日本グランプリの二日目の最初の一歩は吉野家で牛丼を買って持ち帰る
ところから始まる。スピードの世界でばたばたしている中で簡単に食べられて
腹持ちがよくて、まずくないものを求める彼らのためにこうして水戸駅の
吉野家で牛丼を購入して、彼らと待ち合わせ場所へと足を運ぶ。

 ホテルのロビーでニッコロ・アントネッリの親父のイゴール・アントネッリ
と顔を合わせる。そこにやってきたのがルカ・カダローラ。私が初めて会った
世界チャンピオンが彼であり、立ち位置はお互い色々と変わったが、近況
報告をしながら、うだうだ話せるのがうれしい。

 昨年のこの時期にやはり同じホテルのロビーで彼と話した
時にバレンティーノ・ロッシの鈴鹿八耐参戦の賛否を尋ねて『私自身は
反対だが、彼が今後のライダー人生やメーカーとの付き合いを考えて
出場するなら、それは私は否定しない。』と答えてくれたが、今年の
鈴鹿八耐にナインタイムスワールドチャンピオンは不在。まぁ、タイトルを
獲るために必要なことを考えていたんだなと口にすると、静かに微笑んで
いた。

 そんなこんな、話していたところにマウリッツィオ、ステーファノ、
ロレンツォの三人が登場。一緒に駐車場に移動して、サーキットへと向かう。

 車内での会話で来週のヘレスでのスーパーバイク世界選手権の話になる。
イタリア選手権はすでに終わっている。イギリス選手権は今週で終了。
ただ、契約は10月いっぱいチームやメーカーと存在するライダーは多い。
プチェッティカワサキのスーパーバイクのシートが空いていて、エミリア
ロマーニャのチームはスーパーバイクのライダーも探しているし、スーパー
スポートも同様であるが、誰が乗るのだろうか。私個人的には可能であれば
ロベルト・ロルフォ、ロレンツォ・ランツィ、ファビアン・フォレ、
リカルド・ルッソといった私と付き合いのあったライダーが乗って欲しい
ものだと話していたが、マウリッツィオの話では契約的にどうなんだろうか
というような答えであり、カワサキサイドがどのような考えを持っているか
によるだろうなという意見だった。

 ルカ・ビターリが参戦していることもあり、ストック1000選手権の
話題になり、私の考えではフローリアン・マリノとロベルト・タンブリーニ
は速くて強いライダーであり、マルクス・レイテルベルガーは評価が
難しいというものだが、マウリッツィオの評価ではカワサキに乗る、トルコ人
とフランス人というのがスーパーバイクやスーパースポートに乗っても
かなりいい戦いができるのではないかというものだった。ラツガリトルオグル
とグアルノニは高く評価していて、勝てなかったレースでもいい走りを
しているという考えであり、レイテルベルガーに関してはスーパーバイクでの
失敗はメーカーの力の入れ方とマシンの競争力の低さによるもので、彼が
ストック1000選手権だったら勝てる可能性は高いというものであった。

 そんなこんな話しているうちにツインリンクもてぎ到着。かなり寒い。
ここでこんな天気だったら、富士スピードウェイの六時間耐久はどんな
感じだろうかと思って、ネットを見てみると、かなり厳しい気候になって
いるようだ。秋の日本、天気は変わりやすいのを実感する。

 パドックを歩くとカルロ・ペルナットの親父さんと会う。
私にとって恩人であり、私がパドックに出入りするようになったのは
この人のおかげである。

 年末年始の仕事があり、休みを春先に取って、花粉症を避けて
95年のマレーシアグランプリを観戦しに行き、レースの翌日に当時の
クアラルンプールの空港で彼とアプリリアのスタッフ、ライダーの
ジャンフィリップ・ルジア、ジャン・ミッシェル・バイルと会い、
今よりはるかに能力が低かったイタリア語とほんの少ししか話せなかった
フランス語で話して、彼らから面白がってくれて、カルロ・ペルナットの
親父さんが私にパスを出してくれたのが私の最初の一歩であり、最初の
一歩がなかったら二歩目も三歩目もないわけだし、歩む方向も違ったかも
知れない。

  若さゆえに野心や欲望は旺盛にあったが、語学力は今より相当劣るなかで
必死こいて話していたなかで芽生えた関係性がこうしてサーキットで今でも
存在するのはうれしいものだ。

 そのカルロ・ペルナットはアンドレア・イアンノーネのマネージャーであるが
今年の彼の不振はスズキのマシン、とりわけエンジンが理由であると話す。

 それは彼の立場からイアンノーネの開発能力であったり、ライダー
が必要な欲の深さや闘争心が薄くなってきて、トップ争いができないことは
口にできないのだろう。優れたマネージャーであり、立ち位置や話す相手
でまったく違う言葉を発する彼のことをレース界の住人がバルカン政治家
と評する向きもあるがそれは正論だなと思う。

 しばらく歩いてレプソルホンダのピットの前でホンダヨーロッパのカルロ・
フィオラーニと会う。彼がいてもおかしくないが、少々の驚きをもって
言葉を交わす。

 彼自身も私の姿を今年のシーズン見ていなかったのでここに来るかもしれ
ないが、いない可能性も高いだろうなと思っていたらしくて、近況報告
をしたり、色々と積もる話をする。

 彼は今回、レースウィーク中に来日したが、次の来日は東京モーターショー
ではなくて、もてぎで開催されるホンダのファン感謝イベントの時だと言う。

 Moto3のプラクティスが終わって、AGVの仮設オフィスに戻るとダビデ・
ブレガが息子のニコロ・ブレガのヘルメットを持って登場。

 私のこのブログを昔から読んでいただいているレースファンの方々には
なじみの彼である。

 久しぶりの再会を喜びながら、今年のニコロ・ブレガの戦い、今後の予定
などを尋ねる。

 全てのレースを勝てることはないし、開催されているサーキットで得意不得意
があるわけだが、私から考えて残念というか予想も期待も裏切っていると
率直に話す。

 まぁ、それが理由で本来のプログラムでは来年はMoto2にステップアップ
するはずだったが、もう一年Moto3に留まることになったと彼から説明を受ける。

 ダビデ・ブレガと入れ替わるようにイゴール・アントネッリ登場。
まぁ、ダビデ・ブレガもイゴール・アントネッリも元々ライダーをしていて
息子がライダーをやって世界で戦っていて、その中で父親でありながら
マネージャーをやっている。土日も雨の可能性が高い中でヘルメットメーカー
のスペシャリストのいる仮設オフィスにやって来て、息子のためにという
部分が大きいのだろう。

 シャークヘルメットのブースへと出かける。ここにフランス人ジャーナリスト
やライダーの親などもいる中で、このウィークの天気はどうなのかとか
日本の景気などに関して質問を受ける。天気は当日にならないとわからないし
山間のサーキットの天気などはルキャステレ(ポールリカール)と一緒で
急に変わるものだなどと答える。

 Moto3のセッションを前にランチタイム。食べるのは吉野家の牛丼
である。同時に私が持ってきたインスタントの味噌汁を併せて口にする。

 Moto3の予選を見る。ひやひやする部分も多かったが楽しめる内容
であった。その予選を制したのがニコロ・ブレガ。私とブレガ家とは
長い付き合いで今回のポールポジションを喜ぶ。

 現在、ライダーとして走っているニコロ・ブレガであるが最初に彼が
サーキットにやってきたのは父親のダビデ・ブレガがヤマハのR6で
スーパースポート世界選手権で走っていた時で生後6ヶ月のこと。

 そのサーキットというのが日本のスポーツランドSUGO。その日本
のサーキットで彼がポールポジションを奪い、さらにレース翌日が彼の
誕生日というのが何か今までのブレガ家の歴史が縦糸でこれからの彼の
キャリアが横糸で繋がって新しいフォルムを作り出しているような気が
してしまう。

 まぁ、ニコロ・ブレガが記憶にはない六ヶ月の赤ん坊だったときに
ダビデ・ブレガと奥さんのナタリーと一緒に南海部品に出かけて
ヨーロッパでは存在がなく、日本で流行り始めたキックボードを
ダビデが試し走りしたら眠たそうな顔をしていたニコロ・ブレガが
笑い始めた姿をしっているだけに日本で彼が日曜日に初優勝してくれたら
色々な偶然と必然が絡みあい、新しい歴史が始まるのではないかと想像
してしまう。

 MotoGPの波乱の結果。Moto2の予想していた結果と思いもよらぬライダーの
成績の二つを同時に見て果たして日曜日はどうなってしまうのか考える。

 レインレースというのは嫌がる人もいるが、歴史に残るような名勝負も
存在する。私がイタリア語をやり始めたきっかけはあの『ブタペストの奇跡』
であり、カジバの初優勝、エディ・ローソンの最後の勝利というのが私を
イタリア語に走らせることになったわけだし、イタリア語の勉強を終えて
どうしようかと思っていた私がレースの世界に足を突っ込んでいこうと
思ったのはスーパーバイク世界選手権のアンソニー・ゴバートとビモータ
の小さなメーカーの大きな勝利だったりするので、何か信じられないような
ドラマを創造してしまうのがレインレースの面白いところでもある。

 果たしてどんな日曜日になるのか、ライダーやメカニックと話して時間を
過ごし、水戸へと戻る。

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