MotoGP2015日本グランプリどたばた日記その一
2015年10月9日 スポーツ ホテルを出て、成田空港に行く。いいお天気で台風が直撃しなかったのは
幸いである。もし、木曜日到着の人が日本の他の空港につくはめになったり
もう一日、経由地や出発地で待ちぼうけをすることになったらどえらいこと
であると思っていたわけで、かつてのアスパーが成田に着陸できずに関空に
上陸した時やロベルト・ロカテッリがソウル一泊になった時のことを思い出し
ながら、AGVのマウリツィオを待つ。
フランクフルトからは45分遅れだったが、かなり他社便もあり混み合っている
時間帯ということもあって、ロビーにやってきたのが40分ほど後。成田なので
ここからレンタカーのピックアップで車を取りに行く。同じ車にジャーナリスト
のジョバンニ・ザマーニも一緒である。
ジョバンニと福島のことに聞かれたり、マッテオ・レンツィ内閣発足以降の
イタリアの政治状況と東京の次のオリンピックとパラリンピックの話をする。
2024年のローマでの開催というのはイタリア人の中で賛否が割れている話で
それはそれでいいとは思う。その賛成や反対のところにイタリアの南北問題や
バルカン政治が絡むのはイタリアらしいところではある。
マウリツィオは荷物が多いから、大きめの車をリクエストしていたが、
それほどでもない車であったため、チェンジしてもらうように話を進めて、
ウェイティングの後に違う車で茂木へと移動する。
スーパーバイク世界選手権のフランスラウンドが先週末。ファイナル
ラウンドはヨーロッパを離れるのでストック600とストック1000選手権は
最終戦で息子のルカ・ビターリのレースのことや近い将来の話、チームの
内情や今後の希望と予定などを話す。
今週末はイタリア選手権の最終戦のムジェッロではあるが、ルカは参戦
せずに先週で彼の今シーズンは終了ということになった。
ストック1000選手権は我々と近い関係のあるロベルト・タンブリーニが
タイトルの可能性があったが、残念ながら彼はタイトルを逃して、ロレンツォ・
サバドーニがアプリリアのリッターバイクを走らせてのタイトル獲得となった。
こうなるとアプリリアのマシンでスーパーバイク世界選手権参戦かと
思いきやアプリリアの社内政治やスポンサーの都合など色々と思惑が絡んで
いて一筋縄ではいかないようらしい。まぁ、現実の政治と経済が元で動くわけで
タイトルを獲ったからといってすんなりと行かないのは仕方のないことではある。
そんなこんなうだうだ話しているうちにもてぎに到着。ジャーコモ・
グイドッティと会う。子供がモトクロスをやっているようで、それを
喜んでいるのが彼であるが、子供の笑顔をもっと喜んでいるのがおじいちゃん
であるらしい。
カルロ・ペルナットの親父さんと顔を合わせる。初めて彼と会ったのが
95年の昔のクアラルンプールのエアポート。昔の話、今の話に花が咲く。
この親父さんにパドックパスを発給してもらって鈴鹿サーキットに入れる
ことになり、それが今に繋がる大きな意味のある最初の一歩だったわけで
彼から全日本選手権の話やメーカー関係の話を尋ねられたら喜んで答える。
まぁ、私がバイクメーカーとは縁のないインディペンデントの存在であることを
よく理解していて、中立の立場で話ができることをわかっているから、他の
ジャーナリストに質問をしないで私に話を聞きに来る。これももう15年以上
そんな関係である。
チームアヴィンティアのシモーネ・ファルチーニと会う。お互いに立ち位置は
変わるが友情は変わらない。変わったのは彼が子供が生まれて、その子供が
バイクに夢中であることを喜んでいることらしい。その中での唯一の悩みが
オフロードというかモトクロスの方に夢中なので奥さんの洗濯の仕事量が
大変だということのようだ。まぁ、確かに雨の中で激しい走りを長時間したら
泥だらけになるが、毎回使い捨てにはできないわけで、それはよくわかる。
AGVの仮説オフィスに行くと、そこにサンドロ・コルテーゼ登場。
彼の国籍はドイツではあるが、イタリア人の関係者と会うとイタリア語になる。
まぁ、ジョバンニ・ザマーニとオリンピックの話の時にイタリアの南北問題
の話題になったが、ドイツには南部イタリアから経済的に秀でているドイツに
移住して、そこで生活基盤を築いた人も多いが、彼の家族もその中の一つである。
今週末は日本のもてぎでMotoGPの日本グランプリがあり、イタリアでは
イタリア選手権の最終戦のムジェッロがある。そんなわけで、来日しなくて
ムジェッロの方に出かけている関係者も多いと聞く。
SKYのスタッフと会い、しばらく話す。今回はグイード・メダもマウロ・
サンキーニもミラノのスタジオで実況ということでテクニカルスタッフと
ピットレポーターのみの来日ということ。私とグイード・メダとの長い関係
やマウロ・サンキーニがジモータースポーツでスズキの600でスーパースポート
世界選手権で走っていた時のことや彼がイタリア選手権でチームベルトッキ
でジョバンニ・ブッセイと激しい戦いをしていた時のこと、彼がイタリア選手権
のスーパーバイククラスで参戦していてバッレルンガの最終戦でタイトルを
奪った時の素晴らしい空気感のことなどを話す。SKYの関係者の中には
マウロ・サンキーニというと近年のライダーを辞めてからのコメンテーター
としての活動しか知らない人も結構いて、私の話に興味を持って聞いて、
色々と質問を受けた。
アンドレア・イアンノーネと会う。シーズン後にラリーに出ることを決めて
色々と動いて、話がまとまってから、急にスポンサーやメーカーの態度が
変わって、ちょっとややこしいことになっているという話をする。
まぁ、イタリア人にありがちな話ではある。
アンドレアと彼の父親と話しているところにABカーディオンのメカニックの
マルティンが登場。96年から98年辺りの500ccクラスのホンダ2気筒が出てき
た時は小さなチームがマシンを買って、それで上位に入ることもできたが、
オープンカテゴリーのバイクで昨年、今年と出走してもマシンは高額なうえ
に競争力に欠けているので、そうなるとチームやライダーは他のカテゴリー
や参戦体制を考えることになるのは必然だと話す。
しばらく歩くとiodaレーシングのジャンピエロ・サッキと会う。
彼にとっては週末は雨になってもらったほうがチャンスが生まれるので
中止にならない程度に雨が降って欲しいと思っている。まぁ、ファクトリー
仕様のアプリリアであっても、マルコ・メランドリが匙を投げるぐらいなので
レインを求めているのは自然な話である。
そのマルコ・メランドリがサーキットで見られないのは色々な意味で損失なの
であるが、少なくともMotoGPでは彼に関して代役以外の話がないようで、
恐らくスーパーバイクの話になるが、これもアルテアレーシングの話以外は
何も交渉がないらしい。
その後、AGVの仮説オフィスに行き、荷物をまとめて水戸へ向かう。
リミニの寿司屋は中国人がやっていて、中国人ビジネス発想が入っていたり
して、やはり日本で食べる寿司や刺し身がいいなどと話しながら飲み食いして
過ごした一日だった。
幸いである。もし、木曜日到着の人が日本の他の空港につくはめになったり
もう一日、経由地や出発地で待ちぼうけをすることになったらどえらいこと
であると思っていたわけで、かつてのアスパーが成田に着陸できずに関空に
上陸した時やロベルト・ロカテッリがソウル一泊になった時のことを思い出し
ながら、AGVのマウリツィオを待つ。
フランクフルトからは45分遅れだったが、かなり他社便もあり混み合っている
時間帯ということもあって、ロビーにやってきたのが40分ほど後。成田なので
ここからレンタカーのピックアップで車を取りに行く。同じ車にジャーナリスト
のジョバンニ・ザマーニも一緒である。
ジョバンニと福島のことに聞かれたり、マッテオ・レンツィ内閣発足以降の
イタリアの政治状況と東京の次のオリンピックとパラリンピックの話をする。
2024年のローマでの開催というのはイタリア人の中で賛否が割れている話で
それはそれでいいとは思う。その賛成や反対のところにイタリアの南北問題や
バルカン政治が絡むのはイタリアらしいところではある。
マウリツィオは荷物が多いから、大きめの車をリクエストしていたが、
それほどでもない車であったため、チェンジしてもらうように話を進めて、
ウェイティングの後に違う車で茂木へと移動する。
スーパーバイク世界選手権のフランスラウンドが先週末。ファイナル
ラウンドはヨーロッパを離れるのでストック600とストック1000選手権は
最終戦で息子のルカ・ビターリのレースのことや近い将来の話、チームの
内情や今後の希望と予定などを話す。
今週末はイタリア選手権の最終戦のムジェッロではあるが、ルカは参戦
せずに先週で彼の今シーズンは終了ということになった。
ストック1000選手権は我々と近い関係のあるロベルト・タンブリーニが
タイトルの可能性があったが、残念ながら彼はタイトルを逃して、ロレンツォ・
サバドーニがアプリリアのリッターバイクを走らせてのタイトル獲得となった。
こうなるとアプリリアのマシンでスーパーバイク世界選手権参戦かと
思いきやアプリリアの社内政治やスポンサーの都合など色々と思惑が絡んで
いて一筋縄ではいかないようらしい。まぁ、現実の政治と経済が元で動くわけで
タイトルを獲ったからといってすんなりと行かないのは仕方のないことではある。
そんなこんなうだうだ話しているうちにもてぎに到着。ジャーコモ・
グイドッティと会う。子供がモトクロスをやっているようで、それを
喜んでいるのが彼であるが、子供の笑顔をもっと喜んでいるのがおじいちゃん
であるらしい。
カルロ・ペルナットの親父さんと顔を合わせる。初めて彼と会ったのが
95年の昔のクアラルンプールのエアポート。昔の話、今の話に花が咲く。
この親父さんにパドックパスを発給してもらって鈴鹿サーキットに入れる
ことになり、それが今に繋がる大きな意味のある最初の一歩だったわけで
彼から全日本選手権の話やメーカー関係の話を尋ねられたら喜んで答える。
まぁ、私がバイクメーカーとは縁のないインディペンデントの存在であることを
よく理解していて、中立の立場で話ができることをわかっているから、他の
ジャーナリストに質問をしないで私に話を聞きに来る。これももう15年以上
そんな関係である。
チームアヴィンティアのシモーネ・ファルチーニと会う。お互いに立ち位置は
変わるが友情は変わらない。変わったのは彼が子供が生まれて、その子供が
バイクに夢中であることを喜んでいることらしい。その中での唯一の悩みが
オフロードというかモトクロスの方に夢中なので奥さんの洗濯の仕事量が
大変だということのようだ。まぁ、確かに雨の中で激しい走りを長時間したら
泥だらけになるが、毎回使い捨てにはできないわけで、それはよくわかる。
AGVの仮説オフィスに行くと、そこにサンドロ・コルテーゼ登場。
彼の国籍はドイツではあるが、イタリア人の関係者と会うとイタリア語になる。
まぁ、ジョバンニ・ザマーニとオリンピックの話の時にイタリアの南北問題
の話題になったが、ドイツには南部イタリアから経済的に秀でているドイツに
移住して、そこで生活基盤を築いた人も多いが、彼の家族もその中の一つである。
今週末は日本のもてぎでMotoGPの日本グランプリがあり、イタリアでは
イタリア選手権の最終戦のムジェッロがある。そんなわけで、来日しなくて
ムジェッロの方に出かけている関係者も多いと聞く。
SKYのスタッフと会い、しばらく話す。今回はグイード・メダもマウロ・
サンキーニもミラノのスタジオで実況ということでテクニカルスタッフと
ピットレポーターのみの来日ということ。私とグイード・メダとの長い関係
やマウロ・サンキーニがジモータースポーツでスズキの600でスーパースポート
世界選手権で走っていた時のことや彼がイタリア選手権でチームベルトッキ
でジョバンニ・ブッセイと激しい戦いをしていた時のこと、彼がイタリア選手権
のスーパーバイククラスで参戦していてバッレルンガの最終戦でタイトルを
奪った時の素晴らしい空気感のことなどを話す。SKYの関係者の中には
マウロ・サンキーニというと近年のライダーを辞めてからのコメンテーター
としての活動しか知らない人も結構いて、私の話に興味を持って聞いて、
色々と質問を受けた。
アンドレア・イアンノーネと会う。シーズン後にラリーに出ることを決めて
色々と動いて、話がまとまってから、急にスポンサーやメーカーの態度が
変わって、ちょっとややこしいことになっているという話をする。
まぁ、イタリア人にありがちな話ではある。
アンドレアと彼の父親と話しているところにABカーディオンのメカニックの
マルティンが登場。96年から98年辺りの500ccクラスのホンダ2気筒が出てき
た時は小さなチームがマシンを買って、それで上位に入ることもできたが、
オープンカテゴリーのバイクで昨年、今年と出走してもマシンは高額なうえ
に競争力に欠けているので、そうなるとチームやライダーは他のカテゴリー
や参戦体制を考えることになるのは必然だと話す。
しばらく歩くとiodaレーシングのジャンピエロ・サッキと会う。
彼にとっては週末は雨になってもらったほうがチャンスが生まれるので
中止にならない程度に雨が降って欲しいと思っている。まぁ、ファクトリー
仕様のアプリリアであっても、マルコ・メランドリが匙を投げるぐらいなので
レインを求めているのは自然な話である。
そのマルコ・メランドリがサーキットで見られないのは色々な意味で損失なの
であるが、少なくともMotoGPでは彼に関して代役以外の話がないようで、
恐らくスーパーバイクの話になるが、これもアルテアレーシングの話以外は
何も交渉がないらしい。
その後、AGVの仮説オフィスに行き、荷物をまとめて水戸へ向かう。
リミニの寿司屋は中国人がやっていて、中国人ビジネス発想が入っていたり
して、やはり日本で食べる寿司や刺し身がいいなどと話しながら飲み食いして
過ごした一日だった。
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