ビッグスポンサーの不在、自動車メーカーの支援の欠如など小規模チーム、
ノンメーカー系チームの活動には様々な難しさや困難が存在します。それは
いい時は何とかなりますが、物事が悪いほうに流れた時には撤退や企業としての
倒産に結びついてしまいます。そんな苦労を80年代からF1参戦活動の中で
何度もしてきたイタリア(というかファエンツァ)のミナルディチームとチームオーナーの
ジャンカルロ・ミナルディの土壇場力や粘り強さを再評価します。

 モトーリモデルニとの開発が希望が失望に変わった。スバルとは話を進めたが
これは危ういと思って手を引いた。フェッラーリのエンジンはお金が掛かりすぎた。
ランボルギーニも悪くはないが高かった。無限エンジンを得ようとしたが、トム・
ウォーキンショーにさらわれた。アジアテックは開発が止まってしまった。ハートは
いかにも小規模であり、やれることが限られていた。

 車体に評価が高くともエンジンがメーカー直結の供給関係を確保できずに
払ってエンジンを獲得することがほとんどだった。そんななかで、実力があって
スポンサーを持ち込めるというドライバーを探すことになる。色々な政治的な
しがらみのあるなかでやりたいこととできることの中でベストな妥協点を見つけて
活動してきたのがジャンカルロ・ミナルディのF1生活でした。

 ベストな妥協点が見つけられずにベストだったりグッドな妥協点だったりで
弱肉強食の世界で資金難の中で戦ってきた。しかし、何度も何度も何度も何度も
撤退の危機や合併や敵対的買収の局面を迎えながら、何とか生き残ってきました。

 日本人の中にある『痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり』を名作だと思うメンタリティ
の中で多くの日本人のF1ファンがミナルディにシンパシーを感じてきました。

 そして、私はトム・ウォーキンショーが無限エンジンを得ながら、鈴木亜久里を
全戦走らせずにシーズンを送った時に、あのイギリスの怪しくて危うい人に無限
エンジンのディールを考えるならばジャンカルロ・ミナルディと繋がって日本人を
全戦走らせるべきだったと思ったものでした。

 世界中どこへ行っても英語を話せばいいと思って、実際にそうしていて、ミナルディ
のような小規模チームはないほうがいいと思っていたロン・デニスですが、では
グリッド上ががらがらになったら困るのは間違いないでしょう。

 厳しいことばかりで苦労が多かったジャンカルロ・ミナルディですが、あの諦めの
悪さや粘り強さというのは素晴らしかったと思います。

 もちろん、時代背景も異なりますし、金額も違います。しかしながら、私の中では
ジャンカルロ・ミナルディを今こそ再評価すべきだと思いますね。USGP、HRT、
マルシャ、ケータハムに感じられなかったものをミナルディからは感じられたのは
間違いない事実だと思います。

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