私の脳みその中の大部分がルイス・サロムの死亡事故のこととカタロニアグランプリ
のことでいっぱいになっています。日テレの系列局がMotoGPの放送に興味がなくて、
地方のファンが見られない中で今日はスカパー!無料放送の日ということで
関東圏以外の方々でスカパー!と契約していない人たちもレースが見られる環境
である月の初めの日曜日です。

 若くて元気があって、一緒に過ごしていて楽しい思いでばかりのルイス・サロムが
亡くなり、追悼する空気が漂う中で慌ただしく色々な動きがありました。

 その中のひとつがサーキットレイアウトの変更です。

 ロッシとロレンソがこのレイアウトの変更はホンダに有利であるということを
口にして、そこにポル・エスパルガロが安全性を考えたうえでの変更であると
異議を唱えました。
http://www.gpone.com/it/2016060427049/motogp/pol-espargara-attacca-rossi-e-lorenzo.html

 ルーチョ・チェッキネッロもロッシとロレンソの態度やセーフティコミッションとの
関わり方に関して発言をしました。
http://www.theracemode.com/motogp/cecchinello-contro-rossi-e-lorenzo-piloti-a-volte-troppo-egoisti-pensano-solo-a-loro/

 ライダー最速世界一決定戦というのは単純にライダーの能力の高さだけではなくて
相手の有利な部分を潰そうかとか、自らの正当性や高い評価を認めてもらおう
という部分を含めてのことで、そこにある種のわがままとか政治性(それもバルカン
政治)だったりが内包されてタイムや順位に反映されるので、いかがわしさという
ものもつきまといますね。

 いかがわしさも適度であればいいスパイスになるのでしょうが、度を越すようなことだと
スポーツとして見られないとかファンもスポンサーもいなくなってしまうという部分を
ポル・エスパルガロとルーチョ・チェッキネッロは察知しているのだと思いますね。

 特にルーチョ・チェッキネッロに関してはかつてライダーで戦う人の気持ちがわかる
一方でレースの面白さや楽しさを企業に訴えてお金を出してもらう立場。

 その彼はメーカーやスポンサーやテレビ局などと深く付き合って、必要な予算
だったり、マテリアルを揃えなければいけないのでしょうが、ライダーの死亡と
いう悲しいニュースのあとに、ライダーの勝利に対する渇望から生まれる悪魔性
とレースの世界独特のいかがわしさがあまりにも突出してくると、これはスポンサー
との話し合いの機会すら失いかねないという危機感があると思いますね。

 
 全ての美しいファンタジィと多くの醜いリアリティが存在するサーキットで
ルイス・サロムの冥福を祈りながらレースを見たいと思っています。

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