7月28日木曜日の午後、サーキット到着。

 AGVのマウリツィオにとっては一年ぶり。私にとっては前々回のテスト以来の
入場になる。

 ちょうど、4耐と8耐もフリー走行をしていない時間帯なので、リラックスした空気感が
流れるなかでパドックをぶらつく。

 まずはじめに顔を合わせたのがブレンボのエウジェニオ。全日本やイタリア選手権で
は会わない彼の顔を見るとここが世界選手権のサーキットであることを実感する。

 ヤマハファクトリー、YART、GMTとヤマハ系が揃っているピットの辺りをうろついて
いるとダビデ・チェカとニッコロ・カネパと会う。この鈴鹿の前の世界選手権のレース
というのがポルティマオ12時間。世界耐久選手権のトップチームの雄のGMTとSERT
が12時間という時間、393周という周回を走ってコンマ81秒差でのフィニッシュ。
https://www.youtube.com/watch?v=g-2YBdQ0zeo

国際映像でのインタビューでも答えていたがダビデ・チェカは100%では勝てないから
110%出して走って勝ったと話して、ニッコロ・カネパは耐久でこんなことは初めてだし、
今後もないのではないかと話してくれた。

 そのニッコロ・カネパの親父と前日、チャットで話していて渡したかった孫の手と
扇子を渡す。以前、チャットで話していた時は今年のバカンスは鈴鹿のレースを
挟んで前の週か後の週に日本に行けたらいいなと思っていたが、諸々な事情で
来れなかったということで彼は息子の走りをユーロスポート2での衛星中継で
見るということらしい。

 パドックの配置を理解をするために歩いていて、ようやくカワサキ系のチームが
揃っているエリアでボリガースイッツァーランド8を見つけて、ジャンルカ・ヴィッツィエッロ
と再会。

 彼と私は彼がストック1000選手権デビュー以来の付き合いで同じユニオンバイク
ジモータースポーツに居た時もあれば、敵味方であったこともあるが、彼のキャリアを
スーパーバイク世界選手権のサーキットで同じ時間を過ごしてきた。

 その彼はスポンサーを持ち込んで走るようなライダーではないので、近年は思うような
活動ができない状態であったが、ある意味、それ故にこうして再会できたのは
うれしい反面、背景を考えると複雑なものがある。

 その彼に荷物はここにチームオフィスに置いてもらって構わなくて、チームのパドック
にある飲み物とスナック菓子類は口にしてもらって構わないと言われて、歩きまわり
ネタを拾うがそのために喉が非常に乾いたり、塩分を補給しなければいけない
私にとってはありがたい話であった。

 そんなことを言ってくれたジャンルカ・ヴィッツィエッロだが、太ったし、老けたなと
いう印象を抱く。そんなことを考えていたら、彼のヘルメットにドリアーノ・ロンボニ
のステッカー。

 シーズンオフのマルコ・シモンチェッリを偲ぶイベントレースで我が友
ドリアーノ・ロンボニとユニオンバイクジモータースポーツでの僚友でもあった
ジャンルカ・ヴィッツィエッロが絡んでしまい、ロンボニが奥さんと二人の小さい娘
を残して、逝ってしまったニュースは私にとって大きな衝撃を与えたものであったが
当事者であったジャンルカ・ヴィッツィエッロにとっては色々な意味でこれからの
人生で背負っていくものだし、忘れることができないことなのだろう。
そう考えると、あのお調子者の南イタリア人でも思うところがあるのだろう。

 その後、メインスタンドの方に移動していたら、パドックトンネルで以前、もてぎで
一度お会いしたFIM(国際モーターサイクル連盟)のヴィト・イッポリート氏と
お会いする。

 びっくりしながら、ご挨拶して今回の来日とここへの来場の理由をお尋ねしたら、
世界耐久選手権のカレンダーが変わるから、そのあたりの会議をユーロスポート
とすることと鈴鹿付近の車体メーカーなどと工場見学を兼ねて会談の予定という
ことである。私のようなものに温かい言葉を投げてくれて、通訳を頼む場合は
連絡しようと思うなどと言葉をかけてくれるというのは実に嬉しいものがある。

 大会スポンサーのステージは明日以降のリハーサルをしていたり、参戦メーカー
の物販ブースなどは設営をしていて、今日は木曜日であることを実感して、
メインスタンドでしばらく走りを見て過ごして、再びパドックへ。

 チームオフィスへ行き、しばらくミネラルウォーターを飲みながら彼と話す。
娘が四歳になり、彼の父親は本当に孫を溺愛しているということらしい。

 マウリツィオと合流して、彼の宿泊しているホテルへ行き、その後、うどんを
食べたいというのでイオンの敷地内にあるうどん屋で出かける。

 話題がニッコロ・カネパの話になり、私は彼がライトスピードカワサキで
スーパースポート世界選手権で戦っている時から彼のことも彼の父親のことも
知っているので、わかっていることを話す。

 私が彼のレーシングキャリアの初期に同じチームだったり、近い場所に居て
思ったのはいいやつであるが、少し欲が薄いのではないかという印象である。

 バレンティーノ・ロッシをデビューイヤーからそば見ていて思ったのはいいライダー
や強いライダーというのは若いころはやんちゃで元気で負けず嫌いであるのだが
その度合がバレンティーノ・ロッシに関しては強くて、ニッコロ・カネパに関しては
薄い。

 この傾向は彼に限らず、他の彼の年代のライダーにも言えているが、
やはりビッグマネーを得たいとかきれいな彼女をゲットしたいというような原始的な
欲求でもいいが、欲深いものだが、ニッコロ・カネパはそういう部分で欠けている
ところがあるのではないか。

 あるいはレース業界でアメリカのサブプライム危機以降払ってでも乗るライダー
だったり、スポンサーを持ち込めるライダーが走ることができる中でライダーの
能力に払えるかどうか、スポンサーを持ち込めるのか否かが
チームにとってのいいライダーの条件の重要な割合を占めてきている時勢の中で
彼はバイクを一定以上のレベルで走らせる能力はあるが、支払い能力では
明らかに劣っていて、他のライダーでバイクを走らせる能力で劣っていながら
契約をまとめることができている状況。

 その現況をまともに見ていて失望感を感じていて、自らスポンサー獲得のために
動くことはしなくて、純粋に実力を評価してくれるところチームのみが交渉するわけで
レースに関して冷めているのではないかというのが私の持つ印象であり、
マウリツィオはそれを神妙な顔をして聞いていました。

 また、今年のシーズンを考える上で私が注目しているのはMoto3参戦中の
ニッコロ・ブレガなのですが、マウリツィオの目からするといいライダーであると
いうこと。

 元ライダーの目からはライディング能力に関して高い評価を与えているようで
ある。

 でもって、私はというとブレガ家と近かった立場から感じたことを話す。

 彼らがレッジョエミリア近郊のサンティラリオに住んでいた時のことですが、
ランチタイムにナタリーが料理を作ってくれた時のこと。

 食事をしていて、何も言わないニッコロ・ブレガ。

 私が『君のお母さんはスーパーで買い物をする時、料理の準備をしている時、
作っている時も君が喜んでくれることを考えているんだよ。だから、おいしいと
思った時はおいしいとちゃんと言わなければいけないよ。』と話した。

 続いて『それまで、父のダビデ・ブレガが言わなかったから
言わなかったのかもしれないけれど、『おいしい』と言ったら、君のお母さんは
疲れが吹っ飛ぶんだから、言うべきだよ。子供の満足した顔や笑顔を見て、
おいしいと言ってくれたら、レッドブルもモンスターも飲まなくても元気になるんだから』
と続けて話したところ、ブレガジュニアは恥ずかしそうな顔をしながら小声で
『おいしい』と口にしていました。

 でもって、翌日のこと。

 ブレガ家が日本食を食べたいということで私が親子丼、肉じゃが、お好み役を
作って振る舞ったところ、ニッコロ・ブレガが発した言葉というのは

 『yasu!おいしいよ。最高だね。この日本食はすごくおいしい。大好きだよ』
というものでした。

 つまり、何が間違っていて、何が欠けていて、何が必要かを理解して、何を
話すべきかをわかって、正しい方向へ行動したり話したりするというのはトップ
ライダーの必須条件だと思うのですが、ニッコロ・ブレガというのは小さい頃から
それができていた。

 ニッコロ・ブレガというのはかなり楽しみな存在かもしれないなどと実体験から
話すとマウリツィオは神妙な顔つきになっていましたね。

 そんな話をして、うどんと天ぷらで満腹になって、平田町駅へと向かって、
帰路につく。

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