ワールドスーパースポートモンツァラウンド。ロウズの強さ、レースの素晴らしさ。
2013年5月13日 スポーツ 三度の赤旗が出てしまい、スケジュールは変更になり、レースディスタンスも10周という
超スプリントレースとなったスーパースポートクラス。しかし、非常に面白いレースでした。
予選二番手のフローリアン・マリーノが四回とも素晴らしいスタートを見せた一日。
優勝争いはポールスタートのロウズ、マリーノ、ソフオーグルとルッソのカワサキ勢、
そしてザネッティのホンダの争いになりました。
レース中盤、非常に不可解に思えるクラッシュでソフオーグルが離脱し、四人による
ハイスピードバトルとなりました。
そんなレースの残り二周でロウズのヤマハが抜け出し、後続を突き放して優勝。
彼の強さとヤマハの傑作バイクR6のレベルの高さを示しました。
二位争いは最後の最後まで競り合いになりましたが、フローリアン・マリーノが
ザネッティを突き放して獲得。三位にザネッティ、四位にルッソとなりました。
ロウズという素晴らしいライダーの勝負強さとレース運びの上手さを感じたレース
でしたが、同時に感じたのは二位から四位までライダーのレース人生がこのモンツァで
変わったのではないかというものでした。
チェコのインターモトポニーエクスプレスというチームで思わぬ形でカワサキを走らせる
ことになったフローリアン・マリーノ。彼は実質的なホンダワークスと言えるテンカーテ
ホンダ時代に輝くことができずにチームを離れることとなり、あまりいい環境でレースを
することができないでいました。
昔のチェコスロバキアという国の体制とプラハの春という運動とその挫折。
そして、グスタク・フサークによる『正常化』これに対して、国を離れるという選択をした
多くのチェコ人やスロバキア人がいます。
その中の人が向かった先が西側諸国であり、フランスに居を構えた人も数多くいました。
その在フランスチェコ人が技術や人脈と言語能力を持っている人が世界選手権に
出てきたチェコのチームとつながったのは偶然でもありますが必然でもありました。
昨年のファビアン・フォレとロメイン・ラヌースというあのチームのラインナップは
そんな業界内の人間関係とカワサキフランスおよびカワサキヨーロッパのサポートが
あり成立しました。
一度、いい体制で走るチャンスがありながら、そのチャンスを生かせなかった
フローリアン・マリーノがフランス人であり、チェコのチームにはパスポートを
気にしない柔軟性があり、コーディネートする在フランスチェコ人が尽力することに
よって創造されたカワサキのバイクでスーパースポート世界選手権を走るという
ビッグチャンス。彼が今年、このチャンスを得てこれをモノにしなかったらどんな未来が
待ち受けていたのでしょうか。
フランス訛りの英語でチームやスポンサーや関係者に感謝の言葉を並べていた
ところを見て、色々な思いが私の脳みそを駆け巡りました。
ロレンツォ・ザネッティというライダーの業界内評価というのは決して高いものでは
ありませんでした。
その彼が今季、実質的なホンダワークスと言えるテンカーテホンダに加入する
ことになり、CBR600を走らせることになった時に言われたのは2013年シーズンに
テンカーテのタイトルスポンサーになるのはイタリアのポテトチップスやスナック菓子
メーカーのパタのおかげであり、彼がイタリア人であるからというものでした。
払って乗るライダー、スポンサーを持ち込んで走ることができるライダーというのは
たくさんいます。今のレースの世界では珍しいことではありません。
しかし、そうして走ることができる環境ができても、いい走り、優秀な成績を残せるか
どうかはライダーの走る才能やマシンの開発能力にかかっています。
スポンサーのおかげや国籍のために走ることができるというやっかみの声を黙らせる
のはサーキットでのタイムと順位のみです。
ロレンツォ・ザネッティは表彰台に昇り、ライダーとしての評価を上げました。
熾烈な優勝争い、表彰台をめぐる戦いに敗れたものの、ファンや関係者に祝福
されていたのがリカルド・ルッソでした。
昨年までストック600選手権で戦っていた彼が、ステップアップを考えていたのは
当然のことでした。
しかしながら、彼自身にはスポンサーなり持ち込み資金がない。(あるいは乏しい)
実績と能力はありながらも、チームやカテゴリーを選ぶ上で難しいシーズンオフを
送りました。
その彼がイタリアモーターサイクル協会のサポートとカワサキイタリアの理解と
支援によって、フル参戦はかなわないものの、ヨーロッパラウンドのスーパースポート
世界選手権参戦が開幕がかなり近づいた時期に発表になりました。
彼の周りのスタッフができうる限りの努力をして、構築した参戦体制が前述のもの
でした。
初めての世界選手権。乗り慣れたヤマハではなく、カワサキのマシン。
彼が学んだり、理解しなければいけないこと、甘受して飲み込まなければいけないことは
多かった冬の終わりと春の始まりでした。
その彼がモンツァで走った経験と持っている能力と闘争心でトップ争いに加わりました。
レースウィナーはサム・ロウズでしたが、二位から四位のライダーの背景を考えると
色々な思いが私に宿ります。
フローリアン・マリーノには彼自身諦めることが害悪であることやレースの内部や
チェコのチームが世界選手権にやってきたという偶然や過去にチャンスを生かせなかった
ライダーでも強い思いと学習したり理解できるようになったことを利用して速く走ること
になったというライダーの世界選手権レベルでの敗者復活戦での鮮やかな失地回復
運動がモンツァのサーキットで見ることができました。
ロレンツォ・ザネッティにはスポンサーや周りのスタッフのおかげでいい体制で
走ることができてもそれを生かすも殺すも本人次第。彼は与えられた道具や所属する
チームや走らせるバイクを最大限活かして評価を高めたなと思いました。
リカルド・ルッソには若くて元気で能力のあるライダーがマシンを変えながらも
素晴らしい学習能力と闘争心で成長を続けていることを見せてもらいました。
勝ったのはサム・ロウズとヤマハの傑作バイクのR6。しかし、ヒーローがウィナー以外にも存在したことを感じ、改めてレースというのはいいものだなと思ったモンツァの
スーパースポートクラスのレースでした。
超スプリントレースとなったスーパースポートクラス。しかし、非常に面白いレースでした。
予選二番手のフローリアン・マリーノが四回とも素晴らしいスタートを見せた一日。
優勝争いはポールスタートのロウズ、マリーノ、ソフオーグルとルッソのカワサキ勢、
そしてザネッティのホンダの争いになりました。
レース中盤、非常に不可解に思えるクラッシュでソフオーグルが離脱し、四人による
ハイスピードバトルとなりました。
そんなレースの残り二周でロウズのヤマハが抜け出し、後続を突き放して優勝。
彼の強さとヤマハの傑作バイクR6のレベルの高さを示しました。
二位争いは最後の最後まで競り合いになりましたが、フローリアン・マリーノが
ザネッティを突き放して獲得。三位にザネッティ、四位にルッソとなりました。
ロウズという素晴らしいライダーの勝負強さとレース運びの上手さを感じたレース
でしたが、同時に感じたのは二位から四位までライダーのレース人生がこのモンツァで
変わったのではないかというものでした。
チェコのインターモトポニーエクスプレスというチームで思わぬ形でカワサキを走らせる
ことになったフローリアン・マリーノ。彼は実質的なホンダワークスと言えるテンカーテ
ホンダ時代に輝くことができずにチームを離れることとなり、あまりいい環境でレースを
することができないでいました。
昔のチェコスロバキアという国の体制とプラハの春という運動とその挫折。
そして、グスタク・フサークによる『正常化』これに対して、国を離れるという選択をした
多くのチェコ人やスロバキア人がいます。
その中の人が向かった先が西側諸国であり、フランスに居を構えた人も数多くいました。
その在フランスチェコ人が技術や人脈と言語能力を持っている人が世界選手権に
出てきたチェコのチームとつながったのは偶然でもありますが必然でもありました。
昨年のファビアン・フォレとロメイン・ラヌースというあのチームのラインナップは
そんな業界内の人間関係とカワサキフランスおよびカワサキヨーロッパのサポートが
あり成立しました。
一度、いい体制で走るチャンスがありながら、そのチャンスを生かせなかった
フローリアン・マリーノがフランス人であり、チェコのチームにはパスポートを
気にしない柔軟性があり、コーディネートする在フランスチェコ人が尽力することに
よって創造されたカワサキのバイクでスーパースポート世界選手権を走るという
ビッグチャンス。彼が今年、このチャンスを得てこれをモノにしなかったらどんな未来が
待ち受けていたのでしょうか。
フランス訛りの英語でチームやスポンサーや関係者に感謝の言葉を並べていた
ところを見て、色々な思いが私の脳みそを駆け巡りました。
ロレンツォ・ザネッティというライダーの業界内評価というのは決して高いものでは
ありませんでした。
その彼が今季、実質的なホンダワークスと言えるテンカーテホンダに加入する
ことになり、CBR600を走らせることになった時に言われたのは2013年シーズンに
テンカーテのタイトルスポンサーになるのはイタリアのポテトチップスやスナック菓子
メーカーのパタのおかげであり、彼がイタリア人であるからというものでした。
払って乗るライダー、スポンサーを持ち込んで走ることができるライダーというのは
たくさんいます。今のレースの世界では珍しいことではありません。
しかし、そうして走ることができる環境ができても、いい走り、優秀な成績を残せるか
どうかはライダーの走る才能やマシンの開発能力にかかっています。
スポンサーのおかげや国籍のために走ることができるというやっかみの声を黙らせる
のはサーキットでのタイムと順位のみです。
ロレンツォ・ザネッティは表彰台に昇り、ライダーとしての評価を上げました。
熾烈な優勝争い、表彰台をめぐる戦いに敗れたものの、ファンや関係者に祝福
されていたのがリカルド・ルッソでした。
昨年までストック600選手権で戦っていた彼が、ステップアップを考えていたのは
当然のことでした。
しかしながら、彼自身にはスポンサーなり持ち込み資金がない。(あるいは乏しい)
実績と能力はありながらも、チームやカテゴリーを選ぶ上で難しいシーズンオフを
送りました。
その彼がイタリアモーターサイクル協会のサポートとカワサキイタリアの理解と
支援によって、フル参戦はかなわないものの、ヨーロッパラウンドのスーパースポート
世界選手権参戦が開幕がかなり近づいた時期に発表になりました。
彼の周りのスタッフができうる限りの努力をして、構築した参戦体制が前述のもの
でした。
初めての世界選手権。乗り慣れたヤマハではなく、カワサキのマシン。
彼が学んだり、理解しなければいけないこと、甘受して飲み込まなければいけないことは
多かった冬の終わりと春の始まりでした。
その彼がモンツァで走った経験と持っている能力と闘争心でトップ争いに加わりました。
レースウィナーはサム・ロウズでしたが、二位から四位のライダーの背景を考えると
色々な思いが私に宿ります。
フローリアン・マリーノには彼自身諦めることが害悪であることやレースの内部や
チェコのチームが世界選手権にやってきたという偶然や過去にチャンスを生かせなかった
ライダーでも強い思いと学習したり理解できるようになったことを利用して速く走ること
になったというライダーの世界選手権レベルでの敗者復活戦での鮮やかな失地回復
運動がモンツァのサーキットで見ることができました。
ロレンツォ・ザネッティにはスポンサーや周りのスタッフのおかげでいい体制で
走ることができてもそれを生かすも殺すも本人次第。彼は与えられた道具や所属する
チームや走らせるバイクを最大限活かして評価を高めたなと思いました。
リカルド・ルッソには若くて元気で能力のあるライダーがマシンを変えながらも
素晴らしい学習能力と闘争心で成長を続けていることを見せてもらいました。
勝ったのはサム・ロウズとヤマハの傑作バイクのR6。しかし、ヒーローがウィナー以外にも存在したことを感じ、改めてレースというのはいいものだなと思ったモンツァの
スーパースポートクラスのレースでした。
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