7月28日、鈴鹿八耐どたばた日記その二。
2018年8月2日 スポーツ 雨の予報があるので、少々早めに家を出て鈴鹿サーキット到着。
9時からストック600四時間耐久レースに間に合うが、これがレース直前に
雨が降る。結構なレインコンディションの中でレーススタート。
まぁ、難しいコンディションを二人で走るということはこれから世界を目指す
ライダーにとっては色々と勉強になるだろうと思う。
イタリアから取材に来ているmotosprintのエンリコ・ボルギと会う。
昨年のもてぎで会っていなかったのでずいぶん久しぶりだなと思う。
それ彼の今回の注目は当然のことながらニッコロ・カネパであり、同時に
気にしているのがピレリタイヤだということでこのあたりは私も含めて
イタリア関係の仕事が絡む人は着眼する部分が同じだなと思う。
ピレリタイヤのジョルジョ・バルビエール氏と顔を合わせていたので
今回のSIC(sepang international circuit)のCEOが来場して記者会見がある
という話で何が議題になるのだろうかと考えていたが、次のシーズンは
セパン8時間は開催されないが、その次のシーズンでの開催に関するアナウンス
だろうと知らされる。
マレーシアにいた時期もあるので、セパンとマレーシアのローカル政府との
関係やかつてはマレーシアの領土の一つであったシンガポールがF1招致に
関しての動きなどを知りやすい状況にあったが、セパンはF1のレースが
開催権料のアップであったり、観客動員の低下といったものがあったり、
ヨーロッパとの時差が6時間なのでナイトレースの実現を求められたりする
なかでF1の開催が難しくなっている中でお隣のシンガポールが政府の肝いり
で分厚いバックアップ体制でF1を招致して、ナイトレースまで実現するという
ことになり、シンガポールのプレゼンスが上昇していき、マレーシアは
F1を失ってしまった。
そんななかで世界格式のレースを開催したいという気運がセパンサイドに
高まっている中でオートバイの世界耐久選手権を開催しようという話に
なってきて、議論が深まり、交渉が上手くいき、この鈴鹿のレースウィークで
発表できることがあったのだろうということらしい。
ジョルジョ・バルビエールの考えでは二月の開催だったら、各メーカーも
対応しやすいし、二月の最終週にスーパーバイク世界選手権のオーストラリア
があるぐらいでメディアの露出という部分でもいい話だとのこと。
同時に12月のマレーシアの三週目にいた時にイスラム教徒のマレー人と
仏教徒の中華系が33度以上ある中で『メリークリスマス』などと言っている
ぐらいなので11月から3月といういわゆる冬の時期であっても開催は十分
可能だろうと話す。
その後、プレスカンファレンスで2019年12月に世界耐久選手権のレースが
行なわれることを知る。まぁ、ポルトガルやカタールやブランズハッチが
なくなり、しばらく5レースで行なわれている状況よりも一つでもサーキットが
乗り気でレース数が増えるのはいいことだと思う。
ジョルジョ・バルビエールと話していたところにアレックス・グラミーニが
登場。彼と鈴鹿というとアプリリアで500クラスで走っていたが、土曜日の
マシンの仕上がりが良くなかったことでカルロ・ペルナット氏が出走を
取りやめたということがあって、残念な思い出がある。
その後、グラミーニとは私とはスーパーバイク世界選手権の現場で
私がunionbike gimotorsportsで関係を深めていた時期に会っていた時の
ことがあったり、彼がイタリア選手権で戦っていた時期に会っていたりとか、
サーキットでよく会っていたのでこうした立場で会えるのはすごくうれしい
ものがある。
ブリヂストンがかつてMotoGPでスティーブ・イェンクナーや東雅雄を
スタッフとして使うことでエンジニアのPCや研究所から考えられる開発に
ライダーの目線や考えが理解できる元ライダーを加えてタイヤに関する進化に
結びつけたようにヤマハのR1を長く走らせていた彼をピレリの技術者とともに
開発スタッフにすることで昨年から改良、改善を進めるということになって
いる。そんなわけで、彼とヤマハR1とピレリタイヤに関してうだうだ話すこと
となった。
しばらくピットを歩いていると『yasu!』と声を掛けられる。振り返ると
ニッコロ・カネパとマイク・ディメリオであった。
この二人とはまぁ、長くて深い関係があるので話に花が咲くが、私が
マイクにフランス語で話しているとニッコロが『yasuはフランス語がわかるのか』などと質問をぶつけてくる。意外と近い場所にいるとこういうことが
知らなかったりするので、フランス語が私の四番目の言葉であることを説明
する。
私とマイクが会ったのは彼がグランプリのデビューでまだ名古屋の国際線
の玄関口のセントエアが開港していない段階で小牧の空港に到着していた
時期のことで、私の友人のシモーネ・ファルチーニと共にやってきた時の
ことだった。
フランスからやってくる前の段階で友人たちから『日本は誰も外国語を
話さない。英語も通じない』と言われていて、まぁ、フランスもパリは大都市
で外国人観光客も多いから英語なりドイツ語が通じるけれど、他の都市とか
小さな町だとフランス語のみだから、日本で小さな町だったら、当然のこと
ながら日本語のみなんだろうなと思って、レースウィーク中に不便を
感じることがあるかなと思っていたところ、一番最初に会った日本人がなんと
yasuで若いのか老けているのかわからないくどい顔をした日本人が何と
フランス語を話し始めるし、シモーネ・ファルチーニとはイタリア語で
談笑しているのを見て、日本はフランス語もイタリア語も通じるのだろう
と思ってしまったが、それは大きな間違いであり、yasuが特別な人であり、
フランス選手権と違って世界選手権となるとライダーやメカニック以外にも
こういう特別であったり、とんがっていたりいる連中の集まりだとあの時に
知ったということを何年経っても昨日の出来事のように話してくれる。
ニッコロ・カネパはストック600選手権にカワサキベルトッキで走って
いた時にスーパースポート世界選手権に走るというチャンスを得て、
ダビデ・ブレガ率いるチームに行ったら、ピアディーナを食べることと
ランブルスコワインを飲むエミリアロマーニャ訛りのイタリア語を話す
ロマニョーロジャッポネーゼが居て驚いた時のことを話す。
あれからお互いの立ち位置は変わったが、こうしてサーキットで会うことが
できてうれしいものがある。
彼らとの再会と会話を楽しみながら、しばらくパドックを歩くと、
マーキュリーBMWのオンジョレイ・イェジェックとカレル・ハニカと会う。
私がインターモトカワサキと関係を深めていたこともあって、チェコ語の単語を探しながら、チェコ語2割、英語8割で会話を進める。2000年代前半から
私の人間関係のこともあってチェコ人のレース関係者と会うと共通の友人
や知人がいることを知る。
アイスホッケーが国技というところのパスポートを持っている彼らから
すると鈴鹿八耐というのはとんでもない過酷なレースであるが、サーキット
レイアウトは素晴らしいと話してくれる。
最近できたサーキットというのはいわゆるストップ&ゴーのサーキットが
多くて個性を感じないが、この鈴鹿は素晴らしいと話している。
そのロングストレートも高速コーナーも低速コーナーもあり、アップダウン
があるサーキットではライダーもマシンも求められることが多いから
トータルの戦闘力が必要なわけで、チャレンジングであることを話してくれる。
その後、トップテントライアルを見るが、まぁカワサキの速いこと速いこと。
カワサキも速いのだが、ジョナサン・レアの強さや高い実力を感じる。
速いマシン、いいタイヤ、強いライダーが揃ったら、ものすごいラップタイム
がでるわけで、トップシックスのタイムも素晴らしいのだが、それがかすんで
しまった。
日曜日はカワサキとヤマハのバトルにホンダがどう絡んでいけるのか
晴れになったら八時間の耐久というよりも一時間のスプリントのハイスピード
バトルを八回繰り替えることになりそうだなと思う。また、台風の影響で
日曜日の朝の交通機関が乱れたら、マーシャルや医療スタッフが来場できな
かったり、時間通りに来れなかったらリスケジュールの可能性もかなり
高くなるだろうとか、イタリア人のスケベな連中は雨とか悪天候だと
キャンペーンガール露出度が低くなってしまうななどと話している。
前日の金曜日の帰り際に金曜日の夜、土曜日の朝のビッグスクリーンを
一度解体するとか、サーキットで設営しているブースでのイベントや
営業を取りやめるということがあったが、同じようなことが日曜日にも
起きるかもしれないわけで、天気の心配とそれに伴う混乱がどうなるか
を気にかけて帰宅することとなる。
9時からストック600四時間耐久レースに間に合うが、これがレース直前に
雨が降る。結構なレインコンディションの中でレーススタート。
まぁ、難しいコンディションを二人で走るということはこれから世界を目指す
ライダーにとっては色々と勉強になるだろうと思う。
イタリアから取材に来ているmotosprintのエンリコ・ボルギと会う。
昨年のもてぎで会っていなかったのでずいぶん久しぶりだなと思う。
それ彼の今回の注目は当然のことながらニッコロ・カネパであり、同時に
気にしているのがピレリタイヤだということでこのあたりは私も含めて
イタリア関係の仕事が絡む人は着眼する部分が同じだなと思う。
ピレリタイヤのジョルジョ・バルビエール氏と顔を合わせていたので
今回のSIC(sepang international circuit)のCEOが来場して記者会見がある
という話で何が議題になるのだろうかと考えていたが、次のシーズンは
セパン8時間は開催されないが、その次のシーズンでの開催に関するアナウンス
だろうと知らされる。
マレーシアにいた時期もあるので、セパンとマレーシアのローカル政府との
関係やかつてはマレーシアの領土の一つであったシンガポールがF1招致に
関しての動きなどを知りやすい状況にあったが、セパンはF1のレースが
開催権料のアップであったり、観客動員の低下といったものがあったり、
ヨーロッパとの時差が6時間なのでナイトレースの実現を求められたりする
なかでF1の開催が難しくなっている中でお隣のシンガポールが政府の肝いり
で分厚いバックアップ体制でF1を招致して、ナイトレースまで実現するという
ことになり、シンガポールのプレゼンスが上昇していき、マレーシアは
F1を失ってしまった。
そんななかで世界格式のレースを開催したいという気運がセパンサイドに
高まっている中でオートバイの世界耐久選手権を開催しようという話に
なってきて、議論が深まり、交渉が上手くいき、この鈴鹿のレースウィークで
発表できることがあったのだろうということらしい。
ジョルジョ・バルビエールの考えでは二月の開催だったら、各メーカーも
対応しやすいし、二月の最終週にスーパーバイク世界選手権のオーストラリア
があるぐらいでメディアの露出という部分でもいい話だとのこと。
同時に12月のマレーシアの三週目にいた時にイスラム教徒のマレー人と
仏教徒の中華系が33度以上ある中で『メリークリスマス』などと言っている
ぐらいなので11月から3月といういわゆる冬の時期であっても開催は十分
可能だろうと話す。
その後、プレスカンファレンスで2019年12月に世界耐久選手権のレースが
行なわれることを知る。まぁ、ポルトガルやカタールやブランズハッチが
なくなり、しばらく5レースで行なわれている状況よりも一つでもサーキットが
乗り気でレース数が増えるのはいいことだと思う。
ジョルジョ・バルビエールと話していたところにアレックス・グラミーニが
登場。彼と鈴鹿というとアプリリアで500クラスで走っていたが、土曜日の
マシンの仕上がりが良くなかったことでカルロ・ペルナット氏が出走を
取りやめたということがあって、残念な思い出がある。
その後、グラミーニとは私とはスーパーバイク世界選手権の現場で
私がunionbike gimotorsportsで関係を深めていた時期に会っていた時の
ことがあったり、彼がイタリア選手権で戦っていた時期に会っていたりとか、
サーキットでよく会っていたのでこうした立場で会えるのはすごくうれしい
ものがある。
ブリヂストンがかつてMotoGPでスティーブ・イェンクナーや東雅雄を
スタッフとして使うことでエンジニアのPCや研究所から考えられる開発に
ライダーの目線や考えが理解できる元ライダーを加えてタイヤに関する進化に
結びつけたようにヤマハのR1を長く走らせていた彼をピレリの技術者とともに
開発スタッフにすることで昨年から改良、改善を進めるということになって
いる。そんなわけで、彼とヤマハR1とピレリタイヤに関してうだうだ話すこと
となった。
しばらくピットを歩いていると『yasu!』と声を掛けられる。振り返ると
ニッコロ・カネパとマイク・ディメリオであった。
この二人とはまぁ、長くて深い関係があるので話に花が咲くが、私が
マイクにフランス語で話しているとニッコロが『yasuはフランス語がわかるのか』などと質問をぶつけてくる。意外と近い場所にいるとこういうことが
知らなかったりするので、フランス語が私の四番目の言葉であることを説明
する。
私とマイクが会ったのは彼がグランプリのデビューでまだ名古屋の国際線
の玄関口のセントエアが開港していない段階で小牧の空港に到着していた
時期のことで、私の友人のシモーネ・ファルチーニと共にやってきた時の
ことだった。
フランスからやってくる前の段階で友人たちから『日本は誰も外国語を
話さない。英語も通じない』と言われていて、まぁ、フランスもパリは大都市
で外国人観光客も多いから英語なりドイツ語が通じるけれど、他の都市とか
小さな町だとフランス語のみだから、日本で小さな町だったら、当然のこと
ながら日本語のみなんだろうなと思って、レースウィーク中に不便を
感じることがあるかなと思っていたところ、一番最初に会った日本人がなんと
yasuで若いのか老けているのかわからないくどい顔をした日本人が何と
フランス語を話し始めるし、シモーネ・ファルチーニとはイタリア語で
談笑しているのを見て、日本はフランス語もイタリア語も通じるのだろう
と思ってしまったが、それは大きな間違いであり、yasuが特別な人であり、
フランス選手権と違って世界選手権となるとライダーやメカニック以外にも
こういう特別であったり、とんがっていたりいる連中の集まりだとあの時に
知ったということを何年経っても昨日の出来事のように話してくれる。
ニッコロ・カネパはストック600選手権にカワサキベルトッキで走って
いた時にスーパースポート世界選手権に走るというチャンスを得て、
ダビデ・ブレガ率いるチームに行ったら、ピアディーナを食べることと
ランブルスコワインを飲むエミリアロマーニャ訛りのイタリア語を話す
ロマニョーロジャッポネーゼが居て驚いた時のことを話す。
あれからお互いの立ち位置は変わったが、こうしてサーキットで会うことが
できてうれしいものがある。
彼らとの再会と会話を楽しみながら、しばらくパドックを歩くと、
マーキュリーBMWのオンジョレイ・イェジェックとカレル・ハニカと会う。
私がインターモトカワサキと関係を深めていたこともあって、チェコ語の単語を探しながら、チェコ語2割、英語8割で会話を進める。2000年代前半から
私の人間関係のこともあってチェコ人のレース関係者と会うと共通の友人
や知人がいることを知る。
アイスホッケーが国技というところのパスポートを持っている彼らから
すると鈴鹿八耐というのはとんでもない過酷なレースであるが、サーキット
レイアウトは素晴らしいと話してくれる。
最近できたサーキットというのはいわゆるストップ&ゴーのサーキットが
多くて個性を感じないが、この鈴鹿は素晴らしいと話している。
そのロングストレートも高速コーナーも低速コーナーもあり、アップダウン
があるサーキットではライダーもマシンも求められることが多いから
トータルの戦闘力が必要なわけで、チャレンジングであることを話してくれる。
その後、トップテントライアルを見るが、まぁカワサキの速いこと速いこと。
カワサキも速いのだが、ジョナサン・レアの強さや高い実力を感じる。
速いマシン、いいタイヤ、強いライダーが揃ったら、ものすごいラップタイム
がでるわけで、トップシックスのタイムも素晴らしいのだが、それがかすんで
しまった。
日曜日はカワサキとヤマハのバトルにホンダがどう絡んでいけるのか
晴れになったら八時間の耐久というよりも一時間のスプリントのハイスピード
バトルを八回繰り替えることになりそうだなと思う。また、台風の影響で
日曜日の朝の交通機関が乱れたら、マーシャルや医療スタッフが来場できな
かったり、時間通りに来れなかったらリスケジュールの可能性もかなり
高くなるだろうとか、イタリア人のスケベな連中は雨とか悪天候だと
キャンペーンガール露出度が低くなってしまうななどと話している。
前日の金曜日の帰り際に金曜日の夜、土曜日の朝のビッグスクリーンを
一度解体するとか、サーキットで設営しているブースでのイベントや
営業を取りやめるということがあったが、同じようなことが日曜日にも
起きるかもしれないわけで、天気の心配とそれに伴う混乱がどうなるか
を気にかけて帰宅することとなる。
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