グランプリサーカスはチェコを終えて、バルセロナへ。
チェコのブルノでも感じたが、テレビの映像は一部分であって、全てではない。
ブルノサーキットに到着して、テレビの映像はいったいなんだったんだろうと
思えるほどのアップダウンを現場で感じたようにカタロニアのサーキットでも
映像と現地との違いを感じたわけで、正直、ロングストレートもあり、
V2のライダーにはパワー差で離されることになるだろうと思わざるを
得なかった。

 シーズン前にV2のマシンではところによりチャンスがあり、場所によっては
まったくノーチャンスであると話していたカルロ・ペルナットの親父さんの
話は真実であることをまともに感じた。

 できうる限り可能なこと、持っているカードでベストなことをやり遂げて
それがこのタイムや順位であることを示した見せたのがカタロニアグランプリの
レジス・ラコニであった。

 グランプリサーカスは開催がかなり危ぶまれたインドネシアに。
ダスティなコースでもうまく走ることができるラコニではあるが、今回は
ロングストレートのあるセントゥールでは圧倒的なパワー差を見せ付けられて
ノーチャンス。こんなレースも年に一回はあると割り切って、最終戦の
フィリップアイランドへと向かいました。

 ロングストレートがあり、やはりここでも劣勢に立たされるのだろうかと
思われていたレジス・ラコニとテクマスグランプリのホンダV2のマシン。
しかし、その不利といわれるパッケージングであるが、高速コーナーでの
走りと低速コーナーでもうまさでタイムを削り取りトップライダーとの
タイム差を縮める。

 日曜日の午後のレース。トップ3のライダーは序盤から飛び出してしまい
イージーなサンデーツーリングとなってしまったが、四位から十位までは
テールトゥーノーズのつば競り合い。

 その厳しく激しい四位争いのなかに予算規模、チームの体制などが
まるで違うテクマスグランプリのホンダV2のレジス・ラコニ。

 ファイナルラップまで激しい戦いのなかで結果五位。

 この結果というのはあのチームの予算、チーム体制、マシンの戦闘力
などの考えると信じられない結果で、レース直後に彼に近寄り

 『いいレースだったね。素晴らしい。この結果は考えられるベストの
結果だったね。』と話すとこの闘争心あふれ、いい意味で欲張り名この
フランス人は私に

 『ベストな結果ではない。ベターな結果だ。岡田を抜けば四位は俺の
ものだったし、そのチャンスはあった。』

 と返答してくれました。まぁ、いい意味で現状に満足していなくて
少しでは速く走る。できるだけいい順位を得たいという彼のライダーとしての
コアな部分が感じられましたね。

 彼とともに仮設のチームオフィスに行くと感慨深そうに話し合っている。

 ラコニがそこから離れて、メカニックと話すと、来シーズンのラコニは
レッドブルヤマハに移籍となり、テクマスグランプリはライダーとともに
大きな規模、チーム体制を作ることができなかったから、翌年も同じ程度の
予算規模とチーム体制で活動をするということと。

 素晴らしいインパクトとライダーのステップアップの仕方を残した
彼の1997年のシーズンは終了しました。

 

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