衝撃のアナウンスメント。モンスターテック3とヤマハは今季限りで終了へ。
2018年2月23日 スポーツ レースファンの関心がスーパーバイク世界選手権の開幕戦のオーストラリア
に向いている時に衝撃の声明が発表になりました。モンスターテック3と
ヤマハの関係は今季限りとなるとチーム代表のエルベ・ポンシャラルが
発表しました。
www.gpone.com/it/2018/02/22/motogp/ultimora-tech3-lascia-yamaha-a-fine-2018.html
フランスの小さなチームが大きな夢と野望を持って、プライベート体制で
当時の250ccクラスに参戦を決めてから、長い月日が経過しました。
パドック内で日本びいきで知られるヘルベ・ポンシャラルの人間性や
日本人の考え方に沿った議論の進め方や交渉に多くの日本人関係者が
シンパシーを感じています。
その彼が日本のメーカーと密接な関係を持ち始めたのがスズキでした。
ラッキーストライクスズキ250として活動をして、メーカー直結のチーム
として、参戦をしていたのですが、オランダのアッセンでラッキーストライク
という冠スポンサーが大会についているレースの後にマシンの戦闘力に
腹を立てたジョン・コシンスキーがマシンを粗雑に扱ったところから
スズキサイドからグランプリ参戦に対する考え方が変化していき、その後
スズキは撤退。
その後、ホンダからマシンを購入してプライベート体制での参戦を
始めて、彼らの秘蔵っ子と言えるオリビエ・ジャックの健闘もあり
ホンダからワークスマシンの貸与を得て、優勝も経験するようになり
いい時代を経験したものの、98年型のホンダの250ccのマシンが失敗作
でその競争力に劣ったマシンで何とか結果を出そうとしてオリビエ・ジャック
がクラッシュし、怪我を負ってしまう悪循環にはまってしまう。
そんなシーズン中にホンダからの離別を模索して、オフィシャリーには
明らかにはしていないものの、二台体制で一台はチームが求めるライダー。
もう一台はヤマハが推しているライダーというライダーラインナップで
戦うことを判断して、ヤマハへスイッチ。
一年目のシーズンはホンダとアプリリアに先行を許したものの、マシンの
熟成が進んだ2000年は圧倒的な強さを発揮して、チャンピオンがオリビエ・
ジャック、二位が中野真矢という成績を残して、500ccクラス。そして、
その後のMotoGP参戦へとヤマハとの関係を深めながら活動をしていきます。
まぁ、メーカーの考え方や経済動向などによって活動内容は規模は変わって
いくわけで、いい時も悪いときもあったと思います。
そして、大きくなったとは言え、テック3は小さな規模の組織であるなかで
メーカー直結のファクトリーチームではなく、サテライトチームの彼らが
『断ることができない、素晴らしいオファーをもらった。』ということに
なると長い付き合いから、新しい冒険へ進むことは自然なことだと思います。
すでにテック3の新しいパートナーはKTMだと言われています。現実的に
マシンを単純に供給するということであれば、他のメーカーの可能性も
高いのでしょうが、人的、物的リソースを含めてということであれば、
オーストリアのメーカーになるのかなと思いますね。
今年のシーズンはヤマハとの契約が残っているので、来季のバイクが
どこになるのかはチーム関係者もわかっていても話せないのでしょうが、
ライダー市場、スポンサーのバッティング、部品メーカーの調整などを
含めてどんな形になるのか見守りたいと思います。
に向いている時に衝撃の声明が発表になりました。モンスターテック3と
ヤマハの関係は今季限りとなるとチーム代表のエルベ・ポンシャラルが
発表しました。
www.gpone.com/it/2018/02/22/motogp/ultimora-tech3-lascia-yamaha-a-fine-2018.html
フランスの小さなチームが大きな夢と野望を持って、プライベート体制で
当時の250ccクラスに参戦を決めてから、長い月日が経過しました。
パドック内で日本びいきで知られるヘルベ・ポンシャラルの人間性や
日本人の考え方に沿った議論の進め方や交渉に多くの日本人関係者が
シンパシーを感じています。
その彼が日本のメーカーと密接な関係を持ち始めたのがスズキでした。
ラッキーストライクスズキ250として活動をして、メーカー直結のチーム
として、参戦をしていたのですが、オランダのアッセンでラッキーストライク
という冠スポンサーが大会についているレースの後にマシンの戦闘力に
腹を立てたジョン・コシンスキーがマシンを粗雑に扱ったところから
スズキサイドからグランプリ参戦に対する考え方が変化していき、その後
スズキは撤退。
その後、ホンダからマシンを購入してプライベート体制での参戦を
始めて、彼らの秘蔵っ子と言えるオリビエ・ジャックの健闘もあり
ホンダからワークスマシンの貸与を得て、優勝も経験するようになり
いい時代を経験したものの、98年型のホンダの250ccのマシンが失敗作
でその競争力に劣ったマシンで何とか結果を出そうとしてオリビエ・ジャック
がクラッシュし、怪我を負ってしまう悪循環にはまってしまう。
そんなシーズン中にホンダからの離別を模索して、オフィシャリーには
明らかにはしていないものの、二台体制で一台はチームが求めるライダー。
もう一台はヤマハが推しているライダーというライダーラインナップで
戦うことを判断して、ヤマハへスイッチ。
一年目のシーズンはホンダとアプリリアに先行を許したものの、マシンの
熟成が進んだ2000年は圧倒的な強さを発揮して、チャンピオンがオリビエ・
ジャック、二位が中野真矢という成績を残して、500ccクラス。そして、
その後のMotoGP参戦へとヤマハとの関係を深めながら活動をしていきます。
まぁ、メーカーの考え方や経済動向などによって活動内容は規模は変わって
いくわけで、いい時も悪いときもあったと思います。
そして、大きくなったとは言え、テック3は小さな規模の組織であるなかで
メーカー直結のファクトリーチームではなく、サテライトチームの彼らが
『断ることができない、素晴らしいオファーをもらった。』ということに
なると長い付き合いから、新しい冒険へ進むことは自然なことだと思います。
すでにテック3の新しいパートナーはKTMだと言われています。現実的に
マシンを単純に供給するということであれば、他のメーカーの可能性も
高いのでしょうが、人的、物的リソースを含めてということであれば、
オーストリアのメーカーになるのかなと思いますね。
今年のシーズンはヤマハとの契約が残っているので、来季のバイクが
どこになるのかはチーム関係者もわかっていても話せないのでしょうが、
ライダー市場、スポンサーのバッティング、部品メーカーの調整などを
含めてどんな形になるのか見守りたいと思います。
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