング
スピードで限界走行したり、この金曜日のように難しいコンディションの
なかで走る時にヘルメットのレーシングサービスの担当者がどんな改良を
加えていたり、ライダーのリクエストに応じながら、安全性を保つのかを
知るのは大変知的好奇心を満たされることで楽しい時間を過ごすことが
できたようだ。
彼と一緒にグランドスタンドの方に行き、ビールと焼きそばをごちそうに
なり、再びパドックに戻る。よくよく考えたら、このレースには私が長く
サーキットで会っていたマウロ・ノッチョリやロッサーノ・ブラッツィの
姿がないのは寂しいものがある。
AGVの仮設オフィスに戻り、彼らと一緒に水戸へ帰る。まぁ、色々な
ことを情報交換した一日だった。
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