面白いは人によって違うし、同じ人でも環境によっても異なる。
2018年3月3日 日常 前回のブログでお笑いの世界で私が面白いなと思った芸人さんが他の客にも
受けていることもあれば、そうでないこともあるということを書きました。
お笑いであったり、映画や演劇の評価というのは人によって異なることを
感じるのと同時に最近、フリーアナウンサーの山中秀樹さんのツィートを
読んである映画のことを思い出しました。
山中さんは『社会主義国家で、長く権力の頂点に居座って独裁政治を敷き、一般国民が幸せになった例があったら教えてもらいたいね。』
というツィートを記していたのですが、ユーゴスラビアという国があった
時に過激な民族主義には時に武力を用いて、危険な芽をつみながらも
少数民族の要望をある程度容認しつつ、宗教間の対立を未然に防ぐように
気を配り、自らのカリスマ性であのエリアを一つの国というかユーゴスラビア
連邦をまとめていたチトーの時代というのは多くの『ユーゴスラビア人』が
幸せを感じていたようでした。
そんなことを考えていて、思い出した映画作品がエミール・クストリッツァ
の『アンダーグラウンド』でした。この作品というのは非常に
高く評価する人と一部批判的な人がいた作品でした。
1995年に発表された時に評価した人というのは、今も評価していること
でしょう。また、その後のバルカン半島の地殻変動であったり、2000年代
以降の明らかになったことでエミール・クストリッツァに対する向き合い方
を変えた人もいることでしょう。
個人的には私は名古屋人なのでキャリア晩年のドラガン・ストイコビッチ
の名古屋グランパスでの試合を見ていました。
有名なのは、彼の母国へのNATO軍の空爆に悲しみと怒りを持っていた
時に彼がゴールを決めて、ユニフォームを脱いだ下のTシャツに
『NATO STOP STRIKING』と書いてありました。
そのセルビア人のストイコビッチがある日、テレビを見ていて、
クロアチア一辺倒どころか、全くの捏造報道がされていたと驚きをもった
ことがありました。
その彼の情報発信であったり、彼と近い木村元彦氏の発表された作品を
読んだりした後に見た『アンダーグラウンド』は最初の時とは理解力が
異なりました。
また、私はイタリアのリミニで勉強していて、海を隔てて隣国が旧
ユーゴスラビア。在イタリアのセルビア人と話す機会があったりして
バルカン半島で戦乱の時にクロアチア発、ドイツ、イギリス、アメリカ受信
でそこから世界に発信された情報の拡散によって、現実は非常に複雑
であるにも関わらず、明快な図式設定によるセルビア悪玉論というものが
流布されたと話していました。
その後、ベオグラードの中国大使館誤爆事件の時期にイタリアやチェコに
いて『君は日本人で原爆を経験して、とんでもない歴史を背負ったと思うが
アメリカ人が言うようにあれは本当に誤爆だと思うか。』などと言われた
経験などをしてから『アンダーグラウンド』を見るとまた、違った重み
を感じました。
果たして、今、私があの傑作を見たらどんな印象を抱くのか。あるいは
何かのきっかけでセルビア悪玉論というものをずっと有していた世界中の
方々が鑑賞したらどんな思いを持つのか気になっています。
受けていることもあれば、そうでないこともあるということを書きました。
お笑いであったり、映画や演劇の評価というのは人によって異なることを
感じるのと同時に最近、フリーアナウンサーの山中秀樹さんのツィートを
読んである映画のことを思い出しました。
山中さんは『社会主義国家で、長く権力の頂点に居座って独裁政治を敷き、一般国民が幸せになった例があったら教えてもらいたいね。』
というツィートを記していたのですが、ユーゴスラビアという国があった
時に過激な民族主義には時に武力を用いて、危険な芽をつみながらも
少数民族の要望をある程度容認しつつ、宗教間の対立を未然に防ぐように
気を配り、自らのカリスマ性であのエリアを一つの国というかユーゴスラビア
連邦をまとめていたチトーの時代というのは多くの『ユーゴスラビア人』が
幸せを感じていたようでした。
そんなことを考えていて、思い出した映画作品がエミール・クストリッツァ
の『アンダーグラウンド』でした。この作品というのは非常に
高く評価する人と一部批判的な人がいた作品でした。
1995年に発表された時に評価した人というのは、今も評価していること
でしょう。また、その後のバルカン半島の地殻変動であったり、2000年代
以降の明らかになったことでエミール・クストリッツァに対する向き合い方
を変えた人もいることでしょう。
個人的には私は名古屋人なのでキャリア晩年のドラガン・ストイコビッチ
の名古屋グランパスでの試合を見ていました。
有名なのは、彼の母国へのNATO軍の空爆に悲しみと怒りを持っていた
時に彼がゴールを決めて、ユニフォームを脱いだ下のTシャツに
『NATO STOP STRIKING』と書いてありました。
そのセルビア人のストイコビッチがある日、テレビを見ていて、
クロアチア一辺倒どころか、全くの捏造報道がされていたと驚きをもった
ことがありました。
その彼の情報発信であったり、彼と近い木村元彦氏の発表された作品を
読んだりした後に見た『アンダーグラウンド』は最初の時とは理解力が
異なりました。
また、私はイタリアのリミニで勉強していて、海を隔てて隣国が旧
ユーゴスラビア。在イタリアのセルビア人と話す機会があったりして
バルカン半島で戦乱の時にクロアチア発、ドイツ、イギリス、アメリカ受信
でそこから世界に発信された情報の拡散によって、現実は非常に複雑
であるにも関わらず、明快な図式設定によるセルビア悪玉論というものが
流布されたと話していました。
その後、ベオグラードの中国大使館誤爆事件の時期にイタリアやチェコに
いて『君は日本人で原爆を経験して、とんでもない歴史を背負ったと思うが
アメリカ人が言うようにあれは本当に誤爆だと思うか。』などと言われた
経験などをしてから『アンダーグラウンド』を見るとまた、違った重み
を感じました。
果たして、今、私があの傑作を見たらどんな印象を抱くのか。あるいは
何かのきっかけでセルビア悪玉論というものをずっと有していた世界中の
方々が鑑賞したらどんな思いを持つのか気になっています。
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