かつて世の中に出始めた頃の金子達仁の代表作というのはクルム伊達公子が
90年代に世界で戦っていた時の記事だったと思うのですが、その彼が長い時間を
経て顔を合わせてナンバーで記事化されました。

 まぁ、あの二人の口から出てくることですから、色々な意味で私の脳みそを刺激
してくれるのですが、一つ印象的だったのは昨年の東レパンパシフィックオープンで
話題になった観客がエラーやバッドショットの時に出してしまうため息の話ですね。

 私がテニスを見ている時に応援しているプレイヤーというのはイタリア系だったり
フランス系だったり、チェコ人だったりするので観戦している時に日本語頭で考えて
いないことが多い。

 でもって、応援しているプレイヤーのミスショットで当然、ため息をつくこともあるのです
が、すぐにイタリア語やフランス語やチェコ語で激励するような単語がすぐに出てきます。

 日本人が日本語頭で考えて、静かに観戦するということが大会会場のマナーであると
いう共通認識が横たわっているとどうしてもため息の後に、激励や応援するような
言葉が出てこないのかなという気がしましたね。

 無神経に騒ぐということはダメダメだと思うのですが、ため息をついた後に、すぐに
声援を送れば、コートにどんよりとした暗い空気感が漂うことはないと思いますね。

 プレイヤーが嫌だなと思うようなことを客が目的ではなくても、結果的にしてしまう
ことはプレイヤーサイドとしては不幸だと思いますね。日本での厳粛な空気感が漂う
中で静かに見るというのは素晴らしいと思う一方で、それがため息の問題につながって
いる。そして、今回の記事にあった日本ではスポーツが文化として成立していないという
ことから発生しているのかなと思いましたね。そう言えば、テニスマガジン誌上の
連載ページでいつだったか、松岡修造もテニスの大会で声援をすること、応援している
ことの楽しさを提言していたな。

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