ホタテーズの漫才の形は古いから新しいのだろうか。
2018年3月21日 日常 ここのところ、お笑いライブを見に行ってホタテーズの漫才を見ることが
あり、その時に思ったのはラジオの世界での先祖返りが新しい形に見えるという
ことでした。
私が名古屋に居て、ラジオを聴いていた80年代というのはAMがCBCと東海
ラジオ。FMがFM愛知が存在していましたが、AMが二つの放送局とも局の
アナウンサーを使った生活情報番組やお笑い色の強いタレントを起用して、
バラエティ番組を放送していたり、東京制作のアイドルが自らの曲の
プロモーションを兼ねた番組が多かった。
FM愛知は当時のオーディオ環境もあって、落ち着いた雰囲気で
番組を制作してロックやクラシックの曲を流す。あるいはミュージシャンを
パーソナリティの据えて、彼らの思いを楽曲と共に流すという番組が
大きな割合となっていた。
そこにFMの名古屋における後発局として現れたのがZIPFMでした。
この局が既存の放送局との差別化を図り、行なったのが
『more music less talk』というもので、AMのおしゃべり中心の番組でも
FMのミュージシャンの語りのプログラムとは異なり、曲をどんどん流して
その間にDJが言葉を挟むというスタイルでした。
このスタイルというのはシンプルな古いDJスタイルといえるもので
disc jockeyという言葉はアメリカのロックンロールが流行り始めてから
一人でパーソナリティもミキサーもするスタイルというものであり、
ターンテーブルにレコードを乗せて、曲を流している様子が競馬の
ジョッキーが馬に鞭を打って走らせる姿に似ているから生まれた言葉でした。
その古いスタイルの曲をどんどん流して、間にトークを挟むという
スタイルがAMのCBCと東海ラジオ、FMのFM愛知の三局にはほとんど
ない状態で、名古屋の既成のラジオに面白みを感じていなかったり、
曲をどんどん流して欲しいというリスナーには待ち望んでいた方法論
であり、それが新鮮に映り、名古屋圏の通勤、通学で車に乗りながら
ラジオを聴く人口のかなりの数がZIPFMに流れることになりました。
DJという言葉の成り立ちを知っている人にとっては、『more music
less talk』というのは先祖返りなんですが、知らない人にとっては新しい
スタイルで新鮮な衝撃を受けたということになります。
そんな事例を知っている人からすると、お笑いの世界でダウンタウン、
ウッチャンナンチャン以降の笑いのスタイルやM1グランプリ以降の
漫才のスタイルにはある種の定型化されたものがありますが、
80年代のマンザイブームの頃の芸人を見ると、今のお笑い芸人が
あまりやっていない一人が八割方話して、ツッコミが二割話すという
スタイルを使っているコンビがいました。
それが紳助竜介であったり、B&Bなんですが、そのスタイルの影響を
受けているのか、色々とトライ&エラーで試した末に行き着いたのか、
あるいはネタを作ったら一人しゃべりが多くなったという偶発的な
ことなのかわからないのですが、ここのところ見に行ったお笑いライブで
見たホタテーズは他の芸人とは違った色合いと新しさ、そしてパワーを
感じました。
この新しく思えるのは何だろうかと思っていて、振り返るとこれは
80年代初頭のマンザイブームの時の紳助竜介やB&Bのスタイルだなと思い
ましたね。
長く耳にしなかった、見ることがなかったことを掘り下げて、そこに
現代的なトピックを放り込んで、文法は古いが扱うテーマは新しくて
今の客に受けるネタを作る。そこには狙いなのか結果的にそうなったのか
わかりませんが、ZIPFMの企てた既存の放送局との差別化のDJスタイルと
番組編成を思わせるものがあります。
果たしてZIPFMの開局のように名古屋でのリスナー大移動という地殻
変動を現在のお笑いの世界でホタテーズが起こすのか。
ホタテーズはZIPFMのある愛知県出身のコンビです。
あり、その時に思ったのはラジオの世界での先祖返りが新しい形に見えるという
ことでした。
私が名古屋に居て、ラジオを聴いていた80年代というのはAMがCBCと東海
ラジオ。FMがFM愛知が存在していましたが、AMが二つの放送局とも局の
アナウンサーを使った生活情報番組やお笑い色の強いタレントを起用して、
バラエティ番組を放送していたり、東京制作のアイドルが自らの曲の
プロモーションを兼ねた番組が多かった。
FM愛知は当時のオーディオ環境もあって、落ち着いた雰囲気で
番組を制作してロックやクラシックの曲を流す。あるいはミュージシャンを
パーソナリティの据えて、彼らの思いを楽曲と共に流すという番組が
大きな割合となっていた。
そこにFMの名古屋における後発局として現れたのがZIPFMでした。
この局が既存の放送局との差別化を図り、行なったのが
『more music less talk』というもので、AMのおしゃべり中心の番組でも
FMのミュージシャンの語りのプログラムとは異なり、曲をどんどん流して
その間にDJが言葉を挟むというスタイルでした。
このスタイルというのはシンプルな古いDJスタイルといえるもので
disc jockeyという言葉はアメリカのロックンロールが流行り始めてから
一人でパーソナリティもミキサーもするスタイルというものであり、
ターンテーブルにレコードを乗せて、曲を流している様子が競馬の
ジョッキーが馬に鞭を打って走らせる姿に似ているから生まれた言葉でした。
その古いスタイルの曲をどんどん流して、間にトークを挟むという
スタイルがAMのCBCと東海ラジオ、FMのFM愛知の三局にはほとんど
ない状態で、名古屋の既成のラジオに面白みを感じていなかったり、
曲をどんどん流して欲しいというリスナーには待ち望んでいた方法論
であり、それが新鮮に映り、名古屋圏の通勤、通学で車に乗りながら
ラジオを聴く人口のかなりの数がZIPFMに流れることになりました。
DJという言葉の成り立ちを知っている人にとっては、『more music
less talk』というのは先祖返りなんですが、知らない人にとっては新しい
スタイルで新鮮な衝撃を受けたということになります。
そんな事例を知っている人からすると、お笑いの世界でダウンタウン、
ウッチャンナンチャン以降の笑いのスタイルやM1グランプリ以降の
漫才のスタイルにはある種の定型化されたものがありますが、
80年代のマンザイブームの頃の芸人を見ると、今のお笑い芸人が
あまりやっていない一人が八割方話して、ツッコミが二割話すという
スタイルを使っているコンビがいました。
それが紳助竜介であったり、B&Bなんですが、そのスタイルの影響を
受けているのか、色々とトライ&エラーで試した末に行き着いたのか、
あるいはネタを作ったら一人しゃべりが多くなったという偶発的な
ことなのかわからないのですが、ここのところ見に行ったお笑いライブで
見たホタテーズは他の芸人とは違った色合いと新しさ、そしてパワーを
感じました。
この新しく思えるのは何だろうかと思っていて、振り返るとこれは
80年代初頭のマンザイブームの時の紳助竜介やB&Bのスタイルだなと思い
ましたね。
長く耳にしなかった、見ることがなかったことを掘り下げて、そこに
現代的なトピックを放り込んで、文法は古いが扱うテーマは新しくて
今の客に受けるネタを作る。そこには狙いなのか結果的にそうなったのか
わかりませんが、ZIPFMの企てた既存の放送局との差別化のDJスタイルと
番組編成を思わせるものがあります。
果たしてZIPFMの開局のように名古屋でのリスナー大移動という地殻
変動を現在のお笑いの世界でホタテーズが起こすのか。
ホタテーズはZIPFMのある愛知県出身のコンビです。
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