2016MotoGP日本グランプリドタバタ日記その四。
2016年10月17日 スポーツ コメント (2) 早朝から吉野家に出かけて、牛丼を四つ購入して待ち合わせ場所に出かける。
そこにいたのがルカ・カダローラ。そう言えば彼と2ショットの写真を撮っていないな
と思い、撮影をお願いしてOKをもらう。撮ってくれたのはマウリツィオ・ビターリで
あった。
木曜日からここまでの四日間で一番混んでいる道を進んでサーキット到着。
しばらくしてやって来たのがダビデ・ブレガである。色々と難しい状況がこの
レースウィークにある中で最近のレース状況と彼が現役時代だった頃の話になる。
今朝、私がうだうだと話していたルカ・カダローラは現役時代に一日に60本吸ってい
たがその彼が世界チャンピオンとなったが今のレースの世界でライダーがそんなこと
をやって世界チャンピオンになる可能性はかなりゼロに近くなると思う。
口にするものをかなり注意を払うようになったわけでノーアイデア、
ノーイマジネーションだと強くなれないし、このままワールドチャンピオンシップが
もっと拡大化したら、つばぜり合いの激化が進むから、ある意味チームがオリンピック
の団体競技のチームのようになっていくのだろうが、チームマネージャーが私利私欲
に走ってしまったり、メーカーのマネージャーが使途不明金を莫大な額にしてしまった
らまずいことになるだろうから、ある意味、いい方向に進むかもしれないなどと
いう話をする。
まぁ、このブログの昔からの読者の方はご存知のようにダビデ・ブレガ
はライダーであり、チームマネージャーだった過去があり、今は息子がライダー
という立場だから息子が栄光をつかむために何が必要なのかわかっていて、
それを求めるだろうし、マウリツィオ・ビターリからすると息子がいい体制で
走るためにエネルギーを費やしているわけで非常に興味深い話であった。
レースに関する部分は色々な報道がされているから、この私のブログでは
触れませんが、レースに絶対というものがないということがよく分かる一日でした。
地元の日本で表彰台という結果を残したにも関わらず、失格になり、ニコロ・ブレガ
が三位という結果になったり、MotoGPではファクトリーヤマハの二人が転んでしまい
このモテギでマルク・マルケスが彼の世界チャンピオンが決定するということになり、
まぁ、時期が時期だけにかつてのケナン・ソフォーグルがチームヤマハジャーマニー
でR1を走らせてストック1000選手権のタイトルをほぼ手中にしていながら、最終戦
の最終ラップの最終のシケインで真っ直ぐ行ってしまい、タイトルを逃した時のこと
を思い出していました。
MotoGPの後、時間があったので、ぶらぶらしていると久しぶりに宇井陽一君の
奥様に声をかけられてしばらくお話する。
宇井陽一君が125でグランプリに出るようになって最初は夫婦で、後にお子さんも
一緒にドイツに住んでいたが当時のドイツの状況と今との違いであったり、
私がチェコのチームとの関係を深めて色々とアイデア出しをしながら、スーパースポート
でインターモトカワサキ、Moto3でFGRとアクティブなことをやっていこうとか
考えていたが、我が友ヨゼフ・クビシェックが行方不明になり、可能性が消えてしまい
チェコベースで考えていたことが具体化できずに終わったことなどを話す。
AGVとダイネーゼのオフィスに行くと今回はレース途中でバレンティーノ・ロッシが
転んだこともあって、片付けが早く進む。私も関係者の方々にあいさつ回りを
しながら、頃合いを見て戻ったりしながら、撤収作業を手伝い、例年よりも相当
早く荷物をまとめてサーキットを出る。
サーキットから高速まででかなり時間を食ったのは想定内であったが、つくばの
手前あたりで渋滞となったのは想定外。このまま走らせていくか一旦、高速を降りて
食事にするか考えて、遅く羽田近辺に着いて食べるところが無かったら嫌だと
いうことで高速を降りて回転寿司屋に入り食事。
その食事時間というのがスペインでのスーパーバイククラスのちょうど終盤頃。
レースを見ながら食事をして、その後始まるストック1000選手権も見る。
まぁ、マウリツィオ・ビターリはイタリア人の父親なので息子が走るレースが
当然気になる。MotoGPとSBKが同日開催でもこうしてやっている場所が離れて
いると両方ライブで見られるというのはいいことである。
すでに終わったスーパースポートクラスでケナン・ソフォーグルがタイトルを決めた
のに加えて、ストック1000選手権でラッファエレ・デロザがタイトル決定。ストック1000
というエンジニアがいじれる範囲が限られているカテゴリーでBMWがタイトルを
獲得したというのはメーカーにとってもチームにとっても非常に意味のあること
だったと思う。
その後、羽田空港の近くのレンタカーオフィスに到着し、彼らと別れてホテルへと
向かう。明日は東京で彼らのトラベルマネージャー兼通訳業である。
そこにいたのがルカ・カダローラ。そう言えば彼と2ショットの写真を撮っていないな
と思い、撮影をお願いしてOKをもらう。撮ってくれたのはマウリツィオ・ビターリで
あった。
木曜日からここまでの四日間で一番混んでいる道を進んでサーキット到着。
しばらくしてやって来たのがダビデ・ブレガである。色々と難しい状況がこの
レースウィークにある中で最近のレース状況と彼が現役時代だった頃の話になる。
今朝、私がうだうだと話していたルカ・カダローラは現役時代に一日に60本吸ってい
たがその彼が世界チャンピオンとなったが今のレースの世界でライダーがそんなこと
をやって世界チャンピオンになる可能性はかなりゼロに近くなると思う。
口にするものをかなり注意を払うようになったわけでノーアイデア、
ノーイマジネーションだと強くなれないし、このままワールドチャンピオンシップが
もっと拡大化したら、つばぜり合いの激化が進むから、ある意味チームがオリンピック
の団体競技のチームのようになっていくのだろうが、チームマネージャーが私利私欲
に走ってしまったり、メーカーのマネージャーが使途不明金を莫大な額にしてしまった
らまずいことになるだろうから、ある意味、いい方向に進むかもしれないなどと
いう話をする。
まぁ、このブログの昔からの読者の方はご存知のようにダビデ・ブレガ
はライダーであり、チームマネージャーだった過去があり、今は息子がライダー
という立場だから息子が栄光をつかむために何が必要なのかわかっていて、
それを求めるだろうし、マウリツィオ・ビターリからすると息子がいい体制で
走るためにエネルギーを費やしているわけで非常に興味深い話であった。
レースに関する部分は色々な報道がされているから、この私のブログでは
触れませんが、レースに絶対というものがないということがよく分かる一日でした。
地元の日本で表彰台という結果を残したにも関わらず、失格になり、ニコロ・ブレガ
が三位という結果になったり、MotoGPではファクトリーヤマハの二人が転んでしまい
このモテギでマルク・マルケスが彼の世界チャンピオンが決定するということになり、
まぁ、時期が時期だけにかつてのケナン・ソフォーグルがチームヤマハジャーマニー
でR1を走らせてストック1000選手権のタイトルをほぼ手中にしていながら、最終戦
の最終ラップの最終のシケインで真っ直ぐ行ってしまい、タイトルを逃した時のこと
を思い出していました。
MotoGPの後、時間があったので、ぶらぶらしていると久しぶりに宇井陽一君の
奥様に声をかけられてしばらくお話する。
宇井陽一君が125でグランプリに出るようになって最初は夫婦で、後にお子さんも
一緒にドイツに住んでいたが当時のドイツの状況と今との違いであったり、
私がチェコのチームとの関係を深めて色々とアイデア出しをしながら、スーパースポート
でインターモトカワサキ、Moto3でFGRとアクティブなことをやっていこうとか
考えていたが、我が友ヨゼフ・クビシェックが行方不明になり、可能性が消えてしまい
チェコベースで考えていたことが具体化できずに終わったことなどを話す。
AGVとダイネーゼのオフィスに行くと今回はレース途中でバレンティーノ・ロッシが
転んだこともあって、片付けが早く進む。私も関係者の方々にあいさつ回りを
しながら、頃合いを見て戻ったりしながら、撤収作業を手伝い、例年よりも相当
早く荷物をまとめてサーキットを出る。
サーキットから高速まででかなり時間を食ったのは想定内であったが、つくばの
手前あたりで渋滞となったのは想定外。このまま走らせていくか一旦、高速を降りて
食事にするか考えて、遅く羽田近辺に着いて食べるところが無かったら嫌だと
いうことで高速を降りて回転寿司屋に入り食事。
その食事時間というのがスペインでのスーパーバイククラスのちょうど終盤頃。
レースを見ながら食事をして、その後始まるストック1000選手権も見る。
まぁ、マウリツィオ・ビターリはイタリア人の父親なので息子が走るレースが
当然気になる。MotoGPとSBKが同日開催でもこうしてやっている場所が離れて
いると両方ライブで見られるというのはいいことである。
すでに終わったスーパースポートクラスでケナン・ソフォーグルがタイトルを決めた
のに加えて、ストック1000選手権でラッファエレ・デロザがタイトル決定。ストック1000
というエンジニアがいじれる範囲が限られているカテゴリーでBMWがタイトルを
獲得したというのはメーカーにとってもチームにとっても非常に意味のあること
だったと思う。
その後、羽田空港の近くのレンタカーオフィスに到着し、彼らと別れてホテルへと
向かう。明日は東京で彼らのトラベルマネージャー兼通訳業である。
コメント
今シーズンのこれまでのTV観戦を通じて楽しみにしていたブレガくんの走行をもてぎで実際に観ることができ、感動の余韻で偶然こちらに辿り着いた次第です。
漠然と、彼の心情について似たような想像をしていたところでしたので、記事を楽しく拝読しました。
ライダーには、なるべくレースウィークを自分のペースで過ごさせてあげたいので、もてぎではあまり彼らに対してお話しには行けない一般ファンですが、これから先、応援していくことを心に決めました。また、ニコロ選手は英語があまりわからなさそうだったので、やむなくイタリア語の勉強を決めました…。
これからも、たまに拝読させて頂きます。ありがとうございました。
ニコロ・ブレガと私は当然のことながらイタリア語で話すので
彼の現時点での英語の能力というものがどれぐらいかは多くのファンと同様
メディアを通した形でしかわかりませんが、オフシーズンに力を入れるらしいです。
ただ、来年も再来年も同じチームで走るので、そうなると初志貫徹となるか
どうかはわかりません。
ブレガ家はモナコにいた時期もあって、亡き祖父、ブルーノと父ダビデが
イタリア語、英語、フランス語の三言語。母ナタリーはドイツ人なのでドイツ語、
イタリア語、英語、フランス語なのですが、ドイツ語とフランス語は全く興味を
示していないところを見ると英語も果たしてどうなるのかはわかりませんね。
そのあたりはサンドロ・コルテーゼというパスポートはドイツ。名前通り
民族的にはイタリア人、必要な言語は英語という人の意識とはかなり
違いがあると思います。(彼のイタリア語は南イタリアなまりがありますが)
これから違うカテゴリーで大きなチームに行くとなると母国語だけではだめなのは
当然ですし、祖父と両親が外国語を話すから、物事がスムーズに進んでいる
ところをところを見ているから好き嫌いは別にしてできたほうがいいと考えては
いるようです。