1997年のレジス・ラコニ。その二。
2017年1月18日 スポーツ 鈴鹿の金曜日にとんでもない走りを見せて、多くの人を驚かせ、一部の
彼のことを高く評価していた業界人の見る目が間違いではなかったことを
証明したレジス・ラコニ。小さなチームの大きな挑戦は彼のこのクラスでの
成長スピードと小さい組織故に彼中心にチームがまとまり、ポリティックが
ないということでいい循環を見せて、好成績を上げていく。
鈴鹿からスペインのヘレス・デ・ラ・フロンテーラへ。ツィスティなサーキットで
V2マシンにチャンスがあるのではないかと言われていたサーキットでも彼は輝きを
見せる。
群雄割拠ひしめく中で10位でフィニッシュ。そして、次戦のムジェッロでの
イタリアグランプリではロングストレートがあり、マシン的に厳しい見方をされていた
中で高速コーナーでタイムを削り取り何とここでも10位を獲得。いいライダーが
何かをきっかけにどんどん速くなることを証明して、オーストリアのツェルトヴェグ
に乗り込んで来た。
私にとって初めてヨーロッパで見るグランプリであり、鈴鹿以来の再会。
パドックで彼とチームスタッフと会い、チーム全体が非常にいいムードであることを
肌感覚で実感したレースウィーク。
このサーキットもロングストレートがあり、マシン的に厳しいだろうと思われたのだが
予選初日にそれを覆す驚異的なタイムを叩き出す。
予選セッション終了後、彼らのチームのピットに行き、しばらく話す。
他のチームやライダーの不調によって助けられていい順位になったのではなく
彼の走りが素晴らしくていいタイムによって獲得した順位。今の彼は250cc初年度
に言われていたサーキットによって時々速いということではなくて、ツィスティな
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでも速くて、ロングストレートがあり、パワーのある
マシンが有利であると理解されているムジェッロでも速くて、ここでもいいタイムを出して
いる。これは彼が素晴らしいライダーの証明である。
そして、250cc時代のとりわけ初年度にいい成績を出せなかったのは初めての
サーキットが多かったことや彼の走りがマシンの限界を超えて走った時にクラッシュ
してしまったり、限界値の中で収めようとした時は平凡なタイムで終わったという
ことが明らかになった。
さて、チームスタッフもダンロップのエンジニアも満足した金曜日の予選初日。
彼のところに集まるジャーナリストの数を見て、彼のライダーとしての商品価値が
上がっていることを実感する。また、このあたりから次のシーズンに関しての
下交渉も始まっていたことを後日理解することとなる。
オーストリアの日曜日。出来得る限りの最良の成績を残そうと奮闘する
レジス・ラコニ。今回はどんなレースを見せてくれるのだろうかと多くのファンと
関係者がレースを見守る。
シグナルがレッドからグリーンになり、各車が一斉に一コーナーに向かって
飛び込んで行く中で少しでもいい順位を得ようとゼッケン55のホンダV2のマシンが
コーナーリングをしていくが、この日の路面温度の低さとタイヤが温まって
いない中で限界値を超えて滑ってしまう彼のマシン。
その彼を後続車が避けきれずにぶつかってしまう。
彼の期待されたオーストリアグランプリは非常に残念な結果となったどころか
救急車で搬送されて、彼の状態に関してすぐに情報が入らずに様々な憶測が
飛び交う状況となった。
命に別状はないが、三ヶ月ほど復帰にかかるだろうということを知ったのは
翌日の朝のことであった。
この日に開催された250ccクラスで優勝したのはオリビエ・ジャック。
日本のレースファンにはあまり知られていない話であるが、レジス・ラコニと
オリビエ・ジャックというのはフランス選手権時代からのライバル関係があり、
二人は非常に意識しあっていて、テクマスグランプリの連中がテック3の
スタッフやオリビエ・ジャック、そして、チームメイトのウィリアム・コストと
話していたり、テック3のスタッフがレジス・ラコニと歓談していす姿を見ることは
あるが、ライダー同士が話している姿を見たことはなく、強いライバル関係
をまともに感じていたのですが、オリビエ・ジャックの250ccクラス優勝を
当然、レジス・ラコニは見ていたわけで、何か、それが彼の一周目のリタイア
につながっていたように思えて仕方なかった。
そんな思いと彼の早期の回復と復帰を願うのと、オーストリアの次のフランス
グランプリに彼の姿がないということが悲しいという気持ちが混ざり合う
オーストリアであった。
彼のことを高く評価していた業界人の見る目が間違いではなかったことを
証明したレジス・ラコニ。小さなチームの大きな挑戦は彼のこのクラスでの
成長スピードと小さい組織故に彼中心にチームがまとまり、ポリティックが
ないということでいい循環を見せて、好成績を上げていく。
鈴鹿からスペインのヘレス・デ・ラ・フロンテーラへ。ツィスティなサーキットで
V2マシンにチャンスがあるのではないかと言われていたサーキットでも彼は輝きを
見せる。
群雄割拠ひしめく中で10位でフィニッシュ。そして、次戦のムジェッロでの
イタリアグランプリではロングストレートがあり、マシン的に厳しい見方をされていた
中で高速コーナーでタイムを削り取り何とここでも10位を獲得。いいライダーが
何かをきっかけにどんどん速くなることを証明して、オーストリアのツェルトヴェグ
に乗り込んで来た。
私にとって初めてヨーロッパで見るグランプリであり、鈴鹿以来の再会。
パドックで彼とチームスタッフと会い、チーム全体が非常にいいムードであることを
肌感覚で実感したレースウィーク。
このサーキットもロングストレートがあり、マシン的に厳しいだろうと思われたのだが
予選初日にそれを覆す驚異的なタイムを叩き出す。
予選セッション終了後、彼らのチームのピットに行き、しばらく話す。
他のチームやライダーの不調によって助けられていい順位になったのではなく
彼の走りが素晴らしくていいタイムによって獲得した順位。今の彼は250cc初年度
に言われていたサーキットによって時々速いということではなくて、ツィスティな
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでも速くて、ロングストレートがあり、パワーのある
マシンが有利であると理解されているムジェッロでも速くて、ここでもいいタイムを出して
いる。これは彼が素晴らしいライダーの証明である。
そして、250cc時代のとりわけ初年度にいい成績を出せなかったのは初めての
サーキットが多かったことや彼の走りがマシンの限界を超えて走った時にクラッシュ
してしまったり、限界値の中で収めようとした時は平凡なタイムで終わったという
ことが明らかになった。
さて、チームスタッフもダンロップのエンジニアも満足した金曜日の予選初日。
彼のところに集まるジャーナリストの数を見て、彼のライダーとしての商品価値が
上がっていることを実感する。また、このあたりから次のシーズンに関しての
下交渉も始まっていたことを後日理解することとなる。
オーストリアの日曜日。出来得る限りの最良の成績を残そうと奮闘する
レジス・ラコニ。今回はどんなレースを見せてくれるのだろうかと多くのファンと
関係者がレースを見守る。
シグナルがレッドからグリーンになり、各車が一斉に一コーナーに向かって
飛び込んで行く中で少しでもいい順位を得ようとゼッケン55のホンダV2のマシンが
コーナーリングをしていくが、この日の路面温度の低さとタイヤが温まって
いない中で限界値を超えて滑ってしまう彼のマシン。
その彼を後続車が避けきれずにぶつかってしまう。
彼の期待されたオーストリアグランプリは非常に残念な結果となったどころか
救急車で搬送されて、彼の状態に関してすぐに情報が入らずに様々な憶測が
飛び交う状況となった。
命に別状はないが、三ヶ月ほど復帰にかかるだろうということを知ったのは
翌日の朝のことであった。
この日に開催された250ccクラスで優勝したのはオリビエ・ジャック。
日本のレースファンにはあまり知られていない話であるが、レジス・ラコニと
オリビエ・ジャックというのはフランス選手権時代からのライバル関係があり、
二人は非常に意識しあっていて、テクマスグランプリの連中がテック3の
スタッフやオリビエ・ジャック、そして、チームメイトのウィリアム・コストと
話していたり、テック3のスタッフがレジス・ラコニと歓談していす姿を見ることは
あるが、ライダー同士が話している姿を見たことはなく、強いライバル関係
をまともに感じていたのですが、オリビエ・ジャックの250ccクラス優勝を
当然、レジス・ラコニは見ていたわけで、何か、それが彼の一周目のリタイア
につながっていたように思えて仕方なかった。
そんな思いと彼の早期の回復と復帰を願うのと、オーストリアの次のフランス
グランプリに彼の姿がないということが悲しいという気持ちが混ざり合う
オーストリアであった。
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