鈴鹿8耐ウィークドタバタ日記日曜日編
2015年7月27日 スポーツ 朝、何とか早起きして自宅を出る。例によって乗り継ぎをして平田町駅に
到着してマウリツィオのいるホテルへと急ぐ。
7時20分には到着したが、彼の車はまだ駐車場。そんなわけで1階朝食
ルームで水を飲ませていただきながら待っていたら業界人がどんどんここに
やってくる。今回はユーロスポートフランスの力が入っているようで、彼らの
宿泊施設もここ。朝からフランス語を単語を探しながらうだうだと話している
ところにマウリツィオ登場。朝食を終えて、一緒にサーキットへと向かう。
8時10分には何とか彼はヤマハのオフィスに到着。昨晩のマッサージの効果が
あって、ぐっすり寝られたというか寝過ぎたから予定より10分ほど遅れての
到着である。
マウリツィオに与えられたパドック内駐車場が2コーナー近くの激観エリアで
そこから歩いて行く。まだ、4耐の参加チームの車やトラックはかなり多い。
チームによっては4耐だけのチームだが勉強のために残っていたり、
部品メーカーが揃うこういう機会にミーティングしたいということをらしい。
私はマウリツィオと違って徒歩10分の距離は車で移動するのではなくて
歩くべきという考えだが、坂道を10分歩くとさすがにこの天候では喉が
乾く。エミリアーノ・ベルッチのいるピットに行き、ウォーターサーバーで
いきなり500ミリリットルほど飲んでようやく落ち着く。
パドックからメインスタンドの裏手のイベントスペースに行き、各メーカー
やスポンサーのブースをうろつく。9時少し前の段階だが、かなり人が多く
なってきた。どこのブースもかなり盛況である。
ウォームアップが終わって、ピットウォークの時間。私もピットウォーク
に参加するが、本当にキャンペーンガールが多い。
まぁ、50以上のチームがキャンペーンガールを用意していて、あるチームは
一人だが、二人やなかには四人体制なんてところもあり、それ以外にメーカー
やタイトルスポンサーのコカコーラゼロやサーキットのキャンペーンガールが
いるとなると相当な数に及ぶ。そして、この時間でこの酷暑。それを想定
していて当然のことながら露出度は高く、数多くのセクシー系だったりカワイイ
系のキャンペーンガールがいるとなるとカメラ小僧の人数も半端ではない。
私も見ていて楽しいので写真を撮影するが、高性能のカメラだったり、
4Kや8Kでの撮影だとそれにともなって化粧なども創意工夫が必要なんだろうな
と思う。同時にここからAVに活動を移した人のDVDを喜んでいる人がいたり
カワイイ子だなぁと思って撮影したのがキャンペーンガールをしていた頃の
はるな愛だったことを知った人はどんな思いなんだろうかなどと思ったり
してしまう。
4人ほど誰がどんな価値基準で選んだのかなというキャンペーンガールが
いたが、やはり8耐は色々な意味で特別だったりするなと思いを抱きながら
パドックへ。以前、デンソーのキャンペーンガールが寝る前に50回は最低限
腹筋をしていますという言葉を思い出す。まぁ、露出度が高い衣装を着ていて
下っ腹がプルプル震えていたらまずいわなぁとは思うし、まだらに日焼け
したら良くないので大変だなぁと思う。
11時の段階でメインスタンドと1コーナーよりの指定席はほぼ満員。
土日の来場者が多いだろうと思っていたが、意外にも日曜日のみの観戦の
人が多くて少々意外な印象を抱く。
サイティングラップがあり、ライダーの紹介を経て、いよいよレースへ。
レースに関することはかなりのメディアがすでに報じているので詳細は
省くが、個人的にはケーシー・ストーナー対ポル・エスパルガロのバトルが
見たかったがそれがオージーライダーというかホンダのマシンの転倒に
よって叶わなかったことが残念なのと意外とチームグリーンが思いのほか
戦闘力に欠けていたこと、SERTやGMTといったチームが耐久レースの戦い
方を知っていて、しっかりとレースをまとめてきたこと、BMW勢がもう少し
上位でフィニッシュするものと思っていたが、レースでは今ふたつスピード
がなかったことなどが印象に残るレースでした。
8時間ノートラブル、ノーストレスの圧勝というのはないと思うのですが
ヤマハファクトリーも目の前でラップ遅れのドゥカティが煙を吹いた時と
19時台のセーフティーカーランは気が抜けないことだったが、優勝する時は
勝ち運もあるものだと実感した。
ドゥカティのトラブルは真後ろではなかったから、まともにあおりを食うこと
なく済み、セーフティーカーの件は東西に長い鈴鹿では二台のセーフティーカー
がレースをコントロールして、二位のFCCテクニカルスポーツは半周遅れと
いうことになったことは非常に大きなことだったと思う。
結果、ヤマハファクトリーチームの優勝でフィニッシュ。二位がFCC
テクニカルスポーツで三位がチーム加賀山というヤマハ、ホンダ、スズキの
3メーカーが表彰台の三つの場所を分け合う結果となった。
ポル・エスパルガロのヘルメットの最後のメンテナンスを終えたマウリツィオ
と合流して、中部国際空港へと向かう。空港近くよりも鈴鹿のエリアの方が
恐らく時間から言っても食べる場所が多いだろうという考えで日本食の
レストランに入る。ずっと寿司と刺し身が続いていたので、疲れを取ることも
ありカツ丼とそばのセットを二人とも選択して食べる。
私自体はカツ丼を家で作ることはないのだが、親子丼は好んで料理する。
リミニで勉強していた時にかつてのマウリツィオ・ビターリファンクラブの
会長のオリアーノ・アルディーニやレッジョエミリアに居た時にダビデ・ブレガ
に親子丼を作って好評だったことを話す。また、現在、ダビデ・ブレガの
息子のニッコロ・ブレガがスペイン選手権で走っているのだが、ライディング
スキルとは別の部分で彼がライダーとして持っているキャラクターの部分に
関して話す。
ダビデ・ブレガの家に行った時に奥さんのナタリーが料理を作ってくれた
のだが、私はおいしいと思ったのだが、ニッコロ・ブレガは黙っていた。
そこで私が『彼女や奥さんや母親というのは子供においしい料理を出したい
と思ってスーパーで買い物をして子供が満足して欲しいと考えて料理を
しているもので、子供がおいしいと言ってくれたら頭の疲れも肉体疲労も
吹っ飛んでいくものなんだから、この料理がおいしいと思ったらおいしいと
言わなければいけないよ。』と話した。
でもって、ダビデ・ブレガが『ニッコロ。この料理はどう思う。おいしいかい』と
言ってようやく彼は小声で恥ずかしながら『おいしい』と言っていた。
そして、翌日は私が彼の家で親子丼、肉じゃが、お好み焼きを作ったのだが
大きな声で『yasu!最高の仕事。とてもおいしい』と言ってくれたことが
ありました。
つまり、いいライダーやチャンピオンというのは何か間違ったことをしたり、
正しいことに気づいたら、すぐに正しいことをちゃんとやるもの
で、ニッコロ・ブレガというのはそういう意味では多くのチャンピオンが
サーキット上でした修正とか改善ということができるライダーではないか
と思うし、そのことをダビデ・ブレガとナタリーとyasuは知っている
と話す。その修正能力に体力とか技術が加われば彼は大変楽しみな存在
だろうと話すとマウリツィオはかなり納得していました。
マウリツィオはニッコロ・ブレガをかなりいいライダーと技術的に
認識しているようで、怪我なく経験を重ねれば世界まではやってこれるのでは
ないかと考えているようだ。
食事後、セントエアの方面へ向かうが、かなりマウリツィオが眠くなって
いて、一旦給油とコーヒーブレイクを挟んで名古屋方面へ。
何とか眠気のピークが去り、伊勢湾岸自動車道を東へと進み、名古屋市港区
のエリアに入り、そこから北へ進み、我が家へ。
何と我が家まで送ってくれて、まだ起きていた両親に彼を紹介し、玄関先に
張っているエミリア・ロマーニャ州の敷物のイジェアマリーナのところに
彼にサインをしてもらってお別れ。ちょうど、その時にホテルからご丁寧
にも電話があり、中途の渋滞のこともあり、24時ぐらいの到着になると
伝えて、荷物を持って念の為にカーナビをセットして、別れる。
長いようで短かった今年の8耐が終わった。
到着してマウリツィオのいるホテルへと急ぐ。
7時20分には到着したが、彼の車はまだ駐車場。そんなわけで1階朝食
ルームで水を飲ませていただきながら待っていたら業界人がどんどんここに
やってくる。今回はユーロスポートフランスの力が入っているようで、彼らの
宿泊施設もここ。朝からフランス語を単語を探しながらうだうだと話している
ところにマウリツィオ登場。朝食を終えて、一緒にサーキットへと向かう。
8時10分には何とか彼はヤマハのオフィスに到着。昨晩のマッサージの効果が
あって、ぐっすり寝られたというか寝過ぎたから予定より10分ほど遅れての
到着である。
マウリツィオに与えられたパドック内駐車場が2コーナー近くの激観エリアで
そこから歩いて行く。まだ、4耐の参加チームの車やトラックはかなり多い。
チームによっては4耐だけのチームだが勉強のために残っていたり、
部品メーカーが揃うこういう機会にミーティングしたいということをらしい。
私はマウリツィオと違って徒歩10分の距離は車で移動するのではなくて
歩くべきという考えだが、坂道を10分歩くとさすがにこの天候では喉が
乾く。エミリアーノ・ベルッチのいるピットに行き、ウォーターサーバーで
いきなり500ミリリットルほど飲んでようやく落ち着く。
パドックからメインスタンドの裏手のイベントスペースに行き、各メーカー
やスポンサーのブースをうろつく。9時少し前の段階だが、かなり人が多く
なってきた。どこのブースもかなり盛況である。
ウォームアップが終わって、ピットウォークの時間。私もピットウォーク
に参加するが、本当にキャンペーンガールが多い。
まぁ、50以上のチームがキャンペーンガールを用意していて、あるチームは
一人だが、二人やなかには四人体制なんてところもあり、それ以外にメーカー
やタイトルスポンサーのコカコーラゼロやサーキットのキャンペーンガールが
いるとなると相当な数に及ぶ。そして、この時間でこの酷暑。それを想定
していて当然のことながら露出度は高く、数多くのセクシー系だったりカワイイ
系のキャンペーンガールがいるとなるとカメラ小僧の人数も半端ではない。
私も見ていて楽しいので写真を撮影するが、高性能のカメラだったり、
4Kや8Kでの撮影だとそれにともなって化粧なども創意工夫が必要なんだろうな
と思う。同時にここからAVに活動を移した人のDVDを喜んでいる人がいたり
カワイイ子だなぁと思って撮影したのがキャンペーンガールをしていた頃の
はるな愛だったことを知った人はどんな思いなんだろうかなどと思ったり
してしまう。
4人ほど誰がどんな価値基準で選んだのかなというキャンペーンガールが
いたが、やはり8耐は色々な意味で特別だったりするなと思いを抱きながら
パドックへ。以前、デンソーのキャンペーンガールが寝る前に50回は最低限
腹筋をしていますという言葉を思い出す。まぁ、露出度が高い衣装を着ていて
下っ腹がプルプル震えていたらまずいわなぁとは思うし、まだらに日焼け
したら良くないので大変だなぁと思う。
11時の段階でメインスタンドと1コーナーよりの指定席はほぼ満員。
土日の来場者が多いだろうと思っていたが、意外にも日曜日のみの観戦の
人が多くて少々意外な印象を抱く。
サイティングラップがあり、ライダーの紹介を経て、いよいよレースへ。
レースに関することはかなりのメディアがすでに報じているので詳細は
省くが、個人的にはケーシー・ストーナー対ポル・エスパルガロのバトルが
見たかったがそれがオージーライダーというかホンダのマシンの転倒に
よって叶わなかったことが残念なのと意外とチームグリーンが思いのほか
戦闘力に欠けていたこと、SERTやGMTといったチームが耐久レースの戦い
方を知っていて、しっかりとレースをまとめてきたこと、BMW勢がもう少し
上位でフィニッシュするものと思っていたが、レースでは今ふたつスピード
がなかったことなどが印象に残るレースでした。
8時間ノートラブル、ノーストレスの圧勝というのはないと思うのですが
ヤマハファクトリーも目の前でラップ遅れのドゥカティが煙を吹いた時と
19時台のセーフティーカーランは気が抜けないことだったが、優勝する時は
勝ち運もあるものだと実感した。
ドゥカティのトラブルは真後ろではなかったから、まともにあおりを食うこと
なく済み、セーフティーカーの件は東西に長い鈴鹿では二台のセーフティーカー
がレースをコントロールして、二位のFCCテクニカルスポーツは半周遅れと
いうことになったことは非常に大きなことだったと思う。
結果、ヤマハファクトリーチームの優勝でフィニッシュ。二位がFCC
テクニカルスポーツで三位がチーム加賀山というヤマハ、ホンダ、スズキの
3メーカーが表彰台の三つの場所を分け合う結果となった。
ポル・エスパルガロのヘルメットの最後のメンテナンスを終えたマウリツィオ
と合流して、中部国際空港へと向かう。空港近くよりも鈴鹿のエリアの方が
恐らく時間から言っても食べる場所が多いだろうという考えで日本食の
レストランに入る。ずっと寿司と刺し身が続いていたので、疲れを取ることも
ありカツ丼とそばのセットを二人とも選択して食べる。
私自体はカツ丼を家で作ることはないのだが、親子丼は好んで料理する。
リミニで勉強していた時にかつてのマウリツィオ・ビターリファンクラブの
会長のオリアーノ・アルディーニやレッジョエミリアに居た時にダビデ・ブレガ
に親子丼を作って好評だったことを話す。また、現在、ダビデ・ブレガの
息子のニッコロ・ブレガがスペイン選手権で走っているのだが、ライディング
スキルとは別の部分で彼がライダーとして持っているキャラクターの部分に
関して話す。
ダビデ・ブレガの家に行った時に奥さんのナタリーが料理を作ってくれた
のだが、私はおいしいと思ったのだが、ニッコロ・ブレガは黙っていた。
そこで私が『彼女や奥さんや母親というのは子供においしい料理を出したい
と思ってスーパーで買い物をして子供が満足して欲しいと考えて料理を
しているもので、子供がおいしいと言ってくれたら頭の疲れも肉体疲労も
吹っ飛んでいくものなんだから、この料理がおいしいと思ったらおいしいと
言わなければいけないよ。』と話した。
でもって、ダビデ・ブレガが『ニッコロ。この料理はどう思う。おいしいかい』と
言ってようやく彼は小声で恥ずかしながら『おいしい』と言っていた。
そして、翌日は私が彼の家で親子丼、肉じゃが、お好み焼きを作ったのだが
大きな声で『yasu!最高の仕事。とてもおいしい』と言ってくれたことが
ありました。
つまり、いいライダーやチャンピオンというのは何か間違ったことをしたり、
正しいことに気づいたら、すぐに正しいことをちゃんとやるもの
で、ニッコロ・ブレガというのはそういう意味では多くのチャンピオンが
サーキット上でした修正とか改善ということができるライダーではないか
と思うし、そのことをダビデ・ブレガとナタリーとyasuは知っている
と話す。その修正能力に体力とか技術が加われば彼は大変楽しみな存在
だろうと話すとマウリツィオはかなり納得していました。
マウリツィオはニッコロ・ブレガをかなりいいライダーと技術的に
認識しているようで、怪我なく経験を重ねれば世界まではやってこれるのでは
ないかと考えているようだ。
食事後、セントエアの方面へ向かうが、かなりマウリツィオが眠くなって
いて、一旦給油とコーヒーブレイクを挟んで名古屋方面へ。
何とか眠気のピークが去り、伊勢湾岸自動車道を東へと進み、名古屋市港区
のエリアに入り、そこから北へ進み、我が家へ。
何と我が家まで送ってくれて、まだ起きていた両親に彼を紹介し、玄関先に
張っているエミリア・ロマーニャ州の敷物のイジェアマリーナのところに
彼にサインをしてもらってお別れ。ちょうど、その時にホテルからご丁寧
にも電話があり、中途の渋滞のこともあり、24時ぐらいの到着になると
伝えて、荷物を持って念の為にカーナビをセットして、別れる。
長いようで短かった今年の8耐が終わった。
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