イタリアのcorsedimoto.comを読んでいたら、懐かしいアンソニー・ゴバート
のライダー人生のことが書かれていて、彼のことを思い出していました。
http://www.corsedimoto.com/il-caso/campioni-perduti-anthony-gobert-un-uomo-una-storia/

 90年代にレースを見ていて思っていたのは、生まれ持った才能を持った
若いライダーが世界選手権にやってきたなというものでした。

 色々な意味で元気でやんちゃで有している才能が素晴らしくて、2000年代
には業界的な評価が高い二人が覇権を争うのだろうと思っていました。
バレンティーノ・ロッシとアンソニー・ゴバートが世界の頂上を争う日が
やってくるのだろうと思っていたレース界の住人はたくさんいたと記憶
しています。

 バレンティーノ・ロッシは酒も飲むし、タバコを吸う。しかし、それ以上の
過剰な刺激を求めなかったし、乗ったバイクを速くしたり、ライバルより
先行することにエネルギーやパワーを費やすことに何の迷いもなかった。

 しかし、アンソニー・ゴバートは酒やタバコの先のものを人生を楽しむ
ツールとして求めた。その結果、ドーピング検査に引っかかるようなことで
ライダー人生を大きく変化する結果となってしまった。

 ナインタイムスワールドチャンピオンと話していて、彼にとって
興味深いというか何か学べるようなトピックになったときにすごく観察
されているような空気なりある種の殺気を感じることがあったのですが
そういったことはgo showからは一度も感じることはなかった。

 アンソニー・ゴバートにほんの僅かでも世界チャンピオンが有するまじめ
さであったり、勝利に対する強欲さなりマシン開発に対する思いがあったら
彼のライダー人生も大きく変わり、世界選手権の勢力図も違っただろうなと
思うことが多かったですね。

 その彼ですが、紆余曲折を重ねた後に2000年ビモータと契約しました。
この年のシーズンは日本のホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4メーカー
とイタリアのドゥカティとアプリリアがワークス体制での参戦をしていました。

 そこに戦いを挑んだビモータ。シーズン序盤にビモータのマシンの競争力
のなさと開発の必要性が明らかになり、劣勢が強いられるのが明確でした。

 そのオーストラリア人ライダーとリミニのメーカー。苦しい戦いになる
なかで乗り込んだフィリップアイランド。そのサーキットで多くのライダーが
タイヤ選択やマシンセッティングに悩ます天気となりました。

 そんな難しい状況下で空が泣いたときに笑ったのがアンソニー・ゴバート
でした。

 レース中盤から他の全てのライダーとメーカーのマシンを大きく引き離す
アンソニー・ゴバートとビモータ。このフィリップアイランドの奇跡は
彼の生まれ持った才能と勝負師の感覚が高い次元で走りとなって信じられない
ラップタイムとなり具現化されたものでした。

 小さなメーカーの大きな勝利。彼の才能を理解していたが、彼の性格から
発生したライダー人生に残念な思いをしていた私にとって、そして私が勉強
していたリミニという都市のメーカーのマシンが日本の巨大メーカー
とイタリアのドゥカティとアプリリアを大きく離してのレースに胸が
熱くなりました。

 あの信じられない勝利はアンソニー・ゴバートの才能が発露されたもの
でした。その彼がどこに行ってしまったのか、何をして過ごしているのか。
彼の輝く場所はサーキットであり、もう少し、マシンを開発に神経を使ったり、
いい成績を収めるためにストイックになってくれたら、レース界の勢力図
も大きく変わったのにという思いがあのフィリップアイランドの奇跡から
私の頭の中に漂っています。

コメント