水戸駅近くのホテルに行く前に昨日はランチが取れなかったのですき家に
行き、牛丼を四つ購入。かつて、F1のワールドチャンピオンのアラン・プロスト
が簡単に腹持ちが良くて、温かく待たなくていい牛丼を好んで食べていたが
同じことはバイクの世界でも言えて、マウリツィオ・ビターリは牛丼好きである。

 ロビーに到着して、車でサーキットへ。水戸からもてぎまでの道というのが
パリ・ダカールラリーの練習だと思っているようなところがあって、オンロード
なのにオフロードのように感じる。

 サーキットに到着。かばんを置いて、歩いているとアプリリアのピットの前で
かつてチームアブルッツォ時代に一緒だった連中に捕まり、エスプレッソをご
ちそうになる。この時間までアプリリアのロマーノ・アルベジアーノと顔を
合わせていないが、どういう理由かは深く聞かなかったが来れない理由が
あるらしい。業界人が集まるイタリア選手権のムジェッロに行っているのか、
ノアーレのオフィスなのだろうか。

 ロマーノ・アルベジアーノというマネージャーには良くしてもらったので
ここで会えないのは残念である。

 しばらく歩くとヤクブ・コルンフェイルと会う。こうしているとチェコ人の
業界関係者が少なくなったなぁと実感する。今回のこのレースでは
ABカーディオンのホンダオープンのマシンはカレル・アブラハムが乗らずに
日本人ライダーの秋吉が走らせるわけで、チームとの付き合いもあるが
ライダーやライダーの父親と密接な関係のある連中は日本までは来ないらしい。

 チェコ語の話になって、かつてマレーシアで過ごしていた時にチェコの
大使館に出かけて何とかチェコ語が勉強できないかと尋ねたところ、大使館員の
答えというのが『この国にはチェコ人は30人しかいない。チェコのコミュニティが
存在しないから、インターネットを使って、個人で勉強するように。』

 というもので、個人でできないからこうして大使館まで来たのに為す術が
なくてがっかりしたこと、チェコ人が日本語を勉強しようとしても地方都市だと
難しいだろうということなどをうだうだ話す。

 ルカ・ボスコスクーロと会い、今、Moto2やMoto3に行くとしたらいくら
お金を持ち込めばいいのかを話す。彼のチームに限らず色々な意味で
課金制の衛星放送のみでの露出となると、商品訴求力だとか広告価値という
部分で難しいわけで、払ってでも見るというのは素晴らしいことだし、
それは大事だがスポンサーの広げたい部分というところで齟齬がイタリアでも
スペインでも起きているという話をする。

 フォワード・レーシングのピットでマンフレッド・ガイスラーと会う。
彼のライダーとしての活動を終えてからの仕事というのはメカニックであるが
2000年代のアプリリアジャーマニーやヤマハクルツ時代のことが強く印象に
残っていて、あまりスズキ時代というのはファクトリーチームで時間を設けて
話す機会がなかったので、こうして、フォワード・レーシングのウェアを着て
話すというのはそれまで感じない空気感を感じる。まぁ、イタリアのチームに
思われがちだが、正しくはスイスのチームでスイスジャーマンもいるようなので
彼が溶け込んでいても不思議ではない。

 AGVの仮説オフィスに戻り、ランチタイムである。私のおごりの牛丼を
喜んで食べてくれる。出てくる話というのはイタリアで3ユーロだったら
何も食べられないということで歴史的にインフレの国とデフレが続いていた国の
違いを感じる。

 カルロ・ペルナットの親父さんと会い、90年代の鈴鹿にはかなり多くの
客が来ていたのに、最近はそれほどでもないのは何故かと質問を受ける。
答えは単純で最近のテニスを見ていると錦織圭の登場以降、スポンサーが
増えたり、BSという払わなくていい形でのテニスの放映が増えたり、
テニススクールのキッズクラスの受講生が増えたり、大会の前売り券の
売上が圧倒的に変わってきたりと一人のスターの誕生と活躍が経済活動を
活発にするという話をする。

 そこにやってきたのがヨニー・エルナンデス。彼の国でMotoGPが盛り上がる
かどうかは彼の活躍にかかっているだろうが、この世界はライダーの能力も
大事だがパッケージの良し悪しが大事でそれを固めるのも現代のレース界では
ライダーの仕事の一つに入ることを話す。個人的にルーチョ・チェッキネッロ
はライダーの走るだけの能力では中位レベルだったが、その彼が世界選手権
のレースで幾つか勝てたのは彼のビジネスマインドだったと話す。

 ジョバンニ・ザマーニがやって来て、そこにダニーロ・ペトルッチが加わる。
いつも来ているダニーロの父親というのは私とは昔からの付き合いなのだが
今回は来ていない。仕方なくパパペトルッチに渡す予定だった孫の手を
ダニーロに渡す。話題の中心はかなりの確率で降るであろう日曜日の雨の
こと。ダニーロ自身にとっては雨のほうがチャンスがあるだろうが、
何年か前の台風が直撃しなかったが、大雨がヘリポートが設けてある
大病院の辺りで降り、病院ともてぎの間の霧が濃いために金曜日のセッション
が全てキャンセルになった時のことを話す。キャンセルは困るがある程度
降って欲しいというのが、彼のような立場でファクトリーチームとの違いを
感じながら走るライダーの本音である。

 チームイタリアに行き、クリスティアーノ・ミッリョラーティと話す。
そこにイタリア人のメカニック、イタルトランスの元ライダーで現在
マネージャーのロベルト・ロカテッリ登場。何だかかつてのteam axo
inoxmacel時代のことを思い出す。私のことを知らないイタリア人に
私が初めて会ったイタリア人ライダーというのが髪が長かった時期で
500ccクラスにハリスヤマハで走っていたクリスティアーノで鈴鹿サーキット
で初めて会った時に私は今ほどイタリア語が話せなかったこと、私が
ヨーロッパに行って、現役時代の彼に世話になったこと、スーパースポート
世界選手権からイタリア選手権にステップダウンしたが、そこでダビデ・ブレガ
のチームでイタリアチャンピオンになったことなどを話す。

 その彼がFMIの要請に応えて、チームイタリアで仕事を始めたのだが
彼にとっては能力はあるが運がなかったり、努力の方向性を誤っている
ライダーを見るのが辛いらしい。前者はかつてストック600でファンデンマルクと激しいタイトル争いをしたがタイトルを取りそこねて、スーパースポート
世界選手権やMoto2で走ることになったが、運がなかったり、チームを間違えた
リカルド・ルッソであり、後者は今のMoto3のライダーらしい。
そのミッリョラーティだが、新垣敏之さんが来場するなら昔話をしたかった
らしい。新垣さんは今週はお台場でのイベントに参加ということの
ようだと話すと非常に残念がっていた。

 夕方になり、イタリア選手権に関する話や情報が入ってくる中、帰り支度する。例によってマウリツィオ・ビターリのラリードライビングで水戸へと
戻り、夕食をニッコロ・アントネッリの父親を交えて食べる。

 まぁ、マウリツィオ・ビターリを含めてだが、ライダーの父親というのは
まずいくらチームに持参金を持っていけるのかとか、いいパッケージで走れるか
どうかなのか、チームマネージャーの評判であるとか、近い将来の予定と
希望などを話す。さすがに私もこのブログでこの会話の内容は話せないディープ
なことで、こういうところを議論のたたき台として知っていなくて、ただ
世界レベルで走りたいという強い思いだけで冷静な計算がないととんでもない
経済的な損失を被ったり、いいパッケージで走れないだろうなと実感する。

 彼らと別れて、第三のビールを飲んで寝ることにする。

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