週刊プロレスの表紙について思う。
2015年2月26日 スポーツ 女子プロレスの喧嘩マッチでボコボコにされた女子レスラーの写真が
表紙になっていて、賛否両論が巻き起こっています。
http://weeklyprowrestling.com/2015/02/1549/
私としては、私生活で仲が悪いレスラー同士が戦うことで生まれる熱の
高さはあるべきだし、そういったマッチメイクをブッカーやマネージャーや社長が
求めたり、考えるのもありだと思います。
そう考えるとああいった試合が存在して、そして、一方的に潰されることも
あると思う。
そこでメディアがどういう写真を使って、どのように報じるのかを考えるという
ことが派生するのでしょうが、私は臭いものに蓋ということではなくて、残酷な
写真を読者なり視聴者に届けることには意味があると思っています。
私は98年にイタリアのリミニというところに住んでいました。
海を隔てて隣国は旧ユーゴスラビアです。
クロアチアやセルビアに関する話題が日常的に手に入る環境となりました。
その時に残酷な話も映像や写真と共に見ることもありました。それが何を
生み出したのか。
少し前にイスラエルとパレスチナが激しく交戦していました。
パレスチナサイドがGAZAテレビの情報発信などでかなり国際世論に訴えて
いましたが、その時に実にむごたらしい映像や写真もありました。
プロレスというのはかなり幅の広いジャンルなので、華麗だったり、美しかったり
するプロレス的な動きや余白のあるプロレスもありますが、同時にプロレスの本来
有している格闘性や喧嘩というジャンルが内包する汚く、酷くて、重いものも
あるわけで、そこが今回の喧嘩マッチではレスラーとマッチメーカーと団体の社長
がストップをかけるタイミングを間違えたり、リスタートを許したりして生まれた
ことだったと思います。
そこで起きてしまった大きな怪我というか重症を負った姿を見ることで考えたり
想像することはあると思いますね。
クロアチア人とセルビア人が紛争を起こしているという文章だけでは平和に暮らし
ている人はリアルに感じることができないことを重いリアリティのあるイタリア在住の
イタリア人も私を含めたイタリアにおける外国人も映像で感じることができました。
そして、統一ドイツがドイツに近い国を求めて、クロアチアをいち早く承認したことの
裏側がよく理解できました。
イスラエルとパレスチナでの2000年代前半までの状況では圧倒的にイスラエル
サイドが被害を受けた映像ばかりが流れた中でパレスチナサイドは情報発信で
遅れていて、パレスチナサイドでの悲惨な状況を見ることができなかったのですが、
昨年などは残酷で見るのが辛くなるような映像を見ることで肌身に感じることが
できました。同時に世界中の人々が想像を超えるようなイスラエルサイドの市民に
対する攻撃を理解するようになりました。それがヨーロッパ内における反イスラエルの
動きにつながりました。
今回の女子プロレスラーの変わってしまった顔のアップが表紙になったことで
考えたり理解できることがあると思います。
この団体の社長のロッシー小川氏はかつて、全日本女子プロレスで仲の悪い
レスラー同士を戦わせることで生まれた会場の熱などを知っています。
当時の全日本女子プロレスはプロレスの範囲内ながら、激しい戦いがあり、
それがプロレス内の攻防でありながら、ハードヒットが生まれて、プロレスに内包する
格闘技性や喧嘩性を表に出すことで発生する熱狂がありました。
ところが、今回はプロレスの範囲を逸脱した戦いになり、当事者には実力差があった。
実力差が少なかったり、防戦に回った側が技術や戦術があれば、あそこまで一方的に
ならなかった。そして、レフリーがストップしたが、そこから、マッチメーカーや団体の
社長もリスタートを許諾した。そして、さらにストップをかけることがなく、ようやく
タオル投入ということになったが、その判断はあまりにも遅すぎた。
そういったことで起きてしまったことを考えるには、あの表紙はありだと思います。
もちろん、反対したり、嫌悪感を感じる人の思いや感想もよく理解できます。
表紙になっていて、賛否両論が巻き起こっています。
http://weeklyprowrestling.com/2015/02/1549/
私としては、私生活で仲が悪いレスラー同士が戦うことで生まれる熱の
高さはあるべきだし、そういったマッチメイクをブッカーやマネージャーや社長が
求めたり、考えるのもありだと思います。
そう考えるとああいった試合が存在して、そして、一方的に潰されることも
あると思う。
そこでメディアがどういう写真を使って、どのように報じるのかを考えるという
ことが派生するのでしょうが、私は臭いものに蓋ということではなくて、残酷な
写真を読者なり視聴者に届けることには意味があると思っています。
私は98年にイタリアのリミニというところに住んでいました。
海を隔てて隣国は旧ユーゴスラビアです。
クロアチアやセルビアに関する話題が日常的に手に入る環境となりました。
その時に残酷な話も映像や写真と共に見ることもありました。それが何を
生み出したのか。
少し前にイスラエルとパレスチナが激しく交戦していました。
パレスチナサイドがGAZAテレビの情報発信などでかなり国際世論に訴えて
いましたが、その時に実にむごたらしい映像や写真もありました。
プロレスというのはかなり幅の広いジャンルなので、華麗だったり、美しかったり
するプロレス的な動きや余白のあるプロレスもありますが、同時にプロレスの本来
有している格闘性や喧嘩というジャンルが内包する汚く、酷くて、重いものも
あるわけで、そこが今回の喧嘩マッチではレスラーとマッチメーカーと団体の社長
がストップをかけるタイミングを間違えたり、リスタートを許したりして生まれた
ことだったと思います。
そこで起きてしまった大きな怪我というか重症を負った姿を見ることで考えたり
想像することはあると思いますね。
クロアチア人とセルビア人が紛争を起こしているという文章だけでは平和に暮らし
ている人はリアルに感じることができないことを重いリアリティのあるイタリア在住の
イタリア人も私を含めたイタリアにおける外国人も映像で感じることができました。
そして、統一ドイツがドイツに近い国を求めて、クロアチアをいち早く承認したことの
裏側がよく理解できました。
イスラエルとパレスチナでの2000年代前半までの状況では圧倒的にイスラエル
サイドが被害を受けた映像ばかりが流れた中でパレスチナサイドは情報発信で
遅れていて、パレスチナサイドでの悲惨な状況を見ることができなかったのですが、
昨年などは残酷で見るのが辛くなるような映像を見ることで肌身に感じることが
できました。同時に世界中の人々が想像を超えるようなイスラエルサイドの市民に
対する攻撃を理解するようになりました。それがヨーロッパ内における反イスラエルの
動きにつながりました。
今回の女子プロレスラーの変わってしまった顔のアップが表紙になったことで
考えたり理解できることがあると思います。
この団体の社長のロッシー小川氏はかつて、全日本女子プロレスで仲の悪い
レスラー同士を戦わせることで生まれた会場の熱などを知っています。
当時の全日本女子プロレスはプロレスの範囲内ながら、激しい戦いがあり、
それがプロレス内の攻防でありながら、ハードヒットが生まれて、プロレスに内包する
格闘技性や喧嘩性を表に出すことで発生する熱狂がありました。
ところが、今回はプロレスの範囲を逸脱した戦いになり、当事者には実力差があった。
実力差が少なかったり、防戦に回った側が技術や戦術があれば、あそこまで一方的に
ならなかった。そして、レフリーがストップしたが、そこから、マッチメーカーや団体の
社長もリスタートを許諾した。そして、さらにストップをかけることがなく、ようやく
タオル投入ということになったが、その判断はあまりにも遅すぎた。
そういったことで起きてしまったことを考えるには、あの表紙はありだと思います。
もちろん、反対したり、嫌悪感を感じる人の思いや感想もよく理解できます。
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