MotoGP日本グランプリどたばた日記その二
2014年10月11日 スポーツ 金曜日の朝である。待ち合わせのホテルに行くと、まだAGV&ダイネーゼの二人は来ていなくて、ヤマハのマックスとエンジニア二人と出くわす。
そこにやってきたのがABカーディオンのメカニック達。いつものようにチェコ語で挨拶
するとマックスが驚いて『チェコスロバキア語も話すのか』と言う。イタリア人らしいといえば
らしいのだが、チェコ語とスロバキア語は同じ部分もあるが、違うところもあり、文化や
地政学も相似性もあるが離れているところもあるため、今は二国に別れている話を
する。そこから話題はカタロニアの分離独立の話へ。
ヤマハのエンジニアはカタロニア人なので、色々な思いがあるのだが、私の99年の
カタロニアグランプリは強い印象があり、アレックス・クリヴィーエの素晴らしい逆転勝利
で興奮した客がコースになだれ込んだが、一人がスペイン国旗を渡そうとしたら、違う
ファンがそれを奪い取って放り投げて、カタロニアの旗を渡す。そして、表彰式の国歌が
流れたときにはブーイングする。
あの光景を見ていた私は同じく国とは言っても、独立心が高いのを知っていたが、
果たしてスコットランドのあの結果の後のカタロニア人の考えはどうなるのかということを
話す。
スロバキアは人口550万で自らの国を求めて、チェコスロバキアからスロバキア共和国
となった。果たして、カタロニアはどうなるのだろうか。
そんなこんな話しているうちにAGV&ダイネーゼの二人が到着。
車中の人となる。
金曜日ということで途中込み合うところもあったが、サーキット到着。
フランス人ジャーナリスト連中と会う。バイク専門というジャーナリストのいるが
F1のほうもフォローしている人たちにとってジュール・ビアンキのことというのは
気になることである。私が名古屋人だと知ると、何か知っていないかと尋ねられるが
中日スポーツも中日新聞も中部地方の話題に強くても報道はFIAやビアンキファミリー
の発表する談話以外は出てこないわけで、できることは回復を祈るだけだと話す。
ファブリッツィオ・グイドッティと顔を合わせる。父親は元気か尋ねると元気だと
言う。元気がなくても孫と遊んでいるとレッドブルもモンスターも要らないくらい
元気があるから、こうして、三週連続のアジアーオセアニアシリーズとなると
子供の面倒を見るのが奥さんと祖父、祖母の役割になるわけで孫と一緒に
いたら元気になるのだろう。彼曰く、子供の前では『ひざがしんどい』と朝から
晩まで言うが、孫の前では痛みがなくなるらしい。
パオロ・スカレーアとジョバンニ・ザマーニの二人に会う。気になっていることがあり、
彼らには質問しやすいこと。それはランディ・ドゥピュニエの近い未来のことだが、
二人とも声を揃えてスーパーバイクだろうとのこと。就職活動していないときは彼女が
プレイメイトだからベッドの上のスポーツが忙しいだろうし、彼女も稼げているだろう
なんてイタリアンジョークを飛ばすが果たして来季、彼がスーパーバイクで走れる
のだろうか。
また、日本にもかつてプレイボーイもペントハウスもあったが、すでになく
ネットで好きなヌードが見られたうえにDVDがこれだけたくさんのソフトがあり、
レンタルが発達しているので日本は出版不況であると話すともともと雑誌とスポーツ紙
が出身の彼らの顔が曇る。ウェブでの活動が多い彼らでもやはり紙という文化に
強い思いがあり、そこが日本でもイタリアでも下降線をたどっているとなると
イタリアンジョークを飛ばすような顔つきからずいぶん変わるものである。
AGVのオフィスに戻り、チームスカイVRのルーキー二人と話す。ここに来る前に
プレステで予習はしたが、やはり実際走るとなるとサーキットのアンジュレーション
やら風の方向などで何回も走っているライダーとの違いを痛切に感じているようだ。
私はこのサーキットは好きではなくて、アッセン、ブルノ、バルセロナが好きだと
話すと確かにこの三つはいいタイムが出たときの爽快感があると話してくれた。
昨日会えなかったマウロ・ノッチョリと会う。彼が言うにはジュール・ビアンキの
鈴鹿の事故はドライバーの責任だけでなくて、赤旗の掲示の遅さだったり、
サーキットのレイアウトであったりと複合的な要因があるし、努力で防げる部分が
あったと言う。
まぁ、古いサーキットは700馬力の車、220馬力のバイクがなかった時代に設計
されたわけで、時代にそぐわないところはあるのだろう。まぁ、新設のサーキットが
ハードもソフトも今の車やバイクのスピードを考慮して作られているのは確かである。
その後、スカイのインタビューに応える。Moto2クラスのテレビ解説は
マウロ・サンキーニ。99年に彼がスズキのマシンでスーパースポート世界選手権で
走っていたときの僚友である。そんなわけで、彼に関して話してくれと言われて
少々話した後に、ジョバンニ・サンディにPS4を売っている場所や金額、イタリアで
使えることかどうか調べて欲しいと調べたり、ジーノ・レアの親父と昔話をしたり
しながら過ごして、水戸へ戻る。
そこにやってきたのがABカーディオンのメカニック達。いつものようにチェコ語で挨拶
するとマックスが驚いて『チェコスロバキア語も話すのか』と言う。イタリア人らしいといえば
らしいのだが、チェコ語とスロバキア語は同じ部分もあるが、違うところもあり、文化や
地政学も相似性もあるが離れているところもあるため、今は二国に別れている話を
する。そこから話題はカタロニアの分離独立の話へ。
ヤマハのエンジニアはカタロニア人なので、色々な思いがあるのだが、私の99年の
カタロニアグランプリは強い印象があり、アレックス・クリヴィーエの素晴らしい逆転勝利
で興奮した客がコースになだれ込んだが、一人がスペイン国旗を渡そうとしたら、違う
ファンがそれを奪い取って放り投げて、カタロニアの旗を渡す。そして、表彰式の国歌が
流れたときにはブーイングする。
あの光景を見ていた私は同じく国とは言っても、独立心が高いのを知っていたが、
果たしてスコットランドのあの結果の後のカタロニア人の考えはどうなるのかということを
話す。
スロバキアは人口550万で自らの国を求めて、チェコスロバキアからスロバキア共和国
となった。果たして、カタロニアはどうなるのだろうか。
そんなこんな話しているうちにAGV&ダイネーゼの二人が到着。
車中の人となる。
金曜日ということで途中込み合うところもあったが、サーキット到着。
フランス人ジャーナリスト連中と会う。バイク専門というジャーナリストのいるが
F1のほうもフォローしている人たちにとってジュール・ビアンキのことというのは
気になることである。私が名古屋人だと知ると、何か知っていないかと尋ねられるが
中日スポーツも中日新聞も中部地方の話題に強くても報道はFIAやビアンキファミリー
の発表する談話以外は出てこないわけで、できることは回復を祈るだけだと話す。
ファブリッツィオ・グイドッティと顔を合わせる。父親は元気か尋ねると元気だと
言う。元気がなくても孫と遊んでいるとレッドブルもモンスターも要らないくらい
元気があるから、こうして、三週連続のアジアーオセアニアシリーズとなると
子供の面倒を見るのが奥さんと祖父、祖母の役割になるわけで孫と一緒に
いたら元気になるのだろう。彼曰く、子供の前では『ひざがしんどい』と朝から
晩まで言うが、孫の前では痛みがなくなるらしい。
パオロ・スカレーアとジョバンニ・ザマーニの二人に会う。気になっていることがあり、
彼らには質問しやすいこと。それはランディ・ドゥピュニエの近い未来のことだが、
二人とも声を揃えてスーパーバイクだろうとのこと。就職活動していないときは彼女が
プレイメイトだからベッドの上のスポーツが忙しいだろうし、彼女も稼げているだろう
なんてイタリアンジョークを飛ばすが果たして来季、彼がスーパーバイクで走れる
のだろうか。
また、日本にもかつてプレイボーイもペントハウスもあったが、すでになく
ネットで好きなヌードが見られたうえにDVDがこれだけたくさんのソフトがあり、
レンタルが発達しているので日本は出版不況であると話すともともと雑誌とスポーツ紙
が出身の彼らの顔が曇る。ウェブでの活動が多い彼らでもやはり紙という文化に
強い思いがあり、そこが日本でもイタリアでも下降線をたどっているとなると
イタリアンジョークを飛ばすような顔つきからずいぶん変わるものである。
AGVのオフィスに戻り、チームスカイVRのルーキー二人と話す。ここに来る前に
プレステで予習はしたが、やはり実際走るとなるとサーキットのアンジュレーション
やら風の方向などで何回も走っているライダーとの違いを痛切に感じているようだ。
私はこのサーキットは好きではなくて、アッセン、ブルノ、バルセロナが好きだと
話すと確かにこの三つはいいタイムが出たときの爽快感があると話してくれた。
昨日会えなかったマウロ・ノッチョリと会う。彼が言うにはジュール・ビアンキの
鈴鹿の事故はドライバーの責任だけでなくて、赤旗の掲示の遅さだったり、
サーキットのレイアウトであったりと複合的な要因があるし、努力で防げる部分が
あったと言う。
まぁ、古いサーキットは700馬力の車、220馬力のバイクがなかった時代に設計
されたわけで、時代にそぐわないところはあるのだろう。まぁ、新設のサーキットが
ハードもソフトも今の車やバイクのスピードを考慮して作られているのは確かである。
その後、スカイのインタビューに応える。Moto2クラスのテレビ解説は
マウロ・サンキーニ。99年に彼がスズキのマシンでスーパースポート世界選手権で
走っていたときの僚友である。そんなわけで、彼に関して話してくれと言われて
少々話した後に、ジョバンニ・サンディにPS4を売っている場所や金額、イタリアで
使えることかどうか調べて欲しいと調べたり、ジーノ・レアの親父と昔話をしたり
しながら過ごして、水戸へ戻る。
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