ネットカフェで目が覚めて、ホテルのロビーへと向かう。二時に寝て八時に起きる
生活の私がタイムテーブルをがらっと変える週末の始まりである。

 イタリア人二人が少々遅れてくるのでロビーにあるネットでヤフーの天気予報を
チェック。進路が南方に逸れるようなので、台風直撃は避けられるようだが金曜と
土曜日の午前中は雨。特に今日は明らかにずっと雨になりそうである。

 車中の人となり出発。この程度の雨だったら、今日の走行は可能かなと思っていたが
徐々に雨が強くなる。そして、この雨がずっと続くとなるとどうなってしまうのだろうか。
一瞬でも止むことはあるのだろうかと思いながら過ごす。

 レース業界の昔からいる人間と一緒なので歴史に残るレースやライダーの話題になる
のだが、私が雨のレースで思い出すのはかつてのスーパーバイク世界選手権の
レースでアンソニー・ゴバートがビモータのマシンで制したオーストラリアラウンドである。

 開幕直後、明らかに競争力の低さが露呈されたビモータのマシン。ミシュランはドゥカティ
偏重主義でワークスタイヤは1セットしか供給されないという体制。

 この年はドゥカティ、アプリリアのイタリアの二メーカーと日本のホンダ、ヤマハ,スズキ、
カワサキの四メーカーがファクトリー体制で参戦。人もモノのお金も明らかに違い、
マシンの速さの違いが際立った状況で頼りは持って生まれた才能がありナチュラルに速
くて、地元でサーキットの隅々まで理解できているアンソニー・ゴバートの能力と経験
に頼り何とかポイントを獲得しようというシーズン。

 その劣勢を覆したのがオーストラリアの雨。正にアンソニー・ゴバートとビモータには
恵の雨で『空が泣いた時にアンソニーが笑った。』『従業員五十人の小さなメーカーの
大きな勝利』色々な言われ方をした素晴らしいレースであり、アンソニー・ゴバートという
ライダーの能力が発露された素晴らしいレースでした。

 あの時のレースというのは本当に印象的であり、ドゥーハンの次はこいつだろうと
言われながら、私生活の乱れというかマリファナ好きで快楽主義的すぎてうもれてしまった
natural born riderの輝きは多くのレースファンのハートをつかみ、業界関係者に
"go show once again"と思わせるものでした。

 あの時のレースのことを思い出しながら、もてぎ到着。まぁ、かなり霧がかかっている
なという印象を抱きながらセッションの開始を待つ。

 慌ただしい金曜日の午前であるが、雨は予想ほど激しくならないが、霧がかかっていて
レースディレクションはスタートディレイを決定。

 パドック内ではやはりアンドレア・アントネッリのモスクワでの悲劇の思いが共有
されているせいか、この決定に割に肯定的に受け止めている人が多く、セッション開始
の時間を粛々と待ちながら目の前の仕事を進めていく。
http://yasumarzo.diarynote.jp/201307222356058926/

 少しづつ霧は晴れてきたが、雨は変わらない。まぁ、このコンディションだとセッションが
始まっても走る人は少ないだろうなと思いながら、いつだったか、もてぎで予選の時の
Moto3マシンが全然走らずにイタリアのメディアセットのスタッフが私を呼び寄せて、
急遽ゲスト開設者となって全日本選手権のこと、メーカーの動きのことなどを話すこと
になったときのことを思い出す。

 しばらくしていると、霧は薄くなってきたのだが、セッションはそのままディレイのまま。
なぜなのかと思っていたら、場内のFMで遠く離れた病院からヘリコプターが飛ばない
ためにセッションを開始できないということがアナウンスされた。

 幸運なことにサーキットは大雨にならなかったが、重大な事故が起きた時に街から
かなり離れたサーキットから救急搬送となると一刻を争う場合は車では救える命が
救えなかったり、状況が悪化する。それを避けるためにヘリコプターで搬送となるの
だろうが、ヘリコプターが飛ぼうとするエリアがとんでもない雨だったり、病院から
サーキットに来る経路が霧と雨であったらサーキットまで辿りつけないわけでサーキット
で雨が豪雨にならずに良かったと思っていたらレースができない状況が生まれていた
というわけである。

 まぁ、慌ただしいはずの金曜日の朝であったが、文字通り水を刺された状況である。
強い雨が少し雨粒が細くなったので、外に出て昨日会えなかった連中と顔を合わせる。

 雨がいつまで続くのか、土曜と日曜はどうなるのかということと同時にチーム
マネージャーやスタッフ、ライダー、メカニックは理由は考えるまでもなくこの雨だと
思っていたようで私から説明を聞いて、そういうことなのかと思いを抱いたり、
ここだけでなくて、アラゴンやザクセンリンクでもありえる話だなと口にしたり様々な
反応を見せていました。

 いつになったら、セッションに入れるのだろうかと思いながら午前中のセッションの
時間終了。時が来るのを待つしかないが、サーキットは霧が薄くなったり、雨がやまない
までも小雨になったりするが新たな動きはない。

 どうやら私が考えていたようにかつての鈴鹿のF1で台風が来た時に行われた
日曜日の午前に予選を行い、午後にレースということもあるえるのではないかと
思えてきた。

 また、これは何もここだけの問題ではなくて、世界選手権が開催されるサーキットが
街中にはないし、街の中心部から離れていることが多いわけで、サーキットでは
走行できる状況でもヘリポートを備えた救命センターを有する大病院の所在地が
大雨だったり、霧が発生していたり、病院とサーキットの間のエリアで飛行が制限
されるような天候だったら同様の事態も起こり得るだろうと話す。

 今までになかったことや想定外の話ではあったが、可能性は低いがこういうことも
考えないとレースは開催できないし、ある意味地方の当局と密接な関係を構築していない
とレースはできないものだと改めて感じるような出来事でありました。

 午前中のセッション中止で午後からのセッションに気持ちを切り替えて仕事をしていたが
午後からのセッションも事態は変わらないという正に非常事態。

 びしょ濡れにはならない程度の雨であったので、顔を合わせていなかった連中に
会いに行き、台風の進路と予報を伝えに行き、話しているとやはり午後からのセッションも
中止となり、土日の予定に関する緊急ミーティングが行われるという話を聞く。
果たしてどういう改良スケジュールとなるのか、スケジュールを立てても雨が全てを
壊してしまい、更なるスケジュール改訂を余儀なくされるのではないかという懸念が
パドック内を包み込むなか帰り支度をして水戸へ戻る。

 水戸に戻り、買い物での通訳やら情報収集をお手伝いをして水戸駅周辺へ。
今日は私ひとりの単独行動になるのでぶらぶら歩く。水戸の駅周辺に泊まっている
連中は当然のことながらこのあたりをウロウロしているので行く先々で顔を合わせて
通訳したり、質問を答えるという時間を過ごしてお腹が空いたのでサイゼリアに行くと
そこにはNGMモバイルのメカニックとチームスタッフ。

 旧知の仲なのでここでとなりのテーブルに座り夕食。元気があって、三週連続の
レースで彼女や奥さんに会えない男が考えることというのは単純に理解できるものである。

 そんなわけで日本のフーゾク事情に関して説明。興味はあるようだし、ものすごく
行きたいようだが、水戸から日帰りするには吉原や川崎は遠い。また、外国人も
ウェルカムというのはどれぐらいあるのか私にはわからないしあまり日本円を持たない
ように過ごしている連中ばかりなのでカードで支払いできるのがどれぐらいあるのか
知らないし、AVの場合はジャケットでの容姿がきれいだとか可愛いと思い、それが正しいのかどうかをウェブでサンプル映像で判断を下すことができる。

 しかしながらフーゾクに関するとマジックミラー越しに見て指名できる場所はともかく
そうでないところは写真と実際が違うと腹が立ったり、失望することになることなどを
うだうだ話す。

 その後、東京の後のオリンピックがローマになるのかパリなのかなどと話をしながら
時は流れ、彼らはホテルへ私はネットカフェに入る。

 もてぎはMotoGPでインドはF1である。ウェブ上の情報を収集しながら過ごして
眠りにつく。

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