ホテルから例によって、ハイエースに乗り、パドック前ゲートに到着。今日も暑い。
ハイエースから降りて、ノーランのオフィスに行くまでにもう喉が乾く。名古屋では徒歩十分
が遠いと入って車の鍵を握る奴は怠け者の生活習慣病予備軍で環境破壊者だと思うが
ここでは年寄りや子供は酷暑で歩くのは危険だと改めて思う。

 いきなり、フランシス・バッタと会う。久しぶりの再会である。彼とは同じ場所にいたり、
倒すべきチームのマネージャーだと考える立場だったりと色々な立ち位置であったが
こうして会えばうだうだ話すことになる。

 まぁ、日本人には受け入れ難いキャラクターの人だと思うが、私は話していて楽しい。
アルスタースズキ時代の最後の二年間や別れるときにこじれたことを知っているから
彼から『我々とスズキはずっといい関係で成果も結果もでて大満足だった。』という
言葉は素直に受け止めるのは難しい。ある意味、日本人だからという部分で話して
いるのだろう。

 ドゥカティとの別れ、BMWとの難しい関係などに関して話してくれて、現在はビモータ
との関係を築いているが、彼は来年以降、あのビモータのバイクをベルギーの自らの
チームでメンテナンスした上で、各国のスーパーバイクに参戦しているチームに販売
していこうということだった。そこで、かつてフランスのエンジニアグループ
と共にスーパーバイク世界選手権に参戦していた中国のチームところにコネはないか
などと話してきたが、残念ながら、あのチームで話していたのはフランス人ばかりである。

 フランシス・バッタと『また、後で』と告げて別れ、スーパースポートクラスのSMSレーシング
の連中と会う。彼らはチェコのブルノのチームであり、アイスホッケーが国技の国であり
昼間から当然のようにビールを飲む連中である。暑すぎることやビールが飲めないことは
辛いもので、その気持はよくわかる。

 私が以前、マレーシアで住んでいた時の話になり、五ヶ月居ても、チェコ語を話す機会
は二回だけで、一回はたまたまスロバキア人のバスケットボールの選手と会った時。
もう一回は女子テニスのマレーシアオープンでルーシー・サファローバと会った時だけ
であったと話す。私とルーシーは彼女が大阪スーパージュニアで戦っていた時から
知っているので、彼女とディナラ・サフィナとの試合でかなりもつれて厳しい試合になり
私がこれはまずいと思って、必死こいてチェコ語で声援を送りはじめました。

 結果、ファイナルセットでそれまで微妙にエラーになっていたショットが入り、見事に
勝って、試合後にハイタッチして、ハグしていたら、周りのジモッティの観客に
『コーチおめでとうございます。』と声がけされた話をしたら喜んでいた。

 まぁ、レースの世界ではなかなかファンの声援は聞こえないが、テニスコートは容易
に耳に入るのは大きな違いではある。それまで応援があろうとなかろうと実力のあ
る人が勝って、劣る人が負けるものだと思っていたが拮抗した戦いになった時には
応援というのは大きな力を生むものだとあの時に知ったなんて話をして過ごす。

 プチェッティカワサキのパドックに行く。今回、よくわかったのは、このチームは
レッジョエミリアのチームであり、その地縁がチームのメンバー構成に大きく影響
している。そう、かつてのチームライトスピードカワサキのメンバーが結構いるので
懐かしさを感じる。

 午前中のセッションを終えて、ノーランヘルメットのオフィスに行くと、クラウディオ・コルティ
がこのオフィスの脇のスペースに子供向けのプールに空気を入れて、水をザブザブ入れて
浸かっていた。MVアグスタのスーパーバイククラスのライダーがイタリアのコモ出身で
子供の頃はアイスホッケーのプレイヤーだった彼で、スーパースポートクラスのライダーが
ロシア人である。まぁ、サーキットを走って、汗みどろで血液ドロドロであるわけだから
子供向けのプールを設けて、そこにしばらく浸かるのは正解だろう。

 マレーシア国内選手権のセッションが始まり、アルスタービモータのピットに行くと
フランシス・バッタはいなくて、かつて、ジモータースポーツで一緒だったメカニックと会う。
彼にバッタは居ないと言われ、こういうネタを作ったんだけどと言って、書いたものを
見せる。『これはいいんじゃないか』と言われ、チームの仮設オフィスに居るから私に行けよ
と言われ、そちらに行くことにする。

 フランシス・バッタは食事を終えたところで、ライダー、メカニック、イギリス人ジャーナリスト
と一緒であった。アイルトン・バドビーニが居たので、まずは彼に書いたネタを見せると
喜んで、『これはすぐに渡さないとな』と言われ、コーヒータイムとなったバッタにお渡しする。

 ネタというのは大塚愛の『さくらんぼ』という曲があって、それを聞いた時にフランシス・バッタ
と奥さんのパトリッツィアの二人というのはリアルさくらんぼだなということをイタリア語で
映画ネタを多少散りばめながら書いたものなのだが、彼が読み始めるとひどく感激していた。

 『君は泣かせるなぁ』なんて言って、『これをあとでくれ』なんて言うが、さっさとサインを
入れてお渡しする。他のイタリア人も驚きながら面白がってくれたが、一人蚊帳の外
なのがイギリス人ジャーナリスト。この文章はイタリア語の表現とイタリア語で韻を踏み
イタリア映画ネタを散りばめながら作ったわけなので、単純に英語に訳しても良さが
伝わらない。この文章の良さを理解するにはイタリア語力が必要なネタではある。

 ここでよく冷えたコーラをいただき、ノーランヘルメットのオフィスに戻り、ランチをいただく。

 マレー料理のお弁当のようなものをノーランの連中はゲットしていたのだが、その後に
スズキから寿司の差し入れが入ることになり、彼らの好みは寿司なのでマレー料理を
捨てるなら私にあげようということになり、まんまとランチをゲットできたわけだ。
(しかも二箱、つまり二人前)

 ピレリのブースに出かける。マレー料理をがっつり食べて口の中に唐辛子が残っている
感覚がある。『あぁ、ビール飲みてぇ』とつぶやくと、同じことを多くのイタリア人のピレリの
スタッフは感じているようだ(今回はビールの国のドイツ人スタッフはマレーシアに来て
いなくてドイツ選手権、イタリア選手権、スペイン選手権に出かけている)私と彼らは
泊まっているホテルは違うが、周りに中華系の経営のショップはなくて、マレー系の
商店ばかりでビールを売っていない。この暑さはドイツ人ではなくて、イタリア人のピレリの
連中もビールを欲しがるものである。

 イタリアのメディアセットの連中と顔を合わせる。MotoGPの話になり、ブリヂストン
撤退以降はダンロップが出てくるのか、ミシュランなのか、あるいはピレリなのかという
話になるが、彼らが想像しているのはミシュランということらしい。イタリアのスーパーバイク
クラスでチームバルニがミシュランの実質的ワークスチームとして活動して、ビッグバイク
でそれまで色々なバイクだったり、タイヤを装着して乗った経験のあるマッテオ・バイオッコとイバン・ゴイにテスター兼実戦ライダーとしてインプレッションを聞きながら開発を
進めてイタリアスーパーバイクのタイトルを奪いながら開発を進めて、ブリヂストン撤退
後の翌年の開幕戦に備えているということらしい。

 その後、マレーシアのMVアグスタの代理店の方とうだうだ話したり、チームロリーニの
リカルド・ルッソと彼の父とお茶したりしながら過ごして、時を過ごし、すべてのセッションを
見終わって、帰路につく。明日は決勝である。タイヤをどう持たせるのだろうか、ライダー
の集中力が持つのだろうか、体調は大丈夫なのだろうかと思いながら日曜日の午後の
レースを想像する。

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